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bilingualism - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-12-12 07:57

2015-03-15 Sun

#2148. 中英語期の diglossia 描写と bilingualism 擁護 [bilingualism][french][diglossia][popular_passage]

 中英語社会が英語とフランス語による diglossia を実践していたことは,「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) や「#1203. 中世イングランドにおける英仏語の使い分けの社会化」 ([2012-08-12-1]) などの記事で見てきたとおりである.しかし,その2言語使用状態に直接言及するような記述を探すのは必ずしもたやすくない.ましてや,その2言語状況について評価を下すようなコメントは見つけにくい.だが,そのなかでもこれらの事情に言及した有名な一節がある.Robert of Gloucester (fl. 1260--1300) の Chronicle からの一節で,以下,Corpus of Middle English Prose and Verse 所収の The metrical chronicle of Robert of Gloucester より該当箇所を引用しよう.

& þe normans ne couþe speke þo / bote hor owe speche (l. 7538)
& speke french as hii dude atom / & hor children dude also teche
So þat heiemen of þis lond / þat of hor blod come (l. 7540)
Holdeþ alle þulke speche / þat hii of hom nome
Vor bote a man conne frenss / me telþ of him lute
Ac lowe men holdeþ to engliss / & to hor owe speche ȝute
Ich wene þer ne beþ in al þe world / contreyes none
Þat ne holdeþ to hor owe speche / bote engelond one (l. 7545)
Ac wel me wot uor to conne / boþe wel it is
Vor þe more þat a mon can / þe more wurþe he is


 ノルマン人はイングランドにやってきたときにはフランス語のみを用いており,その子孫たる "heiemen" もフランス語を保持していたこと,その一方で "lowe men" は英語のみを用いていたことが述べられている.これはまさに diglossia における H (= High variety) と L (= Low variety) の区別への直接の言及である.また,フランス語を知らないと社会的に低く見られるというコメントも挿入されている.さらに,引用の終わりのほうでは,両言語を知っているほうがよい,そのほうが社会的に価値が高いとみなされると,英仏語の bilingualism を擁護するコメントも付されている.
 実際のところ,Chronicle が書かれた13世紀末には,貴族の師弟でもあえて学習しなければフランス語をろくに使いこなせないという状態になっていた.貴族の師弟のフランス語力の衰えは,「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) でみたように,13世紀までにはすでに顕著になっていたようだ.しかし,フランス語の社会言語学的地位は依然として高かったため,余計にフランス語学習が奨励されたということにもなった.このような状況において Robert of Gloucester は,両言語を操れることの大切さを説いたのである.

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2015-01-05 Mon

#2079. fusion と mixture [contact][borrowing][loan_word][loan_translation][bilingualism][substratum_theory][typology][register][lexical_stratification]

 「#2061. 発話における干渉と言語における干渉」 ([2014-12-18-1]) で念を押したように,語の借用 (borrowing) は過程であり,借用語 (loanword) は結果である.Weinreich は明示的にこの区別をつける論者は少なかったと述べているが,Roberts という研究者がより早くこの区別について論じている.Roberts (31--32) は,言語接触の過程を "fusion" と呼び,結果としての状態を "mixture" と呼び分けた.また,Roberts は "fusion" と "mixture" をそれぞれ細分化するとともに,そのような過程や結果の前段階にある2言語使用状況のタイプを2つに分け,全体として言語接触の類型論というべきものを提起している.以下,Roberts (32) の図式を再現しよう.

Roberts' Typography of Bilingualism and Contact


 だが,正直いうと論文を読みながら非常に理解しにくい図式だと感じた.多くの用語が立ち並んでいるが,それぞれの歴史的な事例とそれらの間の相互の関係がとらえにくいのだ.BILINGUALISM → FUSION → MIXTURE という時間的な相の提示と後者2過程の峻別は評価できるとしても,それ以外については用語が先走っている印象であり,内容どうしの関係が不明瞭だ.Roberts (31--32) にそのまま語ってもらおう.

   When a bilingual situation ends, the surviving language (that is, the language whose grammar prevails) is colored in greater or less degree by the perishing language (that is, the language whose grammar succumbs). The extent of this coloring depends upon the relationship of the two languages during the antecedent bilingualism. Subordinative bilingualism results in admixture; a portion of the weaker language is added to the stronger, which still retains both its grammatical and its lexical integrity. Co-ordinative bilingualism results in intermixture; virtually the entire vocabulary of the weaker language is swallowed up by the stronger, which thereby loses its lexical, though not its grammatical, integrity.
   The words admixture and intermixture, as here used, denote accomplished situations, the results of processes. To designate the generative processes, the terms affusion and interfusion, corresponding respectively to admixture and intermixture, are proposed. Affusion has three modalities: infusion, suffusion, and superfusion. Interfusion has three stages or temporalities: diffusion, circumfusion, and retrofusion.


 Affusion から見ていくと,Infusion は通常の語の借用に相当する.Suffusion は,基層言語影響説 (substratum_theory) の唱える基層言語からの言語的影響に相当する.Superfusion は翻訳借用 (loan_translation) に相当する.importation と substitution という対立軸と,意識的な干渉と無意識的な干渉という対立軸がごたまぜになったような分類だ.
 次に Interfusion に目を向けると,Diffusion は本来語彙と借用語彙が使用域に関して分化する過程を指している.英語語彙における語種別の三層構造などの生成にみられる過程を想像すればよいだろう.その Interfusion の段階からさらに進むと,Circumfusion の段階となる.ここでは例えば内容語はすべてフランス・ラテン借用語であっても,それらを取り巻く機能語は本来語となるような状況が生み出される.次に,Retrofusion はソース言語からの一種の「復讐」の過程であり,フランス語の語法の影響を受けて house beautiful, knights templars, sufficient likelihood, nocturnal darkness などの表現を生み出す過程に相当する.
 Roberts は2言語使用 (bilingualism) の基礎理論を打ち立てようという目的でこの論文を書いたようだが,残念ながらうまくいっているようには思えない.より説得力のある言語接触の類型論としては,「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1]) と「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1]) で紹介した Thomason and Kaufman によるモデルが近年ではよく知られている.
 借用に関する過程と結果の区別については「#900. 借用の定義」 ([2011-10-14-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]),「#904. 借用語を共時的に同定することはできるか」 ([2011-10-18-1]),「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]),「#2009. 言語学における接触干渉2言語使用借用」 ([2014-10-27-1]) も参照.また,関連して「#2067. Weinreich による言語干渉の決定要因」 ([2014-12-24-1]) の記事とそこに張ったリンクも参照されたい.

 ・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.
 ・ Roberts, Murat H. "The Problem of the Hybrid Language". Journal of English and Germanic Philology 38 (1939): 23--41.

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2014-12-18 Thu

#2061. 発話における干渉と言語における干渉 [contact][borrowing][bilingualism][loan_word][lexical_diffusion][terminology][language_change]

 語の借用 (borrowing) と借用語 (loanword) とは異なる.前者は過程であり,後者は結果である.両者を区別する必要について,「#900. 借用の定義」 ([2011-10-14-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]),「#904. 借用語を共時的に同定することはできるか」 ([2011-10-18-1]),「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]),「#2009. 言語学における接触干渉2言語使用借用」 ([2014-10-27-1]) で扱ってきた通りである.
 言語接触の分野で早くからこの区別をつけることを主張していた論者の1人に,Weinreich (11) がいる.

In speech, interference is like sand carried by a stream; in language, it is the sedimented sand deposited on the bottom of a lake. The two phases of interference should be distinguished. In speech, it occurs anew in the utterances of the bilingual speaker as a result of his personal knowledge of the other tongue. In language, we find interference phenomena which, having frequently occurred in the speech of bilinguals, have become habitualized and established. Their use is no longer dependent on bilingualism. When a speaker of language X uses a form of foreign origin not as an on-the-spot borrowing from language Y, but because he has heard it used by others in X-utterances, then this borrowed element can be considered, from the descriptive viewpoint, to have become a part of LANGUAGE X.


 過程としての借用と結果としての借用語は言語干渉 (interference) の2つの異なる局面である.前者は parole に,後者は langue に属すると言い換えてもよいかもしれない.続けて Weinreich は同ページの脚注で,上の区別の重要性を認識している先行研究は少ないとしながら,以下の研究に触れている.

The only one to have drawn the theoretical distinction seems to be Roberts (450, 31f.), who arbitrarily calls the generative process "fusion" and the accomplished result "mixture." In anthropology, Linton (312, 474) distinguishes in the introduction of a new culture element "(1) its initial acceptance by innovators, (2) its dissemination to other members of the society, and (3) the modifications by which it is finally adjusted to the preexisting culture matrix."


 特に人類学者 Linton からの引用部分に注目したい.(言語項を含むと考えられる)文化的要素の導入には3段階が区別されるという指摘があるが,これは「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) でみた (1) potential for change, (3) diffusion, (2) implementation に緩やかに対応しているように思われる.借用は,借用語の受容,拡大,定着という段階を経ながら進行していくという見方だ.言語項の借用については,このような複層的で動的なとらえ方が必要である."dissemination" や "diffusion" のステージと関連して,語彙拡散 (lexical_diffusion) の各記事,とりわけ「#855. lexical diffusioncritical mass」 ([2011-08-30-1]) を参照.

 ・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.

Referrer (Inside): [2015-01-05-1]

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2014-11-12 Wed

#2025. イングランドは常に多言語国だった [history][bilingualism][sign_language]

 「#1494. multilingualism は世界の常態である」 ([2013-05-30-1]),「#1608. multilingualism は世界の常態である (2)」 ([2013-09-21-1]),「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) で見てきたように,現代世界のほぼすべての地域で複数の言語が使用されている.このことは多かれ少なかれ歴史的にも当てはまる.
 英国でも英語のほかケルト諸語が話されてきたし,とりわけ近現代では世界各地からの移民集団がそれぞれの言語を用いて生活してきた.さらに地域を絞ってイングランドに限っても,5世紀以来英語が優勢であることは疑いないとはいえ,やはり歴史的には多くの他の言語が行われてきたし,今も行われている.例えば,現在ロンドンのみならず様々な町で,Panjabi, Gujerati, Bengali, Italian, Greek, Maltese, Chinese, Turkish を含む多数の言語が広く話されている.また,British Sign Language のような手話言語もイングランドの言語多様性に貢献している.
 現代にとどまらず古代から中世を経て近代に至るまでのイングランドの言語史を振り返ってみると,この国がいかに多言語使用国であったかがわかる.ケルト諸語が話されていたイングランドの地に言語多様性を歴史上初めて本格的に導入したのは,ローマ人だった.彼らはイングランドにラテン語をもたらし,そこに2言語使用状況が生まれた.次に,5世紀半ば,英語がもたらされた.8世紀半ばからはヴァイキングにより古ノルド語が持ち込まれ,11世紀半ばにはノルマン征服を受けて,イングランドでは当初はノルマン・フランス語が,継いで中央フランス語が話されるようになる.
 しかし,中世や近代には,このような歴史の表舞台に顔を出すような主流派の言語にとどまらず,中小の言語もまたイングランド領内で用いられていた.例えば12世紀の Norwich には,相当の規模の外国人社会が確立しており,英語と並んでフランス語,デンマーク語,オランダ語,また Ladino と呼ばれるユダヤ人の用いたスペイン語変種が行われていた.特に16世紀の Norwich では人口の1/3がオランダ語話者であり,その状況が200年以上も持続したという.
 また,中世後期にはロマニー語 (Romany) を話すいわゆるジプシー (the Gypsies) が流入した.現在,イングランドにおけるその影響は Anglo-Romany と呼ばれる英語変種に見られるにすぎないが,ウェールズやヨーロッパ諸国や北米では Romany はいまだ生き残っている.
 近代に入ると,宗教的難民としてオランダ語話者やフランス語話者がイングランドに大量に流入し,後に言語的に徐々に同化していったものの,しばらくの間は多くの町に住み込んだ.Cornwall ではケルト系の Cornish が古来話されていたが,16世紀以来,英語の浸透により衰微し,18世紀後半には消滅した.20世紀初めのロンドンの East End には非常に多くのユダヤ系 Yiddish 話者が集住していたが,この言語は現在でもイングランドで健在である.
 以上,Trudgill (18--19) を参考に記述した.現代イギリスの多言語状況については,Britain 編の論文集が本格的である.

 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
 ・ Britain, David, ed. Language in the British Isles. Cambridge: CUP, 2007.

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2014-10-27 Mon

#2009. 言語学における接触干渉2言語使用借用 [contact][borrowing][bilingualism][terminology][code-switching]

 標記に挙げた用語は,言語接触の分野で頻出する用語であり,おおむねその理解は日常的にも共有されているように思われる.しかし,細かくみればその定義は研究者により異なっており,学問的に議論するためには,その定義から確認しておく必要のある厄介な用語群でもある.例えば借用 (borrowing) という用語1つとってみても,「#900. 借用の定義」 ([2011-10-14-1]),「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]),「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]) で示唆したように,種々の難しさをはらんでいる.
 昨日の記事「#2008. 言語接触研究の略史」 ([2014-10-26-1]) で触れたように,言語接触の分野の金字塔の1つとして Weinreich の Languages in Contact が挙げられる.その本論の冒頭に,標題の用語の定義が与えられている.

   In the present study, two or more languages will be said to be IN CONTACT if they are used alternately by the same persons. The language-using individuals are thus the locus of the contact.
   The practice of alternately using two languages will be called BILINGUALISM, and the persons involved, BILINGUAL. Those instances of deviation from the norms of either language which occur in the speech of bilinguals as a result of their familiarity with more than one language, i.e. as a result of language contact, will be refereed to as INTERFERENCE phenomena. It is these phenomena of speech, and their impact on the norms of either language exposed to contact, that invite the interest of the linguist. (Weinreich 1)


 この引用に続く段落で,構造主義の立場から,"interference" は構造の組み替えを含意するものであるとし,そのような含意をもつとは限らない "borrowing" とは区別すべきだと述べている.構造の組み替えを伴わない表面的な語彙の借用などを指して "borrowing" と呼ぶことはできそうだとしても,語彙の借用とて既存の語彙や意味の構造に影響を与えることがありうる以上,"borrowing" という用語の使用には慎重であるべきだとも示唆している.
 本書の最大の主張の1つが,上記引用の第2文(すなわち本書本論の第2文)に集約されている.言語接触の場は,バイリンガル個人であるということだ.また,バイリンガルという用語は最大限に広く解釈されていることにも注意されたい.質と量を問わず,2つの変種(非常に異なる言語から非常に近い方言を含む)が何らかの様式で混合したり交替したりする言語使用が bilingualism であり,それを実践する個人が bilingual である.したがって,この定義によれば,単なる語の「借用」も,一見すると高度な技術にみえる code-switching も,ともに bilingualism の例ということになる.そして,その一つひとつの具体的な言語項の現われが,干渉の例ということになる.
 これくらい広い定義だと,関連して考え得るあらゆる現象が言語接触の話題となる.用語のアバウトさ,あるいは気前のよさが,昨日の記事 ([2014-10-26-1]) で見たように,当該分野の無限の拡大を呼んだということかもしれない.

 ・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.

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2014-10-26 Sun

#2008. 言語接触研究の略史 [history_of_linguistics][contact][sociolinguistics][bilingualism][geolinguistics][geography][pidgin][creole][neogrammarian][wave_theory][linguistic_area][neolinguistics]

 「#1993. Hickey による言語外的要因への慎重論」 ([2014-10-11-1]) の記事で,近年,言語変化の原因を言語接触 (language contact) に帰する論考が増えてきている.言語接触による説明は1970--80年代はむしろ逆風を受けていたが,1990年代以降,揺り戻しが来ているようだ.しかし,近代言語学での言語接触の研究史は案外と古い.今日は,主として Drinka (325--28) の概説に依拠して,言語接触研究の略史を描く.
 略史のスタートとして,Johannes Schmidt (1843--1901) の名を挙げたい.「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]),「#1118. Schleicher の系統樹説」 ([2012-05-19-1]),「#1236. 木と波」 ([2012-09-14-1]) などの記事で見たように,Schmidt は,諸言語間の関係をとらえるための理論として師匠の August Schleicher (1821--68) が1860年に提示した Stammbaumtheorie (Family Tree Theory) に対抗し,1872年に Wellentheorie (wave_theory) を提示した.Schmidt のこの提案は言語的革新が中心から周辺へと地理的に波及していく過程を前提としており,言語接触に基づいて言語変化を説明しようとするモデルの先駆けとなった.
 この時代は青年文法学派 (neogrammarian) の全盛期に当たるが,そのなかで異才 Hugo Schuchardt (1842--1927) もまた言語接触の重要性に早くから気づいていた1人である.Schuchardt は,ピジン語やクレオール語など混合言語の研究の端緒を開いた人物でもある.
 20世紀に入ると,フランスの方言学者 Jules Gilliéron (1854--1926) により方言地理学が開かれる.1930年には Kristian Sandfeld によりバルカン言語学 (linguistique balkanique) が創始され,地域言語学 (areal linguistics) や地理言語学 (geolinguistics) の先鞭をつけた.イタリアでは,「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]) で触れたように,Matteo Bartoli により新言語学 (Neolinguistics) が開かれ,言語変化における中心と周辺の対立関係が追究された.1940年代には Franz Boaz や Roman Jakobson などの言語学者が言語境界を越えた言語項の拡散について論じた.
 言語接触の分野で最初の体系的で包括的な研究といえば,Weinreich 著 Languages in Contact (1953) だろう.Weinreich は,言語接触の場は言語でも社会でもなく,2言語話者たる個人にあることを明言したことで,研究史上に名を残している.Weinreich は.師匠 André Martinet 譲りの構造言語学の知見を駆使しながらも,社会言語学や心理言語学の観点を重視し,その後の言語接触研究に確かな方向性を与えた.1970年代には,Peter Trudgill が言語的革新の拡散のもう1つのモデルとして "gravity model" を提起した(cf.「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1])).
 1970年代後半からは,歴史言語学や言語類型論からのアプローチが顕著となってきたほか,個人あるいは社会の2言語使用 (bilingualism) に関する心理言語学的な観点からの研究も多くなってきた.現在では言語接触研究は様々な分野へと分岐しており,以下はその多様性を示すキーワードをいくつか挙げたものである.言語交替 (language_shift),言語計画 (language_planning),2言語使用にかかわる脳の働きと習得,code-switching,借用や混合の構造的制約,言語変化論,ピジン語 (pidgin) やクレオール語 (creole) などの接触言語 (contact language),地域言語学 (areal linguistics),言語圏 (linguistic_area),等々 (Matras 203) .
 最後に,近年の言語接触研究において記念碑的な役割を果たしている研究書を1冊挙げよう.Thomason and Kaufman による Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics (1988) である.その後の言語接触の分野のほぼすべての研究が,多少なりともこの著作の影響を受けているといっても過言ではない.本ブログでも,いくつかの記事 (cf. Thomason and Kaufman) で取り上げてきた通りである.

 ・ Drinka, Bridget. "Language Contact." Chapter 18 of Continuum Companion to Historical Linguistics. Ed. Silvia Luraghi and Vit Bubenik. London: Continuum, 2010. 325--45.
 ・ Matras, Yaron. "Language Contact." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 203--14.
 ・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.
 ・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.

Referrer (Inside): [2014-10-31-1] [2014-10-27-1]

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2014-10-06 Mon

#1988. 借用語研究の to-do list (2) [loan_word][borrowing][contact][pragmatics][methodology][bilingualism][code-switching][discourse_marker]

 Treffers-Daller の借用に関する論文および Meeuwis and Östman の言語接触に関する論文を読み,「#1778. 借用語研究の to-do list」 ([2014-03-10-1]) に付け足すべき項目が多々あることを知った.以下に,いくつか整理してみる.

 (1) 借用には言語変化の過程の1つとして考察すべき諸側面があるが,従来の研究では主として言語内的な側面が注目されてきた.言語接触の話題であるにもかかわらず,言語外的な側面の考察,社会言語学的な視点が足りなかったのではないか.具体的には,借用の契機,拡散,評価の研究が遅れている.Treffers-Dalle (17--18) の以下の指摘がわかりやすい.

. . . researchers have mainly focused on what Weinreich, Herzog and Labov (1968) have called the embedding problem and the constraints problem. . . . Other questions have received less systematic attention. The actuation problem and the transition problem (how and when do borrowed features enter the borrowing language and how do they spread through the system and among different groups of borrowing language speakers) have only recently been studied. The evaluation problem (the subjective evaluation of borrowing by different speaker groups) has not been investigated in much detail, even though many researchers report that borrowing is evaluated negatively.


 (2) 借用研究のみならず言語接触のテーマ全体に関わるが,近年はインターネットをはじめとするメディアの発展により,借用の起こる物理的な場所の存在が前提とされなくなってきた.つまり,接触の質が変わってきたということであり,この変化は借用(語)の質と量にも影響を及ぼすだろう.

Due to modern advances in telecommunication and information technology and to more extensive traveling, members within such groupings, although not being physically adjacent, come into close contact with one another, and their language and communicative behaviors in general take on features from a joint pool . . . . (Meeuwis and Östman 38)


 (3) 量的な研究.「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]) で示した "scale of adoptability" (or "borrowability scale") の仮説について,2言語使用者の話し言葉コーパスを用いて検証することができるようになってきた.Ottawa-Hull のフランス語における英語借用や,フランス語とオランダ語の2言語コーパスにおける借用の傾向,スペイン語とケチュア語の2限後コーパスにおける分析などが現われ始めている.

 (4) 語用論における借用という新たなジャンルが切り開かれつつある.いまだ研究の数は少ないが,2言語使用者による談話標識 (discourse marker) や談話機能の借用の事例が報告されている.

 (5) 上記の (3) と (4) とも関係するが,2言語使用者の借用に際する心理言語学的なアプローチも比較的新しい分野である.「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]) で覗いたように,code-switching との関連が問題となる.

 (6) イントネーションやリズムなど韻律的要素の借用全般.

 総じて最新の借用研究は,言語体系との関連において見るというよりは,話者個人あるいは社会との関連において見る方向へ推移してきているようだ.また,結果としての借用語 (loanword) に注目するというよりは,過程としての借用 (borrowing) に注目するという関心の変化もあるようだ.
 私個人としては,従来型の言語体系との関連においての借用の研究にしても,まだ足りないところはあると考えている.例えば,意味借用 (semantic loan) などは,多く開拓の余地が残されていると思っている.

 ・ Treffers-Daller, Jeanine. "Borrowing." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 17--35.
 ・ Meeuwis, Michael and Jan-Ola Östman. "Contact Linguistics." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 36--45.

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2014-08-20 Wed

#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字? [etymological_respelling][code-switching][bilingualism][latin][silent_letter][etymology][borrowing][grapheme]

 中英語期には英仏羅の間で言語の切り替え code-switching が起こるテキストがあることを,「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1]),「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1]) の記事でみた.ジャンルとしては宗教的な韻文や散文,また書簡などの事例があるが,これらが著者によるランダムな切り替えなのか,あるいは切り替えに際して何らかの "social and discourse-pragmatic reasons" があったのかが問題となる(cf. 「#1627. code-switchingcode-mixing」 ([2013-10-10-1])).
 通常,上記の macaronic code-switching で問題とされるのは,語句,節,文といった比較的大きな言語単位で一方の言語から他方の言語へ切り替わる場合だが,より小さな単位,例えば形態素や音素(文字素)という単位での macaronic code-switching はありうるのだろうか.もしあるとすれば,そこにも何らかの "social and discourse-pragmatic reasons" が関わっていると考えられるのだろうか.
 Miller (211) は,<doubt> (cf. ME <doute>) に見られるような語源的綴字 (etymological_respelling) はもしかすると macaronic code-switching により生じたものかもしれないと推測している.

Some changes may be due to the macaronic codeswitching between Medieval Latin and Late Middle English in certain poetic texts and especially London accounting records . . . .


 しかし,この推測が妥当かどうかを決めることは難しい.<doubt> や <receipt> のように <b> や <p> を挿入する行為は,実に細微な点をついたラテン語かぶれの行為である.より大きな言語単位での英羅間の切り替えが頻繁に起こっていない限り,この細微さが物語るのは,著者が流ちょうな2言語使用者ではなくラテン語を外国語として(不十分に)学んだ英語話者だということだろう.ラテン語の語源形を参照した文字の挿入を macaronic code-switching と呼ぶべきかどうかは,畢竟,その定義にかかってくる.しかし,code-switching とは何かを考え始めれば,bilingualism とは何かという頭の痛い問題にも至らざるを得ない.また,「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]) の問題も関わってこよう.<b> や <p> が初めて挿入されたとき,それははたして macaronic code-switching の現われなのか,あるいはラテン語形の借用なのか.そして,いずれにせよ,そこに社会的・語用論的な意図はあったのか.
 この挿入がある程度慣習化してくると,語源主義,綴字論,衒学的風潮に裏打ちされて「社会的・語用論的な意義」が付加されることにはなったろう.しかし,初めて挿入されたときに,そのような意義や意図があったかどうかは,推測の域を出ない.
 以上を考察した上で,次のような感想をもった.(1) code-switching が文字という小さな単位で起こり得るかどうか疑わしい.(2) 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1]) でみたフランス語における類例が示唆するように,中途半端なラテン語の知識に基づく混用とみなすことで十分ではないか.(3) 結果として後に,<b> や <p> の挿入に社会的・語用論的な意義が付された点こそが重要なのであって,その過程が code-switching か借用かなどの問題は各々の定義の問題であり,それほど重要ではない.ただし,挿入の過程に macaronic text の存在を考えてみる視点はなかったので,新鮮な推測ではある.

 ・ Miller, D. Gary. External Influences on English: From its Beginnings to the Renaissance. Oxford: OUP, 2012.

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2014-08-03 Sun

#1924. フランス語は中英語の文法性消失に関与したか (2) [gender][french][old_norse][contact][bilingualism]

 「#1884. フランス語は中英語の文法性消失に関与したか」 ([2014-06-24-1]) で,「当時のイングランドにおける英語と Norman French との2言語使用状況が2つの異なる文法性体系を衝突させ,これが一因となって英語の文法性体系が崩壊することになった」とする説を批判的に紹介した.しかし,その後 Miller (234--35) に上記と少し似た議論をみつけた.Miller 自身も憶測 (speculation) としているが,他の論文においても積極的に論じているようだ.

It is reasonable to speculate that gender was strained by scandinavianization but not abandoned, especially since Danish only reduced masculine and feminine later and in Copenhagen under a different contact situation . . . . Miller . . . suggests that the final loss of gender would most naturally have occurred in the East Midlands, a BUFFER ZONE between French to the south and the Danish-English amalgam to the north, the reason being that the gender systems were completely incongruent. In French, for instance, soleil 'sun' was masculine and lune 'moon' feminine, in stark contrast to Scandinavian where ON sól 'sun' was feminine and máni 'moon' masculine. Like other buffer zones that give up the conflicting category, the East Midlands had little recourse other than to scrap gender.


 厳密にいえば,前の記事の説は英語と Norman French の2者の言語接触に関するものであるのに対し,Miller の説は英語と Norman French と Old Norse の3者の言語接触に関するものなので,2つを区別する必要はあるだろう.Miller の仮説を検証するためには,性の消失が最初に "the East Midlands, a BUFFER ZONE" で本格的に始まったことを示す必要がある.また,前の記事でも反論ポイントとして指摘したが,この "BUFFER ZONE" において,どの程度の社会的・個人的な bilingualism あるいは trilingualism が行われていたのかが焦点となる.
 だが,いずれにせよ中部以北ではフランス語の関与が認められ得る時代以前にすでに性の消失が進んでいたわけだから,提案されている言語接触は,すでに進行していた性の消失を促したということであり,それを引き起こした原動力だったわけではないことは注意すべきである.この点を押えておきさえすれば,Miller の憶測も一概に否定し去るべきものではないように思われる.

 ・ Miller, D. Gary. External Influences on English: From its Beginnings to the Renaissance. Oxford: OUP, 2012.

Referrer (Inside): [2015-10-08-1]

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2014-07-29 Tue

#1919. 英語の拡散に関わる4つの crossings [history][irish][ireland][standardisation][linguistic_imperialism][ame][new_englishes][bilingualism][historiography][model_of_englishes][esl][efl][elf]

 Mesthrie and Rakesh (12--17) に,"INTEGRATING NEW ENGLISHES INTO THE HISTORY OF THE ENGLISH LANGUAGE COMPLEX" と題する章があり,World Englishes あるいは New Englishes という現代的な視点からの英語史のとらえ方が示されており,感心した.
 英語の拡散は,有史以前から現在まで,4つの crossings により進行してきたという.第1の crossing は,5世紀半ばに北西ゲルマン民族がブリテン島に渡ってきた,かの移住・侵略を指す.この段階から,ポストコロニアルあるいはポストモダンを想起させるような複数の英語変種,多言語状態,言語接触がすでに存在していた.複数の英語変種としては,アングル族,サクソン族,ジュート族などの間に民族変種の区別が移住の当初からあったろうし,移住後も地域変種や社会変種の発達がみられたろう.多言語状態および言語接触としては,基層言語としてのケルト語の影響,上層言語としてのラテン語との接触,傍層言語としての古ノルド語との混交などが指摘される.後期ウェストサクソン方言にあっては,1000年頃に英語史上初めて書き言葉の標準が発展したが,これは続くノルマン征服により衰退した.この衰退は,英語標準変種の "the first decline" と呼べるだろう (13) .
 第2の crossing は,中英語期の1164年に Henry II がアイルランドを征服した際の,英語の拡散を指す.このとき英語がアイルランドへ移植されかけたが,結果としては定着することはなかった.むしろ,イングランドからの植民者はアイルランドへ同化してゆき,英語も失われた.詳しくは「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]) を参照されたい.
 後期中英語から初期近代英語にかけて,英語史上2度目の書き言葉の標準化の動きが南イングランドにおいて生じた.この南イングランド発の標準変種は,それ以降,現在に至るまで,英語世界において特権的な地位を享受してきたが,20世紀に入ってからのアメリカ変種の発展により,また20世紀後半よりみられるようになったこれら標準変種から逸脱する傾向を示す世界変種の成長により,従来の特権的な地位は相対的に下がってきている.この地位の低下は,南イングランドの観点からみれば,英語標準変種の "a second decline" (16) と呼べるだろう.ただし,"a second decline" においては,"the first decline" のときのように標準変種そのものが死に絶えたわけではないことに注意したい.それはあくまで存在し続けており,アメリカ変種やその他の世界変種との間で相対的に地位が低下してきたというにすぎない.
 一方で,近代英語期以降は,西欧列強による世界各地の植民地支配が進展していた.英語の拡散については「#1700. イギリス発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-22-1]) をはじめとして,本ブログでも多く取り上げてきたが,英語はこのイギリス(とアメリカ)の掲げる植民地主義および帝国主義のもとで,世界中へ離散することになった.この離散には,母語としての英語変種がその話者とともに移植された場合 ("colonies of settlement") もあれば,経済的搾取を目的とする植民地支配において英語が第2言語として習得された場合 ("colonies of exploitation") もあった.前者は the United States, Canada, Australia, New Zealand, South Africa, St. Helena, the Falklands などのいわゆる ENL 地域,後者はアフリカやアジアのいわゆる ESL 地域に対応する(「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]) および「#409. 植民地化の様式でみる World Englishes の分類」 ([2010-06-10-1]) を参照).英米の植民地支配は被っていないが保護領としての地位を経験した Botswana, Lesotho, Swaziland, Egypt, Saudi Arabia, Iraq などでは,ESL と EFL の中間的な英語変種がみられる.また,20世紀以降は英米の植民地支配の歴史を直接的には経験していなくとも,日本,中国,ロシアをはじめ世界各地で,EFL あるいは ELF としての英語変種が広く学ばれている.ここでは,英語母語話者の人口移動を必ずしも伴わない,英語の第4の crossing が起こっているとみることができる.つまり,英語史上初めて,英語という言語がその母語話者の大量の移動を伴わずに拡散しているのだ.
 英語史上の4つの crossings にはそれぞれ性質に違いがみられるが,とりわけポストモダンの第4の crossing を意識した上で,過去の crossings を振り返ると,英語史記述のための新たな洞察が得られるのではないか.この視座は,イギリス史の帝国主義史観とも相通じるところがある.

