宗教改革は,識字率に影響を与えたといわれる.「#2927. 宗教改革,印刷術,英語の地位の向上」 ([2017-05-02-1]),「#2937. 宗教改革,印刷術,英語の地位の向上 (2)」 ([2017-05-12-1]) でみたように,宗教改革と印刷術の活用が二人三脚で進展したからである.実際,宗教改革の前夜である16世紀初頭と同世紀末とを比べると,識字率が大幅に増加したようだ.歴史的な識字率を正しく得ることは難しいが,様々な推計が増加を指摘している.
永田 (40--42) は,ドイツや西ヨーロッパ全体に関する各種の推計を紹介している.ある推計によれば,16世紀初めのドイツでは3--4%,都市部でも5%ほどだったが,1600年頃のハンブルクでは10%からその数倍の人々が文字を知っていたという.また,西ヨーロッパ全体についても,16世紀末には都市部で識字率が50%近くになっていたという見解もある.様々な推計を受けて,永田 (42) は,作業仮説として「十六世紀初頭に読み書きができるひとは五パーセント以下だったが,その世紀の終わりになると,都市部では三〇から五〇パーセント近くまで上昇した」という見解を採用している.
ただし,識字率が増加したとはいえ,みなが読めるというにはほど遠い状態である.そのような不完全な識字を補うために,宗教改革の推進派は,紙芝居の音読のような「集団読書」を行なったり,絵入りの冊子や木版画で人々を啓蒙しようとした.これらのメディア戦略が功を奏して,ドイツほかの地域で宗教改革が展開していったのである.
なお,時代は下って1900年頃のヨーロッパの識字率についても,次のような推計が引き合いに出されているので紹介しておこう.「一九〇〇年頃,プロイセン・ドイツの識字率は八八パーセント,オーストリアは七七パーセント,フランスは八二パーセント,イタリアは五二パーセントである」(永田,p. 42).ただし,一般にヨーロッパの識字の基準は甘く,自分の名前が読み書きできる程度でも文字を知っているとみなされたので,いくらか割り引いて評価する必要はありそうだ.
・ 永田 諒一 『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』 講談社〈講談社現代新書〉,2004年.
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