橋本萬太郎による syntagma marking という考え方を知った.
[2011-06-02-1]の記事「#766. 言語の線状性」で触れたように,言語(特に音声言語)は線状性 (linearity) の原則に従わざるを得ない.音韻論,形態論,そして特に統語論においてよく知られているように,言語能力は階層 (hierarchy) により2次元で構成されているが,その物理的実現としての音声は時間に沿って1次元で配されるほかない.そこで,話者は,実現としては1次元とならざるを得ない音声連続のなかに,その背後にある2次元的な階層を匂わせるヒントを様々な形でちりばめる.そして,聴者はそれを鍵として2次元的な階層を復元する.このヒントの役割,背景にある2次元の統語単位の範囲を標示する機能を,橋本は syntagma marking と呼んでいる.
ヒントの種類は多岐にわたる.母音調和などの音韻的手段,性,数,格などを表わす屈折接辞や統語的一致を示す屈折接辞という形態的な手段,強勢,音調,イントネーション,休止などの超分節音的な手段にいたるまで様々だ.例えば,[2011-11-09-1]の記事「#926. 強勢の本来的機能」で述べた強勢の contrastive あるいは culminative な役割とは,換言すれば,語という統語単位の範囲を示す syntagma marking のことである.橋本の言を借りて説明を補おう (159) .
つまり,言語によっては,
出てこられる母音の種類の制約(アルタイ諸語)
アクセントの縮約(日本語,朝鮮語など)
音節音調のサンディー(閩語,客家語)
音域の制約(南東諸島,南アジア諸語)
屈折語尾(主なインド・ヨーロッパ語)
語末分節音(子音・母音)のサンディー(サンスクリット)
のように,物理的事件としては,さまざまであるが,言語事象としては,これを一歩抽象化すれば,これらにすべて,それぞれの言語におけるシンタグマのマーカーとしての,普遍的な役割のあることが,わかってくるのである。
さらに,橋本は言語の一般原理としての syntagma marking について次のようにも述べている (394--95) .
シンタグマ・マーキングには、このほかにも、言語によって、休止(ポーズ)をつかったり、シンタグマとシンタグマのさかいめの母音をかえたりするというような、いろいろなやりかたがある。その多様性こそ、まさしく、無限であるかもしれないが、記号体系の形式上の特徴として、一歩抽象化すれば、すべて、シンタグマ・マーカーとして、一般的にとらえることができるのである。その表記そのもの、マークそのものは、「あまりにも抽象的」で、発音もできないかもしれない。しかし、そのマーキングに相当するところの、個々の言語の物理的「事件」は、その言語をしっているひとなら、だれでも、容易に音声の段階に、その言語なりのかたちに再現できる。その意味では、みぎにことわったとおり、それは、「音素」や「音韻」にくらべても、まさるともおとらぬ、現実性をもった理論構成物なのである。
英語史の観点からとりわけ興味深いのは,現代英語では syntagma marker としての屈折体系は衰退しているが,代わりに強勢体系がそれを補っているのではないかという橋本の言及である (160--61) .前者の衰退が先か,後者の発達が先かは,ニワトリとタマゴの関係であると述べていながらも,相互に関係が深いだろうということは示唆している.
屈折の衰退という英語史上(そしてゲルマン語史上)の大きな問題を考えるにあたって,新たな視点を見つけた思いがする.
・ 橋本 萬太郎 『現代博言学』 大修館,1981年.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow