ひと・ことばフォーラム

言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から

初期近代英語期における語彙拡充の試み

堀田 隆一(慶應義塾大学)

2022年1月22日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

初期近代英語期における語彙拡充の試み

英語史上,初期近代英語期(1500-1700年)は語彙増加が最も著しかった時代である.ルネサンス期の爆発的な知識拡大に伴い,豊かな語彙が必要とされたからである.同時期のドイツ語では自前要素の活用という方針が採られ,明治期の日本語では漢語による造語の方針が採られたのに対して,英語の場合には,古典語であるラテン語やギリシア語の語形をそのまま取り込むという方針が採られた.この「節操のない」借用方針に対して世間からの批判などもあったが,結果としてみれば多くの古典語単語が英語の語彙に定着するに至った.英語は,古典語へのコンプレックスと語彙不足という2つの問題を,古典語彙を自身に同化させることにより克服しようと試み,ある程度成功したのである.

* 本スライドは https://bit.ly/3IjXZbE よりアクセスできます.スライド中の “#3371” のようなリンクは,堀田の hellog~英語史ブログ の記事番号です.

目次

  1. はじめに — 16世紀イングランドの社会的変化
  2. 統合失調症の英語 — ラテン語への依存とラテン語からの独立
  3. 独立を目指して
  4. 依存症の深まり (1) — 語源的綴字
  5. 依存症の深まり (2) — 語彙拡充
  6. 「インク壺語」の大量借用
  7. 大量借用への反応
  8. インク壺語,チンプン漢語,カタカナ語の対照言語史
  9. まとめ

1. はじめに — 16世紀イングランド社会の変化 (#3371)

  1. ルネサンスと宗教改革のインパクト
  2. 印刷術
  3. 庶民教育の急速な発展
  4. コミュニケーション(手段)の増加
  5. 専門知識の増大
  6. 言語に関する自意識の高まり

2. 統合失調症の英語 — ラテン語への依存とラテン語からの独立

  1. ルネサンスと依存症:古典語への憧れ(ラテン語・ギリシア語の重視)
    1. 語源的綴字
    2. ラテン語単語の大量借用
  2. 宗教改革と独立心:自国語意識の高まり(英語の重視)
    1. 綴字の標準化の模索
    2. 借用語への反発
    3. 古英語への関心の高まり
    4. 聖書の英訳

英語が抱えていた3つの悩み (#1407)

  1. ラテン語に代わるいっぱしの言語として認知されたい
  2. 英語の標準的な綴字を確立したい
  3. 英語であらゆる領域について語れるように語彙を拡充・洗練させたい

→皮肉なことに,いずれの悩みもラテン語に依存することで解消されることに・・・

3. 独立を目指して

  1. 16世紀,英語で書くのはいまだ「申し訳ない」こと
  2. 16世紀後半から17世紀にかけて,英語で書くことへの「自信」が確立 (#2611)
  3. 初期近代英語の国語意識の段階 (#2580)
  4. 1586年,最初の英文法書,William Bullokar の Pamphlet for Grammar (#2570)
  5. 古英語への関心の高まり (#2781)

4. 依存症の深まり (1) — 語源的綴字 (#1187)

  1. 英国ルネサンス期 (1500–1650) に古典語(ラテン語,ギリシア語)への関心が高まる
  2. 古典語の「語源的に正しい」綴字への憧れ
  3. 古典語に沿って,対応する英単語の綴字を改変
  4. しかし,発音はしばしば影響を受けなかったために,綴字と発音との間に乖離(黙字)が生じた
  5. altar, Anthony, assault, author, comptroller, debt (#116), delight, doubt (#3333), falcon, fault, indict, island, language, perfect, phantom, psalm, realm, receipt, salmon, salvation, scholar, school, scissors, soldier, subject, subtle, throne, victual

5. 依存症の深まり (2) — 語彙拡充

  1. 「英語史上,語彙が最速に増加した時代」 (Görlach 136; #1226)
  2. とりわけラテン語からの借用語が著しい (#2162, #2385)

オープン借用,むっつり借用,○製△語

  自言語の形式 他言語の形式
自言語の意味
  1. 普通の造語(自言語要素による造語)
  1. 「○製△語」
他言語の意味
  1. 「むっつり借用」(翻訳借用,意味借用)
  1. 「オープン借用」(普通の借用)
  • 「オープン借用」と「むっつり借用」(#2663, #2664)
  • 英製羅語と和製英語 (#1493, #1492)
  • 6.「インク壺語」の大量借用

    1. “ink-horn term” (#1408)
      • “This controversy was the first and probably the greatest formal dispute about the English language.” (Bragg 116)
    2. 生き残ったインク壺語 (#1409)
      • allurement, allusion, capsule, democracy, denunciation, dexterity, disability, disrespect, emanation, encyclopedia, excrescence, excursion, expectation, halo, inclemency, jurisprudence; abject, agile, appropriate, conspicuous, dexterous, expensive, external, habitual, hereditary, impersonal, insane, jocular, malignant; adapt, alienate, assassinate, benefit, consolidate, disregard, emancipate, eradicate, erupt, excavate, exert, exhilarate, exist, extinguish, harass, meditate
    3. 消えたインク壺語 (#1409)
      • adminiculation “aid”, appendance “appendage”, assation “roasting”, discongruity “incongruity”, mansuetude “mildness”; aspectable “visible”, eximious “excellent, distinguished”, exolete “faded”, illecebrous “delicate, alluring”, temulent “drunk”; approbate “to approve”, assate “to roast”, attemptate “to attempt”, cautionate “to caution”, cohibit “to restrain”, consolate “to console”, consternate “to dismay”, demit “to send away”, denunciate “to denounce”, deruncinate “to weed”, disaccustom “to render unaccustomed”, disacquaint “to make acquainted”, disadorn “to deprive of adornment”, disquantity “to diminish”, emacerate “to emaciate”, exorbitate “to stray from the ordinary course”, expede “to accomplish, expedite”, exsiccate “to desiccate”, suppeditate “to furnish, supply”
    4. 「無駄な」借用
      • splendid, splendidious, splendiferous, splendent, splendant, splendorous, splendidous, splendious, splendescent, splendoured (#3157)
      • その他 adapt や commitment を巡る例も (#3863, #3258)

    7. 大量借用への反応

    1. インク壺語批判と本来語回帰 (#3063, #1410)
      • mooned (lunatic), toller (publican),hundreder (centurion), foresayer (prophet), byword (parable), freshman (proselyte), crossed (crucified), gainrising (resurrection)
    2. インク壺語問題への2つの対処法 (#1615)
      • 難語辞書の出版
        • 最初の英英辞書 Robert Cawdreyの Table Alphabeticall (1604) (#603)
        • 続々と難語辞書が登場 (#576, #609)
      • 言い換え表現の付加
        • difficile or harde, education or bringing up of children, animate or give courage; gross and ponderous, agility and nimbleness
        • Cf. 文選読み (#2506)
    3. 英製羅語の登場 (#3165)
      • conspicuous, felicitous, glamorous, poisonous, external

    8. インク壺語,チンプン漢語,カタカナ語の対照言語史 (#1630, #1999)

    1. 借用語の大量借用への批判
    2. 反動としての本来語重視
    3. 事態の推移とともに論争が落ち着く
    4. 新語解説のための辞書の出版ブーム
    5. 借用語慣れによる「○製△語」の登場

    参考:

    9. まとめ

    1. 16世紀,古典語へのコンプレックスと語彙不足
    2. 独立を目指しつつも依存症に陥るというジレンマ
    3. 「インク壺語」の大量借用と論争
    4. 英語の語彙拡充は,ラテン語を/に同化していく過程

    語彙拡充を巡る独・日・英の対照言語史

    参考文献