「#4147. 相互代名詞」 ([2020-09-03-1]),「#4148. なぜ each other が「お互い」の意味になるのですか?」 ([2020-09-04-1]) の記事で,相互代名詞 (reciprocal_pronoun) を取り上げた.現代英語における相互代名詞の統語的性質には,興味深いものがある.Quirk et al. (§6.31) を参照して,2点ほど覗いてみよう.
Each other and one another are both written as word sequences, but it is better to treat them as compound pronouns rather than as combinations of two pronouns. At the same time, they correspond the correlative use of each . . . other and one . . . another (cf 6.58) in sentences such as:
They each blamed the other.
The passengers disembarked one after another
先の記事 ([2020-09-04-1]) で解説したように,歴史的には上の例文にあるような構成要素が離ればなれの相関構文が先にあり,後になってその特殊な形として構成要素が隣接した each other, one another が生じたということだった.
次に,統語意味論的に,相互代名詞が主語位置には立ちにくい件について.
Each other and one another resemble reflexive pronouns in that they cannot be used naturally in subject position. Instead of [1], [1a] is preferred.
?The twins wanted to know what each other were/was doing. [1]
Each of the twins wanted to know what the other was doing. [1a]
There appears to be no such constraint on reciprocals as subject in nonfinite verb clauses:
The twins wanted each other to be present at all times.
However, the rule which excludes occurrence in subject position holds not only for independent pronominal use but also for genitival reciprocals in subject noun phrases. The reciprocals must have coreference with antecedent phrases which have some other genitive or possessive modification. Compare:
*Each other's letters ----------
?The letters to each other ---------- were delivered by a servant.
Their letters to each other ----------
生成文法では,この辺りの照応の問題は重要な話題となっていることだろう.相互代名詞は便利だが,統語論,意味論,語用論には実に込み入っている.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
ゼミ生OGの英語教員を通じて現役中学生から寄せられた素朴な疑問です.each は「各(人)」,otherは「他(人)」と分かっていても,なぜそれが組み合わさると「お互い」の意味になるのか,というもっともな疑問です.なかなか手強い質問ですが,回答に挑戦してみます.以下の解説は現段階での私の仮説です.
日本語の「お互い」にせよ英語の each other にせよ,よく考えてみるととても便利な表現です.「ジョンとメアリーはお互いを愛している」や John and Mary love each other. はそれぞれの言語で当たり前の文のように思われますが,「お互い」や each other などを用いずに,同じ相互性を表わそうとすると,少々厄介です.日本語であれば「ジョンとメアリーは愛し合っている」辺りもありそうですが,英語ではどうでしょうか.
1つには,John loves Mary and Mary (also) loves John. のように表現する方法があります.明確ですが実にくどいですね.ほかには,John loves Mary, and vice versa. というスマートな方法もあります(スマートすぎて手抜き感すら漂っているような・・・).
別のそこそこバランスの取れた処方箋は,論理学風の匂いは増すものの,配分代名詞と不定代名詞を組み合わせた技有りの方法です.つまり,Each of John and Mary loves the other. のようにする方法です.ジョンとメアリーの各々を主語に立てた2つの文を想定し,目的語は主語でないほうの人を指す,という取り決めのもとで,each と the other を連動させ,意図していた相互性を表わすという論理学の式のような方法です.理屈ぽいですが目的は達成できています.さらにこの文をもう少し変形し,each を「遊離」させることも可能です.そうすると John and Mary each love the other. となるでしょう.だんだんアレに近づいてきた感があります.
さて,歴史的にみると,前段落で示した類いの表現は古英語から存在していました.当時は定冠詞 the が現代ほど発達しておらず,上記のような表現において the other も確かにありましたが,the を伴わない裸の other も可能でした.つまり,John and Mary each love other. に相当する文も許容されました.
この John and Mary each love other. の文を,古英語・中英語の文法に則して疑問文にしてみましょう.当時の英語は現代英語と異なり,一般動詞 love を用いた文を疑問文にする際に do は用いませんでした.その代わりに,動詞 love を主語 John and Mary の前に,つまりこの場合文頭にもってくることで疑問文を作りました(be 動詞や助動詞の疑問文の作り方と同じですね).つまり,Love John and Mary each other? となります.
おっと,ここにきて,はからずも each と other が隣り合ってしまいました.本来 each は John and Mary という主語のほうを睨んで「2人の各々」を意味する役割の語でした.一方,other はあくまで動詞 love の目的語でした.each と other は文法的な役割としては分断されているはずなのですが,はからずも隣り合って each other という見映えになってしまったために,話し手が狙っていた本来の文法を,聞き手が誤解してしまう契機が生じたのです.勘違いした聞き手は,John and Mary が主語で each other が「お互い」を意味する目的語なのだと斬新な文法解釈をしてしまったのです! ある意味では,この勘違いの瞬間に,英語に「お互い」を意味する得難いほどに便利な語(=相互代名詞)が生まれたといえます(cf. 昨日の記事「#4147. 相互代名詞」 ([2020-09-03-1]) を参照).
話し手の意図した文法が,聞き手により誤って分析され,はからずも斬新な文法や語が誕生する現象は,統語的再分析 (syntactic reanalysis) と呼ばれています.英語史においても頻繁に起こってきたとは言いませんが,決して稀な現象ではありません.詳しくは調査していませんが,OED による歴史的文例から示唆されるところによれば,each other に関しては,この現象が遅くとも15世紀半ばまでに生じていたとみられます.
以上,each other は,異分析の結果「お互い」を意味する語として突如生じたと解説してきました.冒頭にも述べたように,これは今のところ私の仮説にとどまっています.疑問文以外にも同様の異分析が生じる契機はあり得ましたし,その他なすべき考察や検証もいろいろと残っています.ですので,1つの可能性としてとらえてください.
それでも,こう考えてくると,「お互い」や each other の語としてのありがたさが分かってきたのではないでしょうか.歴史からの素敵な贈り物なのです.
昨日の記事「#4116. It's very kind of you to come. の of の用法は?」 ([2020-08-03-1]) の続編.共時的にはすっきりしない of の用法だが,歴史的にみるとおよそ解決する.今回は,この構文と of の用法について歴史的にひもといて行こう.
OED の of, prep. によると,この用法の of は,"V. Indicating the agent or doer." という大区分の下で語義16に挙げられている.
16. Indicating the doer of something characterized by an adjective: following an adjective alone, as foolish, good, rude, stupid, unkind, wise, wrong (or any other adjective with which conduct can be described); †following an adjective qualifying a noun, as a cruel act, a cunning trick, a kind deed, an odd thing; †following a past participle qualified by an adverb, as cleverly managed, ill conceived, well done.
Usually followed by to do (something), as in it was kind of you (i.e. a kind act or thing done by you) to help him etc., and less frequently by †that, both constructions introducing the logical subject or object of the statement, e.g. It was kind of him to tell me = His telling me was a thing kindly done by him.
「行為者」の of といわれても,にわかには納得しがたいかもしれない.標題の文でいえば,確かに you は come の意味上の主語であり,したがって行為者ともいえる.しかし,それであれば for 句を用いた It is important for him to get the job. (彼が職を得ることは重要なことだ.)にしても,him は get の意味上の主語であり行為者でもあるから,of と for の用法の違いが出ない.2つの前置詞が同一の用法をもつこと自体はあり得るにせよ,なぜそうなるのかの説明が欲しい.
OED からの引用に記述されている歴史的背景を丁寧に読み解けば,なぜ「行為者の of」なのかが分かってくる.この用法の of の最初期の例は,どうやら形容詞の直後に続くというよりも,形容詞を含む名詞句の直後に続いたようなのである.つまり,It's a very kind thing of you to come. のような構文が原型だったと考えられる.だが,この原型の構文も初出は意外と遅く,初期近代英語期に遡るにすぎない.以下,OED より最初期の数例を挙げておこう.
1532 W. Tyndale Expos. & Notes 73 Is it not a blind thing of the world that either they will do no good works,..or will..have the glory themselves?
a1593 C. Marlowe Jew of Malta (1633) iv. v 'Tis a strange thing of that Iew, he lives upon pickled grasshoppers.
1603 W. Shakespeare Hamlet iii. ii. 101 It was a brute parte of him, To kill so capitall a calfe.
1668 H. More Divine Dialogues ii. 383 That's a very odd thing of the men of Arcladam.
1733 J. Tull Horse-hoing Husbandry 266 Is it not very unfair of Equivocus to represent [etc.]?
1766 H. Brooke Fool of Quality I. iv. 145 Indeed, it was very naughty of him.
最初の4例は「形容詞を含む名詞句 + of」となっている.of を "(done) by" ほどの「行為者の of」として読み替えれば理解しやすいだろう.ここで思い出したいのは,受け身の動作主を表わす前置詞は,現代でこそ by が一般的だが,中英語から初期近代英語にかけては,むしろ of が幅を利かせていた事実だ.当時は現代以上に of = "done by",すなわち「行為者の of」の感覚が濃厚だったのである(cf. 「#1350. 受動態の動作主に用いられる of」 ([2013-01-06-1]),「#1333. 中英語で受動態の動作主に用いられた前置詞」 ([2012-12-20-1]),「#2269. 受動態の動作主に用いられた by と of の競合」 ([2015-07-14-1])).
しかし,上に挙げた最後の2例については,すでに統語的省略が生じて「形容詞 + of」の構文へと移行しており,本来の「行為者の of」の感覚も薄れてきているように見受けられる.標題の構文は,原型の構文がこのように省略され形骸化しながらも,現代まで継承されてきたものにほかならないのである.
標題のように,いくつかの形容詞は「of + 人」という前置詞句を伴う.
・ It's very kind of you to come. (わざわざ来てもらってすみません.)
・ It was foolish of you to spend so much. (そんなにお金を使って馬鹿ねえ.)
・ It was wrong of him to tell lies. (嘘をついて,彼もよくなかったね.)
・ It is wise of you to stay away from him. (君が彼とつき合わないのは賢明だ.)
・ It was silly of me to forget my passport. (パスポートを忘れるとはうかつだった.)
典型的に It is ADJ of PERSON to do . . . . という構文をなすわけだが,PERSON is ADJ to do . . . . という構文もとることができる点で興味深い.たとえば標題は You're very kind to come. とも言い換えることができる.この点で,より一般的な「for + 人」を伴う It is important for him to get the job. (彼が職を得ることは重要なことだ.)の構文とは異なっている.後者は *He is important to get the job. とはパラフレーズできない.
標題の構文を許容する形容詞 --- すなわち important タイプではなく kind タイプの形容詞 --- を挙げてみると,careful, careless, crazy, greedy, kind, mad, nice, silly, unwise, wise, wrong 等がある (Quirk et al. §§16.76, 16.82).いずれも意味的には人の行動を評価する形容詞である.別の角度からみると,標題の文では kind (親切な)なのは「来てくれたこと」でもあり,同時に「あなた」でもあるという関係が成り立つ.
一方,上述の important (重要な)を用いた例文では,重要なのは「職を得ること」であり,「彼」が重要人物であるわけではないから,やはり両タイプの意味論的性質が異なることが分かるだろう.つまり,important タイプの for を用いた構文とは異なり,kind タイプの of を用いた構文では,kind of you の部分が you are kind という意味関係を包含しているのである.
とすると,この前置詞 of の用法は何と呼ぶべきか.一種の同格 (apposition) の用法とみることもできるが,どこか納まりが悪い(cf. 「#2461. an angel of a girl (1)」 ([2016-01-22-1]),「#2462. an angel of a girl (2)」 ([2016-01-23-1])).「人物・行動評価の of」などと呼んでもよいかもしれない.いずれにせよ,歴史的に探ってみる必要がある.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
昨日の記事「#4058. what with 構文」 ([2020-06-06-1]) では,同構文との関連で分詞構文 (participle_construction) にも少し触れた.分詞構文は,現代英語でも特に書き言葉でよく現われ,学校英文法でも必須の学習項目となっている.分詞の前に意味上の主語が現われないものは "free adjunct", 現われるものは "absolute" とも呼ばれる.それぞれの典型的な統語意味論上の特徴を示す例文を挙げよう.
・ free adjunct: Having got out of the carriage, Holmes shouted for Watson.
・ absolute: Moriarty having got out of the carriage, Holmes shouted for Watson.
free adjunct の構文では,分詞の意味上の主語が主節の主語と同一となり,前者は明示されない.一方,absolute の構文では,分詞の意味上の主語が主節の主語と異なり,前者は明示的に分詞の前に添えられる.2つの構文がきれいに整理された相補的な関係にあることがわかる.
しかし,Trousdale (596) が要約するところによると,近代英語期には free adjunct と absolute の使い分けは現代ほど明確ではなかった.分詞の主語が主節の主語と異なる場合(すなわち現代英語であれば分詞の意味上の主語が明示されるべき場合)でもそれが添えられないことはよくあったし,absolute も現代より高い頻度で使われていた.しかし,やがて主節の主語を共有する場合には「主語なし分詞構文」が,共有しない場合には「主語あり分詞構文」が選ばれるようになり,互いの守備範囲が整理されていったということらしい.
結果として透明性が高く規則的となったわけだが,振り返ってみればいかにも近代的で合理的な発達のようにみえる.このような統語的合理化と近代精神との間には何らかの因果関係があるのだろうか.この問題と関連して「#1014. 文明の発達と従属文の発達」 ([2012-02-05-1]) を参照.
・ Trousdale, G. "Theory and Data in Diachronic Construction Grammar: The Case of the what with Construction." Studies in Language 36 (2012): 576--602.
昨日の記事「#4058. what with 構文」 ([2020-06-06-1]) では,同構文との関連で分詞構文 (participle_construction) にも少し触れた.分詞構文は,現代英語でも特に書き言葉でよく現われ,学校英文法でも必須の学習項目となっている.分詞の前に意味上の主語が現われないものは "free adjunct", 現われるものは "absolute" とも呼ばれる.それぞれの典型的な統語意味論上の特徴を示す例文を挙げよう.
・ free adjunct: Having got out of the carriage, Holmes shouted for Watson.
・ absolute: Moriarty having got out of the carriage, Holmes shouted for Watson.
free adjunct の構文では,分詞の意味上の主語が主節の主語と同一となり,前者は明示されない.一方,absolute の構文では,分詞の意味上の主語が主節の主語と異なり,前者は明示的に分詞の前に添えられる.2つの構文がきれいに整理された相補的な関係にあることがわかる.
しかし,Trousdale (596) が要約するところによると,近代英語期には free adjunct と absolute の使い分けは現代ほど明確ではなかった.分詞の主語が主節の主語と異なる場合(すなわち現代英語であれば分詞の意味上の主語が明示されるべき場合)でもそれが添えられないことはよくあったし,absolute も現代より高い頻度で使われていた.しかし,やがて主節の主語を共有する場合には「主語なし分詞構文」が,共有しない場合には「主語あり分詞構文」が選ばれるようになり,互いの守備範囲が整理されていったということらしい.
結果として透明性が高く規則的となったわけだが,振り返ってみればいかにも近代的で合理的な発達のようにみえる.このような統語的合理化と近代精神との間には何らかの因果関係があるのだろうか.この問題と関連して「#1014. 文明の発達と従属文の発達」 ([2012-02-05-1]) を参照.
・ Trousdale, G. "Theory and Data in Diachronic Construction Grammar: The Case of the what with Construction." Studies in Language 36 (2012): 576--602.
what with 構文に関する論文を読んだ.タイトルの "the what with construction" から,てっきり「#806. what with A and what with B」 ([2011-07-12-1]) の構文のことかと思い込んでいたのだが,読んでみたらそうではなかった.いや,その構文とも無関係ではないのだが,独特な語用的含意をもって発達してきた構文ということである.分詞構文や付帯状況の with の構文の延長線上にある,比較的新しいマイナーな構文だ.この論文は,それについて構文文法 (construction_grammar) や構文化 (constructionalization) の観点から考察している.
まず,該当する例文を挙げてみよう.Trousdale (579--80) から再現する.
(8)
a. What with the gown, the limos, and all the rest, you're probably looking at about a hundred grand.
(2009 Diane Mott Davidson, Fatally Flaky; COCA)
b. In retrospect I realize I should have known that was a bad sign, what with the Raven Mockers being set loose and all.
(2009 Kristin Cast, Hunted; COCA)
c. But of course, to be fair to the girl, she wasn't herself at the Deanery, what with thinking of how Lord Hawtry's good eye had darkened when she refused his hand in marriage.
(2009 Dorothy Cannell, She Shoots to Conquer; COCA)
d. The bed was big and lonesome what with Dimmert gone.
(2009 Jan Watson, Sweetwater Run; COCA)
e. The Deloche woman was going to have one heck of a time getting rid of the place, what with the economy the way it was in Florida.
(2009 Eimilie Richards, Happiness Key; COCA)
(b)--(d) の例文については,問題の what with の後に,意味上の主語があったりなかったりするが ing 節や en 節が続くという点で,いわゆる分詞構文や付帯状況の with の構文と類似する.表面的にいえば,分詞構文の先頭に with ではなく what with という,より明示的な標識がついたような構文だ.
Trousdale (580) によれば,what with 構文には次のような意味的・語用的特性があると先行研究で指摘されている (Trousdale 580) .
- the 'causality' function of what with is not restricted to absolutes; what with also occurs in prepositional phrases (e.g. (8a) above) and gerundive clauses (e.g. (8c) above).
- what with patterns occur in a particular pragmatic context, namely "if the matrix proposition denotes some non-event or negative state, or, more generally, some proposition which has certain negative implications (at least from the view of the speaker)".
- what with patterns typically appear with coordinated lists of 'reasons', or with general extenders such as and all in (8b) above.
この構文はマイナーながらも,それなりの歴史があるというから驚きだ.初期の例は後期中英語に見られるといい,Trousdale (587) には Gower の Confessio Amantis からの例が挙げられている.さらに水源を目指せば,この what の用法は前置詞 for (with ではないものの)と組む形で12世紀の Lambeth Homilies に見られるという.for や with だけでなく because of, between, by, from, in case (of), of, though などともペアを組んでいたようで,なんとも不思議な what の用法である.
このように歴史は古いが,what with の後に名詞句以外の様々なパターンを従えるようになってきたのは,後期近代英語期になってからだ.その点では比較的新しい構文と言うこともできる.
・ Trousdale, G. "Theory and Data in Diachronic Construction Grammar: The Case of the what with Construction." Studies in Language 36 (2012): 576--602.
昨日の記事「#4022. 英語史における文法変化の潮流を一言でいえば「総合から分析へ」」 ([2020-04-27-1]) について一言補足しておきたい.
形態論ベースの類型論という理論的観点からみると確かに「総合」 (synthesis) と「分析」 (analysis) は対置されるが,実際的には100%総合的な言語や100%分析的な言語というものは存在しない.どの言語も,総合と分析を両極とする数直線のどこかしらの中間点にプロットされる.古英語は数直線の総合側の極点にプロットされるわけではなく,あくまでそこに近いところにプロットされるにすぎない.古英語も,それより前の時代からみれば十分に水平化が進んでいるからだ.同様に,現代英語は分析側の極点ではなく,そこに近いところにプロットされるということである.現代英語にも動詞や代名詞の屈折などはそこそこ残っているからだ.
したがって,古英語から現代英語への文法変化の潮流を特徴づける「総合から分析へ」は,数直線の0から100への大飛躍ではないということに注意しなければならない.印象的にいえば,数直線の30くらいから80くらいへの中程度の飛躍だということである.もちろん,これでも十分に劇的なシフトだとは思う.
「#191. 古英語,中英語,近代英語は互いにどれくらい異なるか」 ([2009-11-04-1]) や「#1816. drift 再訪」 ([2014-04-17-1]) で挙げた数直線らしき図からは,0から100への大飛躍が表現されているかのように読み取れるが,これも誇張である.これらの図はいずれもゲルマン語派に限定した諸言語間の相対的な位置を示したものであり,より広い類型論的な視点から作られた図ではない.世界の諸言語を考慮するならば,古英語から現代英語へのシフトの幅はいくぶん狭めてとらえておく必要があるだろう.
Smith (41) が「総合から分析へ」の相対化について次のように述べている.
Traditionally, the history of English grammar has been described in terms of the shift from synthesis to analysis, i.e. from a language which expresses the relationship between words by means of inflexional endings joined to lexical stems to one which maps such relationships by means of function-words such as prepositions. This broad characterization, of course, needs considerable nuancing, and can better be expressed as a comparatively short shift along a cline. Old English, in comparison with Present-day English, is comparatively synthetic, but nowhere near as synthetic as (say) non-Indo-European languages such as Present-day Finnish or Zulu, older Indo-European languages such as classical Latin --- or even earlier manifestations of Germanic such as 4th-century Gothic, which, unlike OE, regularly distinguished nominative and accusative plural forms of the noun; cf. OE hlāfas 'loaves' (both NOM and ACC), Go. hláibōs (NOM), hláibans (ACC). Present-day English is comparatively analytic, but not as analytic as (say) Present-day Mandarin Chinese; a 21st-century English-speaker still marks person, number and case, and sustains grammatical cohesion, with concord between verbal and pronominal inflexions, for instance, e.g. I love bananas beside she hates bananas.
「総合から分析へ」はキャッチフレーズとしてはとても良いが,上記の点に注意しつつ相対的に理解しておく必要がある.
・ Smith, Jeremy J. "Periods: Middle English." Chapter 3 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 32--48.
連日,きわめて日常的な動詞 want を取り上げ,何らかの角度から英語史している (cf. [2020-04-08-1], [2020-04-09-1], [2020-04-10-1]) .今回は want が非人称動詞として用いられていた過去について触れたい.(非人称動詞・構文のおさらいには「#204. 非人称構文」 ([2009-11-17-1]) を参照.)
現在では欲する人が主語に,欲しいものが目的語に立ち,I want refreshment. のように用いる.しかし,want が主として「欠いている」を意味した古い英語では,いわば Want (to) me of refreshment. のように,欠乏を感じている人が与格(あるいは to 句)に,欠けているものが属格(あるいは of 句)に典型的におかれるという非人称構文が併用されていた.非人称構文の起源は,want という語自体の起源と同様に古ノルド語にある.OED の want, v. の語源欄の記述をみてみよう.
The early Scandinavian verb was originally impersonal (personal uses in the individual Scandinavian languages reflect later developments); in English this is reflected by sense 2. Levelling of cases in Middle English made it possible for the object of the impersonal construction (often in initial position) to take over the function of the subject of a new personal construction, allowing further sense developments. For a detailed discussion see M. Bertschinger To Want: an Essay in Semantics (1941).
この記述によれば,古ノルド語ではむしろ非人称構文としての用法がオリジナルであり,人称構文は後に発達したということになる.英語での動詞 want の初出は1175年頃の Ormulum で,そこでの用法こそ人称構文だが,そこから間もない1200年頃の Sawles Warde に非人称構文としての使用がみられる.この事実から,英語に受容された当初より,オリジナルの非人称構文と,そこから人称化した新たな構文とが併用されていたと考えるのが妥当だろう.
上の語源欄の引用に解説されている want の人称化の過程は,他の非人称動詞の人称化にも当てはまり,標準的な説明として広く受け入れられているものである.もともと与格形で表わされていた「人」が,しばしば動詞の前位置に立ったこと,また屈折の衰退と格の融合を経たこと等により,主格形に置き換えられ,動詞が意味的・統語的に人称化したという流れだ.一方,「もの」は典型的に属格(あるいは of 句)で表現されたが,こちらも屈折の衰退と格の融合の結果,意味的・統語的に動詞の直接目的語として再解釈されるに至った.
OED より「欠いている」の語義での非人称構文の初例群を挙げよう.
c1225 (?c1200) Sawles Warde (Bodl.) (1938) 16 (MED) Of al þet eauer wa is ne schal ham neauer wontin.
?c1225 (?a1200) Ancrene Riwle (Cleo. C.vi) (1972) 298 Ne þunche hire neauer wunder ȝef hire wonti þe haligastes froure.
?c1225 (?a1200) Ancrene Riwle (Cleo. C.vi) (1972) 145 Hwenne ow ne wonteð nan þing þefaȝeneð wið ow.
a1325 (c1250) Gen. & Exod. (1968) l. 2155 Ðan coren wantede in oðer lond, Ðo ynug [was] vnder his hond.
a1400 (a1325) Cursor Mundi (Vesp.) l. 3053 þam wanted brede, þeir water es gan, Hope o lijf ne had þai nan.
OED によると,want の非人称構文の最終例は "1830 T. P. Thompson in Westm. Rev. Jan. 262 There wants a collection of dying speeches of nefarious governments." とあり,現代では廃用となっている.
「#1253. 古ノルド語の影響があり得る言語項目」 ([2012-10-01-1]) で挙げたリストに,Dance (1735) を参照し,いくつか項目を追加しておきたい.いずれも実証が待たれる仮説というレベルである.
(1) the marked increase in productivity of the derivational verbal affixes -n- (as in harden, deepen) and -l- (e.g. crackle, sparkle)
(2) the rise of the "phrasal verb" (verb plus adverb/preposition) at the expense of the verbal prefix, most persuasively the development of up in an aspectual (completive) function
(3) certain aspects of v2 syntax (including the development of 'CP-v2' syntax in northern Middle English)
(4) the general shift to VO order
上記 (1) については,「#1877. 動詞を作る接頭辞 en- と接尾辞 -en」 ([2014-06-17-1]) で関連する話題に触れているので,そちらも参照.
(2) については,関連して「#2396. フランス語からの句の借用に対する慎重論」 ([2015-11-18-1]) を参照.
(3), (4) は統語現象だが,とりわけ (4) は大きな仮説である.これについては拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部,2011年)の第5章第4節でも論じている.さらに以下の記事やリンク先の話題も合わせてどうぞ.
・ 「#1170. 古ノルド語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-10-1])
・ 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
・ 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1])
最後にリストに加えるのを忘れていたもう1つの項目があった.
(5) the spread of the s-plural
これは,私自身が詳細に論じている説である.詳しくは Hotta をご覧ください.
・ Dance, Richard. "English in Contact: Norse." Chapter 110 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1724--37.
・ 堀田 隆一 『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』 中央大学出版部,2011年.
・ Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
Fischer et al. (4--6) に英語統語論の主要な歴史的変化の一覧表がある.参照用に便利なので,"Overview of syntactic categories and their changes" と題されたこの一覧を再現しておきたい.左欄を縦に眺めるだけでも,英語歴史統語論にどのような話題があり得るのかがつかめる.
Changes in: | Old English | Middle English | Modern English | |
---|---|---|---|---|
case form and function: | genitive | various functions | genitive case for subjective/poss.; of-phrase elsewhere | same |
dative | various functions/PP sporadic | increase in to-phrase; impersonal dative lost | same | |
accusative | main function: direct object | accusative case lost, direct object mainly marked by position | same | |
determiners: | system | articles present in embryo form, system developing | articles used for presentational and referential functions | also in use in predicative and generic contexts |
double det. | present | rare | absent | |
quantifiers: | position of | relatively free | more restricted | fairly fixed |
adjectives: | position | both pre- and postnominal | mainly prenominal | prenominal with some lexical exceptions |
form/function | strong/weak forms, functionally distinct | remnants of strong/weak forms; not functional | one form only | |
as head | fully operative | reduced; introduction of one | restricted to generic reference/idiomatic | |
'stacking' of | not possible | possible | possible | |
adjectival or relative clause | relative: se, se þe, þe, zero subject rel. | new: þæt, wh-relative (except who), zero obj. rel. | who relative introduced | |
adj. + to-inf. | only active infinitives | active and passive inf. | mainly active inf. | |
aspect-system: | use of perfect | embryonic | more frequent; in competition with 'past' | perfect and 'past' grammaticalized in different functions |
form of perfect | BE/HAVE (past part. sometimes declined) | BE/HAVE; HAVE becomes more frequent | mainly HAVE | |
use and form of progressive | BE + -ende; function not clear | BE + -ing, infrequent, more aspectual | frequent, grammaticalizing | |
tense-system: | 'present' | used for present tense, progressive, future | used for present tense and progr.; (future tense develops) | becomes restricted to 'timeless' and 'reporting' uses |
'past' | used for past tense, (plu)perfect, past progr. | still used also for past progr. and perfect; new: modal past | restricted in function by grammaticalization of perfect and progr. | |
mood-system: | expressed by | subjunctive, modal verbs (+ epistemic advbs) | mainly modal verbs (+ develop. quasi-modals); modal past tense verbs (with exception features) | same + development of new modal expressions |
category of core modals | verbs (with exception features) | verbs (with exception features) | auxiliaries (with verbal features) | |
voice-system: | passive form | beon/weorðan + (inflected) past part. | BE + uninfl. past part | same; new GET passive |
indirect pass. | absent | developing | (fully) present | |
prep. pass. | absent | developing | (fully) present | |
pass. infin. | only after modal verbs | after full verbs, with some nouns and adject. | same | |
negative system | ne + verb (+ other negator) | (ne) + verb + not; rare not + verb | Aux + not + verb; (verb + not) | |
interrog. system | inversion: VS | inversion: VS | Aux SV | |
DO as operator | absent | infrequent, not grammaticalized | becoming fully grammaticalized | |
subject: | position filled | some pro-drop possible; dummy subjects not compulsory | pro-drop rare; dummy subjects become the norm | pro-drop highly marked stylistically; dummy subj. obligat. |
clauses | absent | that-clauses and infinitival clauses | new: for NP to V clauses | |
subjectless/impersonal constructions | common | subject position becomes obligatorily filled | extinct (some lexicalized express.) | |
position with respect to V | both S (...) V and VS | S (...) V; VS becomes restricted to yes/no quest. | only S (adv) V; VS > Aux SV | |
object: | clauses | mainly finite þæt-cl., also zero/to-infinitive | stark increase in infinitival cl. | introduction of a.c.i. and for NP to V cl. |
position with respect to V | VO and OV | VO; OV becomes restricted | VO everywhere | |
position IO-DO | both orders; pronominal IO-DO preferred | nominal IO-DO the norm, introduction of DO for/to IO | IO-DO with full NPs; pronominal DO-IO predominates | |
clitic pronouns | syntactic clitics | clitics disappearing | clitics absent | |
adverbs: | position | fairly free | more restricted | further restricted |
clauses | use of correlatives + different word orders | distinct conjunctions; word order mainly SVO | all word order SVO (exc. some conditional clauses) | |
phrasal verbs | position particle: both pre- and postverbal | great increase; position: postverbal | same | |
preposition stranding | only with pronouns (incl. R-pronouns: þær, etc.) and relative þe | no longer with pronouns, but new with prep. passives, interrog., and other relative clauses | no longer after R-pronouns (there, etc.) except in fixed expressions |
連日引用している Space Between Words: The Origins of Silent Reading の著者 Saenger は,中世後期に分かち書き (distinctiones) の慣習が改めて発達してきた背景には,ラテン語から派生したロマンス系諸言語の語順の固定化も一枚噛んでいたのではないかと論じている.
比較的緩やかだったラテン語の語順が,フランス語などに発展する過程でSVO等の基本語順へ固定化していったことにより,読者の語(句)境界に対する意識が強くなってきたのではないかという.また語順の固定化と並行して屈折の衰退という言語変化が進行しており,後者も読者の語(句)の認識の仕方に影響を与えていただろうと考えられる.そして,もう一方の分かち書きの発達も,当然ながら語(句)境界の認識の問題と密接に関わる.これらの現象はいずれも語(句)境界の同定を重視するという方向性を共有しており,互いに補完し合う関係にあったのではないか.さらには,このような複合的な要因が相俟って黙読や速読の習慣も発達してきたにちがいない,というのが Saenger 流の議論展開だ.
興味深い論点の1つは,文章を読解するにあたっての短期記憶に関するものである.語順が比較的自由で,かつ続け書きをする古典ラテン語においては,読者は1文を構成する長い文字列をじっくり解読していかければならない.文字を最後まで追いかけた上で,逆走し,全体の意味を確認する必要がある.この読み方では読者の短期記憶にも重い負担がかかることになるだろう.そこで,朗々と読み上げることによってその負担をいくらか軽減しようとしていると考えることもできる.
一方,中世ラテン語やロマンス諸語などのように,ある程度語順が定まっており,かつ分かち書きがなされていれば,文中で次にどのような要素がくるか予想しやすくなると同時に,単語を逐一自力で切り分ける面倒からも解放されるために,短期記憶にかかる負担が大幅に減じる.わざわざ朗々と読み上げなくとも,速やかに読解できるのだ.語順の自由さと続け書きは平行的であり,語順の固定化と分かち書きも,向きは180度異なるものの,やはり平行的ということである.
もう1つのおもしろい議論は,ちょうど屈折の衰退(と語順の固定化)が広く文法の堕落だと考えられてきたのと同様に,続け書きから分かち書きへのシフトも言語生活上の堕落だと考えられてきた節があるということだ.統語論の問題と書記法の問題は,このようにペアでとらえられてきたようだ.
Saenger (17) のまとめの文は次の通り.
The evolution of rigorous conventions, both of word order and of word separation, had the similar and complementary physiological effect of enhancing the medieval reader's ability to comprehend written text rapidly and silently by facilitating lexical access.
・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.
現代英語では「?しながら来る/行く」を意味する場合には,典型的に「come/go + 現在分詞」 が用いられる.移動動詞の後に現在分詞を添えて,移動の様態を示す用法である.以下に BNCweb からランダムに例を挙げよう.
・ Jack came rushing down from his room on the top floor and . . . .
・ The question came sneaking into her mind . . . .
・ She had contrarily thought that if he really cared he would have come running after her.
・ A great mammoth of an American truck went thundering past, forcing me on to the dirt shoulder.
・ He gulped and went rushing on.
・ . . . the crowd of silver helmets went flooding in pursuit, . . . .
古英語期の特に韻文や,続く中英語の時代には,このような場合に現在分詞ではなく不定詞が用いられるのが一般的だった.とりわけ移動動詞として come が使われる場合に例が多くみられる.Mustanoja (536--37) より例を挙げよう.いずれも to を伴わない不定詞であることがポイントである.
・ þer comen seilien . . . scipes (Lawman A 25525)
・ þer com a wolf gon after þan (Fox & Wolf 108)
・ in him com ur Lord gon (Judas 25)
・ He comme flie too felde (Alis. Macedoine 995)
・ wiþ þat came renne sire Bruyllant (Ferumbras 2333)
・ nece, ysee who comth here ride (Ch. TC ii 1253)
・ on his hunting as he cam ride (Gower CA i 350)
静止動詞というべき lie や stand にも類例がみられるが,これらの動詞については to を伴わない不定詞の例もあれば,to を伴う不定詞の例もみられる (Mustanoja 537) .この場合,不定詞は様態ではなく目的を表わす用法として解釈できる例もあり,両義的だ.
・ feowertene niht fulle þere læe þa verde þeos wederes abiden (Lawman A 28238)
・ ne þurve þa cnihtes . . . careles liggen slæpen (Lawman A 18653)
・ hu mynecene slapan liggen (Wint. Ben. Rule 63)
・ the fraunchise of holi churche hii laten ligge slepe ful stille (Pol. Songs 325)
・ þanne he lieþ to slepen, Sal he nevre luken þe lides of hise eȝen (Best. 15)
・ on a bed of gold she lay to reste Til that the hote sonne gan to weste (Ch. PF 265)
・ faire in the soond, to bathe hire myrily, Lith Pertelote (Ch. CT B NP 4457)
・ --- and in my barm ther lith to wepe Thi child and myn, which sobbeth faste (Gower CA iii 302)
・ ennȝless stanndenn aȝȝ occ aȝȝ To lofenn Godd (Orm. 3894)
・ --- he stood for to biholde (Ch. TC i 310)
中英語後期になると「come + 不定詞」で様態を表わす用法は衰退していき,現代につらなる「come + 現在分詞」が取って代わるようになる.もっとも,後者の構文も古英語以来知られていないわけではなかったことを付け加えておきたい.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
英語史の授業にて尋ねられた質問.まさに直球.答えるのが難しい.
まず英語史的にいえることは,古英語や中英語では,現代的な使い方での「冠詞」 (article) は未発達だったということです.the や a(n) という素材そのものは古英語からあったのですが,それぞれ現代風の定冠詞や不定冠詞としては用いられていませんでした.つまり,古英語にも the や a(n) という単語のご先祖様は確かにいたけれども,当時はまだ名詞に添えるべき必須の項目というステータスは獲得していなかったということです.
ということは,日々私たちが使い分けに苦労している現代英語の「冠詞」という項目は,英語の歴史の歩みのなかで,徐々に獲得されてきたものということになります.冠詞は英語の歴史の最初からあったわけではない.まず,この事実を押さえておく必要があります.
冠詞なるものが歴史のなかで獲得されてきたというのは,なにも英語に限りません.そもそも英語を含めたヨーロッパからインドに及ぶ多くの言語のルーツである印欧祖語には冠詞はありませんでした.しかし,印欧語族に属する古典ギリシア語,アルメニア語,アイルランド語という個別の言語をはじめ,ロマンス語派,ゲルマン語派,ケルト語派の諸言語やバルカン言語連合でも冠詞がみられることから,いずれも歴史の過程で冠詞を発達させてきたことがわかります(「#2855. 世界の諸言語における冠詞の分布 (1)」 ([2017-02-19-1]) を参照).
また,印欧語族から離れて世界の諸言語に目を向けてみても,冠詞という言語項目は世界各地に確認されます(全体としては少数派ではありますが).ただし,地理的にはヨーロッパ,アフリカ,南西太平洋などにある程度偏在しているようで,類型論や地理言語学の立場からは興味深い話題となっています.
さて,英語に話しを戻しましょう.古英語にも冠詞の種となるものはあったにせよ,なぜその後それが現代風の冠詞的な機能を発達させることになったのでしょうか.1つには,英語が中英語以降に語順を固定化させてきたという事実が関係しているように思われます.「#2856. 世界の諸言語における冠詞の分布 (2)」 ([2017-02-20-1]) でも述べたように「語順が厳しく定まっている言語では一般的に名詞的要素の置き場所を利用して定・不定を標示するのが難しいために,冠詞という手段が採用されやすいという事情がある」のではないかと考えられます.
定・不定とは,その表現の指しているものが文脈上話し手や聞き手にとって既知か未知か,特定されるかされないかといった区別のことです.談話の典型的なパターンは,定の要素をアンカーとし,それに不定の要素を引っかけながら新情報を導入していくというものですが,このような情報の流れは情報構造 (information_structure) と呼ばれます.言語は情報構造を標示するための手段をもっていると考えられますが,語順や冠詞もそのような手段の候補となります.語順が自由であれば,定の要素を先頭にもってきたり,不定の要素を後置するなどの方法を利用できるでしょう(cf. 「#3211. 統語と談話構造」 ([2018-02-10-1])).しかし,語順の自由度が低くなると別の手段に訴える必要が生じてきます.英語は中英語期にかけて語順の自由度を失っていった結果,情報構造を標示するための新たな道具として,素材として手近にあった the や a(n) などを利用したのではないかと考えられます.
ただし,これも1つの仮説にすぎません.標題の質問にズバリ答えているわけではなく,我ながらもどかしいところです.
冠詞の発生に関する統語理論上の扱いは,「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) を参照してください.関連して,英語史における語順の固定化について「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]),「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]),「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1]) をご覧ください.
9月14日に,『英語教育』(大修館書店)の10月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第7回となる今回の話題は,「なぜ不定詞には to 不定詞 と原形不定詞の2種類があるのか」です.
そもそも不定詞とは何か,なぜそのような呼び名がついているのかから始まり,to 不定詞と原形不定詞の2種類が区別されている歴史的理由,それぞれの用法の守備範囲とその変遷,そして現在にまで続く両不定詞のせめぎ合いを扱いました.後半では,She made me laugh. のように能動態の使役文に用いられる原形不定詞が,受動態の文になると I was made to laugh by her. のように to 不定詞に変わるのはなぜかという素朴な疑問にも迫ります.
本ブログでも,不定詞については infinitive の各記事ですでに取り上げてきましたので,連載記事と合わせてご覧ください.
・ 堀田 隆一 「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ 第7回 なぜ不定詞には to 不定詞 と原形不定詞の2種類があるのか」『英語教育』2019年10月号,大修館書店,2019年9月14日.62--63頁.
「#3713. 機能語の強音と弱音」 ([2019-06-27-1]) でみたように,機能語には単音節で強形と弱形をもっているものが多い.各々がどのような場合に用いられるかは,主としてその統語的な役割に応じて決定される.具体的にいえば,単体で用いられるときや文末に起こるときには強形が,それ以外の場合には弱形が用いられるのが原則である.ここから,弱形が頻度として圧倒的に勝っていることがわかるだろう.典型的な用例を菅原 (121) から挙げよう.
単体 | 文末 | 文中 | |
---|---|---|---|
am | [æm] | Indeed I am [æm]. | I am [əm/m] leaving today. |
is | [ɪz] | I think she is [ɪz]. | The grass is [əz/z] wet. |
do | [duː] | You earn more than I do [duː]. | What do [də] they know? |
will | [wɪl] | No more than you will [wɪl]. | That will [wəl/wl̩/əl/l̩] do. |
can | [kæn] | But you can [kæn]. | George can [kən/kn̩] go. |
at | [æt] | Who're you looking at [æt]? | Look at [ət] that. |
for | [fɔr] | What did you do it for [fɔr]? | They did it for [fər/fr̩] fun. |
to | [tuː] | The one we are talking to [tuː]. | They're going to [tə] Spain. |
of | [ɑːv] | What are you thinking of [ɑːv]? | a lot of [əv/ə] apples |
8月14日に,『英語教育』(大修館書店)の9月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第6回となる今回の話題は,「なぜ一般動詞の疑問文・否定文には do が現われるのか」です.この do の使用は,英語統語論上の大いなる謎といってよいものですが,歴史的にみても,なぜこのような統語表現(do 迂言法と呼びます)が出現したのかについては様々な仮説があり,今なお熱い議論の対象になっています.
8月14日に,『英語教育』(大修館書店)の9月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第6回となる今回の話題は,「なぜ一般動詞の疑問文・否定文には do が現われるのか」です.この do の使用は,英語統語論上の大いなる謎といってよいものですが,歴史的にみても,なぜこのような統語表現(do 迂言法と呼びます)が出現したのかについては様々な仮説があり,今なお熱い議論の対象になっています.
この20数年ほどの間に,「ケルト語仮説」 ("the Celtic hypothesis") に関する研究が著しく増えてきた.英語は語彙以外の部門においても,従来考えられていた以上に,ブリテン諸島の基層言語であるケルト諸語から強い影響を受けてきたという仮説だ.1種の基層言語影響説といってよい(cf. 「#1342. 基層言語影響説への批判」 ([2012-12-29-1])).非常に論争の的になっている話題だが,具体的にどのような構造的な言語項がケルト語からの影響とみなされているのか,挙げてみよう.以下,Durkin (87--90) による言及を一覧にするが,Durkin 自身もケルト語仮説に対してはやんわりと懐疑的な態度を示していることを述べておこう.
・ 古英語における be 動詞の bēon 系列を未来時制,反復相,継続相を示すために用いる用法.ウェールズ語に類似の be 動詞が存在する.
・ -self 形の再帰代名詞の発達(cf. 「#1851. 再帰代名詞 oneself の由来についての諸説」 ([2014-05-22-1]))
・ be + -ing の進行形構造の発達
・ do を用いた迂言的構造 (do-periphrasis) の発達
・ 外的所有者構造から内的所有者構造への移行 (ex. he as a pimple on the nose → he has a pimple on his nose)
・ "Northern Subject Rule" の発達(cf. 「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」 ([2011-03-17-1]))
・ ゼロ関係詞あるいは接触節の頻度の増加
・ it を用いた分裂文 (cleft sentence) の発達 (ex. It was a bike that he bought (not a car).) .なお,フランス語の対応する分裂文もケルト語の影響とする議論があるという (Durkin 87) .
・ /f/ と /v/, /θ/ と /ð/ の音韻的対立の発達と保持(cf. 「#3386. 英語史上の主要な子音変化」 ([2018-08-04-1]) の2点目)
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
印欧祖語の基本語順は SOV だったと考えられているが,そこから派生した諸言語では基本語順が変化したものもある.英語も印欧祖語からゲルマン祖語を経て歴史時代に及ぶ長い歴史のなかで,基本語順を SVO へと変化させてきた.生成文法流にいえば,O の移動 (movement) ,とりわけ前置 (fronting) の結果としての語順が,デフォルトとして定着したものと考えることができるだろう.
・ 「#3127. 印欧祖語から現代英語への基本語順の推移」 ([2017-11-18-1])
・ 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1])
・ 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1])
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1])
O ではなく V が前置された VSO という変異的な語順が,やがてデフォルトとして定着した言語がある.島嶼ケルト語 (Insular Celtic) だ.Fortson (144) が次のように述べている.
If verb-initial order generated in this way [= by fronting] becomes stereotyped, it can be reanalyzed by learners as the neutral order; and in fact in Insular Celtic, VSO order became the norm for precisely this reason (the perhaps older verb-final order is still the rule in the Continental Celtic language Celtiberian). A similar reanalysis happened in Lycian . . . .
この解釈でいくと,おそらく語用論的な要因による変異語順の1つにすぎなかったものが,デフォルトの語順として再分析 (reanalysis) され,定着したということになろうか.すると,個々の印欧語における基本語順は,およそ基底の SOV から導き出せることになる.
平叙文で VSO という語順に馴染みのない身としては,いきなり動詞で始まるという感覚はイマイチつかめないところだが,「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1]) でみたように,VSO 語順は世界の言語のなかでも決して稀な語順ではない.世界の言語の基本語準については以下も参照.
・ 「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1])
・ 「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1])
・ 「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1])
・ 「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1])
・ 「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1])
・ Fortson IV, Benjamin W. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 2004.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow