英語史では,早くも古英語期より,完了を表わすのに have 完了と be 完了の2種類が行なわれてきた.ただし,be 完了は自動詞,およそ移動動詞に限定され,have 完了に比べればもとより目立たない存在ではあった.近代英語期にかけて have 完了がますます勢いを増すにおよび,移動動詞も have 完了へと乗り換えていった.
上記は,be 完了の衰退の歴史の教科書的な概観である.関連する記事として「#1653. be 完了の歴史」 ([2013-11-05-1]),「#1814. 18--19世紀の be 完了の衰退を CLMET で確認」 ([2014-04-15-1]),「#3031. have 完了か be 完了か --- Auxiliary Selection Hierarchy」 ([2017-08-14-1]) も参照されたい.
最近 be 完了と have 完了の比率の通時的推移を明らかにした Smith (2012: 1537) の調査をみつけたので,紹介しておこう.時代ごとに type 頻度と token 頻度の比率(および括弧内に頻度)が示されている(基となっているのは Smith の別の2001年の "Role" 論文).
Type | Token | |||
Be | have | Be | have | |
OE | 16% (11) | 84% (57) | 21% (18) | 79% (85) |
EME | 11% (12) | 89% (92) | 24% (69) | 76% (214) |
LME | 11% (9) | 89% (70) | 11% (12) | 89% (96) |
EModE | 8% (10) | 92% (115) | 4% (13) | 96% (319) |
19th C | 3% (8) | 97% (311) | 4% (38) | 96% (839) |
学生から標記の素朴な疑問が寄せられました.確かに2重母音をもつ原形 drive /draɪv/ を念頭に置けば,過去分詞 driven も */ˈdraɪv(ə)n/ となりそうなものですが,正しくは単母音をもつ /ˈdrɪv(ə)n/ となります.ちなみに過去形 drove /droʊv/ も母音の音質こそ交替しますが原形と同じように2重母音をもっています.過去分詞だけが単母音を示すのはなぜなのでしょうか.
英語史の観点からみていきます.古英語では,動詞は屈折(いわゆる活用のこと)の仕方によって様々に分類されていたのですが,この動詞に関していえば強変化第1類というグループに属していました.現代英語では drive(原形)-- drove(過去形)-- driven(過去分詞)と3つの主要形が認められますが,古英語では4つの主要形があり,問題の動詞でいえば drīfan(不定形)-- drāf(第1過去形)-- drifon (第2過去形)-- drifen (過去分詞)のように変化しました(当時 <v> の文字はなく <f> を用いていました),.ここで「第1過去形」と「第2過去形」のような区別があったことに驚くかもしれませんが,この区別は実は be 動詞の was と were に残っています(cf. 「#3812. was と were の関係」 ([2019-10-04-1])).
さて,不定形 drīfan と第1過去形 drāf には母音字の上に横棒(長音記号)が見えますが,この長母音が現代英語における原形 drive の2重母音,および過去形 drove の2重母音に連なります.古英語でも現代英語でも,2モーラの長い音であることに変わりはありません.そして,古英語の過去分詞 drifen の単母音のほうは,そのまま現代まで同じ単母音が保たれて driven となっています.英語の歴史を通じて,1モーラの短い音だったわけです.
強変化第1類に属する drīfan の仲間たちも,基本的には同じような歩みを経て現代に至っています.例えば現代英語の ride -- rode -- ridden, write -- wrote -- written は,古英語では各々 rīdan -- rād -- ridon -- riden, wrītan -- wrāt -- writon -- writen となり,いずれも過去分詞には単母音が現われます.
したがって,標題の素朴な疑問には,次のように答えられるでしょう.古英語の時代から現代に至るまで,drive (および仲間の動詞)については,原形に相当する形態は常に2モーラの長い母音をもっていたが,過去分詞は常に1モーラの短い母音をもっていた,ということです.
ただ,ちょっと気になる問題は残ります.ridden, written については各々 <d>, <t> の子音字が重なっており,それによって前の母音が短い /ɪ/ であることが効果的に示されています.子音字の重なっていない原形の ride, write とは,綴字上あきらかに異なっています.ところが,問題の driven については *drivven とは綴られておらず,あくまで原形 drive に似た driven という綴字です.子音字が重なっていないのです.
これは,英語の正書法には子音字 <v> を重ねることができないという特殊な規則があるからです.本当は重ねて *drivven としたいところですが,この規則ゆえにやむを得ず driven に甘んじている,ということです.では,なぜ <v> は重ねてはいけないのでしょうか.これはなかなか複雑な経緯があり,ここで解説することはできないのですが,もともと <v> は <u> の変異字体として遅れて発達してきたことが関与しています.関連して,ぜひ「#1827. magic <e> とは無関係の <-ve>」 ([2014-04-28-1]),「#4069. なぜ live の発音は動詞では「リヴ」,形容詞だと「ライヴ」なのですか?」 ([2020-06-17-1]) をお読みください.
will be doing の形式で表わされる未来進行形 (future progressive) の用法について.最も普通の使い方は,未来のある時点において進行中の出来事を表現するというものである.現在進行形の参照点が現在時点であり,過去進行形の参照点が過去時点であるのとまったく平行的に,参照点が未来時点の場合に用いるのが未来進行形ということだ.We'll be waiting for you at 9 o'clock tomorrow morning. や When you reach the end of the bridge, I'll be waiting there to show you the way. のような文である.この用法は大きな問題を呈しないだろう.
未来進行形のもう1つの用法は,確定的な単純未来(「成り行きの未来」)を明示する用法である.単純未来は will do の形式の未来時制によっても表現できるが,これだと意志未来の読みと区別がつかなくなるというケースが生じる.例えば I'll talk to him soon. では,話者の意志のこもった「近いうちに彼に話しかけるつもりだ」の意味か,単なる成り行きの「近いうちに彼に話しかけることになるだろう」ほどの意味か,文脈の支えがない限り両義的となる.このような場合に I'll be talking to him soon. と未来進行形にすることにより,成り行きの読みを明示的に示すことができる.
同様に Will you come to the party tonight? は「あなた今晩パーティに来ない?」という勧誘の意味なのか,「あなた今晩パーティに来ることになっている人?」ほどの純粋な疑問あるいは確認の意味なのかで両義的となりうる.後者の意味を明示的に表わしたい場合には,Will you be coming to the party tonight? を用いることができる.
歴史的には will do の未来表現は,願望・意志を表わした本動詞がその意味を漂白 (bleaching) させ,時制を表わすための助動詞へと文法化 (grammaticalisation) したものとされる(cf. 「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1]),「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1])).しかし,現代の助動詞 will とてすっかり「単純未来」へ漂白したわけではなく,原義をある程度残した「意志未来」も平行して行なわれている.これは文法化にしばしば生じる重層化 (layering) の事例である.重層化の結果,両義的となってしまったわけなので,いずれの意味かを明示したいケースも生じてくるだろう.そこで,本来「未来時点を参照点とする進行形」として発達してきた will be doing の形式を,「単純未来」を明示するのにも流用するという発想が生まれた.文法化の玉突きのようなことが起こっているようで興味深い.
上記のような事情があるため,通常は現在・過去進行形をとらない動詞が,未来進行形としては用いられる可能性が出てくる.He'll be owning his own house next year. のような例文を参照.
以上,主として Quirk et al. (§4.46) を参照して執筆した.なお,未来進行形の発達は19世紀以降の比較的新しい現象である.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
「英語史導入企画2021」より本日紹介するコンテンツは,院生による「映画『マトリックス』が英語にのこしたもの」.これだけでは何のことか分からないと思いますが,同映画から生まれた the red pill,the blue pill という口語表現に焦点を当てたコンテンツです.同コンテンツによれば「blue pill とは,世界の真実を知ることなく,自分が信じたいことだけを信じることができることを象徴し,一方,red pill は多少痛みを伴うような,厳しくつらい世の中の真実を知ることの象徴」とのこと.手近の辞書には未掲載でしたので,確かに新語(義)のようです.
さらにこの名詞句が品詞転換により動詞化し,We need to red pill it Canadians. (つらい現実に目を向ける必要があるのだ,カナダ人たちよ.)のように使われるというので,驚きました.to blue pill it もあるようです.つい先日「#4405. ポップな話題としての「句動詞の品詞転換」」 ([2021-05-19-1]) と題する記事にて「句動詞の名詞・形容詞への品詞転換」の事例を取り上げたばかりですが,今回は「名詞句の動詞への品詞転換」という逆の事例ということになります.今回のコンテンツも知らないことばかりで勉強になりました.
to red/blue pill it という新表現を見てふと思ったのですが,口語的な慣用句 (idiom) にしばしば現われる,動詞の目的語としての無意味な it というのは何なのでしょうかね.I made it. とか Take it easy. とか Damn it. とか.今回のケースのように口語的な文脈で新しく動詞化した語の場合には,そのまま裸で使うと落ち着きが悪いので,何となく it を添えて(他)動詞っぽさを出してみた,というような感じでしょうか.
もちろん英語に実質的な意味をもたない it の用法があることはよく知られています.prop/dummy/empty/expletive/introductory/ambient it などと様々に称されていますが,要するに何らかの文法的な機能は果たしているけれども,実質的な指示対象をもたず意味が空っぽ(に近い)というべき it の用法のことです.ただし,そのなかでも to red/blue pill it のような動詞の目的語となる it の無意味さは著しいように思われます.実際,Quirk et al. (§6.17n) ではこの種の it に触れ,「完璧に空っぽ」と表現しています.
Perhaps the best case for a completely empty or 'nonreferring' it can be made with idioms in which it follows a verb and has vague implications of 'life' in general, etc:
At last we've made it. ['achieved success']
have a hard time of it ['to find life difficult']
make a go of it ['to make a success of something']
stick it out ['to hold out, to preserve']
How's it going?
Go it alone.
You're in for it. ['You're going to be in trouble.']
OED の it, pron., adj., and n.1 によると,語義8aのもとで問題の用法が取り上げられています.初出は以下の通り16世紀前半のようです.
8.
a. As a vague or indefinite object of a transitive verb, after a preposition, etc. Also as object of a verb which is predominantly intransitive, giving the same meaning as the intransitive use, and as object of many verbs formed (frequently in an ad hoc way) from nouns meaning 'act the character, use the thing, indicated'.
Through verbs having corresponding nouns of the same form, as to lord, the construction seems to have been extended to other nouns as king, queen, etc. There may have been some influence from do it as a substitute, not only for any transitive verb and its object, but for an intransitive verb of action, as in 'he tried to swim, but could not do it', where it is the action in question.
?1520 J. Rastell Nature .iiii. Element sig. Eviv And I can daunce it gyngerly..And I can kroke it curtesly And I can lepe it lustly And I can torn it trymly And I can fryske it freshly And I can loke it lordly.
. . . .
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
この新年度に向けて始まったNHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストに,英語のソボクな疑問に関する連載記事を寄稿しています.読者層は中高生ですが,それだけに易しくかみくだいて執筆する必要があり,私にとってなかなかの課題です.内容は英語史の超入門です.関心のある方は是非テキストを手にとってみてください.先日6月号のテキストが発刊されました.第3回となる今回の話題は,必殺の「なぜ go の過去形は went になるの?」です.
なぜ go の過去形が *goed ではなく went というまったく異なる形になってしまうのでしょうか.端的に答えれば,語源の異なる類義語 wend の過去形である went が,こともあろうに go の過去形の席に割り込んできたからです.連載記事では用語こそ出していませんが,専門的には補充法 (suppletion) と呼ばれる現象です.どの言語にも観察される現象で,とりわけ超高頻度語に多くみられるという共通の特徴があります.補充法は一見不思議に思われますが,実は言語において理に適っているのです.連載記事では,その辺りを易しく解説しました.
補充法全般,とりわけ go/went の補充法については,本ブログでも様々な形で扱ってきましたので,以下にリンクを張っておきます.一気に読みたい方はこちらの記事セットからどうぞ.
・ 「#43. なぜ go の過去形が went になるか」 ([2009-06-10-1])
・ 「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1])
・ 「#4094. なぜ go の過去形は went になるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-07-12-1])
・ 「#3859. なぜ言語には不規則な現象があるのですか?」 ([2019-11-20-1])
・ 「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1])
・ 「#765. 補充法は古代人の実相的・質的・単一的な観念の表現か」 ([2011-06-01-1])
・ 「#3254. 高頻度がもたらす縮小効果と保存効果」 ([2018-03-25-1])
・ 「#694. 高頻度語と不規則複数」 ([2011-03-22-1])
・ 「#67. 序数詞における補充法」 ([2009-07-04-1])
・ 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])
・ 「#2090. 補充法だらけの人称代名詞体系」 ([2015-01-16-1])
・ 「#1580. 補充法研究の限界と可能性」 ([2013-08-24-1])
目下開催中の「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,昨日学部生より公表された「先生,進行形の ing って現在分詞なの?動名詞なの?」です.動詞の進行形の歴史をひもとき,形式上は現在分詞の構文の流れを汲んでいるが,機能上は動名詞の構文の流れを汲んでいることを指摘したコンテンツです.
be + -ing として表現される進行形 (progressive form) の起源と発達については,英語史上多くの議論がなされてきました.諸説紛々としており,今なお定説と呼べるものがあるかどうかも怪しい状況です.研究史については Mustanoja (584--90) によくまとまっています.以下,それに依拠して概略を述べましょう.
古英語には,現代英語の be + -ing の前駆体というべき構文として wesan/beon + -ende がありました.当時の現在分詞は -ende という形態を取っており,後に込み入った事情で -ing に置き換えられたという経緯があります(cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]),「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])).古英語の wesan/beon + -ende は,確かに継続を含意する文脈で用いられることもありましたが,そうでないことも多く,機能的には後世の進行形に直接つながるものかどうかは不確かです.また,起源としてはラテン語の対応する構文の模倣であるとも言われています.中英語期に入ると,この構文はむしろ目立たなくなります.方言によっても生起頻度に偏りがみられました.しかし,中英語後期にかけて着実に成長し始め,近現代英語の進行形に連なる流れを作り出しました.典型的に継続を表わす現代的な用法が発達し確立したのは,16世紀以降のことです.
進行形の起源と発達をざっと概観しましたが,その詳細は実に複雑で,英語史研究上,喧喧諤諤の議論が繰り広げられてきました.古英語の対応構文からの地続きの発達であるという説もあれば,後世の「on + 動名詞」の構文からの派生であるという説もあります.この2つの説を組み合わせた穏当な第3の説も提案されており,これが今広く受け入れられている説となっているようです.
他言語からの影響による発達という議論も多々あります.上述の通り,古英語の wesan/beon + -ende はラテン語の対応構文を模倣したものであるというのが有力な説です.中英語期での使用については,古フランス語の対応構文の影響も疑われています.さらに,ケルト語影響説まで提案されています(cf. 「#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について」 ([2019-08-07-1])).
進行形は,このように英語史研究の魅力的な題材であり続けています.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
日本英語英文学会30周年記念号として,こちらの本が出版されています(先日ご献本いただきまして,関係の先生方には感謝申し上げます).
・ 渋谷 和郎・野村 忠央・女鹿 喜治・土居 峻(編) 『今さら聞けない英語学・英語教育学・英米文学』 DTP出版,2020年.
上記リンク先より目次が閲覧できますが,英語学・英語教育学・英米文学の各分野から,重要なキーワード,トピック,テーマが厳選されています.ページがきれいに偶数で揃っていることからも想像できる通り,すべての話題がページ見開きで簡潔に記述されているというのが本書の最大の特徴だと思います.ありそうでなかった試みとして,この工夫には感心してしまいました.各々の記述は簡潔ではあるものの,他の文献への参照も多く施されており,卒業論文やレポートなどの研究テーマ探しにもたいへん役立つのではないかと思いました(私自身もさっそくゼミ生などに紹介しました).
英語学分野で取り上げられている話題を一覧すると,各著者の専門分野に応じて理論的なものから文献学的ものまで幅広くカバーされていますが,ここでは英語史の観点から2つほどピックアップしてみます.
野村忠央氏による「定形性」(§52)は,動詞の定形 (finite form) と非定形 (non-finite form) という用語・概念に関する導入となっています.英語史において動詞の現在形,接続法(あるいは仮定法),命令形,不定詞は形態がおよそ「原形」に収斂してきた経緯がありますが,形態が同じだからといって機能が同じわけではないことが理論的かつ平易に解説されています.また,形が常に一定で変わらないのに「不定詞」という呼び方はおかしいのではないか,という誰しもが抱く疑問にも易しく答えています.
定形とも非定形とも考えられそうな歴史上の「接続法現在」について,村上まどか氏が「仮定法原形」(§64)で取り上げているので,こちらも紹介します.I demand that the student go to school regularly. のような文における go の形態や関連する統語を巡る問題です.この問題についていくつかの参考文献を挙げながら解説し,この用法においては that 節が省略されにくいなどの興味深い事実を指摘しています.こちらも英語史上の重要問題です.
上記2つの問題と関連する hellog からの記事セットをこちらにまとめましたので,関心のある方はどうぞ.
本書で参照されている参考文献を利用して視野を広げていけば,よい研究テーマにたどり着く可能性があります.教育的配慮の行き届いた書としてお薦めします.
・ 渋谷 和郎・野村 忠央・女鹿 喜治・土居 峻(編) 『今さら聞けない英語学・英語教育学・英米文学』 DTP出版,2020年.
1年ほど前に,大学生より英語に関する素朴な疑問をたくさん提供してもらったことがある.そのなかの1つに,標題の趣旨の疑問があった(なお,疑問の原文は「なぜ現在分詞 -ing には過去分詞のような不規則動詞が存在しないのか」).つい最近この疑問について考え始めてみたのだが,まったくもって素朴ではない疑問であることに気づいた.おもしろいと思い,目下,院生・ゼミ生を総動員(?)して議論している最中である.
この疑問の何がおもしろいかといえば,第1に,こんな疑問は思いつきもしなかったから.英語学習者は皆,動詞の活用に悩まされてきたはず.その割には,現在分詞(動名詞も同様だが)だけはなぜか -ing で一貫している.これは嬉しい事実ではあるが,ちょっと拍子抜け.どうしてそうなのだろうか.という一連の思考回路が見事なのだと思う.-ing にも綴字については若干の不規則はあるのだが,無視してよい程度の問題である(cf. 「#3069. 連載第9回「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」」 ([2017-09-21-1])).
このように素晴らしい発問だと感銘を受けて挑戦し始めたのはよいが,実は難問奇問.どうにも答えが出ない.そこで,なぜこの疑問が難しいのかをメタ的に考えてみた.2点ほどコメントしたい.
(1) お題は大学生から出された素朴な疑問.「なぜ A は不規則なのに B は規則的なのか?」という疑問形式となっているが,よく考えてみると,これは「素朴な」疑問から一歩も二歩も抜け出した,むしろかなり高度な問い方ではないか.英語初学者が発するような疑問は,たいてい「なぜ B は規則的なのに A は不規則なのか?」となるのが自然である.今回のケースでいえば「なぜ現在分詞は -ing で規則的なのに過去分詞には不規則なものが多いのか?」という発問のほうが普通ではないか.後者の疑問であれば,現在分詞の -ing が規則的であることは特に説明を要さず,過去分詞に不規則なものが多い理由を答えればよい.おそらく,こちらのほうが答えるにはより易しい質問となるだろう(ただし,これとて決して易しくはない).
(2) もともと現在分詞と過去分詞の2者を対比したところに発する疑問である.確かに両者とも名前に「分詞」 (participle) を含み,自然と比較対象になりやすいわけだが,比較対象をこの2種類に限定せず,より広く non-finite verb forms とすると,もう少し視界が開けてくるのではないか.具体的にいえば,現在分詞と過去分詞に加えて,動名詞と不定詞も考慮してみるのはどうだろうか.現在分詞と動名詞は形式上は常に一致しているので,実際上は新たに考慮に加えるべきは不定詞ということになる.不定詞というのは現代英語としては原形にほかならず,それが基点というべき存在なので,不規則も何もない(ただし be 動詞は別にしたほうがよさそうである).とすると,4種類ある non-finite verb forms のなかで,3種類までが規則的で,1種類のみ,つまり過去分詞のみが不規則ということになる.共時的にみる限り,上記 (1) で示唆したことと合わせて,「なぜ過去分詞形のみが不規則なのか?」と問い直すほうが,少なくとも回答のためには有益のように考える.
ということで,当初の発問の切れ味に感じ入って,やや目がくらまされていたところがあるが,少なくとも考察にあたっては言い換えたほうの発問を基準とするのがよいと思っている.もちろんそれにしても難しい問題で,私自身もあるアイディアは持っているが,まったく心許ないので,もっと議論や調査を深めていきたいと思っている.本ブログの読者の皆さんにも1つの話題ということで提供した次第です.
参考までに,現在分詞に関する過去の記事として,以下を挙げておきたい.
・ 「#790. 中英語方言における動詞屈折語尾の分布」 ([2011-06-26-1])
・ 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1])
・ 「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])
・ 「#4345. 古英語期までの現在分詞語尾の発達」 ([2021-03-20-1])
・ 「#4344. -in' は -ing の省略形ではない」 ([2021-03-19-1]
1年ほど前に,大学生より英語に関する素朴な疑問をたくさん提供してもらったことがある.そのなかの1つに,標題の趣旨の疑問があった(なお,疑問の原文は「なぜ現在分詞 -ing には過去分詞のような不規則動詞が存在しないのか」).つい最近この疑問について考え始めてみたのだが,まったくもって素朴ではない疑問であることに気づいた.おもしろいと思い,目下,院生・ゼミ生を総動員(?)して議論している最中である.
この疑問の何がおもしろいかといえば,第1に,こんな疑問は思いつきもしなかったから.英語学習者は皆,動詞の活用に悩まされてきたはず.その割には,現在分詞(動名詞も同様だが)だけはなぜか -ing で一貫している.これは嬉しい事実ではあるが,ちょっと拍子抜け.どうしてそうなのだろうか.という一連の思考回路が見事なのだと思う.-ing にも綴字については若干の不規則はあるのだが,無視してよい程度の問題である(cf. 「#3069. 連載第9回「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」」 ([2017-09-21-1])).
このように素晴らしい発問だと感銘を受けて挑戦し始めたのはよいが,実は難問奇問.どうにも答えが出ない.そこで,なぜこの疑問が難しいのかをメタ的に考えてみた.2点ほどコメントしたい.
(1) お題は大学生から出された素朴な疑問.「なぜ A は不規則なのに B は規則的なのか?」という疑問形式となっているが,よく考えてみると,これは「素朴な」疑問から一歩も二歩も抜け出した,むしろかなり高度な問い方ではないか.英語初学者が発するような疑問は,たいてい「なぜ B は規則的なのに A は不規則なのか?」となるのが自然である.今回のケースでいえば「なぜ現在分詞は -ing で規則的なのに過去分詞には不規則なものが多いのか?」という発問のほうが普通ではないか.後者の疑問であれば,現在分詞の -ing が規則的であることは特に説明を要さず,過去分詞に不規則なものが多い理由を答えればよい.おそらく,こちらのほうが答えるにはより易しい質問となるだろう(ただし,これとて決して易しくはない).
(2) もともと現在分詞と過去分詞の2者を対比したところに発する疑問である.確かに両者とも名前に「分詞」 (participle) を含み,自然と比較対象になりやすいわけだが,比較対象をこの2種類に限定せず,より広く non-finite verb forms とすると,もう少し視界が開けてくるのではないか.具体的にいえば,現在分詞と過去分詞に加えて,動名詞と不定詞も考慮してみるのはどうだろうか.現在分詞と動名詞は形式上は常に一致しているので,実際上は新たに考慮に加えるべきは不定詞ということになる.不定詞というのは現代英語としては原形にほかならず,それが基点というべき存在なので,不規則も何もない(ただし be 動詞は別にしたほうがよさそうである).とすると,4種類ある non-finite verb forms のなかで,3種類までが規則的で,1種類のみ,つまり過去分詞のみが不規則ということになる.共時的にみる限り,上記 (1) で示唆したことと合わせて,「なぜ過去分詞形のみが不規則なのか?」と問い直すほうが,少なくとも回答のためには有益のように考える.
ということで,当初の発問の切れ味に感じ入って,やや目がくらまされていたところがあるが,少なくとも考察にあたっては言い換えたほうの発問を基準とするのがよいと思っている.もちろんそれにしても難しい問題で,私自身もあるアイディアは持っているが,まったく心許ないので,もっと議論や調査を深めていきたいと思っている.本ブログの読者の皆さんにも1つの話題ということで提供した次第です.
参考までに,現在分詞に関する過去の記事として,以下を挙げておきたい.
・ 「#790. 中英語方言における動詞屈折語尾の分布」 ([2011-06-26-1])
・ 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1])
・ 「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])
・ 「#4345. 古英語期までの現在分詞語尾の発達」 ([2021-03-20-1])
・ 「#4344. -in' は -ing の省略形ではない」 ([2021-03-19-1]
昨日の記事「#4344. -in' は -ing の省略形ではない」 ([2021-03-19-1]) で現在分詞語尾の話題を取り上げた.そこで簡単に歴史を振り返ったが,あくまで古英語期より後の発達に触れた程度だった.今回は Lass (163) に依拠して,印欧祖語からゲルマン祖語を経て古英語に至るまでの形態音韻上の発達を紹介しよう.
The present participle is morphologically the same in both strong and weak verbs in OE: present stem (if different from the preterite) + -ende (ber-ende, luf-i-ende. etc.). All Gmc dialects have related forms: Go -and-s, OIc -andi, OHG -anti. The source is an IE o-stem verbal adjective, of the type seen in Gr phér-o-nt- 'bearing', with a following accented */-í/, probably an original feminine ending. This provides the environment for Verner's Law, hence the sequence */-o-nt-í/ > */-ɑ-nθ-í/ > */-ɑ-nð-í/, with accent shift and later hardening */-ɑ-nd-í/, then IU to /-æ-nd-i/, and finally /-e-nd-e/ with lowering. The /-i/ remains in the earliest OE forms, with are -ændi, -endi.
様々な音変化 (sound_change) を経て古英語の -ende にたどりついたことが分かる.現在分詞語尾は,このように音形としては目まぐるしく変化してきたようだが,基体への付加の仕方や機能に関していえば,むしろ安定していたようにみえる.この安定性と,同根語が印欧諸語に広くみられることも連動しているように思われる.
また,音形の変化にしても,確かに目まぐるしくはあるものの,おしなべて -nd- という子音連鎖を保持してきたことは注目に値する.これはもともと強勢をもつ */-í/ が後続したために,音声的摩耗を免れやすかったからではないかと睨んでいる.また,この語尾自体が語幹の音形に影響を与えることがなかった点にも注意したい.同じ分詞語尾でも,過去分詞語尾とはかなり事情が異なるのだ.
古英語以降も中英語期に至るまで,この -nd- の子音連鎖は原則として保持された.やがて現在分詞語尾が -ing に置換されるようになったが,この新しい -ing とて,もともとは /ɪŋɡ/ のように子音連鎖をもっていたことは興味深い.しかし,/ŋɡ/ の子音連鎖も,後期中英語以降は /ŋ/ へと徐々に単純化していき,今では印欧祖語の音形にみられた子音連鎖は(連鎖の組み合わせ方がいかようであれ)標準的には保持されていない(cf. 「#1508. 英語における軟口蓋鼻音の音素化」 ([2013-06-13-1]),「#3482. 語頭・語末の子音連鎖が単純化してきた歴史」 ([2018-11-08-1])).
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
Samuel Johnson の辞書 A Dictionary of the English Language (1755) には,名詞を示す略号として,現在見慣れている n. ではなく n.s. が用いられている.名詞 stone の項目の冒頭をみてみよう.
見出し語に続いて,イタリック体で n. ʃ. が見える.(当時の小文字 <s> はいわゆる long <s> と呼ばれるもので,現在のものと異なるので注意.long <s> については,「#584. long <s> と graphemics」 ([2010-12-02-1]),「#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s>」 ([2017-07-11-1]),「#3869. ヨーロッパ諸言語が初期近代英語の書き言葉に及ぼした影響」 ([2019-11-30-1]),「#3875. 手書きでは19世紀末までかろうじて生き残っていた long <s>」 ([2019-12-06-1]) などを参照.)
n.s. は,伝統的に名詞を指した noun substantive の省略である.現在の感覚からはむしろ冗長な名前のように思われるかもしれないが,ラテン語文法の用語遣いからすると正当だ.ラテン語文法の伝統では,格により屈折する語類,すなわち名詞と形容詞をひっくるめて "noun" とみなしていた.後になって名詞と形容詞を別物とする見方が生まれ,前者は "noun substantive",後者は "noun adjective" と呼ばれることになったが,いずれもまだ "noun" が含まれている点では,以前からの伝統を引き継いでいるともいえる.Dixon (97) から関連する説明を引用しよう.
Early Latin grammars used the term 'noun' for all words which inflect for case. At a later stage, this class was divided into two: 'noun substantive' (for words referring to substance) and 'noun adjective' (for those relating to quality). Johnson had shortened the latter to just 'adjective' but retained 'noun substantive', hence his abbreviation n.s.
引用にもある通り,形容詞のほうは n.a. ではなく現代風に adj. としているので,一貫していないといえばその通りだ.形容詞 stone の項目をみてみよう.
ちなみに,ここには動詞 to stone の見出しも見えるが,品詞の略号 v.a. は,verb active を表わす.今でいう他動詞 (transitive verb) をそう呼んでいたのである.一方,自動詞 (intransitive verb) は,v.n. (= verb neuter) だった.
文法用語を巡る歴史的な問題については,「#1257. なぜ「対格」が "accusative case" なのか」 ([2012-10-05-1]),「#1258. なぜ「他動詞」が "transitive verb" なのか」 ([2012-10-06-1]),「#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか」 ([2013-06-25-1]),「#3307. 文法用語としての participle 「分詞」」 ([2018-05-17-1]),「#3983. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (1)」 ([2020-03-23-1]),「#3984. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (2)」 ([2020-03-24-1]),「#3985. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (3)」 ([2020-03-25-1]),「#4317. なぜ「格」が "case" なのか」 ([2021-02-20-1]) などを参照.
・ Dixon, R. M. W. The Unmasking of English Dictionaries. Cambridge: CUP, 2018.
methinks --- 『スターウォーズ』のファン,とりわけジェダイ・マスターであるヨーダ (Yoda) のファンであれば,嬉しくてたまらない表現だろう.これは,かつての非人称動詞 (impersonal_verb) の生きた化石である.現代では,ジェダイ・マスター以外の口から発せられることはないかといえばそうでもなく BNCweb では,過去形 methought も合わせて,実に72例がヒットした.いくつか挙げてみよう.
・ 'Nay, on the contrary --- it is but the beginning methinks.'
・ 'Heaven alone knows --- but --- the lady doth protest too much, methinks.'
・ Methinks the lady doth protest, as old Bill put it.'
・ 'Methought you knew all about it,' pointed out Joan.
・ I was given the news last midnight and methought I would drown in the sorrow of my tears!'
もっとも,文脈を眺めればいずれも擬古的あるいは戯言的な用法と分かるので,あくまで文体的には有標の表現といってよいだろう.
methinks は,現代の普通の表現でいえば I think (that) や It seems to me (that) に相当する.歴史的には,第1音節の me は1人称単数代名詞の与格であり,thinks は "it seems" を意味する古英語の人称動詞 þynċan にさかのぼる.形態的にも意味的にも現代英語の think (思う,考える)(古英語 þenċan)と酷似しており,古くから深い関係にはあることは間違いないが,OED などの歴史的な辞書では両動詞はたいてい別扱いとなっているので,区別してとらえておくのがよい.
非人称動詞・構文とその歴史については,「#204. 非人称構文」 ([2009-11-17-1]) 辺りの記事を読んでいただきたいが,簡単にいえば主語を要求しない動詞・構文のことである.現代英語では,たとえ形式的であれ,とにかく主語を立てなければ文が成り立たないが,古英語や中英語では,主語を立てる必要のない(というよりも,立てることのない)構文がいくらでも存在した.主語が省略されているのではなく,最初から主語の立つことが前提とされていない構文である.そのような構文では,現代英語であれば主語として立つような参与者が与格で表現される(例えば I ではなく me)のが典型的である.なお,主語がないにもかかわらず,動詞は3人称単数主語に対応した屈折形を取る.
methinks はそのような非人称構文の典型例であり,頻度が高いために,与格 me と動詞 thinks が癒着して methinks と綴られるようになったものである.どこまでいっても論理的主語が現われないので,現代英語の発想から統語分析しようとすると何とも落ち着かないのだが,実際には分析されることもなく,固定したフレーズとして記憶されているにすぎない.
