通常,少数の人によってしか共有されていない文字を指して暗号と呼ぶが,標題のように裏からとらえて「文字は公認の暗号である」と表現することもできる.これは,みごとな逆転の発想である.長田 (136--37) を引用する.
音声言語を表記するためにどのような文字を使用するかはどうでもよいことであって,要はその文字の使い方が首尾一貫していれば,記号としての役目を果たすことができる.フェルディナン・ド・ソシュールは,「記号の不易性と可易性」について次のように述べている.「能記は,その表はす観念と照し合はす時は,自由に選ばれたものとして現はれるとすれば,逆にこれを用ひる言語社会と照し合はす時は,自由ではなくて,賦課されたものである.社会大衆は一つも相談にあづからず,言語の選んだ能記は他のものと代へるわけにはいきかねる.この矛盾を含むかに思はれる事実は,平たくいへば『脅迫投票』とでもいふべきか.言語に向って『選びたまへ』と言つたそばから,『この記号だぞ,ほかのでなくて』と附加へる」(小林英夫訳『言語学原論』)
これはそのまま換字式暗号にあてはまる原理である.変換する記号としてはどのようなものを選んでもさしつかえないが,一度選んだならば,その規約を使用する間はけっして変更することは許されない.ただ換字式暗号の違う点は,言語とその表記の関係が第三者に秘匿されていることである.
一般に文字言語を「社会公認公用の暗号法」と呼ぶのは,このような相対関係によるものである.
また,次のようにも述べている (137--38)
ウェルズは,その『世界史』に,「文字は,それが発明されたとき,初めのうちは関係の人だけの秘密通信に使われていた」と書いている.これは,識字率の低い間は文字そのものが秘密の表記であったことを的確にとらえた言葉である.
文字も暗号も恣意的な記号であるという点では共通している.顕著な差異を1つ挙げるとすれば,文字は通常多数の人に共有されているが,暗号は少数の人にしか知られていないということだろう.それを知っている人の数というパラメータを度外視すれば,文字はすなわち暗号であり,暗号はすなわち文字であるといえる.言語学的文字論と暗号学がいかなる相互関係にあるのか,一気に呑み込めた気がする.
関連して,「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1]) と「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]) も参照されたい.
・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.
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