khelf(慶應英語史フォーラム)の内輪の話しで恐縮ですが,英語史・英語学上の遊びのようなものとして「ちぐはぐチャンネル」 (chiguhagu_channel) という企画を,かれこれ2年ほど続けています.一定の割合で良い「ちぐはぐ」が出てくるもので,本格的な議論の出発点となることも多く,私も楽しんでいます.Slack というチャットツールのなかの「チャンネル」(コーナーのようなもの)として立てたので,こんな名前がついています.その意義は次の通り.
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宇宙と人生の機微を17文字,31文字で表現するのが俳句,短歌だとすれば,言語(英語)の不条理を1~2行で表現するのが「ちぐはぐチャンネル」です.切れ味で勝負するもよし,「あはれ」「をかし」で勝負するもよし,理屈で勝負するもよし.学者も学生も素人も区別なく,同じ土俵で「詠む」ことに徹するチャンネルです.
さて,先日大学院生より鋭い「ちぐはぐ」が投稿されました(この大学院生とは,目下準備中の『英語史新聞』第2号の編集委員長を務めてくれている李さんです.第2号も乞うご期待!).
weak(形) → weaken(動)
strength(名) → strengthen(動)
たったの2行ですが,きわめて鋭角な指摘.オオっとうなりました.その後,この「ちぐはぐ」にインスピレーションを受け,私から次のような趣旨で「返歌」しました.
李さんのちぐはぐに完全に便乗させてもらいます.
short(形) → shorten(動)
length(名) → lengthen(動)
この問題を考えながら,どこかで読んだことがあるなと記憶の糸をたどっている最中なのですが,動詞を作る接尾辞 -en は,確か基体の末尾の音を選ぶ(阻害音だったかな・・・)ということだったと思うのですね.形容詞の strong や long は鳴音 /ŋ/ で終わるので,-en が接続しない(というよりは接続できない)ということではないかと.もっと調べてみます,というか思い出してみます.
その後,この典拠を思い出し,たどり着くことができました.Jespersen でした.Jespersen の pp. 355--56 を中心として,その前後に動詞を作る接尾辞 -en に関する詳細な解説があります.原則として -en は阻害音 (obstruent) で終わる基体につき,鳴音 (sonorant) や母音で終わる基体にはつかないということです.このため *strongen や *longen とはなり得ず,このルールにかなう別の基体(今回のケースでは名詞形 strength, length)が選ばれ,そこに -en がついたということです.
There are no examples of n-vbs formed from adjs in vowels (or diphthongs): free, blue, low, slow, hight, sly, shy, new; narrow, yellow, steady, holy; nor of such disyllables as able, noble; nor of adjs in m, n, ŋ, r: slim, thin, brown, clean, long, strong; far, poor, near. Note the contrast in Kipling L 135 to see the smoke roll outward, thin and thicken again | Hardy L 147 her hair greyed and whitened | Quincey 295 to soften and refine the feelings.
. . . .
Our rule accounts for the formation of length(en) and strength(en): there are no vbs long or longen 'make or become long, strong or strongen. On the analogy of these we have the rare depthen (17th c.) and breadthen (19th c.); no corresponding vbs without -en.
Adjs in -l generally have no vbs in -en (thus none from small, full, still); the two named above [= dullen and palen] are exceptional and late.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.
先日,「#3258. 17世紀に作られた動詞派生名詞群の呈する問題 (1)」 ([2018-03-29-1]),「#3259. 17世紀に作られた動詞派生名詞群の呈する問題 (2)」 ([2018-03-30-1]) で取り上げた Bauer の論文を,大学院の授業でじっくり読んでみた.語形成パターンにも時代によってトレンドがあり,例えば他言語からの影響により新たな接辞が導入される一方で,古い接辞は廃用となっていくなど栄枯盛衰のドラマがある.Bauer 論文ではケーススタディとして名詞化接尾辞や指小辞の問題が扱われれている.
だが,そもそも語形成パターンの栄枯盛衰の原動力は何なのだろうか.Bauer (197) は論文の末尾で次のように述べている.
We must presume that there is some rule at work in a community which constrains new forms: new forms receive the communal blessing only when they are sufficiently parallel to established forms to be seen as well-motivated. In a period of catastrophic change like the seventeenth century, virtually any Romance form could be motivated by foreign parallels. In the twenty-first century ,we have a community of speakers of "English" which is heterogeneous enough for different parallels to be accepted in different parts of that community. The result is that a form such as tread can be accepted as the past tense of TREAD in some parts of the community but not in others. Equally, Pinteresque, Pinterian, and Pinterish can all be accepted as "English" (see the OED at Pinteresque), and there may be more than one solution for the nominalization of the verb to English.
語形成の形態論に専門的に踏み込んだ論考ながらも,この箇所にも現われているように,実は随所に社会的な洞察がみられる.むしろ,精読した後に,社会言語学の論文だったのかとつぶやいてしまったほどだ.
提示されている事例はほぼすべて OED から取られているが,語形成の歴史を探るための道具として OED を用いることに関しての批判的な議論も読みどころである.Bauer の論調には体系的な語形成パターンという理想を追い求めすぎている風味が感じられるが,いずれにせよ学生たちと一緒に議論するに値する論考だった.
・ Bauer, Laurie. "Competition in English Word Formation." Chapter 8 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 177--98.
本ブログや Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」では,-er, -or, -ee などの「~する人(もの)」を意味する名詞を作る「行為者接尾辞」 (agentive_suffix) について,いろいろと取り上げてきた.
