本ブログでは,言語との関係において人種 (race) をどうとらえるかについて,「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1]),「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1]),「#3706. 民族と人種」 ([2019-06-20-1]) の記事で考えてきた.宮本・松田(編)『新書アフリカ史 改訂版』を読みながら,改めて人種とは何か,その生物学的な根拠はあるのか,その社会学的な意味づけは何かなどを学ぶ機会があった.関連する1節 (33--34) を引こう.
黒人といえば,肌が黒くて髪の毛が縮れ,幅広の鼻と厚い唇をもつ人間をイメージするだろう.しかし同じ「ネグロイド人種」に属するとはいえ,その内部の多様性は相当なものだ.鼻幅,鼻高などは全人種間の変異幅の大半を「ネグロイド人種」内だけでカバーしているし,背が高くて痩せ形のヌエル人やマサイ人も,世界一身長の低い「ピグミー」も同じ「ネグロイド」なのである.また皮膚の色も,黒だけでなく茶,赤,黄に近いものまで,大きな変異差を示している.なぜこのような多様性が生じたのだろうか.その答えの一つは絶えざる混血にある.そもそも人種は,私たちが想像しているほど厳密で明確な境界をもった人間集団ではない.かつては人間を身体的特徴をもとに分類することが科学の名のもとで正当化されていた時代があった.その場合,白,黒,黄,赤,茶などの皮膚の色を基準としてきた.しかし人間の身体的形式を決定する夥しい数の遺伝子のなかから肌の色だけを特別に取り出す根拠は,自然科学的なそれとは全く異質な社会的かつ人為的な選択であり,決定的であることから,肌の色を基準に人間を区分しようとした生物学的概念としての人種は,現代の科学のなかでは有効性を否定され,社会・文化的あるいは政治・経済的概念として認識されている.いっけん生物学的な「実体」のように見える人種は,じつのところ,遺伝的特性の出現頻度によって相互に区別される,遺伝子のプールとしてのヒトのグループにすぎない.そしてこのグループは,絶えず周囲のグループと交流し,相互に変化を続けている.アフリカの場合,この接触と交流は長い時間をかけてきわめて活発に行われた.その結果,現在の「ネグロイド」の著しい多様性がつくりだされてきたのである.
「人種」は,生物学的な裏付けがあるかのような響きをもっているが,実のところ社会的な構築物であるということだ.難しく厄介な概念・用語である.アフリカにおける人種の多様性と平行的に考えられる,アフリカの言語の多様性については,「#3807. アフリカにおける言語の多様性 (1)」 ([2019-09-29-1]),「#3808. アフリカにおける言語の多様性 (2)」 ([2019-09-30-1]) を参照.
・ 宮本 正興・松田 素二(編) 『新書アフリカ史 改訂版』 講談社〈講談社現代新書〉,2018年.
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