salacious という語は「好色な;卑猥な;催淫性の」を意味する.語源を探ると,ラテン語 salāc, salāx (飛び跳ねるのが好きな)に遡り,さらに語根 salīre (飛び跳ねる)に行き着く.これは,salient, saltant, assail, assault 等をも生み出した語根動詞である.英語の salacious はラテン語から借用され,1647年に初出が確認されている.
語源的には以上の通りだが,古くはむしろ salt (ラテン語 sāl) と結びつけられて理解されていたようだ.『塩の世界史』の著者カーランスキー(上巻,pp. 13--14)は,心理学者アーネスト・ジョーンズの1912年の論考を紹介しながら,次のように述べている.
塩は,ジョーンズに言わせれば生殖に関連付けられることが多い.これは塩辛い海に生息する魚が,陸上の動物よりはるかに多くの子を持つことから来たのだろう.塩を運ぶ舟にはネズミがはびこりやすく,ネズミは交尾することなしに塩につかえるだけで出産できる,と何世紀にもわたって信じられていた.
ジョーンズは,ローマ人は恋する人間を「サラックス」すなわち「塩漬けの状態」と呼んだと指摘する.これは「好色な (salacious)」という単語の語源だ.ピレネー山脈ではインポテンツを避けるために,新郎新婦が左のポケットに塩を入れて教会に行く習慣があった.フランスでは地方により,新郎だけが塩を持っていくところと,新婦だけが持っていくところがあった.ドイツでは新婦の靴に塩をふりかける習慣があった.
同著の p. 14 には,『夫を塩漬けにする女たち』と題する1157年のパリの版画が掲載されている.数人の妻とおぼしき女性が男たちを塩樽に押し込んでいる絵で,ほとんどリンチである.版画には詩が添えてあり,「体の前と後ろに塩をすりこむことで,やっと男は強くなる」とある.塩サウナくらいなら喜んで,と言いたくなるが,この塩樽漬けは勘弁してもらいたい.
ジョーンズの salacious の語源解釈は,実際にあった風俗や習慣によって支えられた一種の民間語源 (folk_etymology) ということができる.比較言語学に基づくより厳密な語源論(「学者語源」)の立場からは一蹴されるものなのかもしれないが,民間語源とは共時態に属する生きた解釈であり,その後の意味変化などの出発点となり得る力を秘めていることに思いを馳せたい(関連して「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) を参照).
・ マーク・カーランスキー(著),山本 光伸(訳) 『塩の世界史』上下巻 中央公論新社,2014年.
「カステラ」という語は,ポルトガル借用語の典型として,しばしば取り上げられる(「#1896. 日本語に入った西洋語」 ([2014-07-06-1]) を参照).語源辞典をひもとけば詳しく説明が載っている.例えば,『学研 日本語「語源」辞典』によれば,
もとは,スペインの「カステリア王国で作られたパン」の意のポルトガル語.室町末期にポルトガル人によって長崎に伝えられ,略して「カステイラ」と呼ばれた.江戸時代以降,「カステラ」という言い方も普及した.
とある.『世界大百科事典第2版』では,
カスティリャ地方の菓子の意であるポルトガル語のボロ・デ・カステラ bolo de Castella に出た語で,加須底羅,粕底羅などとも書かれた.長崎では寛永 (1624--44) 初年からつくられたといい,しだいに各地にひろまった.
と説明書きがある.さらに,『日本語源大辞典』を引用すると,
pão de Castella (カスティーリャ王国のパン)と教えられたのを,日本人が「カステイラ」と略したらしい.また,オランダ語 Castiliansh brood の略という説もある.中世末から近世にかけては,カステイラの形が一般的だったが,やがてカステラの形も現れた.
およそ「カステラ」の借用ルートについては以上の通りだが,1つ素朴な疑問が残る.なぜスペインのカスティリャ地方のお菓子が,ポルトガル語にその名前を残しているのかということだ.スペイン(語)とポルトガル(語)は,国としても言語としても互いに近親の関係にあるということは前提としつつも,カステラというお菓子という具体的な事例に関して,両者がいかなる関係にあったのか.
1ヶ月前のことになるが,3月29日の読売新聞朝刊に「カステラの名称 王室の結婚由来」という見出しの記事が掲載された.それによると,17世紀にポルトガル宮廷料理人の書いたレシピ本『料理法』のなかに,カステラと製法がほぼ同じ「ビスコウト・デ・ラ・レイナ」という名のお菓子が確認されたという.ラ・レイナとは「女王・王妃」を意味するスペイン語である.当時,ポルトガル王室はスペイン王室から王妃を迎えており,その婚姻を通じてそのお菓子もスペインからポルトガルへ伝わったものと考えられる.それが,スペインの政治的中心地の名前を冠して「ボーロ・デ・カステーラ」とポルトガル(語)でリネームされたというわけだ.そして,それからしばらく時間は経過したが,そのロイヤルウェディングのお菓子が,はるばる日本に伝わったということになる.
以上は,東京大学史料編纂所の日欧交渉史を専門とする岡美穗子氏の調査により明らかにされたという.「カステラ」の語源の詰めが完成した感があり,気持ちよい.
「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]),「#2896. 4月,April,卯月」 ([2017-04-01-1]) で月名の由来について紹介したが,英語の月名について,12ヶ月分の由来をざっと確認しておこう.以下は,Judge (91) の囲み記事からの引用.
January: Dedicated to Janus --- god of gates, doors and beginnings and endings
February: Comes from februarius mensis --- month of purification --- for the Roman feast of purification held at that time.
March: Dedicated Mars --- Roman god of war. In the ancient Roman calendar (up until 46 BCE) the year began in March, with the spring equinox.
April: Dedicated to the Roman goddess Venus --- Aphrodite in Greek.
May: From Maia, an earth goddess whose name derives from Indo-European megha --- Great One (this is the same origin for English mega-).
June: In honor of the Roman goddess Juno.
