[2012-01-27-1]の記事「#1005. 平仮名による最古の「いろは歌」が発見された」で,日本語音韻の順序としての「いろは」について簡単に触れた.
平安末期,橘忠兼が「色葉字類抄」2巻本で漢字や熟語をいろは順に整理したのを嚆矢として,鎌倉初期に10巻本として増補改訂された「伊呂波字類抄」を含め,広く辞書の配列に,いろはが利用されるようになった.室町時代に成立したいろは順の国語辞書「節用集」は,その実用性ゆえに江戸時代には広く用いられ,辞書の代名詞となった.明治以降は,平安時代に別途成立した五十音図(現存最古の図は11世紀初めの醍醐寺蔵「孔雀経音義」)にもとづく「あいうえお」順が配列の基本となっているが,いろはは歴史的仮名遣いにおける仮名の使い分けの根拠とされ,現代かなづかいにも間接的に影響を与えていることになる.配列としてのいろはの伝統は,「ピアノのいろは」「いろはの『い』の字も知らない」などの慣用表現においても「物事の初歩」ほどの意味で残っている.
「物事の初歩」ということでいえば,英語にも ABC という表現がある.the ABC of gardening, (as) easy as ABC, I don't know even the ABC of business など,「いろは」とよく似た使い方だ.語としての ABC は,英語では14世紀前半に「読み書き」や「アルファベット」の語義で初出する.「初歩」の語義では,Gower が初出だ.
関連して from A to Z (初めから終わりまで,すっかり)も,アルファベットの配列にもとづいた慣用表現だ.こちらの初出は1819年.
ギリシア語アルファベトからは,Rev. 1:8 の I am Alpha and Omega, the beginning and the ending が英語に入っており,Tyndale の聖書 (1526) がその初出である.
サンスクリット語(梵語)からは,日本語へ「阿吽(あうん)」が入ってきている.「阿」は口を開く音で字音の初め,「吽」は口を閉じる音で字音の終わり.万物の初めと終わりを示す点では,上記と相通ずる.阿吽は「息の出入り」という意味を発展させ,共に一つのことをするときの相互の微妙な調子や気持ちを表わすのに「阿吽の呼吸」という慣用句が生まれた.
いろは歌にせよアルファベットにせよ,順序を表わすという役割の大きかったことがわかる.現代は科学の時代で,数字で順序を表わすのが主流になってきているとはいえ,「あいうえお」や ABC もまだまだ健在である.いずれも文化史上の大発明といってよいだろう.ちなみに,いろは歌の最後に「京(ん)」が加えられたのは鎌倉時代からだが,その理由はよくわかっていない.
昨日の記事[2012-01-12-1]に引き続き,強意の副詞 very の歴史について付言.昨日は,very が統語的に形容詞とも副詞ともとれる環境こそが,副詞用法の誕生につながったのではないかという Mustanoja の説を紹介した.MED も同様に考えているようで,"verrei (adj.)" の語源欄にて,解釈の難しいケースがあることに触れている.
When verrei adj. precedes another modifier, it is difficult if not impossible to distinguish (a) the situation in which both function as adjectives modifying the noun, from (b) that in which the modifier nearest the noun forms a syntactic compound with it (which compound is modified by verrei) and from (c) that in which verrei functions as an adverb modifying the adjective immediately following; some exx. of (a) and (b) now in this word may = (c) and belong to verrei adv.
例えば,a verrai gentil man という句で考えれば,(a) の読みでは "a true gentle man",(b) では "a true gentleman",(c) では "a truly gentle man" という現代英語の表現に示される統語構造の解釈となる.この種の境目のあいまいな構造から,異分析 (metanalysis) の結果,副詞としての very が発達したと考えられる.
しかし,ここで起こったのは形容詞から副詞への品詞転換 (conversion) にすぎず,「真実,本当」という原義はいまだ保持していた.とはいえ,「真実に,本当に」の原義から「とても,非常に」の強意の語義への道のりは,きわめて近い.語義間の差の僅少であることは,MED "verrei (adv.)" の 2 の (a) から (d) に与えられている語義のグラデーションからもうかがい知れる.各語義を表わす例と文脈を見比べても,互いに意味がどう異なるのか,にわかには判断できない.
「真実に」か「とても」かの僅差を実感するには,今日でも用いられる手紙の "sign-off" の文句の例が適当だろう.very の副詞としての用法が発達した初期の例として,Paston Letters の締めの文句 Vere hartely your, Molyns がある.ここでは hartely は "sincerely, affectionately" ほどの意で,vere は「真実に」の原義と,単純に強意を示す「とても」の語義とが共存している例と解釈したい (Room 278) .
以上のように,very は,フランス語形容詞の借用→形容詞「真実の」→副詞「真実に」→副詞「とても」へ,用法と語義を発展させてきた.しかし,現在,発展の最終段階ともいうべきもう1つの変化が進行中である.それは強意語の宿命ともいえる意味変化なのだが,肝心の強意がその勢いを弱めてきているというものである.以下は,シップリーの mere の項で触れられているコメント.
very (非常に)はほとんど力のない言葉になってしまった.I'm very glad to meet you. (お会いできてとてもうれしい)は,I'm glad to meet you. (お会いできてうれしい)よりも,しばしば誠意に欠ける表現となることがある.
very の意味変化には,語の一生のドラマが埋め込まれている.いや,一生というには時期尚早だろう.なんといっても,very は,今,最盛期にあるのだから.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
[2012-01-04-1]の記事「#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb」で,本来,形容詞である good や real が,主として米口語で副詞として用いられるようになってきていることに触れた.形容詞から副詞へ品詞転換 (conversion) した最も有名な例としては,強意語 very を挙げないわけにいかない.
very は,現代英語で最頻の強意語といってよいだろう.Frequency Sorter によれば,BNC における very の総合頻度は86位である.しかし,この語が強意の副詞として本格的に用いられ出したのは15世紀以降であり,中英語へ遡れば主たる用法は「真の,まことの,本当の」を意味する形容詞だった.それもそのはずで,この語は古フランス語の同義の形容詞 ve(r)rai を借用したものだからである(現代フランス語では vrai).英語での初例は,c1275.この語義は,in very truth, Very God of very God などの慣用句中に残っている.14世紀末には,定冠詞や所有格代名詞を伴って「まさにその,全くの」を意味する強意語としても用いられ始め,この用法は現代英語の the very hat she wanted to get, at the very bottom of the lake, do one's very best などにみられる.
一方,早くも14世紀前半には,上記の形容詞に対応する副詞として「真に,本当に」の語義で very の使用が確認されている.なぜ形容詞から副詞への転換が生じたかという問題を解く鍵は,that is a verrai gentil man (Gower CA iv 2275), he was a verray parfit gentil knyght (Ch. CT A Prol. 72), this benigne verray feithful mayde (Ch. CT E Cl. 343) などの例に見いだすことができる.ここでの very の用法は,続く形容詞と同格の形容詞である.しかし,意味的にも統語的にも,第2の形容詞を強調する副詞と解釈できないこともない.つまり,異分析 (metanalysis) が生じたと疑われる.このような句が慣習的に行なわれるようになると,修飾されるべき名詞がない統語環境ですら very が形容詞に先行し,完全な副詞として機能するに至ったのではないか.また,verray penitent や verray repentaunt などのように,very が,名詞的に機能しているとも解釈しうる形容詞を修飾するような例も,この品詞転換の流れを後押ししたと考えられる.そして,15世紀には強意の副詞として普通になり,16世紀後半までにはそれまで典型的な強意の副詞であった full, right, much を追い落とすかのように頻度が高まった.
以上,Mustanoja, pp. 326--27 を参考に記述した.1つの説得力のある議論といえるだろう.中英語で用いられた他の多くの強意副詞も,その前後のページで細かく記述されているので参考までに.
考えてみれば,[2012-01-04-1]でみた現代米口語の副詞的 real もかつての ve(r)rai と同様,フランス借用語であり,かつ「真の,まことの,本当の」を意味する形容詞である.a real good soundtrack などの表現をみるとき,上述の Mustanoja の very に関する議論がそのまま当てはまるようにも思える.歴史が繰り返されているかのようだ.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
[2011-12-23-1]の記事「#970. Money makes the mare to go.」で取り上げた諺について,調べてみた.OED でのこの諺(の変種)の初例は1659年のもので,そこでは the grey mare (葦毛の雌馬)が目的語となっている.
1659 Howell Lex., Prov. 6/2 Money makes the grey Mare to go.
the grey mare は慣用的に「かかあ天下」 (the wife who rules her husband) を意味し,それ自身が別の諺 the grey mare is the better horse (女房が夫を尻に敷く)の一部となっている.これは,「葦毛の馬が良馬」と言い張る妻の強引さに負けて,葦毛の雌馬を買わされた男の故事に基づく諺と言われる.こちらの諺の初例は,OED では16世紀のことである.
さて,Simpson の英語諺辞典によると,Money . . . の variation としては,1500年より前から見られる.つまり,この諺の発想や教訓は,標題の形で文証されるよりもずっと早くから英語として知られていたことになる.
a a1500 in R. L. Greene Early English Carols (1935) 262 In the heyweyes ther joly palfreys Yt [money] makyght to . . praunce. 1573 J. SANFORDE Garden of Pleasure 105v Money makes the horsse to goe. 1670 J. RAY English Proverbs 122 It's money makes the mare to go. 1857 KINGSLEY Two Years Ago p. xvi. I'm making the mare go here . . without the money too, sometimes. I'm steward now. 1930 L. MEYNELL Mystery at Newton Ferry xiii. 'Tis money makes the mare go. . . They're all afteer it, every one of them. 1978' Countryman Spring 183 Weardale farmer's advice to daughter about to reject proposal of marriage from a wealthy tradesman: 'Never cock your snoop at money, my lass, 'cos it's money that makes the mare to go'.
上記の例には原形不定詞が用いられている異形もみられるが,実は,現代でも主要な辞書では to がカッコに入れられている.
mare の語源については,古英語では m(i)ere に遡り,これは mearh "horse" の女性形である.この古英語 mearh は同義の Gmc *marχjōn, IE *marko- へと遡る.もともと「馬丁」を意味していた marshal (司令官)もこの語根に由来する.
・ Simpson, J. A., ed. The Concise Oxford Dictionary of Proverbs. Oxford: OUP, 1982.
英語語彙に散見される 2重語 (doublet) は,そのソース言語(方言)の組み合わせによって様々な種類がみられる.これまでの doublet の記事で取り上げてきた例は,フランス語絡みが多い.今回もフランス語からの借用語を扱うが,さらにその元であるラテン語の形態との間で2重語の関係を作っている例をみてみよう.
ラテン単語は,その娘言語であるフランス語へ伝わる際に音韻変化を経た.その音韻変化の1つに,ラテン語の典型的な名詞語尾 -tiō(nem) がフランス語で -son へと発達したというものがある.これにより,ラテン語 ratiōnem はフランス語 raison へ,同様に traditiōnem は trahison へ,pōtiōnem は poison へ,lectiōnem は leçon へと変化した.
音韻変化は原則として例外なしとすると,フランス語に -tion の形態は残らないはずだが,実際にはいくらでも存在する.それは,フランス語が,音韻変化を遂げた後に改めてラテン語から語源的な形態を借用した(あるいは復活させた)からである.その段階で,すでに,フランス語の内部において語源を一にする2つの異なる形態(フランス語形とラテン語形)が2重語として共存していたことになる.そして,フランス語におけるその2形態が,時期は必ずしも同じでないにせよ,そのまま英語へも借用され,2重語の関係がコピーされたのが,ration -- reason, tradition -- treason, potion -- poison, lection -- lesson のようなペアである.
ration -- reason には,ratio という同根語も英語に存在し,3重語 (triplet) を形成している.tradition はラテン語 trādere ("through" + "give") からの派生名詞で,「(次世代に)引き継ぐこと,明け渡すこと」が原義である.同語源の英単語 treason (裏切り)は「(人を)売り渡すこと」ほどの語義から発達した.英単語の tradition 自体も,15世紀末から17世紀までは「裏切り」の語義をもっていた.
[2011-02-09-1]の記事「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」で見たように,フランス語とラテン語の語形は見分けるのが難しいことも多い.中世ではそれくらい両言語の差は小さく,それだけにラテン語にもある程度慣れていたフランスの書記たちは大いに混乱していた.古フランス語においては,フランス語形とラテン語形の併存は常態であり,その状況のなかで上記のような2重語が生み出された.そして,その余波は海峡を越えてイングランドへも伝わった.英語史の少なくとも一部は,このようにフランス語史と密接に関わっていることがわかるだろう.
このような2重語の例は,改めて英語語彙の多層性を見せてくれる例として覚えておきたい.
先日,中英語のテキストで sow (雌豚)に出くわし,[sū] と音読していたところ,この母音が swine の母音と i-mutation の関係にあるなと気づき,語源辞典を繰ってみた(i-mutation については,[2009-10-01-1]の記事「#157. foot の複数はなぜ feet か」を参照).以下,調べた内容をメモ.
成長した繁殖用の雌豚を表わす sow [saʊ] の語源をたどると,ME soue < OE sugu < Gmc *suȝō < IE *sū- "pig" へと遡る.関連する諸語における cognate は,G Sau, ON sýr, L sūs, G hûs など.(/h/ と /s/ の対応については[2010-04-14-1]の記事「#352. ラテン語 /s/ とギリシャ語 /h/ の対応」を参照.)
主として集合的に用いられる古風あるいは専門的な語としての豚を表わす swine (豚)については,OE swīn < Gmc *swīnam < IE *suəīno- "pertaining to swine" へと遡る.IE の形態は,*sū- に接尾辞がついたもので,同種の接尾辞は OE gǣten "of goats" などにも見られる.この接尾辞は,[2010-04-18-1]の記事「#356. 動物を表すラテン語形容詞」で挙げた bovine や feline に見られるラテン語の形容詞接尾辞とも同根だろう.案の定,この接尾辞に含まれる前母音が i-mutation を引き起こした元凶だったのだ.
BrE pig の代わりに AmE で通常に食用の雄豚の意味で用いられる hog も,語源的には IE *sū- に遡る.Celt. *hukk- から後期古英語へ hogg として借用されたものである.
この印欧語根と関係する意外な語に,hyena (ハイエナ)がある.この語は古フランス語から中英語へ hiene として入ったもので,遡れば上記の G hûs に女性語尾 -ainā が付加された派生形にたどり着く.
さて,現代英語で最も一般的に豚を表わす語である pig はというと,詳しい語源は分かっていない.初出は中英語で,古英語に遡る形態はないものの,docga "dog" や frocga "frog" との比例で *picga が提案されている.また,突き出た鼻との連想から pick や pike との関連を指摘する説もある.古英語,中英語では swine, hog が一般的に用いられていたが,19世紀以降に pig が優勢となった.
[2011-10-02-1]の記事「#888. 語根創成について一考」で触れた Kodak について.アメリカの写真機メーカー,コダック社の製品(主にカメラやフィルム)につけられた商標で,コダック社の創業者 George Eastman (1854--1932) の造語とされる.語根創成の典型例として挙げられることが多い.
商標としての初出は OED によると1888年で,一般名詞として「コダック(で撮影された)写真」の語義では1895年が初出.それ以前に,1891年には早くも品詞転換 (conversion) を経て,動詞としての「コダックで撮影する」も出現している.派生語 Kodaker, Kodakist, Kodakry も立て続けに現われ,当時のコダックの人気振りが偲ばれる.素人でも簡単に撮影できるのが売りで,そのことは当時の宣伝文句 "You press the button, we do the rest" からもよく表わされている.アメリカ英語では「シャッターチャンス」の意味で Kodak moment なる言い方も存在する.
Kodak という語の発明については詳しい経緯が書き残されている.ひ孫引きとなるが,Mencken に拠っている Strang (24) から引用する.
To the history of kodak may be added the following extract from a letter from its inventor, George Eastman (1854--1932) to John M. Manly Dec. 15, 1906: 'It was a purely arbitrary combination of letters, not derived in whole or in part from any existing word, arrived at after considerable search for a word that would answer all requirements for a trade-mark name. The principal of these were that it must be short, incapable of being mis-spelled so as to destroy its identity, must have a vigorous and distinctive personality, and must meet the requirements of the various foreign trade-mark laws, the English being the one most difficult to satisfy owing to the very narrow interpretation that was being given to their law at that time.' I take this from George Eastman, by Carl W. Ackerman; New York, 1930, p. 76n. Ackerman himself says: 'Eastman was determined that this product should have a name that could not be mis-spelled or mispronounced, or infringed or copied by anyone. He wanted a strong word that could be registered as a trade-mark, something that every one would remember and associate only with the product which he proposed to manufacture. K attracted him. It was the first letter of his mother's family name. It was "firm and unyielding." It was unlike any other letter and easily pronounced, Two k's appealed to him more than one, and by a process of association and elimination he originated kodak and gave a new name to a new commercial product. The trade-mark was registered in the United States Sept. 4, 1888.'
Eastman 自身の説明として,コダック社のHPにも次のような記述を見つけることができた.
I devised the name myself. The letter 'K' had been a favorite with me -- it seems a strong, incisive sort of letter. It became a question of trying out a great number of combinations of letters that made words starting and ending with 'K.' The word 'Kodak' is the result.
音素配列 (phonotactics) と音の与える印象を徹底的に考え抜いた上での稀な語根創成といえるだろう.
Strang (24--25) によると,初期の例からは「写真」や「フィルム」という普通名詞としての Kodak の使用が示唆されるが,商標から完全に普通名詞化したと考えられる hoover (掃除機)などとは異なり,普通名詞化の度合いは低いのではないかという.商標として始まった後,間もなく普通名詞化しかけたが,再び商標としてのみ使われることになった,という曲折を想定することができる.意味や用法の変化が必ずしも一方向ではないことを示唆する例と考えられるかもしれない.
・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
[2011-02-09-1]の記事「中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」の議論の続き.[2011-08-20-1]の記事「現代英語の語彙の起源と割合」でも触れた Philip Durkin 氏の最近の講演 "Some neglected aspects of Middle English lexical borrowing from (Anglo-)French" で,標記の問題も議論されていた.講演とそのハンドアウトをもとに,議論の一端を紹介したい.
・ ある語がフランス借用語かラテン借用語かは,フランス語史の知見に基づき,主に語形から判断されるが,大多数はいずれとも決めがたい.そのようなケースでは,いずれか一方からの借用であるという可能性は否定できないが,それを積極的に証明することもできない.つまり,両言語からの multiple input という可能性を常に念頭に置いておく必要がある.
・ 源がいずれの言語であるかにかかわらず,相当数のフランス・ラテン借用語は多義であり,一方の言語を借用元と仮定した場合に想定される語義よりも多くの語義を含んでいる.
・ Helsinki Corpus に基づく調査によると,フランス・ラテン借用語で現在頻度の高い語は,借用当初から高頻度だったわけではない.初期近代英語期に高頻度となってきたフランス・ラテン借用語は,主として13--14世紀に借用された語である.
・ 1380年より前には,大陸フランス語のみが起源であると証明される借用語は存在しない.そのような借用語が現われ始めるのは,14世紀後半から15世紀にかけてである.
フランス・ラテン語借用の従来のモデルでは,以下のような暗黙の前提があった.(1) 英語はいずれかの言語(いずれかが判明できないとしても)から語を借用したが,(2) 後に,同言語同語の発展形,他方の言語の同根語,あるいはその派生語や関連語から意味借用を行なうことによって語義を追加していくことがあった.
しかし,Durkin 氏は,自らの調査結果に基づき,フランス・ラテン語借用について新たなモデルを提案している.その内容は次のように要約できるだろう.中英語から初期近代英語にかけての時代,特に英語が記録の言語として復権を果たした後の時期でも,イングランドにおいてフランス語とラテン語は多くの分野で権威の言語であり続け,当時のイングランド人は日常的に両言語との新たな接触を繰り返していた.このような多言語社会において,イングランド人は,所属する社会集団に応じて程度の差はあれ,英語,フランス語,ラテン語のあいだで互いに対応する語の形態と意味を知っていたと考えられる.数世紀にわたる "multiple input" の結果として,借用語の形態と意味が累積し,複雑化してきたのではないか.
新モデルでは,いずれの言語が借用元かという起源の議論よりは,中世から初期近代のイングランド多言語社会において借用語の形態と意味がどのように多元化してきたかという過程の議論に焦点が当てられている.形態や語義の直線的な発達というよりは,相互の複合的な影響の可能性が重視されている.[2010-08-06-1]の記事「語源学は技芸か科学か」で,語源には内的語源と外的語源があることを紹介したが,Durkins 氏の新モデルは内的語源のみならず外的語源にも目を向けさせるバランス型のモデルと評することができるかもしれない.
every は「あらゆる,ことごとくの,どの…も」を表わす形容詞で,単数名詞が後続することは英文法でもよく知られている.多くのものについて個々にみてこれを総括するという点で,all よりも意味が強いといわれる.every を強調するときに single が付くことからも,個別に数えての「すべて」であることが分かる.
単数名詞を従え,個別化の機能を担う形容詞といえば「各々の,めいめいの」を表わす each が思い出される.every と each は統語や意味の点で語法が似ているが,それもそのはず,語源的には前者は後者の強めに過ぎない.each は古英語の ǣlc に遡り,語形成上は ā "aye, always" + ġelīc "alike" と分析される.「いつも似ている(各々の)」ほどの原義である.個別的でありながら総括的な each の含意は,「いつも」にかかっていると考えられる.
ā ġelīc が融合し,語頭母音が i-mutation ([2009-10-01-1]) により変化し,偽装合成語 (disguised compound; [2010-01-12-1]) ともいえる ǣlc が生じると,ā の担当していた「いつも」の原義が稀薄となったため,改めて「いつも」を強調する必要が生じた.この目的で前置されたのが ǣfre "ever" である.古英語では ǣfre ǣlc は2語で分かち書きされていたが,10世紀頃よりすでに複合語として認識されていたようで,中英語期には ev(e)rilc, æv(e)ric, everi などの形態が現われ始めた.
現代英語の every はいわば2段階の偽装合成語ともいえる.every の最後の文字 <y> に each が詰め込まれており,その音価 [i] は「いつも」を意味する ā "aye, always" の i-mutation 形である.つまるところ,every の原義は "ever always" ということになる.
every と each はその個別的総括という性質ゆえに,不定冠詞 a(n) を従えることのできた時代がある.MED entry for "everi" (pron.) の 3 や MED entry for "ech" (pron.) の 3 に例があるが,OED によれば前者は14--15世紀,後者は12--15世紀に文証される.この用法は,many a(n) と比較されるだろう.[2010-11-12-1]の記事「Many a little makes a mickle」を参照.
一昨日の記事「she の語源説」 ([2011-08-02-1]) で概説したように,she の語源は諸説紛々としている.関連研究も累々と積み重ねられてきており,その書誌をまとめるだけでも意味があるかもしれない.まったく網羅的ではないが,昨日挙げた参考文献に載っていたものを中心にいくつかを示しておきたい.
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968. xxxvi--xxxviii.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958. lxvi--lxvii.
・ Dieth, E. "Hips: A Geographical Contribution to the 'She' Puzzle." ES 36 (1955): 209--17.
・ Flom, G. T. "The Origin of the Pronoun 'She'." JEGP 7 (1908): 115--25.
・ Lindkvist, H. "On the Origin and History of the English Pronoun she." Anglia 45 (1921): 1--50.
・ Luick, K. Historische Grammatik der englischen Sprache. Stuttgart: Tauchnitz, 1964. Section 705.
・ Ruud, M. B. "A Conjecture concerning the Origin of Modern English She." MLN 25 (1920): 222--25.
・ Ruud, M. B. "'She' Once More." RES 2 (1926): 201--04.
・ Samuels, M. L. "The Role of Functional Selection in the History of English." Transactions of the Philological Society. 1965. 21--23.
・ Sarrazin, G. "Der Ursprung von NE. 'She'." Englische Studien 20 (1895--96): 330--31.
・ Smith, A. H. "Some Place-Names and the Etymology of 'She'." RES 2 (1925): 437--40.
・ Stevick, R. D. "The Morphemic Evolution of Middle English She." ES 65 (1964): 381--88.
・ Vachek, J. "Notes on the Phonological Development of the NE Pronoun she." Sborník Praci Filosfické Faculty Brnenské University 3 (1954): 67--80.
・ Vachek, J. "On Peripheral Phonemes of Modern English." Brno Studies in English 4 (1964): 21--29.
・ 尾碕 一志 「人称代名詞 she の起源について: enclitic *-se 介在説」『雲雀野 : 豊橋技術科学大学人文科学系紀要』第12巻,1990年,43--48頁.
・ 佐藤 哲三 「 Havelok the Dane の三人称代名詞(女性・主格・単数) SHE に関して」『第一福祉大学紀要』第2巻,2005年,27--45頁.( CiNii より PDF で入手可能.pp. 28--29 に諸説がまとまっている.)
ほとんどが Bennett and Smithers から芋づる式に書誌を調べたので,最も新しくて1960年代の論である.それ以降も調べれば,いろいろと出てくるだろう.気付いたら,後記としてここに加えてゆきたい.
昨日の記事「she の語源説」 ([2011-08-02-1]) の (4) の語源説,いわゆる "Shetland-theory" について少しだけ触れておきたい.これは [hj] ( > [ç] ) > [ʃ] の音発達を想定する説で,OED によると同じ音発達がノルウェー語の方言に見られるといわれる.英語に関係するところでは,古ノルド語の地名 Hjaltland, Hjalpandisøy がそれぞれ英語の Shetland, Shapinshay に対応するという例が挙げられる.イングランド北部方言に,古英語 hēope "hip" に対応する shoop なる形態が確認されるのも,古ノルド語形 *hjúpa からの発達として同様にみなせるかもしれない.
さて,英語の Shetland は古ノルド語 Hjaltland に由来するということだが,後者は hjalt "hilt" + land "land" の複合語である.これは,島の形が「(柄のある)剣」に似ていることによるものと考えられている.シェトランド諸島 (the Shetland Islands) と北海の周辺図を示そう.(スコットランド地図は Encyclopaedia Britannica: Scotland を参照.シェトランド諸島の詳細地図は Shetland Map を参照.)
地図で見る限り,北西端のデンマーク領フェロー諸島 (the Faeroe Islands) と並んで,北海に浮かぶ絶海の孤島という印象である.シェトランド諸島はイギリス領でスコットランドの最北州を構成しており,大小約100の島から成るが,8割以上が無人島である.北緯60度付近に位置しており,緯度としては世界ではオスロ,ヘルシンキ,サンクトペテルブルク,ヤクーツク,アンカレジなどと並ぶ.1974年までは公式に Zetland と呼ばれていた.
シェトランド諸島と結びつけられる物産や産業としては,頑強な子馬 Shetland pony, シェトランド羊毛の毛糸編み製品 Shetland(関連して Shetland sheep や Shetland sheepdog も知られている.後者の愛称 sheltie に <l> が残っていることに注意),タラ漁,観光業がある.1970年代以降は,諸島の中心都市 Lerwick がブレント北海油田の原油基地として重要となっている.
先史時代にはピクト人が環状列石の文化を開いていたが,7--8世紀にアイルランドや西スコットランドから宣教団が送られるようになった.8--9世紀にはノルウェー・ヴァイキングが入植し,15世紀までシェトランドを統治した.1469年,スコットランドの James III (1451--88) とデンマーク王女 Margaret が結婚したことによりシェトランドはスコットランド領となったが,18世紀に至るまで古ノルド語から派生したノルン語 (Norn; from ON Norrœnn "Norwegian" ) と呼ばれる言語が行なわれていた.このようにスコットランド史の主流から外れた独自の歴史を歩んできたため,現在でも島民には北欧系の言語や慣習が見られる.
シェトランド関連の情報は Shetland Heritage や VISIT.SHETLAND.ORG が有益.シェトランド方言のサイト Shetland Forwirds ,特にシェトランド方言の歴史のページがおもしろい.
[2011-06-28-1]の記事「she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」で触れた通り,現代英語の標準的な3人称女性単数代名詞形の起源は謎に包まれている.[2011-06-29-1]の記事「she --- 現代イングランド方言における異形の分布」で見たように,現代でもイングランド方言では様々な形態が用いられているが,she はそのような異形の1つにすぎなかった.しかし,そもそも she (あるいは初例形でいえば scæ )が異形として現われた経緯が不詳なのである.
she の起源には数々の説が提案されている.主要なものをまとめよう.
(1) 古英語の指示代名詞 se ([2009-09-28-1]の記事にあるパラダイムを参照)の女性単数主格形 sēo あるいは sīo と,人称代名詞([2009-09-29-1]の記事にあるパラダイムを参照)の女性単数主格形 hēo の混成語 (blend) とする説.
(2) 上述の sēo が強勢の移動により siō を経て,shō へ発展した.
(3) wæs hēo など -s で終わる動詞屈折形が前置されたときに,連声 (sandhi) が生じて,sēo となったとする説 ("sandhi-theory") .あるいは,hēo には,強勢が移動し,かつ語頭の h が脱落した yo という異形が確認されることから, wæs yo から直接 sjo ,さらには sho が生じたとする考え方もある.
(4) hēo の強勢が移動して [hjoː] > [çoː] > [ʃoː] と音変化したとする説 ("Shetland-theory") .この変化は方言に確認される.
(5) 古ノルド語の指示代名詞の女性形 sú, sjá が借用され,人称代名詞として用いられたとする説.(これとは別に,上述 (2) の強勢の移動に古ノルド語の影響があったのではないかという説もある.)
(2), (3), (4) は出力された母音が ē ではなく ō であることに注意したい.ここから she に近い形態に至るには,母音の問題が残っていることになる.母音の問題には,2つの解決案が出されている.1つは,男性代名詞 hē や2人称複数代名詞 ȝē に基づく類推により,後舌母音が ē によって置換されたとするものである (cf. [2009-12-25-1], [2011-07-06-1]) .もう1つは,古英語の女性単数主格形 hēo ではなく女性単数対格形 hīe に基づいて後の標準形が発達したとする説である.
母音の音価のみならず,子音の音価が [ʃ] へ発展した経緯ももう一つの大きな問題である.(2), (4) のように,自然の音声変化として発達したとする説,(3) のように sandhi を説明原理とする説,あるいは [ç] までは音声変化とした発展したが /ç/ の音素としての地位が周辺的であるために最も近い /ʃ/ で置換されたとする説などが提起されている.
母音と子音の両方で必ずしも自明ではない説明が必要とされるところに,she 問題の難しさがある.おそらくは,絶対的な1つの答えはないのだろう.各種の方言形が音声変化,置換,類推,混成などにより生まれ,そのなかから偶然に she のもととなる形態が最終的に選択されたということではないだろうか.
以上の記述には,OED, 『英語語源辞典』,Bennett and Smithers (xxxvi--xxxviii), Clark (lxvi--lxvii) を参照した.
・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.
「ナイチンゲール」あるいは「サヨナキドリ」.ユーラシア西部,アフリカに分布するツグミ科 (Turdidae) ノゴマ属 (Luscinia) の鳥.ヨーロッパ随一の鳴鳥で,繁殖期の夜間に雄が美しい声で鳴く.美声歌手の代名詞でもある.イギリスでは通常 Luscinia megarhynchos を指す.
英文学でも有名なこの鳥は,実際に鳴くのは雄なのだが,伝統的に女性扱いである.12世紀末から13世紀の始めの時代に書かれたとされる debate poem の傑作 The Owl and the Nightingale (O&N) では,人生の陰気で憂鬱な側面を代表するフクロウに対して,ナイチンゲールは人生の楽しく喜ばしい側面を代表している.この作品では,双方とも女性という設定である.
さて,nightingale の古英語の形態は nihtegale (女性名詞)である.niht 「夜」 + gale 「歌う人」という複合語で,後者と関連する古英語の動詞 galan 「歌う」は,口蓋化した子音をもつ giellan という異形態を通じて,現代英語の yell 「わめく,叫ぶ」につながる.同じ語形成は他のゲルマン諸語でも見られる( Du nachtegaal, G Nachtigall ) .
ここで注意したいのは,古英語形では第2音節に n が含まれていないことである.中英語でも n を欠いた nyhtegale などの綴字が見られる (see MED entry for "nighte-gale") .ところが,中英語では O&N を初例として,n を含む niȝtingale などの刷新形も現われ始める (see MED entry for "nightin-gale") .Atkins (p. 2, fn. 5) によれば,O&N を収めている現存する2つの写本(13世紀の最後の四半世紀のものとされる)により問題の語形を調べると,C 写本で n ありが16回,n なしが5回(この5回はいずれも,綴字体系の差異により B section として区分されているテキストの箇所に現われる),J 写本では l. 203 の Nihtingale を除き nyhtegale が決まった形だという.
語源辞典などによると,中英語での n の挿入は第2音節の母音の鼻音化変形とされているが,他の単語でこのような n の挿入の例はあまり見られない.16世紀,婦人のスカートを張り広げるのに用いたくじらひげ製の張り骨 farthingale は,フランス語 verdugale の借用だが,ここでは nightingale の場合と同様の n の挿入が見られる.他には,古い例として The Peterborough Chronicle の1137年の記録から,þolenden が þoleden の意味で用いられている例が見つかる.しかし,これは写字生による誤記と疑われ,n の挿入の確かな例とはいえない.
[ŋ] の鼻音が nightingale の語に柔らかく洗練された響きを与えているように思うが,いかがだろうか.クリミヤ戦争の従軍看護婦 Florence Nightingale (1820--1910) が思い出される.
・ Atkins, J. W. H., ed. The Owl and the Nightingale. New York: Russel & Russel, 1971. 1922.
[2009-12-28-1]の記事「西暦2000年紀の英語流行語大賞」で見たとおり,American Dialect Society の選んだ西暦2000年紀のキーワードは she だった.12世紀半ばに初めて英語に現われ,2000年世紀の後期にかけて,語そのものばかりでなくその referent たる女性の存在感が世界的に増してきた事実を踏まえての受賞だろう.その英語での初出は The Peterborough Chronicle の1140年の記録部分で,scæ という綴字で現われる.この scæ の指示対象が,Henry I の娘で王位継承を巡って Stephen とやりあった,あの男勝りの Matilda であるのが何ともおもしろい.結局 Matilda は後に息子を Henry II としてイングランド王位につけることに成功し,事実上の Plantagenet 朝創始の立役者ともいえる,歴史的にも重要な scæ だったことになる.該当箇所を Earle and Plummer 版より引用.
Þer efter com þe kynges dohter Henries þe hefde ben Emperice in Alamanie. 7 nu wæs cuntesse in Angou. 7 com to Lundene 7 te Lundenissce folc hire wolde tæcen. 7 scæ fleh 7 for les þar micel.
ところが,この she という語は,英語史では有名なことに,語源不詳である.[2010-03-02-1]の記事「現代英語の基本語彙100語の起源と割合」で she を古ノルド語からの借用語として触れたのだが,これは一つの説にすぎない.英語語彙のなかでは最も頻度の高い語源不詳の語といってよいだろう.
提案されている各説ともに,理屈は複雑である.諸説の詳細はいずれ紹介したいと思うが,ここではある前提が共有されていることを指摘しておきたい.古英語の3人称女性単数代名詞 hēo やその異形は,中英語までに母音部を滑化させ,古英語の3人称男性単数代名詞 hē や3人称複数代名詞 hīe の諸発達形と同じ形態になってしまった.この同音異義衝突 ( homonymic clash ) の圧力は,起源のよく分からない she を含めた数々の異形が3人称女性単数代名詞のスロットに入り込む流れを促した.後の3人称複数代名詞 they の受容も,同音異義衝突によって始動した人称代名詞の再編成の結果として理解できる.
she の起源を探る研究は,数々の異形の方言分布,初出年代,音声的特徴,類推作用などの関連知識を総動員しての超難関パズルである.hēo, hīe, sēo, sīo, hjō, sho, yo, ha, ho, ȝho, scæ, etc. これらの中からなぜ,どのようにして she が選択され,定着してきたのか.英語語源学の最大の難問の1つである.
・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.
willy-nilly は「行き当たりばったりに(の);いやおうなしに(の)」を意味する語で,強弱格で脚韻を踏む語呂のよい表現である.will I [he, ye] nill I [he, ye] という表現がベースになっており,意志を表わす動詞 will とその否定形 nill ( < ne + will ) をそれぞれ主語代名詞と倒置させた譲歩表現である.OED によると初出は1608年で,次の例文が挙げられている.
Thou shalt trust me spite of thy teeth, furnish me with some money wille nille.
中英語以前では否定副詞 ne を動詞に前置して否定を形成するのが主流であり,しばしば動詞と一体になって発音されることが多かった.問題の nill ( ne + will ) を始め nam ( ne + am ), nas ( ne + was ) などの例があり,これを後接的 (proclitic) な ne という.一方,中英語以降に発達した否定の副詞に,動詞に後置される not,そしてその短縮形である n't がある.こちらは前接的 (enclitic) な否定辞と言われ,isn't, haven't, won't ( < wonnot < wol not ) など,現代英語でおなじみである.
will の否定としての won't の起源については[2009-07-25-1]の記事「one の発音は訛った発音」で取り上げたが,この否定形は17世紀に英語に現われた.もし従来の後接的な nill がより早い段階で新しい前節的な won't に置換されていたのであれば,標記の表現は willy-nilly ではなく,*willy-wonty なとどなっていたかもしれない.いや,euphony という観点からすればやはり willy-nilly のほうが語呂がよいから,いずれにせよこの表現が選択され定着していたと考えるのが妥当かもしれない
主語代名詞を表わす y はそれ自体が弱形として前接しているので,nilly の部分は will を中心として後接辞 n- と前接辞 -y が同時に付加された複雑な語形成を表わしていることになる.現代英語としては何気ない表現だが,形態素分析をすると will-y-n-ill-y と実に5つの形態素からなっている.総合的な (synthetic) 振る舞いを超越した多総合的な (polysynthetic) な振る舞いと言ってしかるべきだろう.「(多)総合的」という術語については,[2010-10-01-1]の記事「形態論による言語類型」を参照.
近年,日本語では古風な響きをもつ「産婆」に代わって「助産婦」さらに「助産師」という職業名が一般的に聞かれるようになった.「産婆」は「学」というよりは「術」あるいは「職人技」を思い浮かばせ,近代医学の1分野としての「助産学」よりも,古くて劣ったものという響きが付随している.この差別的な響きゆえに,公式な職業名としては用いられなくなっている.
英語でも,助産の仕事を指す語として,古い伝統的な響きを有する midwifery 「産婆術」と近代医学のオーラの漂う obstetrics 「産科学」の2語があり,日本語の状況と似ていなくもない.
OED によると,midwife は1303年,midwifery は1483年が初出で,英語での使用の歴史は長い.midwife の wife は「妻」ではなく「女性」の意味である.また,接頭辞 mid- は古い前置詞 mid "with" と考えられ,全体として "(a woman) with a mother at the birth" ほどの意味を表わす.中英語期の語形成ではあるが,本来語要素を組み合わせた点でゲルマン的な語である.
一方 obstetrics の初出は1819年で,その定義にもなっている例文では midwifery より重要な分野として言及されている: "the doctrines or practice of midwifery. . . Employed in a larger signification than midwifery in its usual sense." ただし,形容詞の obstetric は1742年と割りに早く出現している.obstetric の語源はラテン語 obstetrīcius で,ob- + stāre + -trīx で "a woman who stands before" 「(お産に)立ち会う女性」ほどの意味である.ほぼ同じ語形成で「前に立ちはだかる邪魔者」として obstacle も英語に入っている.
midwifery が obstetrics よりも古めかしく響くのは,Walker (39) によると,その語源とも関係しているという.
'Midwifery' is a word which derives from Old English rather than Latin or Greek, implying that historically it has been given a lower status than other branches of medicine. It is no coincidence that it has been predominantly practised by women.
関連して,職業(人)名にロマンス系借用語が多いことについては,寺澤盾先生の著書 (66) でも紹介されている.ものを作る職業の場合,材料は英語本来語だが,職人名は借用語であることが多い.これは「動物とその肉を表す英単語」の話題(前者は英語本来語で後者は借用語)とも関係している ([2010-03-24-1], [2010-03-25-1]) .ノルマン征服によりイングランド社会にフランス人(語)上位,アングロサクソン人(語)下位という序列が形成された歴史的事実が,これらの語彙の語源分布に反映されていると言われている.
職人名 | 素材・製品 |
---|---|
carpenter 「大工」 | wood 「木材」 |
mason 「石工」 | stone 「石」 |
tailor 「仕立屋」 | cloth 「布」 |
fletcher 「矢羽職人」 | arrow 「矢」 |
barber 「床屋」 | hair 「頭髪」 |
butcher 「肉屋」 | meat 「食肉」 |
先日の William & Catherine の royal wedding の「結婚の誓約」 (marriage vows) について,transcript が BBC: Royal wedding: Transcript of marriage service に掲載されている(本記事の末尾に再掲).誓約の場面は,こちらの Youtube 動画よりどうぞ.
結婚式を含む宗教的儀式の言語は,古い表現を豊富に残していることが多い.英国国教会の marriage vows は,1549年に出版された The Book of Common Prayer の誓約が土台となっており,以降,軽微な改変はあったものの,ほぼそのままの形で現在にまで伝わっている.したがって,今回の誓いも現代英語より近代英語を体現しているというほうが適切であり,古風な表現に満ちている.聖書の言語と同様,歴史英語の入門にはうってつけの教材だろう.
さて,英国国教会の長 the Archbishop of Canterbury が用いた古風な表現の1つに「結婚(している状態);婚姻」を表わす wedlock がある.holy wedlock と使われているように,宗教的に認められた婚姻関係を指すことが多い.語形をみる限り,lock 「錠前」と結びつけられるのではないかと考えるのが普通だろう.新郎新婦が "till death us do part" と誓い合っているように,夫婦の愛が錠前のように固く結びつけられるという含意ならばロマンチックだが,既婚者の多くが真っ先に想像する「結婚の錠前」とは,日常生活上のあれやこれやの制限のことだろう."Wedlock is a padlock." なる金言がある通りである.中世の登記には,独身者はラテン語で solutus 「放たれた,つながれていない」と表記されたが,これもよく理解できる.
wedlock を上記のように「結婚という錠前」と解釈する語源は言い得て妙,と膝をたたく既婚者も少なくないと思われるが,これはよくできた民間語源 ( folk etymology ) である.語源学の正しい教えに従えば,既婚者は錠前から解放される.wedlock は古英語より使われていた本来語で,当時は wedlāc という形態だった.-lāc は動作名詞を作る接尾辞で,wed 「誓い」と合わせて,本来は「誓いの行為;誓約」ほどの意味だった.そこから「結婚の誓約」の語義が生じ,中英語期には「結婚(している状態)」を表わすようになったのである.接尾辞 -lāc は,古英語では他にも以下のような派生語に見られたが,現代にまで残ったのは wedlock のみである.
brȳdlāc "nuptials", beadolāc "warfare", feohtlāc "warfare", heaðolāc "warfare", hǣmedlāc "carnal intercourse", wiflāc "carnal intercourse", rēaflāc "robbery", wītelāc "punishment", wrōhtlāc "calumny"
wedlock や marriage は類義語が多い.Visuwords の marriage や wedlock で類義語の関係図を見ると,結婚がすぐれて社会的な制度,社会的な拘束力のある「誓約の行為」であることを実感することができる.類義語の視覚化ツールとしては,[2010-08-11-1]の記事「toilet の豊富な婉曲表現を WordNet と Visuwords でみる」で紹介した Visual Thesaurus も参考までに.
Archbishop to Prince William: William Arthur Philip Louis, wilt thou have this woman to thy wedded wife, to live together according to God's law in the holy estate of matrimony?
Wilt thou love her, comfort her, honour and keep her, in sickness and in health; and, forsaking all other, keep thee only unto her, so long as ye both shall live?
He answers: I will.
Archbishop to Catherine: Catherine Elizabeth, wilt thou have this man to thy wedded husband, to live together according to God's law in the holy estate of matrimony? Wilt thou love him, comfort him, honour and keep him, in sickness and in health; and, forsaking all other, keep thee only unto him, so long as ye both shall live?
She answers: I will.
The Archbishop continues: Who giveth this woman to be married to this man?
The Archbishop receives Catherine from her father's hand. Taking Catherine's right hand, Prince William says after the Archbishop: I, William Arthur Philip Louis, take thee, Catherine Elizabeth to my wedded wife, to have and to hold from this day forward, for better, for worse: for richer, for poorer; in sickness and in health; to love and to cherish, till death us do part, according to God's holy law; and thereto I give thee my troth.
They loose hands. Catherine, taking Prince William by his right hand, says after the Archbishop: I, Catherine Elizabeth, take thee, William Arthur Philip Louis, to my wedded husband, to have and to hold from this day forward, for better, for worse: for richer, for poorer; in sickness and in health; to love and to cherish, till death us do part, according to God's holy law; and thereto I give thee my troth.
They loose hands. The Archbishop blesses the ring: Bless, O Lord, this ring, and grant that he who gives it and she who shall wear it may remain faithful to each other, and abide in thy peace and favour, and live together in love until their lives' end. Through Jesus Christ our Lord. Amen.
Prince William takes the ring and places it upon the fourth finger of Catherine's left hand. Prince William says after the Archbishop: With this ring I thee wed; with my body I thee honour; and all my worldly goods with thee I share: in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Ghost. Amen.
The congregation remains standing as the couple kneels. The Archbishop says: Let us pray.