 ・ Mesthrie, Rajend and Rakesh M. Bhatt. World Englishes: The Study of New Linguistic Varieties. Cambridge: CUP, 2008.

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2014-06-24 Tue

#1884. フランス語は中英語の文法性消失に関与したか [personal_pronoun][gender][prescriptive_grammar][norman_french][norman_conquest][bilingualism][french][contact][inflection][singular_they]

 昨日の記事「#1883. 言語における性,その問題点の概観」 ([2014-06-23-1]) に関連して,英語では generic 'he' の問題,そしてその解決策として市民権を得てきている「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1]) の話題が思い出される.singular they について,最近ウェブ上で A Linguist On the Story of Gendered Pronouns という記事を見つけたので紹介したい.singular they の例が Chaucer など中英語期からみられること,generic 'he' の伝統は18世紀後半の規範文法家により作り出されたものであることなど,この問題に英語史的な観点から迫っており,一読の価値がある.
 しかし,記事の後半にある一節で,フランス語が中英語期の文法性の消失に部分的に関与していると示唆している箇所について疑問が生じた.記事の筆者によれば,当時のイングランドにおける英語と Norman French との2言語使用状況が2つの異なる文法性体系を衝突させ,これが一因となって英語の文法性体系が崩壊することになったという.もっとも屈折語尾の崩壊が性の崩壊の主たる原因と考えているようではあるが,上のような議論は一般的に受け入れられているわけではない(ただし,「#1252. Bailey and Maroldt による「フランス語の影響があり得る言語項目」」 ([2012-09-30-1]) や,中英語が古英語とフランス語の混成言語であるとするクレオール語仮説の議論 ##1223,1249,1250,1251 を参照されたい).

So what you really have is an extended period of several centuries in which many people were more-or-less proficient in both Norman French and Anglo Saxon, which in actual fact meant speaking the highly intermingled versions known as Anglo-Norman and Middle English. But words that belong to one gender in one language don't necessarily belong to the same gender in the other. To use a modern example, the word for "bridge" in French, pont, is masculine, but the word for "bridge" in German, ''Brücke, is feminine. If you couple this with the fact that people had begun to stop pronouncing altogether the endings that indicate a word’s gender and case, you can see how these features became irrelevant for the language in general.


 まず,当時のイングランドの多くの人が程度の差はあれ2言語話者だったということが,どの程度事実と合っているのかという疑問がある.貴族階級のフランス系イングランド人や知識階級の人々は多かれ少なかれバイリンガルだった可能性は高いが,大多数の庶民は英語のモノリンガルだった(「#338. Norman Conquest 後のイングランドのフランス語母語話者の割合」 ([2010-03-31-1]) および「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) の記事を参照).英語の言語変化の潮流を決したのはこの大多数のモノリンガル英語話者だったに違いなく,社会的な権力はあるにせよ少数のバイリンガルがいかに彼らに言語的影響を及ぼしうるのか,はなはだ疑問である.
 次に,「#1223. 中英語はクレオール語か?」 ([2012-09-01-1]) でみたように,一般にフランス語の英語への直接的な言語的影響は些細であるという説得力のある議論がある.語彙や綴字習慣を除けば,フランス語が英語に体系的に影響を与えた言語項目は数少ない.ただし,間接的な影響,社会言語学的な影響は甚大だったと評価している.それは,「#1171. フランス語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-11-1]) や「#1208. フランス語の英文法への影響を評価する」 ([2012-08-17-1]) で論じた通りである.
 今回の性の消失という問題に対するには,フランス語によるこの間接的な効果,屈折語尾の消失を間接的に促したという効果を指摘するだけで十分ではないだろうか,

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2014-01-25 Sat

#1734. Canada の国旗と紋章 [vexillology][heraldry][history][bilingualism][canada]

 昨日の記事「#1733. Canada における英語の歴史」 ([2014-01-24-1]) で,カナダにおける英語の歴史を概観した.そのなかで,カナダが1965年に国旗のデザインをカエデをかたどった現在のもの (Maple Leaf flag) に変更したことに触れた.National Symbols - Anthems and Symbols - Canadian Identity によると,それ以前のカナダの国旗としては様々なデザインがあったが,旗竿に近い上端の区画 (canton) に,英領であることを表わすものとして Union Jack が配されたものが多かった.例えば,1957年の時点では以下の左のものが採用されていた.

National Flag of Canada in 1957National Flag of Canada


 現在の国旗のデザイン(上掲右図)のカエデは,カナダの象徴として以前より用いられていたものであり,両側の縦縞は大西洋と太平洋を表わす.赤と白は,Union Jack を参照した歴代の配色でもある.1965年の国旗変更にあたっては,Union Jack を保持するものを含めいくつかの草案があったようだ.いずれにせよ,Maple Leaf flag の採用により,カナダ国民のイギリスからの独立意識はいっそう高まることになった.
 一方,下に示したカナダの紋章は,より保守的な性格を保持している.「#433. Law French と英国王の大紋章」 ([2010-07-04-1]) で取り上げた英国の紋章 (The Royal coat of arms) を模したデザインだが,左上に Union Jack もあれば,右上及び中央の盾の中にはフランスとの関係を物語る金の fleurs-de-lis も描かれている.台座の白百合もフレンチ・コネクションを表わす.そして,当然ながらカエデの葉も各所に配されている.下部の銘 (motto) はラテン語で A MARI VSQVUE AD MARE (from sea through to sea) と書かれており,国旗の場合と同様に,太平洋と大西洋をつなぐ大陸国家であること示すものである.

The Arms of Canada

 なお,フランス系の伝統の濃い Quebec の州旗は fleurs-de-lis を配した,いかにもフランス的なデザインである.

Flag of Quebec

 国旗関連の話題としては,「#1697. Liberia の国旗」 ([2013-12-19-1]),「#1703. 南アフリカの植民史と国旗」 ([2013-12-25-1]) も参照.

Referrer (Inside): [2014-01-26-1]

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2013-11-09 Sat

#1657. アメリカの英語公用語化運動 [sociolinguistics][language_planning][statistics][bilingualism][linguistic_right]

 アメリカにもイギリスにも法律で定めた公用語というものはない.英語が事実上の公用語であることは明らかだが,まさに事実上そうであるという理由で,特に法律で明記する必要がないのである.いや,正確には,これまでは必要がなかったと言うべきだろう.1980年代以降,アメリカでは英語公用語化運動が繰り広げられてきた.
 背景には,英語を話さないアメリカ人の増加という事情がある.U.S. Census Bureau の統計によると,5歳以上のアメリカ人で,英語がまったく話せない,あるいはうまく話せない人の数が,1980年では全人口の2%だったが,1990年では2.9%と増加し,最新の2011年のデータ (PDF)では4.65%に達している.ある試算によると2050年には6%に達するのではないかとも言われる.(Language Use - U.S. Census Bureau の各種統計を参照.)
 アメリカでは1968年の2言語教育法の制定により,非英語話者が教育上不利にならないような配慮がなされてきた.非英語話者の子供には英語を学ぶ機会が必ず与えられるし,政府刊行物,公共の案内,運転免許の筆記試験などで英語以外の言語を選ぶこともできる.しかし,この言語政策には莫大な予算がかかる.さらに,国家統合の問題にもかかわる.増加する国民の英語離れは,アメリカが国家としての重要な求心力を失い始めている徴候ではないかと考える人々がいてもおかしくない.こうして,英語公用語論争が始まった.
 連邦政府レベルで英語公用語運動が始まったのは,1981年である.カナダ生まれの日系人で言語学者であり連邦上院議員の S. I. Hayakawa が,英語を公用語とする修正条項を憲法に付加することを提案した.この提案は退けられたが,州レベルでは運動は続けられることになった.Nebraska, Illinois, Virginia, Indiana, Kentucky, Tennessee の6州で英語を公用語とする法律が成立したのに続き,1986年に California で英語公用語化法案 Proposition 63 が住民投票の結果,通された.メディアなどの前評判を覆して,賛成票73%での法案成立だった.それまでの他州での法案が実質的というよりは象徴的な意味合いをもつにすぎなかったのに対して,California Proposition 63 (or the English Is the Official Language of California Amendment) はより踏み込んだ法案となっていた.以下,抜粋しよう.

English is the common language of the people of the United States of America and of the State of California. . . . The legislature and officials of the State of California shall take all steps necessary to insure that the role of English as the common language of the State of California is preserved and enhanced. . . . Any person who is a resident of, or does business in the State of California shall have standing to sue the State of California to enforce this section . . .


 この法案は,州政府に英語公用語化に向けてあらゆる措置を取らせる権限を与え,州民に英語公用語化に抵触する事態に面したときに起訴権を与えるというものである.さらにこの法案に特異なのは,US English という団体を中心とした一般州民の要望による住民投票で可決したという点である.
 その後も,Arizona, Colorado, Florida などでも運動は成功したが,特に Arizona Proposition 106 はさらに突っ込んだ内容となっている."As the official language of this State, the English language is the language of the ballot, the public schools and all government functions and actions."
 US English のような団体に反対する団体も現れている.English Plus Information Clearinghouse (EPIC) では,English Only ではなく English Plus の思想を打ち出し,言語権の擁護を訴えている.
 以上,東 (197--205) を参照して執筆した.関連して,「#256. 米国の Hispanification」 ([2010-01-08-1]) を参照.

 ・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.

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2013-10-14 Mon

#1631. 団結を表わす戦略としての code-switching [code-switching][bilingualism][sociolinguistics]

 「#1628. なぜ code-switching が生じるか?」 ([2013-10-11-1]) の (2) で,code-switching がメンバーシップ確立のために機能していることをみた.2つのコードの切り替え方や混ぜ合わせ方はランダムのようにみえるが,code-switching を実践している当事者の間ではおよそ暗黙のうちに了解しているバランスのようなものがあり,そのバランスは互いに似たような言語環境で育ってきていない限り共有されないものである.逆にいえば,自然な code-switching を互いに実践している当事者たちは,他人の共有しえない強い団結意識をもっているということになる.
 さらにいえば,はたからみれば同じ2言語で似たような code-switching をおこなっているとしても,ある集団と別の集団では,切り替えや混ぜ合わせのバランスが異なっているかもしれない.その場合には,自分たちの code-switching と他の集団の code-switching とが互いに異なっていることに気づくだろう.このように,code-switching は,強力なアイデンティティ標示の機能を有している.Wardhaugh (104) より孫引きだが,Gumperz, J. J. (Discourse Strategies. Cambridge: CUP, 1982. p. 69) に以下の文章がある.

Residents of such large Spanish-English-speaking communities as San Francisco or New York, which include immigrants from many Latin American regions, in fact claim that they can tell much about a person's family background and politics from the way that person code-switches and uses borrowings. What the outsider sees as almost unpredictable variation becomes a communicative resource for members. Since bilingual usage rules must be learned by living in a group, ability to speak appropriately is a strong indication of shared background assumptions. Bilinguals, in fact, ordinarily do not use code-switching styles in their contact with other bilinguals before they know something about the listener's background and attitudes. To do otherwise would be to risk serious misunderstanding.


 code-switching という行為それ自体が外に向けてアイデンティティ標示機能を有しているのみならず,code-switching の仕方が自らの属する code-switching 集団と他の code-switching 集団とを区別する機能を有しているということは興味深い.code-switching は多様なアイデンティティ標示機能をもっており,高度に社会言語学的な現象だということになる.
 再び Wardhaugh (98) からの孫引きだが,Gal, S. ("The Political Economy of Code Choice." Code Switching. Ed. M. Heller. Berlin: Mouton de Gruyter, 1988. p. 247) は,code-switching を社会言語学的な戦略として位置づけている.

[C]odeswitching is a conversational strategy used to establish, cross or destroy group boundaries; to create, evoke or change interpersonal relations with their rights and obligations.


 考えてみれば,この引用の "[C]odeswitching" を "Linguistic behaviour" と置き換えてみても,命題の真偽値は変わらない.code-switching も特別な言語現象ではないということだろう.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

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2013-10-10 Thu

#1627. code-switchingcode-mixing [code-switching][sociolinguistics][bilingualism][borrowing]

 「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1]) 等の記事で code-switching の話題を取り上げたが,今回はより一般的に,多言語状況における会話での code-switching を取り上げる.
 code-switching とは,複数言語話者あるいは複数方言話者が会話の中で言語や方言を切り替える行為である.多言語状況では非常によくみられる現象であり,種々の言語学的および社会言語学的な要因が提案されている.
 code-switching の程度が激しく,複数の言語や方言が1つの文のなかで素早く頻繁に切り替えられる場合,それを code-mixing と呼んで区別する場合がある.混合の度合いが高く,いずれの言語を話しているかが判然としないケースもある.そのような話者にとって,code-mixing はあたかも1つの言語を話しているのと同じくらいに自然なことであり,切り替えているということを意識していないことも非常に多いという.英語を含む code-mixing の例は,Malta, Nigeria, Hong Kong, the Philippines ([2013-09-06-1]の記事「#1593. フィリピンの英語事情 (2)」を参照)などの多言語地域から,多く報告されている(以上,Trudgill 23 より).
 複数の言語体系が関わり合う言語接触に起因する現象としては,ほかに干渉 (interference),借用 (borrowing),媒介言語の発達などがある.これらはその効果が集団的に現れるのに対して,code-switching は個人の言語に属する現象であるといわれる.別の言い方をすれば,前者は competence に近いところにある話題だが,後者は performance に近いということになる.一方で,これらの間の厳密な線引きは困難であり,code-switching を程度の激しい借用とみることすらできるかもしれない.
 東 (25) が引用している日英語の code-switching の例を挙げておこう.日系二世女性 (VY) が運転中の出来事をもう1人の女性 (MN) に話しているという場面で,北米の日系人社会に典型的な code-switching の例である.

VY: やすと私が今度 drive 代えたのよね。I was in the fast lane. Of course, speed 出さなくちゃいけないから。
MN: Yeah.
VY: そしたら、there was a car in the left, right lane.
MN: うん。
VY: Two ならんで行ったのよね。side.
MN: Uh-huh.
VY: So, I was in the こっちの left lane. それでこう来たの。
MN: Violet, drive してたの?
VY: Half-way からまた代わったけどね。After lunch 食べてからね。そしたら、このうしろにいた car がね、いきなり he came out right. No signal or anything. 見ないでっから . . . 怖かったよ。Gee. こんなんなって brake かけちゃったから、こんななっちゃって。(ジェスチャーをまじえながら)Oh, gee.
MN: ああ、もう、those あほうがいるから、it's not your fault, eh? when you have an accident.


 日本語と英語の切り替えがスムーズであることが見て取れる.「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1]) の Wright からの2番目の引用でも述べられていたとおり,従来,code-switching は不完全な言語習得に基づく現象として否定的に,時に軽蔑的にとらえられてきた.しかし,それは明らかに誤解である.code-switching の背景には複雑な(社会)言語学的要因が作用している.その要因については,明日の記事で.

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
 ・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.

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2013-10-08 Tue

#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching [code-switching][me][bilingualism]

 「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1]) で紹介したとおり,中英語期には,複数の言語が切り替わる詩作がみられた.一見するところ,第1言語と第2言語との稚拙な混合のように思えるが,その文体的効果を吟味すれば意図的な code-switching であったことがわかる.中英語期における体系的ともいえるこのような code-switching は,叙情詩のみならず,散文を含めたほとんどのジャンルに観察される.例えば,Wright は,"medical writings, other scientific texts, legal texts, administrative texts, sermons, other religious prose texts, literary prose, poems, drama, accounts, inventories, rule-books and letters" (148) を挙げている.Wright (148--49) は散文からの具体例として以下の2つを挙げている.

1. Religious prose text in English and Latin: sermon (early fifteenth century)

Domini gouernouris most eciam be merciful in punchyng. Oportet ipsos attendere quod of stakis and stodis qui deberent stare in ista vinea quedam sunt smoþe and lightlich wul boo, quedam sunt so stif and so ful of warris quod homo schal to-cleue hom cicium quam planare.

(The lord's governors must also be merciful in punishing. They should take notice of the stakes and supports that should stand in this vineyard, some are smooth and will easily bend, others are so stiff and so full of obstinacy that a man will split them sooner than straighten them out.)

2. Letter in English and Anglo-Norman: from R. Kingston to King Henry IV (1403)

Tresexcellent, trespuissant, et tresredoute Seignour, autrement say a present nieez. Jeo prie a la benoit trinite que vous ottroie bone vie ove tresentier sauntee a treslonge durre, and sende yowe sone to ows in helþ and prosperitee; for in god fey, I hope to almighty god that, yef ye come youre owne persone, ye schulle haue the victorie of alle youre enemyes.

(Most excellent, mighty and revered Sir, otherwise I know nothing at present. I pray to the blessed trinity to grant you a good life with the fullest health of the longest duration, and send you soon to us in health and prosperity; for in good faith, I hope to almighty God that, if you come yourself, you shall have a victory over all your enemies.)


 code-switching 研究では,話し手(書き手)は言語を切り替えることにより,社会言語学的あるいは語用論的な効果を意図しているということが話題にされる.Wright (149) 曰く,
 

It has often been assumed that texts which show code-switching are indicative of an ill-educated scribe, who did not know the other languages fully. However, studies on present-day code-switching show that, on the contrary, the speakers usually have a full grasp of both languages, but choose to switch for social and discourse-pragmatic reasons. Similarly, it can frequently be demonstrated that the scribe of a code-switched text did in fact command the grammar and vocabulary of all the languages used, but that he chose to combine them. At present, we are not fully sensitive to the discourse-pragmatic reasons for medieval code-switching, and it is one of the things to which the present-day reader of a medieval text is deaf. (149)


 上記のように古い時代の書き言葉に現れる code-switching の意図を読み取ることは困難を極めるが,これらの場合において "social and discourse-pragmatic reasons" がはたして何だったのか,現代語の code-switching 研究により,何かヒントが見いだせるかもしれない.

 ・ Wright, Laura. "The Languages of Medieval Britain." A Companion to Medieval English Literature and Culture: c.1350--c.1500. Ed. Peter Brown. Malden, MA: Blackwell, 2007. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009. 143--58.

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2013-10-06 Sun

#1623. セネガルの多言語市場 --- マクロとミクロの社会言語学 [map][sociolinguistics][bilingualism]

 アフリカの北西部,大西洋に面する Senegal は,周囲の国々の例にもれず多言語国家である.公用語はフランス語だが,この国は「#401. 言語多様性の最も高い地域」 ([2010-06-02-1]) で取り上げた多様性指数 (diversity index) でいえば0.775という高い値を示し,土着の言語に限っても37の言語が,約1千万人の人口によって話されている.諸言語の詳細については,EthnologueSenegal を参照されたい.

Map of Senegal

 この国の南西部に Ziguinchor という町がある.この「寄港市場」の多言語状況について,社会言語学のミクロとマクロな視点から迫った興味深い調査がある(カルヴェ,pp. 142--46).この町の市場の商人の間では10以上の言語が話されている.主立った母語の内訳は,Jola (35%), Wolof (26%), Mandinka (16%), Fula (11%), Serer (4%), Balanta (5%), その他 (5%) という分布だった.しかし,これらの言語は社会言語学的に対等な地位にあるわけではない.Fula と Mandinka はこの地方の土着の言語だが,都市部における土着の言語としては Jola のほうが支配的である.また,Wolof 語は,経済的に成功した Wolof 商人がこの地にもたらした媒介言語であり,国内で最大の権威をもっている.
 諸言語に関するこのようなマクロ社会言語学的状況は,個々の商人のもつ言語レパートリーにも反映されており,彼らの日々の商売にも影響を及ぼしている.この市場において各商人は1〜7つの言語を操るが,1つのみ話す商人が最も多く,次に2つ,3つとおよそ予想通りに漸減してゆく.ところが,話者の母語別にいくつの言語を話すかを整理すると,非対称な分布が明らかになる.

(1) Native Jora speakers
----------------------------------------------------------------------
1 language  (23): ***********************
2 languages (17): *****************
3 languages (15): ***************
4 languages  (2): ***
5 languages  (5): *****
6 languages  (0): 
7 languages  (0): 
----------------------------------------------------------------------

(2) Native Wolof speakers
----------------------------------------------------------------------
1 language  (25): *************************
2 languages  (7): *******
3 languages  (5): *****
4 languages  (5): *****
5 languages  (5): *****
6 languages  (0): 
7 languages  (0): 
----------------------------------------------------------------------

(3) Native Mandinka speakers
----------------------------------------------------------------------
1 language   (1): *
2 languages  (6): ******
3 languages  (4): ****
4 languages  (8): ********
5 languages  (5): *****
6 languages  (3): ***
7 languages  (1): *
----------------------------------------------------------------------

(4) Native Fula speakers
----------------------------------------------------------------------
1 language   (0): 
2 languages  (7): *******
3 languages  (5): *****
4 languages  (5): *****
5 languages  (5): *****
6 languages  (1): *
7 languages  (2): **
----------------------------------------------------------------------

 (2) Wolof 商人の半数以上が Wolof のみを話す単一言語話者であるのに対し,(4) Fula 商人は全員が多言語話者である.(3) Mandinka 商人の約3割が4言語話者であり,(1) Jora 商人の約4割が Jora のみを話して商売している.国内で Wolof の言語圏が日増しに拡大しているマクロな状況と,市場の商売において Wolof が勢力を誇っているミクロな現状とが一致しているのがわかるだろう.一方,Fula は立場の弱い言語であり,外部の者によって話されることが事実上なく,その母語話者は媒介言語を習得せざるを得ない状況が見て取れる.
 「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1]) で触れた通り,社会言語学のマクロな視点とミクロな視点とは分けてとらえずに,補完的に考える方が有益だろう.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),萩尾 生(訳) 『社会言語学』 白水社,2002年.

Referrer (Inside): [2015-08-02-1] [2014-10-21-1]

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2013-09-26 Thu

#1613. 道路案内標識の英語表記化と「言語環境」 [bilingualism][language_planning][geolinguistics][linguistic_landscape][ecolinguistics]

 昨日の記事「#1612. 道路案内標識,ローマ字から英語表記へ」 ([2013-09-25-1]) で話題にした道路案内標識の英語表記化の施策について,言語計画 (language_planning) という観点から議論を続けたい.カルヴェによると,このような問題は「言語環境」あるいは「地域の言語記号化」というキーワードのもとで議論される.少々長いが,カルヴェ (62--65) より「言語環境」と題された1節のほとんどを引用する.

 町で通りを散歩したり、空港に着いたり、ホテルの部屋でテレビのチャンネルをつけたりすると、ポスターや広告、テレビ番組、シャンソンなどに用いられている言語を通じて、言語状況に関する情報を直ちに入手できる。と同時に、社会言語学的状況を注意深く調査して、そこに存在する言語や言語変種をよく知るにつれて、その多くがメディアに登場していないことに気づく。
 日常生活のなかで、言語が口語や文語の形で存在したり、存在していないことを「言語環境」と呼ぶ。一例をあげるなら、ニューヨークでは店の看板に英語や中国語、イタリア語、アラビア語といった言語が見られることから、その地誌を作成することができるし、その環境における言語変種を通じて、現在の変化を見守ることもできる。あるいはまた、イギリスによる中国への香港返還の期日(一九九七年)が近づくにつれて、一九九〇年代の香港の言語環境には中国語の伸張と英語の後退が認められた。
 ニューヨークや香港、また他の首都の言語状況は多くの情報に満ちあふれ、生体のなかにあると言えるが、実験室のなかの言語計画もそのような状況に介入しうるのだ。ある言語話者の日常生活にアルファベットが現われないのに、その言語にアルファベットを与えても何の役にも立たないからだ。通りの名称を示すプレートや道路標識、車両のナンバープレート、宣伝ポスター、ラジオやテレビ番組は、言語振興の目的で介入するのには格好の場である。たとえば、二十年の間隔を経て、一九九〇年代にビルバオ〔スペインの北部バスク地方の港町〕やバルセロナの空港に降り立った旅行者は、ビルバオにはバスク語の表示があり、バルセロナにはカタルーニャ語の表示があることに驚くだろう。この表示は言語環境に計画的な介入が行なわれ、それまで排除されていた言語がその環境を征服した、あるいは挽回したということを示している。同様に、表記環境という観点からすると、一九七〇年から一九八〇年の間に、アルジェの街の通りは、完全に変わってしまった。先に述べたすべての機能の点において、アラビア語がフランス語に取って代わった。このような「地域の言語記号化」は、それが自然に生まれた実践の結果であれ、計画的な実践の結果であれ、社会を記号論的に読みとく道具を提供している。そこに現われる言語には、掲示されているものもあれば、なかなか目にすることのないものもあり、その言語の社会言語学的な重要度やその将来とも無関係ではないのだ。
 したがって、言語計画は環境に働きかけて、諸々の言語の重要性やその象徴的な威信に影響を及ぼすのだ。そしてさらに、互いに多少異なっているとはいえ、実験室のなかの活動は生体のなかの活動方法を用い、そこから着想を得る。たとえば、パリのマグレブ人の肉屋がアラビア語で屋号を掲示するといった自然な言語実践と、屋号はアラビア語の他にフランス語でも提示(つまり翻訳)されねばならないとする公権力による介入との間には、言語(ここでは文字表記)を通じたアイデンティティの表明について同様の意志が認められる。このアイデンティティを求めるアプローチはそれぞれ異なっている、一方は自然な行動から、他方は法の介入によって、アイデンティティを求めているのである。
 だが、この二つの場合でも、地域の言語記号化という機能は同じである。ニューヨークやパリの通りに見られるアラビア語、中国語、ヘブライ語の掲示は、二段階のメッセージを作っている。まず明示的レベルでは、この言語を読むことのできる者だけがメッセージを解読できるという点で、潜在的に受信者をかなり限定する。と同時に、共示的レベルでは、この掲示は別の種類のメッセージとなっている。アラビア語や中国語を読めなくても、その文字体系を識別することができるし、その存在は象徴的役割や証言の役割を果たしている。たとえば、レストランのドアの上にある「広東料理店」という中国語による掲示は二つのことを伝えている。まず、中国語を読める人に「ここは広東料理の店だ」と伝えていると同時に、中国語を読めない人には「これは中国語だ」と伝えている。さらに近くの店が何軒も互いに屋号を中国語で掲げていれば、このような掲示が共存していることから、「これは中国人の通りだ」ということや、「ここは中華街だ」ということがわかる。このような二段階の読解からも、文字環境の重要性がわかる。国家がこの分野への介入を決定すれば、大多数の人びとはしばらくのあいだ、新たに掲示される言語が読めないかもしれない。もちろん、これは住民の識字率による。それでも、これは文字表記として知覚され、その文字の存在は政治による選択を象徴する。


 カルヴェの主旨を今回の道路案内標識の英語表記化という文脈に当てはめると,次のように議論できるだろうか.言語的介入の格好の的である道路案内標識を英語化するという施策を通じて,日本政府は計画的に日本の言語環境を変化させようとしており,英語の伸張を後押ししているということになる.この施策が国民に受け入れられると仮定すると,道路案内標識の英語表記は,明示的レベルと共示的レベルの2つのメッセージを作ることになろう.例えば,"Kanda Sta. West" は,明示的レベルでは,英語表記を理解する者にそれが「神田駅西口」であることを伝える.一方,共示的レベルでは,英語表記を理解する者にもしない者にも,日本は道路案内標識に英語表記を用いることを選択した国であるというメッセージを,そして日本は英語の重要性やその象徴的な威信を政治的に認めているというメッセージを伝える.
 道路案内標識の英語表記化の議論は,この「地域の言語記号化」という視点からなされるべきではないか.
 「言語環境」というキーワードと関連して,「#278. ニュージーランドにおけるマオリ語の活性化」 ([2010-01-30-1]) や「#601. 言語多様性と生物多様性」 ([2010-12-19-1]) で触れた "ecology of language" や "ecolinguistics" という分野も関わりが深い.一方,「地域の言語記号化」は,「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) で扱われるべき問題の1つだろう.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

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2013-09-25 Wed

#1612. 道路案内標識,ローマ字から英語表記へ [bilingualism][language_planning][romaji][linguistic_landscape]

 8月20日の朝日新聞朝刊34面に「国会周辺の標識 外国人のため英語表記へ」と題する記事があった.従来,日本の道路案内標識では,日本語をヘボン式ローマ字で表記したものが使用されてきた.例えば,横書き「国会前」の標識ではすぐ下にローマ字で "Kokkai" と記されていたが,ローマ字部分を "The National Diet" と英語になおす試みが年内に実施されるという.国や東京都は,外国人訪問客などから標識が読めないという苦情を受けて「外国人への分かりやすさを第一に考えた」上での対応だというしている.
 さらに,9月12日の朝日新聞朝刊5面に「標識,ローマ字やめます 英語表記に統一」と題する関連記事が掲載された.国土交通省は,英語表記化の動きを,国会周辺から始めて,全国へ広げようとしているとのことだ.これにより,例えば "Eki" → "Sta.", "Shogakko" → "Elem. School", "Yubinkyoku" → "Post Office", "Dori" → "Ave.", "Kencho" → "Pref. Office" と変更されることになる.
 この動きは,2020年の東京オリンピック開催をにらんでの戦略的な施策とも考えられる.国会や財務省からは「日本人が分かるか.運転手が混乱する」という慎重論もあったようだが,国際的な英語化の大きな潮流には逆らえないということだろう.このような話題にも,「世界語としての英語」の圧力,あるいは論者によっては「英語の脅威」の具体的な現れを垣間見ることができる.
 日本で公式に採用された道路案内標識の表記は,海外で出版される旅行ガイドブック,地図,住所録などにも反映されることになる.互いの表記が一致していないと,日本語を解さない訪問者には不便だからだ.タクシーの運転手などは,英語表記に用いられる英語語句の理解が欠かせなくなり,商売のために半ば英語学習を強いられることにもなる.
 国会周辺の道路案内標識をローマ字から英語表記へ変更するという施策は,物理的行為としては小さなものだが,そこから広がる波紋は決して小さくない.本来は,この辺りの問題を,観光業の政治経済という観点だけではなく,英語教育,英語支配,言語政策,多言語主義などの観点からも意識的に議論した上で政策決定がなされるべきなのだが. *  *

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2013-09-21 Sat

#1608. multilingualism は世界の常態である (2) [bilingualism][japanese][world_languages][sign_language]

 [2013-05-30-1]の記事の続編.多言語使用が世界の常態であるという事実について,Crystal (409--10) に言及を見つけたので,追加したい.

[M]ultilingualism is the normal human condition. It is a principle which often takes people by surprise. If you have lived your whole life in a monolingual environment, you could easily come to believe that this is the regular way of life around the world, and that people who speak more than one language are the exceptions. Exactly the reverse is the case.
   Speaking two or more languages is the natural way of life for three-quarters of the human race. There are no official statistics, but with over 6,000 languages co-existing in fewer than 200 countries . . . it is obvious that an enormous amount of language contact must be taking place; and the inevitable result of languages in contact is multilingualism, which is most commonly found in an individual speaker as bilingualism.
      There is no such thing as a totally monolingual country. Even in countries that have a single language used by the majority of the population, such as Britain, the USA, France, and Japan, there exist sizeable groups that use other languages. In the USA, around 10% of the population regularly speak a language other than English. In Britain, over 350 minority languages are in routine use. In Japan, one of the most monolingual of countries, there are substantial groups of Chinese and Korean speakers. In Ghana, Nigeria, and many other African countries that have a single official language, as many as 90% of the population may be regularly using more than one language. (409--10)


 引用にもあるとおり,日本は世界でも最も典型的な単一言語国家とみなされるがちだ.しかし,少数言語としてアイヌ語や,朝鮮・韓国語その他の移民言語,日本手話などの手話言語も行われている.また,琉球語なのか琉球方言なのかという問いの答えいかんによっては,その話者のすべてが標準日本語を理解するという意味において,2言語使用者と呼びうる.また,ビジネスなどで英語や中国語などを常用する多くの日本語母語話者の日本人も,日本国内外の多言語使用に貢献している人々であるとみなすことができる.程度の差こそあれ,日本も世界の他の地域と同様に多言語使用地域であるという認識は重要だろう.
 日本の多言語使用状況については,EthnologueJapan を参照されたい.

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

Referrer (Inside): [2016-01-08-1] [2014-11-12-1]

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