July: Originally called Quintilis (fifth month) but change when dedicated to Julius Caesar because he was born in this month.
August: Named after Augustus Caesar, the first Roman emperor.
September: Means the seventh month of the year --- in the ancient calendar which started in March.
October, November and December mean the eighth, ninth and tenth months.
いずれもラテン語やギリシア語からの伝統を引きずった文化的借用語である.
September と seven の音韻形態的に関係については,「#352. ラテン語 /s/ とギリシャ語 /h/ の対応」 ([2010-04-14-1]) を参照.
・ Judge, Gary. The Timeline History of the English Language. Yokohama: Cogno Graphica, 2010.
英語(史)や英文学(史)を学んでいると,キリスト教に関する様々な知識が必要である.キリスト教の歴史にせよ現状にせよ,きわめて込み入っているので,学ぶのもなかなか大変だ.
八木谷(著)によるキリスト教の入門書を読んでいたら,その補遺 (52) に,主要9教派の起源や名称の由来その他が掲載された便利な一覧表があったので,ここにメモとして残しておきたい.同じ補遺には,キリスト教の教派の系譜なども分かりやすく図示されており,有用.*
教派 | 英語名 | 起源 | 名称の由来 | 拠り所 |
---|---|---|---|---|
東方正教会 | Eastern Orthodox Church (Orthodox Churches) | イエスの使徒たちによって各地に創設.1054年,西方教会と分裂 | ギリシャ語の Orthodox は,「正しく(オルソス)」「神を賛美する(ドクサ)」ことを追求する態度に由来.5世紀ころに現れた「異端」の教会に対し,「正統」派とする立場.「東方」は「西方」のローマに対応 | 聖伝と聖書.ニケヤ第1公会議 (325) からニケヤ第2公会議 (787) までの七回の公会議の信条 |
ローマ・カトリック教会 | Roman Catholic Church | イエスとの使徒ペトロを初代教皇(ローマ司教)とする.1054年,東方教会と分裂 | カトリック (Catholic) とはギリシャ語の Katholikos に由来する形容詞で,普遍的,公同の,万人のためという意味.その普遍性の中心をローマの司教座(ローマの司教がすなわちローマ教皇)におくことから,ローマ・カトリックと呼ばれる. | 聖書と聖伝.公会議の信条.教皇が発する教義 |
ルター派(ルーテル教会) | Lutheran Churches | ローマ・カトリックの修道司祭だったマルティン・ルターによる宗教改革(ドイツ,1517年以降) | ドイツの宗教改革者マルティン・ルター (Martin Luther) の名前に由来 | 聖書のみ |
聖公会(イングランド国教会) | Anglican/Episcopal Churches | イングランド国王ヘンリー八世が政治的動機でローマ・カトリック教会から分離した,国家レベルの宗教改革(イングランド,1534年) | イングランドの国教会 Church of England を母教会とする一連の教会を,Anglican Church (アングリカン=アングル族,すなわちイングランド系の教会)という.日本語の「聖公会」は,使徒信経及びニケヤ信経の一節 "holy catholic church" (聖なる公同の教会)に由来 | 聖書のみ |
改革派/長老派 | Reformed/Presbyterian Churches | 進学者ツヴィングリ,カルヴァンらによる宗教改革(スイス,16世紀後半) | 大陸系のカルヴァン主義の教会を指す「改革派」は,「神の言によって改革された」教会の意.英国系の教会に使われる「長老派」は,教会政治において,主教ではなく,教会員のなかから「長老」(ギリシャ語の Presbyteros)を選んで代用とする制度に由来 | 聖書のみ |
会衆派(組合派) | Congregational Churches | イングランド国教会からの分離派(イングランド,16世紀後半) | 教会員(会衆)全体の合意にもとづく教会政治に由来.日本では「組合派」ともいい,「組合」の名前が一時教団名として使われた | 聖書のみ |
バプテスト | Baptist Churches | 宗教改革期のスイスやドイツのアナバプテスト,およびイングランド国教会からの分離派(オランダ,イングランド,17世紀前半) | 聖書に示された洗礼,すなわちバプテスマは,自覚的な信従者のみが,全身を浸す浸礼で行うべきだとし,幼児洗礼を否定した教義に由来.幼児洗礼を認める者から,アナバプテスト(再洗礼者)あるいはバプテストと呼ばれた | 聖書のみ |
メソジスト | Methodist Churches | イングランド国教会司祭ジョン・ウェスリーによる国教会内部の信仰覚醒運動(イングランド,18世紀半ば) | 教派の創設者ジョン・ウェスリーらに与えられた Methodist (メソッドを重んじる人/几帳面すぎる生活態度の人)というあだ名に由来.ウィースリー本人は,この名称を「聖書に言われている方法〔メソッド〕に従って生きる人」と定義した | 聖書のみ |
ペンテコステ派 | Pentecostal Churches | 主としてメソジスト系の教会を背景に,北米大陸においては,カンザス州の聖書学校で始まった霊的覚醒運動(アメリカ,1900年ころ) | 新約聖書・使徒言行録第2章に描かれた復活祭後50日目の「五旬祭」,すなわち精霊降臨の日 (Pentecost) に由来.この日,使徒たちに降ったのと同じ精霊の働きを強調する立場を示す | 聖書のみ |
Hinduism (ヒンドゥー教)といえば,人口にして世界第3位の宗教である.2001年の国勢調査(井上,p. 165)によると,インド人口の80.5%がヒンドゥー教徒であり,絶対数でいえば数億人以上となるから,地域宗教といえども世界へのインパクトは大きい.実際,2010年のCIAの統計では,キリスト教徒の33.3%,イスラム教徒の21.0%に次いで,ヒンドゥー教徒13.3%は第3位である(井上,p. 11;ちなみに第4位は仏教徒の5.8%).これほどの大宗教でありながら,その呼称が意外と新しいことを最近知った.
OED で Hinduism を引くと,"The polytheistic religion of the Hindus, a development of the ancient Brahmanism with many later accretions." と定義がある.その初例を確認すると,割と最近といってよい1829年のことである.
1829 Bengalee 46 Almost a convert to their goodly habits and observances of Hindooism.
さらに驚くのは,ヒンディー語などのインド諸語にも,ずばりヒンドゥー教を指す表現はないのだという.井上 (169) 曰く,
「ヒンドゥー教」とは,「ヒンドゥーイズム」という英語表現の訳です.実はこれにぴたりと対応するインドの語彙はありません.厳密に言えば,一つのまとまった宗教があるというより,ヴェーダ文献とその文明から発した多様な信仰や伝統を総称して「ヒンドゥーイズム」と呼んでいるのです.〔中略〕
この「ヒンドゥー」に「ism」が付いて宗教を示す英語表現になったのは19世紀のことです.インド支配に乗り出したイギリス人がインドの宗教文化を理解しようとしたとき,これを総称する言葉がなかったため,「ヒンドゥーイズム」という表現を用いるようになり,それが次第に一般化したのでした.
ちなみに,Hindu (ヒンドゥー)自体は,「インダス川」を指す語がペルシア語で Hindū となり,広く「インドの住人」を指し示すようになった言葉である.ペルシア語から英語へは,17世紀半ばに借用された.Hindi (ヒンディー語)も,英語での最初の使用は1801年と遅めである.
さて,ヒンドゥー教をどの理解すべきか.上記 OED の定義にあるように,様々な歴史的発展を内包したインド土着の多神教の総体と捉えるよりほかないだろう.井上 (170) も次のように述べている.
つまり「ヒンドゥー教」とは,インドに自然に成り立って来た多様な宗教文化を総称する幅の広い言葉なのです.その内容は実に多様で,イエスやブッダのような創唱者もいませんし,大きな協会組織もなく,キリスト教やイスラムのような明確な枠組みがありません.しかし,聖典ヴェーダを重んじている点は共通しています.
ヒンドゥー教の源である聖典ヴェーダ (Veda) とその言語については,「#1447. インド語派(印欧語族)」 ([2013-04-13-1]) を参照されたい.
・ 井上 順孝 『90分でわかる!ビジネスマンのための「世界の宗教」超入門』 東洋経済新報社,2013年.
4月,始まりの季節である.Chaucer の The Canterbury Tales の冒頭でも,万物の始まりの月である4月が謳い上げられている(「#534. The General Prologue の冒頭の現在形と完了形」 ([2010-10-13-1]) を参照).
April は,1300年頃に Anglo-French の Aprille が英語へ借用されたもので,それ自身はラテン語 Aprīlis mēnsis に遡る.最初の語は,ローマ神話の「愛の女神」 Venus に対応するギリシア神話の女神 Aphroditē の短縮形 Aphros に由来する.4月は愛による豊饒の月であり,再生の月でもあった.別の語源説によると,ラテン語で「開く」を意味する aperīre と関係するともいうが,こちらであれば,大地が開く月,あるいは花開く月ほどのイメージだろうか.
アングロサクソン人は,4月を ēaster-mōnaþ と呼んでいた.光の女神 Ēaster の月ということである.Ēaster は,文字通り現代英語の Easter に相当するが,本来ゲルマン人が春分の時期に祝っていたこの祭りが,後に時期的に一致するキリスト教の復活祭と重ね合わされ,後者を指す呼称として(そしてラテン語の Pascha の訳語として)定着した.
日本の4月の異称「卯月」は,一節に寄れば,ウツギ(ユキノシタ科の落葉低木)の花が咲く時期であることから来ている.ここから,ウツギの花は逆に「卯の花」とも呼ばれる.江戸時代中期の『東雅』や『嘉良喜随筆』によれば,卯月に咲くから卯の花というのであり,その逆ではない旨が述べられている.いずれにせよ,4月は生命にあふれた明るい月である.今年度も開始!
3月については,「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]) を参照.
3月も早下旬となり,卒業式と新年度準備のシーズンである.3月を指す英語の March は,ラテン語で同月を指す Mārtius mēnsis,つまり「マルス神の月」の最初の語「マルス」(ラテン語主格単数形 Mārs)に由来する.マルスはローマを建国したロムルスの父でもあり,軍神でもあり,農耕・牧畜の神でもある.3月は冬が終わり,陽気が暖かくなり始め,軍事行動を再開すべき時期であり,農耕の開始の時期でもある(梅田, pp. 345--46).古代ローマ暦では,1年は春分より始まったため,Mārtius mēnsis こそが1年の最初の月だった.
英語へは,初期中英語期にフランス語を通じてこの語が入り,march(e) などと綴られた(MED の march(e (n.(1)) を参照).それ以前,アングロサクソン人はこの月のことを hrēþ-mōnaþ と呼んでいたが,第1要素の意味は不詳である.
さて,福音伝道者の1人の名前である Mark は,ラテン語では Mārcus となるが,これは借用元のギリシア語形 *Mārt-cos の短縮された形態に由来するものと考えられ,究極的には「マルス」に遡るとされる.
ちなみに,我が国の陰暦3月の旧称「弥生」(やよい)については,「いやおひ」の変化したものとされる.草木がいよいよ花葉を生じる意である.また,古来用いられている雑記の1つ「節分」は,「節季を分ける」の意で,立春をもって新たな年を迎えるという暦の考え方が元になっている.
日本でもイギリスでも,新たな年の始まりが3月や2月などの時期に位置づけられているというのは,必ずしも偶然ではない.希望の時期は,4月より数週間早くに訪れているのだ.
・ 梅田 修 『英語の語源事典』 大修館書店,1990年.
「荒野」を意味する wilderness の語源が「野生動物の住処」であると聞くと,興味を引かれないだろうか.
この語の英語での初出は,1200年頃の説教集においてである.OED によれば,次が初例である.
c1200 Trin. Coll. Hom. 161 Weste is cleped þat londe, þat is longe tilðe atleien, and wildernesse, ȝef þare manie rotes onne wacseð.
この語は古英語では文証されないのだが,実際には *wild(d)éornes などとして存在していた可能性はある.Middle Low German や Middle Dutch において wildernisse として確認されている(cf. 現代ドイツ語 wildernis,現代オランダ語 wildernis).
語形成としては,"wild" + "deer" + "ness" の3要素からなる."deer" は,「#127. deer, beast, and animal」 ([2009-09-01-1]),「#128. deer の「動物」の意味はいつまで残っていたか」 ([2009-09-02-1]) で見たように,古英語から中英語にかけて「動物」を意味したから,"wild deer" とは要するに「野生動物」である.-ness は抽象名詞を作る接尾辞だが,ここでは「住処,場所」ほどの具体的な意味を表わすものとして使われている.-ness が具体名詞を作る例は確かに稀ではあるが,héahnes (highness) で「頂上」を表わしたり,sméþnes (smoothness) で「平地」を表わしたりする事例があるなど,皆無ではない.全体として,wilderness の意味は「野生動物の住処」となり,人の住んでいない荒野のイメージが喚起される.
-ness は,通常,形容詞の基体に接続して名詞を作るので,wild deer という名詞に接続していることは異例のように思われるかもしれない.これについては,wild deer に形容詞接尾辞 -en が付いてできた wildern (野生の)が基体となり,そこへ -ness が接続したと考えることもできる.実際,wildern は,後期古英語に mid wilddeorenum toþum として初出しており,中英語でも多くはないが文証されているので,こちらの語源説のほうが説得力が高いように思われる.
なお,語幹に2重母音をもつ wild /waɪld/ に対して, wilderness /ˈwɪldənəs/ では単母音を示すのは,「#145. child と children の母音の長さ」 ([2009-09-19-1]) で述べたのと同じ理屈により説明できる.
昨日の記事「#2849. macadamia nut」 ([2017-02-13-1]) に引き続き,ナッツの話題.walnut (クルミ)は,ナッツの代表格として愛されている.英語での語源を探ると,古英語に walh-hnutu という複合語して1度だけ確認される.後半部分は nut そのものだが,前半部分 walh は「外国の」を意味する.Wales や Welsh の元となっている wealh と同一語である(発音については「#1157. Welsh にみる音韻変化の豊富さ」 ([2012-06-27-1]) を参照).
クルミは「外国のナッツ」というわけだが,これは西フリジア語 walnút,オランダ語 walnoot,低地ドイツ語 walnut,ドイツ語 walnuss,古ノルド語 valhnot と同根語がゲルマン諸語に観察されるところから,ゲルマン民族にとっての「外国」,おそらくはガリア,イタリア,ケルトなどが念頭にあったのだろう.彼らにとって,対する「自国のナッツ」は hazelnut (ハシバミの実)だった.
中英語にみられた walshnote という語形は,古英語形からの発達や類推とは考えられず,おそらく大陸の親戚語を借用したものだろう.なお,この語は古フランス語でもゲルマン語的な語形成がなぞられて noix gauge (ガリアのナッツ)と称された.
nutcracker (クルミ割り器)の nut とはクルミである(マカダミアナッツを割ろうとすると歯が壊れるかもしれない).ここから,クルミがナッツの無標の代表として好まれてきたことが示唆される.悪玉コレステロールを下げる効果があるというので,私も常食しています.
「#2842. 固有名詞から生まれた語」 ([2017-02-06-1]) で挙げたリストのなかに macadamize /məˈkædəˌmaɪz/ という単語がある.「〈道路〉をマカダム工法で(砕石で)舗装する」ほどの意味で,この工法を発明したスコットランドの技師 J. L. McAdam (1756--1836) に由来する eponym である.OED によると,1823年に初出している(父称 Mc については,「#1673. 人名の多様性と人名学」 ([2013-11-25-1]) を参照).
ここで想起されるのは macadamia nut (マカダミアナッツ)である.案の定,こちらも,別人ではあるが,やはりスコットランド出身の Macadam 氏に由来するようだ.この人物は John Macadam (1827--65) というスコットランド生まれの化学者・医師で,当時 Secretary of the Philosophical Institute of Victoria という地位に就いていた.では,彼がマカダミアナッツを発見したのかというと,そういうわけではない.何でもオーストラリアに移住していた F. von Mueller という植物学者が,同協会の有能な秘書であり,友人でもあった Macadam 氏の名前をとって,この樹木に macadamia /ˌmækəˈdeɪmiə/ という属名をつけたということらしい(アルバーラ,p. 125).樹木名として,1858年に Mueller が次のように初出させている.
1858 F. von Mueller in Trans. Philos. Inst. Victoria 2 72 Macadamia ... A tree of oriental subtropical Australia, with leaves three in a whorl or rarely opposite.
マカダミアナッツはハワイでよく生産されているので思い違いされやすいが,上の引用にあるとおり,原産地はオーストラリアである.別名 Queensland nut とも言われるように,Queensland 南部を原産地とする.なお,この植物を発見した人物は,上に挙げた Mueller ではなく,アラン・カニンガムなる別の植物学者だということだ.「発見」とはいっても,西洋人による発見のことであり,先住民アボリジニはオーストラリアに渡ってきた4万年ほど前から食していたことだろう.
カリカリ感と香ばしさに優れた酒のつまみである.
・ ケン・アルバーラ(著),田口 未和(訳) 『ナッツの歴史』 原書房,2016年.
state には,原義としての「状態」のほか「国家」という語義がある.この語は,古フランス語 estat が初期中英語に入ったものであり,それ自体はラテン語 status からの借用語である.これはラテン語の動詞 stāre "to stand" の名詞形なので,本来的な意味は「立場,姿勢」ほどである.
その後,ラテン語でもフランス語でも様々な意味変化を経て多義語となったが,英語もその経路をなぞるようにして語義を発展させていった.「状態,形勢」から「地位,身分」へと発展し,さらに「威厳」や「階級」へも展開した.意味を限定して「支配階級」となると,その後「為政者集団」,そして集合的に「国家」にたどり着くまでの道のりは遠くなかった.このようにして,英語における state =「国家」の語義は,まさに近代国家の現われる16世紀前半に初出する.
さて,「国家」の語義を発展させた state と,「統計学」を意味する statistics の関わりは思いのほか深い.statistics の英語での初出は1787年と案外遅く,ドイツ語で造語された Statistik を借りたものだが,当時の意味は「国家の政治的事実の研究」ほどだった.つまり,statistics とは政治学の1分野として発展してきたものなのである.「国家の政治的事実」の最たるものは人口統計であり,国家,政治,人口,統計というキーワードは互いに結び付きが強かったのである.
日本語では,英語の population census を単なる「人口調査」ではなく,ものものしく「国勢調査」と訳している.これは,幕末から明治にかけての日本人が,西洋の思想と学問に触れ,statistics の訳語を検討した際に,現在に続く「統計学」のほか「国勢学」「形勢学」「政表」などの訳語を試用したことと無縁ではない.
最近は,言語学でも少し数字を駆使すれば "stats" として提示できるような,ある種の「軽さ」も禁じ得ない雰囲気があるが,本来 statistics は「国家」の影のちらつく,ものものしく重々しい語感を備えていたもののようだ.
1月9日の読売新聞朝刊の「翻訳語事情」に,population census = 「国勢調査」に関する記事があったので参考まで.
シップリー (722--39) に「固有名詞から生まれた言葉」の一覧がある.以下では,その一覧を参照用に再現する.各表現の故事来歴について詳しくは直接シップリーに,あるいは各種の辞書に当たっていただきたい.とりあえず,このような表現がたくさんあるものだということを示しておきたい.
Adonis
agaric
agate
Alexandrine
Alice blue
America
ammonia
ampere
Ananias
Annie Oakley
aphrodisiac
areopagus
argosy
Argus-eyed
arras
artesian well
astrachan
Atlantic
atlas
babbitt
bacchanals
bakelite
barlett (pear)
battology
bayonet
begonia
bellarmine
bergamask
bison
blanket
bloomers
bobby
bohemian
bowdlerize
bowie
boycott
braille
brie
Brithg's disease
bronze
brougham
Brownian movement
brummagem
bunsen (burner)
Casarean
camembert
cantaloup
cardigan
caryatid
Cassandra
cereal
chalcedony
cherrystone clams
Chippendale
coach
Colombia, Columbia
cologne
colophony
colt
copper
coulomb
cravat
cupidity
currant
daguerreotype
dauphin
derby
diesel (engine)
diddle
doily
dollar
dumdum bullet
Duncan Phyfe
Dundreary (whiskers)
echo
epicurean
ermine
erotic
euhemerism
euphuism
Fabian
Fahrenheit
faience
Fallopian
farad
Ferris (wheel)
fez
forsythia
frankfurter
frieze
galvanize
gamboges
gardenia
gargantuan
gasconade
gauss
gavotte
gibus
Gilbertian
gladstone (bag)
Gobelin
gongorism
Gordian knot
gothite
greengage
Gregorian (calendar/chant)
guillotine
hamburger
havelock
Heaviside layer
hector
helot
henry
hermetically
hiddenite
Hitlerism
Hobson's choice
hyacinth
indigo
iridium
iris
jacinth
Jack Ketch
Jack Tar
jeremiad
jobation
Jonah
joule
jovial
Julian calendear
laconic
lambert
landau
Laputan, Laputian
lavalier
lazar
leather-stocking
Leninism
Leyden jar
lilliputian
limousine
loganberry
Lothario
lyceum
lynch
macadamize
machiavellian
machinaw
mackintosh
magnet
magnolia
malapropism
Malpighian tubes
manil(l)a
mansard roof
marcel
martinet
Marxist
maudlin
mausoleum
maxim (gun)
mayonnaise
mazurka
McIntosh (apple)
Melba toast
Mendelian
mentor
Mercator projection
mercerize
mercurial
meringue
mesmerism
mho
milliner
mnemonic
morphine
morris chair
morris dance
Morse code
negus
nicotine
Nestor
Occam's razor
odyssey
ogre
ohm
Olympian
panama (hat)
panic
parchment
Parthian glance, Parthian shot
pasteurize
peach
peeler
peony
percheron
philippic
pinchbeck
Platonic
Plimsoll line [mark]
poinsettia
polka
polonaise
pompadour
praline
Prince Albert
procrustean
protean
prussic (acid)
Ptolemaic system
Pullman
pyrrhic victory
pyrrhonism
quisling
quixotic
raglan
rhinestone
rodomontade
Roentgen ray
roquefort
Rosetta Stone
Rosicrucian
Salic (law)
Sally Lunn
Samaritan
sandwich
sardine
sardonic
sardonyx
satire
saxophone
scrooge
Seidlitz
sequoia
shanghai
Sheraton
shrapnel
silhouette
simony
sisyphean
socratic
solecism
spaniel
Spencer
spinach
spruce
Stalinism
stentorian
Steve Brodie
sybarite
tabasco
tangerine
tarantella
tarantula
thrasonical
timothy
titanic
tobacco
Trotskyte
trudgen
Vandyke
vaudeville
venery
Victoria
volcano
volt
vulcanize
watt
Wedgwood ware
Wellington (boot)
Winchester rifle
wulfenite
Xant(h)ippe
Zeppelin
場所や人の名前をもとに,その来歴や何らかの特徴を反映した普通名詞が生まれるのは,主に metonymy の作用と考えられる.また,本来は固有の指示対象をもっていたものが,一般的に用いられるようになったという点で,意味の拡大の事例ともいえるだろう.
シップリーの語源に関するリストとしては,ほかに「#1723. シップリーによる2重語一覧」 ([2014-01-14-1]) でも話題にしたので参照を.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
連日この語にこだわっているが,今回は純粋に語源の話を. carnage の語根が「肉」を意味するラテン語根 carn-, carō に遡ることは既に述べたが,さらに印欧語根まで遡ると,*(s)ker- にたどり着く.「#2477. 英語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-07-1]) の記事で score という語に関連して少し触れたが,この *(s)ker- は「切る」 (to cut) を原義とする.意味のつながりは「切り分けられた肉」ほどだろうか.昨日の記事 ([2017-01-24-1]) で述べたように,carnage 「殺戮」の「戮」には「ばらばらに切ってころす」の意味があることにも留意したい.
印欧語根の意味がかくも基本的であるから,その語根ネットワークは幅広いはずである.語源辞典を調べてみると,次のような英単語群が究極的に同語根となる.
・ 古英語経由:scurf, shard, share, sharp, shear, shirt, short, shred, shroud, shrub
・ 古ノルド語経由:scar, score, scrap, scrape, scree, skerry, skirt
・ ラテン語経由:carnage, carnal, carnation, carnival, carnivorous, carrion, cenacle, charnel, coriaceous, cork, cortex, crone, cuirass, currier, curt, curtal, incarnate, kirtle
・ ギリシア語経由:coreopsis, corm
ラテン・ギリシア語系には難解な語も多いが,本来語を含むゲルマン系のものは日常的な語も多い.
ボキャビルのために,今回のような「語根ネットワーク」シリーズの他の記事として,「#695. 語根 fer」 ([2011-03-23-1]), 「#1043. mind の語根ネットワーク」 ([2012-03-05-1]), 「#1124. 地を這う賤しくも謙虚な人間」 ([2012-05-25-1]),「#1557. mickle, much の語根ネットワーク」 ([2013-08-01-1]),「#1602. star の語根ネットワーク」 ([2013-09-15-1]),「#1639. 英語 name とギリシア語 onoma (1)」 ([2013-10-22-1]),「#1708. *wer- の語根ネットワークと weird の語源」 ([2013-12-30-1]) もどうぞ.
先日のトランプ大統領の就任演説について,多くのメディアが酷評している.英語自体は相変わらずの「トランプ語法」で分かりやすいのは確かだが,語彙レベルは幼稚であるという(「#2825. 「トランプ話法」」 ([2017-01-20-1]) を参照).また,アメリカの歴代大統領の演説は一般に格調高く,理想に燃えた前向きの内容となるものだが,今回の演説には,過去の政権への批判をにじませた後ろ向きで否定的な要素が多いという.
そのような否定的な含意を最も直接的に感じさせたのが,American carnage という表現だ.演説の前半で,"This American carnage stops right here and stops right now." と述べている (see Inaugural address: Trump's full speech --- CNNPolitics.com) .
carnage とは「殺戮;(集合的に)大量の死体」を意味する文語的な語である.OALD7 の定義によると,"the violent killing of a large number of people" とある.また,OED の定義では " The slaughter of a great number, esp. of men; butchery, massacre." とある.いずれにせよ強烈な含意をもつ語である.現代英語から用例を挙げてみよう.
・ The scene of carnage was indescribable.
・ They hoped never to repeat the carnage of the First World War.
・ Years of violence and carnage have left the country in ruins.
carnage の語史をひもといてみよう.OED によると初出は1600年のことで,"1600 P. Holland tr. Livy Rom. Hist. ii. 16 The carnage and execution was no lesse after the conflict than during the fight." として初出する.Philemon Holland (1552--1637) が好んで用いたようだが,それ以降の使用は稀で,18世紀後半になってようやく一般的に用いられるようになった.
16世紀のフランス語に carnage という語が確認され,それが英語に入ったものと見られるが,そのフランス単語自体はイタリア語 carnaggio の借用である.そのとき,すでに「殺戮」の語義はあったようだ.このイタリア単語はさらに後期ラテン語 carnāticum からの借用であり,その段階での語義は "flesh-meat, also, the flesh-meat supplied by tenants to their feudal lords" だった.語根としては「肉」を意味するラテン語 carn-, carō に遡る.
古フランス語にも対応語として charnage という語が確認され,その北部方言形には英語形と同じ語頭子音をもつ carnage もあったが,英語版は後者からの直接の借用ではないようだ(当時の中央フランス語と北部(ノルマン)フランス語の子音対応 <ch> = /tʃ/ vs <c> = /k/ については,「#95. まだある! Norman French と Central French の二重語」 ([2009-07-31-1]) を参照).
いやはや,おぞましい語でアメリカ新政府が走り出したものだ.今後の成り行きを見守りたい.
Merry Christmas! ということで,軽めの話題を.数年前のことだが,英語の語源や故事成語に関する豆知識をカード化した Orijinz という教材(?)を買ったことがある.商品サイトにメールアドレスを登録していたらしく,先日 Orijinz Quiz という HP へのリンクが送られてきた.クイズが数問あり,こちらに解答が書かれていた.
そのなかの2問はすでに本ブログでも扱っている話題である.1つは「#2771. by and large」 ([2016-11-27-1]) で扱ったばかりの話題であり,別の1つは「#1767. 固有名詞→普通名詞→人称代名詞の一部と変化してきた guy」 ([2014-02-27-1]) の話である.
標題は「概して, 一般的に, 全般的に見て」を意味するイディオムである.以下の例文のように,文頭に使われることが多い.
・ By and large I think the emphasis should be on recruiting the right people.
・ By and large, I enjoyed my time at school.
・ By and large, the papers greet the government's new policy document with a certain amount of scepticism.
・ Charities, by and large, do not pay tax.
・ There are a few small things that I don't like about my job, but by and large it's very enjoyable.
なぜ by と large を結びつけて「概して」の意味になるのだろうか.
実は,いずれももともとは航海で用いられる表現である.by はここでは「風に向かって」 (by the wind) ほどを意味する副詞ととらえられる.前置詞 by は「?に向かって」 (toward) を意味することがあり,例えば do well by a friend (友だちによくしてやる),do one's duty by one's parents (両親に本分を尽す),Do to others as you would be done by. (人にしてもらいたいように人に尽くせ),North by East (東寄りの北)などに用例を見いだすことができる.一方,large は「風から離れて」を意味する副詞として用いられている.この意味では to go large や to sail large などと使われることが多い.この対をなす by と large は,いずれも航海用語として17世紀初頭に初出している.
さて,この2語を結びつけた by and large というイディオムも,少し遅れて1669年に初出している.当時の意味は,予想される通り「船が風に向かったり離れたりして」 ("to the wind and off it") ほどだった.これが,やがて「あちこち,全般にわたって」 ("in one direction and another, all ways") の意味で1706年に現われ,さらに現在の「概して」 ("in a general aspect, without entering into details, on the whole") の意味で1833年に用いられている.意味の一般化の例と言っていいだろう.以下にそれぞれの意味の初出例を OED より挙げておこう.
・ 1669 S. Sturmy Mariners Mag. 17 Thus you see the ship handled in fair weather and foul, by and learge.
・ 1707 E. Ward Wooden World Dissected 35 Tho' he trys every way, both by and large, to keep up with his Leader.
・ 1833 J. Neal Down-easters I. 23 A man who feels rather perplexed on the whole, take it by and large.
日本語で「超弩級の台風」などというときの「弩」とは,1906年にイギリス海軍が完成した巨砲を備えた新型戦艦につけた名前 Dreadnought の頭文字をとり,それに「おおゆみ,いしゆみ,力強い弓」を意味する漢字を当てたものである.Dreadnought は文字通り dread + nought (= nothing) で「こわいもの知らず」の戦艦である.イギリスは,当時の主要海軍国に対して圧倒的な差をつけるべく,既出艦よりも並外れて大きな戦艦 Dreadnought を作り出した.建造に関わる情報は隠されていたため,他の列強は Dreadnought の出現に慌てたが,すぐに追随し,各種の「弩級戦艦」が現われた.American Heritage Dictionary の定義によると,"a battleship armed with six or more guns having calibers of 12 inches or more" である.
しかし,dreadnought という単語の初出は実は20世紀初頭ではない.すでにエリザベス朝の1573年にやはり戦艦の名前として使われているのである.OED によると,"Acct. Treasurer Marine Causes (P.R.O.: E 351/2209) m. 8d, In newe beildinge and erectinge fower newe shipes called the Swifte sewer, the Dreadnoughte, the Achates & the handmayd." が初例となっている.
軍事史を塗り替えた20世紀初頭の「ドレッドノート」の例は,先に述べたように1906年のことで,"Outlook 20 Oct. 495/2 The Atlantic Fleet will consist of three Dreadnoughts and five of the Canopus class." として出ている.ドレッドノートの出現がいかに世界史的なインパクトがあり画期的だったかは,早くも1908年に the pre-Dreadnought period という表現が初出していることからも分かるだろう.
dreadnought はその他の語義でも近代英語期から用いられている.「こわいもの知らず《人》」の語義で17世紀から例が見られるし,18世紀末には「荒天用の厚手のラシャ(製外套)」の語義でも用いられている.この厚手の生地の意味としては,類義語に fearnought (or fearnaught) という語もあり,やはり18世紀後半に現われている.
さて,軍事史上の画期をなした Dreadnought の出現の背景には,日本の開発した下瀬火薬が日露戦争の日本海海戦で大活躍したという事実が関与していたという.下瀬火薬は炸裂威力が強く,バルチック艦隊はその砲弾の前になすすべがなかった.渡部 (191--94)曰く,
下瀬火薬の前に敗れさったロシア海軍の姿を見て,世界中の海軍関係者は大きなショックを受けた.「装甲による防御」という考えが,下瀬火薬によってまったく否定されてしまったからである.
この日本海海戦以降,世界中の戦艦は一変した.一九〇六年にイギリス海軍が建造したドレッドノート号という戦艦が,その最初の例になった.ドレッドノート号では,それまで舷側に並べられていた副砲を全廃し,厚い鉄板の砲塔に守られた主砲のみを据えつけるようになったのである.
従来の副砲は,いわば剥き出しの状態なので,下瀬火薬のような爆風が来ればたちまち使用不能になる.「ならば,いっそのこと副砲は全廃して,砲塔に守られて安全な主砲だけにしよう」というのが,イギリス海軍の発想であった.
もちろん,副砲を廃止するわけだから,その分,主砲の数は増えている.それまでの戦艦では主砲は前後に一基二門ずつの計四門であったのだが,ドレッドノート号は一二インチ砲十門を備える,化物のような戦艦になった.
これ以来,世界の海軍は“大艦巨砲時代”に突入する.
ドレッドノートの出現は,既存の戦艦をすべて旧式艦にしてしまったから,列強は争って「ド級戦艦」あるいは「超ド級戦艦」を建造することになった(ド級とは,ドレッドノート級の略).その結果,建艦競争があまりにも過熱したため,とうとうワシントン会議(一九二一?二二)を開いて,列強の間で戦艦保有数を制限しなければならなかったほどであった.
ドレッドノート,恐るべし (Dread it!) .
・ 渡部 昇一 『世界史に躍り出た日本』「日本の歴史」第5巻 明治篇,ワック,2016年.
プランクトン (plankton) とは,百科事典によると「水の中でただよって生きている生物.浮遊生物とも呼ばれる.海や川などの水の中で,まったく運動しないか,わずかに運動しながら,ただよって生きている.光合成を行なう植物プランクトンと,これを食べる動物プランクトンとに分けられる.体の大きさはさまざまで,微生物と同じくらいの小さなものから,クラゲのように1mくらいのものまでいる」.
