英語の歴史と語源・11
「ルネサンスと宗教改革」

堀田 隆一

2021年7月31日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

第11回 ルネサンスと宗教改革

16世紀イングランドでは,ルネサンスと宗教改革は奇妙な形で共存していました.ルネサンスに伴う知識の爆発はラテン語やギリシア語への憧れを生み出し,英語はそこから大量の単語を借用することで語彙を格段に豊かにしました.一方,宗教改革に伴う自国語意識の高まりから,英語そのものの評価も高まりました.このような相矛盾する言語文化の中で英訳聖書が誕生することになりました.英語がいよいよ輝きを増してきた時代に焦点を当てます.

* 本スライドは https://bit.ly/3ieuhKO からもアクセスできます.

目次

  1. 序論
  2. 宗教改革とは?
  3. ルネサンスとは?
  4. ルネサンスと宗教改革の英語文化へのインパクト
  5. 英語の悩み (1) — ラテン語からの自立を目指して
  6. 英語の悩み (2) — 綴字標準化のもがき
  7. 英語の悩み (3) — 語彙増強のための論争
  8. まとめ

1. 序論

近代を生んだひとつづきの地殻変動

  1. 大航海
  2. 印刷術(cf. 第10回講座「大航海時代と活版印刷術」
  3. ルネサンス
  4. 宗教改革

16世紀イングランドの5つの社会的変化

  1. 印刷術
  2. 庶民教育の急速な発展
  3. コミュニケーション(手段)の増加
  4. 専門知識の増大
  5. 言語に関する自意識の高まり (#3371)
    • 革新的な語彙,保守的な文法

2. 宗教改革とは?

  1. 16世紀のヨーロッパで,カトリック教会の内部に起こり,プロテスタント諸教会を生み出した宗教的,政治的,社会的な変革運動
  2. 贖宥状(免罪状)への批判
  3. 1517年,M. ルターによる「九十五ヵ条の提題」
  4. 「信仰義認論」と「聖書主義」
  5. 禁欲と労働を重んじる J. カルヴァンによるカルヴィニズム (cf. 「天職」 (calling; #2964))
  6. イングランドではヘンリー8世による国家主導の宗教改革
  7. 1600年頃の宗教改革分布図(徳善,p. 110–11)

イングランドの宗教改革とその特異性

  1. 宗教改革略年表 (#3067)
  2. 国家主導の宗教改革
  3. ヘンリー8世の離婚問題
  4. 「上告禁止法」 (1533) と「国王至上法」 (1534)
  5. 英国国教会の成立
  6. カトリック的なプロテスタント
  7. 一連の英訳聖書,とりわけ1611年の『欽定訳聖書』
  8. ルネサンス人文主義と奇妙に共存

印刷術と宗教改革の二人三脚

  1. 14世紀後半,Wycliffe の英訳聖書 (#2988)
  2. 1453年,J. グーテンベルクによる活版印刷術の発明:「活版印刷術なくして宗教改革なし」 (#2927, #2937)
  3. 1517年,ルターが宗教改革を開始
  4. 1534年,ヘンリー8世が「国王至上法」により英国国教会を設立
  5. 16世紀中,イギリスで多様な英訳聖書やパンフレットが印刷される
  6. 多くの人々が俗語で聖書を読めるようになった (cf. 当時の識字率について (#3066))
  7. 宗教改革と印刷術の二人三脚により俗語たる英語の地位が高まった
  8. 宗教改革,絶対王政,近代国語の形成,大航海時代を支えた印刷術 (#3119)

3. ルネサンスとは?

  1. 14世紀から16世紀にかけて,イタリアをはじめとして,ヨーロッパ各地に生起した,大規模な文化的活動の総称
  2. 人文主義(人間的理想主義),現世主義,合理性と普遍性,個人主義
  3. 古典語(ラテン語,ギリシア語)への関心
  4. カルヴァンもヘンリー8世もルネサンス人文主義者

イングランドにおける宗教改革とルネサンスの共存

  1. 論理的にはルネサンスが先で,それに対抗して宗教改革が続いたという順序
  2. しかし,イングランドではルネサンスが16世紀にまで遅れ,両者が同時代に共存
  3. ルネサンスと宗教改革の対比
  ルネサンス 宗教改革
時系列
全般的性格 普遍的 個別的
地理 南欧的 北欧的
語派 イタリック語派 ゲルマン語派
尊重される言語 古典語(ラテン語,ギリシア語) 自国語(英語)
権力の基盤 教皇 国王
重視される信仰対象 贖宥状(免罪状),聖遺物,聖画像など 聖書
文化 聖界文化,エリート文化 世俗文化,大衆文化
活版印刷術の利用 消極的 積極的
グレゴリウス暦 ユリウス暦

4. ルネサンスと宗教改革の英語文化へのインパクト

  1. 古典語への憧れ(ラテン語・ギリシア語の重視)
    1. 語源的綴字
    2. ラテン語単語(インク壺語)の大量借用
  2. 自国語意識の高まり(英語の重視)
    1. 綴字の標準化の模索
    2. 借用語への反発
    3. 古英語への関心の高まり
    4. 一連の英訳聖書

16世紀の英語が抱えていた3つの悩み

  1. ラテン語に代わるいっぱしの言語として認知されたい
  2. 標準的な綴字を確立したい
  3. 広い領域について語れるよう語彙を洗練させたい
  4. Cf. 「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」

5. 英語の悩み (1) — ラテン語からの自立を目指して

  1. 16世紀,英語で書くのはいまだ「申し訳ない」こと
  2. 16世紀後半から17世紀にかけて,英語で書くことへの「自信」が確立 (#2611)
  3. 初期近代英語の国語意識の段階 (#2580)
  4. 1586年,最初の英文法書,W. ブロカーの Pamphlet for Grammar (#2570)
  5. 1604年,最初の英語辞書,R. コードリーの A Table Alphabeticall (#603)

古英語への関心の高まり

  1. チューダー王家の正統性をめぐって (#2781)
  2. アングロサクソン時代の教義,法律,政治的慣行を探る営み
  3. 修道院解散による古文書の消失・散逸を防ぐ努力

6. 英語の悩み (2) — 綴字標準化のもがき

  1. 1400年頃,書き言葉の標準化のめばえ
  2. 15世紀前半に大法 “Chancery Standard” が出現し,公文書に採用されるようになる (#193)
  3. 1475年,W. カクストンにより英語が印刷に初めて付される (#241)
  4. 16世紀後半,R. マルカスターによる英英辞書作りの提案 (#441)
  5. 17世紀,英英辞書が次々に出版
  6. シェイクスピアの自筆サイン (#1720, #1732)
  7. 1650年頃には,ある程度標準化
  8. いずれにせよ綴字標準化はゆっくりと進んだ (#2321)

語源的綴字 (etymological spelling)

  1. 英国ルネサンス期 (1500–1650) に古典語(ラテン語,ギリシア語)への関心が高まる
  2. 古典語の「語源的に正しい」綴字への憧れ
  3. 古典語に沿って,対応する英単語の綴字を改変
  4. しかし,発音はしばしば影響を受けなかったために,綴字と発音との間に乖離が生じた
  5. Cf. 堀田のインタビュー記事「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら、犯人は中世から近代にかけての『見栄』と『惰性』だった。」

debt の場合 (#116)

  1. debt (負債)という語は,ラテン語 dēbitum がフランス語経由で初期中英語期に借用された
  2. しかし,フランス語から借用されたときにはすでに <b> が落ちており,dette という綴字に
  3. つまり,英語に借用された当初から <b> の綴字は存在しなかったし,/b/ の発音もなかった
  4. ところが,13~16世紀のあいだに,借用元のフランス語側でラテン語化した debte が流行
  5. 15世紀からは,英語側もそれに影響されて,ラテン語の語源により忠実な <b> を含めた綴字を用いるように
  6. 注意すべきは,この一連の変更はあくまで綴字変更であり,発音は従来通り /b/ なしのままだった
  7. ちなみに,15世紀には,同じラテン語の dēbitum がフランス語を経由せずに,改めて debit 「借方」として英語に借用
  8. 今度の <b> はみせかけではなく,正規の綴字であり,発音もされた
  9. したがって,現代英語の debt と debit は,同根の語が微妙に異なる形態と意味で伝わった二重語 (doublet) の例

他の語源的綴字の例

altar, Anthony, assault, author, comptroller, debt, delight, doubt, falcon, fault, indict, island, language, perfect, phantom, psalm, realm, receipt, salmon, salvation, scholar, school, scissors, soldier, subject, subtle, throne, victual (cf. #1187)

語源的綴字の礼賛者 Holofernes

  1. シェイクスピアは,語源的綴字の衒学的な含みを皮肉って『恋の骨折り損』 (Love’s Labour’s Lost, 1594–95) のなかで Holofernes なる学者を登場させている
  2. Holofernes は,語源的綴字の礼賛者.綴字をラテン語風に改めるばかりか,その通りに発音すべしとすら吹聴する衒学ぶり
  3. Holofernes は助手 Nathanial との会話において,Don Armado の衒学振りを非難しながら語源的綴字について議論している(補遺1を参照)

7. 英語の悩み (3) — 語彙増強のための論争

  1. 「英語史上,語彙が最速に増加した時代」 (Görlach 136)
  2. インク壺語論争 (#1408)
  3. 生き残ったインク壺語,消えたインク壺語 (#1409)
  4. インク壺語を統合する試み,2種 (#1615)
  5. インク壺語批判と本来語回帰 (#1410)
  6. J. チークの英語贔屓 (#3063)
    • チークのギリシア語の発音論争 (#3064)
  7. その他の「海外語」 (“oversea language”) (#1411)
  8. 最初の英英辞書,R. コードリーの Table Alphabeticall (1603)

R. コードリーの A Table Alphabeticall (#1609)

  1. 英語史上最初の英英辞書 (#603, #604)
  2. 実際には「難語辞書」として (#609)
  3. 辞書の表紙にすら綴字の揺れが (#586)

    A Table Alphabeticall, conteyning and teaching the true vvriting, and vnderstanding of hard vsuall English wordes, borrowed from the Hebrew, Greeke, Latine, or French. &c. With the interpretation thereof by plaine English words, gathered for the benefit & helpe of Ladies, Gentlewomen, or any other vnskilfull persons.

一連の聖書翻訳

  1. 英訳聖書の年表 (#1709, #1427)
  2. 英訳聖書出版のピークは,社会と言語の変化が著しかった16世紀と20世紀
  3. 16世紀の英訳聖書の言語的争点 (#1472)
  4. 英訳聖書の決定版,1611年の『欽定訳聖書』 (Authorized Version) (#2738))
  5. 『欽定訳聖書」 (1611) とシェイクスピア第1フォリオ (1623) の語法を比較 (#3580)
  6. 「創世記」11:1–9 (「バベルの塔」)を Authorized Version (1611) で読む (補遺2を参照)

まとめ

  1. 宗教改革とルネサンスの16世紀 — イングランドでは奇妙に共存
  2. 英語文化へのインパクト — 古典語への憧れと自国語意識の高まり
  3. 語源的綴字,語彙の洗練,英訳聖書

参考文献

補遺1:Love’s Labour’s Lost

Actus Quartus.

Enter the Pedant, Curate and Dull.

Ped. Satis quid sufficit.

Cur. I praise God for you sir, your reasons at dinner haue beene sharpe & sententious: pleasant without scurrillity, witty without affection, audacious without impudency, learned without opinion, and strange without heresie: I did conuerse this quondam day with a companion of the Kings, who is intituled, nominated, or called, Dom Adriano de Armatha.

Ped. Noui hominum tanquam te, His humour is lofty, his discourse peremptorie: his tongue filed, his eye ambitious, his gate maiesticall, and his generall behauiour vaine, ridiculous, and thrasonical. He is too picked, too spruce, to affected, too odde, as it were, too peregrinat, as I may call it.

Cur. A most singular and choise Epithat,

Draw out his Table-booke,

Ped. He draweth out the thred of his verbositie, finer than the staple of his argument. I abhor such phnaticall phantasims, such insociable and poynt deuise companions, such rackers of ortagriphie, as to speake dout fine, when he should say doubt; det, when he shold pronounce debt; d e b t, not det: he clepeth a Calf, Caufe: halfe, hawfe; neighbour vocatur nebour; neigh abreuiated ne: this is abhominable, which he would call abhominable: it insinuateth me of infamie: ne inteligis domine, to make franticke, lunaticke?

Cur. Laus deo, bene intelligo.

Ped. Bome boon for boon prescian, a little scratched, ’twill serue.

(cf. #4475)

補遺2:「創世記」11:1–9 (「バベルの塔」)の Authorized Version と新共同訳

  1. Authorized Version (1611)

    And the whole earth was of one language, and of one speech. And it came to pass, as they journeyed from the east, that they found plain in the land of Shinar; and they dwelt there. And they said one to an other, Go to, let us make brick, and burn them thoroughly. And they had brick for stone, and slime had they for morter. And they said, Go to, let us build us city and tower, whose top may reach unto heaven; and let us make us a name, lest we be scattered abroad upon the face of the whole earth. And the LORD came down to see the city and the tower, which the children of men builded. And the LORD said, Behold, the people is one, and they have all one language; and this they begin to do: and now nothing will be restrained from them, which they have imagined to do. Go to, let us go down, and there con found their language, that they may not understand one another’s speech. So the LORD scattered them abroad from thence upon the face of all the earth: and they left off to build the city. Therefore is the name of it called Babel; because the LORD did there confound the language of all the earth: and from thence did the LORD scatter them abroad upon the face of all the earth.

  2. 新共同訳

    世界中は同じ言葉を使って,同じように話していた.東の方から移動してきた人々は,シンアルの地に平野を見つけ,そこに住み着いた.彼らは,「れんがを作り,それをよく焼こう」と話し合った.石の代わりにれんがを,しっくいの代わりにアスファルトを用いた.彼らは,「さあ,天まで届く塔のある町を建て,有名になろう.そして,全地に散らされることのないようにしよう」と言った.主は降って来て,人の子らが建てた,塔のあるこの町を見て,言われた.「彼らは一つの民で,皆一つの言葉を話しているから,このようなことをし始めたのだ.これでは,彼らが何を企てても,妨げることはできない.我々は降って行って,直ちに彼らの言葉を混乱させ,互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう.」主は彼らをそこから全地に散らされたので,彼らはこの町の建設をやめた.こういうわけで,この町の名はバベルと呼ばれた.主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ,また,主がそこから彼らを全地に散らされたからである.

    (cf. #2953, #2929)