昨日の記事「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]) の最後に触れたように,言語はメッセージを伝えたいという欲求とともに発達してきたと考えられるにもかかわらず,一方で人類はメッセージを秘匿したいという欲求を抱き,暗号技術を発達させてきた.これは,言語によるコミュニケーションに関する一種の矛盾と考えられるかもしれない.しかし,よく考えてみると,暗号は言語コミュニケーションの本質と矛盾するというよりも,むしろそのある側面を究極に推し進めたものとみなせるのではないか.というのは,暗号コミュニケーションにおいては,ある特定の相手にだけ,という強い限定はあるものの,むしろメッセージを伝えたいという欲求はことさらに強いからである.
実際「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]) の図において,中央の「ことば (message)」を「暗号」と読み替えても,この図はそのまま通用しそうである.しかし,異なるところもある.暗号コミュニケーションでは話し手と聞き手を直接つなぐ「接触 (contact)」の回路が意図的に強く限定されており,排他的であることだ.たしかに,通常の言語コミュニケーションにおいても,ある程度の排他性が想定される機会はある.例えば,ひそひそ話し,陰口,私信などでは,物理的な方法で接触が制限されている.ところが,暗号コミュニケーションでは,物理的な方法で接触を制限することも含みはするが,それ以上に重要な制限方法として「言語体系 (code) 」にひねりを加えるという手段を用いる.特定の話し手と聞き手にしか共有されない排他的なコードを用いることにより,記号論的に他者が接触できない状況を作り出しているのである.
このように,通常の言語コミュニケーションと対比すると,暗号コミュニケーションの本質が浮き彫りになる.話し手と聞き手が,排他的なコードにより排他的な接触の関係を作り上げて排他的なコミュニケーション回路を作るというのが,暗号コミュニケーションの前提のようだ.「山」に対して「川」という合い言葉は,原始的な暗号の一種だが,これは暗号コミュニケーションにおける phatic_communion を体現するものである (see 「#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion」 ([2014-03-03-1]),「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1])) .暗号を記号論的に論じてみるのもおもしろそうだ.
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