確かに「プランクトン」のイメージはミドリムシやミジンコなどの小さな生物だが,大きさは無関係ということである.極小の0.02μmから2mの大型クラゲまでを含み,エビ,カニ,ウニ,ナマコ,貝類も変態前の幼生時には動物プランクトンとして暮らしている.つまり,プランクトンとは,運動や生活の形態による生物の分類ということのようだ.
plankton という英単語は,ドイツの生理学者 Viktor Hensen (1835--1924) がギリシア語要素を用いて造ったものを英語が借用したもので,OED によると初出は1889年である.ギリシア語の中動態動詞 plázesthaí (to wander) の現在分詞 plagktós の中性形 plagktón に由来する.この動詞の語幹は,究極的には印欧祖語の *plāk- (to strike) に遡る.意味的には,「叩く」から「ひっくり返す」を経て,中動態の「回転する」「ブラブラする」から「放浪する」へと変化したものと思われる.
この語根をもつ英単語としては,ギリシア語から apoplexy (血の溢出), paraplegia (対麻痺), plectrum (ギターのつめ), -plegia (麻痺)があり,ラテン語から complain (不満をいう), plague (疫病), plaint (告訴状), plangent (打ち寄せる)がある.古ノルド語由来の flaw (突風), fling (投げつける)では,子音 p がグリムの法則を経て f となっている.
同じ究極の語根に遡るとはいえ,plague では to strike の能動的で攻撃的な含意がいまだ感じられるのに対し,plankton では to wander の中動・受動的なフワフワ感が感じられ平和である.先日,水族館で大小様々なプランクトンの漂う姿を眺めて癒やされたので,こんな記事を書いてみました・・・.
現代英語の hoarse (しゃがれ声の)には r が含まれているが,古英語での形は hās であり,r はなかった.主要な語源辞典によると,この r は中英語期における挿入であるという.意味的に緩く関連する中英語 harsk (harsh, coarse) などからの類推だろうとされている.
ただし,この r の起源は,もっと古いところにある可能性もある.ゲルマン祖語では *χais(r)az, *χairsaz が再建されており,もともと r が s の前後に想定されている(前後しているのは音位転換 (metathesis) の関与によるものと考えられる).実際に,ゲルマン諸語で文証される形態は,(M)HG heiser, MDu heersch, ON háss (< *hārs < *hairsaR) など,r を含んでいるか,少なくとも前段階で r が存在していたことを示唆している.
一方,古英語と同様に r を欠く形態を示す言語も少なくない.OFr hās, OS & MLG hēs, OHG heis などである.どうやら,時代にもよるが,英語にかぎらず複数の言語変種において,r の有無は揺れを示していたようだ.とすると,古英語で r を含む形態が文証されず,中英語になって初めて文献上に現われたからといって,古英語で r 形がまったく使われていなかったとは言い切れなくなる.
中英語では,hoos, hos, hors などが共存しており,実際この3つの綴字は Piers Plowman, B. xvii. 324 の異写本間に現われる.異綴字については,MED の hōs (adj.) も参照.
r の挿入ではなく r の消失という過程についていえば,英語史上,ときどき観察される.例えば,「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]),「#2368. 古英語 sprecen からの r の消失」 ([2015-10-21-1]) の事例のほか,arse の r が19世紀に脱落して ass となったケースもある.しかし,今回のような r の挿入(と見えるような)例は珍しいといってよいだろう(だが,「#500. intrusive r」 ([2010-09-09-1]),「#2026. intrusive r (2)」 ([2014-11-13-1]) を参照).
現代英語で「悲しい」を意味する sad は,古英語の sæd に対応するが,後者には「悲しい」の語義はなく,当時の意味は「満足した,十分な;飽きた」だった.ゲルマン祖語の形態は *saðaz と再建されており,ゲルマン諸語の同根語はオランダ語 zat, ドイツ語 satt, 古ノルド語 saðr, ゴート語 saþs となる.さらに印欧祖語に遡ると *sā "to satisfy" にたどりつき,ここからはラテン語 satis "enough" も生まれている.したがって,ラテン語から英語に入った satis, satisfaction, satisfy は,sad と同じ語根をもっていることになる.
古英語の語義「満足した」はその後15世紀半ばまで存続したが,一方で「悲しい」の語義が1300年までに生じていた.14世紀中には「確固たる」「真剣な,まじめな」などの語義も生じている.したがって,中英語には,上記の様々な語義が共存していた.例えば,Cursor Mundi では,原義の「満足した」が Thof that thou euer vpon him se, / Of him sadd sal thou neuer be. として観察されるし,Chaucer の "The Man of Law's Tale" からは In Surrye whilom dwelte a compaignye / Of chapmen riche and therto sadde and trewe. では「まじめな」の語義が認められる.同じく Chaucer の The Romaunt of the Rose では,現代的な語義が She was cleped Avarice. . . Full sad and caytif was she. において見られる.
このように,複数の語義が,初出年代は多少前後するものの14世紀前半辺りに立て続けに現われていることから,いずれかの語義がつなぎ役となって,原点「満足した」から仕舞いには「悲しい」へと到着したものと想像される.しかし,いかなる「つなぎ」により,「満足した」から「悲しい」へ至ったのかという問題については,確かなことはわかっていない.シップリーの語源辞典では「十分に満たされると飽きた (sated) 気持ちになり,少しもの悲しく (sad) なるものである」と述べられているが,別の可能性もある.例えば,食べ過ぎて「満足した」状態になると,人間は動きたくなくなり,実際に動けなくなる.動けずに居座っていると「腰を据えた,落ち着いた,安定した」あるいは「重々しい」状態となる.ここから「真剣な,まじめな」が生じ,これが度を超すと「悲しい,悲壮な」状態に至る,という道筋はどうだろうか.『英語語義語源辞典』はこの道筋を取っているようだ.
sad については,「#1954. 意味変化によって意味不明となった英文」 ([2014-09-02-1]) でも少し触れているので,要参照.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ 小島 義郎,岸 暁,増田 秀夫・高野 嘉明(編) 『英語語義語源辞典』 三省堂,2007年.
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