昨日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第8回の記事「なぜ「グリムの法則」が英語史上重要なのか」が公開されました.グリムの法則 (grimms_law) について,本ブログでも繰り返し取り上げてきましたが,今回の連載記事では初心者にもなるべくわかりやすくグリムの法則の音変化を説明し,その知識がいかに英語学習に役立つかを解説しました.
連載記事を読んだ後に,「#103. グリムの法則とは何か」 ([2009-08-08-1]) および「#102. hundred とグリムの法則」 ([2009-08-07-1]) を読んでいただくと,復習になると思います.
連載記事では,グリムの法則の「なぜ」については,専門性が高いため触れていませんが,関心がある方は音声学や歴史言語学の観点から論じた「#650. アルメニア語とグリムの法則」 ([2011-02-06-1]) ,「#794. グリムの法則と歯の隙間」 ([2011-06-30-1]),「#1121. Grimm's Law はなぜ生じたか?」 ([2012-05-22-1]) をご参照ください.
グリムの法則を補完するヴェルネルの法則 (verners_law) については,「#104. hundred とヴェルネルの法則」 ([2009-08-09-1]),「#480. father とヴェルネルの法則」 ([2010-08-20-1]),「#858. Verner's Law と子音の有声化」 ([2011-09-02-1]) をご覧ください.また,両法則を合わせて「第1次ゲルマン子音推移」 (First Germanic Consonant Shift) と呼ぶことは連載記事で触れましたが,では「第2次ゲルマン子音推移」があるのだろうかと気になる方は「#405. Second Germanic Consonant Shift」 ([2010-06-06-1]) と「#416. Second Germanic Consonant Shift はなぜ起こったか」 ([2010-06-17-1]) のをお読みください.英語とドイツ語の子音対応について洞察を得ることができます.
「#1152. sneeze の語源」 ([2012-06-22-1]) を巡る議論に関連して,追加的に話題を提供したい.Horobin (60) は,この問題について次のように評している.
. . . Old English had a number of words that began with the consonant cluster <fn>, pronounced with initial /fn/. This combination is no longer found at the beginning of any Modern English word. What has happened to these words? In the case of the verb fneosan, the initial /f/ ceased to be pronounced in the Middle English period, giving an alternative spelling nese, alongside fnese. Because it was no longer pronounced, the <f> began to be confused with the long-s of medieval handwriting and this gave rise to the modern form sneeze, which ultimately replaced fnese entirely. The OED suggests that sneeze may have replaced fnese because of its 'phonetic appropriateness', that is to say, because it was felt to resemble the sound of sneezing more closely. This is a tempting theory, but one that is hard to substantiate.
また,現代でも諸方言には,語頭に摩擦子音のみられない neese や neeze の形態が残っていることに注意したい.EDD Online の NEEZE, v. sb. によれば,以下の通り neese, neease, neesh-, neze などの異綴字が確認される.
long <s> については,「#584. long <s> と graphemics」 ([2010-12-02-1]),「#1732. Shakespeare の綴り方 (2)」 ([2014-01-23-1]),「#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s>」 ([2017-07-11-1]) を参照.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
多くの辞書で industry という語の第1語義は「産業;工業」である.heavy industry (重工業),the steel industry (鉄鋼業)の如くだ.そして,第2語義として「勤勉」がくる.a man of great industry (非常な勤勉家)という表現や,Poverty is a stranger to industry. 「稼ぐに追い付く貧乏なし」という諺もある.2つの語義は「勤労,労働」という概念で結びつけられそうだということはわかるが,明らかに独立した語義であり,industry は典型的な多義語ということになる.実際,形容詞は分かれており,「産業の」は industrial,「勤勉な」は industrious である.
語源を遡ると,ラテン語 industria (勤勉)に行き着く.これは indu- (in) + struere (to build) という語形成であり,「内部で造る」こと,すなわち個人的な自己研鑽や知識・技能の修養という意味合いがあった.原義は職人に求められる「器用さ」や「腕の達者」だったのである.この単語がこの原義を携えて,フランス語経由で15世紀後半の英語に入ってきた.そして,すでに15世紀末までには,原義から「勤勉」の語義も発達していた.
16世紀になると,これまでの個人的な職業と結びつけられていた語義が,より集合的な含意を得て「産業」の新語義が生じる.しかし,この新語義が本格的に用いられるようになったのは18世紀後期のことである.1771年にフランス語 industrie がこの語義で用いられたのに倣って,英語での使用が促進されたという.この年代は,後に Industrial Revolution (産業革命)と命名された社会の一大潮流の開始時期とおよそ符合する.
対応する形容詞の歴史を追っていくと,原義に近い「達者な,器用な」「勤勉な」の意味で industrious がすでに15世紀後期に現われている.実は「産業の」を意味する industrial も同じ15世紀後期には現われており,その点ではさして時間差はない.しかし,industrial (産業の)が本格的に用いられるようになったのは,18世紀に対応するフランス語 industriel の影響を受けてからであり,主として19世紀以降である.
名詞形も形容詞形も,18世紀後期が用法の点でのターニングポイントとなっているが,これは上でも触れたとおり Industrial Revolution の社会的・言語的な影響力に負っている.なお,Industrial Revolution という用語は,1840年に初出するが,1848年に John Stuart Mill (1806--73) によって導入されたといってよく,それが歴史学者 Arnold Toynbee (1852--83) によって広められたという経緯をもつ.
接続詞 or は初期中英語に初出する,意外と古くはない接続詞である.古英語では類義で oþþe, oþþa が用いられており,その起源は *ef þau (if or) の短縮形と考えられている(Old Saxon に eftho が文証される).これらの古英語形は1225年頃に消失し,1200年頃から代わって台頭してきたのが語尾に r を付加した oþer である.この r の付加は,outher (OE āþer, ǣġhwæþer "either"), whether (OE hwæþer) からの類推 (analogy) によるものと説明される.似たような類推作用は,古高地ドイツ語 aber, weder の影響下で odo, eedo に r が付加された現代高地ドイツ語の oder にも見受けられる.
oþer は間もなく弱化して中間子音が落ち,短い語形 or へと発展した.これは,ever から e'er への弱化・短化とも比較される.しかし,南部方言では16世紀後半まで強形の other がよく保存されていたことに注意を要する.現代英語の相関表現 (either) A or B は,古くは other A other B や other A or B とも言われ,さらに or A or B へと発展した.この最後の表現は Shakespeare でも頻出するが,その後すたれた.
なお,「他の」を表わす other は,上記と直接語源的に関連しない.こちらは「#1162. もう1つの比較級接尾辞 -ther」 ([2012-07-02-1]),「#1107. farther and further」 ([2012-05-08-1]) で触れたように,either, neither, whether, after, nether, bresbyter, further などと同じ接尾辞に由来する.もっとも,上述の通り "or" の意味の other の r が,これらの語の語尾に影響されたらしいという事情を考えれば,起源を共有するとはいえずとも,間接的な関係はあったとみなせる.
古ローマ暦では春分を年の始まりとしたため,現在の暦よりも2ヶ月ずれていた.したがって,現在の7月はかつての5月に対応し,これはラテン語で Quinctilis (第5の月)と称されていた.しかし,Marcus Antonius (83?--30 B.C.) が,帝政開始前の最後の支配者であり友人でもあった Julius Caesar (100--44 B.C.) の死後,神格化すべく,その出生月にちなんで,この月の名前を Jūlius (mēnsis) へと変更した.これが後に古フランス語 jule や古ノルマン・フランス語 julie を経由して,初期中英語期に juil, iulie 等の綴字で借用された.なお,Julius は *Jovilios の短縮形であり,Jove や Jupiter と語根を共有する.Julius Caesar は,したがって,Jupiter の血を引く正統な家系に属するとみなされた.
古英語末期には直接ラテン語形が用いられたが,7月を表わす本来的な表現としては,līþa se æfterra (the later līþa) と呼ばれた.これについては,「#2983. 6月,June,水無月」 ([2017-06-27-1]) の記事も参照.
July の標準的な発音は /ʤʊˈlaɪ/ だが,18世紀には第1音節に強勢が置かれる /ˈʤuːli/ という発音が行なわれており,現在でも米国南部で聞かれる.標準発音は,おそらく June との混同を避けるための異化 (dissimilation) によるものと考えられる(cf. 「いちがつ」と区別するための「なながつ」(7月)という読み方).
日本語の7月の別称「文月」は,稲の穂のフフミヅキ(含月)に由来するとも,七夕に詩歌の文を添えることに由来するとも言われる.
月名シリーズの記事として「#2910. 月名の由来」 ([2017-04-15-1]),「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]),「#2896. 4月,April,卯月」 ([2017-04-01-1]),「#2939. 5月,May,皐月」 ([2017-05-14-1]),「#2983. 6月,June,水無月」 ([2017-06-27-1]) を参照.
14世紀半ばにイングランド(のみならずヨーロッパ全域)を襲った Black Death (黒死病; black_death)の英語史上の意義については,「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1]),「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」 ([2009-09-12-1]),「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1]) で論じてきた.
この世界史上悪名高い疫病につけられた Black Death という名前は,実は後世の造語である.『英語語源辞典』によると,英語での初例は1758年と意外に遅く,ドイツ語のder schwarze Tod のなぞり (loan_translation) とされる.16世紀よりスウェーデン語で swarta dödhen が,デンマーク語で den sorte död がすでに用いられており,それがドイツ語でなぞられたものが,一般的な疫病の意味でヨーロッパ諸語に借用されたものらしい.14世紀半ばのイギリス史上の疫病を指す用語としての Black Death は,1823年に "Mrs Markham" (Mrs Penrose) が導入し,1833年には医学書で上述のようにドイツ語を参照して使われ出したとされ,それ以前には the pestilence, the plague, great pestilence, great death などと呼ばれていた.
なぜ「黒」なのかという点については,この病気にかかると体が黒くなることに由来すると言われるが,詳細は必ずしも明らかではない.参考までに,Gooden (68) には次のように解説されている.