・ 「#214. -er か -or か迷ったときのヒント」 (heldio)
・ 「#215. 女性行為者接尾辞 -ster」 (heldio)
・ 「#1748. -er or -or」 ([2014-02-08-1])
・ 「#1880. 接尾辞 -ee の起源と発展 (1)」 ([2014-06-20-1])
・ 「#1881. 接尾辞 -ee の起源と発展 (2)」 ([2014-06-21-1])
・ 「#3791. 行為者接尾辞 -er, -ster はラテン語に由来する?」 ([2019-09-13-1])
・ 「#4056. deme, demere, demande」 ([2020-06-04-1])
・ 「#4222. 行為者接尾辞 -eer」 ([2020-11-17-1])
・ 「#4302. 行為者接尾辞 -ar」 ([2021-02-05-1])
これまで,これらの接尾辞 (suffix) について深く考えずに「行為者接尾辞」 (agentive_suffix) と呼び,記事のためのタグも設定してきた.しかし,Bauer (285--86) の議論を読み,むしろ「主語(者)接尾辞」 (subject suffix) くらいの用語が妥当だと気づいた.前者は意味論的な名付けで,後者は統語論的な名付けである.
There is a class of nominalizations which is sometimes given the name 'agentive nominalization' in the literature . . . . This class is made up mainly of forms such as baker, examiner, killer, where the suffix -er is added to a verbal base. 'Agentive nominalization' is actually a misnomer because such forms do not always denote agents, in any normal sense of the term 'agent'. In words like curler, opener, synthesizer the derivative in -er denotes an instrument; in words like lover the derivative denotes an experiencer or patient. These various semantic effects, however, can be given a unitary explanation if it is said that the derivative is a lexeme which is a typical subject of the verb used in the base: a curler curls, an opener opens, a lover loves, and so on. A better name for this group of nominalizations, therefore, is subject nominalization, although this label will cover more than just -er suffixation.
明快な議論である.だが,行為者接尾辞 (agentive suffix) という用語もそれなりに定着しており,すぐには捨てがたい.使い続けるにしても,Bauer の指摘を意識しつつ使うことにしよう.
・ Bauer, Laurie. English Word-Formation. Cambridge: CUP, 1983.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の1月号のテキストが発売となりました.連載中の「英語のソボクな疑問」の第10回は「なぜ英語には省略語が多いの?」です.piano, bus, cute, sport, Paralympics, AI, CEO, GDP, EU, USA などの英単語は,ほぼそのまま日本語にも入ってきている日常語といってよいですが,なんといずれも何らかの点で省略されている語なのです.それぞれオリジナルの長い形を復元できるでしょうか.かなり難しいのではないでしょうか.
英語にも日本語にもその他の言語にも省略語は存在します.すべてを口にするには長ったらしいけれども情報量が詰まっていて有用な表現というものは,たくさんあるものですね.そのような表現をぐっと約めて簡潔な1単語に省略できれば,便利に違いありません.言語には省略語が付きものです.
省略の方法についていえば種類は限られています.連載記事で詳しく述べていますが,基本となるのは「切り落とし」「切り貼り」「イニシャル取り」の3種です.それぞれの例をたくさん挙げていますので,どうぞご覧ください.
言語には省略語が付きものとは述べましたが,英語に関する限り,とりわけ20世紀以降におびただしい省略語が生み出されてきたという事情があります.過去にもまして現代は省略語の時代といってもよいほどです.なぜなのでしょうか.連載記事では,この謎解きも披露しています.
この概念と用語を知っていれば英語の語彙関係についてもっと効果的に説明したり議論したりできただろう,と思われるものに最近出会った.Görlach (110) が,consociation と dissociation という語彙関係について紹介している(もともとは Leisi によるものとのこと)
Words can be said to be consociated if linked by transparent morphology; they are dissociated if morphologically isolated. Consociation is common in languages in which compounds and derivations are frequent (OE, Ge, Lat). Dissociation occurs when foreign words are borrowed, or when derivations become opaque . . . .
例えば,heart → hearty → heartiness は形態的に透明に派生されており,典型的な consociation の関係にあるといえる.foul → filth → filthy → filthiness についても,最初の foul → filth こそ透明度は若干下がるが(ただし古英語では音韻形態規則により,ある程度の透明度があったといえる),全体としては consociation の関係といえるだろう.ただ,consociation といっても程度の差のありうる語彙関係であることが,ここから分かる.
一方,いわゆる英語語彙の3層構造の例などは,典型的な dissociation の関係を示す.「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) からいくつか示せば,ask -- question -- interrogate, fair -- beautiful -- attractive, help -- aid -- assistance などだ.「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) も有名だが,cow -- beef, swine -- pork, sheep -- mutton などの語彙関係も dissociation といえる.
eye -- ocular などの名詞・形容詞の対応も,dissociation の関係ということになる.ここから日本語に話を広げれば,和語と漢語の関係,あるいは漢字の読みでいえば訓読みと音読みの関係も,典型的な dissociation といってよいだろう.「めがね」(眼鏡)と「眼鏡」(眼鏡)の関係は,上記の eye -- ocular の関係に似ている.関連して「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1]) も参照されたい.
・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
・ Leisi, Ernst. Das heutige Englische: Wesenszüge und Probleme.'' 5th ed. Heidelberg, 1969.
英語語彙史におけるギリシア語 (greek) の役割は,ラテン語,フランス語,古ノルド語のそれに比べると一般的には目立たないが,とりわけ医学や化学などの学術レジスターに限定すれば,著しく大きい.本ブログでも様々に取り上げてきたが,以下に挙げる記事などを参照されたい.
・ 「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1])
・ 「#552. combining form」 ([2010-10-31-1])
・ 「#616. 近代英語期の科学語彙の爆発」 ([2011-01-03-1])
・ 「#617. 近代英語期以前の専門5分野の語彙の通時分布」 ([2011-01-04-1])
・ 「#1694. 科学語彙においてギリシア語要素が繁栄した理由」 ([2013-12-16-1])
・ 「#3014. 英語史におけるギリシア語の真の存在感は19世紀から」 ([2017-07-28-1])
・ 「#3013. 19世紀に非難された新古典主義的複合語」 ([2017-07-27-1])
・ 「#3166. 英製希羅語としての科学用語」 ([2017-12-27-1])
・ 「#4191. 科学用語の意味の諸言語への伝播について」 ([2020-10-17-1])
Joseph (1720) が,英語とギリシア語の歴史的な関係について次のように総論的にまとめている.
English and Greek share some affinity in that both are members of the Indo-European language family, but within Indo-European, they are not particularly closely related. Nor is it the case that at any point in their respective prehistories were speakers of Greek and speakers of English in close contact with one another, and such is the case throughout most of historical times as well. Thus the story of language contact involving English and Greek is actually a relatively brief one.
However, the languages have not been inert over the centuries with respect to one another and some contact effects can be discerned. For the most part, these involve loanwords, as there are essentially no structural effects . . . and in many, if not most, instances, as the following discussion shows, the loans are either learned borrowings that do not even necessarily involve overt speaker-to-speaker contact, or ones that only indirectly involve Greek, being ultimately of Greek origin but entering English through a different source.
近代英語期以降に,ギリシア語とその豊かな語形成が本格的に英語に入ってきたとき,確かにそれは専門的なレジスターにおける限定的な現象だったといえばそうではあるが,やはり英語の語形成に大きなインパクトを与えたといってよいだろう.極端な例として encephalograph (脳造影図)を取り上げると,これはギリシア語に由来する encephalon (脳) + graph (図)という2つの連結形 (combining_form) から構成される.これを基に encephalography, electroencephalography, electroencephalographologist などの関連語を「英語側で」簡単に生み出すことができたのである.
化学用語においても然りで,1,3-dimethylamino-3,5-propylhexedrine といった(私の理解を超えるが)そのまま化学記号に相当する「複合語」を生み出すこともできる.ちなみに,完全にギリシア語要素のみからなる化学物質の名称として bromochloroiodomethane なる語がある (Joseph (1722)) .
さらに,もう少し専門的な形態論の立場からいえば,ギリシア語要素による語形成は,本来の英語の語形成としては比較的まれだった並列複合語 (dvandva/copulative/appositional compound) の形成を広めたという点でも英語史的に意義がある.例えば otorhinolaryngologist (耳鼻咽喉科医)は,文字通り「鼻・耳・咽喉・科・医(者)」の意である.
dvandva compound については,「#2652. 複合名詞の意味的分類」 ([2016-07-31-1]),「#2653. 形態論を構成する部門」 ([2016-08-01-1]) を参照.
・ Joseph, Brian D. "English in Contact: Greek." Chapter 109 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1719--24.
標題は breath-taking や man-made の類いの複合形容詞を指す.第2要素として現在分詞をとる「N + V-ing 型」と過去分詞をとる「N + V-ed 型」の2種類がある.名詞と分詞になっている動詞との統語意味論的関係にはどのようなものがあるのだろうか.大石 (100--01) を参照し,各々の型について例を挙げる.合わせて,OED より初出年を括弧内に付す.
[ N + V-ing 型 ]
(1) N が V の目的語となる例
breath-taking (1840), man-eating (1607), fact-finding (1833), habit-forming (1899), time-consuming (1600), English-speaking (1798); self-defeating (1812), self-sacrificing (1654), self-respecting (1597)
(2) N が表面化していない前置詞の目的語となる例(以下では関与する前置詞を補う)
ocean-going [across] (1854), fist-fighting [with] (1950), law-abiding [by] (1839)
[ N + V-ed 型 ]
(3) "V-ed by [at, in, with] N" とパラフレーズできる関係(以下では関与する前置詞を補う)
moth-eaten [by] (c1400), self-taught [by] (1586), man-made [by] (1845), home-made [at] (1547), country-bred [in] (1620), star-spangled [with] (1600)
例を眺めてみると,複合形容詞の要素となる名詞と動詞(分詞)の統語的関係は,緩く多様であることが分かる.換言すれば,複合形容詞は,統語的に展開されたフレーズと比べると,要素間の意味関係が明示的でないともいえよう.もちろん,そのような明示性を多少犠牲にしつつ形式としてのコンパクトさを獲得していることこそが,複合形容詞の存在意義なのだろうとは思う.
今回取り上げたタイプの複合形容詞の歴史的な発生に関しては,上記例の初出年を眺める限り,近代英語のものがほとんどである.より早い中英語期から用いられている類例はどれだけあるのだろうか,探してみたくなった.
・ 大石 強 『形態論』 開拓社,1988年.
本日紹介する「英語史導入企画2021」のためのコンテンツは,学部生による「POP-UP STORE って何だろう?」です.比較的新しい語で「ポンと上がる型の,飛び出し式の;〈本・カードなどが〉開くと絵の飛び出す」ほどを意味する形容詞として用いられることが多い.pop-up birthday card, pop-up toaster, pop-up window など,わりと身近なものも多い.今回のコンテンツで扱われているのは,最近イギリスや日本でも流行ってきているという pop-up store である.
pop-up (n. and adj.) という比較的新しい語を OED により紹介してくれたコンテンツだが,実は英語史的にはおおいに注目すべき話題なのである.これは,句動詞 pop up (ポンと飛び出す)が全体として形容詞あるいは名詞として機能する「句動詞の品詞転換」というべき事例の1つである.そして,この句動詞の品詞転換は,20世紀以降に発達してきた現代的で革新的な語形成の1つなのである.実際,数年前にはこのテーマで修士論文を書いた学生がいたし,現在もこのテーマに関心を寄せる大学院生がいる.なかなかポップなトピックだ.
この話題については,すでに「#420. 20世紀後半にはやった二つの語形成」 ([2010-06-21-1]),「#1695. 句動詞の品詞転換」 ([2013-12-17-1]),「#2300. 句動詞の品詞転換と名前動後」 ([2015-08-14-1]) 等の記事で取り上げているので,そちらをご覧いただきたい.
句動詞の品詞転換は確かに現代英語的な現象として注目に値するのだが,英語史の長期的スパンの観点からすると,その歴史的前提として (1) 中英語期に句動詞 (phrasal_verb) そのものが発達したこと,そして (2) 近代英語期にかけて品詞転換 (conversion) という形態過程が確立したことが重要である.当たり前のことではあるが,この2つの歴史的な所与の条件がなければ,現代英語における句動詞の品詞転換の流行などあり得なかったはずだ.その意味で,この歴史的所与の2点を,句動詞の品詞転換に連なる地下水脈と呼んでおきたい.
この4月に立ち上げた「英語史導入企画2021」にて,昨日「Brexitと「誰うま」新語」と題する大学院生によるコンテンツがアップされた.混成語 Brexit に焦点を当てた学術論文を紹介しつつ,言語学的および社会学的な観点から要約したレビュー・コンテンツといってよいだろう.取っつきやすい話題でありながら,密度の濃い議論となっている.本企画の趣旨を意識して導入的ではありながらも本格派のコンテンツである.
混成語 (blend) とは,混成 (blending) と呼ばれる語形成 (word_formation) によって作られた語のことである.簡単にいえば2語を1語に圧縮した語のことで,brunch (= breakfast + lunch) や smog (= smoke + fog) が有名である.複数のものを強引に1つの入れ物に詰め込むイメージから,かばん語 (portmanteau word) と呼ばれることもある.混成(語)の特徴など言語学的な側面については,「#630. blend(ing) あるいは portmanteau word の呼称」 ([2011-01-17-1]),「#893. shortening の分類 (1)」 ([2011-10-07-1]),「#3722. 混成語は右側主要部の音節数と一致する」 ([2019-07-06-1]) などを参照されたい.
問題の Brexit は,いわずとしれた Britain + exit の混成語だが,それが表わす国際政治上の出来事があまりに衝撃的だったために,それをもじった Bregret (= Britain + regret) や Regrexit (regret + exit) のような半ば冗談の混成語が次々と現われ,半ば本気で定着してきた.上記のコンテンツと論文(および「#2624. Brexit, Breget, Regrexit」 ([2016-07-03-1]))で考察されているのは,まさにこの本気のような冗談のような現象である.
混成は,英語史において比較的新しい語形成であり,本質的には現代英語的な語形成といってもよい.「#631. blending の拡大」 ([2011-01-18-1]) で挙げたように多数の例が身近に見出せるため,このことはにわかには信じられないかもしれないが,事実である.これについては「#631. blending の拡大」 ([2011-01-18-1]),「#876. 現代英語におけるかばん語の生産性は本当に高いか?」 ([2011-09-20-1]),「#940. 語形成の生産性と創造性」 ([2011-11-23-1]) などでも論じてきた通りである.
実のところ,混成のみならず,より広く短縮 (shortening) という語形成がおよそ近現代的な現象なのである.こちらについても「#878. Algeo と Bauer の新語ソース調査の比較」 ([2011-09-22-1]),「#879. Algeo の新語ソース調査から示唆される通時的傾向」([2011-09-23-1]),「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]),「#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語」 ([2017-06-26-1]) を確認されたい.
では,なぜ現代にかけて混成を含めた短縮を旨とする諸々の語形成が,これほど著しく成長してきたのだろうか.「#3329. なぜ現代は省略(語)が多いのか?」 ([2018-06-08-1]) で挙げた3点を,ここに再掲しよう.
(1) 時間短縮,エネルギー短縮の欲求の高まり.情報の高密度化 (densification) の傾向.
(2) 省略表現を使っている人は,元の表現やその指示対象について精通しているという感覚,すなわち「使いこなしている感」がある.そのモノや名前を知らない人に対して優越感のようなものがあるのではないか.元の表現を短く崩すという操作は,その表現を熟知しているという前提の上に成り立つため,玄人感を漂わせることができる.
(3) 省略(語)を用いる動機はいつの時代にもあったはずだが,かつては言語使用における「堕落」という負のレッテルを貼られがちで,使用が抑制される傾向があった.しかし,現代は社会的な縛りが緩んできており,そのような「堕落」がかつてよりも許容される風潮があるため,潜在的な省略欲求が顕在化してきたということではないか.
(1) は,混成(語)のなかに,あらゆる物事に効率性を求める情報化社会の精神の反映をみる立場である.これまで2語で表わしていた意味や情報を,混成語ではただ1語で表現することができるのだ.まさに時短,効率,節約.しかし,これが行き過ぎると,人生や生活と同様に,何ともせわしく殺伐としてくるものである.
しかし,この情報化社会の病理というべき負の力とバランスを取るべく,正の力も同時に働いているように思われるのだ.(3) に指摘されている「緩み」がその1つだろう.これは,上記コンテンツ内で触れられている「遊び心」にも近い.混成語は,「Brexit って何の略でしょうか?」――「答えは,Britain + exit の略でした!」というようなナゾナゾが似合う代物でもあるのだ(cf. 「#3595. ことば遊びの3つのタイプ」 ([2019-03-01-1]) でいう「技巧型」のことば遊び).ここには,せわしなさや殺伐とした気味はなく,むしろ健全な「遊び心」が宿っているように思われる.英語の混成(語)は,一見すると現代社会の病理の反映ようにもみえるが,別の観点からは,むしろ健全な遊びでもあるのだ.
語形短縮の意義を巡っては「#1946. 機能的な観点からみる短化」 ([2014-08-25-1]),「#3708. 省略・短縮は形態上のみならず機能上の問題解決法である」 ([2019-06-22-1]) の議論も参照されたい.
