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review - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-05-01 05:55

2020-10-31 Sat

#4205. 國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』 [philosophy_of_language][voice][middle_voice][passive][review]

 國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読了した.「中動態」 (middle_voice) あるいは「中間態」とも呼ばれる,古くは印欧語族に広くみられた態 (voice) に関する哲学的考察である.
 現代人の多くには馴染みの薄い態であるが,古代ギリシア語では一般的によくみられ,現代の印欧諸語にも何らかの形で残滓が残っている.また,日本語の「自発」を表わす動詞の表現なども,中動態の一種といえる.本ブログでは「#232. 英語史の時代区分の歴史 (1)」 ([2009-12-15-1]),「#2185. 再帰代名詞を用いた動詞表現の衰退」 ([2015-04-21-1]),「#3331. 印欧祖語からゲルマン祖語への動詞の文法範疇の再編成」 ([2018-06-10-1]) 等でその名称には触れたものの,まともに取り上げたことはなかった話題である.
 本書を分かりやすく要約することは至難の業だが,著者の最大の主張は,私たちが当たり前のようにみなしている能動態と受動態の対立を疑ってみようという呼びかけである.能動態と受動態の対立に慣れきっていると,中動態は,文字通り中間的な,立ち位置のよく分からないどっちつかずの存在であるようにみえる.しかし,それは対立の軸がずれているからではないか.対立させるべきは,能動態と受動態を合わせた1つの態と,中動態というもう1つの態なのではないか.中動態は何かの中間なのではなく,むしろ能動態と鋭く対立する態なのではないか.本書では,前半からこのような目から鱗の落ちるような議論が展開される.pp. 82--83 より著者の主張を引用しよう(以下では原文の圏点は太字で示している).

中動態を定義するためには,われわれがそのなかに浸かってしまって能動対受動というパースペクティヴを一度括弧に入れたうえで,かつて中動態が置かれていたパースペクティヴを復元しなければならないのだった.より具体的に言えば,その作業は,中動態をそれ単独としてではなくて,能動態との対立において定義することを意味する.
 するとここにもう一つ別の課題が現れる.
 中動態が能動態との対立においてその意味を確定していたのならば,まったく同じように,能動態もまた中動態との対立においてその意味を確定していたはずである.だとしたら,中動態と対立していたときの能動態を,現在のパースペクティヴにおける能動態と同一視してはならないことになる.中動態を定義するためには,中動態と対立していた能動態も定義し直さなければならないはずだ.
 われわれがそのなかに浸っているパースペクティヴを括弧に入れるとは,そのようなことを意味する.中動態を問うためには,われわれが無意識に採用している枠組みわれわれ自身を規定している諸条件を問わねばならないのだ.


 このように従来の態の見方を転倒させるような洞察が本書の最後まで続く.そのなかには,印欧語では動詞構文より前に名詞構文があったのではないかという仮説もあれば,中動態こそが原初の態だったのではないかという仮説もある.あらためて言語における態とは何なのかを問わずにはいられなくなる論考である.

 ・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.

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2020-08-23 Sun

#4136. 高橋 英光(著)『英語史を学び英語を学ぶ』(開拓社)の書評 [review][hel_education]

 先日発売された『英語教育』9月号に,英語史の近著『英語史を学び英語を学ぶ --- 英語の現在と過去の対話』(高橋 英光(著),開拓社)に関する拙論書評が掲載されました.

『英語教育』2020年9月号



 書評内で本書を「読む英語史演習」と表現しましたが,実際,読んでみると大学の英語史演習の授粟に参加しているかのような錯覚に陥ります.前半の第I部は英語史通史の入門というべき趣旨で,ざっと読むことができます.その補章としてOED入門の解説が施されており,初めてOEDに触るという学習者には有用です.
 後半の第II部は,現代英語の諸問題を歴史的にみるという趣旨の内容で,とりわけ17,18章は著者が強調する認知言語学の視点からの記述で,文法変化と意味変化の話題が取り上げられています.
 各章末には要領よくまとめられた「要約」が付されているのもポイントです.この「要約」のみを横に読んでいくという学習法もありだと思います.
 全体的に,易しい英語史入門書という位置づけの書です.巻末の参考文献にはよく選ばれた論著が並んでいるので,芋づる式に読書していくとよいと思います.

 ・ 高橋 英光 『英語史を学び英語を学ぶ --- 英語の現在と過去の対話』 開拓社,2020年.
 ・ 堀田 隆一 「書評:高橋 英光 『英語史を学び英語を学ぶ --- 英語の現在と過去の対話』(開拓社)」 『英語教育』(大修館) 2020年9月号,2020年.93--94頁.

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2020-04-01 Wed

#3992. 英語史を学ぶなら Baugh and Cable の古典的名著を [hel_education][review]

 本日から新年度です.新型コロナウィルスの影響で大学の授業もレギュラーには始まりませんが,本年度も前向きの姿勢で英語史に取り組んでいきましょう.
 例年,私の英語史の授業では,Baugh and Cable による英語史の古典的名著 A History of the English Language を指定テキストとしています.現行のものは2013年に出た第6版で,和田 (2013) にレビューがあります.「#2182. Baugh and Cable の英語史第6版」 ([2015-04-18-1]) の記事もご覧ください.
 私自身も忘れていたのですが,およそ1年ほど前の『週刊読書人』第3290号(2019年5月24日)に同著を推薦書として挙げていました.こちらのページをご覧ください.その最後に「今の時代だからこそ広く読まれるべき,英語に関する教養書であり,同時に専門書でもあります」と書きましたが,これは本当です.よくできた教養書でありながら,英語史を専攻する者として何度目かに読んでも必ず何らかの発見があるのです.著者は,平易な文章を目指しつつも,その表面に様々なレベルの問題についてヒントを散りばめるのが上手なのだろうと思います.
 英語史に限らず「○○史」と銘打った歴史の教科書というのは,時系列での整理の仕方が命です.よくできた歴史の教科書は,章立てと目次が整理されています.もちろん通読は必要ですが,通読して流れを理解した上で,その目次をじっくり学習するというのがお薦めの学習法です.「#2089. Baugh and Cable の英語史概説書の目次」 ([2015-01-15-1]) をどうぞ.
 英語史のお薦めの本はほかにもあります.昨年度版ですが「#3635. 英語史概説書等の書誌(2019年度版)」 ([2019-04-10-1]) をご覧ください.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
 ・ 和田 忍 「新刊紹介 Albert C. BAUGH & Thomas CABLE, A History of the English Language, Sixth edition, Upper Saddle River, NJ, Pearson, 2013, 446+xviii p., $174.07」『西洋中世研究』第5号,2013年,159頁.

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2020-03-13 Fri

#3973. 『ビジュアル数学全史』の英語目次 [mathematics][toc][review][link]

 数学に関する年表・図鑑・事典が一緒になったような,それでいて読み物として飽きない『ビジュアル数学全史』を通読した.2009年の原著 The Math Book の邦訳である.250の話題の各々について写真や図形が添えられており,雑学ネタにも事欠かない.ゾクゾクさせる数の魅力にはまってしまった.この本の公式HPはこちら
 原著で読んでいたら数学用語にも強くなっていたかもしれないと思ったが,250のキーワードについては英語版の目次から簡単に拾える.ということで,以下に日英両言語版の目次をまとめてみた.ただ挙げるのでは芸がないので,本ブログの過去の記事と引っかけられそうなキーワードについては,リンクを張っておいた.数学(を含む自然科学)に関連する言語学・英語学・英語史の話題については,たまに取り上げてきたので.



 1. アリの体内距離計:Ant Odometer (c. 150 million BC)
 2. 数をかぞえる霊長類:Primates Count (c. 30 million BC)
 3. セミと素数:Cicada-Generated Prime Numbers (c. 1 million BC)
 4. 結び目:Knots (c. 100,000 BC)
 5. イシャンゴ獣骨:Ishango Bone (c. 18,000 BC)
 6. キープ:Quipu (c. 3000 BC) (cf. 「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1]),「#3838. 「文字を有さずとも,かなり高度な文明と文化をつくり上げることは可能」」 ([2019-10-30-1]))
 7. サイコロ:Dice (c. 3000 BC)
 8. 魔方陣:Magic Squares (c. 2200 BC)
 9. プリンプトン322:Plimpton 322 (c. 1800 BC)
 10. リンド・パピルス:Rhind Papyrus (c. 1650 BC)
 11. 三目並べ:Tic Tac Toe (c. 1300 BC)
 12. ピタゴラスの定理とピタゴラス三角形:Pythagorean Theorem and Triangles (c. 600 BC)
 13. 囲碁:Go (548 BC)
 14. ピタゴラス教団の誕生:Pythagoras Founds Mathematical Brotherhood (530 BC)
 15. ゼノンのパラドックス:Zeno's Paradoxes (c. 445 BC)
 16. 弓形の求積法:Quadrature of the Lune (c. 440 BC)
 17. プラトンの立体:Platonic Solids (350 BC)
 18. アリストテレスの『オルガノン』:Aristotle's Organon (c. 350 BC)
 19. アリストテレスの車輪のパラドックス:Aristotle's Wheel Paradox (c. 320 BC)
 20. ユークリッドの『原論』:Euclid's Elements (300 BC)
 21. アルキメデスの『砂粒』『牛』『ストマキオン』:Archimedes: Sand, Cattle & Stomachion (c. 250 BC)
 22. 円周率 π:pi (c. 250 BC)
 23. エラトステネスのふるい:Sieve of Eratosthenes (c. 240 BC)
 24. アルキメデスの半正多面体:Archimedean Semi-Regular Polyhedra (c. 240 BC)
 25. アルキメデスのらせん:Archimedes' Spiral (225 BC)
 26. ディオクレスのシッソイド:Cissoid of Diocles (c. 180 BC)
 27. プトレマイオスの『アルマゲスト』:Ptolemy's Almagest (c. 150)
 28. ディオファントスの『算術』:Diophantus's Arithmetica (250)
 29. パッポスの六角形定理:Pappus's Hexagon Theorem (c. 340)
 30. バクシャーリー写本:Bakhshali Manuscript (c. 350)
 31. ヒュパティアの死:The Death of Hypatia (415)
 32. ゼロ:Zero (c. 650)
 33. アルクィンの『青年たちを鍛えるための諸命題』:Alcuin's Propositiones ad Acuendos Juvenes (c. 800) (cf. 「#1309. 大文字と小文字」 ([2012-11-26-1]),「#2871. 古英語期のスライド年表」 ([2017-03-07-1]),「#3820. なぜアルフレッド大王の時代までに学問が衰退してしまったのか?」 ([2019-10-12-1]))
 34. アル=フワーリズミーの『代数学』:al-Khwarizmi's Algebra (830) (cf. 「#2918. 「未知のもの」を表わす x」 ([2017-04-23-1]))
 35. ボロミアン環:Borromean Rings (834)
 36. 『ガニタサーラサングラハ』:Ganita Sara Samgraha (850)
 37. サービトの友愛数の公式:Thabit Formula for Amicable Numbers (c. 850)
 38. 『算術について(インド式計算について諸章よりなる書)』:Kitab al-fusul fi al-hisab al-Hindi (c. 953)
 39. オマル・ハイヤームの『代数学』:Omar Khayyam's Treatise (1070)
 40. アッ=サマウアルの『代数の驚嘆』:Al-Samawal's The Dazzling (c. 1150)
 41. そろばん:Abacus (c. 1200)
 42. フィボナッチの『計算の書』:Fibonacci's Liber Abaci (1202)
 43. チェス盤上の麦粒:Wheat on a Chessboard (1256)
 44. 調和級数の発散:Harmonic Series Diverges (c. 1350)
 45. 余弦定理:Law of Cosines (c. 1427)
 46. 『トレヴィーゾ算術書』:Treviso Arithmetic (1478)
 47. 円周率の級数公式の発見:Discovery of Series Formula for Pi (c. 1500)
 48. 黄金比:Golden Ratio (1509)
 49. 『ポリグラフィア』:Polygraphiae Libri Sex (1518)
 50. 航程線:Loxodrome (1537)
 51. カルダノの『アルス・マグナ』:Cardano's Ars Magna (1545)
 52. 『スマリオ・コンペンディオソ』:Sumario Compendioso (1556)
 53. メルカトール図法:Mercator Projection (1569)
 54. 虚数:Imaginary Numbers (1572) (cf. 「#2120. 再建形は虚数である」 ([2015-02-15-1]))
 55. ケプラー予想:Kepler Conjecture (1611)
 56. 対数:Logarithms (1614)
 57. 計算尺:Slide Rule (1621)
 58. フェルマーのらせん:Fermat's Spiral (1636)
 59. フェルマーの最終定理:Fermat's Last Theorem (1637)
 60. デカルトの『幾何学』:Descartes' La Geometrie (1637)
 61. カージオイド:Cardioid (1637)
 62. 対数らせん:Logarithmic Spiral (1638)
 63. 射影幾何学:Projective Geometry (1639)
 64. トリチェリのトランペット:Torricelli's Trumpet (1641)
 65. パスカルの三角形:Pascal's Triangle (1654)
 66. ニールの放物線:The Length of Neile's Semicubical Parabola (1657)
 67. ヴィヴィアーニの定理:Viviani's Theorem (1659)
 68. 微積分の発見:Discovery of Calculus (c. 1665)
 69. ニュートン法:Newton's Method (1669)
 70. 等時曲線問題:Tautochrone Problem (1673)
 71. 星芒形:Astroid (1674)
 72. ロピタルの『無限小解析』:L'Hopital's Analysis of the Infinitely Small (1696)
 73. 地球を取り巻くロープのパズル:Rope around the Earth Puzzle (1702)
 74. 大数の法則:Law of Large Numbers (1713)
 75. オイラー数 e:Euler's Number, e (1727)
 76. スターリングの公式:Stirling's Formula (1730)
 77. 正規分布曲線:Normal Distribution Curve (1733)
 78. オイラー・マスケローニの定数:Euler-Mascheroni Constant (1735)
 79. ケーニヒスベルクの橋渡り:Konigsberg Bridges (1736)
 80. サンクトペテルブルクのパラドックス:St. Petersburg Paradox (1738)
 81. ゴールドバッハ予想:Goldbach Conjecture (1742)
 82. アニェージの『解析教程』:Agnesi's Instituzioni Analitiche (1748)
 83. オイラーの多面体公式:Euler's Formula for Polyhedra (1751)
 84. オイラーの多角形分割問題:Euler's Polygon Division Problem (1751)
 85. 騎士巡回問題:Knight's Tours (1759)
 86. ベイズの定理:Bayes' Theorem (1761)
 87. フランクリン魔方陣:Franklin Magic Square (1769)
 88. 極小曲面:Minimal Surface (1774)
 89. ビュフォンの針:Buffon's Needle (1777)
 90. 36人の士官の問題:Thirty-Six Officers Problem (1779)
 91. 算額の幾何学:Sangaku Geometry (c. 1789)
 92. 最小二乗法:Least Squares (1795)
 93. 正十七角形の作図:Constructing a Regular Heptadecagon (1796)
 94. 代数学の基本定理:Fundamental Theorem of Algebra (1797)
 95. ガウスの『数論考究』:Gauss's Disquisitiones Arithmeticae (1801)
 96. 三桿分度器:Three-Armed Protractor (1801)
 97. フーリエ級数:Fourier Series (1807)
 98. ラプラスの『確率の解析的理論』:Laplace's Theorie Analytique des Probabilites (1812)
 99. ルパート公の問題:Prince Rupert's Problem (1816)
 100. ベッセル関数:Bessel Functions (1817)
 101. バベッジの機械式計算機:Babbage Mechanical Computer (1822)
 102. コーシーの『微分積分学要論』:Cauchy's Le Calcul Infinitesimal (1823)
 103. 重心計算:Barycentric Calculus (1827)
 104. 非ユークリッド幾何学:Non-Euclidean Geometry (1829)
 105. メビウス関数:Mobius Function (1831)
 106. 群論:Group Theory (1832)
 107. 鳩の巣原理:Pigeonhole Principle (1834)
 108. 四元数:Quaternions (1843)
 109. 超越数:Transcendental Numbers (1844)
 110. カタラン予想:Catalan Conjecture (1844)
 111. シルヴェスターの行列:The Matrices of Sylvester (1850)
???112. ?????峨?????鐚?Four-Color Theorem (1852)
 113. ブール代数:Boolean Algebra (1854)
 114. イコシアン・ゲーム:Icosian Game (1857)
 115. ハーモノグラフ:Harmonograph (1857)
 116. メビウスの帯:The Mobius Strip (1858)
 117. ホルディッチの定理:Holditch's Theorem (1858)
 118. リーマン予想:Riemann Hypothesis (1859)
 119. ベルトラミの擬球面:Beltrami's Pseudosphere (1868)
 120. ワイエルシュトラース関数:Weierstrass Function (1872)
 121. グロの『チャイニーズリングの理論』:Gros's Theorie du Baguenodier (1872)
 122. コワレフスカヤの博士号:The Doctorate of Kovalevskaya (1874)
 123. 15パズル:Fifteen Puzzle (1874)
 124. カントールの超限数:Cantor's Transfinite Numbers (1874)
 125. ルーローの三角形:Reuleaux Triangle (1875)
 126. 調和解析機:Harmonic Analyzer (1876)
 127. リッティ・モデルIキャッシュレジスター:Ritty Model I Cash Register (1879)
 128. ベン図:Venn Diagrams (1880)
 129. ベンフォードの法則:Benford's Law (1881)
 130. クラインのつぼ:Klein Bottle (1882)
 131. ハノイの塔:Tower of Hanoi (1883)
 132. フラットランド:Flatland (1884)
 133. 四次元立方体:Tesseract (1888)
 134. ペアノの公理:Peano Axioms (1889)
 135. ペアノ曲線:Peano Curve (1890)
 136. 壁紙群:Wallpaper Groups (1891)
 137. シルヴェスターの直線の問題:Sylvester's Line Problem (1893)
 138. 素数定理の証明:Proof of the Prime Number Theorem (1896)
 139. ピックの定理:Pick's Theorem (1899)
 140. モーリーの三等分線定理:Morley's Trisector Theorem (1899)
 141. ヒルベルトの23の問題:Hilbert's 23 Problems (1900)
 142. カイ二乗検定:Chi-Square (1900) (cf. 「#696. Log-Likelihood Test」 ([2011-03-24-1]))
 143. ボーイ曲面:Boy's Surface (1901)
 144. 床屋のパラドックス:Barber Paradox (1901)
 145. ユングの定理:Jung's Theorem (1901)
 146. ポアンカレ予想:Poincare Conjecture (1904)
 147. コッホ雪片:Koch Snowflake (1904)
 148. ツェルメロの選択公理:Zermelo's Axiom of Choice (1904)
 149. ジョルダン曲線定理:Jordan Curve Theorem (1905)
 150. トゥーエ-モース数列:Thue-Morse Sequence (1906)
 151. ブラウアーの不動点定理:Brouwer Fixed-Point Theorem (1909)
 152. 正規数:Normal Number (1909)
 153. ブールの『代数の哲学と楽しみ』:Boole's Philosophy and Fun of Algebra (1909)
 154. 『プリンキピア・マテマティカ』:Principia Mathematica (1910-1913)
 155. 毛玉の定理:Hairy Ball Theorem (1912)
 156. 無限の猿定理:Infinite Monkey Theorem (1913)
 157. ビーベルバッハ予想:Bieberbach Conjecture (1916)
 158. ジョンソンの定理:Johnson's Theorem (1916)
 159. ハウスドルフ次元:Hausdorff Dimension (1918)
 160. ブルン定数:Brun's Constant (1919)
 161. グーゴル:Googol (c. 1920) (cf. 「#888. 語根創成について一考」 ([2011-10-02-1]))
 162. アントワーヌのネックレス:Antoine's Necklace (1920)
 163. ネーターの『イデアル論』:Noether's Idealtheorie (1921)
 164. 超空間で迷子になる確率:Lost in Hyperspace (1921)
 165. ジオデシック・ドーム:Geodesic Dome (1922)
 166. アレクサンダーの角付き球面:Alexander's Horned Sphere (1924)
 167. バナッハ-タルスキのパラドックス:Banach-Tarski Paradox (1924)
 168. 長方形の正方分割:Squaring a Rectangle (1925)
 169. ヒルベルトのグランドホテル:Hilbert's Grand Hotel (1925)
 170. メンガーのスポンジ:Menger Sponge (1926)
 171. 微分解析機:Differential Analyzer (1927)
 172. ラムゼー理論:Ramsey Theory (1928)
 173. ゲーデルの定理:Godel's Theorem (1931)
 174. チャンパノウン数:Champernowne's Number (1933)
 175. 秘密結社ブルバキ:Bourbaki: Secret Society (1935)
 176. フィールズ賞:Fields Medal (1936)
 177. チューリングマシン:Turing Machines (1936)
 178. フォーデルベルクのタイリング:Voderberg Tilings (1936)
 179. コラッツ予想:Collatz Conjecture (1937)
 180. フォードの円:Ford Circles (1938)
 181. 乱数発生器の発達:The Rise of Randomizing Machines (1938)
 182. 誕生日のパラドックス:Birthday Paradox (1939)
 183. 外接多角形:Polygon Circumscribing (c. 1940)
 184. ボードゲーム「ヘックス」:Hex (1942)
 185. ピッグ・ゲームの戦略:Pig Game Strategy (1945)
 186. ENIAC:ENIAC (1946) (cf. 「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]))
 187. フォン・ノイマンの平方採中法:Von Neumann's Middle-Square Randomizer (1946)
 188. グレイコード:Gray Code (1947)
 189. 情報理論:Information Theory (1948) (cf. information_theory)
 190. クルタ計算機:Curta Calculator (1948)
 191. チャーサール多面体:Csaszar Polyhedron (1949)
 192. ナッシュ均衡:Nash Equilibrium (1950)
 193. 海岸線のパラドックス:Coastline Paradox (c. 1950)
 194. 囚人のジレンマ:Prisoner's Dilemma (1950)
 195. セル・オートマトン:Cellular Automata (1952)
 196. マーティン・ガードナーの数学レクリエーション:Martin Gardner's Mathematical Recreations (1957)
 197. ギルブレスの予想:Gilbreath's Conjecture (1958)
 198. 球面の内側と外側をひっくり返す:Turning a Sphere Inside Out (1958)
 199. プラトンのビリヤード:Platonic Billiards (1958)
 200. 外接ビリヤード:Outer Billiards (1959)
 201. ニューコムのパラドックス:Newcomb's Paradox (1960)
 202. シェルピンスキ数:Sierpinski Numbers (1960)
 203. カオスとバタフライ効果:Chaos and the Butterfly Effect (1963) (cf. chaos_theory)
 204. ウラムのらせん:Ulam Spiral (1963)
 205. 連続体仮説の非決定性:Continuum Hypothesis Undecidability (1963)
 206. スーパーエッグ:Superegg (c. 1965)
 207. ファジィ論理:Fuzzy Logic (1965)
 208. インスタント・インサニティ:Instant Insanity (1966)
 209. ラングランズ・プログラム:Langlands Program (1967)
 210. スプラウト・ゲーム:Sprouts (1967)
 211. カタストロフィー理論:Catastrophe Theory (1968)
 212. トカルスキーの照らし出せない部屋:Tokarsky's Unilluminable Room (1969)
 213. ドナルド・クヌースとマスターマインド:Donald Knuth and Mastermind (1970)
 214. エルデーシュの膨大な共同研究:Erdos and Extreme Collaboration (1971)
 215. 最初の関数電卓HP-35:HP-35: First Scientific Pocket Calculator (1972)
 216. ペンローズ・タイル:Penrose Tiles (1973)
 217. 美術館定理:Art Gallery Theorem (1973)
 218. ルービック・キューブ:Rubik's Cube (1974)
 219. チャイティンのオメガ:Chaitin's Omega (1974)
???220. 莇??憜????逸??Surreal Numbers (1974)
 221. ペルコの結び目:Perko Knots (1974)
 222. フラクタル:Fractals (1975) (cf. 「#3123. カオスとフラクタル」 ([2017-11-14-1]))
 223. ファイゲンバウム定数:Feigenbaum Constant (1975)
 224. 公開鍵暗号:Public-Key Cryptography (1977) (cf. 「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),cat('cryptology'))
 225. シラッシ多面体:Szilassi Polyhedron (1977)
 226. 池田アトラクター:Ikeda Attractor (1979) (cf. 「#3111. カオス理論と言語変化 (1)」 ([2017-11-02-1]),「#3123. カオスとフラクタル」 ([2017-11-14-1]))
 227. スパイドロン:Spidrons (1979)
 228. マンデルブロー集合:Mandelbrot Set (1980) (cf. 「#3123. カオスとフラクタル」 ([2017-11-14-1]),「#3132. 暗号学と言語学 (2)」 ([2017-11-23-1]))
 229. モンスター群:Monster Group (1981)
 230. n次元球体内の三角形:Ball Triangle Picking (1982)
 231. ジョーンズ多項式:Jones Polynomial (1984)
 232. ウィークス多様体:Weeks Manifold (1985)
 233. アンドリカの予想:Andrica's Conjecture (1985)
???234. ABC篋???鰹??The ABC Conjecture (1985)
 235. 読み上げ数列:Audioactive Sequence (1986)
???236. Mathematica鐚?Mathematica (1988)
 237. マーフィーの法則と結び目:Murphy's Law and Knots (1988)
 238. バタフライ曲線:Butterfly Curve (1989)
 239. オンライン整数列大辞典:The On-Line Encyclopedia of Integer Sequences (1996)
 240. エターニティ・パズル:Eternity Puzzle (1999)
 241. 四次元完全魔方陣:Perfect Magic Tesseract (1999)
 242. パロンドのパラドックス:Parrondo's Paradox (1999)
 243. ホリヘドロンの解決:Solving of the Holyhedron (1999)
 244. ベッドシーツ問題:Bed Sheet Problem (2001)
 245. オワリ・ゲームの解決:Solving the Game of Awari (2002)
 246. テトリスはNP完全:Tetris is NP-Complete (2002)
 247. 天才数学者の事件ファイル:NUMB3RS (2005)
 248. チェッカーの解決:Checkers is Solved (2007)
 249. 例外型単純リー群E8の探求:The Quest for Lie Group E8 (2007)
 250. 数学的宇宙仮説:Mathematical Universe Hypothesis (2007)