The term 'Black Death' came into use after the Middle Ages. It was so called either because of the black lumps or because in the Latin phrase atra mors, which means 'terrible death', atra can also carry the sense of 'black'.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
jade (ヒスイ)は,16世紀末から17世紀にかけて,フランス語より借用された語である.フランス語では l'ejade と使われていたように,語幹は母音で始まっていたが,定冠詞との間の異分析 (metanalysis) を通じて le jade と解され,jade がこの語の見出し形と認識されるに至った.このフランス単語自身は,スペイン語の (piedra de) ijada (横腹の石)を借用したもので,ijada はラテン語の īlia (横腹)に遡る.これは,ヒスイが疝痛に効くと信じられていたことにちなむ.
このようにヨーロッパでヒスイを表わす語形が現われたのは近代に入ってからの比較的遅い時期だが,それはヨーロッパがこの宝玉をほとんど産しなかったからである.一方,アジアではベトナムでヒスイが採れたため,中国などで愛用された.漢字の「翡翠」の「翡」は赤色を,「翠」は緑色を示し,この2色をもつ宝玉を翡翠玉と呼んだのが始まりであり,中国では同じくその2色をもつ鳥「カワセミ」を指すのにも同語が用いられた.
ヒスイはメキシコにも産するが,先に述べた通り,スペインでヒスイが横腹の病(腎臓病)に効くとされたのは,古代メキシコの何らかの風習がスペイン人の耳に入ったからともされる.
なお,ヒスイは日本でも産する.新潟県の姫川支流の小滝川や青海川に産地があり,縄文時代中期以降,日本各地,そして中国へと運ばれた.古代より珍重された,霊験あらたかな玉である.
June といえば,イギリスでは最も快適で,社交界が華やぐ月である.夏至やバラとも連想され,すべてが明るい月である.語源的にはローマの女神 Juno に由来し,女神を祀る者を意味する Junonius から異形として発展した Junius (mensis) (おそらく氏族名として用いられていた)が,古フランス語で juin と変化したものが13世紀に英語に借用された.Caesar 暗殺に加わった Marcus Junius Brutus とも連想されたという.
古英語では,6月と7月を合わせた名称 līþa の「早いほう」 (ǣrra "the earlier") を指すものとして līþa ǣrra と呼ばれた.しかし,後期古英語でも,ラテン語 Junius から直接借用された iunius の語形が文証されていることを付け加えておきたい.
日本語「水無月」は,漢字でこそ「水の無い月」と書くが,「な」は助詞「の」であり,実は「水の月」である.梅雨の時期で水が豊富な月であり,水を田に引く月であることから名付けられた.
月名シリーズとして「#2910. 月名の由来」 ([2017-04-15-1]),「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]),「#2896. 4月,April,卯月」 ([2017-04-01-1]),「#2939. 5月,May,皐月」 ([2017-05-14-1]) もどうぞ.
6月7日,国立極致研究所や茨城大学などの研究チームが,約77万?12万6千年前の時代を代表する千葉県市原市の地層を国際的な基準地にするよう国際組織に申請した.来年にかけて,地球の磁気が反転した証拠をとどめる同時代の地層として,イタリアの強力なライバルと競い合うことになるという.申請された時代名は「チバニアン」 (Chibanian) であり,もし認められれば,日本由来の地質時代の名前としては初めてのものになるという.
「チバニアン」を「ラテン語で「千葉の時代」」と注釈をつけている新聞記事があった.この注釈に少なからぬ違和感を感じたので,その違和感の所在をここに記しておきたい.
「チバ」 (Chiba) の部分と「ニアン」 (-nian) の部分に分けて論じよう.まず,最初に第2要素「ニアン」 (-nian) から.-nian は,確かに起源としてはラテン語の形容詞語尾に遡るとは言える(厳密には,最初の n は先行する語幹に属するものと考える必要があるが).しかし,本当のラテン語であれば -nian で終わることはありえず,性・数・格に応じた何らかの屈折語尾が付加して,-nianus や -niana などとして現われるはずである.しかし,そのような語尾がないということは,-nian で終わる語形は,ラテン語としての語形ではないということになる.それは現代ヨーロッパ語の語形であり,諸事情から国際語としての英語の語形と考えるのが妥当だろう.-nian は,歴史的にはラテン語に由来するということができても,新語が作られた現代の共時的観点からは,ラテン語に属しているとは言えず,おそらく英語に属しているというべきだろう.「ラテン語で「千葉の時代」」という注釈は,歴史(語源・由来)と共時態の事実(現在の所属)を混同していることになる.
「チバニアン」をラテン単語とみなすことの違和感は,「シーチキン」などの和製英語を英単語とみなす違和感と同一のものである(「#1624. 和製英語の一覧」 ([2013-10-07-1]) を参照).「シー」 (sea) も「チキン」 (chicken) も,歴史的には明らかに英語由来の単語である.しかし,それを組み合わせた「シーチキン」 (sea chicken) は,いかに英単語風の体裁をしているにせよ,(英語へ逆輸入されない限り)英語の語彙には存在しない以上は日本語の単語と言わざるを得ない.起源は英語であっても,現在の共時的な所属は日本語なのである.
次に,第1要素の「チバ」 (Chiba) について.こちらは,-nian と異なり,歴史的にも現在の共時態としてれっきとした日本語の単語であると言い切ってよさそうだが,必ずしもそうではないと議論することは不可能ではない.歴史的に日本語であるということに異論はないが,今回の造語の背景,すなわち国際的な地質学に供するという目的をもった文脈を考慮すれば,それは世界の一角を占める地名としての「チバ」を指すに違いない.命名者の日本人研究者や(私を含めて)多くの日本人は,日本の地名としての「千葉(県市原市)」を意識するに違いないが,世界に受け入れられたあかつきには,むしろ受け入れられたというその理由により,「チバ」は世界の地名となるだろう.地名は,世界に開かれたものとしてとらえるとき,たとえその語源や語形成が明らかに○○語のものだったとしても,共時的には○○語のものではないと論じることができそうである.では,○○語ではなく何語の単語なのかといえば,よく分からないのだが,ある種の普遍語の単語と述べるにとどめておきたい.固有名詞は特定の言語に属さないのではないかという問題については,「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]),「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) を参照されたい.
以上より,「チバニアン」 を構成すると考えられる2つの要素のいずれについても,共時的な観点からは,「ラテン語である」とは決して言えない.なお,この新聞記者に目くじらを立てているというよりは,違和感を説明しようとして考えたことを文章にしてみただけである.卑近な話題で言語学してみたということで,あしからず.
結局のところ,「チバニアン」は英語なのだろうか,そうでなければ何語なのだろうか・・・.
Ransomware が世界を震撼させている.この2週間ほどのあいだ世界中に感染被害をもたらしているランサムウェアは,WannaCry と名付けられたもので,信じられない速度で広まっているという.データを人質にとって身代金 (ransom) を請求するタイプの悪質なプログラムで,日本でも大手企業が損害を被っている.
ransom という語の歩んできた歴史は興味深い.元をたどると,ラテン語 redemptiō に遡る.「救い,贖い」を意味するこのラテン単語は,まずフランス語に借用され,それが英語にも14世紀にほぼそのまま借用されて redemption となった.
一方,ラテン語 redemptiō には,フランス語で自然な音発達を遂げて rançon へと発展した系列があった.こちらは1200年頃に英語へ借用され,raunsoun などと綴られた(MED の raunsoun を参照).語尾に n ではなく m を取る異形態は14世紀から見られるようになるが,これは random や seldom の語史とも類似する.
random の語尾の m については,OED が次のような説明を与えている.
The change of final -n to -m appears to be a development within English; compare ransom n., and see further R. Jordan Handbuch der mittelenglischen Grammatik (1934) 則254. The extremely rare Old French form random (see F. Godefroy Dict. de l'ancienne langue française (1880--1902) at randon) is probably unconnected.
関連して,seldom の語尾の音韻形態について,「#39. 複数与格語尾 -um の生きた化石」 ([2009-06-06-1]) と「#380. often の <t> ではなく <n> こそがおもしろい」 ([2010-05-12-1]) を参照.
異形態にまつわる事情は複雑かもしれないが,つまるところ ransom と redemption は2重語 (doublet) の関係ということになる.世俗的な意味でのデータの救いなのか,あるいはキリスト教的な意味での人類の救いなのかという違いはあるが,いずれにせよ「救いのための支払い」という点で,Ransom(ware) も redemption とは変わらないことになる.
2重語については,「#1724. Skeat による2重語一覧」 ([2014-01-15-1]),「#1723. シップリーによる2重語一覧」 ([2014-01-14-1]) の一覧も参照.
「#1511. 古英語期の sc の口蓋化・歯擦化」 ([2013-06-16-1]) でみたように,ゲルマン語の [sk] は後期古英語期に口蓋化と歯擦化を経て [ʃ] へと変化した.後者は,古英語では scip (ship) のように <sc> という二重字 (digraph) で綴られたが,「#2049. <sh> とその異綴字の歴史」 ([2014-12-06-1]) で説明したとおり,中英語期には新しい二重字 <sh> で綴られるようになった.
ゲルマン諸語の同根語においては [sk] を保っていることが多いので,これらが英語に借用されると,英語本来語とともに二重語 (doublet) を形成することになる.英語本来語の shirt と古ノルド語からの skirt の関係がよく知られているが,標題に挙げた ship, skiff, skip(per) のような三重語ともいうべき関係すら見つけることができる.
「船」を意味する古高地ドイツ語の単語は scif,現代ドイツ語では Schiff である.語末子音 [f] は,第2次ゲルマン子音推移 (sgcs) の結果だ.古高地ドイツ語 sciff は古イタリア語へ schifo として借用され,さらに古フランス語 esquif を経て中英語へ skif として小型軽装帆船を意味する語として入った.これが,現代英語の skiff である.フランス語の equip (艤装する)も関連語だ.
一方,語頭の [sk] を保った中オランダ語の schip に接尾辞が付加した skipper は,小型船の船長を意味する語として中英語に入り,現在に至る.この語形の接尾辞部分が短縮され,結局は skip ともなり得るので,ここでみごとに三重語が完成である.skipper については,「#2645. オランダ語から借用された馴染みのある英単語」 ([2016-07-24-1]) も参照.
なお,語根はギリシア語 skaptein (くり抜く)と共通しており,木をくりぬいて作った丸木船のイメージにつながる.
5月を表わす英単語は May.古英語後期にフランス語 mai から借用した語である.このフランス単語は,ラテン語 Maius (mēnsis) に遡り,ローマ神話で Faunus と Vulcan の娘たる豊饒の女神 Māia に由来する.さらに古くには *magja という音形が再建されており,究極的には印欧祖語の「偉大なる女」を意味する *magya にたどり着く.印欧語根は「偉大な」を表わす *meg- であり,この語根から幾多の語が生まれ,様々な経路を伝って現代の英語語彙にも取り込まれていることは「#1557. mickle, much の語根ネットワーク」 ([2013-08-01-1]) で見たとおりである.
古英語では一般に「5月」は本来語由来の þrimilce(mōnaþ) が用いられた.原義は「一日に三度乳しぼりのできる月」の意味である.
日本語で「5月」の旧称「皐月(さつき)」には,様々な語源説があるが,早苗を植える月,「早苗月(さなえつき)」の略と言われる.
3月については,「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]) を,4月は「#2896. 4月,April,卯月」 ([2017-04-01-1]) を参照.月名全般に関しては,「#2910. 月名の由来」 ([2017-04-15-1]) もどうぞ.
salacious という語は「好色な;卑猥な;催淫性の」を意味する.語源を探ると,ラテン語 salāc, salāx (飛び跳ねるのが好きな)に遡り,さらに語根 salīre (飛び跳ねる)に行き着く.これは,salient, saltant, assail, assault 等をも生み出した語根動詞である.英語の salacious はラテン語から借用され,1647年に初出が確認されている.
語源的には以上の通りだが,古くはむしろ salt (ラテン語 sāl) と結びつけられて理解されていたようだ.『塩の世界史』の著者カーランスキー(上巻,pp. 13--14)は,心理学者アーネスト・ジョーンズの1912年の論考を紹介しながら,次のように述べている.
塩は,ジョーンズに言わせれば生殖に関連付けられることが多い.これは塩辛い海に生息する魚が,陸上の動物よりはるかに多くの子を持つことから来たのだろう.塩を運ぶ舟にはネズミがはびこりやすく,ネズミは交尾することなしに塩につかえるだけで出産できる,と何世紀にもわたって信じられていた.
ジョーンズは,ローマ人は恋する人間を「サラックス」すなわち「塩漬けの状態」と呼んだと指摘する.これは「好色な (salacious)」という単語の語源だ.ピレネー山脈ではインポテンツを避けるために,新郎新婦が左のポケットに塩を入れて教会に行く習慣があった.フランスでは地方により,新郎だけが塩を持っていくところと,新婦だけが持っていくところがあった.ドイツでは新婦の靴に塩をふりかける習慣があった.
同著の p. 14 には,『夫を塩漬けにする女たち』と題する1157年のパリの版画が掲載されている.数人の妻とおぼしき女性が男たちを塩樽に押し込んでいる絵で,ほとんどリンチである.版画には詩が添えてあり,「体の前と後ろに塩をすりこむことで,やっと男は強くなる」とある.塩サウナくらいなら喜んで,と言いたくなるが,この塩樽漬けは勘弁してもらいたい.
ジョーンズの salacious の語源解釈は,実際にあった風俗や習慣によって支えられた一種の民間語源 (folk_etymology) ということができる.比較言語学に基づくより厳密な語源論(「学者語源」)の立場からは一蹴されるものなのかもしれないが,民間語源とは共時態に属する生きた解釈であり,その後の意味変化などの出発点となり得る力を秘めていることに思いを馳せたい(関連して「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) を参照).
・ マーク・カーランスキー(著),山本 光伸(訳) 『塩の世界史』上下巻 中央公論新社,2014年.
「カステラ」という語は,ポルトガル借用語の典型として,しばしば取り上げられる(「#1896. 日本語に入った西洋語」 ([2014-07-06-1]) を参照).語源辞典をひもとけば詳しく説明が載っている.例えば,『学研 日本語「語源」辞典』によれば,
もとは,スペインの「カステリア王国で作られたパン」の意のポルトガル語.室町末期にポルトガル人によって長崎に伝えられ,略して「カステイラ」と呼ばれた.江戸時代以降,「カステラ」という言い方も普及した.
とある.『世界大百科事典第2版』では,
カスティリャ地方の菓子の意であるポルトガル語のボロ・デ・カステラ bolo de Castella に出た語で,加須底羅,粕底羅などとも書かれた.長崎では寛永 (1624--44) 初年からつくられたといい,しだいに各地にひろまった.
と説明書きがある.さらに,『日本語源大辞典』を引用すると,
pão de Castella (カスティーリャ王国のパン)と教えられたのを,日本人が「カステイラ」と略したらしい.また,オランダ語 Castiliansh brood の略という説もある.中世末から近世にかけては,カステイラの形が一般的だったが,やがてカステラの形も現れた.
およそ「カステラ」の借用ルートについては以上の通りだが,1つ素朴な疑問が残る.なぜスペインのカスティリャ地方のお菓子が,ポルトガル語にその名前を残しているのかということだ.スペイン(語)とポルトガル(語)は,国としても言語としても互いに近親の関係にあるということは前提としつつも,カステラというお菓子という具体的な事例に関して,両者がいかなる関係にあったのか.
1ヶ月前のことになるが,3月29日の読売新聞朝刊に「カステラの名称 王室の結婚由来」という見出しの記事が掲載された.それによると,17世紀にポルトガル宮廷料理人の書いたレシピ本『料理法』のなかに,カステラと製法がほぼ同じ「ビスコウト・デ・ラ・レイナ」という名のお菓子が確認されたという.ラ・レイナとは「女王・王妃」を意味するスペイン語である.当時,ポルトガル王室はスペイン王室から王妃を迎えており,その婚姻を通じてそのお菓子もスペインからポルトガルへ伝わったものと考えられる.それが,スペインの政治的中心地の名前を冠して「ボーロ・デ・カステーラ」とポルトガル(語)でリネームされたというわけだ.そして,それからしばらく時間は経過したが,そのロイヤルウェディングのお菓子が,はるばる日本に伝わったということになる.
以上は,東京大学史料編纂所の日欧交渉史を専門とする岡美穗子氏の調査により明らかにされたという.「カステラ」の語源の詰めが完成した感があり,気持ちよい.
「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]),「#2896. 4月,April,卯月」 ([2017-04-01-1]) で月名の由来について紹介したが,英語の月名について,12ヶ月分の由来をざっと確認しておこう.以下は,Judge (91) の囲み記事からの引用.
January: Dedicated to Janus --- god of gates, doors and beginnings and endings
February: Comes from februarius mensis --- month of purification --- for the Roman feast of purification held at that time.
March: Dedicated Mars --- Roman god of war. In the ancient Roman calendar (up until 46 BCE) the year began in March, with the spring equinox.
April: Dedicated to the Roman goddess Venus --- Aphrodite in Greek.
May: From Maia, an earth goddess whose name derives from Indo-European megha --- Great One (this is the same origin for English mega-).
June: In honor of the Roman goddess Juno.
July: Originally called Quintilis (fifth month) but change when dedicated to Julius Caesar because he was born in this month.
August: Named after Augustus Caesar, the first Roman emperor.
September: Means the seventh month of the year --- in the ancient calendar which started in March.
October, November and December mean the eighth, ninth and tenth months.
いずれもラテン語やギリシア語からの伝統を引きずった文化的借用語である.
September と seven の音韻形態的に関係については,「#352. ラテン語 /s/ とギリシャ語 /h/ の対応」 ([2010-04-14-1]) を参照.
・ Judge, Gary. The Timeline History of the English Language. Yokohama: Cogno Graphica, 2010.
英語(史)や英文学(史)を学んでいると,キリスト教に関する様々な知識が必要である.キリスト教の歴史にせよ現状にせよ,きわめて込み入っているので,学ぶのもなかなか大変だ.
八木谷(著)によるキリスト教の入門書を読んでいたら,その補遺 (52) に,主要9教派の起源や名称の由来その他が掲載された便利な一覧表があったので,ここにメモとして残しておきたい.同じ補遺には,キリスト教の教派の系譜なども分かりやすく図示されており,有用.*
教派 | 英語名 | 起源 | 名称の由来 | 拠り所 |
---|---|---|---|---|
東方正教会 | Eastern Orthodox Church (Orthodox Churches) | イエスの使徒たちによって各地に創設.1054年,西方教会と分裂 | ギリシャ語の Orthodox は,「正しく(オルソス)」「神を賛美する(ドクサ)」ことを追求する態度に由来.5世紀ころに現れた「異端」の教会に対し,「正統」派とする立場.「東方」は「西方」のローマに対応 | 聖伝と聖書.ニケヤ第1公会議 (325) からニケヤ第2公会議 (787) までの七回の公会議の信条 |
ローマ・カトリック教会 | Roman Catholic Church | イエスとの使徒ペトロを初代教皇(ローマ司教)とする.1054年,東方教会と分裂 | カトリック (Catholic) とはギリシャ語の Katholikos に由来する形容詞で,普遍的,公同の,万人のためという意味.その普遍性の中心をローマの司教座(ローマの司教がすなわちローマ教皇)におくことから,ローマ・カトリックと呼ばれる. | 聖書と聖伝.公会議の信条.教皇が発する教義 |
ルター派(ルーテル教会) | Lutheran Churches | ローマ・カトリックの修道司祭だったマルティン・ルターによる宗教改革(ドイツ,1517年以降) | ドイツの宗教改革者マルティン・ルター (Martin Luther) の名前に由来 | 聖書のみ |
聖公会(イングランド国教会) | Anglican/Episcopal Churches | イングランド国王ヘンリー八世が政治的動機でローマ・カトリック教会から分離した,国家レベルの宗教改革(イングランド,1534年) | イングランドの国教会 Church of England を母教会とする一連の教会を,Anglican Church (アングリカン=アングル族,すなわちイングランド系の教会)という.日本語の「聖公会」は,使徒信経及びニケヤ信経の一節 "holy catholic church" (聖なる公同の教会)に由来 | 聖書のみ |
改革派/長老派 | Reformed/Presbyterian Churches | 進学者ツヴィングリ,カルヴァンらによる宗教改革(スイス,16世紀後半) | 大陸系のカルヴァン主義の教会を指す「改革派」は,「神の言によって改革された」教会の意.英国系の教会に使われる「長老派」は,教会政治において,主教ではなく,教会員のなかから「長老」(ギリシャ語の Presbyteros)を選んで代用とする制度に由来 | 聖書のみ |
会衆派(組合派) | Congregational Churches | イングランド国教会からの分離派(イングランド,16世紀後半) | 教会員(会衆)全体の合意にもとづく教会政治に由来.日本では「組合派」ともいい,「組合」の名前が一時教団名として使われた | 聖書のみ |
バプテスト | Baptist Churches | 宗教改革期のスイスやドイツのアナバプテスト,およびイングランド国教会からの分離派(オランダ,イングランド,17世紀前半) | 聖書に示された洗礼,すなわちバプテスマは,自覚的な信従者のみが,全身を浸す浸礼で行うべきだとし,幼児洗礼を否定した教義に由来.幼児洗礼を認める者から,アナバプテスト(再洗礼者)あるいはバプテストと呼ばれた | 聖書のみ |
メソジスト | Methodist Churches | イングランド国教会司祭ジョン・ウェスリーによる国教会内部の信仰覚醒運動(イングランド,18世紀半ば) | 教派の創設者ジョン・ウェスリーらに与えられた Methodist (メソッドを重んじる人/几帳面すぎる生活態度の人)というあだ名に由来.ウィースリー本人は,この名称を「聖書に言われている方法〔メソッド〕に従って生きる人」と定義した | 聖書のみ |
ペンテコステ派 | Pentecostal Churches | 主としてメソジスト系の教会を背景に,北米大陸においては,カンザス州の聖書学校で始まった霊的覚醒運動(アメリカ,1900年ころ) | 新約聖書・使徒言行録第2章に描かれた復活祭後50日目の「五旬祭」,すなわち精霊降臨の日 (Pentecost) に由来.この日,使徒たちに降ったのと同じ精霊の働きを強調する立場を示す | 聖書のみ |
Hinduism (ヒンドゥー教)といえば,人口にして世界第3位の宗教である.2001年の国勢調査(井上,p. 165)によると,インド人口の80.5%がヒンドゥー教徒であり,絶対数でいえば数億人以上となるから,地域宗教といえども世界へのインパクトは大きい.実際,2010年のCIAの統計では,キリスト教徒の33.3%,イスラム教徒の21.0%に次いで,ヒンドゥー教徒13.3%は第3位である(井上,p. 11;ちなみに第4位は仏教徒の5.8%).これほどの大宗教でありながら,その呼称が意外と新しいことを最近知った.
OED で Hinduism を引くと,"The polytheistic religion of the Hindus, a development of the ancient Brahmanism with many later accretions." と定義がある.その初例を確認すると,割と最近といってよい1829年のことである.
1829 Bengalee 46 Almost a convert to their goodly habits and observances of Hindooism.
さらに驚くのは,ヒンディー語などのインド諸語にも,ずばりヒンドゥー教を指す表現はないのだという.井上 (169) 曰く,
「ヒンドゥー教」とは,「ヒンドゥーイズム」という英語表現の訳です.実はこれにぴたりと対応するインドの語彙はありません.厳密に言えば,一つのまとまった宗教があるというより,ヴェーダ文献とその文明から発した多様な信仰や伝統を総称して「ヒンドゥーイズム」と呼んでいるのです.〔中略〕
この「ヒンドゥー」に「ism」が付いて宗教を示す英語表現になったのは19世紀のことです.インド支配に乗り出したイギリス人がインドの宗教文化を理解しようとしたとき,これを総称する言葉がなかったため,「ヒンドゥーイズム」という表現を用いるようになり,それが次第に一般化したのでした.
ちなみに,Hindu (ヒンドゥー)自体は,「インダス川」を指す語がペルシア語で Hindū となり,広く「インドの住人」を指し示すようになった言葉である.ペルシア語から英語へは,17世紀半ばに借用された.Hindi (ヒンディー語)も,英語での最初の使用は1801年と遅めである.
さて,ヒンドゥー教をどの理解すべきか.上記 OED の定義にあるように,様々な歴史的発展を内包したインド土着の多神教の総体と捉えるよりほかないだろう.井上 (170) も次のように述べている.
つまり「ヒンドゥー教」とは,インドに自然に成り立って来た多様な宗教文化を総称する幅の広い言葉なのです.その内容は実に多様で,イエスやブッダのような創唱者もいませんし,大きな協会組織もなく,キリスト教やイスラムのような明確な枠組みがありません.しかし,聖典ヴェーダを重んじている点は共通しています.
ヒンドゥー教の源である聖典ヴェーダ (Veda) とその言語については,「#1447. インド語派(印欧語族)」 ([2013-04-13-1]) を参照されたい.
・ 井上 順孝 『90分でわかる!ビジネスマンのための「世界の宗教」超入門』 東洋経済新報社,2013年.
4月,始まりの季節である.Chaucer の The Canterbury Tales の冒頭でも,万物の始まりの月である4月が謳い上げられている(「#534. The General Prologue の冒頭の現在形と完了形」 ([2010-10-13-1]) を参照).
