4月5日付の読売新聞朝刊に,東京都文京区小日向の「切支丹屋敷跡」からイタリア人宣教師シドッチ(Giovanni Battista Sidotti; 訛称シローテ; 1668--1714)のものとみられる人骨が発掘されたとの記事が掲載されていた.
シドッチはイタリアのカトリック司祭である.イエズス会士として1704年にマニラにて日本語を学んだ後,1708年にスペイン船で屋久島に単身上陸,キリシタン禁制化の日本に忍び入った最後の宣教師となった.屋久島上陸後,すぐに捕らえられて長崎から江戸へ送られ,小石川切支丹屋敷に監禁された.監禁中,シドッチは新井白石 (1657--1725) に4回にわたり訊問されるなどしたが,その後同屋敷で牢死した.
この事件が日本史上重要なのは,新井白石がシドッチの訊問を通じて,世界知識,天文,地理などを記した『西洋紀聞』 (1715?) と『采覧異言』 (1713?) を執筆したことだ.当初『西洋紀聞』はその性質上,公にはされなかったが,1807年以降に写本が作成されて識者の間に伝わり,鎖国化の日本に洋学の基礎を据え,世界に目を開かせる契機となった.
この事件の日本語書記史上,あるいはローマン・アルファベット史上の意義は,「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]) にも述べたとおり,新井白石がシドッチの訊問を経てローマ字の知識を得たことである.これによって日本語におけるローマ字使用が一般的に促されるということはなく,それは蘭学の発展する江戸時代後期を待たなければならなかったが,間接的な意義は認められるだろう.日本語書記史の観点からより重要なのは,『西洋紀聞』が洋語に対して一貫してカタカナを当てた点である.
今回の新聞記事は,埋葬方法や骨から推定される身長などからシドッチのものとおぼしき人骨が発掘されたとの内容だった.シドッチにとっては無念の獄死だったろうが,彼自身がその後の日本(語)に与えたインパクトは小さくなかったのである.
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