・ Pickover, Clifford A. The Math Book: From Pythagoras to the 57th Dimension, 250 Milestones in the History of Mathematics. New York: Sterling, 2009.
・ ピックオーバー,クリフォード(著),根上 生也・水原 文(訳) 『ビジュアル数学全史』 岩波書店,2017年.

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2019-12-28 Sat

#3897. Alternative Histories of English [hel_education][review][history][sociolinguistics][world_englishes][variety]

 この2日間の記事 ([2019-12-26-1], [2019-12-27-1]) で「歴史の if」について考えてみた.反実仮想に基づいた歴史の呼び方の1つとして alternative history があるが,この表現を聞いて思い出すのは,著名な社会言語学者たちによって書かれた英語史の本 Alternative Histories of English である.
 この本は,実際のところ,反実仮想に基づいたフィクションの英語史書というわけではない.むしろ,事実の記述に基づいた堅実な英語史記述である.ただし,現在広く流通している,いわゆる標準英語のメイキングに注目する「正統派」の英語史に対して,各種の非標準英語,すなわち "Englishes" の歴史に光を当てるという趣旨での「もう1つの歴史」というわけである.
 しかし,本書は(過去ではないが)未来に関するある空想に支えられているという点で,反実仮想と近接する部分が確かにある.このことは,2人の編者 Watts and Trudgill が執筆した "In the year 2525" と題する序論にて確認できる.以下に引用しよう.

   If the whole point of a history of English were, as it sometimes appears, to glorify the achievement of (standard) English in the present, then what will speakers in the year 2525 have to say about our current textbooks? We would like to suggest that orthodox histories of English have presented a kind of tunnel vision version of how and why the language achieved its present form with no consideration of the rich diversity and variety of the language or any appreciation of what might happen in the future. Just as we look back at the multivariate nature of Old English, which also included a written, somewhat standardised form, so too might the observer 525 years hence look back and see twentieth century Standard English English as being a variety of peculiarly little importance, just as we can now see that the English of King Alfred was a standard form that was in no way the forerunner of what we choose to call Standard English today.
   There is no reason why we should not, in writing histories of English, begin to take this perspective now rather than wait until 2525. Indeed, we argue that most histories of English have not added at all to the sum of our knowledge about the history of non-standard varieties of English --- i.e. the majority --- since the late Middle English period. It is one of our intentions that this book should help to begin to put that balance right. (1--2)


 正統派に属する伝統的な英語史の偏狭な見方を批判した,傾聴に値する文章である."alternative history" は,この2日間で論じてきたように,原因探求に効果を発揮するだけでなく,広く流通している歴史(観)を相対化するという点でも重要な役割を果たしてくれるだろう.
 本書の出版は2002年だが,それ以降,英語の非標準的な変種や側面に注目する視点は着実に育ってきている.関連して「#1991. 歴史語用論の発展の背景にある言語学の "paradigm shift"」 ([2014-10-09-1]) の記事も参照されたい.なお,このような視点を英語史に適用する試みは,いまだ多くないのが現状である.

 ・ Watts, Richard and Peter Trudgill, eds. Alternative Histories of English. Abingdon: Routledge, 2002.

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2019-10-29 Tue

#3837. 鈴木董(著)『文字と組織の世界史』 --- 5つの文字世界の発展から描く新しい世界史 [writing][grammatology][religion][review][history]

 昨年出版された鈴木董(著)『文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ』は,文字の観点からみた世界史の通史である.一本の強力な筋の通った壮大な世界史である.文字,言語,宗教,そして統治組織という点にこだわって書かれており,言語史の立場からも刺激に富む好著である.
 本書の世界史記述は,5つの文字世界の歴史的発展を基軸に秩序づけられている.その5つの文字世界とは何か.第1章より,重要な部分を抜き出そう (19--20) .

〔前略〕唯一のグローバル・システムが全世界を包摂する直前というべき一八〇〇年に立ち戻ってみると,「旧世界」のアジア・アフリカ・ヨーロッパの「三大陸」の中核部には,五つの大文字圏,文字世界としての文化世界が並存していた.
 すなわち,西から東へ「ラテン文字世界」,「ギリシア・キリル文字世界」,「梵字世界」,「漢字世界」,そして上述の四つの文字世界の全てに接しつつ,アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸にまたがって広がる「アラビア文字世界」の五つである.「新世界」の南北アメリカの両大陸,そして六つ目の人の住む大陸というべきオーストラリア大陸は,その頃までには,いずれも西欧人の植民地となりラテン文字世界の一部と化していた.
 ここで「旧世界」の「三大陸」中核部を占める文字世界は,文化世界としてとらえなおせば,ラテン文字世界は西欧キリスト教世界,ギリシア・キリル文字世界は東欧正教世界,梵字世界は南アジア・東南アジア・ヒンドゥー・仏教世界,漢字世界は東アジア儒教・仏教世界,そしてアラビア文字世界はイスラム世界としてとらええよう.そして,各々の文字世界の成立,各々の文化世界内における共通の古典語,そして文明と文化を語るときに強要される文明語・文化語の言語に用いられる文字が基礎を提供した.
 すなわち西欧キリスト教世界ではラテン語,東欧正教世界ではギリシア語と教会スラヴ語,南アジア・東南アジア・ヒンドゥー・仏教世界では,ヒンドゥー圏におけるサンスクリットと仏教圏におけるパーリ語,東アジア儒教・仏教世界では漢文,そしてイスラム世界においてはアラビア語が,各々の文化世界で共有された古典語,文明語・文化語であった.


 5つの文字世界の各々と地域・文化・宗教・言語の関係は密接である.改めてこれらの相互関係に気付かせてくれた点で,本書はすばらしい.  *
 本ブログでも,文字の歴史,拡大,系統などについて多くの記事で論じてきた.とりわけ以下の記事を参照されたい.

 ・ 「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1])
 ・ 「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1])
 ・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
 ・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
 ・ 「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1])
 ・ 「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1])
 ・ 「#2398. 文字の系統 (3)」 ([2015-11-20-1])
 ・ 「#2416. 文字の系統 (4)」 ([2015-12-08-1])
 ・ 「#2399. 象形文字の年表」 ([2015-11-21-1])
 ・ 「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1])
 ・ 「#2414. 文字史年表(ロビンソン版)」 ([2015-12-06-1])
 ・ 「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1])
 ・ 「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1])
 ・ 「#2387. 日本語の文字史(近代編)」 ([2015-11-09-1])
 ・ 「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1])
 ・ 「#2390. 文字体系の起源と発達 (2)」 ([2015-11-12-1])
 ・ 「#2577. 文字体系の盛衰に関わる社会的要因」 ([2016-05-17-1])
 ・ 「#2494. 漢字とオリエント文字のつながりはあるか?」 ([2016-02-24-1])

 ・ 鈴木 董 『文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ』 山川出版社,2018年.

Referrer (Inside): [2023-01-26-1]

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2019-10-05 Sat

#3813. Crystal の英語百科事典の構成原理 [review]

 「#3805. The Cambridge Encyclopedia of the English Language 第3版の Part I 「英語史」の目次」 ([2019-09-27-1]) で紹介した Crystal の The Cambridge Encyclopedia of the English Language (第3版)の第1章 (2--3) では,"Modelling English" と題して本書の構成原理に関する説明が施されている.これは著者が長年培ってきた言語観の表明であり,英語観のエッセンスでもある.さらにいえば,20世紀半ばまでの言語学の潮流と,それ以降のトレンドを別個に扱いつつも,両者を融合しようという試みともなっている.著者もヤーヌスに譬えているとおり,英語の「構造」 (Structure) と「用法」 (Use) という両側面を知ることは,ともに大事だろう.
 Crystal の構成原理を具体的に示せば,次の通りである.

Modelling English
 Structure
  Event
   Text
  Core
   Grammar
   Lexicon
  Transmission
   Phonology
   Graphology
   Sign
 Use
  Temporal variation
   Long term
   Short term
  Regional variation
  Personal variation
  Social variation


 よく考えられた構成原理だが,手放しでは受け入れられないようにも思う.このモデルによると,英語の歴史は「英語の使用における時間軸上の変異」という見方になるが,これには違和感がある.英語史上の言語変化は,確かに共時的な概念である「構造」においてとらえるのは難しいかもしれないが,だからといって「使用」に含めるのは妥当とは思えない.「使用」に属するものとして「地域変異」「個人変異」「社会変異」と同列に「時間変異」を設けるというのは,理論的には分からないでもないのだが,相当に質の異なる変異である.話者個人の一生内で起こる言語変化を扱う "Short term" のもつ,半ば通時的で半ば共時的な性質をちらつかせることで,「使用」と「変異」に引きつけようとしたのだろうが,数世紀にわたる "Long term" という時間幅について「使用」や「変異」を考えるのは苦しい,というのが率直な印象だ.
 これに続く第2章「英語史」をもって本書の展開が本格的に始まることを考えると,"Structure", "Use" と並んで,単純に "History" と置けばよいように思うのだが,いかがだろうか(英語史を専攻する者の欲目?).

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2019.

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2019-09-27 Fri

#3805. The Cambridge Encyclopedia of the English Language 第3版の Part I 「英語史」の目次 [toc][review][demography]

 Crystal による英語百科事典 The Cambridge Encyclopedia of the English Language が16年振りに改版された.新しい第3版の序文で,この15年の間に英語に関して多くのことが起こったと述べられているとおり,百科事典として,質も量も膨らんでいる.特に本文の2章から7章を構成する Part I は,120ページ近くに及ぶ英語史の話題の宝庫となっている.その部分の目次を眺めるだけでも楽しめる.以下に掲載しよう.

PART I The History of English
2 The Origins of English


3 Old English
   Early Borrowings
   Runes
   The Old English Corpus
   Literary Texts
   The Anglo-Saxon Chronicle
   Spelling
   Sounds
   Grammar
   Vocabulary
   Late Borrowings
   Dialects


4 Middle English
   French and English
   The Transition From Old English
   The Middle English Corpus
   Literary Texts
   Chaucer
   Spelling
   Sounds
   Grammar
   Vocabulary
   Latin borrowings
   Dialects
   Middle Scots
   The Origins of Standard English


5 Early Modern English
   Caxton
   Transitional Texts
   Renaissance English
   The Inkhorn Controversy
   Shakespeare
   The King James Bible
   Spelling and Regularization
   Punctuation
   Sounds
   Original Pronunciation
   Grammar
   Vocabulary
   The Academy Issue
   Johnson


6 Modern English
   Transition
   Grammatical Trends
   Prescriptivism
   American English
   Breaking the Rules
   Variety Awareness
   Scientific Language
   Literary Voices
   Dickens
   Recent Trends
   Current Trends
   Linguistic Memes


7 World English
   The New World
   American Dialects
   Canada
   Black English Vernacular
   Australia
   New Zealand
   South Africa
   West Africa
   East Africa
   South-East Asia and the South Pacific
   A World Language
   Numbers of Speakers
   Standard English
   The Future of English
   English Threatened and as Threat
   Euro-Englishes


 現代を扱う第7章の "World English" が充実している.たとえば英語話者の人口統計がアップデートされており,現時点での総計は23億人を少し超えているという (115) .ちなみに第2版での数字は20億だった.

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2019.

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2019-06-08 Sat

#3694. 朝尾 幸次郎(著)『英語の歴史から考える英文法の「なぜ」』 [sobokunagimon][review][toc][hel_education]

 今年3月に出版された朝尾 幸次郎(著)『英語の歴史から考える英文法の「なぜ」』が広く読まれているようだ.拙著の『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部,2011年)や『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』(研究社,2016年)と同趣旨の本ということもあり関心をもって手に取ってみたが,実に読みやすく,分かりやすい.
 内容をどこまで掘り下げているかという観点からいえば,この新刊書は浅掘りである.しかし,「まえがき」 (iv) にあるように,著者は英語史の事前知識を想定しないという立場をとっており,その趣旨からすると,むしろ詳しすぎない程度に記述を抑えているセンスは素晴らしいと言ってよいだろう.本書が手に取ってもらいやすい理由である.
 著者が実例を挙げることを重視したと述べているとおり,本文にも〈英文法こぼれ話〉にも,読者の興味を引く例が掲載されている.ところどころに,見事なキャッチフレーズやセンスの光る解説がみられる.「英語は歴史的かなづかい」のような言い方もその1つだ.
 以下に目次を付そう.章節のタイトルがそのまま素朴な疑問になっているものが多い.本ブログでも扱ってきた話題が多く取り上げられているので,ブログ内をキーワード検索などして記事も眺めていただければと思うが,同じ問題でも,人が変われば眺め方も変わるものである.本書の解説を読んでみて,私自身の手持ちの解説とは異なり,ナルホドと思ったケースも多々あった.是非ご一読を.



 1 英語の始まり
  1.1 ブリテン島の攻防
  1.2 現代英語
  1.3 近代英語
  1.4 中英語
  1.5 古英語
  〈英文法こぼれ話〉 日比谷公園のルーン文字
 2 「てにをは」はどこにある
  2.1 「は」はどこにある
  2.2 屈折の話
  2.3 英語は聞き取りにくい
  〈英文法こぼれ話〉 アポストロフィー大論争
 3 代名詞にだけ主格・目的格があるのはなぜ
  3.1 古い姿を残す1人称代名詞
  3.2 単数にも複数にも you を使うのはなぜ
  3.3 文法性を捨てた3人称代名詞
  3.4 同じ起源だった who, what, why
  3.5 主格と目的格のせめぎあい
  〈英文法こぼれ話〉 who と whom,どちらを使う
 4 屈折はなぜ消えた
  4.1 英語消滅の危機
  4.2 消えた屈折
  4.3 代名詞の they はどこから来た
  〈英文法こぼれ話〉 ポアロはことばの名探偵
 5 格はどこへ行った
  5.1 主語・目的語は何でわかる
  5.2 なぜ It's me. と言うのか
  5.3 なぜ There is/are と言うのか
  5.3 なぜ go home と言うのか
 6 〈3単現〉だけでない動詞の謎
  6.1 不規則動詞は例外か
  6.2 〈3単現〉に -(e)s をつけるのはなぜ
  6.3 be 動詞が無秩序なのはなぜ
  〈英文法こぼれ話〉 『トム・ソーヤーの冒険』に現れる古英語の〈3単現〉
 7 未来形はどこにある
  7.1 「未来形」の謎
  7.2 will が未来を表すのはなぜ
  7.3 shall が未来を表すのはなぜ
 8 仮定法は仮定を表すのか
  8.1 なじみの薄い「法」
  8.2 ものの見方・とらえ方
  8.3 従節に現れる仮定法現在
  8.4 影の薄い仮定法
  8.5 過去形で現在を表すのはなぜ
  8.6 命令文に動詞の原形を使うのはなぜ
 8 仮定法は仮定を表すのか
  9.1 can に〈3単現〉の -s をつけないのはなぜ
  9.2 仮定法の意味を担うようになった may
  9.3 なぜ must には過去形がないのか
  9.4 could, might の将来
 10 覚えきれない単語の謎
  10.1 英語史上最大の危機
  10.2 こんなに語彙が多いのはなぜ
  10.3 不思議な綴り字の謎
  〈英文法こぼれ話〉 U・V・W の謎
 11 前置詞 of の意味はなぜ混乱している
  11.1 「の」では理解できない
  11.2 前置詞 of が所有格の意味を表すのはなぜ
  11.3 所有格と of のどちらを使う
 12 英語は歴史的かなづかい
  12.1 母音を目で見る
  12.2 姿を変えた英語の母音
  12.3 規則的に不規則な英語の綴り字
  〈英文法こぼれ話〉 ghoti の謎
 13 A の謎:可算・不可算はどうして決まる
  13.1 数詞から生まれた不定冠詞
  13.2 可算・不可算はだれが決めた
  13.3 形あるもの・ないもの
  13.4 なぜ a few と言うのか
  〈英文法こぼれ話〉 歴史に残った不定冠詞のつけ忘れ
 14 定冠詞の謎:the はつけるの,つけないの
  14.1 指示代名詞から生まれた定冠詞
  14.2 認識の共有
  14.3 輪郭をつくる
  14.4 とりたて
  〈英文法こぼれ話〉 ハックルベリー・フィンとトム・ソーヤー
 15 関係代名詞に that と wh- があるのはなぜ
  15.1 that を接続詞に使うのはなぜ
  15.2 that, who, which, what を関係代名詞に使うのはなぜ
  15.3 関係代名詞は省略されたのか
  〈英文法こぼれ話〉 二重否定は肯定か
 16 that で程度・結果を表すのはなぜ
  16.1 なぜ so/such ... that と言うのか
  16.2 なぜ so that ... で結果・目的を表すのか
  16.3 なぜ that が「そんなに」と言う意味になるのか
 17 不定詞に to がつくのはなぜ
  17.1 なぜ「不定詞」と言うのか
  17.2 不定詞に to がつくのはなぜ
  17.3 疑問文・否定文に do/does/did が現れるのはなぜ
  〈英文法こぼれ話〉 明治時代の助動詞 do
 18 不定詞は何を表す:to 不定詞と原形不定詞
  18.1 to 不定詞の意味はどこから生まれる
  18.2 動名詞と to 不定詞,何が違う
  18.3 知覚動詞と使役動詞:原形不定詞を使うのはなぜ
 19 現在完了形に have を使うのはなぜ
  19.1 現在完了はなぜ〈have+過去分詞〉なのか
  19.2 完了・結果・経験・継続の意味になるのはなぜ
  19.3 なぜ have to という言い方をするのか
 20 進行形は進行を表すのか
  20.1 進行形はなぜ〈be+...ing〉なのか
  20.2 クローズアップで見せる進行形
  20.3 なぜ be going to という言い方をするのか

 あとがきに替えて――『オックスフォード英語辞典』を使う



 ・ 朝尾 幸次郎 『英語の歴史から考える英文法の「なぜ」』 大修館,2019年.

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2019-05-19 Sun

#3674. Harris のカリグラフィ本の目次 [toc][review][calligraphy][alphabet][writing][history]

 Harris 著,ローマン・アルファベットの書体に関するイラスト本 The Art of Calligraphy は眺めていて飽きない.歴史上の様々な書体が,豊富な写本写真や筆による実例をもって紹介される.文字や筆記用具に関する蘊蓄も満載.
 本書の目次がそのままローマン・アルファベットの書体の歴史となっているので,以下に再現しておこう.

Introduction
   The Development of Western Script
   Script Timeline
   Getting Started
Roman & Late Roman Scripts
   Rustic Capitals
   Square Capitals
   Uncial & Artificial Uncial
Insular & National Scripts
   Insular Majuscule
   Insular Minuscule
Caroline & Early Gothic Scripts
   Caroline Minuscule
   Foundational Hand
   Early Gothic
Gothic Scripts
   Textura Quadrata
   Textura Prescisus
   Gothic Capitals & Versals
   Lombardic Capitals
   Bastard Secretary
   Bâtarde
   Fraktur & Schwabacher
   Bastard Capitals
   Cadels
Italian & Humanist Scripts
   Rotunda
   Rotunda Capitals
   Humanist Minuscule
   Italic
   Humanist & Italic Capitals
   Italic Swash Capitals
Post-Renaissance Scripts
   Copperplate
   Copperplate Capitals
Roman & Late Roman Scripts
   Imperial Capitals
Script Reference Chart
Glossary
Bibliography
Index & Acknowledgments


 ・ Harris, David. The Art of Calligraphy. London: Dorling Kindersley, 1995.

Referrer (Inside): [2020-05-23-1] [2019-06-28-1]

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2019-05-08 Wed

#3663. 細江逸記『英文法汎論』 --- 歴史的な観点からの現代英文法書 [review][link]

 英語史の知見を詰め込んだ我が国における現代英文法書といえば,ほぼ唯一のものであり,古典的名著というべき細江逸記著の『英文法汎論』を挙げないわけにはいかない.国立国会図書館デジタルコレクションより,細江 逸記 『英文法汎論 第1巻』8版 泰文堂,1949年.がオンラインで閲覧できるようになっている.
 英語史に精通した学者ならではの現代英文法の記述が特徴で,主として近代英語期からの豊富な例文とともに,注などで与えられる正確かつ独創的な歴史的解説が最大の魅力である.とりわけ統語論に強い.本ブログでも,すでに幾多の記事で同文法書(ただし手持ちの3版)を参照・引用してきた.
 以下の記事を眺めるだけでも,細江英文法の深さを感じることができるはずです.英語史の研究者にとって必読であるばかりか,現代英文法の歴史的背景に関心のある方は是非ご一読を.

 ・ 「#740. 熟語における形容詞の名詞用法 --- go from bad to worse」 ([2011-05-07-1])
 ・ 「#752. 他動詞と自動詞の特殊な過去分詞形容詞」 ([2011-05-19-1])
 ・ 「#806. what with A and what with B」 ([2011-07-12-1])
 ・ 「#980. ethical dative」 ([2012-01-02-1])
 ・ 「#981. 副詞と形容詞の近似」 ([2012-01-03-1])
 ・ 「#984. flat adverb はラテン系の形容詞が道を開いたか?」 ([2012-01-06-1])
 ・ 「#988. Don't drink more pints of beer than you can help. (2)」 ([2012-01-10-1])
 ・ 「#1028. なぜ国名が女性とみなされてきたのか」 ([2012-02-19-1])
 ・ 「#1035. 列挙された人称代名詞の順序」 ([2012-02-26-1])
 ・ 「#1037. 前置詞 save」 ([2012-02-28-1])
 ・ 「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1])
 ・ 「#1172. 初期近代英語期のラテン系単純副詞」 ([2012-07-12-1])
 ・ 「#1347. a lawyer turned teacher」 ([2013-01-03-1])
 ・ 「#1350. 受動態の動作主に用いられる of」 ([2013-01-06-1])
 ・ 「#1392. 与格の再帰代名詞」 ([2013-02-17-1])
 ・ 「#1541. Mind you の語順」 ([2013-07-16-1])
 ・ 「#1570. all over the worldall the world over」 ([2013-08-14-1])
 ・ 「#1682. Young as he is, he is rich. の構文」 ([2013-12-04-1])
 ・ 「#1691. than の代用としての as」 ([2013-12-13-1])
 ・ 「#1762. as it were」 ([2014-02-22-1])
 ・ 「#2128. "than" としての noror」 ([2015-02-23-1])
 ・ 「#2130. "I wonder," said John, "whether I can borrow your bicycle."」 ([2015-02-25-1])
 ・ 「#2315. 前出の接続詞が繰り返される際に代用される that」 ([2015-08-29-1])
 ・ 「#2442. 強調構文の発達 --- 統語的現象から語用的機能へ」 ([2016-01-03-1])
 ・ 「#2475. 命令にはなぜ動詞の原形が用いられるのか」 ([2016-02-05-1])
 ・ 「#2647. びっくり should」 ([2016-07-26-1])

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論 第1巻』8版 泰文堂,1949年.
 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

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2019-04-01 Mon

#3626. 柳 朋宏(著)『英語の歴史をたどる旅』 [review][norman_french][doublet][pictish]

 年度初めに,新刊の英語史入門書を1冊紹介します.私も多方面でお世話になっている中部大学の柳朋宏氏の書かれた『英語の歴史をたどる旅』が,この3月に出版されました(柳先生,ご献本いただきましてありがとうございます).中部大学ブックシリーズ Acta の30作目という位置づけです.
 柳氏は英語の通時的な言語変化を理論的な観点から分析する研究者として活躍されていますが,今回はご専門の内面史的な要素をばっさり切り落とし,英語外面史(主に中世前期)を,簡略化も複雑化もしすぎずリーダブルに記述したのが最大の特徴かと思います.イギリスで著者自らが撮影した写真などが多く掲載され,図表やコラムも豊富でありながら,本体価格800円というのも驚きです.
 取り上げられている話題としては,イギリス国旗,日本における英語接触の歴史,ルーン文字,羊皮紙といった文化的な要素が多く,気軽に読み進めていくことができます.ツボをつく細かなネタも満載です.たとえばノルマン・フランス語 (norman_french) と中央フランス語 (Central French) の2重語 (doublet) の話題について,本ブログでもいくつか取り上げてはきましたが,pinch (つまむ)と pincers (やっとこ)というペアもそうだったのかと教わりました(本書 p. 69; cf. 「#76. Norman French vs Central French」 ([2009-07-13-1]),「#95. まだある! Norman French と Central French の二重語」 ([2009-07-31-1]),「#388. もっとある! Norman French と Central French の二重語」 ([2010-05-20-1])).イノシシやガチョウを描いたピクト人のシンボル (Pictish symbols) なども,写真とともに紹介されており,興味を引かれました(本書 p. 32--34).
 本書で扱われている時代は古代・中世についての記述が大半ですが,新年度に各大学で開講される英語史概説の講義はおよそ古代・中世から始まるわけですので,学生にはタイムリーです.英語外面史への最初の一歩としてふさわしい図書です.

 ・ 柳 朋宏 『英語の歴史をたどる旅』 中部大学ブックシリーズ Acta 30,風媒社,2019年.

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2017-10-06 Fri

#3084. スペリングの歴史を知っておくと「慰め」られる [spelling][spelling_pronunciation_gap][review]

 先日発行された日本中世英語英文学会の学会誌 SIMELL 32号に,新川清治氏による Does Spelling Matter? の書評が掲載された.私にとって,この著書の邦訳『スペリングの英語史』を上梓した矢先だったこと,また評者の新川氏が,2014年12月の英語のスペリングに関するシンポジウムで著者 Horobin 氏および私とともに議論したメンバーだったこともあり,書評をたいへん興味深く拝読した.(cf. 「#3079. 拙訳『スペリングの英語史』が出版されました」 ([2017-10-01-1]),「#2053. 日本中世英語英文学会第30回大会のシンポジウム "Does Spelling Matter in Pre-Standardised Middle English?" を終えて」 ([2014-12-10-1]).)
 「#3080. 『スペリングの英語史』の章ごとの概要」 ([2017-10-02-1]) で要約を示したが,新川氏の原著の要約は具体例も豊富でとても読みやすい.昨日の記事「#3083. 「英語のスペリングは大聖堂のようである」」 ([2017-10-05-1]) で取りあげた締めくくりの大聖堂の比喩については,喩えとして印象的だったからに違いない,新川氏も触れている.そして,書評の最後を次のように締めくくっている (165) .

以上,本書の内容を紹介してきたが,綴りに影響した様々な言語内外の要因を扱っているため,煩雑と思えるほどに情報量が多い。また,予備知識なしで読めるようにはなっているが,個々の記述を本当に理解しようと思うとかなり難しいと言える。しかし,分かったようなつもりで読み飛ばしても,一見,無意味・理不尽と思われる慣習にもそうなるに至った理由があることは分かる。どうせ覚えないといけない綴りである。不規則性の背後に長い歴史があることを知っているだけでも,いくらかの慰めになるのではないだろうか。


 確かに情報量は多く,消化不良を起こしそうなほどのスペリングのネタの宝庫.個別に理解するのが難しいのも事実.それでも,全体として「アハ!体験」が多く,現代のスペリングも結局は歴史の産物だったのだなあと何となく納得しつつ,慰められつつ,再び英語(スペリング)学習に戻っていけるような著書だと思う.

 ・ 新川 清治 「書評:Simon Horobin, Does Spelling Matter? Oxford: Oxford University Press, 2013. x+270pp.」 Studies in Medieval English Language and Literature</i> 32 (2017): 153--65.
 ・ Horobin, Simon.
Does Spelling Matter?'' Oxford: OUP, 2013.
 ・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.

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2017-10-03 Tue

#3081. 日本の英語学習者のための『スペリングの英語史』の読み方 [notice][toc][spelling][hel][review]

 拙訳『スペリングの英語史』について,もちろん好きなように読んでいただけば,それだけで嬉しいわけでして,実におせっかいな記事のタイトルなのですが,原著 Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013. の日本人読者の1人として,また英語の学習者・研究者の1人として,次のようなことを考えながら読み,訳してきたということを文章に残しておきたいと思いました.ポイントは3点あります.

 1つ目は,本書が日本の英語学習者にスペリング学習に際しての知識を与えてくれるということです.とはいうものの,著者は意外なことに,序章の最後で,本書はスペリング学習に役立つ実用書ではないことを示唆しています.そのような目的で本書を手に取った読者がいたとすれば,おそらく幻滅するだろうと.確かに,本書で英語のスペリングの波乱の歴史を知ってしまうと,むしろなぜ現在のスペリングがこれほど無秩序であり,少数の規則で説明しきれないのかがよくわかってしまいます.言語的には英語のスペリングのすべてを説明づけられるような少数の規則はないといってよく,それに気づいた読者は,英語のスペリングを学習する上での絶対的な便法はやはりないのか,と悲観的に結論づけざるをえないかのようです.
 しかし,著者は(そして訳者も)英語のスペリングがそこまで無秩序で不規則だとは考えていません.おそらく,スペリングの規則というものがあるとすれば,スペリングの歴史全体がその規則であるという立場をとっています.現在のスペリングだけを観察して,そこから何らかの規則を抽出しようとしても,たちどころに例外や不規則が現われてしまい,むしろ最初から個別に扱ったほうがよかった,という結果になりがちです.しかし,スペリングの歴史をたどってみると,確かに無数の込み入った事情はあったけれども,その事情のひとつひとつは多くの場合納得して理解できるものだとわかります.余計な文字をスペリングに挿入したルネサンスの衒学者の気持ちも説明されればわかりますし,ノア・ウェブスターがスペリング改革を提案した理由も,アメリカ独立の時代背景を考慮すれば腑に落ちます.このような個々の歴史的な事情を指して「規則」とは通常呼びませんが,「e の前の音節の母音字は長い発音で読む」のような無機質な規則に比べれば,ずっと人間的で有機的な「規則」と言えないでしょうか.このような歴史に起因する「規則」は必然的に雑多ではありますが,それにより現在のスペリングの大多数が説明できるのです.歴史を学ぶことは遠回りのようでいて,しばしば最も納得のゆく方法です.本書では,便法としての規則は必ずしも得られなくとも,納得のゆく説明は得られます.説得力,それが本書のもつ最大の価値です.
 また,歴史こそが規則であるという著者のスタンスは,著者のスペリング改革に対する懐疑的で批判的な立場とも符合します.完全に表音的なスペリングへ改革してしまうと,スペリングの表面から歴史という規則の痕跡が消し去られてしまうからです.

 本書が日本の読者にとってもつもう1つの意義は,英語の書記体系を鑑として,私たちの母語である日本語の書記体系について再考を促してくれる点にあります.読者は本書を読みながら,英語のスペリングと比較対照させつつ日本語の書記体系にも思いを馳せるでしょう.日本語は珍しく唯一絶対の正書法がない言語といわれます(cf. 「#2392. 厳しい正書法の英語と緩い正書法の日本語」 ([2015-11-14-1]),「#2409. 漢字平仮名交じり文の自由さと複雑さ」 ([2015-12-01-1])).ニャーニャー鳴く動物を表記せよと言われれば,「猫」「ネコ」「ねこ」「neko」のいずれも可能です.もちろん用いる文字種が指定されれば1つの書き方に定まりますが,原則としてどの文字種を用いるかは書き手に委ねられています.書き手のその時の気分によって,求められている文章の格式によって,想定される読み手が誰かによって,あるいはまったくのランダムで,自由に書き分けることが許されます.ここには,書き手の選択の自由があり,正書法上の「遊び」があります.
 本書の第4章で触れられるように,1100年から1500年の英語,中英語では同じ単語でも書き手個人ごとに異なるスペリングがあり,さらに個人においても複数の異綴りを用いるのが普通でした.ここにも「遊び」があったのです.日本語と中英語では「遊び」の質も量も異なり,一概に比較できませんが,書き手に選択の自由が与えられていることは共通しています.正確に発音を表わすことが重要な場合,単語の意味が同定できさえすればよい場合,書き手が気分を伝えたい場合,読み手に対して気遣いする場合など,様々なシーンで,書き手は書き方を選ぶことができます.文字は言葉の発音や意味などを伝える手段であると同時に,使用者が自らの気分やアイデンティティを伝える手段でもあります.確かに唯一絶対の正書法は,広域にわたる公共のコミュニケーションのためには是非とも必要でしょう.しかし,公表を前提としない個人的な買い物リストのメモ書きや,字数制限のあるツイッターの文章を含めたあらゆる書き言葉の機会において,常に唯一絶対の正書法に従わなければならないとすれば,いかにも息苦しいし,書き手の個性を消し去ることにならないでしょうか.
 後期古英語の標準的なスペリング体系のもとではそれほど許されなかった「遊び」が,中英語期にはいきいきと展開しましたが,続く近代英語期には再び制限を加えられていきました.このような歴史を学ぶことは,いまだ「遊び」を保持している日本語書記体系の現在と未来を考え,議論する上で貴重な洞察を与えてくれます.英語のスペリング改革史においてほとんどの提案が失敗に終わったという事実も,日本語の書記体系の行く末を考える上で示唆的です.逆に日本語の立場から英語をみると,日本語は1つのモデルケースということになるかもしれません.というのは,著者は英語について「1つの正書法」 (the orthography) ではなく「複数の正書法」 (orthographies) の可能性を探っている節があるからです,

 本書の3つ目の意義は,文字にも歴史があるという当たり前の事実を再認識させてくれる点にあります.本書は,現在ある文字や言葉は,それがたどってきた歴史の産物であるという事実を改めて教えてくれます.文字という小さな単位を入り口に,言葉の歴史という広い世界へと案内してくれる書だと思います.英語に関する読み物にとどまっておらず,言葉に関する教養の詰まった本となっています.この点は,一般読者だけではなく,言葉を専門とする言語学者や英語学者に対しても力説しておきたいポイントです.
 20世紀の言語研究では,歴史的視点が欠如していました.また,音声を重視するあまり,文字が軽んじられてきました.つまり,スペリングの歴史という話題は,20世紀の主流派の言語研究において,最も軽視されてきたテーマの1つといってよいでしょう.本書を通じて,一般読者と専門の言語学者が,文字の言語学および歴史的な視点をもった言語学のおもしろさと価値を再認識してくれることに期待したいと思います.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.