O Eternal God, Creator and Preserver of all mankind, giver of all spiritual grace, the author of everlasting life: send thy blessing upon these thy servants, this man and this woman, whom we bless in thy name; that, living faithfully together, they may surely perform and keep the vow and covenant betwixt them made, whereof this ring given and received is a token and pledge; and may ever remain in perfect love and peace together, and live according to thy laws; through Jesus Christ our Lord. Amen.
The Archbishop joins their right hands together and says: Those whom God hath joined together let no man put asunder.
The Archbishop addresses the congregation: Forasmuch as William and Catherine have consented together in holy wedlock, and have witnessed the same before God and this company, and thereto have given and pledged their troth either to other, and have declared the same by giving and receiving of a ring, and by joining of hands; I pronounce that they be man and wife together, in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Ghost. Amen.
The Archbishop blesses the couple: God the Father, God the Son, God the Holy Ghost, bless, preserve, and keep you; the Lord mercifully with his favour look upon you; and so fill you with all spiritual benediction and grace, that ye may so live together in this life, that in the world to come ye may have life everlasting. Amen.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
東北地方太平洋沖地震により影が薄くなってしまったが,本来この春にブレイクするはずだったのは,上野動物園に新しくやってきたパンダ,リーリーとシンシンである.いや,実際に上野に出ると,上野の山もアメヤ横丁も看板はパンダ一色である.
panda の語源はネパール語の対応する動物名で,フランス語を経由して19世紀前半に英語に入ってきた.当初この単語はパンダ科レッサーパンダ属 (Ailurus fulgens) の動物,すなわち lesser panda 「レッサーパンダ」を意味していた.シンシンやリーリーのようなパンダ科ジャイアントパンダ属 (Ailuropoda melanoleuca) の動物,すなわち giant panda 「ジャイアントパンダ」を指示するようになったのは,OED では1901年が初例である.つまり,19世紀には panda といえば専らレッサーパンダのことを指していたが,20世紀初めにジャイアントパンダが現われるにいたって,両者を区別するために,それぞれ lesser panda と giant panda という新しい名称が割り当てられたのである.さらに,以降,単純に panda といえばジャイアントパンダを指示するようになった.ここには,panda の意味変化と,曖昧さの除去のための形容詞付加という言語変化を見て取ることができる.
ここで類例として思い浮かぶのは Great Britain という呼称である.本来 Britain といえば,英国の主要な領土であるブリテン島を指した.これは,ケルト系原住民 Briton 「ブリトン人」にちなむ地名である.しかし,5世紀以降,ブリテン島に移住してきた the Angles, Saxons, and Jutes の西ゲルマン諸部族に追われ ([2010-05-21-1]),イギリス海峡を越えてフランス北西部に渡ったブリトン人が住み着いた土地も「ブリテン」と呼ばれることなったため,海峡をはさんで2つの「ブリテン」が共存するようになった.民族のルーツは1つとはいえ,異なる土地に同じ呼称では不便だったたため,新天地であるフランス北西部の半島一帯,すなわち現在の Brittany (フランス語で Bretagne,日本語で「ブルターニュ」)は Little Britain や Britain the less などと称され,区別されるようになった.一方,故郷であるブリテン島は1707年に England と Scotland が連合王国を形成したときに正式に Great Britain と命名された(以上の経緯については唐澤氏の著書の pp. 26--28 を参照).panda の場合と同様,ここには Britain の指示対象の拡大に伴う曖昧さを除去する目的での形容詞付加という過程が見て取れる.(以下の地図は『ランダムハウス英語辞典』より.)
・ 唐澤 一友 『多民族の国イギリス---4つの切り口から英国史を知る』 春風社,2008年.
語源学という分野の自律性については,[2010-08-06-1]の記事「語源学は技芸か科学か」で取り上げ,語源学の[2011-04-17-1]の記事「レトリック的トポスとしての語源」で再度言及した.言語学における語源学の位置づけは不安定で,評価が定まらない.語源学の使命は語の語源や語史を明らかにすることだが,そこで得られる知見は単発的で散発的になりがちである.語源の知見は,その語にまつわる基本的な情報を言語学の他の分野に提供する点で有益である.しかし,有益ではあってもそれだけでは補助的な役割に終始してしまい,分野としての自律性は確保されない.語源は多くの人々の関心を惹くし,言語に最も深い関心を寄せている言語学者にとって魅力の宝庫なのだが,それだけに語源学が必ずしも自立的な分野とみなされていないことは残念である.
一般に,語源学を言語学の諸分野の中に位置づければ,語彙論の下位部門に入れられることになろう.しかし,「通時的語彙論」とでも呼びうるこの語源学には,一般の語彙論には見られないいくつかの特徴がある.Malkiel (200--01) は4特徴を挙げ,これこそが語源学の autonomy の根拠であると主張する.以下にその4点を私の言葉で要約してみる(原文の引用はこのページのHTMLソースを参照).
(1) 語源探求には古代より尊ぶべき長い伝統があり,言語や語彙の関心に限定されず,広く人間の営みと関連づけられてきた.
(2) 語源探求は,文法など他の構造的な言語研究に従事する場合とはまったく異なる発想を要する abductive discipline である.
(3) 語源探求は,語彙論の1分野として形態と意味の両方,さらに意味を介して語と実世界との関係に注意を払うが,特に形態的な側面(音韻論や派生)に関心を集中させてきた経緯があり,その点で一日の長がある.
(4) 語源探求では,他分野以上に断片的な証拠と向かい合うことを強要されるが,この慢性的証拠不足という事情こそが,研究者の情熱をかき立て,同時に研究者を離反させる要因なのである.
この4点は,いずれも語源学の魅力こそ語っているが,独立した分野としての地位を与えるにはパンチが弱いというのが,私の印象である.それでも語源学のポジティヴな可能性を見いだそうとするのであれば,(2) の abductive な性質に期待したい.Malkiel が "creative etymology" (201) と呼んでいるように,語源探求の方法論は演繹 (deduction) でも帰納 (induction) でもなく,仮説形成 (abduction) である.Charles S. Peirce (1839--1914) の主張する科学の発見はおよそ abductive であり,同じことは言語学にも語源学にもあてはまるはずだ.ただし,abduction の原理が科学で広く受け入れられない限り,abduction に立脚した語源学が自律性を獲得することも難しいのかもしれない.
abduction とは,次のように定式化される推論の形式のことである(米森, p. 54).
驚くべき事実Cが観察される,
しかしもしHが真であれば,Cは当然の事柄であろう,
よって,Hが真であると考えるべき理由がある.
・ Malkiel, Yakov. "Etymology and General Linguistics." Word 18 (1962): 198--219.
・ 米森 裕二 『アブダクション 仮説と発見の論理』 勁草書房,2009年.
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