標題の意味するところは,Ann か Anne か,Smith か Smythe か,Kid か Kidd か等の例を挙げれば一目瞭然だろう.通常の英単語の綴字規則に照らせば余分とみなされる文字が,人名の綴字にしばしば現われるという現象だ.人名 (personal_name) は,その人物のアイデンティティや存在感を示すための言語要素であり,とりわけ視覚に訴える綴字において,しばしば「盛る」ということがあっても不思議はない.Carney (454) は,これについて次のように考察している.
Personal names gain advantage by having a certain written bulk since a totem impresses partly by its size. Consequently, names which are phonetically quite short are often padded out with empty letters. The name /leg/ never seems to appear as *Leg --- the usual spelling is Legge. Here we see the two most common types of padding: <C>-doubling and a superfluous <-e> in a context where neither is warranted by modern spelling conventions. Such spellings were common in both names and non-names before conventions settled down in the eighteenth century, but archaism is not the only reason for their continued use in names. Since such spellings are most frequently found in monosyllables and since the unpadded spellings are much less common, their written bulk is obviously seen as an advantage. They also reinforce the initial capital letter as a marker of names and help them to stand out from the non-names in written text. In some cases the padding may help to distance the name from an unfortunate homophone, as in Thynne.
綴字上の埋め草には,(1) 人名を印象づける,(2) 特に1音節語の人名を際立たせる,(3) 非人名の同音語と区別する,といった機能があるということだ.埋め草の主な方法としては,子音字の2重化と -e の付加が指摘されている.以下に <t> の2重化と <-e> の付加について,埋め草の有無の揺れを示す例をいくつか挙げてみよう (Carney (454--57)) .
Abbot(t), Arnot(t), Barnet(t), Barrat(t), Basset(t), Becket(t), Bennet(t), Calcot(t), Elliot(t), Garnet(t), Garret(t), Nesbit(t), Plunket(t), Prescot(t), Wilmot(t), Wyat(t)
Ann(e), Ask(e), Beck(e), Bewick(e), Brook(e), Cook(e), Crook(e), Cross(e), Dunn(e), Esmond(e), Fagg(e), Fisk(e), Foot(e), Glynn(e), Goff(e), Good(e), Gwynn(e), Harding(e), Hardwick(e), Holbrook(e), Hook(e), Keating(e), Lock(e), Plumb(e), Webb(e), Wolf(e), Wynn(e)
Carney (457) は,この現象を人名における事実上の「4文字規則」 ("a minimum four-letter rule") と述べており興味深い.もちろんこれは一般語の正書法における「#2235. 3文字規則」 ([2015-06-10-1]) をもじったものである.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
年度初めのこの時期,児童・生徒たちにローマ字なり英語アルファベットなりの読み書きを教え始める学校の先生も多いと思います.平仮名や片仮名と同じで,何度も読んで書いて練習し慣れていくというスタイルが普通かと思います.
学習者にとってはこのように基礎的な作業となるわけですが,教える先生の側にあっては,是非ともアルファベットの成立や発展などの背景的な知識を持っておくことをお薦めします.学習者からの鋭い質問にも答えられるようになりますし,実際にそのような知識を学習者に教える機会はないとしても,アルファベット1文字1文字に歴史的な深みがあることを知っておくことは大事だと思うからです.そこで,本ブログより関係する記事を集め,以下の記事セットとして整理してみました.
・ 「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット(2021年度版)
同趣旨で,およそ1年前,2020年度の開始期に合わせて「#4038. 年度初めに「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット」 ([2020-05-17-1]) を公開していました.今回のものは,その改訂版ということになります.昨年度中は「hellog ラジオ版」と称して音声コンテンツを多く作ってきたので,今回の改訂版には,アルファベットに関する音声ファイルへのリンクなども加えてあります.
もちろんアルファベットに関する背景知識は,英語の先生に限らず,一般の英語学習者にも持っていてもらいたい知識です.そして,目下「英語史導入企画2021」のキャンペーン中でもありますし,英語史に関心のあるすべての人々に持っていてもらいたい知識でもあります.
洋楽の歌詞を含め英語の詩を読んでいると,現在分詞語尾 -ing の代わりに -in' を見かけることがある.口語的,俗語的な発音を表記する際にも,しばしば -in' に出会う.アポストロフィ (apostrophe) が用いられていることもあり,直感的にいえばインフォーマルな発音で -ing から g が脱落した一種の省略形のように思われるかもしれない.しかし,このとらえ方は2つの点で誤りである.
第1に,発音上は脱落も省略も起こっていないからである.-ing の発音は /-ɪŋ/ で,-in' の発音は /-ɪn/ である.最後の子音を比べてみれば明らかなように,前者は有声軟口蓋鼻音 /ŋ/ で,後者は有声歯茎鼻音 /n/ である.両者は脱落や省略の関係ではなく,交代あるいは置換の関係であることがわかる.
後者を表記する際にアポストロフィの用いられるのが勘違いのもとなわけだが,ここには正書法上やむを得ない事情がある.有声軟口蓋鼻音 /ŋ/ は1音でありながらも典型的に <ng> と2文字で綴られる一方,有声歯茎鼻音 /n/ は単純に <n> 1文字で綴られるのが通例だからだ.両綴字を比べれば,-ing から <g> が脱落・省略して -in' が生じたようにみえる.「堕落」した発音では語形の一部の「脱落」が起こりやすいという直感も働き,-in' が省略形として解釈されやすいのだろう.表記上は確かに脱落や省略が起こっているようにみえるが,発音上はそのようなことは起こっていない.
第2に,歴史的にいっても -in' は -ing から派生したというよりは,おそらく現在分詞の異形態である -inde の語尾が弱まって成立したと考えるほうが自然である.もっとも,この辺りの音声的類似の問題は込み入っており,簡単に結論づけられないことは記しておく.
現在分詞語尾 -ing の歴史は実に複雑である.古英語から中英語を通じて,現在分詞語尾は本来的に -inde, -ende, -ande などの形態をとっていた.これらの異形態の分布は「#790. 中英語方言における動詞屈折語尾の分布」 ([2011-06-26-1]) で示したとおり,およそ方言区分と連動していた.一方,中英語期に,純粋な名詞語尾から動名詞語尾へと発達していた -ing が,音韻上の類似から -inde などの現在分詞語尾とも結びつけられるようになった(cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1])).さらに,これらと不定詞語尾 -en も音韻上類似していたために三つ巴の混同が生じ,事態は複雑化した(cf. 「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])).
