昨日の記事 ([2012-01-09-1]) で取り上げた構文について,議論の続きを.
論理的には誤っている同構文が現代英語で許容されている背景として,昨日は,語用論的,統語意味論的な要因を挙げた.だが,この構文を許すもう1つの重要な要因として,規範上の要因があるのではないか,という細江 (148--49) の議論を紹介したい.それは,多重否定 (multiple negation; [2010-10-28-1]) を悪とする規範文法観である.
18世紀に下地ができ,現在にまで強い影響力を及ぼし続けている規範英文法の諸項目のなかでも,多重否定の禁止という項目は,とかくよく知られている.典型的には2重否定がよく問題となり,1度の否定で足りるところに2つの否定辞を含めてしまうという構文である (ex. I didn't say nothing.) .多重否定を禁止する規範文法が勢力をもった結果,現代英語では否定辞は1つで十分という「信仰」が現われた.しかし,2つの否定辞が,異なる節に現われるなど,互いに意味的に連絡していない場合には,打ち消し合うこともなく,それぞれが独立して否定の意味に貢献しているはずなのだが,そのような場合ですら「信仰」は否定辞1つの原則を強要する.ここに,*Don't drink more pints of beer than you cannot help. が忌避された原因があるのではないか.細江 (148) は「この打ち消しを一度しか用いないとのことがあまりに過度に勢力を加えた結果,場合によってはぜひなくてはならない打ち消しがなくなって,不合理な文さえ生ずるに至った」と述べている.
歴史的にみれば,cannot help doing のイディオムは近代に入ってからのもので,OED の "help", v. 11. b. によれば,動名詞を従える例は1711年が最初のものである.興味深いことに,11. c. では,問題の構文が次のように取り上げられている.
c. Idiomatically with negative omitted (can for cannot), after a negative expressed or implied.
1862 WHATELY in Gd. Words Aug. 496 In colloquial language it is common to hear persons say, 'I won't do so-and-so more than I can help', meaning, more than I can not help. 1864 J. H. NEWMAN Apol. 25 Your name shall occur again as little as I can help, in the course of these pages. 1879 SPURGEON Serm. XXV. 250, I did not trouble myself more than I could help. 1885 EDNA LYALL In Golden Days III. xv. 316, I do not believe we shall be at the court more than can be helped.
OED は,同構文は論理的に難ありとしながらも,19世紀半ば以降,慣用となってきたことを示唆している.規範文法の普及のタイミングとの関連で,意味深長だ.
現代規範英文法はしばしば合理主義を標榜しながらも,このように不合理な横顔をたまにのぞかせるのがおもしろい.統語意味論的,論理的な観点から議論するのもおもしろいが,やはり語用論的,歴史的な観点のほうに,私は興味をそそられる.
規範文法における多重否定の扱いについては,[2009-08-29-1]の記事「#124. 受験英語の文法問題の起源」や[2010-02-22-1]の記事「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」を参照.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
cannot help doing は,「?することが避けられない」を原義とし,「?せずにはいられない,?するのは仕方がない」を意味する慣用表現である.cannot but do としても同義.日本人には比較的使いやすい表現だが,標題のように比較の文において than 節のなかで現われる同構文には注意が必要である.
先に類例を挙げておこう.BNCWeb により "(more (_AJ0 | _AV0)? | _AJC) * than * (can|could) (_XX0)? help" で検索すると,関連する例が8件ヒットした.ほぼ同じ表現は削除して,整理した6例を示そう.
・ . . . the Commander struck out for the shore in a strong breaststroke that did not disturb the phosphorescence more than he could help . . . .
・ I'm not putting money in the pocket of the bloody Hamiltons more than I can help.
・ "Don't be more stupid than you can help, Greg!"
・ Resolutely, and determined to think no more than she could help about it . . . .
・ And I won't spend more than I can help.
・ "We'll do our best; we won't get in your way more than we can help."
さて,この構文の問題は,意図されている意味と統語上の論理が食い違っている点にある.例えば,毎日どうしてもビール3杯は飲まずにいられない人に対してこの命令文を発すると「3杯までは許す,だが4杯は飲むな」という趣旨となるだろう(ここでは話しをわかりやすくするために杯数は自然数とする).少なくとも,それが発話者の意図であると考えられる.しかし,論理的に考えると,you can help と肯定であるから,この量は,何とか飲まずにこらえられるぎりぎりの量,4杯を指すはずだ.これより多くは飲むなということだから,「4杯までは許す,だが5杯は飲むな」となってしまう.つまり,発話者の意図と統語上の意味とが食い違ってしまう.あくまで論理的にいうのであれば,*Don't drink more pints of beer than you cannot help. となるはずだが,この種の構文は BNCWeb でも文証されない.
理屈で言えば上記のようになるが,後者の意図で当該の文を発する機会はほとんどないと想像され,語用的に混乱が生じることはないだろう.また,[2011-12-03-1]の記事「#950. Be it never so humble, there's no place like home. (3)」で見たように,肯定でも否定でも意味が変わらないという,にわかには信じられないような統語構造が確かに存在する.とすると,標題の統語構造が許容される語用論的,統語意味論的な余地はあるということになる.
ちなみに,標記の文は今年の私の標語の1つである.ただし,その論理については……できるだけ広く解釈しておきたい.
橋本萬太郎による syntagma marking という考え方を知った.
[2011-06-02-1]の記事「#766. 言語の線状性」で触れたように,言語(特に音声言語)は線状性 (linearity) の原則に従わざるを得ない.音韻論,形態論,そして特に統語論においてよく知られているように,言語能力は階層 (hierarchy) により2次元で構成されているが,その物理的実現としての音声は時間に沿って1次元で配されるほかない.そこで,話者は,実現としては1次元とならざるを得ない音声連続のなかに,その背後にある2次元的な階層を匂わせるヒントを様々な形でちりばめる.そして,聴者はそれを鍵として2次元的な階層を復元する.このヒントの役割,背景にある2次元の統語単位の範囲を標示する機能を,橋本は syntagma marking と呼んでいる.
ヒントの種類は多岐にわたる.母音調和などの音韻的手段,性,数,格などを表わす屈折接辞や統語的一致を示す屈折接辞という形態的な手段,強勢,音調,イントネーション,休止などの超分節音的な手段にいたるまで様々だ.例えば,[2011-11-09-1]の記事「#926. 強勢の本来的機能」で述べた強勢の contrastive あるいは culminative な役割とは,換言すれば,語という統語単位の範囲を示す syntagma marking のことである.橋本の言を借りて説明を補おう (159) .
つまり,言語によっては,
出てこられる母音の種類の制約(アルタイ諸語)
アクセントの縮約(日本語,朝鮮語など)
音節音調のサンディー(閩語,客家語)
音域の制約(南東諸島,南アジア諸語)
屈折語尾(主なインド・ヨーロッパ語)
語末分節音(子音・母音)のサンディー(サンスクリット)
のように,物理的事件としては,さまざまであるが,言語事象としては,これを一歩抽象化すれば,これらにすべて,それぞれの言語におけるシンタグマのマーカーとしての,普遍的な役割のあることが,わかってくるのである.
さらに,橋本は言語の一般原理としての syntagma marking について次のようにも述べている (394--95) .
シンタグマ・マーキングには,このほかにも,言語によって,休止(ポーズ)をつかったり,シンタグマとシンタグマのさかいめの母音をかえたりするというような,いろいろなやりかたがある.その多様性こそ,まさしく,無限であるかもしれないが,記号体系の形式上の特徴として,一歩抽象化すれば,すべて,シンタグマ・マーカーとして,一般的にとらえることができるのである.その表記そのもの,マークそのものは,「あまりにも抽象的」で,発音もできないかもしれない.しかし,そのマーキングに相当するところの,個々の言語の物理的「事件」は,その言語をしっているひとなら,だれでも,容易に音声の段階に,その言語なりのかたちに再現できる.その意味では,みぎにことわったとおり,それは,「音素」や「音韻」にくらべても,まさるともおとらぬ,現実性をもった理論構成物なのである.
英語史の観点からとりわけ興味深いのは,現代英語では syntagma marker としての屈折体系は衰退しているが,代わりに強勢体系がそれを補っているのではないかという橋本の言及である (160--61) .前者の衰退が先か,後者の発達が先かは,ニワトリとタマゴの関係であると述べていながらも,相互に関係が深いだろうということは示唆している.
屈折の衰退という英語史上(そしてゲルマン語史上)の大きな問題を考えるにあたって,新たな視点を見つけた思いがする.
・ 橋本 萬太郎 『現代博言学』 大修館,1981年.
昨日の記事「#971. 「help + 原形不定詞」の起源」 ([2011-12-24-1]) の冒頭で触れたが,同構文が使役の意味を帯びてきているということについて考えたい.
Leech et al. (190) は,次の例文を挙げて help の使役性を指摘している.
(19) He made important contributions to a number of periodicals such as Il Leonardo, Regno, La Voce, Lacerba and L'Anima which helped establish the respectability of anti-socialist, anti-liberal and ultra-nationalist ideas in pre-war Italy. [F-LOB J40]
(20) The right person may just happen to come along, or it may be necessary to take certain steps to help this happen. [BNC B3G]
いずれの例においても,「助ける」という prototypical な意味というよりは「貢献する,可能とする」という使役に近い意味 ("weak causation") が認められる.その使役性の強さは,2つ目の例文でいえば "enable such a thing to happen" と "make such a thing happen" の中間的な強さではないかとも述べている (190) .
Mair (121--26) は,help の使役的意味の発生を,文法化 (grammaticalisation) の過程として論じている.help が「助ける」という語彙的な意味を失い,より文法的な機能と呼んでしかるべき「使役」の意味を獲得しつつあること,あたかも助動詞であるかのように直後に原形不定詞を取る構文が増えてきていること.これらは,本動詞が助動詞化してゆく過程,広くいえば文法化の過程にほかならない.[2009-07-01-1]の記事「#64. 法助動詞の代用品が続々と」と合わせて考えたい問題である.
・ Leech, Geoffrey, Marianne Hundt, Christian Mair, and Nicholas Smith. Change in Contemporary English: A Grammatical Study. Cambridge: CUP, 2009.
・ Mair, Christian. Three Changing Patterns of Verb Complementation in Late Modern English: A Real-Time Study Based on Matching Text Corpora." English Language and Linguistics'' 6 (2002): 105--31.
昨日の記事「#970. Money makes the mare to go.」 ([2011-12-23-1]) で,使役動詞 make に後続する to 不定詞について調べたが,今日は現代英語で使役的な意味を帯び始めているといわれる help に不定詞が後続する構文を取り上げたい.
「help + (目的語 +) 不定詞」の構文については,現代英語において不定詞の形態が to 不定詞から原形不定詞へ移行しつつあるとして,多くの関連研究がある.20世紀半ば以降,原形不定詞が増加していると言われるが,実のところ help と構造をなす原形不定詞の起源はかなり古くまで遡る.
まず,OED を見てみよう."help", v. B.5. で,help が不定詞を後続させる構文について述べられている.目的語(不定詞の意味上の主語)を伴わない場合が 5.a.,伴う場合が 5.b. で扱われており,いずれも to 不定詞の使用が普通だが,原形不定詞の使用を示す最も早い例が16世紀に現われる.次のような注記があった.
In this and b the infinitive has normally to, which however from 16th c. is often omitted: this is now a common colloq. form.
OED では中英語に原形不定詞の使用はなかったと明記しているわけではないが,それを示唆しているように読めそうだ.
ところが,Mustanoja (532) によれば,中英語からの例は確かにある.
. . . the subject of the infinitive, originally a dative, is no doubt looked upon as an accusative in ME. The infinitive usually takes to, but not invariably: --- mine friende þe ic halp to sweriȝen (Vices & V 9); --- alle þat halpe hym to erie, to selle or to sowe (PPl. B vii 6); --- to helpe him to werreye (Ch. CT A Kn. 1484); --- Rymenhild help me winne (Horn 991); --- somme hulpen erie his half acre (PPl. B vi 118); --- I wol thee helpe hem carie (Ch. CT C Pard. 954). Chaucer has four cases of help with the plain infinitive and seventeen with the infinitive with to or for to. The two instances found in the Book of London English (non-literary prose of Chaucer's time) are followed by an infinitive with to (for to): --- Þe wheche dede paien diverse sommes of monye for to helpe to destruye Þe weres yn Tempse (151); --- [dyverse percelles paied] to ij wemen for her travayle yn helpynge to make clene Þe halle (174).
ここで,MED に当たってみると,"helpen (v.)" 1. (b) の用例にも少数だが原形不定詞の例があった.
今回は,この構文が中英語にまで遡ることまではわかった.近代以降の同構文の発達については,コーパスを用いた Mair の研究(特に pp. 121--26)が詳しい.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
・ Mair, Christian. Three Changing Patterns of Verb Complementation in Late Modern English: A Real-Time Study Based on Matching Text Corpora." English Language and Linguistics'' 6 (2002): 105--31.
標記の文は,「お金は(しぶとい)雌馬をも歩かせる(=地獄のさたも金次第)」という諺である.m の頭韻が効いているほか,一見非文法的にみえる to があることにより強弱のリズム (trochee) が実現しており,韻律的には完璧な諺だ.
現代標準英語の規範文法では,使役の make に to 不定詞が連なることは許されていないが,古い英語では可能だった.諺という固定表現において化石的に残存した珍しい例である.使役の make に to 不定詞が可能だったことは,現代英語でも受動態では He was made to wait for some time. のように to が「復活」することと関連する.かつては原形不定詞も to 不定詞もあり得た,しかしやがて前者が優勢となり,後者は受動態という限定された統語環境で生き残るのみとなった.これが,make における不定詞選択の歴史の概略である.
中英語での make の不定詞選択について,Mustanoja (533) を参照しよう.
. . . both forms of the infinitive occur with this causative verb: --- heo makede him sunegen on hire (Ancr. 24); --- she maketh men mysdo many score tymes (PPl. B iii 122); --- þe veond hit makede me to don (Ancr. 136); --- alwey the nye slye Maketh the ferre leeve to be looth (Ch. CT A Mil. 3393). In the Book of London English 1384--1425, make is accompanied by the plain infinitive in three cases and by the infinitive with to in five.
MED "māken (v. (1))" では,15. (b) が使役の make を扱っているが,多くの用例を眺めると,to 不定詞の使用も普通にみられる.OED では,"make", v.1 53.a. が to 不定詞との構造を,53.b. が原形不定詞との構造を記述している.いずれも中英語最初期から用例が見られる.
関連する話題について一言.現代英語に起こっている統語変化に,help が to 不定詞でなく原形不定詞を伴う傾向が強まってきているという現象がある.だが,help でも受動態ではいまだに to 不定詞が優勢のようであり,これは make の不定詞選択の歴史と平行しているようにみえ,興味深い.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
##948,949,950,951 の記事で,厳密に論理的には説明のつけられない譲歩表現 Be it never so humble (= "no matter how humble it is") について触れた.中英語ではごく普通に見られる表現で,つい最近も The Owl and the Nightingale にて例に出くわした.しかし,その例では,ただでさえ解釈の困難な譲歩表現が複雑な統語的文脈のなかで現われており,全体として極めて難解な読みの問題となっている.
Atkins 版から,C と J テキストの ll. 341--48 を再現しよう.
(C text)
341: Eurich murȝþe mai so longe ileste
342: þat ho shal liki wel unwreste:
343: vor harpe, 7 pipe, 7 fuȝeles [song]
344: mislikeþ, ȝif hit is to long.
345: Ne bo þe song neuer so murie,
346: þat he ne shal þinche wel unmurie
347: ȝef he ilesteþ ouer unwille:
348: so þu miȝt þine song aspille.
(J text)
341: Eurych mureþe may so longe leste,
342: Þat heo schal liki wel vnwreste:
343: For harpe, 7 pipe, 7 foweles song
344: Mislikeþ, if hit is to long.
345: Ne beo þe song ne so murie,
346: Þat he ne sal þinche vnmurie
347: If he ilesteþ ouer vnwille:
348: So þu myht þi song aspille.
問題は,ll. 345--48 の構文である.Atkins は,p. 32fn にてこの譲歩表現について次のように説明を与えている.
345. neuer so murie. Instance of an irrational negative in a concessive clause---a construction found in O.E. and other Teutonic languages (see W. E. Collinson, M.L.R. x. 3, pp. 349--65) as well as occasionally in A.-Norman, where it is apparently due to English influence (see J. Vising, M.L.R. XI. 2, pp. 219--21): cf. A.S. Chron. (1087), nan man ne dorste slean oðerne man, næfde he næfre swa mycel yfel gedon.
この箇所の Atkins の解釈については,l. 346 の ne は redundant と解されると述べていることから,"No matter how merry the song may be, it shall seem very unmerry if it lasts . . ." と読んでいることが想像される.だが,この場合 l. 346 の行頭の þat の役割を無視していることになり,その説明が欠けている.
Cartlidge も,ne と unmurie で合わせて "unmerry" として解釈しており,þat についても無言であるから,Atkins の読みに近いと考えられる.Cartlidge の与えている現代英語訳は,"No matter how merry the song might be, it won't seem at all amusing if it lasts too long, undesirably, . . ." (10) である.
þat の問題を解決しようとしている読みに,Stanley (114) がある.
345ff. The construction is difficult. Perhaps translate (assuming ellipsis), 'However joyous the song may be, it is never so joyous that it will not seem very miserable if it. . . .' he in lines 346f refers to song, a masc. n.
この読みでは,ne は redundant ではなく,þat は主節部の省略された so . . . that 構文の þat だと説明されている.Burrow and Turville-Petre (94) もこの読みに従っている.
345--6 The logic of these lines requires their expansion: 'However delightful the song may be, (it will never be so delightful) that it will not seem very tiresome.'
筆者としては,þat 問題を解決している Stanley 派の読みに賛成である.譲歩表現中の so が,本来続くはずだった so . . . that 構文の so と重なり合い,妙な構文として現われたということではないか.繰り返し現われる否定辞によって論理がほぼ解読不能の域に達しているが,so . . . that 構文の主節部の省略,あるいはより適切には syntactic contamination ([2011-05-04-1]の記事「#737. 構文の contamination」を参照)としてであれば,理解可能になる.
・ Atkins, J. W. H., ed. The Owl and the Nightingale. New York: Russel & Russel, 1971. 1922.
・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.
・ Stanley, Eric Gerald, ed. The Owl and the Nightingale. Manchester: Manchester UP, 1972.
・ Burrow, J. A. and Thorlac Turville-Petre, eds. A Book of Middle English. 3rd ed. Malden, MA: Blackwell, 2005.
##948,949,950 の記事で,一見すると論理の通らない譲歩構文について取り上げてきた.この問題を考えるきっかけとなったのは,Chaucer の The Parson's Tale (l. 90) に,この構文を用いた次の文が現われたことである(Riverside版より引用).
But nathelees, men shal hope that every tyme that man falleth, be it never so ofte, that he may arise thurgh Penitence, if he have grace; but certeinly it is greet doute.
複数人で日本語訳書を参照しながらこの箇所を読んでいたのだが,すんでのところで「それほど度々ではないとしても」という解釈で素通りしてしまうところだった.ここは,むしろ「たとえ度々であったとしても」が適切な訳である.訳書の間でも解釈に相違が見られたので,この構文を詳しく調べてみようと思った次第である.
かくしてこの問題は一件落着となった.一通り調べた後で,中英語における当該表現の使用について Mustanoja を参照し忘れていたことに気づき,早速見てみると,pp. 321--22 に以下の記述があった.
Never so, indicating an unlimited degree or amount, has been used in concessive clauses since the end of the OE period. It is not uncommon in ME texts: --- were he never knight so strong (Havelok 80); --- be he never so vicious withinne (Ch. CT D WB 943). Parallel expressions have been recorded in some other Germanic languages, particularly in High and Low German, where nie sô is used in the same way as never so from the earliest times down to the close of the Middle Ages. . . . The corresponding affirmative forms ever so is modern English.
ゲルマン諸語のほかフランス語やアングロ・ノルマン語にも相当する表現があったという.虚辞 (expletive) として否定辞を加える感覚は,英語だけのものではなかったということになる.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
[2011-12-01-1], [2011-12-02-1]の記事で議論してきた,譲歩表現 never so (= ever so) の問題を続ける.
never so と ever so がほぼ同義であるということは一見すると理解しがたいが,nonassertion の統語意味的環境では,対立が中和することがある( nonassertion については[2011-03-07-1]と[2011-03-08-1]の記事を参照).例えば,Quirk et al. (Section 8.112 [p. 601]) は次のように言及し,例文を挙げている.
In nonassertive clauses ever (with some retention of temporal meaning) can replace never as minimizer; this is common, for instance, in rhetorical questions:
Will they (n)ever stop talking? Won't they ever learn? (*Won't they never learn?)
I wondered if the train would (n)ever arrive.
最後の例文にあるように,動詞 wonder に続く if 節内では,肯定と否定の対立が中和されることが多い.節内が統語的に肯定であれば文全体に否定の含意が生じ,統語的に否定であれば肯定の含意が生じるともされるが,意味上の混同は免れない.wonder は「よくわからない」を含意するのであるから,結局のところ,続く if 節,whether 節は nonassertion の性質を帯びるということだろう.
・ He was beginning to wonder whether Gertrud was (not) there at all.
・ He's starting to wonder whether he did (not) the right thing in accepting this job.
・ I wonder if he is (not) over fifty.
・ I wonder if I'll (not) recognize him after all these years.
・ I wonder whether it was (not) wise to let her travel alone.
ここで,be it never so humble と be it ever so humble の問題に戻ろう.条件節としての用法であるから,nonassertion の性質を帯びていることは間違いない.論理的には「どんなにみすぼらしくとも」という譲歩の意味に対応するのは be it ever so humble という統語表現だが,日本語でも「どんなにみすぼらしかろうが,なかろうが」と否定表現を付加することができるように,英語でも or never の気持ちが付加されたとしても不思議はない.英語では,or により選言的に否定が付加されるというよりは,否定によって肯定が完全に置換された結果として be it never so humble が生じたのではないか.
言い換えれば,never の否定接頭辞 n(e)- は,統語意味論で 虚辞 (expletive) と呼ばれているものに近い.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
昨日の記事[2011-12-01-1]の続編.be it never so humble という表現で,なぜ「どんなにみすぼらしくとも」 (= "no matter how humble it may be") の意味が生じるのかについて,疑問を呈した.
この問題を考えるに当たって,『新英和大辞典第6版』で never so の同用法について ever so と同義であるという記述があること,OED の対応する記述に "(Cf. EVER 9b.)" とあることが注目に値する.OED の ever の項を見てみると,次のようにある.
ever so: prefixed in hypothetical sentences to adjs. or advbs., with the sense 'in any conceivable degree'. Sometimes ellipt. = 'ever so much'; also dial. in phrases like were it ever so, = 'however great the need might be'. Similarly, ever such (a).
This expression has been substituted, from a notion of logical propriety, for never so, which in literary use appears to be much older, and still occurs arch., though app. not now known in dialects. See NEVER.
つまり,驚くことに be it never so humble と be it ever so humble は同義ということになる.ever を用いた統語表現の初例は1690年で,never のものより5世紀半以上も遅れての出現だ.現代英語にも例はある.if I were ever so rich や Home is home, be it ever so humble などがあり,確かに never と ever は交替可能である.また,BNCWeb で "be it never so" を検索すると,6例のみではあるが得られた.その中から文脈の比較的わかりやすかった3例を挙げよう.
・ In a field that is patchy in space and time, be it ever so small, we may expect that the populations of a species such as white clover will, at any time, reflect selective forces from its past.
・ If the cause is a self-replicating entity, the effect, be it ever so distant and indirect, can be subject to natural selection.
・ . . . each had his or her part to play, be it ever so humble.
never so と ever so が交替可能であるというところまでは明らかになったが,では,なぜそうなのか.上の OED からの引用文の2段落目に,疑問を解く鍵が隠されているように思える.論理的には ever so のように肯定の強めでないと妙である,と昨日の記事でも触れたが,同じ感覚は OED の編者にも共有されていたことが "substituted, from a notion of logical propriety" からわかる.never so は論理的には適切に説明づけられないということになれば,では,なぜこの表現が生まれ得たのか.事実としては,より古くに生まれ,特に中英語では盛んに用いられたのであるから,やはり謎は謎のままである.
しかし,ever so と never so のほかにも,論理的には相反するはずの肯定版と否定版が,ほぼ同義となる統語的文脈というものが存在する.明日の記事で,改めてこの問題に迫ろう.
標記の文のような,譲歩を表わす特殊な表現が現代英語にある.前半部分が "however humble" あるいは "no matter how humble" ほどの意味に相当する,仮定法現在を用いた倒置表現だ.倒置を含まずに,if や though を用いたり,仮定法過去を用いたりすることもある.OED の定義としては,"never" の語義4として以下のようにある.
never so, in conditional clauses, denoting an unlimited degree or amount.
以下に,辞書やコーパスから例文を挙げてみよう.
・ She would not marry him, though he were never so rich.
・ Some vigorous effort, though it carried never so much danger, ought to be made.
・ Were the critic never so much in the wrong, the author will have contrived to put him in the right.
・ 'I am at home, and that is everything.' Be it never so gloomy --- is there still a sofa covered with black velvet?
辞書では《古》とレーベルが貼られているし,BNCWeb で "be it never so" を検索するとヒットは7例のみである.いずれにせよ,頻度の高い表現ではない.
倒置や仮定法を用いるということであれば,古い英語ではより多く用いられたに違いない.実際に中英語ではよく使われた表現で,MED, "never" 2 (b) には幾多の例が挙げられている.定義は以下の通り.
(b) ~ so, with adj. or adv.: to whatever degree; extremely; ~ so muchel (mirie, hard, wel, etc.), no matter how much, however much, etc.; also with noun: if he be ~ so mi fo, however great an enemy he may be to me;
OED によると,この表現の初例は12世紀 Peterborough Chronicle の1086年の記事ということなので,相当に古い表現ではある.
Nan man ne dorste slean oðerne man, næfde he nævre swa mycel yfel ȝedon.
中英語最初期から現代英語まで長く使われてきた統語的イディオムだが,なぜ上記の意味が生じてくるのか理屈がよく分からない.否定の never と譲歩が合わされば,「たとえ?でないとしても」と実際とは裏返しの意味になりそうなところである.
現代英語で「a (large) number of + 複数名詞」が主語に立つとき,動詞は複数に一致するのが原則である.完全にこの理解でいたのだが,先日次のような文に出くわした.
A large number of native speakers is perhaps a pre-requisite for a language of wider communication . . . . (Graddol 12)
そこで,数々の辞書や文法書をひっくり返してみた.ほとんどすべての参考書がこの句を複数扱いとしており,統語分析を与えているものについては,number ではなくこの場合で言えば native speakers を主要部 (head) とみなしている.特に,OALD8, LDOCE5, COBUILD English Usage といった典型的な学習者用英英辞書では,複数形の動詞で一致するよう明示的に注記を与えている.また,規範文法のご意見番 Fowler ("number" の項)によると次の通りで,単数一致については明示的な言及はなかった.
. . . as a noun of multitude in the type 'a number of + pl. noun', normally governs a plural verb both in BrE and AmE.
調べたレファレンスのなかで,単数一致について言及していたのは以下のものである.
・ CGEL: "A (large) number of people have applied for the job. [2]" という例文について,"Use of the singular . . . would be considered pedantic in [2] . . . ." (765) と述べている.
・ CALD3: 単数一致を示す例文を "(slightly formal)" というレーベルを与えつつ挙げていた."A large number of invitations has been sent."
・ 『ジーニアス英和大辞典』: 単数一致を「((正式))」としていた."A ? of passengers were [((正式)) was] injured in the accident."
これで,formal or pedantic という register でまれに使用されるらしいということは分かった.では,BNCWeb で確かめてみようと,"a (very)? (large|great|good|small)? number of ((_AV*)? _AJ*)* _NN2 (_VHZ|_VBZ|was_VBD|_VDZ|_VVZ)" として検索し,該当する例のみを手作業で拾い出してみた.全部で25例あったが,1例を除いてすべてが書き言葉からの文例であり,そのうち12例が Academic prose からのものだった.全体として,この表現が academic or pedantic へ強い傾向を示すことは確かなようだ.
・ Graddol, David. The Future of English? The British Council, 1997. Digital version available at http://www.britishcouncil.org/learning-research-futureofenglish.htm.
・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
昨日の記事「構文の contamination」 ([2011-05-04-1]) で最後に取り上げた "inclusive superlative" について,BNCweb でどのくらいヒットするか試してみた."(most _AJ0 | _AJS) (_{N})* of (any)? other" で検索すると,以下の7例を取り出すことができた(赤字は引用者).
- Chang's speed was the best of any other player.
- Perhaps the most notable of other attempts to describe parents in this fashion was undertaken by Earl S. Schaefer.
- This percentage is the largest of any other constituency in England.
- But centuries of migration, conquest, occupation, intermarriage, trade and cultural exchange - not to mention the tendency of artists to copy or reinterpret the most successful facets of other artists' work - have eroded much of this exclusivity.
- Commander Keen has the largest fan club of any other shareware game available.
- 'In proportion to the kiwi's size the egg is the largest of any other bird.
- I say in particular our union because everyone here knows we probably have the largest and best training programme of any other union in Britain today.
初期近代英語にも見られたということなので,The Penn-Helsinki Parsed Corpus of Early Modern English (PPCEME) でざっと調べてみると,John Fryer (b. c1650, d. 1733) なる人物の東洋旅行記に次の1例があった.
They yet retain a Warlike Disposition, being still accounted the best Gunners here of any other places in Persia;
この妙な構文の起源と歴史を探るには,混交のもととなっている2つの構文 comparative + than any other と superlative + of all の頻度や文脈をまず洗い出す必要があるだろう.
[2011-01-17-1]で blend 「混成語」を話題にした際に少々触れたが,類似した過程に contamination 「混交」がある.両者は意識的か否かという観点か区別されることがあるが,特に区別せず同様に用いられることもある.通常は語形成上の過程として捉えられるが,[2011-01-17-1]の記事で触れたように構文のレベルででも起こりうる.例えば,前の記事では,"Why did you do that for?" や "different than" を挙げた.
Graddol を講読中に構文の contamination に出会った(赤字は引用者).
English is remarkable for its diversity, its propensity to change and be changed. This has resulted in both a variety of forms of English, but also a diversity of cultural contexts within which English is used in daily life. (5)
ここでは,both . . . and . . . と not only . . . but also . . . の構文が混交している.BNCweb より検索キーワード "both +** but also" で類例を探してみると,6例ほどが見つかった(赤字は引用者).
- Ion Pacepa, Ceausescu's chief intelligence officer who defected in 1978, takes particular pleasure in his memoirs in exposing Stefan Andrei as both corrupt but also as well aware of the absurdity of the Ceausescus' pretensions, especially Elena's academic titles.
- Their economy and population were both suffering, but also they were becoming wary of the Dzhungars' increasing strength.
- In fitting statistical models to study relationships, it is important to take account of such hierarchies, both for technical reasons but also because influential factors can be present at any or all levels of aggregation.
- The changes that have been introduced into South Africa [pause] forced upon the white minority government by both international pressure but also by the magnificent work at the A N C in Cosatu [pause] must be supported as well but we cannot treat South Africa as anything but a pariah [pause] a, a, a national pariah [pause] until we see one person one vote, and a black majority government in South Africa.
- 'Committees' means both actual committees but also individuals or organisers listed as committees.
- I mean that can be both pleasurable, but also make somebody feel uncomfortable.
contamination は,共時的には話者の発話時に生じる2つの関連構文の混交として解釈されるが,これが共同体に広がってある程度の認知度を得ると,新しい構文として独立し定着することがある.そのような場合には,contamination は通時的な観点からアプローチすることができるだろう.以下は現代英語に見られる構文の contamination の例だが,これらがいつ頃に現われ,現在までにどの程度の認知度を得てきたかという問題は,英語史の問題である.
(1) these kinds of things: these things と this kind of things の混交.
(2) different than: different from と other than の混交.
(3) different to: different from と opposed to の混交.similar to との類推とも考えられる.
(4) cannot help but do: cannot help doing と cannot but do の混交.
(5) It is no good for us complaining about it.: It is no good for us to complain about it. と It is no good we complaining about it. の混交.
(6) no sooner . . . when: no sooner . . . than と scarcely . . . when の混交.
(7) I am friends with him.: I am friendly with him. と He and I are friends. の混交.
(8) a man whom she thought was a murderer: a man who she thought was a murderer と a man whom she thought to be a murderer の混交.
(9) the cleverest of all the other boys: cleverer than the other boys と the cleverest of all the boys の混交.
調べてみるといろいろとあるようだが,(9) のような例は少なくないようで,石橋 (127) は次のようにコメントしている.研究材料としておもしろそうだ.
Sunday's action was the most brilliant and fruitful of any fought up to that date by the fighters of the Royal Air Force. [the most . . . of (all) + (more . . . than) any]---W. Churchill / This is the greatest error of all the rest. [the greatest . . . of (all) + (a greater . . . than) all the rest]---Sh., Mids. N. D. v. i. 250. 最後の例のように,最上級に修飾される名詞を,意味上はそれを含まないはずの「その他」の中に包括させた混交表現を,とくに包括最上級 (Inclusive superlative) と呼ぶことがある.その例は近代初期の英語にときどき見いだされる.
・ Graddol, David. The Future of English? The British Council, 1997. Digital version available at http://www.britishcouncil.org/learning-research-futureofenglish.htm.
・ 石橋 幸太郎 編 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
昨日の記事[2011-04-18-1]で,初期中英語テキスト The Peterborough Chronicle が英語史上の大変化を垣間見せてくれる貴重な資料であることを紹介した.それぞれ筆記した写字生こそ異なるが,The First Continuation と The Final Continuation のテキストを隔てる20年ほどの短期間に顕著な言語の違いが見られることから,当時,言語変化が激しく生じていたことを疑わざるを得ない.ことに語順において革新性が指摘されることが多い.編者 Clark によると,The Final Continuation の "modernity" は疑い得ないという.
The modernity of this language [The Final Continuation] appears also in its syntax. In studying the morphology we have already noted the great simplification of the case-system, in particular the disuse of the dative, and the corresponding adjustments in syntax, including a great increase in the use of analytic constructions. And Rothstein demonstrated how frequently certain constructions typical of Old English, such as inversion of subject and verb after an introductory adverbial phrase, are here abandoned in favour of word-order nearer to that of Modern English. (lxvi)
しかし,昨日の書誌に挙げた Mitchell の研究によると,PChron の後半部分の言語の "modernity" は過大評価されているという.Mitchell は彼一流の緻密な語順タイプの場合分けにより,語順で見る限り,特に際だって modern である証拠は少ないと論じる.
The word-order of the two Continuations therefore contains much which is common to Old and Modern English, much which cannot occur in Modern English, and nothing which cannot be paralleled in Old English. (138)
もちろん,Mitchell はある語順タイプが例証されるかしないかという binary な問題ではなく,各語順タイプの相対頻度の問題であることは認識しており,全体としては確かに "modern" な方向に進んでいるとは認めている.また,主節において,目的語が代名詞でなく名詞である場合の SOV 構文が The Continuations では皆無である点を指摘し,唯一の際だった "modernity" であるとも認めている.しかし,あくまで Mitchell は古英語からの断絶ではなく連続性のほうを重視している.
進行中の大きな言語変化を体現するテキストとしての PChron の評価は,このように議論含みである.しかし,古英語の最後のテキスト,中英語の最初のテキストとも言われるように,区分線上にあるような資料の評価が様々なのは理解できる.線をまたぐことに関わる問題は,線がどこにあるかという問題と切り離せない.[2009-12-20-1]の記事で Sweet による英語史時代区分を紹介したが,PChron の属する時代を "Transition Old English" と呼びたくなる気持ちが分かる.
古英語から中英語への語順の発達過程については[2009-09-06-1]の記事を参照.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.
・ Mitchell, Bruce. "Syntax and Word-Order in The Peterborough Chronicle 1122--1154." Neuphilologische Mitteilungen 65 (1964): 113--44.
英語史では,古英語から中英語にかけてとりわけ大きな言語変化が生じていたことが強調される.言語の類型が synthesis から analysis へと大転換し ( see synthesis_to_analysis ) ,印象としては前後の時代の間に連続性よりも断絶が強く感じられるからである.いや,印象だけでなく,客観的にも確かに断絶を認めることができるのである ([2009-11-04-1]) .文書でしか残されていない当時の言語資料から進行中の言語変化を直接に観察することは難しいが,テキストの言語を慎重に分析すれば言語変化の進行に迫ることができる例もある.そのようなテキストの1つが,The Peterborough Chronicle (以降 PChron )という年代記だ.
PChron は,Bodleian, Laud Misc. 636 に所収されているテキストで,1154年までのイングランドの歴史が年代記として綴られている.King Alfred の治世 (871--99) に編纂の始まった The Anglo-Saxon Chronicle の1ヴァージョン(一般にEヴァージョンとして言及される)である.1121年までの記録を伝える The Copied Annals ,1122--1131年までを記述する The First Continuation ,1132--1154年を扱う The Final Continuation の3部分からなる.後半の2部分は,Peterborough 出身の写字生が同時代の言語で同時代の出来事を記したテキストであり,言語研究上 holograph としての価値がある.そのため,英語史研究でも重要なテキストとしてしばしば取り上げられる.PChron の英語史研究上の価値は,編者 Clark (1958) が次のように的確に表現している.
These Peterborough annals are not merely one of the earliest Middle-English documents: they are also the earliest authentic example of that East-Midland language which was to be the chief ancestor of our modern Standard English. (lxvi)
The Continuations の言語の新しさは,随所に見ることができる.格の体系は古英語のそれから確実に衰退しており,与格は消えつつある.性の体系も同様に崩れてきている.拙論によれば (Hotta 109--15) ,名詞複数形態全体で現代風の -s 語尾をとる割合は,The Copied Annals で4割,The First Continuation で6割,The Final Continuation で8割となっており,変化が目に見えるようだ.統語的には分析的 (analytic) な傾向が強く見られ,古英語に見られた語順のタイプからの逸脱が観察される.重要な語でいえば,PChron の1140年の記録に,人称代名詞 scæ "she" が英語史上初めて現われていることを指摘しておこう( she の語源は不詳であり,諸説紛々としている.[2010-03-02-1]の記事を参照.).
この重要なテキストについては刊本,研究書,論文などがたくさんあるが,Web上でアクセスできるものも含めて,何点か重要と思われるものを示す.
1. Editions
・ Burrow, J. A. and Thorlac Turville-Petre, eds. A Book of Middle English. 3rd ed. Malden, Mass.: Blackwell, 2005.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. 2nd ed. London: OUP, 1970.
・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.
・ Garmonsway, G. N., ed. and trans. The Anglo-Saxon Chronicle. London: J. M. Dent, 1972.
・ Irvine, Susan, ed. The Anglo-Saxon Chronicle: A Collaborative Edition, Vol. 7, MS. E. Cambridge: Brewer, 2004.
・ Jebson, Tony, ed. "The Anglo-Saxon Chronicle: An edition with TEI P4 markup, expressed in XML and translated to XHTML1.1 using XSLT." Available online at http://asc.jebbo.co.uk/. Accessed on 18 April 2011.
・ Whitelock, Dorothy, ed. The Peterborough Chronicle. Copenhagen: Rosenkilde and Bagger, 1954.
2. Modern English translations
・ Killings, Douglas B., trans. The Anglo-Saxon Chronicle: Online Medieval and Classical Library Release #17. Available online at http://www.omacl.org/Anglo/. Accessed on 18 April 2011.
・ Whitelock, Dorothy, trans. The Anglo-Saxon Chronicle: A Revised Translation. London: Eyre, 1961.
3. Monographs and articles
・ Behm, O. P. The Language of the Later Part of the Peterborough Chronicle. Diss. Upsala, 1884.
・ Kubouchi, T. and K. Ikegami, eds. Language of Peterborough Chronicle 1066-1154. Tokyo: Gakushobo, 1984. [in Japanese]
・ Mitchell, Bruce. "Syntax and Word-Order in The Peterborough Chronicle 1122--1154." Neuphilologische Mitteilungen 65 (1964): 113--44.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.
・ Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Hituzi Linguistics in English 10. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
昨日の記事[2011-03-07-1]に引き続き,肯定平叙文 ( assertion ) と,否定文および疑問文 ( nonassertion ) の対立について.nonassertion には,否定平叙文 ( "He isn't honest." ) ,肯定疑問文 ( "Is he honest?" ) ,否定疑問文 ( "Isn't he honest?" ) の3種類の統語的な現われ方があるが,これらの関係はどのようになっているのだろうか.言い換えれば,nonassertion の内部はどのような体系をなしているのだろうか.3者の関係には3通りが考えられそうである.
(1) nonassertion = negative-statement and positive-question and negative-question
(2) nonassertion = ( ( negative and positive ) -question ) and negative-statement
(3) nonassertion = ( negative- ( statement and question ) ) and positive-question
どの選択肢がもっともスマートな答えかを考えるに当たって,昨日列挙した some / any や sometimes / ever などの assertive form と nonassertive form のペア語句を思い出したい.例えば somebody と anybody を考えると分かるが,関連語として nobody が思い浮かぶはずである.同様に sometimes / ever からは never が想起される.これらの語句は,2語からなる対立ではなく,3語からなる関係を示唆するのである.表で示すと以下のようになる.
assertive forms | some | somebody | something | sometimes |
nonassertive forms | any | anybody | anything | ever |
negative forms | no | nobody | nothing | never |
英語の文 ( sentence ) には,肯定文 ( positive ) と否定文 ( negative ) ,平叙文 ( statement ) と疑問文 ( question ) という2組の基本的な対立がある."He is honest." という肯定平叙文を例にとると,そこから次のような 2 x 2 の派生文が得られる.
statement | question | |
positive | He is honest. | Is he honest? |
negative | He isn't honest. | Isn't he honest? |
+----- assertion ( "He is honest." ) | sentence -----+ +----- negative ( "He isn't honest." ) | | +----- nonassertion -----+ | +----- question ( "Isn't he honest?" )
授業で Chaucer の "The Physician's Tale" を読んでいて,ll. 187--88 で現代英語にも見られる譲歩表現に出会った(引用は The Riverside Chaucer より).
