hellog〜英語史ブログ

#318. 地下に潜った英語と潜らなかった日本語[japanese][me][sociolinguistics][reestablishment_of_english]

2010-03-11

 [2009-09-05-1]の記事で,英語の復権について述べた.1066年のノルマン人の征服 ( Norman Conquest ) 以降,1362年辺りにいたるまで,イングランドでは公の場で英語が用いられることはほぼなかった.確かに初期中英語期と呼ばれるこの時期にも英語で書かれた文書は存在するが,あくまで非公的文書である.文学的にもあまり洗練されていないと評価されることが多い.公用語フランス語のくびきのもとで,庶民の言語である英語はまさに地下に潜っていたのである.
 さて,日本語史をみてみると,平安初期に一見すると英語と似通った事情があった.日本語で書かれた文学は,『万葉集』の作られたと考えられる760年頃から,勅撰の『古今集』の作られた905年までのあいだに空白がある.この時代は漢文が全盛の時代で,男性貴族が『凌雲集』『経国集』『文華秀麗集』などの漢詩集を著し,漢文の秀才振りを示した.公の書の最たるものである『日本書紀』『日本後記』『続日本後記』『文徳実録』『三大実録』などの国史も,すべて漢文で書かれていた.書き言葉でみる限り,日本全体があたかも漢語に乗っ取られたかのような様相を呈していたのである.土着の言語が公の書き言葉としてほとんど現れてこない点で,時代こそ異なれ,英語と日本語の状況は似ているように見える.
 しかし,大きく異なる点がある.日本では,ある意味でもっとも公的な意味合いを帯びた文章が,漢語文ではなく,紛れもない日本語文として記されていたのである.天皇の祝詞(のりと)である.祝詞は天皇によって口頭で読み上げられる大和言葉である.いくら貴族が競って漢文を書こうが,日本の公世界の頂点たる天皇の口から発せられた言葉は日本語そのものであった.祝詞の文章は宣命体という形式で書かれており,そこでは漢字が中心であることは間違いないが,助詞・助動詞の類が万葉仮名で示され,語順も日本語そのものである.漢字文ではあるが,紛れもない日本語の文章である.日本では,天皇をはじめ貴族の話し言葉が日本語だったことは疑いをいれない.それに対して,中世初期のイギリスでは,王侯貴族の日常的な話し言葉は英語ではなくフランス語だった.
 当時の両国で,社会的地位の高い言語(日本では漢語,イギリスではフランス語)を上層言語,低い言語(日本では日本語,イギリスではフランス語)を下層言語と呼ぶことにすると,当時の状況は以下の表のようにまとめられる.

 日本イギリス
庶民の話し言葉下層下層
公の書き言葉上層上層
王侯貴族の話し言葉下層上層


 日本とイギリスの状況が一見共通しているように見えるのは上二段のゆえである.だが,最下段の「王侯貴族の話し言葉」では対照をなす.この違いを一言でいえば,当時のイギリスの言語状況は王朝の征服の結果として生じたものだが,日本の言語状況は征服によるものではなく,あくまで中国からの甚大な文化的な影響によるものだったということだろう.日本語は,英語と同じ意味で「地下に潜った」わけではない.

 ・ 渡部 昇一 『アングロサクソンと日本人』 新潮社〈新潮選書〉,1987年.72--75頁.
 ・ 山口 仲美 『日本語の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2006年. 54, 71--72頁.

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