[2017-05-02-1]の記事に引き続いての話題.この英語史上の問題に迫るには,先行するドイツ語史における情況を見ておくのが早い.というのは,宗教改革も印刷術もドイツにおいて始まったからだ.宗教改革者ルター (Martin Luther; 1483--1546) と,少々先立つ時代の活版印刷術の発明者グーテンベルク (Johannes Gutenberg; 1400?--68) の時代である.
ルターのドイツ語訳聖書 (1521) が俗語ドイツ語の地位を高めた事実について,野々瀬 (35--36) の解説を引く.
ルター訳聖書は,ドイツ語史の中でも重要な位置を占めている.当時ドイツ語には,多様な方言が存在し,統一的な共通語はまだ形成されていなかった.ルターは,この翻訳に際して,技巧をこらした複雑な表現ではなく,話し言葉を多く採用した.〔中略〕彼は,官房で使われていた法律家風の言葉だけでなく,民衆の言い回しの中にある豊かな表現を選抜して,それを多用した.ルターの言葉は,突然生み出された新しいものではなく,当時生きていたドイツのすべての言語的な伝統の系譜を集約したような貯水槽であった.ルターは,誰にでもわかる言語形式で聖書の翻訳を試みたのである.このような翻訳に従事することによってルターは,聖書全体を民衆に役立たせようと格闘した.ルター訳聖書は,商品として市場で普通に売買され,一般家庭で読まれるための書物となった.以降ルターのドイツ語訳聖書は,ドイツ語を学ぶための民衆の教材として扱われ,近代ドイツ文学の源泉の一つとなり,国語としてのドイツ語の成立に寄与したことは間違いない.宗教改革運動が聖書の翻訳に加えて教会の典礼での俗語の使用を促進したので,結果としてそのことが,中世では支配的であったラテン語の使用範囲を著しく狭め,俗語の地位を高めることに繋がった.またルター訳聖書は,ティンダル訳や欽定訳などの英訳聖書にも重大な影響を与えたのである.
ルター訳聖書は,俗語ドイツ語で書かれることによって,不動と思われていたラテン語の権威を脅かしたという点において,ドイツ語史上に大きな意義を有している.これを契機に,何世紀ものあいだカトリック教会の権威と結びつけられ,絶対的な地位を守り続けたラテン語の権威が,相対的に陰りはじめたのである.この影響はすぐに近隣国へも広がり,イングランドにおいても俗語たる英語への聖書翻訳が次々に企画され,実践されていくことになった.おりしも活版印刷はグーテンベルクの発明から半世紀を経て,軌道に乗り始め,宗教改革を支える強力な推進力となった.ドイツ語と同様,英語もラテン語に対抗しうるひとかどの言語として認識されるようになっていく.
以上を野々瀬 (41) の言葉でまとめよう.
宗教改革運動が,万人司祭主義と聖書中心主義を掲げて,原典に依拠した俗語訳聖書を出版したことによって,民衆にとって聖書は直接触れることのできる身近な存在へと変貌した.聖書の解釈権も俗人に開放された.聖書は,すべての社会層の日常生活の中に浸透し,熱心に読まれ始めたのである.その結果宗教改革は,ヨーロッパの教会におけるラテン語の権威を低下させ,書き言葉としての俗語の地位を高め,標準語の形成に寄与した.グーテンベルクの活版印刷術の発明が,そのような動きを後押しした.
・ 野々瀬 浩司 「ドイツ宗教改革期における聖書と共同体」『聖書テクストと共同体』 慶應義塾大学文学部編,2017年,29--42頁.
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