最近,この非人称動詞の歴史について調べる必要が生じ,まずは Helsinki Corpus にて歴史的な例を集めてみることにした.試行錯誤して "\bm[ie]+c? ?(th|@t|@d)([eiy]ng?[ck]+|[ou]+([gh]|@g)*t)" なる正規表現を組み,XML Helsinki Corpus Browser で case-insensitive で検索した.これにより,ひとまず authentic な例が111件(ゴミもあるかもしれないが)を集めることができた.関心のある方は,ぜひお試しを.
動詞としても助動詞としても超高頻度語である have .超高頻度語であれば不規則なことが起こりやすいということは,皆さんもよく知っていることと思います.ですが,have の周辺にはあまりに不規則なことが多いですね.
まず,<have> と綴って /hæv/ と読むことからして妙です.gave /geɪv/, save /seɪv/, cave /keɪv/ と似たような綴字ですから */heɪv/ となりそうなものですが,そうはなりません.have の仲間で接頭辞 be- をつけただけの behave が予想通り /biˈheɪv/ となることを考えると,ますます不思議です.
次に,3単現形が *haves ではなく has となるのも妙です.さらに,過去(分詞)形が *haved ではなく had となるのも,同様に理解できません.なぜ普通に *haves や *haved となってくれないのでしょうか.では,この3つの疑問について,英語史の立場から答えてみましょう.音声解説をどうぞ.
そうです,実は中英語期には /hɑːvə/ など長い母音をもつ have の発音も普通にあったのです.これが続いていれば,大母音推移 (gvs) を経由して現代までに */heɪv/ となっていたはずです.しかし,あまりに頻度が高い語であるために,途中で短母音化してしまったというわけです.
同様に,3単現形や過去(分詞)形としても,中英語期には今ではダメな haves や haved も用いられていました.しかし,13世紀以降に語中の /v/ は消失する傾向を示し,とりわけ超高頻度語ということもあってこの傾向が顕著に表われ,結果として has や had になってしまったのです./v/ の消失は,head, lord, lady, lark, poor 等の語形にも関わっています(逆にいえば,これらの語には本来 /v/ が含まれていたわけです).
一見不規則にみえる形の背景には,高頻度語であること,そして音変化という過程が存在したのです.ちゃんと歴史的な理由があるわけですね.この問題に関心をもった方は,##4065,2200,1348の記事セットにて詳しい解説をお読みください.
英語の動詞には接頭辞 en- をもつものが多くあります.encourage, enable, enrich, empower, entangle などです.一方,接尾辞 -en をもつ動詞も少なくありません.strengthen, deepen, soften, harden, fasten などです.さらに,語頭と語末の両方に en の付いた enlighten, embolden, engladden のような動詞すらあります.接頭辞にも接尾辞にもなる,この en とはいったい何者なのでしょうか.では,音声の解説をどうぞ.
意外や意外,接頭辞 en- と接尾辞 -en はまったく別語源なのですね.接頭辞 en- は,ラテン語の接頭辞 in- に由来し,フランス語を経由して少しだけ変形しつつ,英語に入ってきたものです.究極的には英語の前置詞 in と同語源で,意味は「中へ」です.この接頭辞を付けると「中へ入る」「中へ入れる」という運動が感じられるので,動詞を形成する能力を得たのでしょう.名詞や形容詞,すでに動詞である基体に付いて,数々の新たな動詞を生み出してきました.
一方,接尾辞 -en はラテン語由来ではなく本来の英語的要素です.古英語で他動詞を作る接尾辞として -nian がありましたが,その最初の n の部分が現代の接尾辞 -en の起源です.形容詞や名詞の基体に付いて新たな動詞を作りました.
このように接頭辞 en- と接尾辞 -en は語源的には無関係なのですが,形式の点でも,動詞を作る機能の点でも,明らかに類似しており,関係づけたくなるのが人情です.比較的珍しいものの,enlighten のように頭とお尻の両方に en の付く動詞があるのも分かるような気がします.
英語史や英単語の語源を学習していると,一見関係するようにみえる2つのものが,実はまったくの別物だったと分かり目から鱗が落ちる経験をすることが多々あります.今回の話題は,その典型例ですね.
今回取り上げた接頭辞 en- と接尾辞 -en について,詳しくは##1877,3510の記事セットをご覧ください.
連日の記事で,國分(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』の議論を紹介している(cf. 「#4205. 國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』」 ([2020-10-31-1]),「#4207. 「先に名詞ありき,遅れて動詞が生じた」説」 ([2020-11-02-1]),「#4208. It rains. は行為者不在で「降雨がある」ほどの意」 ([2020-11-03-1]),「#4210. 人称の出現は3人称に始まり,後に1,2人称へと展開した?」 ([2020-11-05-1])).最近,学生たちと動詞について広く議論しているところだったので,動詞の理解を深めるのにおおいに参考とさせてもらっている.
國分 (175--76) は,動詞のあり方という観点から,印欧語の(前史を含んだ)長い歴史を,標記のように提示している.大きな仮説だが,これは認知言語学的な観点からみてもきわめて示唆に富む(以下では原文の太字あるいは圏点を太字で示している).
「出来事が主,行為者が従だった時代」
われわれは一万年以上に及ぶかもしれぬ長大な歴史を俯瞰した.
では,「共通基語」の時代よりも前の状態から始まるインド=ヨーロッパ語の変化の歴史を,以上のように動詞および態の変化という観点から眺めたとき,そこに見出される方向性とは何か? この途方のない問いにあえて答えてみよう.
この変化の歴史の一側面を,出来事を描写する言語から,行為者を確定する言語への以降の歴史として描き出せるように思われる.
名詞的構文の時代,動作は単なる出来事として描かれた.そこから生まれた動詞も,当初は非人称形態にあり,動作の行為者ではなくて出来事そのものを記述していた.
だが動詞は後に人称を獲得し,それによって,動詞が示す行為や状態を主語に結びつける発想の基礎がそこに生まれる.とはいえ,動詞がその後に態という形態を獲得した後も,動詞と行為者との関係については,動作プロセスの内側に行為者がいるのか,それともその外側にいるのかが問われるままに留まっていた.そこにあったのは能動と中動の区分だったからだ.
だがその後,動詞はより強い意味で行為を行為者に結びつけるようになる.能動と受動の区別によって,行為者が自分でやったのかどうかが問われるようになるからだ.
この仮説によると,印欧語は,動詞の表わす動作そのものに注目する言語から,動作の主は誰なのかに異常な関心を示す言語へと化けたことになる.國分 (178) は上の引用の後の節で,行き着いた先の言語を「出来事を私有化する言語」とも呼んでいる.
現代英語に照らしていえば,主語と目的語,自動詞と他動詞,能動態と受動態など,種々の統語的差異に神経質な言語となっているが,それは「動作の行為者を確定させたいフェチ」の言語だからということになろうか.
・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.
