hellog〜英語史ブログ

#4351. 儀礼としての言語行為[politeness][face][pragmatics][sociolinguistics][taboo]

2021-03-26

 滝浦 (6) が,オーストラリアのアボリジニ社会の原初的な宗教における聖性について,フランスの社会学者 Durkheim の要点を以下のように示している.

【デュルケームの儀礼論】
(i) 「聖なるもの」への態度は,すべて「儀礼 (rites)」において表される.儀礼の形をとることで,人びとのふるまいの社会的意味を共同体全体で共有することができる.
(ii) 儀礼の第一の機能は,聖なるものの聖性が汚されることのないように,聖なるものを俗なるものから分離し隔離することである.この場合,儀礼は基本的に「〜しない」という否定形で規定されるので,「消極的儀礼(仏 rites négatif 〔ママ〕)」と呼ぶことができる.
(iii) 聖なるものの聖性が汚されないという前提のもとで,ある特殊な条件が満たされるならば,聖なるものと通じ合うことが許される.この場合,儀礼は「〜してよい」という肯定形で規定されるので,「積極的儀礼(仏 rites positif 〔ママ〕))」と呼ぶことができる.


 言語行為も,この意味での儀礼と見ることができる.言語において聖なるものとは個人のプライバシー (negative face) のことであると解釈すれば,言語行為=儀礼説は支持される.第1に,言語行為も儀礼と同様,個人の私的な行為にとどまるものではなく,共同体全体で共有されるべきものである.第2に,言語行為においては,個人(特に聞き手)のプライバシーが犯されないよう,言葉使いに十分な注意が払われるのが普通である (cf. negative politeness) .第3に,個人のプライバシーが十分に守られているという前提のもとで,個人と通じ合い,近づくための手段が用意されており使用することが許されている (cf. positive politeness) .
 言語行為を "face-work" ととらえた Goffman (cf. 「#1564. face」 ([2013-08-08-1])) も,この Durkheim の儀礼論に立脚していた.さらに,ポライトネス理論を提唱した Brown and Levinson (cf. 「#4346. フェイス・リスク見積もりの公式」 ([2021-03-21-1])) も,Durkheim と Goffmann の両者より影響を受けていた.
 言語行為=儀礼説によれば,宗教でいう神などに相当する聖なるものは,言語においては個人の "face" ということになる.すぐれて社会語用論的な言語観といえる.

 ・ 滝浦 真人 『ポライトネス入門』 研究社,2008年.
 ・ Durkheim, É. Les formes élémentaires de la vie religieuse: le système totémique en Australie. Félix Alcan.
 ・ Goffman, Erving. "On Face-Work: An Analysis of Ritual Elements in Social Interaction." Psychiatry 18 (1955): 213--31.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow