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#3861. 「モンゴルの大征服」と「アラブの大征服」の文字史上の意義の違い[history][writing][religion][arabic][mongolian]

2019-11-22

 鈴木 (149) が標題の2つの世界史上の大征服を比較し,次のように評している.

 七世紀中葉から八世紀中葉の一世紀間に進行した「アラブの大征服」では,その征服地中,イベリアを除く殆どすべてが,一四〇〇年余をへた今日でもイスラム圏に属し,少なくとも一九〇〇年頃まではそのすべてが「アラビア文字圏」にとどまった.それに対してモンゴル帝国の場合は,モンゴル語も,またモンゴル文字も定着せず,モンゴル文化も,極めて断片的にしか痕跡が認められない.このこともまた,念頭におく必要があろう.
 確かに「モンゴルの大征服」は,その覆った空間としては,まさに世界史上最大の征服活動であった.しかし,この活動はモンゴル人の機動力と瞬発力という軍事的「比較優位」により「津波」のように広がりはしたが,その支配は各地域の在地のシステムの上にのったものであり,定着化しうる「支配組織」を形成するには至らなかったし,また文化的側面においても,浸透し同化させていくだけの文化的核をつくり出せなかったのではあるまいか.


 別の箇所 (74) でも,同趣旨の主張がなされている.

「モンゴルの大征服」とちがうところは,「アラブの大征服」で征服された空間のうち,のちにキリスト教徒のレコンキスタで奪回されたイベリア半島を除けば,ほぼすべてがムスリム(イスラム教徒)の支配下に残ったことである.そこではイスラムが定着し,その聖典『コーラン』のことばであるアラビア語が共通の文化・文明語として受容され,その文字たるアラビア文字が,母語を異にする人々にも受容された.さらにモロッコからシリアにいたるローマ帝国の南半では,住民の大多数がアラビア語を母語として受けいれ,アラブ圏の中核地域になりさえしたのである.


 2つの大征服(およびその他の世界史上の大征服)は様々な観点から比較し得るが,文字史の観点からみると,確かに著しい違いがみられる.実際には文字のみならず言語,宗教,民族などの要素が絡み合わざるを得ない複合的な観点というべきだが,「文字」は2つの大征服を読み解くための鮮やかな補助線となっているように思われる.

 ・ 鈴木 董 『文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ』 山川出版社,2018年.

Referrer (Inside): [2019-11-23-1]

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