「#4612. 言語の起源と発達を巡る諸問題」 ([2021-12-12-1]) で引用した Mufwene (51) は,言語の起源と発達を巡る諸説について,最近何か新しい提案が出てきているという事実はないと述べている.「諸説」は18世紀の哲学者の手により,すでに出そろっているという認識だ.
For instance, the claim that language is what distinguishes mankind the most clearly from the animal kingdom is already evident in Condillac. It is also hard to sharply distinguish eighteenth-century arguments for the emergence of human language out of instinctive cries and gestures from Bickerton's position that the predecessor of his 'protolanguage' consisted of holistic vocalizations and gestures. The idea of gradualism in the evolution of language is not new either; and Rousseau had already articulated the significance of social interactions as a prerequisite to the emergence of language. And one can keep on identifying a number of current hypotheses which are hardly different from earlier speculations on the subject.
では,だからといってこの領域における研究が進んでいないかといえば,そういうわけでもない,と Mufwene (51--52) は議論を続ける.18世紀の哲学者や19世紀の言語学者と,現代の我々との間には重要な違いがいくつかあるという.
1つ目は,我々が10--20万年前の化石人類と我々とが解剖学的にも生態学的にも異なった存在であることを認識していることだ.言語の起源と発達を論じる上で,この認識は重要である.
2つ目は,我々が言語の起源と発達を巡る諸説が "speculative" な議論であるということを認識していることだ.別の言い方をすれば,我々のほうがこの話題を取り上げるに当たって科学的知識の限界に自覚的なのである.
3つ目は,我々は言語の発達について概ねダーウィニズムを受け入れているということだ.言語が神によって付与された能力であるという立場を取る論者も,少数派であるとはいえ今も存在する.しかし,主流の見方では,言語能力は変異によって生じてきたものだとされている.
4つ目は,我々は言語の構造がモジュール化されたものである (modular) と考えている.かつてのように言語の構成要素がすべてあるとき同時に発現したと考える必要はないということだ.現在は,言語が徐々に発達してきたことを前提としてよい空気がある.
このように,現代になって何か新しい説が現われてきたわけではないものの,18--19世紀には前提とされていなかったことが今では前提とされているようになったということは,それこそが進歩なのだろう.
・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 13--52.
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