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2017-06-25 Sun

#2981. 英国史と日本史の視点の差異 [history][archaeology][celtic][geography][review]

 書店で平積みになっていた新書を買って読んでみた.松木武彦著『縄文とケルト』である.日英比較考古学の興味をそそる本である.端的にいえば,両地域,両民族ともに,紀元前に先進的な文明をもつ大陸の民族に大きな影響を受けたが,現在その歴史をとらえる視点は,おおいに異なっているということだ.「同じ動きを,英国史ではヨーロッパ史の一部とみているのに対し,日本史ではどこまでも日本史としてにらんでいる」(223) のだという.
 もう少し詳しく著者の結論を紹介するには,直接文章を引用するのが早いだろう.松木 (236) は,文明を「非文明のさまざまな知的試行や積み重ねの中から生み出されて広まった,人類第二次の知識体系」と定義づけた後に,次のように締めくくっている.

 大陸中央部の平原で芽生えて根を張った,この文明の知識体系やそれに沿った行動様式は,環境の悪化と資源の低落による危機を肥やしにして,その実利的な結実率の高さゆえに周辺の地域にも急速にはびこっていった.ケルトとは,ユーラシア大陸の中央部から主として西方へ進んだこの動きを,一つの人間集団の移動拡散というドラマになぞらえて,後世の人びとが自らのアイデンティティと重ねながらロマン豊かに叙述したものである.
 いっぽう,ユーラシア大陸中央部から東方にも同様の動きが進んだ.克明な一国史の叙述を大の得意とするわが国の歴史学や考古学では,この島国にしっかりと足をつけて西の海の向こうをにらむ姿勢をもとに,このような動きを,弥生時代に水田稲作をもたらした「渡来人」,古墳時代に先進的な技術と知識をもってやってきた「渡来人」(古くは「帰化人」)に集約して描こうとしてきた.後者は一時,東のケルトとでもいうべき「騎馬民族」に含めて描かれようとしたが,島国日本の伝統と孤立と純粋さを信じたい心根と,日本考古学一流の精緻な実証主義とがあいまったところから大きな反発を受け,その時点では不成功の試みに終わった.
 ともあれ,西と東のケルトは,ともにその最終の到達地であるブリテン島と日本列島とにそれぞれ歴史的な影響を及ぼし,環濠集落のような戦いと守りの記念物や,不平等や抑圧を正当化する働きをもった王や王族の豪華な墓をそこに作り出した.紀元前三〇〇〇年を過ぎたころから紀元前後くらいまでの動きである.
 しかし,東西ケルトの動きの最終的帰結ともいえる大陸の古代帝国――漢とローマ――が日本列島とブリテン島とに関わった程度と方向性は大きく異なり,そのことは,両地域がたどったその後の歴史の歩みの違いと,そこから来る相互の個性を作り出すに至る.大陸との間を隔てる海が狭かったがゆえにローマの支配にほぼ完全に呑み込まれたブリテン島では,文字や貨幣制度など,抽象的な記号を媒介とする知財や情報の交換システム――人類第三次の知識体系――に根ざした新しいヨーロッパ社会の一翼としてその後の歴史の歩みに入っていった.
 これに対し,もっと広い海で大陸から隔てられていた日本列島は,漢の直接支配下に入ることなく,王族たちが独自の政権を作り,前方後円墳という固有の記念物を生み出し,独自のアイデンティティを固める期間がイギリスよりもはるかに長かった.私たち現代日本人は,このような感性や世界観を受け継いでいる.「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」と,同じ島国のイギリスの歴史ではほとんど用いられない一国史的な時代区分を守り,東のケルト史観たる騎馬民族説に反発する日本人の歴史学者や考古学者の観念もまた,そこに由来するのかもしれない.(237--39)


 本書には,地政学的な指摘も多い.例えば,日英両島嶼地域と大陸との関係は,間に挟まる海峡の幅にも比例するという.ドーヴァー海峡の幅は34キロであり,人間でも頑張れば泳ぎ切れる距離だが,対馬海峡は約200キロもあり,さすがに泳いでは渡れない (233) .また,「東西のケルト」は,いずれもユーラシア中央部に近いところにルーツが想定されているという指摘も,ユーラシア大陸規模で歴史を考えさせる契機となり,意味深長である (224) .
 上の引用の最後にもあるように,紀元前後に,ブリテン島では帝国に取り込まれて固有のアイデンティティが育ち得なかったのという指摘もおもしろい.そのタイミングで育ち得なかったがゆえに,ずっと後の近代期に,国家的アイデンティティを作り出す手段として基層に広がるケルトが利用されたのではないかという考察も示唆に富む(231--32) .英国史および英語史に対して,1つの視点を与えてくれる本として読んだ.そして,もちろん日本(語)史に対しても.
 今回の話題と関連して,「#159. 島国であって島国でないイギリス」 ([2009-10-03-1]),「#2968. ローマ時代以前のブリテン島民」 ([2017-06-12-1]) も参照.

 ・ 松木 武彦 『縄文とケルト』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2016-12-24 Sat

#2798. 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年. [irish][irish_english][ireland][language_shift][contact][review][invisible_hand]

 嶋田珠巳著『英語という選択 アイルランドの今』を読んだ.過去数世紀の間,アイルランドで進行してきたアイルランド語から英語への言語交替 (language_shift) が,平易な文体で,しかし詳細に描かれている.フィールドワークを通じて国民の心理にまで入り込もうとする調査態度,アイルランド英語の言語学的分析,言語接触に関する理論的な貢献,日本語もうかうかしていると危ないぞとの警鐘など,読みどころが多い.現代アイルランドの言語事情について,このように一般向けに読みやすく書かれた本が出たことは歓迎すべきである.
 著者は,アイルランドにおける言語交替という(社会)言語学的な研究を行なうに当たって,言語重視ではなく話者重視の態度をとることを宣言している.

わたしは言語をそのさまざまな現象とともに考えるとき,まず言語使用者,すなわち話者をその中心に置く.ことばをめぐるさまざまな現象(たとえば,言語接触,言語変化,言語使用,コード・スイッチング)はすべて話者の介在のもとにある.このようなことはあたりまえのように思えるかもしれないし,一度このような見方を提案された読者は,それ以外の見方は理解しづらいかもしれないが,実際に提案されている言語学分野の理論および考察の前提においては,さまざまな要因のもとに言語使用にゆれを生じさせる「話者」を捨象して,言語の本質を科学的に解明しようという試みのものとに理論が構築されてきた背景もある.(嶋田,p. 55)


 引用にあるとおり,言語学を筆頭とする言語に関する言説では「話者の捨象」は日常茶飯事である.とりわけ話者を重視するはずの分野である社会言語学や語用論ですら,議論が進んでいく間に,いつのまにか話者の顔が見えなくなっていることがしばしばである.
 しかし,言語は話者(及びコミュニケーションに関わるその他の人々)がいなければ言語たりえないという当たり前すぎる事実を再確認するとき,話者を捨象した言語学が早晩行き詰まるだろうことは容易に想像できる.言語学から話者を救いだすことが必要なのだ.このことは,本ブログでも次の記事などで繰り返し論じてきた.

 ・ 「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1])
 ・ 「#1168. 言語接触とは話者接触である」 ([2012-07-08-1])
 ・ 「#2005. 話者不在の言語(変化)論への警鐘」 ([2014-10-23-1])
 ・ 「#2298. Language changes, speaker innovates.」 ([2015-08-12-1])

 とはいえ,言うは易しである.言説の慣れというのはすさまじいもので,気を抜くと,すぐに話者の顔の見えない言語論へと舞い戻ってしまう.言語体系そのものに立脚する言語学のすべてが誤りというわけでもないし,言語(体系)と話者(集団)の双方の役割を融合・調和させる「見えざる手」 (invisible_hand) のような言語(変化)論も注目されてきている(「#2539. 「見えざる手」による言語変化の説明」 ([2016-04-09-1]) を参照).言語学としても,言語(体系)と話者(集団)の関係について今一度じっくり考えてみる時期に来ているように思われる.

 ・ 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.

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2016-02-18 Thu

#2488. 専門科目かつ教養科目としての英語史 [hel_education][historiography][review]

 Baugh and Cable の英語史概説書の第6版について,「#2089. Baugh and Cable の英語史概説書の目次」 ([2015-01-15-1]) と「#2182. Baugh and Cable の英語史第6版」 ([2015-04-18-1]) で簡単に触れた.読み慣れた先行版から変更されている部分が案外多いものの,内面史と外面史のバランスを取った英語史記述の方針は,1930年代の初版以来,頼もしいくらいに変わっていない.序文の p. xvi に初版からの次の1節が引用されている.

The present book, intended primarily for college students, aims to present the historical development of English in such a way as to preserve a proper balance between what may be called internal history---sounds and inflections---and external history---the political, social, and intellectual forces that have determined the course of that development at different periods. The writer is convinced that the soundest basis for an understanding of present-day English and for an enlightened attitude towards questions affecting the language today is a knowledge of the path which it has pursued in becoming what it is. For this reason equal attention has been paid to its earlier and its later stages.


 また,本文の冒頭の第1節は "The History of the English Language as a Cultural Subject" と題されている.pp. 1--2 にあるように,

The history of a language is intimately bound up with the history of the peoples who speak it. The purpose of this book, then, is to treat the history of English not only as being of interest to the specialized student but also as a cultural subject within the view of all educated people, while including enough references to technical matters to make clear the scientific principles involved in its evolution.


 著者にとって,英語史(言語史)という大学教育の科目は,専門科目でもあり教養科目でもあるのだろう.私自身も,この著者の方針を高く買って,ゼミのテキストに本書を選んだ.英語史を専門に扱う学生にとっては,本書を通じてしっかり言語学的視点を養いながら,かつ文化的教養も高めてもらいたい.専門としない学生にとっては,文化的科目として学んでもらうだけでなく,言語学的な見方も修得してもらいたい.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2016-02-16 Tue

#2486. 文字解読の歴史 [review][toc][writing][medium][history_of_linguistics][grammatology]

 「#2427. 未解読文字」 ([2015-12-19-1]) の記事で触れたように,未解読文字の解読にはロマンがある.解読成功者の解読プロセスを紹介する書は一級のミステリー小説といってよく,実際に数多く出版されている.多くの文字体系を扱っており読みやすいという点では,矢島(著)がおすすめである.その目次を挙げると,雰囲気をつかめるだろう.

 ・ ロゼッタ石を読む
 ・ 古代ペルシアの楔形文字
 ・ ベヒストゥン岩壁の刻文
 ・ 楔形文字で書かれた「ノアの方舟」
 ・ シュメール文明の再発見
 ・ 古代の大帝国ヒッタイトの文字
 ・ シナイ文字とアルファベットの起源
 ・ エトルリア語の謎
 ・ 東地中海の古代文字
 ・ クレタ=ミケーネ文字の発見
 ・ 線文字Bと建築家ヴェントリス
 ・ シベリアで見つかった古代トルコ文字
 ・ 甲骨文字と殷文明
 ・ カラホト遺跡の西夏文字
 ・ 古代インディオの諸文字
 ・ インダス文字とイースター文字
 ・ ファイストスの円盤と線文字A
 ・ ルーン文字とオガム文字
 ・ 梵字の起源とパスパ文字
 ・ 最古の文字はどこまでたどれるか
 ・ 古代文字はいかに解読されるか

 矢島 (234) は,最終章「古代文字はいかに解読されるか」で,現在までの世界の文字解読の歴史を4段階に分けている.

 (1) 手さぐりの時代(一八世紀以前)
 (2) ロマン主義の時代(一九世紀)
 (3) 宝さがしの時代(二〇世紀前半)
 (4) 科学的探究の時代(二〇世紀後半)


 よく特徴をとらえた時代区分である.文字解読がロマンを誘うのは,それが否応なく異国情緒と重なるからだろうが,(2) の「ロマン主義の時代」の背景には,「ヨーロッパ大国の東方への視線,端的にいえば植民地主義競争」 (239) があったことは疑いない.Jean-François Champollion (1790--1832) のロゼッタ石 (Rosetta stone) の解読には仏英の争いが関わっているし,楔形文字解読に貢献した Sir Henry Creswicke Rawlinson (1810--95) も大英帝国の花形軍人だった.
 (3) の時代は,世界的に考古学的な大発見が相次いだことと関係する.クレタ島,ヒッタイト,バビロニア,エジプト,中央アジア,西夏,殷墟の発掘により,続々と新しい文字が発見されては解読の試みに付されていった.
 現代に続く (4) の時代は,前の時代のように個人の学者が我一番と解読に挑むというよりは,研究者集団が,統計技術やコンピュータを駆使して暗号を解くかのようにして未解読文字に向かう時代である.言語学,統計学,暗号解読の手法を用いながら調査・研究を進めていく世の中になった.もはや文字解読の「ロマン主義」の時代とは言えずとも,依然としてロマンそのものは残っているのである.

 ・ 矢島 文夫 『解読 古代文字』 筑摩書房,1999.

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2016-01-19 Tue

#2458. 施光恒(著)『英語化は愚民化』と土着語化のすゝめ [review][linguistic_imperialism][hel][japanese][language_planning][language_myth][hel_education][elt][bible]

 「#2306. 永井忠孝(著)『英語の害毒』と英語帝国主義批判」 ([2015-08-20-1]) で紹介した書籍の出版とおよそ同時期に,施光恒(著)『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』という,もう1つの英語帝国主義批判の書が公刊されていた.ただし,力点は,英語帝国主義批判そのものというよりも日本の英語化への警鐘に置かれている.この分野の書籍の例に漏れず挑発的なタイトルだが,著者が言語学や教育学の畑ではなく政治学者であるという点で,私にとって,得られた知見と洞察が多かった.
 現代日本のグローバル化と英語化の時勢は,近代史がたどってきた流れに逆行しており,むしろ中世化というに等しい,と著者は主張する.西洋近代は,それまで域内の世界語であったラテン語が占有していた宗教的・学問的な特権を突き崩し,英語,イタリア語,スペイン語,フランス語,ドイツ語など土着語の地位を高めることによって,人々の間に分け隔てなく知識を行き渡らせることを可能にした.人々は母語を通じて豊かな情報に接することができるようになり,結果として階級間の格差が小さくなった.これが,近代化の原動力だという.具体的には,聖書の各土着語への翻訳の効果が大きかった.
 もし現代世界で進行している英語化がやがて完了し,かつてのラテン語のような特権を享受するようになれば,英語を理解しない非英語母語話者は情報へのアクセスの機会を奪われ,社会のあらゆる側面で不利益を被るだろう.つまり,多くの人々が中世の下級民のような地位,つまり「愚民」の地位へと落ちていくだろう,という.確かに,日本人にとって,日本語という母語・土着語を通じて情報にアクセスするのが,物事の理解・吸収のためには最も効率がよいはずであり,その媒体が英語に取って代わられてしまえば,能率は格段に落ちるはずだ.
 著者は,今目指すべきは英語化ではなく,むしろ土着語化であるという逆転の発想を押し出している.では,世界中で英語やその他の言語により発信される価値ある情報は,どのように消化することができるだろうか.その最良の方法は,土着語への翻訳であるという.明治日本の知識人が,驚くべき語学力を駆使して,多くの価値ある西洋語彙を漢語へ翻訳し,日本語に浸透させることに成功したように,現代日本人も,絶え間ない努力によって,英語を始めとする外国語と母語たる日本語とのすりあわせに腐心すべきである,と (see 「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1])) .
 英語が無条件に善いものであるという神話や英語化を前提とする政策の数々が,日本中に蔓延している.この盲目的で一方的な英語観の是正には,英語史を学ぶのが早いだろうと考えている.施 (215) の次の主張も傾聴に値する.

英語の隆盛の一因は,さかのぼれば,イギリス,そしてアメリカの植民地支配の歴史にある。また,第二次世界大戦後,イギリスやアメリカが,植民地を手放す際,旧植民地における実質的な政治力やビジネス上の有利さを残すため,国家戦略の一端として英語の覇権的地位を保ち,推進するよう努めてきた「成果」でもある。


 『英語化は愚民化』よりキーワードを拾ったので,次に示しておこう.英語教育改革,英語公用語化論,オール・イングリッシュ,グローバル化史観,啓蒙主義,新自由主義(開放経済,規制緩和,小さな政府),TPP,ボーダレス化,リベラル・ナショナリズム,歴史法則主義.

 ・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.

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2015-08-20 Thu

#2306. 永井忠孝(著)『英語の害毒』と英語帝国主義批判 [review][linguistic_imperialism][hel][hel_education]

 6月に出版された標題の新書がよく読まれているようだ.出版されて間もない時期に書店に平積みになっているところを購入し,読んでみた.一言でいえば英語帝国主義批判の書である.この種の書物には著者のイデオロギーが前面に出ており,挑発的で,毒々しく,痛ましい読後感をもつものが多い.この著書にもその色が感じられるが,現代日本社会の英語にまつわる事情をうまく提示しながら読者を説得しようとしている点が注目に値する.ただし,著者が,書籍というメディアでこの主張を広めることは難しいと吐露するくだり (p. 169) は,類書と同様,ある種の痛ましさを感じさせずにはおかない.いや,私自身もこの点ではおおいに同情する一人である.
 私も英語帝国主義の議論には関心をもっているが,この問題については,原則として歴史的な観点から迫る必要があると思っている.その理由は,英語が帝国主義的になってきた(とらえられてきた)のは近代以降の歴史においてであり,現代の視点に立っていくら説得しようとしても,根拠が弱いために説得力が持続しないだろうと思うからだ.『英語の害毒』は,現代日本人の多くの直感的な英語観を指摘したり,あるいはその裏をかくような事実を豊富に挙げ,それを起点にして英語帝国主義批判を繰り広げているが,歴史への言及はほとんどない.したがって,瞬発的な説得の効果はあるかもしれないが,持続的な効果はないのではないかと思う.よく読まれているだけに,そこが残念である.だが,突破口としてはよいのかもしれない.この突破力を積極的に認め,読みやすい新書として世に出たことを有意義と評価したい.
 本ブログでは,英語帝国主義の問題に関連して「#1606. 英語言語帝国主義,言語差別,英語覇権」 ([2013-09-19-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1073. 英語が他言語を侵略してきたパターン」 ([2012-04-04-1]),「#1194. 中村敬の英語観と英語史」 ([2012-08-03-1]) ほか,linguistic_imperialism の各記事で触れてきた.私は,この問題に対して,日本を含めた現代世界において,英語には全肯定も全否定もありえないという立場に立っている.ただし,永井氏の主張するように,現代日本の英語観の圧倒的なデフォルトが「英語万歳」であり,バランスが著しく肯定側に偏っているという現実がある以上,バランス是正を念頭に,否定側を擁護する必要があると感じる機会は多い.この意味でも,上にも述べたとおり,読みやすく,かつ突破口を開く新書として本書が出版された意義を認めたい.
 なお,英語帝国主義批判と関連して,英語史という分野が,英語の光と影を浮かび上がらせる貴重な機会を提供してくれる分野であることを添えておきたい.英語の言語内的な変化と言語外的な発展を学ぶことにより,どの点が英語帝国主義の賛成論あるいは反対論において利用されやすいかが見えてくるし,その議論の当否についても自分なりの判断を下すことができるようになる.

 ・ 永井 忠孝 『英語の害毒』 新潮社〈新潮新書〉,2015年.

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