「荒野」を意味する wilderness の語源が「野生動物の住処」であると聞くと,興味を引かれないだろうか.
この語の英語での初出は,1200年頃の説教集においてである.OED によれば,次が初例である.
c1200 Trin. Coll. Hom. 161 Weste is cleped þat londe, þat is longe tilðe atleien, and wildernesse, ȝef þare manie rotes onne wacseð.
この語は古英語では文証されないのだが,実際には *wild(d)éornes などとして存在していた可能性はある.Middle Low German や Middle Dutch において wildernisse として確認されている(cf. 現代ドイツ語 wildernis,現代オランダ語 wildernis).
語形成としては,"wild" + "deer" + "ness" の3要素からなる."deer" は,「#127. deer, beast, and animal」 ([2009-09-01-1]),「#128. deer の「動物」の意味はいつまで残っていたか」 ([2009-09-02-1]) で見たように,古英語から中英語にかけて「動物」を意味したから,"wild deer" とは要するに「野生動物」である.-ness は抽象名詞を作る接尾辞だが,ここでは「住処,場所」ほどの具体的な意味を表わすものとして使われている.-ness が具体名詞を作る例は確かに稀ではあるが,héahnes (highness) で「頂上」を表わしたり,sméþnes (smoothness) で「平地」を表わしたりする事例があるなど,皆無ではない.全体として,wilderness の意味は「野生動物の住処」となり,人の住んでいない荒野のイメージが喚起される.
-ness は,通常,形容詞の基体に接続して名詞を作るので,wild deer という名詞に接続していることは異例のように思われるかもしれない.これについては,wild deer に形容詞接尾辞 -en が付いてできた wildern (野生の)が基体となり,そこへ -ness が接続したと考えることもできる.実際,wildern は,後期古英語に mid wilddeorenum toþum として初出しており,中英語でも多くはないが文証されているので,こちらの語源説のほうが説得力が高いように思われる.
なお,語幹に2重母音をもつ wild /waɪld/ に対して, wilderness /ˈwɪldənəs/ では単母音を示すのは,「#145. child と children の母音の長さ」 ([2009-09-19-1]) で述べたのと同じ理屈により説明できる.
昨日の記事「#2849. macadamia nut」 ([2017-02-13-1]) に引き続き,ナッツの話題.walnut (クルミ)は,ナッツの代表格として愛されている.英語での語源を探ると,古英語に walh-hnutu という複合語して1度だけ確認される.後半部分は nut そのものだが,前半部分 walh は「外国の」を意味する.Wales や Welsh の元となっている wealh と同一語である(発音については「#1157. Welsh にみる音韻変化の豊富さ」 ([2012-06-27-1]) を参照).
クルミは「外国のナッツ」というわけだが,これは西フリジア語 walnút,オランダ語 walnoot,低地ドイツ語 walnut,ドイツ語 walnuss,古ノルド語 valhnot と同根語がゲルマン諸語に観察されるところから,ゲルマン民族にとっての「外国」,おそらくはガリア,イタリア,ケルトなどが念頭にあったのだろう.彼らにとって,対する「自国のナッツ」は hazelnut (ハシバミの実)だった.
中英語にみられた walshnote という語形は,古英語形からの発達や類推とは考えられず,おそらく大陸の親戚語を借用したものだろう.なお,この語は古フランス語でもゲルマン語的な語形成がなぞられて noix gauge (ガリアのナッツ)と称された.
nutcracker (クルミ割り器)の nut とはクルミである(マカダミアナッツを割ろうとすると歯が壊れるかもしれない).ここから,クルミがナッツの無標の代表として好まれてきたことが示唆される.悪玉コレステロールを下げる効果があるというので,私も常食しています.
「#2842. 固有名詞から生まれた語」 ([2017-02-06-1]) で挙げたリストのなかに macadamize /məˈkædəˌmaɪz/ という単語がある.「〈道路〉をマカダム工法で(砕石で)舗装する」ほどの意味で,この工法を発明したスコットランドの技師 J. L. McAdam (1756--1836) に由来する eponym である.OED によると,1823年に初出している(父称 Mc については,「#1673. 人名の多様性と人名学」 ([2013-11-25-1]) を参照).
ここで想起されるのは macadamia nut (マカダミアナッツ)である.案の定,こちらも,別人ではあるが,やはりスコットランド出身の Macadam 氏に由来するようだ.この人物は John Macadam (1827--65) というスコットランド生まれの化学者・医師で,当時 Secretary of the Philosophical Institute of Victoria という地位に就いていた.では,彼がマカダミアナッツを発見したのかというと,そういうわけではない.何でもオーストラリアに移住していた F. von Mueller という植物学者が,同協会の有能な秘書であり,友人でもあった Macadam 氏の名前をとって,この樹木に macadamia /ˌmækəˈdeɪmiə/ という属名をつけたということらしい(アルバーラ,p. 125).樹木名として,1858年に Mueller が次のように初出させている.
1858 F. von Mueller in Trans. Philos. Inst. Victoria 2 72 Macadamia ... A tree of oriental subtropical Australia, with leaves three in a whorl or rarely opposite.
マカダミアナッツはハワイでよく生産されているので思い違いされやすいが,上の引用にあるとおり,原産地はオーストラリアである.別名 Queensland nut とも言われるように,Queensland 南部を原産地とする.なお,この植物を発見した人物は,上に挙げた Mueller ではなく,アラン・カニンガムなる別の植物学者だということだ.「発見」とはいっても,西洋人による発見のことであり,先住民アボリジニはオーストラリアに渡ってきた4万年ほど前から食していたことだろう.
カリカリ感と香ばしさに優れた酒のつまみである.
・ ケン・アルバーラ(著),田口 未和(訳) 『ナッツの歴史』 原書房,2016年.
state には,原義としての「状態」のほか「国家」という語義がある.この語は,古フランス語 estat が初期中英語に入ったものであり,それ自体はラテン語 status からの借用語である.これはラテン語の動詞 stāre "to stand" の名詞形なので,本来的な意味は「立場,姿勢」ほどである.
その後,ラテン語でもフランス語でも様々な意味変化を経て多義語となったが,英語もその経路をなぞるようにして語義を発展させていった.「状態,形勢」から「地位,身分」へと発展し,さらに「威厳」や「階級」へも展開した.意味を限定して「支配階級」となると,その後「為政者集団」,そして集合的に「国家」にたどり着くまでの道のりは遠くなかった.このようにして,英語における state =「国家」の語義は,まさに近代国家の現われる16世紀前半に初出する.
さて,「国家」の語義を発展させた state と,「統計学」を意味する statistics の関わりは思いのほか深い.statistics の英語での初出は1787年と案外遅く,ドイツ語で造語された Statistik を借りたものだが,当時の意味は「国家の政治的事実の研究」ほどだった.つまり,statistics とは政治学の1分野として発展してきたものなのである.「国家の政治的事実」の最たるものは人口統計であり,国家,政治,人口,統計というキーワードは互いに結び付きが強かったのである.
日本語では,英語の population census を単なる「人口調査」ではなく,ものものしく「国勢調査」と訳している.これは,幕末から明治にかけての日本人が,西洋の思想と学問に触れ,statistics の訳語を検討した際に,現在に続く「統計学」のほか「国勢学」「形勢学」「政表」などの訳語を試用したことと無縁ではない.
最近は,言語学でも少し数字を駆使すれば "stats" として提示できるような,ある種の「軽さ」も禁じ得ない雰囲気があるが,本来 statistics は「国家」の影のちらつく,ものものしく重々しい語感を備えていたもののようだ.
1月9日の読売新聞朝刊の「翻訳語事情」に,population census = 「国勢調査」に関する記事があったので参考まで.
シップリー (722--39) に「固有名詞から生まれた言葉」の一覧がある.以下では,その一覧を参照用に再現する.各表現の故事来歴について詳しくは直接シップリーに,あるいは各種の辞書に当たっていただきたい.とりあえず,このような表現がたくさんあるものだということを示しておきたい.
Adonis
agaric
agate
Alexandrine
Alice blue
America
ammonia
ampere
Ananias
Annie Oakley
aphrodisiac
areopagus
argosy
Argus-eyed
arras
artesian well
astrachan
Atlantic
atlas
babbitt
bacchanals
bakelite
barlett (pear)
battology
bayonet
begonia
bellarmine
bergamask
bison
blanket
bloomers
bobby
bohemian
bowdlerize
bowie
boycott
braille
brie
Brithg's disease
bronze
brougham
Brownian movement
brummagem
bunsen (burner)
Casarean
camembert
cantaloup
cardigan
caryatid
Cassandra
cereal
chalcedony
cherrystone clams
Chippendale
coach
Colombia, Columbia
cologne
colophony
colt
copper
coulomb
cravat
cupidity
currant
daguerreotype
dauphin
derby
diesel (engine)
diddle
doily
dollar
dumdum bullet
Duncan Phyfe
Dundreary (whiskers)
echo
epicurean
ermine
erotic
euhemerism
euphuism
Fabian
Fahrenheit
faience
Fallopian
farad
Ferris (wheel)
fez
forsythia
frankfurter
frieze
galvanize
gamboges
gardenia
gargantuan
gasconade
gauss
gavotte
gibus
Gilbertian
gladstone (bag)
Gobelin
gongorism
Gordian knot
gothite
greengage
Gregorian (calendar/chant)
guillotine
hamburger
havelock
Heaviside layer
hector
helot
henry
hermetically
hiddenite
Hitlerism
Hobson's choice
hyacinth
indigo
iridium
iris
jacinth
Jack Ketch
Jack Tar
jeremiad
jobation
Jonah
joule
jovial
Julian calendear
laconic
lambert
landau
Laputan, Laputian
lavalier
lazar
leather-stocking
Leninism
Leyden jar
lilliputian
limousine
loganberry
Lothario
lyceum
lynch
macadamize
machiavellian
machinaw
mackintosh
magnet
magnolia
malapropism
Malpighian tubes
manil(l)a
mansard roof
marcel
martinet
Marxist
maudlin
mausoleum
maxim (gun)
mayonnaise
mazurka
McIntosh (apple)
Melba toast
Mendelian
mentor
Mercator projection
mercerize
mercurial
meringue
mesmerism
mho
milliner
mnemonic
morphine
morris chair
morris dance
Morse code
negus
nicotine
Nestor
Occam's razor
odyssey
ogre
ohm
Olympian
panama (hat)
panic
parchment
Parthian glance, Parthian shot
pasteurize
peach
peeler
peony
percheron
philippic
pinchbeck
Platonic
Plimsoll line [mark]
poinsettia
polka
polonaise
pompadour
praline
Prince Albert
procrustean
protean
prussic (acid)
Ptolemaic system
Pullman
pyrrhic victory
pyrrhonism
quisling
quixotic
raglan
rhinestone
rodomontade
Roentgen ray
roquefort
Rosetta Stone
Rosicrucian
Salic (law)
Sally Lunn
Samaritan
sandwich
sardine
sardonic
sardonyx
satire
saxophone
scrooge
Seidlitz
sequoia
shanghai
Sheraton
shrapnel
silhouette
simony
sisyphean
socratic
solecism
spaniel
Spencer
spinach
spruce
Stalinism
stentorian
Steve Brodie
sybarite
tabasco
tangerine
tarantella
tarantula
thrasonical
timothy
titanic
tobacco
Trotskyte
trudgen
Vandyke
vaudeville
venery
Victoria
volcano
volt
vulcanize
watt
Wedgwood ware
Wellington (boot)
Winchester rifle
wulfenite
Xant(h)ippe
Zeppelin
場所や人の名前をもとに,その来歴や何らかの特徴を反映した普通名詞が生まれるのは,主に metonymy の作用と考えられる.また,本来は固有の指示対象をもっていたものが,一般的に用いられるようになったという点で,意味の拡大の事例ともいえるだろう.
シップリーの語源に関するリストとしては,ほかに「#1723. シップリーによる2重語一覧」 ([2014-01-14-1]) でも話題にしたので参照を.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
連日この語にこだわっているが,今回は純粋に語源の話を. carnage の語根が「肉」を意味するラテン語根 carn-, carō に遡ることは既に述べたが,さらに印欧語根まで遡ると,*(s)ker- にたどり着く.「#2477. 英語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-07-1]) の記事で score という語に関連して少し触れたが,この *(s)ker- は「切る」 (to cut) を原義とする.意味のつながりは「切り分けられた肉」ほどだろうか.昨日の記事 ([2017-01-24-1]) で述べたように,carnage 「殺戮」の「戮」には「ばらばらに切ってころす」の意味があることにも留意したい.
印欧語根の意味がかくも基本的であるから,その語根ネットワークは幅広いはずである.語源辞典を調べてみると,次のような英単語群が究極的に同語根となる.
・ 古英語経由:scurf, shard, share, sharp, shear, shirt, short, shred, shroud, shrub
・ 古ノルド語経由:scar, score, scrap, scrape, scree, skerry, skirt
・ ラテン語経由:carnage, carnal, carnation, carnival, carnivorous, carrion, cenacle, charnel, coriaceous, cork, cortex, crone, cuirass, currier, curt, curtal, incarnate, kirtle
・ ギリシア語経由:coreopsis, corm
ラテン・ギリシア語系には難解な語も多いが,本来語を含むゲルマン系のものは日常的な語も多い.
ボキャビルのために,今回のような「語根ネットワーク」シリーズの他の記事として,「#695. 語根 fer」 ([2011-03-23-1]), 「#1043. mind の語根ネットワーク」 ([2012-03-05-1]), 「#1124. 地を這う賤しくも謙虚な人間」 ([2012-05-25-1]),「#1557. mickle, much の語根ネットワーク」 ([2013-08-01-1]),「#1602. star の語根ネットワーク」 ([2013-09-15-1]),「#1639. 英語 name とギリシア語 onoma (1)」 ([2013-10-22-1]),「#1708. *wer- の語根ネットワークと weird の語源」 ([2013-12-30-1]) もどうぞ.
先日のトランプ大統領の就任演説について,多くのメディアが酷評している.英語自体は相変わらずの「トランプ語法」で分かりやすいのは確かだが,語彙レベルは幼稚であるという(「#2825. 「トランプ話法」」 ([2017-01-20-1]) を参照).また,アメリカの歴代大統領の演説は一般に格調高く,理想に燃えた前向きの内容となるものだが,今回の演説には,過去の政権への批判をにじませた後ろ向きで否定的な要素が多いという.
そのような否定的な含意を最も直接的に感じさせたのが,American carnage という表現だ.演説の前半で,"This American carnage stops right here and stops right now." と述べている (see Inaugural address: Trump's full speech --- CNNPolitics.com) .
carnage とは「殺戮;(集合的に)大量の死体」を意味する文語的な語である.OALD7 の定義によると,"the violent killing of a large number of people" とある.また,OED の定義では " The slaughter of a great number, esp. of men; butchery, massacre." とある.いずれにせよ強烈な含意をもつ語である.現代英語から用例を挙げてみよう.
・ The scene of carnage was indescribable.
・ They hoped never to repeat the carnage of the First World War.
・ Years of violence and carnage have left the country in ruins.
carnage の語史をひもといてみよう.OED によると初出は1600年のことで,"1600 P. Holland tr. Livy Rom. Hist. ii. 16 The carnage and execution was no lesse after the conflict than during the fight." として初出する.Philemon Holland (1552--1637) が好んで用いたようだが,それ以降の使用は稀で,18世紀後半になってようやく一般的に用いられるようになった.
16世紀のフランス語に carnage という語が確認され,それが英語に入ったものと見られるが,そのフランス単語自体はイタリア語 carnaggio の借用である.そのとき,すでに「殺戮」の語義はあったようだ.このイタリア単語はさらに後期ラテン語 carnāticum からの借用であり,その段階での語義は "flesh-meat, also, the flesh-meat supplied by tenants to their feudal lords" だった.語根としては「肉」を意味するラテン語 carn-, carō に遡る.
古フランス語にも対応語として charnage という語が確認され,その北部方言形には英語形と同じ語頭子音をもつ carnage もあったが,英語版は後者からの直接の借用ではないようだ(当時の中央フランス語と北部(ノルマン)フランス語の子音対応 <ch> = /tʃ/ vs <c> = /k/ については,「#95. まだある! Norman French と Central French の二重語」 ([2009-07-31-1]) を参照).
いやはや,おぞましい語でアメリカ新政府が走り出したものだ.今後の成り行きを見守りたい.
Merry Christmas! ということで,軽めの話題を.数年前のことだが,英語の語源や故事成語に関する豆知識をカード化した Orijinz という教材(?)を買ったことがある.商品サイトにメールアドレスを登録していたらしく,先日 Orijinz Quiz という HP へのリンクが送られてきた.クイズが数問あり,こちらに解答が書かれていた.
そのなかの2問はすでに本ブログでも扱っている話題である.1つは「#2771. by and large」 ([2016-11-27-1]) で扱ったばかりの話題であり,別の1つは「#1767. 固有名詞→普通名詞→人称代名詞の一部と変化してきた guy」 ([2014-02-27-1]) の話である.
標題は「概して, 一般的に, 全般的に見て」を意味するイディオムである.以下の例文のように,文頭に使われることが多い.
・ By and large I think the emphasis should be on recruiting the right people.
・ By and large, I enjoyed my time at school.
・ By and large, the papers greet the government's new policy document with a certain amount of scepticism.
・ Charities, by and large, do not pay tax.
・ There are a few small things that I don't like about my job, but by and large it's very enjoyable.
なぜ by と large を結びつけて「概して」の意味になるのだろうか.
実は,いずれももともとは航海で用いられる表現である.by はここでは「風に向かって」 (by the wind) ほどを意味する副詞ととらえられる.前置詞 by は「?に向かって」 (toward) を意味することがあり,例えば do well by a friend (友だちによくしてやる),do one's duty by one's parents (両親に本分を尽す),Do to others as you would be done by. (人にしてもらいたいように人に尽くせ),North by East (東寄りの北)などに用例を見いだすことができる.一方,large は「風から離れて」を意味する副詞として用いられている.この意味では to go large や to sail large などと使われることが多い.この対をなす by と large は,いずれも航海用語として17世紀初頭に初出している.
さて,この2語を結びつけた by and large というイディオムも,少し遅れて1669年に初出している.当時の意味は,予想される通り「船が風に向かったり離れたりして」 ("to the wind and off it") ほどだった.これが,やがて「あちこち,全般にわたって」 ("in one direction and another, all ways") の意味で1706年に現われ,さらに現在の「概して」 ("in a general aspect, without entering into details, on the whole") の意味で1833年に用いられている.意味の一般化の例と言っていいだろう.以下にそれぞれの意味の初出例を OED より挙げておこう.
・ 1669 S. Sturmy Mariners Mag. 17 Thus you see the ship handled in fair weather and foul, by and learge.
・ 1707 E. Ward Wooden World Dissected 35 Tho' he trys every way, both by and large, to keep up with his Leader.
・ 1833 J. Neal Down-easters I. 23 A man who feels rather perplexed on the whole, take it by and large.
日本語で「超弩級の台風」などというときの「弩」とは,1906年にイギリス海軍が完成した巨砲を備えた新型戦艦につけた名前 Dreadnought の頭文字をとり,それに「おおゆみ,いしゆみ,力強い弓」を意味する漢字を当てたものである.Dreadnought は文字通り dread + nought (= nothing) で「こわいもの知らず」の戦艦である.イギリスは,当時の主要海軍国に対して圧倒的な差をつけるべく,既出艦よりも並外れて大きな戦艦 Dreadnought を作り出した.建造に関わる情報は隠されていたため,他の列強は Dreadnought の出現に慌てたが,すぐに追随し,各種の「弩級戦艦」が現われた.American Heritage Dictionary の定義によると,"a battleship armed with six or more guns having calibers of 12 inches or more" である.
しかし,dreadnought という単語の初出は実は20世紀初頭ではない.すでにエリザベス朝の1573年にやはり戦艦の名前として使われているのである.OED によると,"Acct. Treasurer Marine Causes (P.R.O.: E 351/2209) m. 8d, In newe beildinge and erectinge fower newe shipes called the Swifte sewer, the Dreadnoughte, the Achates & the handmayd." が初例となっている.
軍事史を塗り替えた20世紀初頭の「ドレッドノート」の例は,先に述べたように1906年のことで,"Outlook 20 Oct. 495/2 The Atlantic Fleet will consist of three Dreadnoughts and five of the Canopus class." として出ている.ドレッドノートの出現がいかに世界史的なインパクトがあり画期的だったかは,早くも1908年に the pre-Dreadnought period という表現が初出していることからも分かるだろう.
dreadnought はその他の語義でも近代英語期から用いられている.「こわいもの知らず《人》」の語義で17世紀から例が見られるし,18世紀末には「荒天用の厚手のラシャ(製外套)」の語義でも用いられている.この厚手の生地の意味としては,類義語に fearnought (or fearnaught) という語もあり,やはり18世紀後半に現われている.
さて,軍事史上の画期をなした Dreadnought の出現の背景には,日本の開発した下瀬火薬が日露戦争の日本海海戦で大活躍したという事実が関与していたという.下瀬火薬は炸裂威力が強く,バルチック艦隊はその砲弾の前になすすべがなかった.渡部 (191--94)曰く,
下瀬火薬の前に敗れさったロシア海軍の姿を見て,世界中の海軍関係者は大きなショックを受けた.「装甲による防御」という考えが,下瀬火薬によってまったく否定されてしまったからである.
この日本海海戦以降,世界中の戦艦は一変した.一九〇六年にイギリス海軍が建造したドレッドノート号という戦艦が,その最初の例になった.ドレッドノート号では,それまで舷側に並べられていた副砲を全廃し,厚い鉄板の砲塔に守られた主砲のみを据えつけるようになったのである.
従来の副砲は,いわば剥き出しの状態なので,下瀬火薬のような爆風が来ればたちまち使用不能になる.「ならば,いっそのこと副砲は全廃して,砲塔に守られて安全な主砲だけにしよう」というのが,イギリス海軍の発想であった.
もちろん,副砲を廃止するわけだから,その分,主砲の数は増えている.それまでの戦艦では主砲は前後に一基二門ずつの計四門であったのだが,ドレッドノート号は一二インチ砲十門を備える,化物のような戦艦になった.
これ以来,世界の海軍は“大艦巨砲時代”に突入する.
ドレッドノートの出現は,既存の戦艦をすべて旧式艦にしてしまったから,列強は争って「ド級戦艦」あるいは「超ド級戦艦」を建造することになった(ド級とは,ドレッドノート級の略).その結果,建艦競争があまりにも過熱したため,とうとうワシントン会議(一九二一?二二)を開いて,列強の間で戦艦保有数を制限しなければならなかったほどであった.
ドレッドノート,恐るべし (Dread it!) .
・ 渡部 昇一 『世界史に躍り出た日本』「日本の歴史」第5巻 明治篇,ワック,2016年.
プランクトン (plankton) とは,百科事典によると「水の中でただよって生きている生物.浮遊生物とも呼ばれる.海や川などの水の中で,まったく運動しないか,わずかに運動しながら,ただよって生きている.光合成を行なう植物プランクトンと,これを食べる動物プランクトンとに分けられる.体の大きさはさまざまで,微生物と同じくらいの小さなものから,クラゲのように1mくらいのものまでいる」.
確かに「プランクトン」のイメージはミドリムシやミジンコなどの小さな生物だが,大きさは無関係ということである.極小の0.02μmから2mの大型クラゲまでを含み,エビ,カニ,ウニ,ナマコ,貝類も変態前の幼生時には動物プランクトンとして暮らしている.つまり,プランクトンとは,運動や生活の形態による生物の分類ということのようだ.
plankton という英単語は,ドイツの生理学者 Viktor Hensen (1835--1924) がギリシア語要素を用いて造ったものを英語が借用したもので,OED によると初出は1889年である.ギリシア語の中動態動詞 plázesthaí (to wander) の現在分詞 plagktós の中性形 plagktón に由来する.この動詞の語幹は,究極的には印欧祖語の *plāk- (to strike) に遡る.意味的には,「叩く」から「ひっくり返す」を経て,中動態の「回転する」「ブラブラする」から「放浪する」へと変化したものと思われる.
この語根をもつ英単語としては,ギリシア語から apoplexy (血の溢出), paraplegia (対麻痺), plectrum (ギターのつめ), -plegia (麻痺)があり,ラテン語から complain (不満をいう), plague (疫病), plaint (告訴状), plangent (打ち寄せる)がある.古ノルド語由来の flaw (突風), fling (投げつける)では,子音 p がグリムの法則を経て f となっている.
同じ究極の語根に遡るとはいえ,plague では to strike の能動的で攻撃的な含意がいまだ感じられるのに対し,plankton では to wander の中動・受動的なフワフワ感が感じられ平和である.先日,水族館で大小様々なプランクトンの漂う姿を眺めて癒やされたので,こんな記事を書いてみました・・・.
現代英語の hoarse (しゃがれ声の)には r が含まれているが,古英語での形は hās であり,r はなかった.主要な語源辞典によると,この r は中英語期における挿入であるという.意味的に緩く関連する中英語 harsk (harsh, coarse) などからの類推だろうとされている.
ただし,この r の起源は,もっと古いところにある可能性もある.ゲルマン祖語では *χais(r)az, *χairsaz が再建されており,もともと r が s の前後に想定されている(前後しているのは音位転換 (metathesis) の関与によるものと考えられる).実際に,ゲルマン諸語で文証される形態は,(M)HG heiser, MDu heersch, ON háss (< *hārs < *hairsaR) など,r を含んでいるか,少なくとも前段階で r が存在していたことを示唆している.
一方,古英語と同様に r を欠く形態を示す言語も少なくない.OFr hās, OS & MLG hēs, OHG heis などである.どうやら,時代にもよるが,英語にかぎらず複数の言語変種において,r の有無は揺れを示していたようだ.とすると,古英語で r を含む形態が文証されず,中英語になって初めて文献上に現われたからといって,古英語で r 形がまったく使われていなかったとは言い切れなくなる.
中英語では,hoos, hos, hors などが共存しており,実際この3つの綴字は Piers Plowman, B. xvii. 324 の異写本間に現われる.異綴字については,MED の hōs (adj.) も参照.
r の挿入ではなく r の消失という過程についていえば,英語史上,ときどき観察される.例えば,「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]),「#2368. 古英語 sprecen からの r の消失」 ([2015-10-21-1]) の事例のほか,arse の r が19世紀に脱落して ass となったケースもある.しかし,今回のような r の挿入(と見えるような)例は珍しいといってよいだろう(だが,「#500. intrusive r」 ([2010-09-09-1]),「#2026. intrusive r (2)」 ([2014-11-13-1]) を参照).
現代英語で「悲しい」を意味する sad は,古英語の sæd に対応するが,後者には「悲しい」の語義はなく,当時の意味は「満足した,十分な;飽きた」だった.ゲルマン祖語の形態は *saðaz と再建されており,ゲルマン諸語の同根語はオランダ語 zat, ドイツ語 satt, 古ノルド語 saðr, ゴート語 saþs となる.さらに印欧祖語に遡ると *sā "to satisfy" にたどりつき,ここからはラテン語 satis "enough" も生まれている.したがって,ラテン語から英語に入った satis, satisfaction, satisfy は,sad と同じ語根をもっていることになる.
古英語の語義「満足した」はその後15世紀半ばまで存続したが,一方で「悲しい」の語義が1300年までに生じていた.14世紀中には「確固たる」「真剣な,まじめな」などの語義も生じている.したがって,中英語には,上記の様々な語義が共存していた.例えば,Cursor Mundi では,原義の「満足した」が Thof that thou euer vpon him se, / Of him sadd sal thou neuer be. として観察されるし,Chaucer の "The Man of Law's Tale" からは In Surrye whilom dwelte a compaignye / Of chapmen riche and therto sadde and trewe. では「まじめな」の語義が認められる.同じく Chaucer の The Romaunt of the Rose では,現代的な語義が She was cleped Avarice. . . Full sad and caytif was she. において見られる.
このように,複数の語義が,初出年代は多少前後するものの14世紀前半辺りに立て続けに現われていることから,いずれかの語義がつなぎ役となって,原点「満足した」から仕舞いには「悲しい」へと到着したものと想像される.しかし,いかなる「つなぎ」により,「満足した」から「悲しい」へ至ったのかという問題については,確かなことはわかっていない.シップリーの語源辞典では「十分に満たされると飽きた (sated) 気持ちになり,少しもの悲しく (sad) なるものである」と述べられているが,別の可能性もある.例えば,食べ過ぎて「満足した」状態になると,人間は動きたくなくなり,実際に動けなくなる.動けずに居座っていると「腰を据えた,落ち着いた,安定した」あるいは「重々しい」状態となる.ここから「真剣な,まじめな」が生じ,これが度を超すと「悲しい,悲壮な」状態に至る,という道筋はどうだろうか.『英語語義語源辞典』はこの道筋を取っているようだ.
sad については,「#1954. 意味変化によって意味不明となった英文」 ([2014-09-02-1]) でも少し触れているので,要参照.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ 小島 義郎,岸 暁,増田 秀夫・高野 嘉明(編) 『英語語義語源辞典』 三省堂,2007年.
10月6日付の朝日新聞に,JICA がミャンマー農業支援のために「除湿機」 を購入すべきところ「加湿機」を購入してしまい,検査院に指摘されたという記事があった.英語表記で,加湿機は humidifier,除湿機は dehumidifier なので,de- の有無が明暗を分けたという事の次第だ.日本語でも,1漢字あるいは1モーラで大違いの状況である.同情の余地もないではないが,そこには260万円という金額が関わっている.
接頭辞 de- は,典型的に動詞の基体に付加して,その意味を反転させたり,除去の含意を加えたりする.もともとはラテン語で "off" ほどに相当する副詞・前置詞 de- に由来し,フランス語を経て英語に入ってきた語もあれば,直接ラテン語から入ってきた語,さらに英語内部で造語されたものも少なくない.起源は外来だが,次第に英語の接頭辞として成長してきたのである.de- の語義は,細分化すれば以下の通りになる (Web3 より).
1. 行為の反転 (ex. decentralize, decode; decalescence)
2. 除去 (ex. dehorn, delouse; dethrone)
3. 減少 (ex. derate)
4. 派生の起源(特に文法用語などに) (ex. decompound, deadjectival, deverbal)
5. 降車 (ex. debus, detrain)
6. 原子の欠如 (ex. dehydro-, deoxy-)
7. 中止 (ex. de-emanate)
ここには挙げられていないが,「#2638. 接頭辞 dis- 」 ([2016-07-17-1]) で触れたように,de- は dis- と混同され,意味的な影響を受けたとも言われている.また,その記事でも触れたが,基体がもともと否定的な意味を含んでいる場合には,de- のような否定的な接頭辞がつくと,その否定性が強調される効果を生むため,「強調」の用法ラベルがふさわしくなることもある.例えば,decline では,cline がもともと「曲がる,折れる」と下向きのややネガティヴな含意をもっているので,de- の用法は「減少」であるというよりは「強調」といえなくもない.denude や derelict の de- も基体の含意がガン愛ネガティヴなので,de- が結果として「強調」用法と解されている例だろう.
問題の dehumidifier の de- を「強調」用法としてかばうことはできそうにないが,接頭辞の多義性には注意しておきたい.
一昨日,東京工業大学の大隅良典栄誉教授によるノーベル医学生理学賞受賞が報じられた.日本人科学者による3年連続のノーベル賞受賞は,すばらしい.大隅教授は,autophagy (細胞自食作用;同一細胞内で酵素が他の成分を消化する作用)の研究で受賞したということだが,私にはその内容はさっぱりである(オートファジーと聞いて,ファジー理論 (fuzzy theory) か何かかと思ったほどの音痴である.だが,このように理解していた人は結構いたと一昨日の新聞で読んだ).今回は,このギリシア語要素からなる複合語,特に第2要素 phagy について語源をひもとく.
まず,この複合語の第1要素はギリシア語 autós "self" に由来する連結形 (combining_form) である.「自分,自己;独自」の意味をもち,autobiography, autocracy, autograph, automatic, automaton, automobile, autonomy などの複合語を英語語彙に提供している.第2要素の -phagyは,ギリシア語の動詞 phageîn "to eat" に対応する名詞 -phagía に遡り,「常食」を意味する連結形である.したがって,autophagy とは,文字通り "self-eating" (自食)と理解できる.
ギリシア語 phageîn の語根は,印欧祖語の *bhag- (to share out) に遡り,「分配する,割り当てる」ほどが原義らしい.食料の分配という関連からか,「食べる」の語義がすでに Sanskrit でも発達していた.Sanskrit に由来する pagoda (仏塔,パゴダ)にこの語幹が含まれている.ここでは,「分配」から「豊穣」を経て,神性と結びついたものらしい.サンスクリット語からタミル語,ポルトガル語を経て,17世紀に英語に入った.
-phagy や,同語根の -phage, phago-, -phagous をもつ英単語は少なくない.「食い尽くす」や「破壊する」の比喩的意味を発展させて,anthropophagy (食人習慣), entomophagy (食虫習慣), geophagy (土食習慣), coprophagy (糞食); bacteriophage (バクテリオファージ,細菌ウィルス), bibliophage (読書狂), macrophage (大食細胞), microphage (小食細胞), xylophage (食材性生物); phagocyte (食細胞), phagology (食学), phagophobia (恐食症)などの語が生み出されている.ほかに,ペルシア語から入った baksheesh, buckshee(心付け,わいろ)も,同語根に遡る.
さて,印欧祖語の語根 *bhag- やギリシア語 phageîn を眺めていると,日本語の「パクパク」「バクバク」「モグモグ」の子音が思い出される.食べるという動作では唇,歯,舌,喉すべての連係が必須であり,その往復運動が両端の器官による調音で代表されているかのようである.一種の擬音語・擬態語 (onomatopoeia) に基づく語形成と考えることは的外れではないように思われるが,どうだろうか.
この2日間の記事「#2708. morn, morning, morrow, tomorrow」 ([2016-09-25-1]),「#2709. tomorrow, today」 ([2016-09-26-1]) で,tomorrow と today の語源を扱ったので,今回は関連して yesterday を取り上げたい.
tomorrow, today が「前置詞+名詞」の句から発達したのとは異なり,yesterday は,それ自体が「昨日(の)」の意味をもつ古英語の連結形 ġeostran (< Gmc *ȝestra; cf. G gestern, Du. gisteren) に名詞 dæġ の付いた複合語的な ġeostran dæġ に由来する.yesterday は古英語より副詞・名詞兼用だった.
他のゲルマン諸語でも類似した語形成が見られるが,古ノルド語やゴート語では同類の表現が「昨日」ではなく「明日」を意味する例もあり,部分的には,前後の方向にかかわらず「今日から1日ずれている日」ほどを指す表現として発達していた可能性もある.OED によれば,英語でも yesterday が「明日」を意味する例が,以下のように1つだけ確認されるという.不思議な例である.
1533 T. More Apologye 201, I geue them all playn peremptory warnynge now, that they dreue yt of no lenger. For yf they tarye tyll yesterday..I purpose to purchace suche a proteccyon for them [etc.].
yester(n) が「昨…」の意味をもつ接頭辞として生産的に用いられると,yestereve, yestermorning, yesternight, yesternoon, yesteryear のような語が生まれることになった.さらに,これらの語から yester の部分が独立して形容詞として逆成 (back_formation) され,16世紀以降「昨日の」の意味で用いられるようになった.
tomorrow, today, yesterday は基本単語といってよいが,各々がたどってきた歴史はそれほど単純ではないことが分かる.
昨日の記事「morn, morning, morrow, tomorrow」 ([2016-09-25-1]) で tomorrow の語源に触れたが,今回はこの語と,もう1つ語形成上関連する today について探ってみよう.
tomorrow の語形成としては,前置詞 to に「(翌)朝」を表わす名詞 morrow の与格形が付加したものと考えられ,すでに古英語でも tō morgenne という句として用いられていた.その意味は,昨日の記事で解説したとおり,すでに「明日に」を発展させていた.中英語では,morrow のたどった様々な形態的発達にしたがって to morwen や to morn が生じたが,現在にかけて,前者が標準的な tomorrow に,後者が北部方言などに残る tomorn に連なった.本来,前置詞句であるから,まず副詞「明日に」として発達したが,15世紀からは品詞転換により,名詞としても用いられるようになった.
「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) で簡単に触れたように,元来は to morrow と分かち書きされたが,近代英語期に入ると to-morrow とハイフンで結合され,1語として綴られるようになった(それでも近代英語の最初期には『欽定訳聖書』や Shakespeare の First Folio などで,まだ分かち書きのほうが普通だった).ハイフンでつなぐ綴字は20世紀初頭まで続いたが,その後,ハイフンが脱落し現在の標準的な綴字 tomorrow が確立した.
today についても,おそらく同様の事情があったと思われる.古英語の前置詞句 tō dæġ (on the day; today) が起源であり,16世紀までは分かち書きされたが,その後は20世紀初頭まで to-day とハイフン付きで綴られた.名詞としての用法は,tomorrow と同様に16世紀からである.
tomorrow と today は発展の経緯が似ている点が多く,互いに関連づけ,ペアで考える必要があるだろう.
「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) の記事で tomorrow の話題に触れたことを受け,9月16日付けの掲示板で,morrow という語についての質問が寄せられた.互いに関連する,morn, morning などとともに,これらの語源を追ってみたい.
古英語で「朝」を表わす語は,morgen である.ゲルマン祖語の *murȝanaz に由来し,ドイツ語 Morgen, オランダ語 morgen と同根である.現代英語の morn は,この古英語 morgen の斜格形 morne や mornes などの短縮形,あるいは中英語で発展した morwen, morun, moren などの短縮形に由来すると考えられる.morn は現在では《詩》で「朝,暁」を表わすほか,スコットランド方言で「明日」も表わす.
一方,現代英語で最も普通の morning は,上の morn に -ing 語尾がついたもので,初期中英語に「朝」の意味で初出する.この -ing 語尾は,対になる evening からの類推により付加されたとされる.evening の場合には,単独で「晩」を表わす古英語名詞 ēfen, æfen から派生した動詞形 æfnian (晩になる)が,さらに -ing 語尾により名詞化したという複雑な経緯を辿っているが,morning はそのような途中の経緯をスキップして,とにかく表面的に -ing を付してみた,ということになる.
さて,古英語 morgen のその後の音韻形態的発展も様々だったが,とりわけ第2音節の母音や子音 n が変化にさらされた.n の脱落した morwe などの形から,「#2031. follow, shadow, sorrow の <ow> 語尾」 ([2014-11-18-1]) に述べた変化を経て,morrow が生じた.現在,morrow も使用域は限定されているが,《詩》で「朝;翌日」を意味する.なお,語尾の n の脱落は,対語 even にも生じており,ここから eve (晩;前夜;前日)も初期中英語期に生じている.
