英語の歴史と語源・5
「キリスト教の伝来」

堀田 隆一

2019年11月2日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

第5回 キリスト教の伝来

6世紀以降,英語話者であるングロサクソン人はキリスト教を受け入れ,大陸文化の影響に大いにさらされることになりました.言語的な影響も著しく,英語はラテン語との接触を通じて2つの激震を経験しました.(1) ローマ字の採用と (2) キリスト教用語を中心とするラテン単語の借用です.これは,後のイングランドと英語の歴史を規定することになる大事件でした.今回は,このキリスト教伝来の英語史上の意義について,ほぼ同時代の日本における仏教伝来の日本語史的意義とも比較・対照しながら,多面的に議論していきます.

目次

  1. イングランドのキリスト教化
  2. ローマ字の採用
  3. ラテン語の借用
  4. 聖書翻訳の伝統
  5. 宗教と言語

1. イングランドのキリスト教化

  1. ローマン・ブリテン時代の後期(4世紀半ば以降),キリスト教化が進む
  2. アングロ・サクソン人の渡来(449年)により異教へ回帰
  3. 5世紀半ば(461年),アイルランドからキリスト教がもたらされる
  4. 6世紀末(597年),ローマからキリスト教がもたらされる
  5. ウィットビーの宗教会議(664年)により大陸文化に接近
  6. 7世紀中におよそキリスト教化が完了

古英語期まで(~1066年)のキリスト教に関する略年表 (#2871)

前55–54年 ユリウス・カエサルのブリタニア遠征
43年 ローマ皇帝クラウディウスのブリタニア侵攻
4世紀半ば キリスト教の伝来,ヨークとロンドンに司教座
405年頃 ラテン語訳聖書 (The Vulgate) 翻訳完成
410年 ローマ軍,ブリタニアから撤退
432年 聖パトリックがアイルランドで布教開始
449年 アングロ・サクソンの渡来の伝統的な年代
563年 聖コルンバがスコットランドで布教開始(北から南下するアイリッシュ・キリスト教)
6世紀末 7王国の成立
597年 聖アウグスティヌス,教皇グレゴリウス1世により布教のためにケントに派遣される(南から北上するローマ・カトリック教)
635年 聖エイダンがリンディスファーンへアイリッシュ・キリスト教を導入
664年 ウィットビーの宗教会議でローマキリスト教の優位が認められる
731年 ベーダが『英国民教会史』をラテン語で著わす
780年代 ヴァイキングの侵攻が始まる
782年 アルクインがシャルルマーニュの宮廷に入る
793年 ヴァイキングがリンディスファーンを襲撃
870年代 ヴァイキングがイングランドに定住開始
871–99年 アルフレッド大王,イングランドの学問の衰退を嘆く
886年 アルフレッド大王,ヴァイキングのグスルムとウェドモア協定
937年 ブルナンブルフの戦い
950年頃 ベネディクト改革
991年 モールドンの戦い
1016–35年 クヌート,イングランド王に
1066年 ウィリアムによるノルマン征服

2. ローマ字の採用

  1. ゲルマン人はもともとルーン文字を使用
  2. しかし,その文字文化は限定的だった
  3. キリスト教伝来とともにローマン・アルファベットが導入
  4. 文字文化が本格的に始まる(=ラテン文字世界へ編入される)

ルーン文字とは?

  1. アルファベットの歴史 (#1849, 鈴木の図)

  2. アングロ・サクソンのルーン文字 “fuþorc” (#1006)

  3. 個々のルーン文字の意味 (#2991)

  4. rune, write, read, book, beech の語源とルーン文字文化 (#1009)

現存する最古の英文はルーン文字で書かれていた

  1. Undley bracteate (#572)

  2. The Caistor rune (#1435)

  3. Franks Casket (#1453)

ルーン文字の遺産

  1. “Ye Olde Cheshire Cheese” (#1428, #13)

  2. なぜ <þ> は廃れたのか? (#1329)

古英語のアルファベット

  1. 27文字 (#3038)

    古英語:   a æ b c d e f g h i (k) l m n o p (q) r s t þ ð u ƿ (x) y (z)

    現代英語: a   b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z

  2. 基本的には発音記号のように読めばよい
  3. 注意すべき古英語の綴字と発音 (#17)

古英語文学の開花 (#2526)

  1. 8世紀以降,歴史,年代記,英雄詩,説教,翻訳文学が続々と
  2. 古英語文学の金字塔,英雄詩 Beowulf (#2893)
  3. 聖書翻訳が始まる(後述)

3. ラテン語の借用

  1. 通時的俯瞰 (#2162, #2385)

  2. ラテン語借用の時期区分
    1. 大陸時代(5世紀以前): #1437, #1945
    2. 初期古英語(650年頃まで): #3790, #3788
    3. 後期古英語 (650年頃~1100年): 今回の注目点 (#3829, #3787)
    4. 中英語期(1100~1500年): #120, #1211, #2961
    5. 初期近代英語期(1500~1700年): #478, #1226, #1409, #3438
    6. 後期近代英語期・現代英語期(1700年以降): #3179

古英語語彙におけるラテン借用語比率

  1. 古英語以前に英語に借用されたラテン単語の数は,少なくとも600語 (#3789)
  2. 650年辺りを境に,前期に300語ほど,後期に300語ほどという内訳
  3. この600語という数を古英語語彙全体から眺めてみると,1.75%という割合
  4. それでも,英語の「世界的な語彙」 (cosmopolitan vocabulary) への第一歩として銘記される

キリスト教化以前と以後のラテン借用

  1. 650年以前,意外と日常的な単語も目立つ (#3790, #3788)

    butere “butter”, ele “oil”, cyċene “kitchen”, ċȳse, ċēse “cheese”, wīn “wine” (and its compounds), sæterndæġ “Saturday”, mūl “mule”, ancor “anchor”, līn “line, continuous length”, mylen (and its compounds) “mill”, scōl, sċolu (and the compound leornungscōl) “school”, weall “wall”, pīpe “pipe, tube”, disċ “plate/platter/bowel/dish”, candel “lamp, lantern, candle”, torr “tower”, prēost “priest”, port “port”, munt “mount(ain)”

  2. 650年以後,キリスト教や学問と直接・間接に関わる高尚な単語が目立つ (#3829, #3787)

    apostol “apostle”, cleric “clerk, clergyman”, discipul “disciple”, martir “martyr”, paradīs “paradise”, passion “story of the Passion of Christ”, tempel “temple”, accent “diacritic mark”, epistol “letter”, meter “metre”, philosoph “philosopher”, alwe “aloe”, cucumer “cucumber”, lilie “lily”, rōse “rose”, camel “camel”, loppestre “lobster”, tiger “tiger”, cancer “ulcerous sore”, plaster “plaster”, talente “talent”, cōc “cook”, acūsan “to accuse (someone)”, dēclīnian “to decline or inflect”, fals “false”, mechanisċ “mechanical”,

4. 聖書翻訳の伝統

  1. 英語の聖書翻訳の歴史 (#1709, #1427)
    9世紀半ば Vespasian Psalter [ラテン語聖書「詩篇」行間注釈 (interlinear gloss).マーシア方言]
    50年頃 Lindisfarne Gospels [700年ごろっくられたラテン語訳「福音書」装飾写本本文の行間に,950年ごろ主にノーサンブリア方言による語注を加えている]
    10世紀後半 Rushworth Gospels [Lindisfarne Gospels の行間注にならう.ただし,マタイ伝は北マーシア方言による独自の逐語訳]
    1000年頃 West-Saxon Gospels [当時の標準的方言ウエストサクソン方言による最初の本格的翻訳聖書]
    1384年頃 Wycliffite Bible (Early Version) [J. Wyclif 一門の Nicholas of Hereford が中心となってラテン語訳聖書を逐語的に訳した最初の完訳英語聖書.ラテン語法が顕著]
    1388–95年頃 Wycliffite Bible (Later Version) [Wyclif 一門の John Purvey が中心となって,上記逐語訳を慣用的英語表現に改めたもの]
    1525–26年 Tyndale’s New Testament [ギリシア語原典から直接訳した最初の印刷本英訳聖書.改訂版 1534, 1535]
    1611年 Authorised Version [略:AV.とくに米国では King James Bible ともいう]
    1611–1881年 この間に70種をこえる英訳聖書が出版された
  2. 聖書の伝統から生まれた慣用表現 (#1439)

    Adam and Eve, add fuel to the fire, Alpha and Omega, apple of [one’s] eye, Babel, build a house on sand, camel through the eye of a needle, cast pearls before swine, flies in amber, forbidden fruit, good Samaritan, in the beginning was the Word, laugh [one] to scorn, leading the blind, leopard changing his spots, lost sheep, many are called, money is the root of all evil, my name is Legion, nothing new under the sun, old serpent, sabbath was made for man, salt of the earth, scales fall from [one’s] eyes, scapegoat, serve two masters, shibboleth, stony ground, ten commandments, thief in the night, thou shalt not, threescore years and ten, tomorrow will take care of itself, tree of knowledge, turn the other cheek, two heads are better than one, two-edged sword, vanity of vanities, weeping and wailing, woe is me

  3. 祈祷書より結婚式での文句 (#2597)

    all my worldly goods, as long as ye both shall live, for better or worse, for richer for poorer, in sickness and in health, let no man put asunder, now speak, or else hereafter forever hold his peace, thereto I plight thee my troth, till death us do part, to have and to hold, to love and to cherish, wedded wife/husband, with this ring I thee wed

  4. 「主の祈り」の古英語版ほか(補遺を参照)

5. 宗教と言語

  1. 宗教と文字の不可分性 (#3837, #2485)
  2. 宗教の分布と言語の分布 (#1546, 鈴木の図)
  3. 5つの文字世界 (#3837)
    文字 宗教
    ラテン文字世界 西欧キリスト教世界
    ギリシア・キリル文字世界 東欧正教世界
    梵字世界 南アジア・東南アジア・ヒンドゥー・仏教世界
    漢字世界 東アジア儒教・仏教世界
    アラビア文字世界 イスラム世界
  4. 当該宗教および関連する技術・文化・制度に関する新語彙の大量借用
  5. (聖典の)翻訳文化
  6. 宗教の言語の権威と保守性 (#753, #2417, #2408)

外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響の比較 (#206)

  イングランド 日本
外来宗教 キリスト教 仏教
伝来の時期 6世紀末 6世紀半ば
地勢 大陸の西の島国 大陸の東の島国
文字の導入 ローマン・アルファベット 漢字
借用語彙 キリスト教関連用語 仏教関連用語

日本語における宗教語彙 (#1869)

  1. 上代(聖徳太子以後,仏教を振興)

    香炉,蝋燭,脇息,高座,功徳,供養

  2. 中古(天台・真言の二宗)

    大徳,修法,念誦,新発意,持仏,名号,数珠,加持,精進,彼岸,布施,回向,出家,道理,本意,世界,世間,孝養,懈怠,道心,変化,稀有,愛敬,執念

  3. 中世にかけて(信仰がいっそう深まり,仏教説話も多く現われる)

    諸行無常,盛者必衰,煩悩,衆生,修行,三界,智慧,過去,発心,悲願,勧進,微塵,安穏

  4. 近世にかけて(禅宗の伝来)

    挨拶,以心伝心,向上,到底,到頭,端的,滅却,毛頭,行脚,看経,一得一失,主眼,自粛,体得,打開,単刀直入,門外漢,老婆心

まとめ

  1. 5~6世紀のイングランドにもたらされたキリスト教は,
  2. ローマ字による本格的な文字文化を導入し,
  3. ラテン語からのキリスト教絡みの高尚な借用語を多くもたらし,
  4. 聖書に由来する数々の英語表現を生み出した.
  5. 宗教の伝来と普及は,言語史(英語史・日本語史)に多大な影響を及ぼす.

補遺:「主の祈り」の各時代のヴァージョン (#1803)

  1. 1000年頃の古英語訳 West-Saxon Gospels より

    Fæder ūre þū þe eart on heofonum, Sī þīn nama gehālgod. Tō becume þīn rīce. Gewurþe ðīn willa on eorðan swā swā on heofonum. Ūrne gedæghwāmlīcan hlāf syle ūs tōdæg. And forgyf ūs ūre gyltas, swā swā wē forgyfað ūrum gyltendum. And ne gelǣd þu ūs on costnunge, ac ālȳs ūs of yfele. Sōþlīce.

  2. 1388–95年の Wycliffite Bible (Later Version) より

    Oure fadir that art in heuenes, halewid be thi name; thi kyngdoom come to; be thi wille don in erthe as in heuene; ȝyue to vs this dai oure breed ouer othir substaunce; and forȝyue to vs oure dettis, as we forȝyuen to oure dettouris; and lede vs not in to temptacioun, but delyuere vs fro yuel. Amen.

  3. 1611年の The Authorised Version (The King James Version

    Our father which art in heauen, hallowed be thy name. Thy kingdome come. Thy will be done, in earth, as it is in heauen. Giue vs this day our daily bread. And forgiue vs our debts, as we forgiue our debters. And lead vs not into temptation, but deliuer vs from euill: For thine is the kingdome, and the power, and the glory, for euer, Amen.

  4. 1989年の The New Revised Standard Version より

    Our Father in heaven, hallowed be your name. Your kingdom come. Your will be done, on earth as it is in heaven. Give us this day our daily bread. And forgive us our debts, as we also have forgiven our debtors. And do not bring us to the time of trial, but rescue us from the evil one. [For the kingdom and the power and the glory are yours forever. Amen.]

  5. 新共同訳より

    天におられるわたしたちの父よ,御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように,天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください,わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず,悪い者から救ってください。[国と力と栄えとは永遠にあなたのものです。アーメン。]

参考文献