語用論 (pragmatics) の基本ともなっているグライス (Paul Grice) の「協調の原理」 (cooperative_principle) については,hellog でも「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]),「#1133. 協調の原理の合理性」 ([2012-06-03-1]),「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1]) などで紹介してきた.
グライスにより会話の普遍的な原理として掲げられた理論だが,現在では古今東西の言語社会の会話すべてについて当てはまるわけではないと考えられている.有り体にいえば,インドヨーロッパ語族中心の観点から唱えられた語用論的な原理が,世界中の言語に当てはまると考えるのは,傲慢ではないかという批判が出ているのである.
マダガスカルで話されているオーストロネシア語族のマラガシ語 (Malagasy) を研究したキーナン (Elinor (Ochs) Keenan) は,マラガシ語話者には,重要な情報を十分なだけ積極的に伝えようとする慣習がそれほどないことを明らかにした.協調の原理における量の格率 (maxim of quantity) が守られていないということになる.Senft (55) を通じて,キーナンのグライス批判を聞いてみよう.
キーナンは,彼女の論文の終わりで「グライスはエティック (etic) の格子 (grid) で会話を研究する可能性〔を期待させること〕でエスノグラフィー研究者をじらす.…彼の会話の格率は作業仮説としてではなく社会的事実として提示されている」と指摘する (Keenan 1976: 79) .人類言語学者および言語人類学者は,すべてのエティック (etic) の格子,つまり民族言語学の (ethnolinguistic) 問題に対する西洋的な文化規範および考えに基づくアプローチ〔中略〕は,すべて遅かれ早かれ,研究対象とする(非西洋の)言語と文化における本質的な事実を捉えそこねる運命にあるという意見で一致している.それゆえ,グライスの会話の格率で示されるようなエティック (etic) の格子は言語人類学者に対しては二次的な重要性しかもちえない.
ここで「エティックの格子」とは,ある言語社会の話者集団が内部で前提・常識としている物事の区切り方,ほどの意味だろうか.キーナンはこのようにグライスを批判した上で,それでもこの分野の研究の第一歩として評価する姿勢も示している.上記に続く箇所で,次のように述べている (Senft 55) .
そうではあるがキーナンは,グライスの枠組みが人類言語学の研究に対して使用可能である方法の概略を示した.彼女は次のように述べる.
われわれは,どれか1つの格率を取り上げ,それがいつ成り立ち,いつ成り立たないのかを観察して述べることができる.その使用もしくは濫用 (abuse) への動機は,ある社会と他の社会を分けたり,単一社会の中の社会グループを分けるさまざまな価値と指向性を明らかにするかもしれない.
キーナンはグライスの提案を,「観察を統合し,会話の一般的な原則に関連するより強い仮説を提案したいと考えるエスノグラフィー研究者に対する出発点」を提供するとして評価する (Keenan 1976: 79) .
キーナンの洞察は,同一言語の異なる時代の変種を比較する際にもいえるだろう.例えば,現代英語で当然視されている会話の原理が,おそらくそのまま古英語に当てはまるわけではない,ということだ.関連して「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1]),「#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語」 ([2018-02-07-1]),「#4711. アングロサクソン人は謝らなかった!?」 ([2022-03-21-1]) などを参照.
・ Senft, Gunter (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳) 『語用論の基礎を理解する 改訂版』 開拓社,2022年.
・ Keenan (Ochs), Elinor. "The Universality of Conversational Postulates." Language in Society 5 (1976): 67--80.
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