語源の異なる要素が組み合わさって形成された複合語や派生語などは混種語 (hybrid) と呼ばれる.その代表例として英語については「#96. 英語とフランス語の素材を活かした混種語 (hybrid)」 ([2009-08-01-1]) で,日本語については「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]) などで挙げてきた.他言語との接触の歴史が濃く長いと,単なる語の借用に飽き足りず,借用要素を用いて自由に造語する慣習が発達するというのは自然である.和製英語を含めた「○製△語」もしかり,今回話題の「混種語」もしかりだ.
混種語を話題にするときには,およそ借用要素と本来要素の組み合わせの例を考えることが多い.例えば,commonly や murderous では赤字斜体部分がフランス語要素,それ以外が英語本来語要素である.日本語の「を(男)餓鬼」においては「餓鬼」が漢語要素,「を」が日本語本来語要素である.
しかし,様々な言語からの借用を繰り返してきた言語にあっては,言語Aからの借用語要素と言語Bからの借用語要素が組み合わさった混種語,つまり本来語要素が含まれないタイプの混種語というのもあり得る.英単語でいえば,television はギリシア語要素の tele- とラテン語要素の vision が組み合わさった,本来語要素が含まれないタイプの混種語である.いずれの要素も借用語要素には違いなく,語源学者でない限りソース言語の違いなど通常は識別できないという事情もあるからだろうか,このタイプの混種語は相対的に注目度が低いように思われる.しかし,このタイプは実際には英語語彙のなかに相当数あるのではないか.ギリシア語やラテン語に由来する連結形 (combining_form)を用いた学術用語や専門用語の例がとりわけ多そうで,これが認知度を低めている要因かもしれない.
そんなことを思ったのは,先日,大学院生が -philia (?愛好症)と -phobia (?恐怖症)というギリシア語に由来する連結形を含む英単語を集め,前置されている第1要素の語種を調べて報告してくれたからだ.いずれの場合も,第1要素の大半は予想されるとおりギリシア語要素だったが,1/3ほどがラテン語要素だったという.「ラテン語要素+ギリシア語要素」となる例をいくつか挙げれば,Anglophilia (イングランド贔屓),canophilia (犬好き),claustrophobia (閉所恐怖症),verbophobia (単語恐怖症)などである.見過ごされやすいタイプの混種語に光が当てられ,とても勉強になった.
なお,『新英語学辞典』 (313) に,このタイプの混種語について次のように記述があったが,やはり扱いは素っ気なく,この程度にとどまっていた.
混種語は本来語と外来語の結合のみとは限らない.外来の語基・接辞についてもみられる: hypercorrect (= overly correct; Gk + L), visualize (< LL visuālis + Gk -ize) .
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
hellog ラジオ版の第18回は,なぜ <w> の綴りのない one が /wʌn/ と発音されるのですか,という素朴な疑問です.英語の綴字と発音の関係はメチャクチャと言われますが,one ほどの基本語でそれが観察されるということは,やはりただ事ではありません.しかも,古今東西 <w> の文字なくして /w/ で発音される単語など他に思いつきません.ちょっとひどすぎる単語ということになります.では,その歴史的背景を覗いてみましょう.
<one> = /wʌn/ は,いくら現代的な観点から共時的に迫っても解決しません.中英語の方言発音とその後のスペリングの標準化の過程に由来する,すぐれて歴史的な問題だからです.言語はこのように,まずもって歴史的な存在なのです.
言語は確かに体系としての側面があります.だからこそ,現代の理論言語学が成り立っているのです.しかし,それがすべてではありません.言語特徴のなかには,前世代から受け継がれ,必ずしも現代的に再編された体系には適応せず,旧来のまま残っているものもあります.一方,現代の言語には,次の世代を見据えて先取りした新しい言語特徴も部分的に反映されています.言語は,世代ごとにゆっくりとバトンリレーを繰り返していく通時的な存在なのです.
本来の /aːn/ が,one とその関連語において歴史の過程で環境に応じて /oʊn/, /wʌn/, /ən/, /ə/ などに発展し,それらが現在も姉妹形として共存しているのです.
そこには半分音声学的な理屈がありますが,もう半分は歴史の戯れです.理屈で説明できるところはしっかり説明し,そうでないところは歴史の戯れとして受け入れる.言語はそれくらいの緩さを示すものなのだと思います.
この問題と関連して,##86,89,3573,831,2723,3551の記事セットをご覧ください
hellog ラジオ版の第15回は,スペリングと発音の不一致しない事例の1つを取り上げます.women = /ˈwɪmɪn/ は,どうひっくり返っても理解できないスペリングと発音の関係です.単数形は woman = /ˈwʊmən/ となり,まだ理解できるのですが,複数形の women = /ˈwɪmɪn/ は,いったい何なのかという疑問です.以下をお聴きください.
最後のところで英語史の教訓として述べたように,現在不規則にみえるものが歴史的には規則的であり,説明を要しないということは多々あります.むしろ,現在規則的にみえるもののほうが歴史的には問題となってくるパターンが多いのです.
また,今回の話題のように,英語史と音声学の知識はしばしば関わり合います.本格的に英語史を学んでみたいという方は,是非とも音声学もいっしょに学んでください.英語史のおもしろさのかなりの部分は発音の変化にあります.今回取り上げた問題とその周辺については,##223,224の記事セットをどうぞ.
OED が OED Text Visualizer という物凄いツールを作っている.入力欄に英文テキストを放り投げると,OED の情報に基づいて背後で各単語にタグが付され,初出年代と語源をタイムラインで視覚的に表現してくれるというものだ.いつかこのようなツールが作れたら(あるいは誰かが作ってくれたら)いいなと私が夢見ていたような語源表示ツールである.これまでも技術的には十分に可能だったろうが,本格的に取り組む者が現われなかった.それを OED が実装してくれたというのは,さすがである.開発中のベータ版ということで,入力する英文は500語まで,また1750年以後の英文でないと精度が下がるなどの制限はあるようだが,十分に楽しめる.
百聞は一見に如かず.「#3276. Churchill の We Shall Fight on the Beaches 演説」 ([2018-04-16-1]) より,308語からなる英文の1節を放り込んでみた.1940年の演説なので,その年代も添えつつ Vizualize ボタンをクリックすると,次のような図が返される(画像クリックで拡大).