She nys his doghter nat, what so he seye.
Wherfore to yow, my lord the juge, I preye,
悪徳裁判官 Apius に乗せられた町の悪漢 Claudius が,騎士 Virginius からその娘 Virginia を奪い取るために法廷ででっち上げの訴えを起こしている箇所である.「Virginius が何と言おうと,Virginia は奴の娘ではない」という行である.what so he seye は現代英語でいう whatsoever he may say に相当し,譲歩を表わす副詞節である.譲歩の文なので,Chaucer では seye と接続法の活用形 ( subjunctive form ) が用いられている.
ここで現代英語の what(so)ever についても言及したところ,現代英文法ではなぜこれを「複合関係代名詞」 ( compound relative pronoun ) と呼ぶのかという質問があった.これの何がどう関係代名詞なのかという問題である.何か別のよい用語はないものかという疑問だが,これを考えるに当たっては,まず現代英文法の「関係詞」 ( relative ) の分類から議論を始めなければならない.これ自体に様々な議論があり得るが,今回は『現代英文法辞典』 "relative" に示される分類に従い,「複合関係代名詞」という呼称の問題を考えてみたい.
最も典型的な関係詞として想起されるのは who, which, that; whose; when, where 辺りだろう.関係代名詞 ( relative pronoun ) に絞れば,who, which 辺りがプロトタイプということになるだろう.いずれの関係代名詞も先行詞 ( antecedent ) を取り,先行詞を含めた全体が名詞句として機能する ( ex. a gentleman who speaks the truth, a grammatical problem which we cannot solve easily ) .つまり,典型的な関係代名詞は「先行詞の明示的な存在」と「全体が名詞句として機能する」の2点を前提としていると考えられる.
しかし,『現代英文法辞典』の分類を参照する限り,この2点は関係代名詞の必要条件ではない.一般に関係詞には,先行詞を明示的に取るものと取らないものとがある.前者を単一関係詞 ( simple relative ) ,後者を複合関係詞 ( compound relative ) と呼び分けている.複合関係詞は先行詞を明示的に取らないだけで,関係詞中に先行詞を埋め込んでいると理解すべきもので,what や what(so)ever がその代表例となる.(注意すべきは,ここで形態的に複合語となっている what(so)ever のことを what などに対して「複合」関係詞と呼ぶわけではない.しかし,このように形態的な複合性を指して「複合」関係詞と呼ぶケースもあり,混乱のもととなっている.)
関係代名詞に話しを絞ると,複合関係代名詞のなかでも一定の先行詞をもたない what のタイプは自由関係代名詞 ( free relative pronoun ) ,指示対象が不定のときに使用される what(so)ever のタイプは不定関係代名詞 ( indefinite relative pronoun ) として分類される.さらに後者は,名詞節として機能する典型的な用法と,譲歩の副詞節として機能する周辺的な用法に分けられる.ここにいたってようやく what(so)ever he may say の説明にたどりついた.この what(so)ever は,正確にいえば「(複合)不定関係代名詞の譲歩節を導く用法」ということになろう.
先にも述べたとおり,この用法の what(so)ever は,先行詞を明示的に取らないし,全体が名詞句として機能していないし,典型的な関係代名詞の振る舞いからは遠く隔たっている.その意味で複合関係代名詞という呼称が適切でないという意見には半分は同意する.しかし,この what(so)ever を典型的な関係代名詞と関連付け,その周辺的な用法として分類すること自体は,それなりに妥当なのではないだろうか.より適切な用語を提案するには広く関係詞の分類の問題に首を突っ込まなければならず,本記事では扱いきれないが,大きな問題につながり得る興味深い話題だろう.
・ 荒木 一雄,安井 稔 編 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.
中英語ではごく普通に見られるが,現代の視点から見ると妙な構造がある.go に主語に対応する目的格代名詞が付随する構造で,現代風にいえば he goes him のような表現である.統語的には主語を指示する再帰代名詞と考えられるが,himself のような複合形が用いられることは中英語にはない(中尾, p. 187).機能的には一種の ethical dative と考えられるかもしれないが,そうだとしてもその機能はかなり希薄なように思える.
例えば,Chaucer の "The Physician's Tale" (l. 207) からの例(引用は The Riverside Chaucer より).
He gooth hym hoom, and sette him in his halle,
この構造についてざっと調べた限りでは,まだ詳しいことは分からないのだが,OED では "go" の語義45として以下の記述があった.
45. With pleonastic refl. pron. in various foregoing senses. Now only arch. [Cf. F. s'en aller.]
例文としては,中英語期から4例と,随分と間があいて1892年のものが1例あるのみだった.
一方 Middle English Dictionary のエントリーを見てみると,2a.(b) に関連する記述があったが,特に解説はない.以前から思っていたことだが,中英語では実に頻繁に起こる構造でありながら,ちょっと調べたくらいではあまり詳しい説明が載っていないのである.ただし,中尾 (187) によれば,中英語では gon のほか,arisen, feren, flen, rennen, riden, sitten, stonden などの往来発着の自動詞がこの構造をとることが知られている.
中英語で盛んだったこの構造は,近代英語期ではどうなったのだろうか.Helsinki Corpus で go him を中心とした例を検索してみたが,中英語からは10例以上が挙がったものの,近代英語期からは1例も挙がらなかった.この統語構造は近代英語期に廃れてきたようにみえるが,どういった経緯だったのだろうか.
・ 中尾 俊夫 『英語史 II』 英語学大系第9巻,大修館書店,1972年.
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