今回は,決して「素朴な疑問」としてすら提起されることのない,驚きの事実をお届けします.私もこれを初めて知ったときには,たまげました.英語史・英語学を研究していると,何年かに一度,これまでの長い英語との付き合いにおいて当たり前とみなしていたことが,音を立てて崩れていくという経験をすることがあります.hellog ラジオ版には,そのような目から鱗の落ちる経験を皆さんにもお届けすることにより,あの茫然自失体験を共有しましょう,という狙いもあります.able と -able が無関係とは信じたくない,という方は,ぜひ聴かないないようお願いします.では,こちらの音声をどうぞ.
単体の形容詞 able も接尾辞 -able も,ラテン語の形容詞(語尾)さかのぼるという点では共通していても,成り立ちはまるで異なるのです.端的にいえば,次の通りです.
・ 形容詞 able = 動詞語幹 ab + 形容詞語尾 le
・ 接尾辞 -able = つなぎの母音 a + 形容詞語尾 ble
語源的には以上の通りですが,現代英語のネイティブの共時的な感覚としては(否,ノン・ネイティブにすら),able と -able は明らかに関係があるととらえられています.この共時的な感覚があるからこそ,接尾辞 -able は「?できる」の意で多くの語幹に接続し,豊かな語彙的生産性 (productivity) を示しているのです.この問題と関連して,##4071,4072の記事セットをどうぞ.
先日の記事「#4145. 借用語要素どうしによる混種語」 ([2020-09-01-1]) を受けて,日本語の事例を挙げたい.和語要素を含まない,漢語と外来語からなる混種語を考えてみよう.「オンライン授業」「コロナ禍」「電子レンジ」「テレビ電話」「牛カルビ」「豚カツ」などが思い浮かぶ.ローマ字を用いた「W杯」「IT革命」「PC講習」なども挙げられる.
『新版日本語教育事典』に興味深い指摘があった.
最近では,「どた(んば)キャン(セル)」「デパ(ート)地下(売り場)めぐり」のように,長くなりがちな混種語では,略語が非常に盛んである.略語の側面から多様な混種語の実態を捉えておくことは,日本語教育にとっても重要な課題である. (262)
なるほど混種語は基本的に複合語であるから,語形が長くなりがちである.ということは,略語化も生じやすい理屈だ.これは気づかなかったポイントである.英語でも多かれ少なかれ当てはまるはずだ.実際,英語における借用語要素どうしによる混種語の代表例である television も4音節と短くないから TV と略されるのだと考えることができる.
日本語では,借用語要素どうしによる混種語に限らず,一般に混種語への風当たりはさほど強くないように思われる.『新版日本語教育事典』でも,どちらかというと好意的に扱われている.
混種語の存在は,日本語がその固有要素である和語を基盤にして,外来要素である漢語,外来語を積極的に取り込みながら,さらにそれらを組み合わせることによって造語を行ない,語彙を豊富にしてきた経緯を物語っている. (262)
英語では「#4149. 不純視される現代の混種語」 ([2020-09-05-1]) で触れたように,ときに混種語に対する否定的な態度が見受けられるが,日本語ではその傾向は比較的弱いといえそうだ.
・ 『新版日本語教育事典』 日本語教育学会 編,大修館書店,2005年.
「#4145. 借用語要素どうしによる混種語」 ([2020-09-01-1]) で,混種語 (hybrid) の1タイプについてみた.このタイプに限らず混種語は一般に語形成が文字通り混種なため,「不純」な語であるとのレッテルを貼られやすい.とはいっても,フランス語・ラテン語要素と英語要素が結合した古くから存在するタイプ (ex. bemuse, besiege, genuineness, nobleness, readable, breakage, fishery, disbelieve) は十分に英語語彙に同化しているため,非難を受けにくい.
不純視されやすいのは,19,20世紀に形成された現代的な混種語である.たとえば amoral, automation, bi-weekly, bureaucracy, coastal, coloration, dandiacal, flotation, funniment, gullible, impedance, pacifist, speedometer などが,言語純粋主義者によって槍玉に挙げられることがある.この種の語形成はとりわけ20世紀に拡大し,genocide, hydrofoil, hypermarket, megastar, microwave, photo-journalism, Rototiller, Strip-a-gram, volcanology など枚挙にいとまがない (McArthur 490) .
Fowler の hybrid formations の項 (369) では,槍玉に挙げられることの多い混種語がいくつか列挙されているが,その後に続く議論の調子ははすこぶる寛容であり,なかなか読ませる評論となっている.
If such words had been submitted for approval to an absolute monarch of etymology, some perhaps would not have been admitted to the language. But our language is governed not by an absolute monarch, nor by an academy, far less by a European Court of Human Rights, but by a stern reception committee, the users of the language themselves. Homogeneity of language origin comes low in their ranking of priorities; euphony, analogy, a sense of appropriateness, an instinctive belief that a word will settle in if there is a need for it and will disappear if there is not---these are the factors that operate when hybrids (like any other new words) are brought into the language. If the coupling of mixed-language elements seems too gross, some standard speakers write (now fax) severe letters to the newspapers. Attitudes are struck. This is all as it should be in a democratic country. But amoral, bureaucracy, and the other mixed-blood formations persist, and the language has suffered only invisible dents.
なお,混種語は,借用要素を「節操もなく」組み合わせるという点では「和製英語」 (waseieigo) を始めとする「○製△語」に近いと考えられる.不純視される語形成の代表格である点でも,両者は似ている.そして,比較的長い言語接触の歴史をもつ言語においては,極めて自然で普通な語形成である点でも,やはり両者は似ていると思う.最後の点については「#3858. 「和製○語」も「英製△語」も言語として普通の現象」 ([2019-11-19-1]) を参照.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: Oxford University Press, 1992.
・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.
語源の異なる要素が組み合わさって形成された複合語や派生語などは混種語 (hybrid) と呼ばれる.その代表例として英語については「#96. 英語とフランス語の素材を活かした混種語 (hybrid)」 ([2009-08-01-1]) で,日本語については「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]) などで挙げてきた.他言語との接触の歴史が濃く長いと,単なる語の借用に飽き足りず,借用要素を用いて自由に造語する慣習が発達するというのは自然である.和製英語を含めた「○製△語」もしかり,今回話題の「混種語」もしかりだ.
混種語を話題にするときには,およそ借用要素と本来要素の組み合わせの例を考えることが多い.例えば,commonly や murderous では赤字斜体部分がフランス語要素,それ以外が英語本来語要素である.日本語の「を(男)餓鬼」においては「餓鬼」が漢語要素,「を」が日本語本来語要素である.
しかし,様々な言語からの借用を繰り返してきた言語にあっては,言語Aからの借用語要素と言語Bからの借用語要素が組み合わさった混種語,つまり本来語要素が含まれないタイプの混種語というのもあり得る.英単語でいえば,television はギリシア語要素の tele- とラテン語要素の vision が組み合わさった,本来語要素が含まれないタイプの混種語である.いずれの要素も借用語要素には違いなく,語源学者でない限りソース言語の違いなど通常は識別できないという事情もあるからだろうか,このタイプの混種語は相対的に注目度が低いように思われる.しかし,このタイプは実際には英語語彙のなかに相当数あるのではないか.ギリシア語やラテン語に由来する連結形 (combining_form)を用いた学術用語や専門用語の例がとりわけ多そうで,これが認知度を低めている要因かもしれない.
そんなことを思ったのは,先日,大学院生が -philia (?愛好症)と -phobia (?恐怖症)というギリシア語に由来する連結形を含む英単語を集め,前置されている第1要素の語種を調べて報告してくれたからだ.いずれの場合も,第1要素の大半は予想されるとおりギリシア語要素だったが,1/3ほどがラテン語要素だったという.「ラテン語要素+ギリシア語要素」となる例をいくつか挙げれば,Anglophilia (イングランド贔屓),canophilia (犬好き),claustrophobia (閉所恐怖症),verbophobia (単語恐怖症)などである.見過ごされやすいタイプの混種語に光が当てられ,とても勉強になった.
なお,『新英語学辞典』 (313) に,このタイプの混種語について次のように記述があったが,やはり扱いは素っ気なく,この程度にとどまっていた.
混種語は本来語と外来語の結合のみとは限らない.外来の語基・接辞についてもみられる: hypercorrect (= overly correct; Gk + L), visualize (< LL visuālis + Gk -ize) .
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
戦争,飢餓,疫病など苦難の時代には,言語も荒波に揉まれてきた.目下のコロナ禍では言語の何が変わるのだろうか.すでにいくつか候補が挙げられるようにも思う.
たとえば,英語でいえば,「#4105. 銅像破壊・撤去,新PC,博物館」 ([2020-07-23-1]) でみたように,BLM運動との関連で人種差別を喚起させる特定の語句や表現が槍玉にあげられたり,自主的に置換されるという事態が生じている.これは厳密にいえばコロナ禍の直接的な影響によるものではないが,既存の社会問題がコロナ下の不安と憤懣のなかで増幅して爆発した結果とみなすならば,間接的には関与しているといえる.
日本語では,様々なコロナ関連表現が,きわめて短期間のうちに生まれ定着してきたことは,肌身に感じられるだろう.7月25日(土)の読売新聞朝刊の特別面(11面)に「コロナ時代の言葉たち」と題する特集が掲載されていた.出現順に挙げるとおもしろそうだが,順番は意識せずに一覧を掲げてみる.
3密,8割削減,10万円給付,Go To トラベル,PCR,Skype,WHO,Zoom,あつ森,アクリル板,アビガン,アベノマスク,アマビエ・アマビコ,ウーバーイーツ,ウィズコロナ,ウェブ面接,エクモ,エッセンシャルワーカー,オーバーシュート,オンライン授業,クラスター,クルーズ船,コロナ (COVID-18),ステイホーム,スペイン風邪,チャーター便,テレワーク,ドライブスルー,ニューノーマル,パンデミック,フェースシールド,ライブハウス,リモートマッチ,ロックダウン,医療崩壊,一世休校,院内感染,屋形船,感染経路不明,緩み,休業要請,緊急事態宣言,県をまたぐ移動,抗原検査,抗体検査,行動変容,再生産数,持ちこたえている,自粛警察,社会的距離(ソーシャル・ディスタンス),手作りマスク,手指消毒,手洗い,収束/終息,出口戦略,新しい生活様式,瀬戸際,正念場,接触確認アプリ,接触感染,専門家会議,巣ごもり,大阪モデル,第2波,置き配,昼カラオケ,転売ヤー,東京アラート,濃厚接触,買い占め,飛沫感染,不要不急の外出自粛,武漢,分散登校,無観客,夜の街,臨時休講
新語(句)の形成法としては,和製英語あり,借用あり,漢熟語あり,省略ありと,なかなかに新旧の方法が入り交じった賑やかな様相を呈している.新語(句)というよりは,既存の語(句)に新たな語義が付け加えられたり,ニュアンスが変化したりという,意味変化の事例も多い.この一覧を用いて語形成や意味論の基本を論じる講義を準備できるのではないかとすら感じた.
先日,大学の英語学の授業で議論が盛り上がった標題について,hellog 記事セットを公開しておきたい.
・ 「和製英語を含む○製△語」の記事セット
しばしば話題として取り上げられる現代日本語の「和製英語」は,歴史的にも通言語的にもまったく珍しい現象ではない.豊かな語彙借用の歴史をもつ日本語や英語などにおいては,むしろきわめて普通の過程なのではないか.日本語には明治期に「和製漢語」があった.英語史を振り返っても,近代英語期には「英製羅語」「英製希語」「英製仏語」などがあった.
このように時代も言語も異なれど似たような過程が起こっており,しかもその過程の周辺には比較できる点が認められる.1つは,受け入れ言語が,ソース言語に威信を認めており,かつ十分に馴染んでいること(逆に,ある程度馴染んでいなければ「○製△語」の造語は起こらないだろう).もう1つは,「○製△語」が後にソース言語に逆輸入しているケースがあること.
一方,現代日本語の「和製英語」に特有とおぼしき点もある.たとえば,他の「○製△語」は作り出した主体はソース言語に精通した同時代の知識人といってよいが,「和製英語」については作り出した主体は必ずしも英語を駆使する知識人ではなく,英語を完全には習得していない普通の人々のように思われる.むしろ,英語を操る知識人は,そのように造語された「和製英語」を否定的に見ているケースも少なくなさそうだ.実は,これは授業での議論を通じて学生から指摘を受けた点である.現代日本語事情についての鋭い批評になっていると思う.授業というのは本当に勉強になる.
今ひとつ付け加えておくべきは,そもそも英語には「英製羅語」のような的確な表現がないことだ.せいぜい「新古典主義的複合語」 (neo-classical compounds) のように,専門的かつ説明的に表現される程度である.それに比べると日本語の「和製英語」とは非常によくできた熟語だと感心する.一方,なぜ日本語には「和製英語」のような熟語がずばり存在し,人口に膾炙しているのかという別の興味深い疑問が湧いてくる.
標題に驚くのではないでしょうか..形容詞 able と接尾辞 -able は語源的には無関係なのです.スペリングは同一,しかも「?できる」という意味を共有していながら,まさか語源的なつながりがないとは信じがたいことですが,事実です.いずれも起源はラテン語に遡りますが,別語源です.
形容詞 able は,ラテン語 habilem に由来し,これがフランス語 (h)abile, able を経て中英語期に入ってきました.当初より「?できる」「有能な」の語義をもっていました.ラテン語 habilem は,動詞 habēre (もつ,つかむ)に形容詞を作る接尾辞 -ilis を付した派生語に由来します(同接尾辞は英語では -ile として,agile, fragile, juvenile, textile などにみられます).
一方,接尾辞 -able はラテン語の「?できる」を意味する接尾辞 -ābilis に遡ります.これがフランス語を経てやはり中英語期に -able として入ってきました.ラテン語の形式は,ā と bilis から成ります.前者は連結辞にすぎず,形容詞を作る接尾辞として主たる役割を果たしているのは後者です.連結辞とは,基体となるラテン語の動詞の不定詞が -āre である場合(いわゆる第1活用)に,接尾辞 bilis をスムーズに連結させるための「つなぎ」のことです.積極的な意味を担っているというよりは,語形を整えるための形式的な要素と考えてください.なお,基体の動詞がそれ以外のタイプだと連結辞は i となります.英単語でいえば,accessible, permissible, visible などにみられます.
以上をまとめれば,語源的には形容詞 able は ab と le に分解でき,接尾辞 -able は a と ble に分解できるということになります.意外や意外 able と -able は別語源なのでした.当然ながら ability と -ability についても同じことがいえます.
語源的には以上の通りですが,現代英語の共時的な感覚としては(否,おそらく中英語期より),両要素は明らかに関連づけられているといってよいでしょう.むしろ,この関連づけられているという感覚があるからこそ,接尾辞 -able も豊かな生産性 (productivity) を獲得してきたものと思われます.
(後記 2022/10/02(Sun):この話題は 2020/10/18 に hellog-radio にて「#34. 形容詞 able と接頭辞 -able は別語源だった!」として取り上げました.以下よりどうぞ.)
parasynthesis(並置総合)は語形成 (word_formation) の1種で,複合 (compounding) と派生 (derivation) を一度に行なうものである.この語形成によって作られた語は,"parasynthetic compound" あるいは "parasyntheton" (並置総合語)と呼ばれる.その具体例を挙げれば,warm-hearted, demoralize, getatable, baby-sitter, extraterritorial などがある.
extraterritorial で考えてみると,この語は extra-(territori-al) とも (extra-territory)-al とも分析するよりも,extra-, territory, -al の3つの形態素が同時に結合したものと考えるのが妥当である.結合の論理的順序についてどれが先でどれが後かということを決めるのが難しいということだ.この点では,「#418. bracketing paradox」 ([2010-06-19-1]),「#498. bracketing paradox の日本語からの例」 ([2010-09-07-1]),「#499. bracketing paradox の英語からの例をもっと」 ([2010-09-08-1]) の議論を参照されたい.そこで挙げた数々の例はいずれも並置総合語である.
品詞転換 (conversion) あるいはゼロ派生 (zero-derivation) を派生の1種と考えるならば,pickpocket や blockhead のような (subordinative) exocentric compound も,複合と派生が同時に起こっているという点で並置総合語といってよいだろう.
石橋(編)『現代英語学辞典』 (p. 630) では並置総合語を要素別に5種類に分類しているので,参考までに挙げておこう.
(1) 「形容詞+名詞+接尾辞」 hot-tempered, old-maidish. (2) 「名詞+名詞+接尾辞」 house-wifely, newspaperdom. (3) 「副詞+動詞+接尾辞」 oncoming, half-boiled. (4) 「名詞+動詞+接尾辞」 shopkeeper, typewriting. (5) そのほか,matter-of-factness, come-at-able (近づきやすい)など.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
・ 石橋 幸太郎(編) 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
一昨日 ([2020-01-18-1]) と昨日 ([2020-01-19-1]) の記事に引き続き,Chibanian という新語についての話題.この語の接尾辞 -ian について考えてきたが,Chiba と -ian の間にある n はいったい何ものなのだろうか.表面的には -nian 全体が接尾辞のようにみえるが,連日みてきたように,語源的にいえばあくまで -ian の部分が接尾辞である.
ネットを調べてみると,この n の問題を含めた Chibanian の名称についてコメントしている人々がいた.「『チバニアン』でよいのか?」のほか,Twitter でもこちらやこちらで疑問が表明されている.各々,興味深い議論がなされている.
ここはラテン語研究者に解説をお願いしたいところだが,お願いといっても半分は冗談である.私自身もこの2日間の記事でラテン語を含めて語源云々をひもといてきたが,いってしまえば Chibanian はあくまで現代的な Neo-Latin の造語である.現代の命名にあたってどこまで厳密に(古典)ラテン語の語形成を踏まえるべきなのか,あるいは近年の造語慣習になるべく従うべきなのかについては,明示的な規範があるわけではない.Chibanian でなくとも,Chiban, Chibian, Chibean など,それらしい命名であれば何でもよいのではないかと思っている.「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1]) でも示唆したように,Chibanian には日本語の地名が含まれているもののラテン語の風貌をしており,全体としては英語風に綴られ発音されるという,まさにハイブリッドのたまものである.3言語が,狭い場所で互いに押しすぎず引きすぎず身を寄せ合って生活している寄合所帯みたいなものなのだ.いずれかの言語の語形成上の規範を押しつけたところで,平和には暮らせなさそうである.
ということで,挿入されている n についても自由に解釈してよいと思う.語形・音形を整えるだけの連結母音という見方もよいだろうし,Romanian や Iranian などにならって -nian で切り出した新たな接尾辞と見てもよいかもしれない(cf. 「#3488. 膠着と滲出」 ([2018-11-14-1]) の滲出).類例として Panama に対して Panamanian という例がある.OED によると,Panamanian の2つ目の n について,"English -n-" あるいは "-n-, connective element" とだけ記されている.要するに,理由は不明だが挿入されているということだ.Guam -- Guamanian, Honduras -- Honduranian も同様だろう.このような例があるといえばあるのである.
昨日の記事 ([2020-01-18-1]) に引き続き,話題の Chibanian の接尾辞 -ian について.この英語の接尾辞は,ラテン語で形容詞を作る接尾辞 -(i)ānus にさかのぼることを説明したが,さらに印欧祖語までさかのぼると *-no- という接尾辞に行き着く.語幹母音に *-ā- が含まれるものに後続すると,*-āno- となり,これ全体が新たな接尾辞として切り出されたということだ.ここから派生した -ian, -an, -ean が各々英語に取り込まれ,生産的な語形成を展開してきたことは,昨日挙げた多くの例で示される通りである.
さて,印欧祖語の *-no- は,ゲルマン語派のルートを通じて,英語の意外な部分に受け継がれてきた.強変化動詞の過去分詞形に現われる -en と素材を表わす名詞に付されて形容詞を作る -en である.前者は broken, driven, shown, taken, written などの -en を指し,後者は brazen, earthen, golden, wheaten, wooden, woolen などの -en を指す (cf. 後者について「#1471. golden を生み出した音韻・形態変化」 ([2013-05-07-1]) も参照).いずれも形容詞以外から形容詞を作るという点で共通の機能を果たしている.
つまり,Chibanian の -ian と golden の -en は,現代英語に至るまでの経路は各々まったく異なるものの,さかのぼってみれば同一ということになる.
昨日,ついに Chibanian (チバニアン,千葉時代)が初の日本の地名に基づく地質時代の名前として,国際地質科学連合により決定された.本ブログでこの話題を「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1]) で取り上げてから2年半が経過しているが,ようやくの決定である.当の千葉県では新聞の号外が配られたというから,ずいぶん盛り上がっているようだ.
Chibanian は,約77万4千年?12万9千年前の地質時代を指す名称である.この時代は,ホモ・サピエンス (homo_sapiens) が登場した頃であり,さらには初期の言語能力が芽生えていた可能性もある点で興味が尽きない.先の記事では,Chibanian なる新語は,よく考えてみるとラテン語でも英語でも日本語でもない不思議な語だと述べた.今回は名称決定を記念して,この新語に引っかけて語源的な話題をもう少し提供してみたい.接尾辞 (suffix) の -ian についてである.
この接尾辞は「?の,?に属する」を意味する形容詞を作るラテン語の接尾辞 -iānus にさかのぼる.さらに分解すれば,-i- は連結母音であり,実質的な機能をもっているのは -ānus の部分である.ラテン語で語幹に i をもつ固有名詞から,その形容詞を作るのに -ānus が付されたものだが,後に -iānus が全体として接尾辞と感じられるようになったものだろう (ex. Italia -- Italiānus, Fabius -- Fabiānus, Vergilius -- Vergiliānus) .
英語はこのラテン語の語形成にならい,-ian 接尾辞により固有名詞の形容詞(およびその形容詞に対応する名詞)を次々と作り出してきた.例を挙げれば,Addisonian, Arminian, Arnoldian, Bodleian, Cameronian, Gladstonian, Hoadleian, Hugonian, Johnsonian, Morrisonian, Ruskinian, Salisburyian, Shavian, Sheldonian, Taylorian, Tennysonian, Wardian, Wellsian, Wordsworthian; Aberdonian, Bathonian, Bostonian, Bristolian, Cantabrigian, Cornubian, Devonian, Galwegian, Glasgowegian, Johnian, Oxonian, Parisian, Salopian, Sierra Leonian などである.固有名詞ベースのものばかりでなく,小文字書きする antediluvian, barbarian, historian, equestrian, patrician, phonetician, statistician など,例は多い.
実は,ラテン語の接尾辞 -ānus にさかのぼる点では -ian も -an も -ean も同根である.したがって,African, American, European, Mediterranean なども,語形成的には兄弟関係にあるといえる (cf. 「#366. Caribbean の綴字と発音」 ([2010-04-28-1])) .ただし,現代の新語形成においては,固有名詞につく場合,-ian の付くのが一般的のようである.今回の Chibanian も,この接尾辞の近年の生産性 (productivity) を示す証拠といえようか.
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