先日の「#4207. 「先に名詞ありき,遅れて動詞が生じた」説」 ([2020-11-02-1]) と「#4208. It rains. は行為者不在で「降雨がある」ほどの意」 ([2020-11-03-1]) の記事に引き続き,國分(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』に依拠しつつ,今回は動詞の態 (voice) の問題から人称 (person) の問題へと議論を展開させたい.
先の記事でみたように,印欧祖語よりさらに遡った段階では,It rains. のような非人称構文(中動態的な構文)こそがオリジナルの動詞構文を反映していたという可能性がある.仮にこの説を受け入れるならば,人称構文はそこから派生した2次的な構文ということになろう.
これは動詞の問題にとどまらず,印欧語における人称とは何かという問題にも新たな光を投げかける.非人称的・中動態的な構文こそが原初の動詞構文だとすると,そこに人称という発想が入り込む余地はない.人称という文法カテゴリー (category) を前提としている現代の私たちからすれば,もし「その原初構文の人称は何か」と問われるのであれば,とりあえず(断じて1人称でも2人称でもないという意味で)消極的に「3人称」と答えることになるかもしれない.しかし,人称という文法カテゴリーが未分化だったとおぼしき,印欧祖語より前のこの仮説的な言語体系の内部から,同じ問題に答えようとすると,何とも答えに窮するのである.
しかし,やがてこのような未分化の状態から,主体としての「私」と,私の重要な話し相手である「あなた」が前景化される契機が訪れ,それぞれが人称という文法カテゴリーを構成する重要な成員(後の用語でいう「1人称」と「2人称」)となった.一方,先の時代には名状しがたいものであった何かが,多分に消極的な動機づけで「3人称」と名づけられることになった.かくして1,2,3人称という区分ができあがり,現在に至る.と,こんなストーリーが描けるかもしれない.
國分 (171) は,この点について次のように解説している(以下では原文の太字あるいは圏点を太字で示している).
「私に悔いが生じる」から「私が悔いる」へ
これはつまり,動詞の歴史のなかで人称の概念はずいぶんと後になって発生したものだということでもある.
たとえば,「私が自らの過ちを悔いる」と述べたいとき,ラテン語には非人称の動詞を用いた "me paenitet culpae meae" という表現があるが,これは文字通りには「私の過ちに関して,私に悔いが生じる」と翻訳できる(私が悔いるのではなく,悔いが私に生ずるのだから,これは「悔い」なるものを表現するうえで実に的確な言い回しと言わねばならない).
だが,このような言い回しは人称の発達とともに動詞の活用に取って代わられていく.同じ動詞を一人称に活用させた paeniteo (私が悔いる)という形態が代わりに用いられるようになっていくからである.
このような人称の歴史はその名称がもたらすある誤解を解いてくれる.動詞の非人称形態が後に「三人称」と呼ばれることになる形態に対応することを考えると,一人称(私)や二人称(あなた)の概念は動詞の歴史において,後になってから現われてきたものだということになる.
「私」に「一人称」という名称が与えられているからといって,人称が「私」から始まったわけではない.「私」(一人称)が,「あなた」(二人称)へと向かい,さらにそこから,不在の者(三人称)へと広がっていくというイメージはこの名称がもたらした誤解である.
印欧語において,また言語一般において,人称とは何かという問題の再考を促す指摘である.この問題については「#3463. 人称とは何か?」 ([2018-10-20-1]),「#3468. 人称とは何か? (2)」 ([2018-10-25-1]),「#3480. 人称とは何か? (3)」 ([2018-11-06-1]),「#2309. 動詞の人称語尾の起源」 ([2015-08-23-1]) をはじめ person の各記事を参照.
・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.
素朴な疑問のなかでもとびきりの難問の1つが It rains. の It とは何かという問いである.昨日の記事「#4207. 「先に名詞ありき,遅れて動詞が生じた」説」 ([2020-11-02-1]) で少し触れたが,いまだに解決には至らない.軽々に扱えない深い問題である.しかし,考えるヒントはある.
すでに本ブログでも何度か触れてきた國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』では,It rains. のような非人称構文で用いられる動詞,いわゆる非人称動詞 (impersonal_verb) は動詞の原初の形であると論じられている.昨日の記事 ([2020-11-02-1]) で紹介したように,國分は動詞は名詞から派生したものと考えているので,その点ではここの rains のような動詞は,名詞から一歩だけ動詞の領域に踏み込んだ動詞の赤ちゃんのような性質をおおいに保持しているということになる.関係する部分 (169--171) を少々長く引用しよう(以下では原文の太字あるいは圏点を太字で示している).
It rains は「例外」ではなく「起源」である
動詞が文法体系において新しいものであり,もともとは,動作名詞によって行為を表現する名詞的構文が利用されていたのだとすれば,現在のわれわれの動詞の捉え方そのものが変更を迫られよう.問題になるのは,いわゆる非人称構文である.
英語の "It rains" という例文でよく知られる動詞の非人称的使用は,われわれには一種の例外,あるいは破格のように見える.主語として置かれた it が何ものをも指示していないからである.ラテン語の "tonat" (雷が鳴る)やギリシア語の "ὕει" (雨が降る)も同様の表現だが,これら三人称に活用した動詞はいずれもいかなる主語にも対応していない.
だが,これらの文が例外的に思えるのは,「動詞の諸形態は行為や状態を主語に結びつけるものだ」という考えにわれわれが慣れきってしまっているからに過ぎない.非人称構文は,実際のところ,動詞の最古の形態を伝えるものだからである.
〔中略〕
とすると,動作名詞がその後たどった歴史がおおよそ次のように憶測できる.動作を示すことを担っていた語群(動作名詞)が,ある特殊な地位を獲得し,それによって名詞から区別されるようになる.動詞の原始的形態の発生である.しかし,それらはまだ名詞と完全に切り離されてはいない.名詞であった頃の特徴を完全に放棄してはいない.つまり,動作を表すことはできても,自在に人称を表す目印のようなものを直ちに獲得したわけではない.
こうしてまずは単に動作あるいは出来事だけを表示する動詞が生まれる.コラールの言うところの「単人称 unipersonal」の動詞の創造である.
これはまさに〈単人称〉動詞の創造というべきものであって,ここで〈動詞〉は行為をある程度生命のあるものにしたけれども,しかしなおそれを,個体化された行為者と関連づけることなしに,つまり,非人称的に表現したのである.
〔中略〕
動詞を「個体化された行為者」と結びつけたがる今日のわれわれの意識では,こうした文は例外のように思われるが,〈名詞的構文〉から発展した動詞の最初期にあったのは,このような言い回しであったということである.動詞はもともと,行為者を指示することなく動作や出来事だけを指し示していた.
この洞察から,It rains. の謎にも迫ることができそうだ.It rains. は,行為者不在のままに「降雨がある」という事実を言い表わしているにすぎないということだ.It が何を指すのかという問いは私たちにとって自然な問いのようにみるが,その問い方自体を疑ってみる必要がある.
・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.
「#4205. 國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』」 ([2020-10-31-1]) で紹介した著書に,印欧祖語以前の段階では,まず名詞的構文があり,後から動詞的構文が生じたという仮説を紹介している部分がある (165--66) .
中動態や能動態といった態の概念は,言うまでもなく動詞に結びついている.動詞は今日われわれの知るインド=ヨーロッパ諸語において,文の中枢を担うものに見える.つまり,動詞がない言語を想像することは難しい.
しかし,実は動詞は言語のなかにずいぶんと遅れて生じてきた要素であることが分かっている.フランスの古典学者ジャン・コラールは,その著書『ラテン文法』のなかで次のように述べている.
「動詞はわれわれには文の中枢的要素であるようにみえるが,今日われわれが知っているような形でのそれは,実は文法範疇のなかで遅れて生じてきたものなのである.〈動詞的〉構文以前においては〈名詞的〉構文があったのであり,そのかなめは動詞ではなくて動作名詞であった」.
では,動詞が遅れて生じた要素であったとしたら,それはいつ頃生じたものなのだろうか?
もちろん正確な年代を確定することはできないが,同書の訳者,有田潤が指摘するように,インド=ヨーロッパ諸語の共通の起源として想定されている「共通基語」はすでに動詞をもっていたと考えられるので,ここでコラールが言及しているのはそれ以前の時代の言語ということになる.
このような観点に立つと,名詞的構文から派生したとおぼしき動詞(的構文)の残滓は,印欧諸語のなかに至るところに見つかる(←ここで能動態的に「見つけられる」としようかと思ったが,中動態的に「見つかる」としておいた).非人称動詞 (impersonal_verb) を用いた非人称構文がその代表格だろう.たとえば現代英語で It seems to me . . . や It rains. というとき,そこには動詞的な意味合いを多分に含みつつもあくまで名詞的構文であった時代の匂いが残っていると見ることができる.形式主語と呼ばれるダミーの It は,体裁を整えるために添えられたの文字通りのお飾りであり,この構文の要諦は seems や rains が内包する名詞的な「外観」や「降雨」にほかならない.
現代統語理論の句構造分析においては,動詞の存在が前提とされている.そして,その動詞を取り巻くように他の要素(項)が配置されるという洞察が一般的である.しかし,上記に照らせば,これは言語の統語論的前提として普遍的に受け入れられるものではないのかもしれない.
・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.
先日,大学の授業でコーパスセミナーを開催した.BNCweb, COCA, COHA, EEBO corpus などの代表的な共時的・通時的英語コーパスに初めて触れる学部生に,使用経験者である大学院生が講師としてコーパス利用のいろはを指南するという Zoom によるオンライン企画である.
一見,コーパス利用というのは初心者にはハードルが高いと思われがちが,適切な導入があれば,複雑な検索や応用的な利用法は別にしても,十分にその日から便利に使いこなすことができる.
しかし,意外と落とし穴となり得るのは,コーパス周りの用語 (terminology) かもしれない.例えば「love を動詞で POS 指定して lemma 検索をし,その concordance line を KWIC で表示させ,前後数語のフレームで collocation を取ってから log-likelihood を出しておいてね.必要に応じて noise をマニュアルで除去しておいてよ.」などという指示を,初心者の誰が理解できようか! ということで,コーパス周りの術語(というよりもジャーゴン)を少しずつ解説してきたい.
今回は lemma (レンマ,レマ)について.平たくいえば,辞書を念頭においた上でその「見出し語」だと思えばよい.動詞 love を例に取れば,実際の英文のなかでは,不定詞・現在形・命令形など love という裸の形態で生起することもあれば,3単現の loves として出現することもあるし,過去(分詞)形の loved や現在分詞・動名詞形の loving で現われることもあるだろう(「崩れた」lovin' 等として起こるかもしれない).love のこれらの諸形態は,確かに互いに少しずつ異なっているが,各々が異なる単語というわけではない.あくまで代表的・抽象的な love という動詞の,具体的な変化形にすぎないのである.このような代表的・抽象的な存在を lemma と呼んでいる.I love you. のように love という形態で出てきたとしても,これは love という lemma の,直説法1人称単数現在形の具体的な現われとしての love である.両者はたまたま形態的に一致しているけれども,あくまで前者は抽象的な love,後者は具体的な love として概念上は区別する必要がある.
別の角度からみれば,私たちが英単語学習の際に習得する主たるものは,個々の見出し形ともいえる lemma と,その具体的な諸変化形ということになる.これらのワンセットが内部で適切にヒモづけられ,頭の中で整理されていれば,その単語に関して習得が完了していることになる.このワンセットとそれにつけられた名前こそが lemma なのである.
「コーパスでlove を動詞で lemma 検索してね」というのは「動詞として用いられている love, loves, loved, loving などの例をすべて拾ってきてね」と言い換えられる.例えば BNCweb の場合には,検索式を "{love/V}" のように指定することで上記の lemma 検索が可能である.
先月教えてもらったばかりの「#4169. GloWbE --- Corpus of Global Web-Based English」 ([2020-09-25-1]) を用いて,しかもつい数日前に院生の指摘からインスピレーションを受けた標題の話題について調べてみた.その意味では完全に人頼みの記事です(←ありがとうございます).
標準英語では discuss は他動詞であり,前置詞を伴わずに直後に目的語を要求する.日本語母語話者としては,訳語がたいてい「?について論じる」となるので,about 辺りの前置詞を介在させたくなり,discuss about としてしまうことがあるのだが,これは規範文法的には誤用とされる.しかし,実際には discuss about も耳にしたり目にする機会がある.インド英語などで広く行なわれる表現であるということは聞いたことがあった.
そこで,現代の世界英語変種を比較できるコーパス GloWbE (= Corpus of Global Web-Based English) の出番である.難しいことはない,検索欄に "discuss about" を入力するだけである.この超簡単な検索だけで,超おもしろい結果を味わうことができる.自動的に出力されたチャートは次の通り.
横方向のほぼ中央(ちょっとだけ左寄り)の一群で棒グラフが相対的に高い値を示している.この近辺はインド(亜大陸)系英語の数値である.統計学的な検定をかけるまでもなく,明らかに左右両端の英語変種とは異なる分布を示す.
バングラデシュやインド等の南アジア圏を相手とする21世紀の商談においては,accommodation 理論に従い,われわれ極東アジア人も "Shall we discuss about our business?" と始めたほうがビジネスの成功率は高そうだ.
コーパス利用はとかく苦手意識により敬遠されることが多いのだが,これくらいのところから始めてもよいのでは.
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