テキストに現われる各単語(レンマ)がバブルで表現されている.バブルの左右の位置はその語の初出年代に対応し,色は語源に,大きさは同テキスト内の頻度に対応する.バブルにマウスを乗せれば,その語の詳しい情報が得られる.スゴい.
画面のさらに下には,各単語が token ベース,および lexeme ベースでタグ付けされた情報が一覧され,CSV や JSON でダウンロードできるので,後からプログラムを用いて詳しく分析することも可能である.
いや,驚いた.英語史の研究方法もどんどん変わっていきそうだ.
hellog ラジオ版の第13回です.度数を表わす once, twice が基数詞 one, two と関連することはすぐに分かると思います.であるならば,語尾の -ce が「度」を意味するにちがいないと直感されるでしょう.3以上であれば three times, four times などと表現するので,いわば -ce = times なのだろうと.
意味的にはおよそその通りです.しかし,この -ce はいったいどこから来たのでしょうか.その答えは,このスペリングだと騙されてしまうのですが,なんと -s なのです.複数形の -s ではありません,アポストロフィつきの所有格の -'s のことです.では,「?の」を表わす所有格の語尾が,なぜ副詞的に用いられる度数・倍数と関係するのでしょうか.以下をお聴きください.
歴史的には,所有格(英語史の用語では「属格」)は,単に所有を表わすにとどまらず,広く副詞的な機能を担当していました.驚くなかれ,現代英語の always, sometimes, needs などにみられる -s も歴史的には古い属格語尾に由来するのです.複数形の -s に由来するのではないのでご注意を!
この問題については,##81,84,1793,2135,723,1306,1554,4081の記事セットで深く論じていますので,ご参照ください.
昨日の記事「#4094. 2重語の分類」 ([2020-07-13-1]) で取り上げた2重語 (doublet) の上を行き,3重語,4重語,5重語などの「多重語」の例を,『新英語学辞典』 (344) よりいくつか挙げたい.本ブログ内の関連する記事へのリンクも張っておく.
(a) 3重語 (triplet)
・ hale (< ME hal, hale, hail 〔北部方言〕 < OE hāl), whole (< ME hol, hool, hole 〔南部方言〕 < OE hāl), hail (← ON heill) (cf. 「#3817. hale の語根ネットワーク」 ([2019-10-09-1]))
・ place (← OF place < L platēa), plaza (← Sp. plaza < L platēa), piazza (← It. piazza < L platēa)
・ hotel (← F hôtel < OF hostel < ML hospitāle), hostel (← OF hostel < ML hospitāle), hospital (← ML hospitāle) (cf. 「#171. guest と host (2)」 ([2009-10-15-1]))
・ a, an, one (cf. 「#86. one の発音」 ([2009-07-22-1]))
(b) 4重語 (quadruplet)
・ corpse (← MF corps < OF cors < L corpus), corps (← MF corps < OF cors < L corpus), corpus (← L corpus), corse (← OF cors < L corpus)
(c) 5重語 (quintuplet)
・ palaver (← Port palavra < L parabola), parable (← OF parabole < L parabola), parabola (← L parabola), parley (← OF parlée < L parabola), parole (← F parole < L parabola)
・ discus, disk, dish, desk, dais (cf. 「#569. discus --- 6重語を生み出した驚異の語根」 ([2010-11-17-1]))
・ senior, sire, sir, seigneur, signor
なお,日本語からの4重語の例として,カード,カルタ,カルテ,チャートが挙げられている (cf. 「#1027. コップとカップ」 ([2012-02-18-1])).
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
同一語源にさかのぼるが,何らかの理由で形態と意味が異なるに至った1組の語を2重語 (doublet) と呼ぶ.本ブログでも様々な種類の2重語の例を挙げてきた(特に詳細な一覧は「#1723. シップリーによる2重語一覧」 ([2014-01-14-1]) と「#1724. Skeat による2重語一覧」 ([2014-01-15-1]) を参照).2重語にはいくつかのタイプがあるが,『新英語学辞典』 (343--44) に従って,歴史言語学的な観点から分類して示そう.
(1) 借用経路の異なるもの.
・ sure (← OF sur < L sēcūrus), secure (← L sēcūrus)
・ poor(← OF povre, poure < L pauper), pauper (← L pauper)
・ filibuster (← Sp. filibustero ← Du. vrijbuiter), freebooter (← Du. vrijbuiter)
・ caste (← Port. casta < L castus), chaste (← OF chaste < L castus)
・ madam(e) (← OF ma dame < L mea domina), Madonna (← It. ma donna < L mea domina)
(2) 本来語と外来語によるもの.
・ shirt (< OE scyrte < *skurtjōn-), skirt (← ON skyrta < *skurtjōn-)
・ naked (< OE nacod, næcad), nude (← L nūdus)
・ brother (< OE brōðor), friar (← OF frere < L frāter)
・ name (< OE nama), noun (← AN noun < L nōmen)
・ kin (< OE cynn), genus (← L genus)
(3) 同一言語から異なる時期に異なる形態あるいは意味で借用されたもの.
・ cipher (← OF cyfre ← Arab. ṣifr), zero (← F zéro ← It. zero ← Arab. ṣifr)
・ count (← OF conter < L computāre), compute (← MF compoter < L computāre)
・ annoy (← OF anuier, anoier < L in odio), ennui (← F ennui < OF enui < L in odio)
(4) 同一言語の異なる方言からの借用によるもの.(cf. 「#76. Norman French vs Central French」 ([2009-07-13-1]),「#95. まだある! Norman French と Central French の二重語」 ([2009-07-31-1]),「#388. もっとある! Norman French と Central French の二重語」 ([2010-05-20-1]))
・ catch (← ONF cachier), chase (← OF chacier)
・ wage (← ONF wagier), gage (← OF guage)
・ warden (← ONF wardein), guardian (← OF guardien)
・ warrant (← ONF warantir), guarantee (← OF guarantie)
・ treason (← AN treyson < OF traison < L traditionis), traditiion (← OF tradicion < L traditionis) (cf. 「#944. ration と reason」 ([2011-11-27-1]))
(5) 英語史の中で同一語が,各種の形態変化により分裂 (split) し,二つの異なる語になったものがある.本来語にも借用語にも認められる.
・ outermost, uttermost
・ thresh, thrash
・ of, off
・ than, then (cf. 「#1038. then と than」 ([2012-02-29-1]))
・ through, thorough (cf. 「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]))
・ wight, whit
・ worked, wrought (cf. 「#2117. playwright」 ([2015-02-12-1]))
・ later, latter (cf. 「#3616. 語幹母音短化タイプの比較級に由来する latter, last, utter」 ([2019-03-22-1]),「#3622. latter の形態を説明する古英語・中英語の "Pre-Cluster Shortening"」 ([2019-03-28-1]))
・ to, too
・ mead, meadow
・ shade, shadow (cf. 「#194. shadow と shade」 ([2009-11-07-1]))
・ twain, two (cf. 「#1916. 限定用法と叙述用法で異なる形態をもつ形容詞」 ([2014-07-26-1]))
・ fox, vixen
・ acute, cute
・ example, sample (cf. 「#548. example, ensample, sample は3重語」 ([2010-10-27-1]))
・ history, story
・ mode, mood (cf. 「#3984. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (2)」 ([2020-03-24-1]))
・ parson, person (cf. 「#179. person と parson」 ([2009-10-23-1]))
・ fancy, fantasy
・ van, caravan
・ varsity, university
・ flour, flower (cf. 「#183. flower と flour」 ([2009-10-27-1]))
・ travail, travel
上記の2重語の例のいくつかについては,本ブログでも記事で取り上げたものがあり,リンクを張っておいた.その他の2重語についても両語を検索欄に入れればヒットするかもしれない.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
標題は「#81. once や twice の -ce とは何か」 ([2009-07-18-1]) を始め「#84. once, twice, thrice」 ([2009-07-20-1]),「#1793. -<ce> の 過剰修正」 ([2014-03-25-1]) で取り上げてきた.先の記事に対して,もう少し正確なところを補足したい.
古英語では,現代英語の once, twice, thrice に対応する「1度」「2度」「3度」の意味は,対応する基数詞の音韻形態的変異版というべき æne, twiga, þrīwa という語によって表わされていた.æne についていえば,この形態は基数詞 ān (one) の具格形に由来する.これらの数の副詞は古英語に始まり,中英語にも受け継がれた.OED より,各々が単独で用いられた最初例と最終例,および語源欄からの記述を引用しよう.
†ene, adv.
. . . .
Etymology: Old English ǽne, instrumental case of án one. Compare Middle High German eine.
. . . .
OE Beowulf 3019 Ac sceal..oft nalles æne elland tredan.
. . . .
c1325 Chron. Eng. in Ritson Met. Rom. II. 304 Ene heo [the Danes] him [Edmund] overcome.
†twie | twye, adv.
. . . .
Etymology: Old English twiga, etc. (also twiwa, tuwa, etc.) = Old Frisian twîa, tuiia, Old Saxon tuuio (Middle Low German twie, twige), adverb < stem twi- , TWI- comb. form: compare the etymological note to THRIE adv.
. . . .
a900 tr. Bede Eccl. Hist. iv. iv. 278 (Tanner MS.) Þætte twigea on gere seonoð gesomnode.
. . . .
a1450 J. Myrc Instr. to Par. Priests 119 Folowe thow not þe chylde twye.
†thrie | thrye, adv.
. . . .
Etymology: Old English þríwa, ðríga = Old Frisian thrî(i)a, Old Saxon thrîuuo, thrîio. Like twíwa, etc., not found outside the Saxon-Frisian group of West Germanic, and of obscure formation. They seem to have the form of genitival adverbs, twi-a, þri-a, with the gap between i and a variously filled up by w and g (again lost in Middle English), and lengthened by assimilation to þrí, THREE adj. and n. See further under TWIE adv.
. . . .
c950 Lindisf. Gosp. Mark xiv. 30 Ðria [Rushw. ðrige] mec ðu bist onsæcc.
. . . .
?a1500 Chester Pl. (Shaks. Soc.) II. 25 Or the cocke have crowen thrye Thou shalte forsake my companye.
このように上記の形態の数の副詞が古英語から中英語まで行なわれていたが,初期中英語期になると,属格語尾に由来する -es を付した現代に連なる形態が初出し,伝統的な -es なしの語形を徐々に置き換えていくことになった.「副詞的属格」 (adverbial_genitive) により,度数を表わす副詞であることをより一層明確に示すための強化策だったのだろう.
中英語では ones, twies, thrise などと s で綴られるのが普通であり,発音としても2音節だったが,14世紀初めまでに単音節化し,後に s の発音が有声化する契機を失った.それに伴って,その無声音を正確に表わそうとしたためか,16世紀以降は <s> に代わって <ce> の綴字で記されることが一般的になった.
以上をまとめると,once, twice, thrice の -ce は副詞的属格の -es に由来すると説明することはいまだ可能だが,「副詞的属格の -es」が喚起するような,実際に古英語で通用されていた -es 付きの表現に直接由来するという説明は適当ではない.古英語期に,副詞としての æne, twiga, þrīwa が行なわれていた土台の上に,初期中英語期にその副詞性を改めて強調するために属格語尾 -es を付した,というのが事実である.
昨日の記事「#4071. 意外や意外 able と -able は別語源」 ([2020-06-19-1]) でみたように,表面的には酷似していても,語源がまったく異なるという例は少なくない.逆に,表面的には似ても似つかないのに語源的には同一ということもある.後者の例としては「#778. P-Celtic と Q-Celtic」 ([2011-06-14-1]) で少し触れた cow と beef の例がある(←なんと同語源).
前者の例として,昨日,形容詞 able の語源と関連して取り上げたラテン語動詞 habēre と英語動詞 have の関係を挙げよう.両語とも音形が似通っており,「もっている」という語義を共有していることから,常識的には語源的に関連があると思ってしまうだろう.しかし,「#2297. 英語 flow とラテン語 fluere」 ([2015-08-11-1]) でも指摘したとおり,別語源である.
いずれの語も各言語ではきわめて基本的な本来語の動詞であるから,語源的には have はゲルマン系,habēre はイタリック系に遡る.グリムの法則 (grimms_law) について学んだことがあれば,語頭 h のような音が,同法則の音変化を経たゲルマン系の語形と,それとは異なる経緯をたどったイタリック系の語形とのあいだで共有されることのないことが,すぐに分かる.グリムの法則から逆算すれば英語の h は印欧祖語の *k に遡るはずであり,一方でラテン語の h は印欧祖語の *gh に対応するはずである.つまり,英語本来の h とラテン語本来の h の起源は一致しない.
英語 have は,印欧祖語 *kap- (to grasp) に遡る.この祖形は子音を変化させずにラテン語に継承され,capere (to hold) などに残っている.その派生語に由来する caption, captive, capture などは,中英語期以降に英語へ借用されている.
一方,ラテン語 habēre は印欧祖語 *ghabh- (to give; to receive) に遡り,これはなんと英語 give と同根である.「与える」と「受ける」という反対向きの語義が *ghabh- に同居していたというのは妙に思われるかもしれないが,「授受」や「やりもらい」はそもそも相互行為であり,第3者からみれば同じ一つの行為にみえる.このような語は (contronym) といわれる(「#566. contronym」 ([2010-11-14-1]) や「#1308. learn の「教える」の語義」 ([2012-11-25-1]) を参照).語源的に関連する語はラテン語から英語へ意外と多く入ってきており,昨日の able はもちろん,habit, exhibit, inhabit, inhibit, prohibit なども語根を共有する.もちろんフランス語,スペイン語の基本動詞 avoir, habere もラテン語 habēre の系列であり,英語 have とは語源的に無関係である.
標題は「見せかけの語源」の好例だろう.「見せかけの語源」の問題については『英語語源辞典』(pp. 1666--67) を参照されたい.
・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
標題に驚くのではないでしょうか..形容詞 able と接尾辞 -able は語源的には無関係なのです.スペリングは同一,しかも「?できる」という意味を共有していながら,まさか語源的なつながりがないとは信じがたいことですが,事実です.いずれも起源はラテン語に遡りますが,別語源です.
形容詞 able は,ラテン語 habilem に由来し,これがフランス語 (h)abile, able を経て中英語期に入ってきました.当初より「?できる」「有能な」の語義をもっていました.ラテン語 habilem は,動詞 habēre (もつ,つかむ)に形容詞を作る接尾辞 -ilis を付した派生語に由来します(同接尾辞は英語では -ile として,agile, fragile, juvenile, textile などにみられます).
一方,接尾辞 -able はラテン語の「?できる」を意味する接尾辞 -ābilis に遡ります.これがフランス語を経てやはり中英語期に -able として入ってきました.ラテン語の形式は,ā と bilis から成ります.前者は連結辞にすぎず,形容詞を作る接尾辞として主たる役割を果たしているのは後者です.連結辞とは,基体となるラテン語の動詞の不定詞が -āre である場合(いわゆる第1活用)に,接尾辞 bilis をスムーズに連結させるための「つなぎ」のことです.積極的な意味を担っているというよりは,語形を整えるための形式的な要素と考えてください.なお,基体の動詞がそれ以外のタイプだと連結辞は i となります.英単語でいえば,accessible, permissible, visible などにみられます.
以上をまとめれば,語源的には形容詞 able は ab と le に分解でき,接尾辞 -able は a と ble に分解できるということになります.意外や意外 able と -able は別語源なのでした.当然ながら ability と -ability についても同じことがいえます.
語源的には以上の通りですが,現代英語の共時的な感覚としては(否,おそらく中英語期より),両要素は明らかに関連づけられているといってよいでしょう.むしろ,この関連づけられているという感覚があるからこそ,接尾辞 -able も豊かな生産性 (productivity) を獲得してきたものと思われます.
(後記 2022/10/02(Sun):この話題は 2020/10/18 に hellog-radio にて「#34. 形容詞 able と接頭辞 -able は別語源だった!」として取り上げました.以下よりどうぞ.)
「#4060. なぜ「精神」を意味する spirit が「蒸留酒」をも意味するのか?」 ([2020-06-08-1]) と「#4061. sprite か spright か」 ([2020-06-09-1]) の記事で,ラテン語 spīrāre (息をする)や spīritus (息)に由来する語としての spirit, sprite/spright やその派生語に注目してきた.「息(をする)」という基本的な原義を考えれば,メタファーやメトニミーにより,ありとあらゆる方向へ語義が展開し,派生語も生じ得ることは理解しやすいだろう.実際に語根ネットワークは非常に広い.
spiritual, spiritualist, spirituous に始まる接尾辞を付した派生語も多いが,接頭辞を伴う動詞(やそこからの派生名詞)はさらに多い.inspire は「息を吹き込む」が原義である.そこから「霊感を吹き込む」「活気を与える」の語義を発達させた.conspire の原義は「一緒に呼吸する」だが,そこから「共謀する,企む」が生じた.respire は「繰り返し息をする」すなわち「呼吸する」を意味する.perspire は「?を通して呼吸する」の原義から「発汗する;分泌する」の語義を獲得した.transpire は「(植物・体などが皮膚粘膜を通して)水分を発散する」が原義だが,そこから「しみ出す;秘密などが漏れる,知れわたる」となった.aspire は,憧れのものに向かってため息をつくイメージから「熱望する」を発達させた.expire は「(最期の)息を吐き出す」から「終了する;息絶える」となった.最後に suspire は下を向いて息をするイメージで「ため息をつく」だ.
福島や Partridge の語源辞典の該当箇所をたどっていくと,意味の展開や形態の派生の経路がよくわかる.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ 福島 治 編 『英語派生語語源辞典』 日本図書ライブ,1992年.
・ Partridge, Eric Honeywood. Origins: A Short Etymological Dictionary of Modern English. 4th ed. London: Routledge and Kegan Paul, 1966. 1st ed. London: Routledge and Kegan Paul; New York: Macmillan, 1958.
6月6日の朝日新聞朝刊11面の「ことばサプリ」欄に「スピリッツ お酒は魂を帯びている?」という話題が掲載された.英単語 spirit(s) の語誌について,この記事と関連した取材を通じて私も情報を提供したので,その際に調べて考えたことを以下にまとめておきたい. *
英語で spirit といえば,第1義的に「精神,心」や「霊,霊魂」のように肉体に対する精神的なものを指す.そこから精神的な作用である「気分」「元気」「気力」などへ語義が発達していったことは比較的理解しやすいだろう.しかし,主に複数形 spirits で,ウイスキー,ブランデー,ジン,ラムを含むアルコール度数の高い蒸留酒を意味するようになったのは,どういうわけだろうか.
spirit の語源を探ってみよう.その語根はラテン語 spīrāre (息をする)の語根に一致する.ここからさらに印欧祖語 *(s)peis- (吹く)に遡らせる説もあるが,異論もあるようだ.呼吸音を模した擬音語に由来するのかもしれない.ラテン語 spīritus (息)はその名詞だが,ラテン語では後に「精神」を意味するようになり,先にその意味を担っていた animus に取って代わった.
標題の疑問を解くに当たって,このラテン語における「息」から「精神」への意味変化を理解することが大きな鍵となる.背景には,超自然的存在が肉体に spīritus (息)を吹き込むことで,生命が活動を開始するという考え方がある.この場合の超自然的存在が吹きかける「息」とは,OED spirit, n. の筆頭語義に記されている通り "The animating or vital principle in man (and animals); that which gives life to the physical organism, in contrast to its purely material elements; the breath of life." すなわち肉体に精神を注入する生命原理そのものにほかならない.日本語でも「生命の息吹」という通り,「息」は生命の原理そのものであり,その原理を通じて肉体に注入される「精神」自体も,同じ spīritus という語で表わされることになったわけである.
このラテン単語は,古フランス語 (e)spirit などを経由して,14世紀初期に spirit という形態で英語に借用された(したがって現代フランス語や現代英語の esprit は同根語).しかし,借用された当初からすでに「息」や「精神」を擬人化した超自然的存在を指す「神霊, 幽霊, 悪魔,妖精」などの語義でも用いられていたようだ.現代英語で「妖精,小鬼」を意味する sprite/spright は,spirit の異形にほかならない(つまり spirit, esprit, sprite/spright は3重語を形成する).
一方,中世の錬金術 (alchemy) の文脈では,生命の原理たる spirit の原義が,すべての物質の根源となる4原質 four spirits へと応用された.水銀,石黄(砒素),塩化アンモニウム,硫黄の4つである.これらが適切に組み合わさると精気を帯びた物質が生まれるという点では,やはり各々が "the animating or vital principle" ということになる.そして,錬金術の実験 --- 蒸留 --- を通じて具体的に精製されたものの1つが(高濃度の)アルコールだった.蒸留されたアルコール溶液を意味する spirit の英語での初出は,まさに17世紀初頭の Ben Jonson の手になる Alchemist においてである(OED の語義21a).
1612 B. Jonson Alchemist ii. vi. sig. F2, H'is busie with his spirits, but we'll vpon him.
一方,アルコール飲料を意味する語としては,同世紀後半に出版され万人の書となった John Bunyan による The Pilgrim's Progress に初出している(OED の語義21c).
1684 J. Bunyan Pilgrim's Progress 2nd Pt. ii. 67 He gave me also a piece of an Honey-comb, and a little Bottle of Spirits .
こうして,単なる水にアルコールという spirit を注入することで,生き生きとした,人を興奮させる飲み物ができあがり,その飲み物自体も同じ単語で表わされるようになった.
しかし,酒のことを生命が吹き込まれた水とみなす発想は,古く新約聖書の時代からあった.ヨハネ伝にギリシア語で ὕδωρ ζῶν (生命の水)とあり,これがラテン語では aqua vitae と訳された.古英語でも lifes wǣter (life's water) が文証される.フランス語 eau-de-vie,アイルランド語 uisce beatha なども,これのなぞりとみられる.
つまり「酒=生命の水」という発想は,そもそも西洋中世には身近なものとして存在していたのである.その一方で,英語では spirit が生命の原理を表わすもう1つの語として中英語期に取り込まれた.それが,次の初期近代英語期にかけて錬金術の文脈に付され,さらに従来の「酒=生命の水」という発想とも結びつけられることにより,世俗的な「蒸留酒」の語義が誕生したのだろう.
超自然的存在の息,それによって生み出された精神,その具現化である神霊や妖精,諸物質に生命を吹き込む錬金術の原質,そこから精製されたアルコール,そのアルコールを多く含む蒸留酒 --- spirit は千数百年にわたる意味変化の長い旅を続けてきたことになる.最後のものを飲めば「上機嫌である」 (be in high spirits) し,「かなり意気込んで」 (with considerable spirit) 物事にも取りかかることができる.素晴らしきかな spirits.
最後に,日本コカコーラ株式会社のノンアルコール飲料「スプライト」 (Sprite) は,公式HPの情報によると,
「スプライト」の名前の由来は,英語の Spirit(元気の意)と Sprite(妖精)に由来し,炭酸が威勢よくはじける様子,さわやかな透明感などを表現しています.1961年に誕生して以来,その炭酸による刺激と清涼感のあるクリアな味わいが,世界で若者を中心に幅広い層からの支持を集め,現在では190以上の国や地域で販売されているロングセラーブランドです.
とのこと.しっかり語源を押さえられている.意味変化の長い旅の最前線といってよい.
長々と述べてきたが,まとめよう.spirit が「蒸留酒」の語義を獲得した背景には,3つの地下水脈があった.
(1) spirit の原義としての「肉体に精気を吹き込むものとしての超自然的存在の息」
(2) 中世後期の錬金術を通じてアルコールが蒸留・精製された事実
(3) 新約聖書に遡る「酒=生命の水」という古くからの発想
この3つの伏流が17世紀に英語のなかで合流し,「spirit(s) =蒸留酒」として表流化してきたのである.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
昨日の記事「#4053. 花粉症,熱はないのに hay fever?」 ([2020-06-01-1]) で hay fever の疑問を取り上げました.なぜ花粉症に「熱」が関係するのかは未解決のままですが,調べる過程で素晴らしい副産物を獲得しました.標題の3語のみごとな語源的共通性です.
hay (干し草)は古英語にも hēġ, hīeġ として現われる古い語で「切られた/刈られた草」を意味しました.「(斧・剣などで)切る」という動詞は hēawan としてあり,これが現代英語の hew (たたき切る,切り倒す)に連なっています.一方,切る道具としての hoe 「根掘り,つるはし,くわ」は,古英語にこそ現われませんが,古高地ドイツ語から古仏語に入った houe が中英語期に借用されたもので,やはりゲルマン祖語の語根に遡ります.ゲルマン祖語の動詞として *χawwan が再建されています.ゲルマン語根からさらに遡れば,印欧祖語の語根 *kau- (to hew, strike) にたどり着きます.上記の3語は母音こそ変異・変化してきましたが,源は1つということになります.
to hew hay (干し草を刈る)という表現もあるので,to hew hay with a hoe という表現も夢ではありません.となれば,思い出さずにいられないのがサブちゃんの名曲です.北島三郎「与作」に合わせて「ひゅーへいホウ」と歌ってみましょう.
それにしても,語源的にうまくできた歌詞ですね.
素朴な疑問「なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか?」を取り上げてきた連日の記事 ([2020-05-03-1], [2020-05-04-1], [2020-05-05-1]) と関連して,接尾辞 -ese の起源について少し詳しく触れたい.
現代英語では -ese 語の語義は多様である.Japanese を例にとると,形容詞としての「日本(人[語])の」という基本的語義に加え,名詞としての「日本人[語]」もある.特に「日本人」の語義について,one Japanese, two Japanese などと単複同形で用いられることは先に取り上げた通りだが,the Japanese (people) と定冠詞を付けると集合名詞「日本国民全体」となる.一方,無冠詞で Japanese (people) とすると「日本人一般」となるからややこしい.また,-ese は言語名を表わすことを出発点として,非難や軽蔑をこめて特殊な言葉使い・文体を表わす機能を獲得した.Johnsonese (ジョンソン博士流の文体),journalese (新聞・雑誌の文体), officialese (官庁用語)のごとくである.
これらの語義の源泉は,ラテン語の形容詞を作る接尾辞 -ensis である.「?に属する,?に由来する」を意味する,汎用的で生産的な接尾辞だ.例えば化石人類にはラテン語の学名がついているが,ネアンデルタール人は Homo sapiens neanderthalensis であり,サヘラントロプス・チャデンシスは Sahelanthropus tchadensis である.地名などの固有名と相性がよいことが分かるだろう.
さて,ラテン語 -ensis はロマンス諸語にも受け継がれ,古フランス語では -eis という反映形が認められる.さらに現代フランス語では -ois, -ais として継承されている (ex. français, François) .そして,古フランス語の -eis が中英語へ若干変化しつつ入ったのが -ese というわけである.
かくして,ネアンデルターレンシス,ジャパニーズ,フランソワ(1世),そしてシロガネーゼ(?)に至るまで,各々接尾辞の部分に各言語の訛りが反映されているものの,究極的には同一の接尾辞を共有していることになる.
参考までに,OED の -ese, suffix より語源の解説を引用しておこう.
Forming adjectives, < Old French -eis (modern French -ois, -ais):---Common Romanic -ese (Italian -ese, Provençal, Spanish -es, Portuguese -ez):---Latin ēnsem. The Latin suffix had the sense 'belonging to, originating in (a place)', as in hortēnsis, prātēnsis, < hortus garden, prātum meadow, and in many adjectives < local names, as Carthāginiēnsis Carthaginian, Athēniēnsis Athenian. Its representatives in the Romanic languages are still the ordinary means of forming adjectives upon names of countries or places. In English -ese forms derivatives from names of countries (chiefly after Romanic prototypes), as Chinese, Portuguese, Japanese, and from some names of foreign (never English) towns, as Milanese, Viennese, Pekinese, Cantonese. These adjs. may usually be employed as nouns, either as names of languages, or as designations of persons; in the latter use they formerly had plurals in -s, but the plural has now the same form as the singular, the words being taken rather as adjectives used absol. than as proper nouns. (From words in -ese used as plural have arisen in illiterate speech such singular forms as Chinee, Maltee, Portugee.) A frequent modern application of the suffix is to form words designating the diction of certain authors who are accused of writing in a dialect of their own invention; e.g. Johnsonese, Carlylese. On the model of derivatives from authors' names were formed Americanese, cablese, headlinese, journalese, newspaperese, novelese, officialese, etc.
標記の素朴な疑問について2日間の記事 ([2020-05-03-1], [2020-05-04-1]) で論じてきました.今日もその続きです.
Japanese や Chinese は本来形容詞であるから名詞として用いる場合でも複数形の -s がつかないのだという説に対して,いや初期近代英語期には Japaneses や Chineses のような通常の -s を示す複数形が普通に使われていたのだから,そのような形容詞起源に帰する説は受け入れられない,というところまで議論をみてきました.ここで問うべきは,なぜ Japaneses や Chineses という複数形が現代までに廃用になってしまったのかです.
考えられる答えの1つは,これまでの論旨と矛盾するようではありますが,やはり起源的に形容詞であるという意識が根底にあり続け,最終的にはそれが効いた,という見方です.例えば Those students over there are Japanese. と聞いたとき,この Japanese は複数名詞として「日本人たち」とも解釈できますが,形容詞として「日本(人)の」とも解釈できます.つまり両義的です.起源的にも形容詞であり,使用頻度としても形容詞として用いられることが多いとすれば,たとえ話し手が名詞のつもりでこの文を発したとしても,聞き手は形容詞として理解するかもしれません.歴とした名詞として Japaneses が聞かれた時期もあったとはいえ,長い時間の末に,やはり本来の Japanese の形容詞性が勝利した,とみなすことは不可能ではありません.
もう1つの観点は,やはり上の議論と関わってきますが,the English, the French, the Scottish, the Welsh, など,接尾辞 -ish (やその異形)をもつ形容詞に由来する「?人」が -(e)s を取らず,集合的に用いられることとの平行性があるのではないかとも疑われます(cf. 「#165. 民族形容詞と i-mutation」 ([2009-10-09-1])).
さらにもう1つの観点を示すならば,発音に関する事情もあるかもしれません.Japaneses や Chineses では語末が歯摩擦音続きの /-zɪz/ となり,発音が不可能とはいわずとも困難になります.これを避けるために複数形語尾の -s を切り落としたという可能性があります.関連して所有格の -s の事情を参照してみますと,/s/ や /z/ で終わる固有名詞の所有格は Socrates' death, Moses' prophecy, Columbus's discovery などと綴りますが,発音としては所有格に相当する部分の /-ɪz/ は実現されないのが普通です.歯摩擦音が続いて発音しにくくなるためと考えられます.Japanese, Chineses にも同じような発音上の要因が作用したのかもしれません.
音韻的な要因をもう1つ加えるならば,Japanese や Chinese の語末音 /z/ 自体が複数形の語尾を体現するものとして勘違いされたケースが,歴史的に観察されたという点も指摘しておきましょう.OED では,勘違いの結果としての単数形としての Chinee や Portugee の事例が報告されています.もちろんこのような勘違い(専門的には「異分析」 (metanalysis) といいます)が一般化したという歴史的事実はありませんが,少なくとも Japaneses のような歯摩擦音の連続が不自然であるという上記の説に間接的に関わっていく可能性を匂わす事例ではあります.
以上,仮説レベルの議論であり解決には至っていませんが,英語史・英語学の観点から標題の素朴な疑問に迫ってみました.英語史のポテンシャルと魅力に気づいてもらえれば幸いです.
昨日の記事 ([2020-05-03-1]) に引き続き,英語史の授業で寄せられた標題の素朴な疑問について.
昨日の議論では,-ese 語は起源的に形容詞であり,だからこそ名詞という品詞に特有の「複数形」などはとらないのだという説明を見ました.しかし,英語には形容詞起源の名詞はごまんとあり,それらは通例しっかり複数形の -s をとっているのです (ex. Americans, blacks, females, gays, natives) .この説明だけでは満足がいきません.
さらにこの説明にとって都合の悪いことに,初期近代英語には,なんと Japaneses という名詞複数形が用いられていたのです.OED の Japanese, adj. and n. より,該当する語義の項目と例文を挙げてみましょう.
B. n
1. A native of Japan.
Formerly as true noun with plural in -es; now only as an adjective used absolute and unchanged for plural: a Japanese, two Japanese, the Japanese.
. . . .
1655 E. Terry Voy. E.-India 129 I have taken speciall notice of divers Chinesaas, and Japanesaas there.
1693 T. P. Blount Nat. Hist. 105 The Iapponeses prepare [tea]..quite otherwise than is done in Europe.
. . . .
スペリングこそまだ現代風ではありませんが Japanesaas や Iapponeses という語形がみえます.つまり,名詞としての複数形 Americans, blacks, females, gays, natives が当たり前に用いられるのと同じように,Japaneses も当たり前のように用いられていたのです.上の1655年の例文には Chinesaas も用いられており,17世紀にはこれが一般的だったのです.実際,ピューリタン詩人ミルトンも名作『失楽園』にて "1667 J. Milton Paradise Lost iii. 438 Sericana, where Chineses drive With Sails and Wind thir canie Waggons light." のように Chineses を用いています.問題は,なぜ名詞複数形の Japaneses, Chineses が後に廃用となり,単複同形となったのかです.
引き続き,明日の記事で考えていきたいと思います.
英語史の授業で寄せられた素朴な疑問です.-ese の接尾辞 (suffix) をもつ「?人」を意味する国民名は,複数形でも -s を付けず,単複同形となります.There are one/three Japanese in the class. のように使います.なぜ複数形なのに -s を付けないのでしょうか.これは,なかなか難しいですが良問だと思います.
現代英語には sheep, hundred, fish など,少数ながらも単複同形の名詞があります.その多くは「#12. How many carp!」 ([2009-05-11-1]) でみたように古英語の屈折事情にさかのぼり,その古い慣習が現代英語まで化石的に残ったものとして歴史的には容易に説明できます.しかし,-ese は事情が異なります.この接尾辞はフランス語からの借用であり,早くとも中英語期,主として近代英語期以降に現われてくる新顔です.古英語の文法にさかのぼって単複同形を説明づけることはできないのです.
-ese の語源から考えていきましょう.-ese という接尾辞は,まずもって固有名からその形容詞を作る接尾辞です.ラテン語の形容詞を作る接尾辞 -ensis に由来し,その古フランス語における反映形 -eis が中英語に -ese として取り込まれました.つまり,起源的に Japanese, Chinese は第一義的に形容詞として「日本の」「中国の」を意味したのです.
一方,形容詞が名詞として用いられるようになるのは英語に限らず言語の日常茶飯です.Japanese が単独で「日本の言語」 "the Japanese language" や「日本の人(々)」 "(the) Japanese person/people" ほどを意味する名詞となるのも自然の成り行きでした.しかし,現在に至るまで,原点は名詞ではなく形容詞であるという意識が強いのがポイントです.複数名詞「日本人たち」として用いられるときですら原点としての形容詞の意識が強く残っており,形容詞には(単数形と区別される)複数形がないという事実も相俟って,Japanese という形態のままなのだと考えられます.要するに,Japanese が起源的には形容詞だから,名詞だけにみられる複数形の -s が付かないのだ,という説明です.
しかし,この説明には少々問題があります.起源的には形容詞でありながらも後に名詞化した単語は,英語にごまんとあります.そして,その多くは名詞化した以上,名詞としてのルールに従って複数形では -s をとるのが通例です.例えば American, black, female, gay, native は起源的には形容詞ですが,名詞としても頻用されており,その場合,複数形に -s をとります.だとすれば Japanese もこれらと同じ立ち位置にあるはずですが,なぜか -s を取らないのです.起源的な説明だけでは Japanese の単複同形の問題は満足に解決できません.
この問題については,明日の記事で続けて論じていきます.
コロナ禍の影響で,今期,多くの大学の授業の基調はオンライン授業(遠隔授業)となる見込みです.私の所属する慶應義塾大学も例外ではなく,今年度の私の英語史その他の講義もオンラインとなります.にわかにオンライン授業が活気づいてきたこの機会に,英単語を英語史や語源の観点から学べる「まさにゃんチャンネル」の YouTube 動画を紹介したいと思います.本ブログの趣旨とも合致する学習動画です.
高校生をターゲットにした語源から英単語を学ぶ楽しさを伝える一連の動画で,単語も話題も構成も実によく練られています.その弁舌からは,講師の英語史への熱い想いも伝わってきます.高校生の皆さんも,そうでない皆さんも,これをきっかけに英語史や語源の話題に関心をもってもらえればと思います.
動画の作者に,今回のシリーズ企画「語源で学ぶ英単語」を担当することになった経緯をうかがうことができました.
YouTube の予備校「ただよび」・河合塾英語講師の森田鉄也先生が YouTube 上で開催された英語講師オーディションに応募し,決勝戦に進出.おしくも優勝は逃したものの,動画内容を評価していただき今回このシリーズ企画を担当させてもらう運びとなりました.またこの動画のメインターゲットは大学受験を目指して英単語を覚えようとしている高校生です.ただ,同時に英語好きの大学生や大人にも楽しんでもらえる動画になるように意識して作りました.
上で触れられている英語講師オーディションの決勝戦の様子はこちらです.そして「語源で学ぶ英単語」のシリーズそのものはこちら(全7回を連続で再生)からどうぞ.各回の動画へのリンクは以下の通りです.
・ 第1回「英語の始まり」
・ 第2回「グリムの法則で繋がる英単語」
・ 第3回「古英語由来の接頭辞/動詞の語法」
・ 第4回「同語源の意外な単語」
・ 第5回「ヴァイキングの襲来と古ノルド語」
・ 第6回「ヴァイキングが英文法に与えた影響」
・ 最終回「なぜ英語には類義語が多いのか」
作者の森田真登さんは,慶應義塾大学文学研究科英米文学専攻博士課程に在籍し,英語史を専攻しています.つまり身内ということなのでした.よろしくどうぞ.
古英語の3人称代名詞の屈折表について「#155. 古英語の人称代名詞の屈折」 ([2009-09-29-1]) でみたとおりだが,単数でも複数でも,そして男性・女性・中性をも問わず,いずれの形態も h- で始まる.共時的にみれば,古英語の h- は3人称代名詞マーカーの機能を果たしていたといってよいだろう.ちょうど現代英語で th- が定的・指示的な語類のマーカーであり,wh- が疑問を表わす語類のマーカーであるのと同じような役割だ.
非常に分かりやすい特徴ではあるが,皮肉なことに,この特徴こそが中英語にかけて3人称代名詞の屈折体系の崩壊と再編成をもたらした元凶なのである.古英語では,h- に続く部分の母音等の違いにより性・数・格をある程度区別していたが,やがて屈折語尾の水平化が生じると,性・数・格の区別が薄れてしまった.たとえば古英語の hē (he), hēo (she), hīe (they) が,中英語では(方言にもよるが)いずれも hi などの形態に収斂してしまった.h- そのものは変化しなかったために,かえって混乱を来たすことになったわけだ.かつては「非常に分かりやすい特徴」だった h- が,むしろ逆効果となってしまったことになる.
そこで,この問題を解決すべく再編成のメカニズムが始動した.h- ではない別の子音を語頭にもつ she が女性単数主格に,やはり異なる子音を語頭にもつ they が複数主格に進出し,後期中英語までに古形を置き換えたのである(これらに関する個別の問題については「#713. "though" と "they" の同音異義衝突」 ([2011-04-10-1]),「#827. she の語源説」 ([2011-08-02-1]),「#974. 3人称代名詞の主格形に作用した異化」 ([2011-12-27-1]),「#975. 3人称代名詞の斜格形ではあまり作用しなかった異化」 ([2011-12-28-1]),「#1843. conservative radicalism」 ([2014-05-14-1]),「#2331. 後期中英語における3人称複数代名詞の段階的な th- 化」 ([2015-09-14-1]) を参照).
さて,古英語における h- は共時的には3人称代名詞マーカーだったと述べたが,通時的にみると,どうやら単数系列の h- と複数系列の h- は起源が異なるようだ.つまり,h- は古英語期までに結果的に「非常に分かりやすい特徴」となったにすぎず,それ以前には両系列は縁がなかったのだという.Lass (141) を参照した Marsh (15) は,単数系列の h- は印欧祖語の直示詞 *k- にさかのぼり,複数系列の h- は印欧祖語の指示代名詞 *ei- ? -i- にさかのぼるという.後者は前者に基づく類推 (analogy) により,後から h- を付け足したということらしい.長期的にみれば,この類推作用は古英語にかけてこそ有用なマーカーとして恩恵をもたらしたが,中英語にかけてはむしろ迷惑な副作用を生じさせた,と解釈できるかもしれない.
なお,上で述べてきたことと矛盾するが「#467. 人称代名詞 it の語頭に /h/ があったか否か」 ([2010-08-07-1]) という議論もあるのでそちらも参照.
・ Marsh, Jeannette K. "Periods: Pre-Old English." Chapter 1 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1--18.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
もしかすると英会話で最も頻出する表現は I want to . . . かもしれない.少なくともトラベル英会話では,少し丁寧な I'd like to . . . と並んで最重要表現の1つであることは間違いない.これさえ使いこなせれば最低限の用を足せるのではないかと思われるほどの基本表現である.実際「#2096. SUBTLEX-US Word Frequency List」 ([2015-01-22-1]) による語彙の頻度リストによれば,want はなんと62位である.超高頻度の単語といってよい.
実はこの want という頻出語に注目するだけで,かなり多くのことを論じることができる.少々おおげさではあるが「want の英語史」を展開することが可能なのである.というわけで,今日から何回かにわたって「want の英語史」のシリーズをお届けする.初回となる今回は,want の語源と意味変化 (semantic_change) に注目する.
want は語源的にいえばそもそも純粋な英単語ではない.これほど高頻度の単語が英語本来語でないというのは驚きだが,事実である.この動詞は古ノルド語 (old_norse) からの借用語だ(「#2625. 古ノルド語からの借用語の日常性」 ([2016-07-04-1]) を参照).古ノルド語の動詞 vanta (?を欠いている)に由来するが,これ自体はゲルマン祖語の *wan-,さらには印欧祖語の *wā にさかのぼる.月の満ち欠けの「欠け」を意味する wane や,ラテン語 vānus (empty) に由来する vain もこの印欧語根を共有している.原義は「欠けている」である.
古ノルド語の動詞 vanta が英語では wante(n) として受容されたが,その時期は1200年頃のことである.そこでの語義はやはり「欠いている」であり,ほぼ同時期に名詞として受け入れた際の語義も「欠乏」だった.つまり,当初は「欲する」の語義はなく,中英語期には専ら「欠いている」を意味するにとどまった.
中英語期も終わりに近づいた15世紀後半に「必要である」の語義が生じた.欠けている大事なものがあれば,当然人はそれを必要とするからだ.この意味変化は,フランス語の il me faut (原義は「私には?が欠けている」だが,「私には?が必要だ」の意味で用いられる)にも類例がみられる.近代英語期に入ると,連動して名詞にも「必要」の語義が加わった.さらに続けて,あるものが必要となれば,人はそれを欲するのが道理だ.そこで「欲する」の語義がさらに付け加わわることになった.欠けていれば,それを必要とし,さらにそれを欲するようになるという連鎖は,きわめて自然な因果関係である.メトニミー (metonymy) による意味変化の例といってよい.
ところで,この「欲する」という新しい語義での初出は OED によると1621年のことである.want to do に至っては初例が1698年である.さらに確かな例の出現ということでいえば,18世紀を待たなければならなかったといってよい.現在では超がつくほど頻度の高い語句となっているが,その歴史はおそらく300年ほどしかないということになる.何とも驚きの事実だ.
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