April は,1300年頃に Anglo-French の Aprille が英語へ借用されたもので,それ自身はラテン語 Aprīlis mēnsis に遡る.最初の語は,ローマ神話の「愛の女神」 Venus に対応するギリシア神話の女神 Aphroditē の短縮形 Aphros に由来する.4月は愛による豊饒の月であり,再生の月でもあった.別の語源説によると,ラテン語で「開く」を意味する aperīre と関係するともいうが,こちらであれば,大地が開く月,あるいは花開く月ほどのイメージだろうか.
アングロサクソン人は,4月を ēaster-mōnaþ と呼んでいた.光の女神 Ēaster の月ということである.Ēaster は,文字通り現代英語の Easter に相当するが,本来ゲルマン人が春分の時期に祝っていたこの祭りが,後に時期的に一致するキリスト教の復活祭と重ね合わされ,後者を指す呼称として(そしてラテン語の Pascha の訳語として)定着した.
日本の4月の異称「卯月」は,一節に寄れば,ウツギ(ユキノシタ科の落葉低木)の花が咲く時期であることから来ている.ここから,ウツギの花は逆に「卯の花」とも呼ばれる.江戸時代中期の『東雅』や『嘉良喜随筆』によれば,卯月に咲くから卯の花というのであり,その逆ではない旨が述べられている.いずれにせよ,4月は生命にあふれた明るい月である.今年度も開始!
3月については,「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]) を参照.
3月も早下旬となり,卒業式と新年度準備のシーズンである.3月を指す英語の March は,ラテン語で同月を指す Mārtius mēnsis,つまり「マルス神の月」の最初の語「マルス」(ラテン語主格単数形 Mārs)に由来する.マルスはローマを建国したロムルスの父でもあり,軍神でもあり,農耕・牧畜の神でもある.3月は冬が終わり,陽気が暖かくなり始め,軍事行動を再開すべき時期であり,農耕の開始の時期でもある(梅田, pp. 345--46).古代ローマ暦では,1年は春分より始まったため,Mārtius mēnsis こそが1年の最初の月だった.
英語へは,初期中英語期にフランス語を通じてこの語が入り,march(e) などと綴られた(MED の march(e (n.(1)) を参照).それ以前,アングロサクソン人はこの月のことを hrēþ-mōnaþ と呼んでいたが,第1要素の意味は不詳である.
さて,福音伝道者の1人の名前である Mark は,ラテン語では Mārcus となるが,これは借用元のギリシア語形 *Mārt-cos の短縮された形態に由来するものと考えられ,究極的には「マルス」に遡るとされる.
ちなみに,我が国の陰暦3月の旧称「弥生」(やよい)については,「いやおひ」の変化したものとされる.草木がいよいよ花葉を生じる意である.また,古来用いられている雑記の1つ「節分」は,「節季を分ける」の意で,立春をもって新たな年を迎えるという暦の考え方が元になっている.
日本でもイギリスでも,新たな年の始まりが3月や2月などの時期に位置づけられているというのは,必ずしも偶然ではない.希望の時期は,4月より数週間早くに訪れているのだ.
・ 梅田 修 『英語の語源事典』 大修館書店,1990年.
「荒野」を意味する wilderness の語源が「野生動物の住処」であると聞くと,興味を引かれないだろうか.
この語の英語での初出は,1200年頃の説教集においてである.OED によれば,次が初例である.
c1200 Trin. Coll. Hom. 161 Weste is cleped þat londe, þat is longe tilðe atleien, and wildernesse, ȝef þare manie rotes onne wacseð.
この語は古英語では文証されないのだが,実際には *wild(d)éornes などとして存在していた可能性はある.Middle Low German や Middle Dutch において wildernisse として確認されている(cf. 現代ドイツ語 wildernis,現代オランダ語 wildernis).
語形成としては,"wild" + "deer" + "ness" の3要素からなる."deer" は,「#127. deer, beast, and animal」 ([2009-09-01-1]),「#128. deer の「動物」の意味はいつまで残っていたか」 ([2009-09-02-1]) で見たように,古英語から中英語にかけて「動物」を意味したから,"wild deer" とは要するに「野生動物」である.-ness は抽象名詞を作る接尾辞だが,ここでは「住処,場所」ほどの具体的な意味を表わすものとして使われている.-ness が具体名詞を作る例は確かに稀ではあるが,héahnes (highness) で「頂上」を表わしたり,sméþnes (smoothness) で「平地」を表わしたりする事例があるなど,皆無ではない.全体として,wilderness の意味は「野生動物の住処」となり,人の住んでいない荒野のイメージが喚起される.
-ness は,通常,形容詞の基体に接続して名詞を作るので,wild deer という名詞に接続していることは異例のように思われるかもしれない.これについては,wild deer に形容詞接尾辞 -en が付いてできた wildern (野生の)が基体となり,そこへ -ness が接続したと考えることもできる.実際,wildern は,後期古英語に mid wilddeorenum toþum として初出しており,中英語でも多くはないが文証されているので,こちらの語源説のほうが説得力が高いように思われる.
なお,語幹に2重母音をもつ wild /waɪld/ に対して, wilderness /ˈwɪldənəs/ では単母音を示すのは,「#145. child と children の母音の長さ」 ([2009-09-19-1]) で述べたのと同じ理屈により説明できる.
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