いずれにせよ,「-in' は -inde の省略形である」という言い方は歴史的に許容されるかもしれないが,「-in' は -ing の省略形である」とは言いにくい.
関連して,「#1764. -ing と -in' の社会的価値の逆転」 ([2014-02-24-1]) も参照されたい.
サッポロビールには嫌われそうですが,この話題で数日間引っ張っています(cf. 「#4300. サッポロ LAGAR が発売されました」 ([2021-02-03-1]),「#4301. 寝かせて熟成させた貯蔵ビール lager」 ([2021-02-04-1]),「#4302. 行為者接尾辞 -ar」 ([2021-02-05-1])).
なぜ正しい綴字である lager が誤って lagar と綴られるに至ったかと問うのは,責任追及の意図では毛頭なく,純粋な正書法あるいは英語学習・教育に関する関心からです.ちょっと考えてみると,-gar は身近な単語にけっこうあるのですね.名詞とは限りませんが,sugar, beggar, vinegar, vulgar といった日常語も挙がってきます.これを見ると,今回の綴り間違いに激しく同情するというわけではなくとも,英語の綴字体系そのものがおかしいのではないかという印象をもつ人も少なくないだろうと想像します.どの単語が -er で,どの単語が -ar なのかは,昨日の記事 ([2021-02-05-1]) でも示唆したように,歴史的に共時的にも完全には説明できず,言ってみればテキトーなのです.
「辞書を引いて正しい綴字を確認しなさい」と言われれば確かに身も蓋もないわけですし,私も英語教員のはしくれとして,おいそれとスペルミスについて寛容主義を貫くことは難しいと自認してはいるのですが,ここでは誰もが lager を lagar と間違え得る「理由」があるということを述べたいだけです.-er, -or, -ar の間の選択には緩い傾向はあるにせよ完全な規則はありませんし,発音もすべて /ə(r)/ で区別されないのですから.
さて,英語は世界の lingua_franca でもありますが,日本においては義務教育で学習すべき言語であるとはいえ,あくまでよそ者の「外国語」という地位にあることも事実です.その点では,日本語の例えば漢字間違いに比べれば,英語のスペルミスは国内では許され得るという意見もあるかもしれません.この「日本語の例えば漢字間違いに比べれば,英語のスペルミスは国内では許され得る」という寛容度の序列が現にあるのか,あるとすれば,それはなぜなのか,というのが私の次なる疑問です.これは,日本で認識されている英語と世界における英語がどのような関係にあるのかという問いにもつながってきます.サッポロビールが国内で lagar の綴字のまま売り出すことに踏み切ったということは,何を意味するのかということです.日本における英語の位置づけ,世界における英語の位置づけを改めて考えてみたいと思います.
この数週間待ちわびていたのですが,昨日,サッポロビールより新商品の缶ビール「サッポロ 開拓使麦酒仕立て」が発売されました.ポイントは,缶のデザインに表記されている LAGAR です.「ラガー」の綴字は正しくは lager で -er をもつのですが,印刷では -ar となっているのです. *
詳細はこちらの1月13日付の朝日新聞デジタルの記事をご覧いただければと思います.サッポロビールが事前にこのスペルミスに気づき,発売中止を決めていたけれども,世論の要望を受けてそのまま売り出すことに決めたという趣旨です.
私個人としては(ビール好きであることも関係しますが),指摘されなければ気づかないほどの小さなスペルミスで発売中止にするというのはもったいないという立場で,サッポロビールの決断を支持したいと思います.ただし,1英語教員として手放しに寛容主義を貫くわけにもいかないという難しい立場にもありますので,胸中をお察しください(笑).
私的な見解は別として,一般的にいえばスペルミスは社会的信用を失墜させることが多いというのも事実です.サッポロビールの最初の発売中止の決定も,信用失墜を恐れてのことでしょう.ほんの1字の誤りにすぎず,それによって誤解が生じることはまったくないわけですが,それでも社会的に侮れないのが正書法 (orthography) というものです.
私も一消費者としては「問題ない」と無責任に言ってしまえますが,もし自分がサッポロビールの社長だったらどうするかなあ,などと考えてみました.皆さんはどのように考えるでしょうか.
スペルミスを巡る考察として,以下の記事もどうぞ.
・ 「#2288. ショッピングサイトでのスペリングミスは致命的となりうる」 ([2015-08-02-1])
・ 「#3671. オーストラリア50ドル札に responsibility のスペリングミス (1)」 ([2019-05-16-1])
・ 「#3672. オーストラリア50ドル札に responsibility のスペリングミス (2)」 ([2019-05-17-1])
ちなみに,早速,昨晩このビールを買って飲んでみました.売り場には「スペルは間違えたけど,味は間違いなし!」という粋な文句がありました.3月1日までの限定販売で売り切れたら終わりということですので,皆さん走りましょう.
中世英語の筆記における縦棒 (minim) が当時のスペリングの解読しにくさの元凶であることは,以下の記事で様々に取り上げてきた.
・ 「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」 ([2009-07-27-1])
・ 「#1094. <o> の綴字で /u/ の母音を表わす例」 ([2012-04-25-1])
・ 「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1])
・ 「#2453. 中英語における <u> の <o> による代用 (2)」 ([2016-01-14-1])
・ 「#3607. 中英語における <u> の <o> による代用 (3)」 ([2019-03-13-1])
・ 「#3608. 中英語における <u> の <o> による代用 (4)」 ([2019-03-14-1])
・ 「#3069. 連載第9回「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」」 ([2017-09-21-1])
<i> は中英語まではドットなしの <<ı>> と書かれた.そして,<m, n, u, v> も同じくドットなしの <<ı>> を複数組み合わせた字形にすぎず,水平方向への「渡し」がなかったことが,混乱を増幅させた.<<ııı>> は,<iii>, <in>, <ni>, <ui>, <iu>, <m> のいずれの読みもあり得たのである.
幸運なことに,近代英語期にかけて様々な処方箋が提案されることになった.ドットを付した <<i>> が生じたり,下方向にフックを付した <<j>> が現われたり,<<u>> と <<v>> が分化するなど,それなりに頑張った感はある.
仮にこのような改善策が講じられなかったどうなっていただろうか.問題の縦棒は専門用語で minim と呼ばれるが,この単語などは,ı が10個続いて ıııııııııı と綴られることになっていただろう.正書法の世界における地獄絵図といってよい.
しかし,この地獄絵図など,まだ生やさしい.もしドットなしの ı や,その組み合わせの <m, n, u, v> が続いていたら,英語の書き言葉は,さらにむごい阿鼻叫喚の巷と化していただろう.興味本位で「縦棒で綴っていたら大変なことになっていたはずの単語,ワースト5」を探ってみた.
第5位(タイで第4位)は,ı が内部で14個続く aluminium と mumming である.各々 alıııııııııııııı, ııııııııııııııg となり,ほとんど訳が分からない.それぞれ先頭の <al> と末尾の <g> が悲しいほどに愛おしい.
第3位は,minimum である(15連続).壮観なるかな ııııııııııııııı.縦棒のみで構成される単語という基準を立てるならば,文句なしのタイトルホルダーである.
そして,栄えある第1位(タイで第2位)は,unmummied と unimmunized である(16連続).それぞれ ııııııııııııııııed, ıııııııııııııııızed となる(←こんなの読めるか!).
ネタとして強引に作られた単語なのではないかって? 確かに unimmunized はに少々その気があるが,unmummied に関しては,そんなことはない.BNCweb や COCA ではヒットしないものの,OED では例文が3つ挙がる.
1822 Ld. Byron Vision of Judgm. xi As the mere million's base unmummied clay.
1911 E. A. W. Budge Osiris & Egyptian Resurrection II. 43 An unmummied man lying on a bier.
2011 H. W. Strachan Finding Path 63 Unmummied kings disintegrating midst decaying leaves
初例は,かのバイロン卿 (1788--1824) から.これには,しびれた.最強.まさか「ミイラ化されていない」がトップとなり得る分野があったとは.
英語圏の英語教育でよく知られたスペリングのルールがある."i before e except after c" というものだ.長母音 /iː/ に対応するスペリングについては,「#2205. proceed vs recede」 ([2015-05-11-1]) や「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1]) でみたように多種類が確認されるが,そのうちの2つに <ie> と <ei> がある.標題の語のように <ie> のものが多いが,receive, deceive, perceive のように <ei> を示す語もあり,学習上混乱を招きやすい.そこで,上記のルールが唱えられるわけである.実用的なルールではある.
今回は,なぜ標題のような語群で <ie> ≡ /iː/ の対応関係がみられるのか,英語史の観点から追ってみたい.まず,この対応関係を示す語を Carney (331) よりいくつか挙げておこう.リストの後半には固有名詞も含む.
achieve, achievement, belief, believe, besiege, brief, chief, diesel, fief, field, fiend, grief, grieve, hygiene, lief, liege, lien, mien, niece, piece, priest, reprieve, shield, shriek, siege, thief, thieves, wield, yield; Brie,, Fielden, Gielgud, Kiel, Piedmont, Rievaulx, Siegfried, Siemens, Wiesbaden
リストを語源の観点から眺めてみると,believe, field, fiend, shield などの英語本来語も含まれているとはいえ,フランス語やラテン語からの借用語が目立つ.実際,この事実がヒントになる.
brief /briːf/ という語を例に取ろう.これはラテン語で「短い」を意味する語 brevis, brevem に由来する.このラテン単語は後の古フランス語にも継承されたが,比較的初期の中英語に影響を及ぼした Anglo-French では bref という語形が用いられた.中英語はこのスペリングで同単語を受け入れた.中英語当時,この <e> で表わされた音は長母音 /eː/ であり,初期近代英語にかけて生じた大母音推移 (gvs) を経て現代英語の /iː/ に連なる.つまり,発音に関しては,中英語以降,予測される道程をたどったことになる.
しかし,スペリングに関しては,少し込み入った事情があった.古フランス語といっても方言がある.Anglo-French でこそ bref という語形を取っていたが,フランス語の中央方言では brief という語形も取り得た.英語は中英語期にはほぼ Anglo-French 形の bref に従っていたが,16世紀にかけて,フランス語の権威ある中央方言において異形として用いられていた brief という語形に触発されて,スペリングに関して bref から brief へと乗り換えたのである.
一般に初期近代英語期には権威あるスペリングへの憧憬が生じており,その憧れの対象は主としてラテン語やギリシア語だったのだが,場合によってはこのようにフランス語(中央方言)のスペリングへの傾斜という方向性もあった (Upward and Davidson (105)) .
こうして,英語において,長母音に対応する <e> が16世紀にかけて <ie> へと綴り直される気運が生じた.この気運の発端こそフランス語からの借用語だったが,やがて英語本来語を含む上記の語群にも一般的に綴りなおしが適用され,現代に至る.
細かくみれば,上述の経緯にも妙な点はある.Jespersen (77) によれば,フランス語の中央方言では achieve や chief に対応する語形は <ie> ではなく <e> で綴られており,初期近代英語が憧れのモデルと据えるべき <ie> がそこにはなかったはずだからだ(cf. 現代フランス語 achever, chef).
それでも,多くの単語がおよそ同じタイミングで <e> から <ie> へ乗り換えたという事実は重要である.正確にいえば語源的綴字 (etymological_respelling) の例とは呼びにくい性質を含むが,その変種ととらえることはできるだろう.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
「rhotic なアメリカ英語」と「non-rhotic なイギリス英語」という対立はよく知られている.しかし,この対立は単純化してとらえられるきらいがあり,実際にはアメリカ英語で non-rhotic な変種もあれば,イギリス英語で rhotic な変種もある.アメリカ英語の一部でなぜ non-rhotic な発音が行なわれているかについては込み入った歴史があり,詳細はいまだ明らかにされていない (cf. 「#3953. アメリカ英語の non-rhotic 変種の起源を巡る問題」 ([2020-02-22-1])) .
そもそも non-rhotic な発音を生み出すことになった /r/ 消失という音変化は,なぜ始まったのだろうか.Minkova (280) は,/r/ 消失に作用した音声学的,社会言語学的要因を指摘しつつ,一方で綴字に固定化された <r> が同音の消失傾向に歯止めをかけたがために,複雑な綱引き合いの結果として,rhotic と non-rhotic の両発音が並存することになっているのだと説く.
While loss of /r/ may be described as 'natural' in a phonetic sense, it is still unclear why some communities of speakers preserved it when others did not. One reason why the change may have taken off in the first place, not usually considered in the textbook accounts, is loan phonology. In Later Old French (eleventh to fourteenth century) and Middle French (fourteenth to sixteenth century), pre-consonantal [r] was assimilated to the following consonant and thereby lost in the spoken language (it is retained in spelling to this day), producing rhymes such as sage : large, fors : clos, ferme : meesme. Thus English orthography was at odds with the functional factor of ease of articulation and with the possibly prestigious pronunciation of recent loanwords in which pre-consonantal [-r] had been lost. This may account for the considerable lag time for the diffusion and codification of [r]-loss in early Modern English. Rhotic and non-rhotic pronunciations must have coexisted for over three centuries, even in the same dialects. . . . [C]onservatism based on spelling maintained rhoticity in the Southern standard until just after the first quarter of the nineteenth century.
上で触れられているフランス語の "loan phonology" が関与していたのではないかという仮説は,斬新な視点である.
「自然な」音過程,フランス語における /r/ 消失,綴字における <r> の保持 --- これらの /r/ 消失を開始し推進した音声学的,社会言語学的要因と,それを阻止しようと正書法的要因とが,長期にわたる綱引きを繰り広げ,結果的に1700年頃から現在までの300年以上にわたって rhotic と non-rhotic の両発音を共存させ続けてきたということになる.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
本ブログでは,英語のアルファベット (alphabet) に関する記事を多く書きためてきました.今年度はようやく年度が始まっているという学校が多いはずですので,先生方も児童・生徒たちに英語のアルファベットを教え始めている頃かと思います.算数のかけ算九九と同じで,アルファベットの学習も基礎の基礎としてドリルのように練習させるのが普通かと思います.しかし,先生方には,ぜひとも英語アルファベットの成立や発展について背景知識をもっておいてもらえればと思います.その知識を直接子供たちに教えはせずとも,1文字1文字に歴史的な深みがあることを知っているだけで,教えるに当たって気持ちの余裕が得られるのではないでしょうか.以下に,そのための記事セットをまとめました.
・ 「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット
この記事セットは,実際には何年も英語を学び続けてきた上級者に対しても十分に楽しめる読み物となっていると思います.アルファベットに関するネタ集としてもどうぞ.
昨日の記事「#4033. 3重字 <tch> の分布と歴史」 ([2020-05-12-1]) に引き続き,無声後部歯茎破擦音 [ʧ] に対応する <tch> という3重字 (trigraph) について.昨日も述べたように,中英語ではこの子音を表わす綴字には様々なものがあり,<cc>, <cch>, <hch>, <tch> のほか <chch> など大仰な組み合わせもあった.このように子音字をいくつか重ね合わせるのは,直前の母音が短いことを示す英語の綴字に特徴的な重複 (doubling) の慣習によるものである.理屈上は <chch> のような綴字が最も忠実な重複の形式だったのだろうと思われるが,さすがに大袈裟に過ぎるという意識が働いたのか,やがて他の綴字に席を明け渡していくことになった.その際に影響力を行使した可能性があるのが,後期中英語の印刷家 William Caxton (1422?--91) である.Carney (121) は,<tch> の綴字慣習を Caxton に帰し,評価している.
We owe the <tch> spelling to Caxton. The literally 'doubled' spelling <chch> was in use in Middle English, though it was often simplified to <cch> . . . . The <t> of Caxton's spelling has some phonetic appropriateness and the longer *<chch> would exceed the general limits on the size of consonant spellings. There is a clear graphotactic constraint on doubling a digraph: *<thth>, *<shsh>, *<ngng>.
Caxton について <tch> に注目して調査したことはないので,Caxton のテキスト間での分布や,その後の後世への影響が直接的だったのか,どの程度大きかったのか等に関してここでは判断できない.しかし,<tch> という現代英語の正書法のなかでも割と異端的な部類に属すると思われる3重字の普及に,かの印刷家が一枚噛んでいたとするならば愉快な話しである.昨日の記事で取り立てた matcha (抹茶)の陰に,Caxton が隠れていたかもしれないのだ.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
中学1年生の英語教科書に,英語綴字の世界に徐々に誘うためにヘボン式ローマ字を経由するという試みがあるようだ.そこで「抹茶」は matcha と綴られるとの記述がある.案の定それ以上の詳しい説明はなく,ヘボン式ローマ字(そして含意として英語の正書法の一部)では,そのように綴られるのだとさらっと提示されているだけである.今回は,この無声後部歯茎破擦音 [ʧ] に対応する <tch> という3重字 (trigraph) が,英語の正書法において,そしてその歴史において,どのように位置づけられてきたかを考えてみたい.
現代英語の正書法では,[ʧ] の発音に対しては <ch> という2重字 (digraph) の対応が最も普通である (ex. chance, child, choose, crunchy, duchess, luncheon, bench, such, which) .しかし,主に語末において問題の <tch> への対応例も少なくない.例えば,「#49. /k/ の口蓋化で生じたペア」 ([2009-06-16-1]) でみたように古英語の口蓋化 (palatalisation) で生じた語形に由来する batch, ditch, match (相手), watch, wretch などがすぐに挙げられるし,「#95. まだある! Norman French と Central French の二重語」 ([2009-07-31-1]) でみたように catch といった Norman French 由来の借用語や,その他フランス語からの借用語の例として crotch, match (マッチ棒),butcher, hatchet, hutch などもある.
Upward and Davidson (159) によれば,<tch> の事例の7割ほどは,ゲルマン系の語の語末において起こっているという.語中に現われる例は,上にいくつか示したもののほか,重要な語として古英語から文証される kitchen を挙げておこう.
また,相対的に目立たないが,上述の通りフランス借用語の例も確かにある.それらの語は,中英語期の借用時にこそ boucher, hachet, huche などと <ch> で綴られたが,後に <tch> をもつ本来語に引きつけられたのか,butcher, hatchet, hutch という綴字へ鞍替えした.鞍替えといえば逆のパターンもあり,初期近代英語では atchieve, batcheler, dutchess, toutch などと綴られていた語が,後に <ch> で綴られるようになっている (Upward and Davidson 159) .
語の内部での位置についていえば,「#3882. 綴字と発音の「対応規則」とは別に存在する「正書法規則」」 ([2019-12-13-1]) で触れたように,<tch> が語頭に立つことは原則としてない.
音素配列論の観点からは,<tch> に先行する母音は原則として短母音であるという特徴がある.しかし,aitch (= H) だけは例外で2重母音が先行している.これは,オリジナルの ache の綴字が「痛み」を意味する語と同綴りになってしまうことを嫌った19世紀の刷新とされる (Upward and Davidson 159) .
改めて中英語にまで話しを戻すと,当時の綴字の多様性はよく知られている通りだが,問題の無声後部歯茎破擦音についても <cc>, <cch>, <chch>, <hch>, <tch> などの異綴りがあった.現代英語の <tch> をもつ語群が,その安定的な綴字を示すようになるのは1600年頃だという (Upward and Davidson 38) .
最後に世界の諸言語からの借用語にみられる,多少なりともエキゾチックな <tch> を挙げておこう.apparatchik, datcha, etch, ketchup, kvetch, litchi, patchouli, potlatch, sketch. そして興味深い固有名の例も.Aitchison, Batchelor, Bletchley, Cesarewitch, Craitchit, Dutch, Hitchin, Hutchinson, Kitchener, Mitchell, Redditch, Ritchie, Saskatchewan, Thatcher.
このような複雑な歴史を経てどうにかこうにか定着した英語正書法の <tch> が,ヘボン式ローマ字による matcha (抹茶)の綴字に引き継がれていることになる.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
英語の正書法には <ch>, <gh>, <ph>, <sh>, <th>, <wh> など,2文字で1つの音を表わす2重字 (digraph) が少なからず存在する.1文字と1音がきれいに対応するのがアルファベットの理想だとすれば,2重字が存在することは理想からの逸脱にほかならない.しかし現実には古英語の昔から現在に至るまで,多種類の2重字が用いられてきたし,それ自体が歴史の栄枯盛衰にさらされてきた.
今回は,上に挙げた2文字目に <h> をもつ2重字を取り上げよう."verb second" の語順問題ならぬ "<h> second" の2重字問題である.これらの "<h> second" の2重字は,原則として単子音に対応する.<ch> ≡ /ʧ/, <ph> ≡ /f/, <sh> ≡ /ʃ/, <th> ≡ /θ, ð/, <wh> ≡ /w, ʍ/ などである.ただし,<gh> については,ときに /f/ などに対応するが,無音に対応することが圧倒的に多いことを付け加えておく(「#2590. <gh> を含む単語についての統計」 ([2016-05-30-1]),「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1])).
現代英語にみられる "<h> second" の2重字が英語で使われ始めたのは,およそ中英語期から初期近代英語期のことである.それ以前の古英語や初期中英語では,<ch>, <gh>, <ph>, <th> に相当する子音は各々 <c>, <ȝ>, <f>, <þ, ð> の1文字で綴られていたし,<sh>, <wh> に相当する子音は各々 <sc>, <hw> という別の2重字で綴られるのが普通だった.
<ch> と <th> については,ラテン語の正書法で採用されていたことから中英語の写字生も見慣れていたことだろう.彼らはこれを母語に取り込んだのである.また,<ph> についてはギリシア語(あるいはそれを先に借用していたラテン語)からの借用である.
英語は,ラテン語やギリシア語から借用された上記のような2重字に触発される形で,さらにフランス語でも平行的な2重字の使用がみられたことも相俟って,2文字目に <h> をもつ新たな2重字を自ら発案するに至った.<gh>, <sh>, <wh> などである.
このように,英語の "<h> second" の2重字は,ラテン語にあった2重字から直接・間接に影響を受けて成立したものである.だが,なぜそもそもラテン語では2文字目に <h> を用いる2重字が発展したのだろうか.それは,<h> の文字に対応すると想定される /h/ という子音が,後期ラテン語やロマンス諸語の時代に向けて消失していくことからも分かる通り,比較的不安定な音素だったからだろう.それと連動して <h> の文字も他の文字に比べて存在感が薄かったのだと思われる.<h> という文字は,宙ぶらりんに浮遊しているところを捕らえられ,語の区別や同定といった別の機能をあてがわれたと考えられる.一種の外適応 (exaptation) だ.
実は,英語でも音素としての /h/ 存在は必ずしも安定的ではなく,ある意味ではラテン語と似たり寄ったりの状況だった.そのように考えれば,英語でも,中途半端な存在である <h> を2重字の構成要素として利用できる環境が整っていたと理解できる.(cf. 「#214. 不安定な子音 /h/」 ([2009-11-27-1]),「#459. 不安定な子音 /h/ (2)」 ([2010-07-30-1]),「#1677. 語頭の <h> の歴史についての諸説」 ([2013-11-29-1]),「#1292. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ」 ([2012-11-09-1]),「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1]),「#1899. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (3)」 ([2014-07-09-1])).
以上,主として Minkova (111) を参照した.今回の話題と関連して,以下の記事も参照.
・ 「#2423. digraph の問題 (1)」 ([2015-12-15-1])
・ 「#2424. digraph の問題 (2)」 ([2015-12-16-1])
・ 「#3251. <chi> は「チ」か「シ」か「キ」か「ヒ」か?」 ([2018-03-22-1])
・ 「#3337. Mulcaster の語彙リスト "generall table" における語源的綴字 (2)」 ([2018-06-16-1])
・ 「#2049. <sh> とその異綴字の歴史」 ([2014-12-06-1])
・ 「#1795. 方言に生き残る wh の発音」 ([2014-03-27-1])
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
Cockney 発音として知られる h-dropping を巡る問題には,深い歴史的背景がある.音変化,発音と綴字の関係,語彙借用,社会的評価など様々な観点から考察する必要があり,英語史研究において最も込み入った問題の1つといってよい.本ブログでも h の各記事で扱ってきたが,とりわけ「#1292. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ」 ([2012-11-09-1]),「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1]),「#1899. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (3)」 ([2014-07-09-1]),「#1677. 語頭の <h> の歴史についての諸説」 ([2013-11-29-1]) を参照されたい.
h-dropping への非難 (stigmatisation) が高まったのは17世紀以降,特に規範主義時代である18世紀のことである.綴字の標準化によって語源的な <h> が固定化し,発音においても対応する /h/ が実現されるべきであるという規範が広められた.h は,標準的な綴字や語源の知識(=教養)の有無を測る,社会言語学的なリトマス試験紙としての機能を獲得したのである.
Minkova によれば,この時代に先立つルネサンス期に,明確に発音される h を含むギリシア語からの借用語が大量に流入してきたことも,h-dropping と無教養の連結を強めることに貢献しただろうという.「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]),「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1]) でみたように,確かに15--17世紀にはギリシア語の学術用語が多く英語に流入した.これらの語彙は高い教養と強く結びついており,その綴字や発音に h が含まれているかどうかを知っていることは,その人の教養を示すバロメーターともなり得ただろう.ギリシア借用語の存在は,17世紀以降の h-dropping 批判のお膳立てをしたというわけだ.広い英語史的視野に裏付けられた,洞察に富む指摘だと思う.Minkova (107) を引用する.
Orthographic standardisation, especially through printing after the end of the 1470s, was an important factor shaping the later fate of ME /h-/. Until the beginning of the sixteenth century there was no evidence of association between h-dropping and social and educational status, but the attitudes began to shift in the seventeenth century, and by the eighteenth century [h-]-lessness was stigmatised in both native and borrowed words. . . . In spelling, most of the borrowed words kept initial <h->; the expanding community of literate speakers must have considered spelling authoritative enough for the reinstatement of an initial [h-] in words with an etymological and orthographic <h->. New Greek loanwords in <h->, unassimilated when passing through Renaissance Latin, flooded the language; learned words in hept(a)-, hemato-, hemi-, hex(a)-, hagio-, hypo-, hydro-, hyper-, hetero-, hysto- and words like helix, harmony, halo kept the initial aspirate in pronunciation, increasing the pool of lexical items for which h-dropping would be associated with lack of education. The combined and mutually reinforcing pressure from orthography and negative social attitudes towards h-dropping worked against the codification of h-less forms. By the end of the eighteenth century, only a set of frequently used Romance loans in which the <h-> spelling was preserved were considered legitimate without initial [h-].
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
英語のスペリングの話題といえば,たいてい発音との乖離 (spelling_pronunciation_gap) の問題が中心となる.1つの文字に多数の音が対応している状況,逆に1つの音に多数の文字が対応している状況,また黙字 (silent_letter) の存在など,話題に事欠かない.本ブログでも spelling の多くの記事で取り上げてきた.
発音とスペリングの対応規則を巡る諸問題は,それ自体,奥が深く,追究していく価値がある.一方,英語史を専門とする立場から強調しておきたいのは,対応規則に勝るとも劣らず,スペリングのもつ社会言語学的側面にも注目してもらいたいということだ.ある単語のスペリングが正しい,あるいは誤りだなどという場合,前提としてあるのは標準的で規範的な正書法 (orthography) の存在である.私たちもよく知っているように,その正書法は決して合理的でも規則的でもないのだが,その割には社会的に「正しい」とのお墨付きがある.
では,誰がそのお墨付きを与えているのか.これを探ろうとすると,英語の正書法が作り上げられてきた歴史,いかにしてそれに社会的な威信が付与されてきたのかの経緯をひもとく必要が生じてくる.busy の <u> が /ɪ/ で発音されること,doubt の <b> が無音となること,colour と color にみられるスペリングの英米差などは,対応規則の問題であると同時に,いやそれ以上に,なぜこのようなスペリング事情が生じてきたのかという歴史社会言語学的な問題なのである.
現代英語のスペリングについて,Cook (178) もその社会言語学的側面に言及している.
Group loyalty manifests itself in several ways in the English writing system. At one level it becomes a matter of patriotism: your national identity is shown by whether you spell in a Canadian, a British or an American fashion. While people accept that speakers have different accents; they are far less tolerant about variations in spelling. A paper of mine was returned with the comment 'American spelling for an American journal': no one has ever required me to use an American accent for an American conference. As Jaffe (2000: 502) puts it, 'Orthography selects, displays and naturalises linguistic difference, which is in turn used to legitimise and naturalise cultural and political identity'.
At another level spelling can be a mark of regional or social group membership. The actual pronunciation of the group can be mimicked through unusual sound correspondences, as in dialect spelling such as 'Down Vizes way zom yoars agoo, When smuggal'n wur nuthen new . . .'. Or an arbitrary group standard can be adopted unrelated to pronunciation, for instance British 'colour' versus American 'color'. Particular conventions act as a way of excluding outsiders, say the chat-room convention of abbreviations such as 'LOL' ('laughing out loud'). Jargon makes insiders feel they belong and outsiders feel uncomfortable, whether the groups consist of teenagers, street gangs, football fans or syntacticians.
英語の素朴な疑問として定番の「○○という単語はなぜ××のような妙な綴り方をするのですか?」に対する解答には,たいてい豊かな歴史社会言語学的背景が潜んでいる.「不規則だから仕方ない,そのまま暗記しよう」で済ますにはあまりにもったいない,知的刺激に富むネタの宝庫である.
・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
・ Jaffe, Alexandra. "Non-Standard Orthography and Non-Standard Speech." Journal of Sociolinguistics 4 (2000): 497--513.
私を含め日本語を母語とする人々の多くは,英語を外国語としての英語 (EFL) という目線でみている.その立場から,英語の正書法(の学びやすさ/にくさ)を評価したり,あれこれ論じるのが普通である.しかし,正書法に関する限り,英語を母語とする (ENL) 話者の子供も自然に習得するわけではなく,教育制度の下で意識的に学ばなければならない.ENL の子供はすでに英語の音韻論をあらかた習得した上で学習に臨むという点で,EFL学習者とは前提が異なっているので,「#3889. ネイティブがよく間違えるスペリング」 ([2019-12-20-1]) でもみた通り,EFL学習者からみると独特なスペリングの間違え方をすることがある.私たちにとってみれば「EFLの綴り手は辛いよ」と言いたいところだが,ネイティブも別の観点から「ENLの綴り手は辛いよ」とぼやきたいはずである.
とりわけ各種の地域方言など非標準英語を母語(母方言)とするネイティブにとって,標準英語に基づいた英語の表音的な正書法(とはいえ,中途半端な表音主義のそれではあるが)は厄介である.コックニー (cockney) などを母方言とする,音素 /h/ をもたない英語話者にとって,hit と it の発音は同一となるが,書く際には前者を <h> ありで,後者 <h> なしで綴るということを明示的に学習しなければならない.つまるところ暗記ということになり,勘違いすれば hit を <it>,it を <hit> と入れ違いで綴り,赤っ恥を掻くということもあり得る.むしろ,この件に関しては,<h> の音素をもつ日本語を母語とする英語学習者のほうが間違えにくいだろう.
同じようなことが,th-fronting として知られる現象に関してもいえる.これはある英語変種や個人の発音において,th が /θ/ ではなく,前寄りの /f/ で発音されるものである.発音習得中のネイティブの子供にもよくみられる現象だ.Cook (129) は,別の研究者による East Tilbury (Essex) の4--7歳の発音に関する調査結果を次のように紹介している.
Children preferred 'fing' over 'thing' by 56% to 32%, 'nuffing' over 'nothing' by 37% to 34%. Overall they opted for the dialect spelling 30% of the time. Learning to spell English is a problem for any child who speaks English with an accent that is non-standard in a particular country, whether England or Australia. To make the spelling system work, children with non-standard accents have either to invent correspondence rules for their own dialect that are different from those they are taught, that is, <th> corresponding to /f/ or /v/ in East Tilbury, or have to imagine what a standard speaker would say rather than themselves and their parents. In other words to some extent they are in the position of second language learners, basing spelling correspondence on a phonology that is not their own.
日本語母語話者は,英語正書法が(非標準英語)ネイティブに対してもつこの側面には,なかなか気づかないだろう.世界中の英語の綴り手は,いずれにせよ何かしらの困難に直面することになるのだ.
・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
「#3889. ネイティブがよく間違えるスペリング」 ([2019-12-20-1]) でネイティブの犯しがちなスペリングミスの例を挙げた.1993年の NFER (The National Foundation for Educational Research) による調査では,11--15歳のネイティブの子供が犯しやすいスペリングミスが明らかにされた.NFER はスペリングミスを以下の5種類に分類している(以下の引用と数値は Cook (124) より).
・ insertion of extra letters, such as the <l> added to 'until'
・ omission of letters, such as the <r> missing from 'occurring'
・ substitution of different letters, such as <a> instead of <i> in 'definate'
・ transposition of two letters, such as <ei> for <ie> in 'freind'
・ grapheme substitution involving more than two letters but only a single cause, for example when an equivalent according to sound correspondence rules is substituted for the usual form, as in 'thort' for 'thought'
5種類のミスの内訳をみてみると,insertion (17%), omission (36%), substitution (19%), transposition (5%), grapheme substitution (19%), その他 (3%) ということである.この数値を見ておよそそんなところだろうという印象だったが,grapheme substitution が予想よりも多かったので,ちょっとした発見だった.成人の数値はまた異なってくるかもしれないし,さらにネイティヴではなくL2学習者ならば,やはり別の数値が出るのではないかと疑われる.
もちろんL1, L2学習者にかかわらず,このスペリングミスの5種類の分類は単純明快で,一般的に利用できるように思われる.スペリングのミスのみならず,その変化や変異の類型にも役立つ分類だろう.
なお,スペリングの差異を測定する方法としては,ほかに "Levenshtein distance" (levenshtein_distance) というものもある.これについては「#3406. Levenshtein distance」 ([2018-08-24-1]),「#3399. 綴字の類似度計算機」 ([2018-08-17-1]),「#3397. 後期中英語期の through のワースト綴字」 ([2018-08-15-1]),「#3398. 中英語期の such のワースト綴字」 ([2018-08-16-1]) を参照.
・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
「#3083. 「英語のスペリングは大聖堂のようである」」 ([2017-10-05-1]),「#3874. 「英語の正書法はパリのような大都会である」」 ([2019-12-05-1]) で,英語正書法を建築物や都市になぞらえる見方を紹介したが,『文化系統学への招待』を読みながら,この見方を後押しする論考に出会った.中谷による「一九世紀擬洋風建築とG・クブラーの系統年代について」と題する,美術史学者クブラー (George A. Kubler) の批評である.クブラーが著書 The Shape of Time: Remarks on the History of Things (Yale UP, 1962) (邦訳『時のかたち』)で展開した論を分かりやすく要約してくれている.以下,中谷 (87--89) より引用する.
たとえば彼が述べる事物とは,一つの要素に還元することはできない.それは便宜的な命名にすぎず,むしろ出自の異なる要素を内包したクラスター(束)なのである.クブラーによって新たに示された概念とは,事物の分類に,時間の流れを取り入れたことであった.またその時間の単位は一様ではなく,それぞれの事物を構成する各要素はそれぞれに固有の時間を持っている.そのため,それら事物がさらに総合化され新たな事物として結実するとき,その事物は本来非同期的であった複数の時のかたちが一瞬出会ったかのような形態(断面)を持つと主張するのである.そしてクブラーは,これら時のなかでの事物へと編成される一連の流れをクラス〈class〉という概念によって説明した.またあらゆる事物は,過去の事物が抱えた問題に対する解答として現れるものであり,同時にそれは新たな問題を生み出す.よって事物の流れは,新しい解答群によってつながれ,洗練されてゆくのである.クブラーはこれを開かれたクラスすなわちシークエンス〈sequence〉と定義している.また逆に,解答が出つくし,新たな解決による広がりの可能性を失ったものを,閉じたクラスすなわちシリーズ〈series〉と定義している.
たとえば,大聖堂のような大規模な構築物は,異なるシークエンスに属する技術やモチーフの複合体である.
そのうえこれらの提案は,いずれも時のなかでの,クラスの特異な回復性を導き出す.たとえば閉じたクラスも,再発見によって再び開いたクラスへと展開していく可能性をつねに秘めているのである.文中クブラーはアボリジニの樹皮絵画と現代芸術における抽象的線描との共通性を指摘したり,またメキシコ古代文明における生け贄の象徴であったチャックモールとイギリスの現代彫刻家であったヘンリー・ムーア (Henry Moore) の彫刻との共通性を指摘している.一般的にはこれらの間になんらの必然的コンテクストも介在しない.むしろ恣意的な模倣,あるいは偶然の一致とみなされる.しかしながらクブラーの考えにしたがえば,それらはいったん閉じたクラスが,流転のなかで再び人間にみいだされ新しいクラスを構成しはじめるという関係(シークエンス)によって最連結されているのである.クブラーはこのような通常の地理的,時間的連続性を超えた,人間による発見的イベントをも文化形成の重要なモーメントとして引きずりこもうとしたのであった.この射程は大きい.
さらにクブラーは次に,実際の事物の,過去から現在までの伝搬の仕方について考察している.雑多な多数の解答群が散乱するだけであれば,現在まで,その問題が受け継がれることはないだろう.よって事物には,クラスの発端となる特別な物体――プライム・オブジェクト〈prime object〉的存在が存在した.それを先頭に,その後ろに,その複製品や派生物がつらなることによって,一つのクラスが伝搬されるのである.プライム・オブジェクトとは,つまりは発明物であり,特定の問題に対する初歩的だが決定的な解答である.またプライム・オブジェクトからはじまる模倣は,完全なコピーではなく,むしろ時がたつにつれて,完全を期そうとも,伝言ゲームのように不可避的に変形し,時の流れ自体が自律的に突然変異 (mutant) をも生み出すのだ.
やや長く引用したが,この文章は,正書法体系や言語体系およびその通時的変化を考える上でで,示唆的な指摘に富んでいる.たとえば,言語体系は「異なる要素を内包したクラスター(束)」であり,それを「構成する各要素はそれぞれに固有の時間を持っている」.英文法を考えてれみば,仮定法という項目は印欧祖語に由来する非常に古い項目だが,完了形は古英語になってようやく始まった項目であり,(現代的な)進行形は近代英語期にかけて生じた若い項目にすぎない.それぞれの項目の「年齢」は大きく異なるが,現代英語の文法体系という一つ屋根の下で共生している.それらは本来非同期的な項目だったのだが,現代英語にかけて偶然に一瞬出会うことになり,その一瞬の断面を私たちは今眺めているのである.
また,そのような現時点の英文法体系は完璧なものではなく,幾多の「問題」を抱えている.これに対して「新しい解答群」が出され,それによって英文法の流れが「つながれ,洗練されてゆく」.この意味で,英文法体系は「開かれたクラスすなわちシークエンス〈sequence〉」である.
文法体系にせよ正書法体系にせよ,言語に関する体系は「本来非同期的な複数の時のかたちが一瞬出会った断面」としてとらえることができる.刺激的で魅力的な言語観ではないか.
・ 中谷 礼仁 「一九世紀擬洋風建築とG・クブラーの系統年代について」『文化系統学への招待』中尾 央・三中 信宏(編),勁草書房,2012年.85--117頁.
「#1772. greengrocer's apostrophe」 ([2014-03-04-1]) の続編.-s として綴るべきところで apostrophe を付して -'s と綴る非標準的な事例が跡を絶たない.典型的に八百屋の値札にみられる(誤)用法なので,冗談交じりに "greengrocer's apostrophe" と称される.
その実例を収集した The Golden Apostrophe Awards なるサイトがある.トップページに掲げられているのは,"Trump's First Campaign Event Had It's 4th Anniversary" と書き込まれた写真である.所有格代名詞の its を,apostrophe を入れて it's と綴ってしまう非常によくある事例の1つだ (cf. 「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1])) .
時節柄クリスマス絡みの例を挙げるのがふさわしいだろう.こちらのページ に掲載されている諸礼を眺めてみると,apostrophe がないべきところにあったり,逆にあるべきところになかったりと様々に楽しめる.
・ To our Valued Gowings Customer's Merry Christmas & Happy New Year
・ Camera's follow Vatican insiders to reveal the intrigue and manoeuvring behind the election of a new pope.
・ Your invited to join us for our Family Service each Sunday at 9.30am.
・ 16 DELUXE CHRISTMAS CARDS IN ASSORTED DESIGN'S
現代英語の正書法としては確かに「誤用」とされるのだが,歴史的にみれば apostrophe がいつ付き,いつ付かないかについては長い混用の時代があった.以下の記事で関連する話題を取り上げているので,ご一読あれ.
・ 「#3661. 複数所有格のアポストロフィの後に何かが省略されているかのように感じるのは自然」 ([2019-05-06-1])
・ 「#3656. kings' のような複数所有格のアポストロフィの後には何が省略されているのですか?」 ([2019-05-01-1])
一見すると英語のスペリングと Chomsky とは結びつかないように思われるが,実は関係がある.Chomsky は,語の心的表現は正書法上のスペリングに近い形で存在しているのではないかと考えているからだ.Cook (77) 経由で,2つほど引用したい.
. . . conventional orthography is . . . a near optimal system for the lexical representation of English words. (N. Chomsky and M. Halle 1968: 49)
In short, conventional orthography is much closer than one might guess to an optimal orthography, an orthography that presents no redundant information and that indicates directly, by direct letter-to-segment correspondence, the underlying lexical form of the spoken language (N. Chomsky 1972: 12)
生成文法では,話者の記憶辞書に格納されている語の基底形は,そこから種々の派生語を生成するのに最適化された表現を取っているものとされる.その基底形と出力の音形が著しく異なっているということは滅多にないが,だからといって両者が常に厳密に一致しているというわけでもない.両者の関係は緩い関係である.この緩さは,語のスペリングと発音の関係にも当てはまる.生成文法でいう基底形と英語の正書法上のスペリングというのは,立ち位置がとても似ているのである.
これについて,Cook (78) は上にも引用した Chomsky に依拠しながら次のように論じている.
Most claims that English spelling is deficient are based on the view that English spelling corresponds to the sounds of speech. The purpose of English spelling is instead to link to the underlying lexical representation. However bad English writing may be as a sound-based system, it is efficient at showing the underlying forms of words stripped of the accidental features attached to them by phonological rules. Its purpose is not the representation of sounds but the representation of word forms. Looked at in this light, 'conventional orthography is . . . a near optimal system for the lexical representation of English words' (Chomsky and Halle 1968: 49).
ここで述べられているのは,英語スペリングは表音性という観点からは落第点をつけられるかもしれないが,表語性という点に注目するならば,かなり上手くやっているということだ.私も「#3873. 綴字が標準化・固定化したからこそ英語の書記体系は複雑になった」 ([2019-12-04-1]) や,そこに張ったリンク先の記事で主張してきたように,現代英語の正書法におけるスペリングの役割の重心は,表音というよりは表語にあると考えている.
こんなところで Chomsky とつながってきたかと意外ではある.今日から私も Chomskian!?
・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
・ Chomsky, N. and M. Halle. The Sound Pattern of English. London: Harper & Row, 1968.
・ Chomsky, N. Phonology and Reading. Basic Processes in Reading. Ed. H. Levin. London: Harper & Row, 1972. 3--18.
Cook (86) に,ネイティブの学生がよく間違えるスペリングが掲載されている.以下に挙げてみよう.
definately, knew (for new), bare (for bear), baring (for barring), demeening, tradditional, detatchment, finnished, grater (for greater), senario, compulsary, relevent (for relevant), illicit (for elicit), pronounciation, booring (for boring), layed out, pysche, embarassing, accomodate, quite (for quiet), syllubus, their (for there), sited (for cited), where (for were), to (for too), usefull, vocabularly, affect (for effect), percieved, principle (for principal), sence (for sense)
確かに間違えやすそうと納得する語もあるものの,すでにその語(の発音)を知っているネイティブの間違え方を眺めていると,英語を第2言語として学んでいる典型的な日本語母語話者の間違え方とは異なっているものも多いことに気づく.私個人としていえば knew/new, grater/greater, to/too, where/were のような混同は未経験である.また,ここには挙がっていないが,ネイティブがよく間違える綴字ともいわれる it's/its についても,なぜ混同するのかピンと来ない.発音は同じだとしても明らかに機能が異なるでしょう,と突っ込みたくなる (cf. 「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1])) .
このようなネイティブと非ネイティブのスペリングの間違え方の差異は,いったい何を意味しているのだろうか.発音ありきのネイティブ的言語習得と,文法ありきの日本の英語教育的言語習得との違いによるものとは想像されるが,非常に含蓄に富む問題である.言語習得や英語教育はもとより,音韻論,文字論,読み書きの科学などの学際的な知見を総動員して迫るべき話題だろう.
・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow