[2012-01-06-1]の記事「#984. flat adverb はラテン系の形容詞が道を開いたか?」で,細江 (127) の述べている「ラテン系の形容詞が副詞代用となる例を開いた」がどの程度事実なのかという問題意識をもった.この問題をしばらくおいておいたところ,先日 Schmitt and Marsden (57) に次のような記述を見つけた.
Most adverbs of manner in Modern English have the suffix -ly. This derives from Old English lice (meaning "like"), which went through several changes before it was eventually reduced to -ly. Many adverbs in Modern English derive directly from their Old English versions: boldly, deeply, fully, openly, rightly. Others come from the great period of adverb formation in English in the later 16th century, when many adjectives were simply converted to adverbs with zero inflection. These included many so-called "booster" adverbs, such as ample, extreme, detestable, dreadful, exceeding, grievous, intolerable, terrible, and vehement. But others were supplied with -ly from the start (horribly, terribly, violently), and use of the inflection gradually gained ground. During the 18th century, the pressure for normalization ensured that the suffix became the rule. We still use this suffix regularly today to make new adverbs from adjectives.
つまり,16世紀後半に,形容詞からゼロ派生した単純副詞 (flat_adverb) の増大した時期があったという指摘である.細江の言及も近代英語期を念頭においているようなので,Schmitt and Marsden と同一の事実について語っていると見てよいだろう.ラテン系の形容詞とは明示していないが,例に挙げられている9語のうち dreadful を除く8語までが,(フランス語経由を含む)ラテン系借用語である.
詳しくはさらに多方面の調査を要するが,-ly 副詞と単純副詞の発展の概略は次のようになるだろうか.古英語期より発達してきた副詞接尾辞 -ly は中英語期になって躍進した.一方,古英語の別の副詞接尾辞 -e が消失したことにより生じた単純副詞の使用も,中英語期にすぐに衰えることはなかった.むしろ,初期近代英語期には,ラテン系借用語による後押しもあり,単純副詞の種類は一時的に増大した.しかし,単純副詞には,現代にも続く口語的な connotation が早くからまとわりついていたようで,18世紀に規範主義的文法観が台頭するに及び,非正式な語形とみなされるようになった.その後,-ly が圧倒的に優勢となり,現在に至っている.
なお,副詞接尾辞 -ly に関する話題については,本ブログでも -ly suffix adverb の各記事で取り上げてきたので,参照されたい.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.
昨日の記事[2012-05-05-1]に引き続き grey eyes の話題.昨日は,中英語ロマンスの grey eyes について考えたが,この共起表現は現代にも続いている.BNCWeb で,"(grey|gray) {eye/N}" として検索すると,287例がヒットした.grey eyes がさらに別の形容詞に先行されている例をみると,clear, dark, deep, pale が比較的多い.beautiful や bright の例もわずかながらあった.
このような例から判断すると,grey 自体は輝きの有無を表わす意味を担当していないように思われる.もし担当しているとすれば,むしろ pale 寄りの「薄い,輝きのない」という解釈に引き寄せられるだろう.英英辞書で確認する限り,現代英語の grey の一般的な語感は,日本語のそれとよく似て,negative だからだ.老年,陰気,病気,憂鬱,退屈,悪天候のイメージだ.したがって,現代英語の grey eyes は,negative なニュアンスを特に含意しない読みを求めるとするならば,純粋に色としての「灰色」あるいは「青みのいくぶん混じった灰色」を表わすものと考えられる.あるいは,grey eyes は,意味の薄まった共起表現の伝統として用いられているにすぎないという可能性もあるかもしれない.
すると,ますます中英語の美女の典型的な描写としての grey eyes がわからない.もし,MED や Silverstein が述べている通り,中英語の grey が輝きを表わしたのだとすれば,現代英語の輝きのない grey は180度の意味変化を経たことになる.
色は gradation を描くものであり,かつて覆っていた範囲や意味を推定して復元することは,なかなか難しい.英語のみならず日本語においても,色彩語を巡る議論は厄介である.
なお,中世の美女の典型的な描写を示しておこう.Brewer (258) は,Matthew of Vandôme による Helen of Troy の描写が,以下の要約の通り,1つの型であるとしている.
. . . her hair is golden, forehead white as paper, eyebrows black and thin. The space between the eyes (in contrast to the Greek ideal) is white and clear, a 'milky way'; the face is a shining star; the eyes are like stars. She has a little smile, a nose neither too big nor too small. Her face is rosy, her colouring white and red, like rose and snow. Teeth are like ivory, lips are small, slightly swelling, honeyed. Her mouth smells like a rose, her neck is smooth, shoulders radiant, well-spaced (dispatiati), breasts small, and figure incomparable.
こんな女性,いるんでしょうか,ぜひ会ってみたい・・・.
・ Silverstein, Theodore, ed. Sir Gawain and the Green Knight. Chicago: U of Chicago P, 1983.
・ Brewer, D. S. "The Ideal of Feminine Beauty in Medieval Literature, Especially 'Harley Lyrics', Chaucer, and Some Elizabethans." The Modern Language Review 50 (1955): 257--69.
中英語ロマンスを読んでいると,ヒロインが grey eyes をもつ美女として描写されることが多い.美女の描写であるから,grey eyes が具体的にどのような瞳を表わしているのか,ぜひ知りたいと思うのだが,これが案外と難しい問題である.中世と現代とで美的感覚が異なることはおおいにあり得るとしても,「灰色の瞳」とは本当に美しいものなのだろうか.あるいは,中英語の grey の表わす意味が,現代英語の grey とは異なっていたという可能性はないだろうか.
例えば,Sir Gawain and the Green Knight の ll. 81--84 の "wheel" 部では,アーサー王妃 Guenevere が grey eyes をもつ美女として描かれている(Andrew and Waldron 版より引用).
Þe comlokest to discrye
Þer glent with yȝen gray;
A semloker þat euer he syȝe
Soth moȝt no mon say.
この gray の解釈は,編者によっても異なっている.Andrew and Waldron はグロッサリーで "(of eyes) blue-grey" としており,「青みがかった灰色」と解釈している.Gollancz, Barron, Tolkien and Gordon は,現代英語の grey と同一であるとしており,「青み」を積極的に排除しているわけではないが,基本的には「灰色」とみなしていることになる.grey eyes は灰色の瞳を指すという素直な解釈は,OED でも語義3において "Having a grey iris" として採用されている.
しかし,MED では grei (adj. & n.) では,異なる解釈が示されている.語義 2 (b) で,"of eyes: bright, gleaming (of indeterminate color)" とあり,色合いではなく光り輝く様を記述する形容詞とされている.同じ解釈は Silverstein によっても示されており,"With lively, sparkling eyes" として注が与えられている.中英語には,greye as glas (The General Prologue, l. 152 の Prioress や,The Reeve's Tale, l. 3974 の粉屋の娘の形容)や grey as crystalle stone などの表現もみつかるし,「星のような目」という描写も広く見られることから,瞳の色合いそのものよりはその輝きに注目して美しさを表現するという伝統があったのかもしれない.
西洋中世における美女描写の伝統については Brewer が詳しいが,12世紀より前には,文学上,さして重要な伝統とはされていなかったという.しかし,以降は,典型的な描写の伝統が中世の終わりまで続いた.その伝統の上に,時に革新的な表現が現われた.例えば,"whiter than the swan" のような美女の形容は中英語における創案とされる (Brewer 262) .一方,grey eyes はフランス語で創案された des yeux vaires の翻訳だろうといわれている.ただし,この vaires なる形容詞の解釈も,色合いと輝きのいずれを表わしたのか不明であり,grey eyes の解釈に必ずしもヒントを与えてくれない.
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
・ Gollancz, Israel, ed. Sir Gawain and the Green Knight. EETS os 250. 1950.
・ Tolkien, J. R. R. and E. V. Gordon, eds. Sir Gawain and the Green Knight. 2nd ed. Rev. Norman Davis. Oxford: Clarendon, 1967.
・ Barron, W. R. J., ed. Sir Gawain and the Green Knight. Manchester: Manchester UP, 1974.
・ Silverstein, Theodore, ed. Sir Gawain and the Green Knight. Chicago: U of Chicago P, 1983.
・ Brewer, D. S. "The Ideal of Feminine Beauty in Medieval Literature, Especially 'Harley Lyrics', Chaucer, and Some Elizabethans." The Modern Language Review 50 (1955): 257--69.
昨日の記事[2012-04-30-1]で Farsi による「#1099. 記述の形容詞と評価の形容詞」の区分を見た.記述的な Class A,評価的な Class B,両性質を兼ね備えた Class C という区分は,共時的な観点からの区分だが,それぞれのクラスに属する形容詞を対照して眺めていると,通時的な意味合いが浮き上がってくる.Farsi は次の2点を指摘する (56--58) .
(1) Class A から Class C へと所属変更した形容詞がいくつかある.もともとは記述的な "concerning X" ほどの語義を有していた Class A 形容詞が,評価的な "worthy of X" ほどの語義を獲得し,新旧の語義を合わせもつ結果となっている.English, American, Christian, logical, philosophical, scientific などが,このような通時的経過をたどった.
(2) 上記のような例から推測するに,現在 Class A に属する形容詞が,将来,評価的な意味を獲得して Class C へ移行するということがあり得るのではないか.例えば,phonemic は「音素の」という記述的な語義をもつ典型的な Class A 形容詞だが,音素という考え方を軽視する音韻論を批判的に指して *unphonemic と表現すれば,その裏返しとしての *phonemic も評価的な語義を獲得することになり,Class C と認定されることになる.Class A に属するどの形容詞にも,評価的語義を獲得する機会は開かれている.
Class A から Class C への通時的移行,あるいは意味の発展は,使用域 (register) に応じてみられる記述的語義と評価的語義のあいだの揺れという共時的な事実として表出してくる.例えば,mental は標準的な用法では記述的だが,非標準的な用法では評価のこもった「精神のおかしい」という意味を帯びる.aesthetic は通常は記述的にも評価的にも用いられるが,美学の文脈では,もっぱら記述的に用いられるだろう.
Farsi は,Class A から Class C への方向しか取り上げていないが,論理的にはそれ以外の方向の変化もあり得るとは述べている.しかし,非評価的な語が評価的な語義を帯びるという意味変化は,その逆よりも遥かに多いだろうと直感される.客観から主観への方向を主張する文法化 (grammaticalisation) しかり,[2011-03-11-1]の記事「#683. semantic prosody と性悪説」で示唆した人間の批判精神しかり.Hotta (2011) で調査した形容詞接尾辞 -ish の軽蔑的意味の獲得でも,関連する問題を扱った([2009-09-07-1]の記事「#133. 形容詞をつくる接尾辞 -ish の拡大の経路」も参照).Farsi の形容詞の分類は,このように,意味変化の方向の問題,意味変化と使用域の問題などにも示唆を与えてくれる.
もう1つ,通時態との関連で議論しておきたいのは,Farsi の分類と借用あるいは語種との関係である.昨日の記事の冒頭でも述べたが,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) やその他の三層構造の記事で見てきたとおり,本来語は評価的で,(Greco-Latin 系)借用語は記述的であるような語のペアが多い.このような共時的な分布を通時的な観点から解釈すると,次のような歴史を仮定することができるのではないか.古英語では,形容詞はほぼ本来語のみであり,意味にしたがって Class A, B, C の3種類があった.中英語以降,フランス語やラテン語から大量の形容詞が借用され([2011-02-16-1]の記事「#660. 中英語のフランス借用語の形容詞比率」),その多くは記述的語義をもっていたため,Class A や Class C に属していた本来語はその圧力に屈して対応する記述的語義を失っていった.つまり,本来語は主として評価的語義をもった Class B に閉じ込められた.一方,借用語も次第に評価的語義を帯びて Class B や Class C へ侵入し,そこでも本来語を脅かした.その結果としての現在,借用語はクラスにかかわらず広く分布しているが,本来語は主要なものが Class B に属しているばかりである.
以上が大雑把な仮説である.「本来語」や「借用語」は,より正確には「本来形態素」や「借用形態素」と呼ぶほうがよいかもしれないし,behavioural や mannerly などの混種語 ( hybrid ) の扱いを仮説内でどのように位置づけるべきかも考える必要がある.昨日掲げた Farsi の形容詞リストがどのように作成されたもので,どの程度網羅的なのかなども検証する必要があろう.
評価的語義の獲得,使用域,本来語と借用語―――このような問題の交差点として,Farsi の形容詞分類をとらえなおすことができるように思われる.英語語彙の三層構造を理解するためにも,そして日本語語彙の三層構造([2010-03-28-1]の記事「#335. 日本語語彙の三層構造」)の理解のためにも,魅力あるテーマとなりそうだ.
・ Farsi, A. A. "Classification of Adjectives." Language Learning 18 (1968): 45--60.
・ Hotta, Ryuichi. "The Suffix -ish and Its Derogatory Connotation: An OED Based Historical Study." Journal of the Faculty of Letters: Language, Literature and Culture 108 (2011): 107--32.
[2011-12-21-1]の記事「#968. 中英語におけるフランス借用語の質的形容詞」で触れたように,形容詞を意味の上で大きく二分すると,評価を表わす qualitative adjective (QA) と関係を示す relational adjective (RA) とが区別される.QA と RA の意味,形態,統語における特徴の違いにも興味があったが,それ以上に語種(本来語か借用語か)との関係が気になっていた.というのは,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) やその他の三層構造の記事で言及してきた通り,本来語は評価的,主観的で,(Greco-Latin 系)借用語は記述的,客観的であるのが英語語彙の典型とされているからだ.形容詞はその区別がとりわけ表出しやすい語類であるように思われる.
この問題に関連して Farsi の論文を読んでみた.Farsi は,QA や RA という用語こそ使っていないが,"descriptive adjective" として Class A を,"evaluative adjective" として Class B の区分を設けた.さらに,両方の性質(より正確には両方の語義と語法)を兼ね備えた Class C をも設けて,英語の形容詞を鮮やかに分類した.理解しやすく,説得力があり,形容詞に関連する諸問題に示唆を与える卓論と評価したい.Class A, B, C の例を示そう.
Class A | Class B | Class C |
---|---|---|
affective | affectionate | academic |
appositive | apposite | aesthetic |
behavioural | mannerly | American |
bibliographic | bookish | artistic |
cardiac | hearty | British |
causal | effectual | Christian |
ceremonial | ceremonious | cinematic |
commemorative | memorable | civil |
conceptual | thoughtful | constitutional |
connective | coherent | conventional |
consonantal | consonant | critical |
continental | continent | demonstrative |
corrective | correct | diplomatic |
cultural | cultured | dramatic |
deductive | seductive | emotional |
dental | toothsome | English |
devotional | devout | ethical |
doctrinal | docile | formal |
durative | durable | French |
elective | eligible | grammatical |
entrepreneurial | enterprising | historical |
evaluative | valid | human |
experiential | experienced | legal |
factual | accurate | literary |
fiduciary | faithful | logical |
financial | lucrative | Marxian |
genealogical | genteel | moral |
generative | degenerate | musical |
generic | generous | parliamentary |
governmental | ruly | philosophical |
gustatory | tasteful | poetic |
inflexional | flexible | professional |
interrogative | inquisitive | rational |
intonational | tuneful | religious |
juridical | just | royal |
legislative | legitimate | sanitary |
manual | handy | scientific |
mental | sane | social |
methodological | methodical | spiritual |
modal | modish | theatrical |
morphological | shapely | |
nutritional | nutritious | |
observational | observant | |
olfactory | savoury | |
optical | sightly | |
ostensive | ostentatious | |
palatal | palatable | |
pecuniary | pecunious | |
pedagogic | pedantic | |
penitential | penitent | |
perceptual | perceptive | |
pictorial | picturesque | |
residential | homely | |
retributive | rewarding | |
semantic | significant | |
sensory | sensitive | |
sociological | sociable | |
stylistic | stylish | |
supervisory | watchful | |
syntactic | orderly | |
tactile | tactful | |
temporal | timely | |
theological | godly | |
urban | urbane | |
verbal | verbose | |
verificatory | veracious | |
visual | conspicuous | |
vocalic | equivocal | |
vocative | provocative | |
volitional | willing |
A word which can occupy the position between an article and a noun and the position after a linking verb and which cannot be transposed with the noun it modifies is an adjective if it contains a typical adjective-forming suffix or takes the comparative and superlative suffixes or adds the suffix -ly to form an adverb.
では,この区分のもつ通時的な implication は何か,語種との関係はどうなっているか.この問題は明日の記事で考える.
・ Farsi, A. A. "Classification of Adjectives." Language Learning 18 (1968): 45--60.
標題は,先日素朴な疑問への投稿に寄せられた質問.基数詞 five に対して序数詞 fifth であるのはなぜか.基数詞 twelve に対して序数詞 twelfth であるのはなぜか,というのも同じ問題である.
今回の疑問のように「基本形 A に対して,関連する A' が不規則形を帯びているのはなぜか」というタイプの問題は少なくないが,問題提起を逆さに見るほうが歴史的事実に対して忠実であるということが,しばしばある.今回のケースで言えば,「 /v/ をもつ基数詞 five に対して,関連する序数詞が不規則な /f/ をもつ fifth となっているのはなぜか」ではなく「 /f/ をもつ序数詞 fifth に対して,関連する基数詞が不規則な /v/ をもつ five となっているのはなぜか」と考えるべき問題である.歴史的には fifth の /f/ は自然であり,five の /v/ こそが説明を要する問題なの である.
古英語に遡ると,基数詞「5」は fīf であり,基数詞「12」は twelf だった.綴字に示されている通り,語尾は無声音の [f] である(cf. 現代ドイツ語の fünf, zwölf).古英語で序数詞を作る接尾辞は -(o)þa だったが,この摩擦子音は [f] の後では破裂音 [t] として実現され,古英語での対応する序数詞は fīfta, twelfta として現われた.中英語以降に,他の序数詞との類推 (analogy) により t が th に置き換えられ,現代英語の fifth, twelfth が生まれた.
もう1つ説明を加えるべきは,古英語で「5番目の」は fīfta と長母音を示したが,現在では短母音を示すことだ.これは,語末に2子音が後続する環境で直前の長母音が短化するという,中英語にかけて生じた一般的な音韻変化の結果である.同じ音韻変化を経た語を含むペアをいくつか示そう.現代英語ではたいてい母音の音価が交替する.([2009-05-14-1]の記事「#16. 接尾辞-th をもつ抽象名詞のもとになった動詞・形容詞は?」も参照.)
・ feel -- felt
・ keep -- kept
・ sleep -- slept
・ broad -- breadth
・ deep -- depth
・ foul -- filth
・ weal -- wealth
・ wide -- width
fifth については,このように接尾辞の子音の声や語幹の母音の量に関して多少の変化があったが,語幹の第2子音としては古英語以来一貫して無声の /f/ が継承されてきており,古英語の基数詞 fīf からの直系の子孫といってよいだろう.
では,次に本質的な問題.古英語の基数詞 fīf の語末子音が有声の /v/ となったのはなぜか.現代英語でもそうだが,基数詞は「5」のように単独で名詞的に用いられる場合と「5つの」のように形容詞的に用いられる場合がある.古英語では,形容詞としての基数詞は,他の通常の形容詞と同様に,関係する名詞の性・数・格・定不定などの文法カテゴリーに従って特定の屈折語尾をとった.fīf は,当然ながら,数のカテゴリーに関して複数としての屈折語尾をとったが,それは典型的には -e 語尾だった(他の語尾も,結局,中英語までには -e へ収斂した).古英語では,原則として有声音に挟まれた無声摩擦音は声の同化 (assimilation) により有声化したので,fīfeの第2子音は <f> と綴られていても [v] と発音された.そして,やがてこの有声音をもつ形態が,無声音をもつ形態を置き換え,基本形とみなされるようになった.twelve についても同様の事情である.実際には,基数詞の屈折の条件は一般の形容詞よりも複雑であり,なぜ [v] をもつ屈折形のほうが優勢となり,基本形と認識されるようになったのかは,別に説明すべき問題として残る.
数詞のなかでは,たまたま five / fifth と twelve / twelfth のみが上記の音韻変化の条件に合致したために,結果として「不規則」に見え,変わり者として目立っている.しかし,共時的には不規則と見られる現象も,通時的には,かなりの程度規則的な変化の結果であることがわかってくる.規則的な音韻変化が不規則な出力を与えるというのは矛盾しているようだが,言語にはしばしば観察されることである.また,不規則な形態変化が規則的な出力を与える(例えば類推作用)というのもまた,言語にはしばしば観察されるのである.
最近書いてきた flat_adverb の記事では,主として現代英語の単純形と -ly 形の副詞に焦点を当ててきたが,中英語での状況を Chaucer を頼りに覗いてみたい.
中英語では,確かに -ly 形は増えてきてはいたものの,単純形が現代英語よりもずっと幅を利かせていた.[2012-01-06-1]の記事「#984. flat adverb はラテン系の形容詞が道を開いたか?」の冒頭で概説したように,単純形副詞は形容詞の語幹に副詞接尾辞 -e を付すことによって形成されていたが,中英語ではこの肝心の -e 語尾がしばしば消失にさらされたために,形容詞と形態的な区別がつきにくくなっていた.しかし,だからといってすぐに -ly 形に取って代わられたわけではなく,loude, cleere, faste, faire, smal など多くの語が,いまだに副詞の役を務めていた.例えば,次の couplet の最後の smal は形容詞 "small" ではなく "finely" ほどを意味する副詞である(以下の Chaucer からの引用は,すべて Horobin, pp. 121--23 で挙げられている例を再現したもの).
Of orpyment, brent bones, iren squames,
That into poudre grounden been ful smal; (G 759--60)
ほかにも一見すると形容詞と読み違えてしまいそうな副詞の使用例を挙げよう.
・ That al his love is clene fro me ago (F 626)
・ The fires breene upon the auter cleere (A 2331)
・ Thanne shaltow hange hem in the roof ful hye (A 3565)
韻律上の要請による場合も多かっただろうが,このように単純形は健在だった.ただし,この時代,-ly の勢いが増してきたことは先述の通りで,両形が併用された副詞も少なくない.-ly の前身である -lich(e) という古形を保っている例すら見られ,1つの形容詞に対して最大3種類の副詞形が共存し得たことになる."newly" に相当する以下の例を参照.
・ This carpenter hadde wedded newe a wyf (A 3221)
・ This knyght was comen all newely (RR 1205)
・ that oother of hem is newliche chaunged into a wolf (Boece IV, met. 3)
現代英語では,単純副詞 new は,new-laid eggs, new-mown hay などに複合語に見られるばかりである.wedded newe の collocation については,現代英語の newly-weds (新婚さん)を参照.関連記事「#528. 次に規則化する動詞は wed !?」 ([2010-10-07-1]) もどうぞ.
・ Horobin, Simon. Chaucer's Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007. (esp. pp. 105--07.)
[2012-01-03-1]の記事「#981. 副詞と形容詞の近似」で,The sun shines bright. という構文をどう解釈するか,bright を副詞とみるか形容詞とみるかについて触れた.この問題を別の角度からみると,The sun shines bright. と The sun shines brightly. は,解釈の上でどのように異なるかという問題につながる.先日の記事では,慣用表現として統語分析になじまないと逃げを打ったが,千葉 (80)によれば,実際,この問題は厳密に論じるに値しないと考える研究者も少なくないようである.
とはいえ,文法家が気にかけていることは事実だ.千葉 (80) は,類似する構文の多いことを指摘している.
(1) He died happy / happily.
(2) He arrived safe / safely.
(3) He sat silent / silently.
(4) The wind blew cold / coldly.
(5) He stood silent / silently.
(6) He slept very sound / soundly.
(7) The rose smells sweet / sweetly.
ここで (7) を例に取ると,伝統文法では単純形(=形容詞) sweet を用いるのが通例とされ,動詞 smells は不完全自動詞あるいは linking verb と解釈される.バラの匂いが甘いという読みになる.一方,-ly 形(=副詞) sweetly を用いる例もないではないが,この場合には smells は完全自動詞と解釈される.そして,この場合にはバラの匂い方が甘いという読みになると言われる.しかし,実際上は両者の差は微妙であり,sweetly を用いた場合にも,結局のところ,バラの匂いが甘いという読みとなるのが,一般の話者の感覚である.表出する知的意味に過大な差異を認めることは難しいというべきだろう.
知的意味としては大差なく,どちらでもよいと片付けるのが妥当と思われるが,含蓄的意味には違いが生じるので,もう少し詳しく論じる必要がある.単純形を用いるか -ly 形を用いるかは,力点の置き方に微妙な差を生み出す.単純形だと主語について叙述するという気持ちが強く,-ly 形だと動作の仕方へ関心が向く,という傾向はもちろんあるだろうが,ここから湧き出る文体的効果の違いとはいかなるものだろうか.
一般に形容詞は具体的,端的,力強い表現力をもち,副詞はより抽象的,間接的であるといわれる.形容詞は「いきいき」「きびきび」している.千葉 (81) は次の文で,末尾の連続する形容詞が -ly 形だったら,描写に力強さがなくなるだろうと述べている.
Sometimes there was a lull, and flake after flake descended out of the black night air, silent, circuitous, interminable. (R. L. Stevenson, A Lodging for the Night の冒頭より)
ここで,-ly 形を代用することは完全に文法にかなっており,文の知的意味を損なうこともないが,急に味わいは消え失せる.
副詞を用いるか形容詞を用いるかの違いは,伝統文法の用語でいえば,第1文型と第2文型の差に対応する.つまり,-ly 形と単純形の問題は,動詞とその動詞がとる文型の問題と連結していることがわかる.しかし,上述のように,この差は統語の問題というよりは,文体や修辞の問題としてとらえるほうがよいのかもしれない.
ただし,統語的な問題として扱う余地が残されていることも,最後に触れておきたい.特に米口語において flat adverb が増えてきているという事実は,[2012-01-04-1]の記事「#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb」以来,flat_adverb のいくつかの記事で取り上げてきたように本来は語感や語勢の問題だったものが,場合によっては文型の問題へすり替わる可能性を秘めているということを示唆する.千葉 (79) が「Curme のいう様に linking verb が増加の一途をたどるといつてよいのではないか」と評しているとおり,動詞のとる文型の通時的変化という英語史上の問題につながるトピックなのかもしれない.
・ 千葉 庸夫 「表現上からの Predicate Adjective と Adverb」 『岡山大学法文学部学術紀要』第8号,1957年.78--82頁.
年が明けて以来,flat_adverb についていくつか記事を書いてきた.調べているうちに諸々の話題が集まってきたので,雑記として書き残しておきたい.
(1) 「主にくだけた口語で用いられ,本来の副詞より端的で力強い表現」(小西,p. 507);「単純形副詞がよく用いられるのは,文が比較的短く,幾分感情的色彩がある場合で,口語体ではより力強い表現として好まれる傾向がある: It hurts bad. / Take it easy. / Go slow.」(荒木, p. 522)
(2) 米の口語・俗語で多用されることは既述だが,さらに例を挙げる(荒木,pp. 86, 91).ex. act brave, dance graceful, land safe, work regular, sit tight, mighty dangerous, reasonable busy, moderate good luck, everlasting cold, get ugly drunk, hustlingest busy; I see things different than I used to.; You are plain lucky.
(3) 歌曲の題名などで臨時的に用いられる.ex. "Love Me Tender", "Treat me nice".
(4) 副詞としての very の起源が示すとおり ([2012-01-12-1], [2012-01-13-1]) ,名詞を修飾する類義の形容詞の連続において,前の形容詞が後の形容詞を修飾する副詞として異分析される例がみられる (ex. an icy cold drink, a blazing hot fire) .さらに,名詞がなくとも独立して burning hot, soaking wet, dazzling white なども見られる(大塚,p. 589).
(5) 形容詞と副詞が同形のペアには5種類あり,以下の iii, iv 辺りが典型的に flat adverb と呼ばれるものだろう (Huddleston and Pullum 568) .
i daily, hourly, weekly, deadly, kindly, likely
ii downright, freelance, full-time, non-stop, off-hand, outright, overall, part-time, three-fold, wholesale, worldwide
iii bleeding, bloody, damn(ed), fucking
iv clean, clear, dear, deep, direct, fine, first, flat, free, full, high, last, light, loud, low, mighty, plain, right, scarce, sharp, slow, sure, tight, wrong
v alike, alone, early, extra, fast, hard, how(ever), late, long, next, okay, solo
(6) flat adverb と -ly adverb では,分裂文 (cleft sentence) で焦点化された場合の容認可能性が異なる.flat adverb は,動詞句と分断されることにより形態だけでは副詞とわかりにくくなるために,容認度が低くなるのではないか(荒木,p. 522).
*It was slow that he drove the car into the garage. vs It was slowly that he drove the car into the garage.
*It was loud that they argued. vs It was loudly that they argued.
ただし,flat adverb が等位接続されたり別の語で修飾されると,副詞であることが明確になり,容認されやすい.ex. It was loud and clear that he spoke.; It was extremely loud that they argued.
(7) A and B と形容詞を等位接続すると,A-ly B ほどの意となる二詞一意 (hendiadys) の例も,形容詞の副詞化という現象の一種としてとらえることができそうだ(大塚,pp. 531, 589).ex. nice and cool (= "nicely cool"), good and tired (="well tired"), rare and hungry (="quite hungry").
・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
・ 荒木 一雄,安井 稔 編 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
・ 石橋 幸太郎 編 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
昨日の記事[2012-01-12-1]に引き続き,強意の副詞 very の歴史について付言.昨日は,very が統語的に形容詞とも副詞ともとれる環境こそが,副詞用法の誕生につながったのではないかという Mustanoja の説を紹介した.MED も同様に考えているようで,"verrei (adj.)" の語源欄にて,解釈の難しいケースがあることに触れている.
When verrei adj. precedes another modifier, it is difficult if not impossible to distinguish (a) the situation in which both function as adjectives modifying the noun, from (b) that in which the modifier nearest the noun forms a syntactic compound with it (which compound is modified by verrei) and from (c) that in which verrei functions as an adverb modifying the adjective immediately following; some exx. of (a) and (b) now in this word may = (c) and belong to verrei adv.
例えば,a verrai gentil man という句で考えれば,(a) の読みでは "a true gentle man",(b) では "a true gentleman",(c) では "a truly gentle man" という現代英語の表現に示される統語構造の解釈となる.この種の境目のあいまいな構造から,異分析 (metanalysis) の結果,副詞としての very が発達したと考えられる.
しかし,ここで起こったのは形容詞から副詞への品詞転換 (conversion) にすぎず,「真実,本当」という原義はいまだ保持していた.とはいえ,「真実に,本当に」の原義から「とても,非常に」の強意の語義への道のりは,きわめて近い.語義間の差の僅少であることは,MED "verrei (adv.)" の 2 の (a) から (d) に与えられている語義のグラデーションからもうかがい知れる.各語義を表わす例と文脈を見比べても,互いに意味がどう異なるのか,にわかには判断できない.
「真実に」か「とても」かの僅差を実感するには,今日でも用いられる手紙の "sign-off" の文句の例が適当だろう.very の副詞としての用法が発達した初期の例として,Paston Letters の締めの文句 Vere hartely your, Molyns がある.ここでは hartely は "sincerely, affectionately" ほどの意で,vere は「真実に」の原義と,単純に強意を示す「とても」の語義とが共存している例と解釈したい (Room 278) .
以上のように,very は,フランス語形容詞の借用→形容詞「真実の」→副詞「真実に」→副詞「とても」へ,用法と語義を発展させてきた.しかし,現在,発展の最終段階ともいうべきもう1つの変化が進行中である.それは強意語の宿命ともいえる意味変化なのだが,肝心の強意がその勢いを弱めてきているというものである.以下は,シップリーの mere の項で触れられているコメント.
very (非常に)はほとんど力のない言葉になってしまった.I'm very glad to meet you. (お会いできてとてもうれしい)は,I'm glad to meet you. (お会いできてうれしい)よりも,しばしば誠意に欠ける表現となることがある.
very の意味変化には,語の一生のドラマが埋め込まれている.いや,一生というには時期尚早だろう.なんといっても,very は,今,最盛期にあるのだから.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
[2012-01-04-1]の記事「#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb」で,本来,形容詞である good や real が,主として米口語で副詞として用いられるようになってきていることに触れた.形容詞から副詞へ品詞転換 (conversion) した最も有名な例としては,強意語 very を挙げないわけにいかない.
very は,現代英語で最頻の強意語といってよいだろう.Frequency Sorter によれば,BNC における very の総合頻度は86位である.しかし,この語が強意の副詞として本格的に用いられ出したのは15世紀以降であり,中英語へ遡れば主たる用法は「真の,まことの,本当の」を意味する形容詞だった.それもそのはずで,この語は古フランス語の同義の形容詞 ve(r)rai を借用したものだからである(現代フランス語では vrai).英語での初例は,c1275.この語義は,in very truth, Very God of very God などの慣用句中に残っている.14世紀末には,定冠詞や所有格代名詞を伴って「まさにその,全くの」を意味する強意語としても用いられ始め,この用法は現代英語の the very hat she wanted to get, at the very bottom of the lake, do one's very best などにみられる.
一方,早くも14世紀前半には,上記の形容詞に対応する副詞として「真に,本当に」の語義で very の使用が確認されている.なぜ形容詞から副詞への転換が生じたかという問題を解く鍵は,that is a verrai gentil man (Gower CA iv 2275), he was a verray parfit gentil knyght (Ch. CT A Prol. 72), this benigne verray feithful mayde (Ch. CT E Cl. 343) などの例に見いだすことができる.ここでの very の用法は,続く形容詞と同格の形容詞である.しかし,意味的にも統語的にも,第2の形容詞を強調する副詞と解釈できないこともない.つまり,異分析 (metanalysis) が生じたと疑われる.このような句が慣習的に行なわれるようになると,修飾されるべき名詞がない統語環境ですら very が形容詞に先行し,完全な副詞として機能するに至ったのではないか.また,verray penitent や verray repentaunt などのように,very が,名詞的に機能しているとも解釈しうる形容詞を修飾するような例も,この品詞転換の流れを後押ししたと考えられる.そして,15世紀には強意の副詞として普通になり,16世紀後半までにはそれまで典型的な強意の副詞であった full, right, much を追い落とすかのように頻度が高まった.
以上,Mustanoja, pp. 326--27 を参考に記述した.1つの説得力のある議論といえるだろう.中英語で用いられた他の多くの強意副詞も,その前後のページで細かく記述されているので参考までに.
考えてみれば,[2012-01-04-1]でみた現代米口語の副詞的 real もかつての ve(r)rai と同様,フランス借用語であり,かつ「真の,まことの,本当の」を意味する形容詞である.a real good soundtrack などの表現をみるとき,上述の Mustanoja の very に関する議論がそのまま当てはまるようにも思える.歴史が繰り返されているかのようだ.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
flat adverb の起源については,[2009-06-07-1]の記事「#40. 接尾辞 -ly は副詞語尾か?」や[2012-01-03-1]の記事「#981. 副詞と形容詞の近似」で簡単に触れてきた.古英語では,形容詞の基体に語尾 -e が付加されて副詞として機能したが,その -e 語尾自体が音消失にさらされて結果的に無に帰したために,形容詞と同形の副詞が生まれることになった.これが,flat adverb の形態的な起源である.中英語以降,明示的な副詞語尾としての -ly の生産性も高まってきたが,flat adverb も決して廃れることなく,現在にまで存続している.
以上が flat adverb の概略的な歴史だが,ここに興味深い問題がある.flat adverb は現在ではたいてい日常語・口語・俗語の響きを伴うが,このような register 上の特徴は歴史上いかにして生じてきたのだろうか.flat adverb の発達史を詳しく調べれば解決できる問題かもしれない.
この問題と関連するかもしれないが,細江 (127--28) は,-e 語尾の消失により,副詞と形容詞が同形となったことに言及した後で,次のように述べている.
こういうふうに土着の語で,形容詞と副詞とが形態上の別を失った後,〔中略〕外国語の勢力も加わって,ラテン系の形容詞が副詞代用となる例を開いた.次のごときは実にその例である.
Thou didst it excellent.---Shakespeare.
Grow not instant cold.---ibid.
今日でも俗語ではこの例が非常に多い.たとえば,
She talks awful.---Mark Twain.
You must ha' been an uncommon nice boy.---Dickens.
The mountains proved exceeding high.---H. R. Haggard.
ばかりでなく,今日りっぱに文語中に入っているものも少なくはない.たとえば,
Quick as thought I switched on the light.--Kaye-Smith.
And doubtless there was more in him than met the eye, as is the way with great men.---Chesterton.
引用の「ラテン形の形容詞が副詞代用となる例を開いた」とは,比喩的な謂いだろうか,あるいは歴史的事実を表現したものだろうか.特にこの箇所で参考文献が与えられているわけではなく,真偽は定かではないが,気になる言及である.いずれ追究してみたい.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
過去2日の記事 (##981,982) で flat adverb の問題に言及してきたが,flat adverb と一口に言っても様々な種類がある.昨日挙げた例のなかだけでも,He ran good と real bad news とでは副詞としての用法が異なる.今回は『新英語学辞典』に従って,主として -ly adverb と比較しながら,flat adverb の種類を分類してみよう.
(1) flat adverb と -ly adverb の両方が用いられる場合に,意味を違えていることが多い.dear vs dearly, fast vs fastly, free vs freely, hard vs hardly, late vs lately, near vs nearly, pretty vs prettily などの例がある.
(2) 日常語・口語・俗語として,特にアメリカ英語で好まれる.次例のごとく,ひきしまった力強い感じを与えることが多い.
Alice's elbow was pressed hard against it.
But she did not venture to say it out loud.
Then they both bowed low.
I lighted the torch high.
Sure you won't change your mind and come and look for lions in Rhodesia?
I shall doubtless see you tomorrow.
(3) 主に強調語として他の語を修飾する.mighty cold, burning hot, real good ([2012-01-04-1]), terrible strong, dead tired.
(4) 比較の表現や直喩 (simile) においては,flat adverb の容認度が高くなる.
Come as quick as you can.
I can't stay longer.
He stared at me now as expressionless as a stone.
Silver leant back against the wall as calm as though he had been in church.
Helpless as a sheep, I moved along under his expert direction.
(5) binomial として,副詞が連続する場合.speak loud and clear, lose fair and square, be brought up short and sharp, etc. (Quirk et al. 406)
(6) 詩において.One road leads to the river, As it goes singing slow. (Masefield)
(7) flat adverb は -ly adverb と異なり,動詞の(あるいは目的語があればその)後位置に限られる.He drove slow.; We got the house cheap.
(8) be, appear, look, sound, feel, taste, smell, turn, run, grow, prove, remain などの第1文型も第2文型も取り得る動詞に後続する場合には,flat adverb か -ly adverb かによって文型が分かれる.The train appeared slow/slowly.; The boys looked eager/eagerly.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
昨日の記事「#981. 副詞と形容詞の近似」 ([2012-01-03-1]) の最後に触れた単純形副詞 (flat adverb) を取り上げる.対応する -ly 形が並存している場合,flat adverb は一般に略式的あるいは口語的であることが多いといわれる.規範的な観点からは,-ly を伴う語形が標準形であり,flat adverb は非難の対象とされるので使用を控えるべしとされるが,LGSWE (Section 7.12.2) によれば,以下のような例は会話コーパスでは普通に見られるという.
The big one went so slow. (CONV)
Well it was hot but it didn't come out quick. (CONV)
They want to make sure it runs smooth first. (CONV†)
特に good や real を副詞として用いる語法は,AmE の口語で広く聞かれる.LGSWE (Section 7.12.2.1) の記述によれば,good を well の意味に用いる例は,AmE の会話で圧倒的によく見られ,一方で書き言葉や BrE では稀である.really の代用としての real については,AmE の会話では really の半分ほどの頻度で使用されているというから,相当な普及度だ.コーパス中の絶対頻度でいえば,これは BrE の会話における really の頻度に匹敵するという.なお,BrE では real のこの用法は皆無ではないが,稀である.両者の例を LGSWE からいくつか挙げよう.
It just worked out good, didn't it? (AmE CONV)
Bruce Jackson, In Excess' trainer said, "He ran good, but he runs good all the time. It was easy." (AmE NEWS)
It would have been real [bad] news. (AmE CONV)
I have a really [good] video with a real [good] soundtrack. (AmE CONV)
例のように,good は動詞と構造をなして述部を作る用法,real は形容詞を強調する用法が普通である.
以上のように,現代英語において flat adverb はアメリカ英語の口語で用いられる傾向が強いことがコーパスから明らかとなっているが,この傾向と関連して[2011-01-12-1]の記事「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」で触れたアメリカ英語化 (Americanisation) と口語化 (colloquialisation) の潮流を想起せずにいられない.今後,good あるいは real に限らず,英語全体として flat adverb の使用が拡大してゆくという可能性があるということだろうか.合わせて,[2010-03-05-1]の記事「#312. 文法の英米差」の (5) も参照されたい.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
副詞と形容詞の機能的な区別はしばしば曖昧であり,それは形態上の不分明にもつながっている.例えば,The sun shines bright. という英文において,bright は動詞 shine を修飾する副詞と取ることもできれば,主格補語として機能する形容詞と取ることもできる.ただし,この bright を brightly としても同義であることを考えれば,副詞としての解釈が理に適っているように思われる.また,歴史的にみれば,この bright は副詞語尾 -e のついた beorhte のような語形が起源であり,そこから -e が音声変化の結果失われたために形容詞と同形になってしまったものと説明され,やはり副詞としての解釈に分がある(副詞を作る歴史的な -e 語尾と関連して,[2009-06-07-1]の記事「接尾辞 -ly は副詞語尾か?」を参照).
しかし,shine [glow, burn] bright は慣用的な表現であり,必ずしも明確な統語分析になじむわけではない.さらに,冒頭に述べたように,元来,副詞と形容詞は機能的にも形態的にも近似していることが多いのだから,峻別すること自体に意味があるのかどうか疑わしいケースもあるはずだ.
事実,印欧語の多くでは,形容詞が(しばしば中性形をとることで)そのまま副詞的機能を果たすことはよく知られている(細江,p. 127).上記の古英語の -e 語尾(与格語尾)による副詞化をはじめとして,ラテン語の nimium felix "exceedingly happy",フランス語の une fille nouveau-née "a new-born girl",イタリア語 Egli lo guardò fisso "He looked at him fixedly",ロシア語 horasho gavareet "to speak well" など,例は多い.以上から,副詞と形容詞の機能的および形態的な差がはなはだ僅少であることがわかるだろう.
英語では,特に中英語以降,屈折が全体的に衰退するにつれて,-e などの屈折語尾による副詞と形容詞の形態的な区別は失われた.そして,その代わりに,-ly などの明示的な副詞語尾が台頭してきた.現代英語でしばしば問題とされる "go slow" に見られるような,-ly 副詞ではない単純形副詞 (flat adverb) の用法も,上記のような類型論的および通時的文脈のなかで論じる必要がある.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
昨日の記事「#976. syntagma marking」 ([2011-12-29-1]) で取り上げた橋本萬太郎を知ったのは,先日の日本歴史言語学会にて,北海道大学の清水誠先生の「ゲルマン語の「nの脱落」と形容詞弱変化の「非文法化」」と題する研究発表のなかでその名前が触れられていたからである.
古英語や,部分的に中英語にも見られたゲルマン諸語の形容詞弱変化の典型的な語尾 -n が摩滅してゆくことによって,本来は性・数・格の一致という文法的機能を有していた弱変化の屈折体系が「非文法化」してゆく過程について論じる研究発表だった.-n を含む形容詞弱変化語尾が完全に消失してしまったのであれば非文法化も何もないわけだが,ぎりぎりのところで -e などの母音語尾が残っており,それでいてその語尾はかつてのような統語的な一致を示すわけではないという中途半端な段階が,いくつかのゲルマン語に見られる.例えば,アフリカーンス語では,かつての屈折語尾に由来する -e 語尾の有無は,形容詞語幹の形態的条件によって自動的に決まってくるものであり,統語的な条件は勘案されないという.
清水先生は,形容詞屈折語尾の非文法化とは,別の言い方をすれば,それが「形容詞+名詞」を連結する単なる「テープ」へ変容したということであると指摘する.「テープ」とは,形容詞と名詞の連結度を強めるために母音や -n を中間に挟み込むという syntagma marker としての働きにほかならない.それは音便 (euphony) としても役立つと思われ,統語的機能は限りなく弱いとしても,存在意義がまったくないということにはならなそうだ.また,多くのゲルマン語で,叙述用法では形容詞の屈折語尾が保たれにくいという事実が見られるが,これは関係する名詞との連結度が限定用法の場合よりも弱いためと説明できるだろう.
たまたま,目下,中英語の形容詞屈折体系の崩壊 (ilame) に関心があるので,崩壊の過程で化石的に残っていた形容詞屈折語尾は,あくまで syntagma marker として,つなぎの「テープ」として,機能していたにすぎない,と考えることができるかもしれないと,清水先生の発表を聴いて思った次第である.
中英語期のあいだ,形容詞屈折語尾は消失しそうになりながらも,しぶとく生きながらえていた.統語的な一致の意識がかろうじて残っていたゆえとも考えられるが,それとは別に,言語に普遍的な syntagma marking からの要求があったがゆえ,と想像することもできるかもしれない.speculative ではあるが,刺激的な議論となりうる.
・ 橋本 萬太郎 『現代博言学』 大修館,1981年.
12月17日,18日に,日本歴史言語学会の設立総会および第一回大会が大阪大学で開催された.関心があるので出席してみたが,いくつかの興味深い発表があった.特に,輿石哲哉氏の発表「英語の語形成史と形容詞のタイプについて」が語彙借用史の観点からおもしろかった.
形容詞には,意味的に2種類が区別されるという.1つは,評価を含み,程度を示すことのできる qualitative adjective (QA) で,good, beautiful, kind などがその典型である.これらは評価を示すものであり,very で強調できるし,比較級も作れる.もう1つは,評価を含まず,関係を示す relational adjective (RA) であり,Indian, linguistic, opposite などがその典型である.通常,強調したり比較級にすることはできない.
輿石氏の主張のなかで興味深かったのは,RA は QA よりも指示性が強く,名詞に一歩近いということである.換言すれば,評価を示す QA こそが形容詞のプロトタイプであり,RA は多かれ少なかれそこから逸脱しているために,形容詞的な性格が弱く,逆に名詞的性格が強いといえる.さて,語の借用といえば,数的に名詞が圧倒していることが知られている (##902,879,666,667) .このことは,形容詞でいえば典型的な形容詞である QA よりも,名詞に一歩近い形容詞である RA のほうが,より多く借用されているという事実と関連するのではないか.以上が,輿石氏の主張の一部であった.
確かに,日本語でも名詞に「の」や「な」や「的」をつければ,どんな名詞でも形容詞な用法へと転化できる.この形容詞の意味・機能を "relation" と呼ぶのであれば,relation の種類 のほうが quality の種類よりもずっと多いことは頷ける.名詞の数と同じだけ対応する形容詞があるということになるからだ.これは借用語に限ったことではないだろう.借用語か本来語かにかかわらず,形容詞全体における QA と RA の割合は,そもそも後者に大きく偏っていると考えられる.
だが,借用語に限ると,興味深い事実が浮かび上がってくる.現代英語ではなく,フランス借用語が本格的に流入した中英語の時代に絞った場合の話しだが,借用語形容詞を眺めてみると,どうも上記の予想に反して QA の割合がなかなか多そうである.形容詞の具体例は,[2011-02-16-1]の記事「#660. 中英語のフランス借用語の形容詞比率」で挙げた形容詞一覧を参照されたい.QA の多いことが見て取れるだろう(もちろん,この一覧はクレパンによる抜粋であり,網羅的ではないが).また,この一覧は,本来語の QA と比較されるくらいに高頻度の基本語を多く含んでいることにも気づくかもしれない.英語におけるフランス借用語の形容詞に,案外と QA が多いこと,特に高頻度で基本的な QA が多いことは,注目に値する事実である.
本ブログでも何度か取り上げている2つの歴史英語コーパス PPCMBE ( Penn Parsed Corpus of Modern British English; see [2010-03-03-1]. ) と COHA ( Corpus of Historical American English; see [2010-09-19-1]. ) について,塚本氏が『英語コーパス研究』の最新号に研究ノートを発表している.両者とも2010年に公開された近代英語後期のコーパスだが,それぞれ英米変種であること,また編纂目的が異なることから細かな比較の対象には適さない.しかし,代表性をはじめとするコーパスの一般的な特徴を比べることは意味があるだろう.
PPCMBE は1700--1914年のイギリス英語テキスト約949,000語で構成されており,Parsed Corpora of Historical English の1部をなす.同様に構文解析されたより古い時代の対応するコーパスとの接続を意識した作りである.有料でデータを入手する必要がある.一方,COHA は1810--2009年のアメリカ英語テキスト4億語を収録した巨大コーパスである.こちらは,構文解析はされていない.COHA は無料でオンラインアクセスできるため使いやすいが,インターフェースが固定されているので柔軟なデータ検索ができないという難点がある.
コーパスの規模とも関係するが,PPCMBE は代表性 (representativeness) の点で難がある.PPCMBE のコーパステキストを18ジャンルへ細かく分類し,テキスト年代を10年刻みでとると,サイズがゼロとなるマス目が多く現われる.これは,区分を細かくしすぎると有意義な分析結果が出ないということであり,使用に際して注意を要する.
一方,COHA のコーパステキストは Fiction, Popular Magazines, Newspapers, Non-Fiction Books の4ジャンルへ大雑把に区分されている.細かいジャンル分けの研究には利用できないが,10年刻みでも各マス目に適切なサイズのテキストが配されており,代表性はよく確保されている.ただし,Fiction の構成比率がどの時代も約50%を占めており,Fiction の言語の特徴(特に語彙)がコーパス全体の言語の特徴に影響を与えていると考えられ,分析の際にはこの点に注意を要する.
塚本氏は,両コーパスの以上の特徴を,後期近代英語における形容詞の比較級・最上級の問題によって示している.CONCE (Corpus of Nineteenth-Century English) を用いた Kytö and Romaine の先行研究によれば,19世紀の間,比較級の迂言形に対する屈折形の割合は,30年刻みで世紀初頭の57.1%から世紀末の67.8%へと増加しているという.同様の調査を COHA と PPCMBE で10年刻みに施したところ,前者では1810年の64.7%から1910年の74.3%へ着実に増加していることが確かめられたが,後者では1810年の79.4%から1910年の78.0%まで増減の揺れが激しかったという(塚本,p. 56).しかし,CONCEと同様の30年刻みで分析し直すと,PPCMBE でも有意な変化をほぼ観察できるほどの結果がでるという.
コーパスはそれぞれ独自の特徴をもっている.よく把握して利用する必要があることを確認した.関連して,[2010-06-04-1]の記事「流れに逆らっている比較級形成の歴史」を参照.
・ 塚本 聡 「2つの指摘コーパス---その代表性と類似性」『英語コーパス研究』第18号,英語コーパス学会,2011年,49--59頁.
・ Kytö, M. and S. Romaine. "Adjective Comparison in Nineteenth-Century English." Nineteenth-Century English: Stability and Change. Ed. M. Kytö, M. Rydén, and E. Smitterberg. Cambridge: CUP, 2006. 194--214.
他動詞の過去分詞形容詞が受け身の意味になることは,英文法の基本事項である.a satisfied customer, a surprised look, written language など.しかし,例外が存在する.他動詞の過去分詞形容詞であるにもかかわらず,能動的な意味となる少数の例がある.
a drunken fellow ( = a fellow who has drunk much )
a well-read man ( = a man who has read much )
an out-spoken gentleman ( = a gentleman who speaks out his opinions )
ここから「他動詞の過去分詞形容詞は受け身の意味になる」という原則は絶対ではないことが分かる.上の例では「受け身」ではなく「完了」の用法である.
関連して,自動詞の過去分詞形容詞について考えてみる.自動詞は定義上受け身になることができないので,自動詞の過去分詞形容詞があるということは一見不可解かもしれない.種類も頻度も少ないので学校文法で明示的に取り上げられることはないが,以下の通り,確かにある.
a gone case ( = a case which has gone too far )
a departed guest ( = a guest who has departed )
a faded flower ( = a flower which has faded )
a fallen city ( = a city which has fallen )
a grown man ( = a man who has grown up )
a learned scholar ( = a scholar who has learned much )
a retired officer ( = an officer who has retired )
a returned soldier ( = a soldier who has returned )
a risen sun ( = a sun which has risen )
a well-behaved child ( = a child who behaves well )
a withered flower ( = a flower which has withered )
関係代名詞を用いて言い換えた表現をみて明らかなとおり,ここでの過去分詞形容詞は「完了」の用法として機能していることがわかる.これらの自動詞の多くは往来発着や状態の変化を表わす動詞であり,古くは have ではなく be により完了形を作った.したがって,a fallen city とは a city which is fallen の統語的圧縮と考えることができる.
これらの過去分詞形容詞については,細江 (46--48) を参照.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
英語では,前置詞の後には名詞相当語句が来るというのが原則である.しかし,少数の例外があり,歴史的に説明されなければならない.例外の1つが標題の「for + (分詞を含め)形容詞」というつながりである.以下に例を挙げる.
- She seemed to take it for granted that I would go with her to New York.
- The soldier was given up for dead.
- I really want to go and see the film, but I don't think I'd pass for 18.
これは for の資格・特性の用法と呼べるものだが,機能としては as に近い.as が現在分詞を含め形容詞を目的語としてとる例は珍しくないので,for を理解するのに参考になる.
- I accepted the report as trustworthy.
- We regarded the document as belonging to her brother.
上に挙げた for に後続する形容詞は,[2011-05-07-1]の記事「熟語における形容詞の名詞用法」で触れたような形容詞の名詞用法ではなく,独立した確固たる形容詞と考えるべきであり,区別を要する.
Mustanoja が "equivalence" (379--80) と呼んだこの for の用法は,中英語にも見られ,現代の for certain, for sure, forsooth, for real などの慣用表現にもつながっている.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
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