さて,本来「朝」を表わしたこれらの語は,同時に「明日」という意味を合わせもっていることが多い.前の晩の眠りに就いた頃の時間帯を基準として考えると,「朝」といえば通常「翌朝」を指す.そこから,指示対象がメトニミー (metonymy) の原理で「翌日の午前中」や「翌日全体」へと広がっていったと考えられる.tomorrow も,「前置詞 to +名詞 morrow」という語形成であり,「(翌)朝にかけて」ほどが原義だったが,これも同様に転じて「翌日に」を意味するようになった.なお,日本語でも,古くは「あした」(漢字表記としては <朝>)で「翌朝」を意味したが,英語の場合と同様の意味拡張を経て「翌日」を意味するようになったことはよく知られている.
なお,上で触れた eve (晩)は,今度は朝起きた頃の時間帯を基準とすると,「昨晩」を指すことが多いだろう.そこから指示対象が「昨日全体」へと広がり,結局「前日」を意味するようにもなった.
先日参加した ICEHL19 (see 「#2686. ICEHL19 に参加して気づいた学界の潮流など」 ([2016-09-03-1])) の学会で目を引いた研究発表に,Cambridge 大学の Richard Dance や Cardiff 大学の Sara M. Pons-Sanz による Gersum Project の経過報告があった.古英語から中英語にかけて生じた典型的な意味借用 (semantic_borrowing) の例といわれる bread と,その従来の類義語 loaf との関係について語史を詳しく調査した結果,Jespersen の唱えた従来の意味借用説を支持する証拠はない,という衝撃的な結論が導かれた(この従来の説については,本ブログでも「#2149. 意味借用」 ([2015-03-16-1]),「#23. "Good evening, ladies and gentlemen!"は間違い?」 ([2009-05-21-1]),「#340. 古ノルド語が英語に与えた影響の Jespersen 評」 ([2010-04-02-1]) で触れている).
Gersum Project は,従来の古ノルド語の英語に対する影響は過大評価されてきたきらいがあり(おそらくはデンマーク人の偉大な英語学者 Jespersen の愛国主義的な英語史観ゆえ?),その評価を正す必要があるとの立場を取っているようだ(関連して「#1183. 古ノルド語の影響の正当な評価を目指して」 ([2012-07-23-1]) を参照).プロジェクトのHPによると(←成蹊大学の田辺先生,教えていただき,ありがとうございます),プロジェクトの狙いは "The Gersum project aims to understand this Scandinavian influence on English vocabulary by examining the origins of up to 1,600 words in a corpus of Middle English poems from the North of England, including renowned works of literature like Sir Gawain and the Green Knight, Pearl, and the Alliterative Morte Arthure." だという.主たる成果は,総計3万行を越えるこれらのテキストにおける古ノルド語由来の単語のデータベースとして,いずれ公開されることになるようだ.
古ノルド語の借用語とその歴史的背景に関する基礎知識を得るには,同HP内の Norse Terms in English: A (basic!) Introduction が有用.
「#148. フラマン語とオランダ語」 ([2009-09-22-1]),「#149. フラマン語と英語史」 ([2009-09-23-1]) で述べたように,英語史においてオランダ語を始めとする低地帯の諸言語(方言)(便宜的に関連する諸変種を Low Dutch とまとめて指示することがある)からの語彙借用は,中英語から近代英語まで途切れることなく続いていた.その中でも12--13世紀には,イングランドとフランドルとの経済関係は羊毛の工業と取引を中心に繁栄しており,バケ (75) の言うように「ゲントとブリュージュとは,当時イングランドという羊の2つの乳房だった」.
しかし,それ以前にも,予想以上に早い時期からイングランドとフランドルの通商は行なわれていた.すでに9世紀に,アルフレッド大王はフランドル侯地の創始者ボードゥアン2世の娘エルフスリスと結婚していたし,ウィリアム征服王はボードゥアン5世の娘のマティルデと結婚している.後者の夫婦からは,後のウィリアム2世とヘンリー1世を含む息子が生まれ,さらにヘンリー1世の跡を継いだエチエンヌの母アデルという娘も生まれていた.このようにイングランドと低地帯は,交易者の間でも王族の間でも,古くから密接な関係を保っていたのである.
かくして中英語には低地帯の諸言語から多くの借用語が流入した.その単語のなかには,英語としても日本語としても馴染み深いものが少なくない.以下に中世のオランダ借用語をいくつか列挙してみたい.13世紀に「人頭」の意で入ってきた poll は,17世紀に発達した「世論調査」の意味で今日普通に用いられている.clock は,エドワード1世の招いたフランドルの時計職人により,14世紀にイングランドにもたらされた.塩漬け食品の取引から,pickle がもたらされ,ビールに欠かせない hop も英語に入った.海事関係では,13世紀に buoy が入り, 14世紀に rover, skipper が借用され,15世紀に deck, freight, hose がもたらされた.商業関係では,groat, sled が14世紀に,guilder, mart が15世紀に入っている.その他,13世紀に snatch, tackle が,14世紀に lollard が,15世紀に loiter, luck, groove, snap がそれぞれ英語語彙の一部となった.
たった今挙げた重要な単語 lollard について触れておこう.この語は,1300年頃,オランダ語で病人や貧しい人々の世話をしていた慈善団体を指していた.これが,軽蔑をこめてウィクリフの弟子たちにも適用されるようになった.彼らが詩篇や祈りを口ごもって唱えていたのを擬音語にし,あだ名にしたものともされている.英語での初例はウィクリフ派による英訳聖書が出た直後の1395年である.
・ ポール・バケ 著,森本 英夫・大泉 昭夫 訳 『英語の語彙』 白水社〈文庫クセジュ〉,1976年.
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