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orthography - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2020-01-18 10:02

2019-11-13 Wed

#3852. なぜ「新橋」(しんばし)のローマ字表記 Shimbashi には n ではなく m が用いられるのですか? (1) [sobokunagimon][nasal][consonant][japanese][romaji][phonetics][phonology][phoneme][allophone][assimilation][language_planning][spelling][orthography]

 取り上げる例が「新橋」かどうかは別にしても,「ん」がローマ字で m と綴られる問題はよく話題にのぼります.
 JR山手線の新橋駅の駅名表記は確かに Shimbashi となっています.日本語の表記としては「しんばし」のように「ん」であっても,英語表記(正確にいえば,JRが採用しているとおぼしきヘボン式ローマ字表記に近い表記)においては n ではなく m となります.これはいったいなぜでしょうか.この問題は,実は英語史の観点からも迫ることのできる非常にディープな話題なのですが,今回は教科書的な回答を施しておきましょう.
 まず,基本的な点ですが,ヘボン式ローマ字表記では「ん」の発音(撥音と呼ばれる音)は,b, m, p の前位置においては n ではなく m と表記することになっています.したがって,「難波」(なんば)は Namba,「本間」(ほんま)は Homma,「三瓶」(さんぺい)は Sampei となり,それと同様に新橋(しんばし)も Shimbashi となるわけです.もちろん,問題はなぜそうなのかということです.
 b, m, p の前位置において m と表記される理由を理解するためには,音声学の知識が必要です.日本語の撥音「ん」は特殊音素と呼ばれ,日本語音韻論では /ɴ/ と表記されます.理論上1つの音であり,日本語母語話者にとって紛れもなく1つの音として認識されていますが,実際上は数種類の異なる発音で実現されます.「ん」はどのような音声環境に現われるかによって,異なる発音として実現されるのです.
 「難波」「本間」「三瓶」の3単語を発音してみると,「ん」の部分はいずれも両唇を閉じた発音となっていることが分かるかと思います.これはマ行子音 m の口構えにほかなりません.日本語母語話者にとっては「ん」として n を発音しているつもりでも,上の場合には実は m を発音しているのです.これは後続する m, b, p 音がいずれも同じ両唇音であるために,その直前に来る「ん」も歯茎音 n ではなく両唇音 m に近づけておくほうが,全体としてスムーズに発音できるからです.発音しやすいように前もって口構えを準備した結果,デフォルトの n から,発音上よりスムーズな m へと調整されているというわけです.
 微妙な変化といえば確かにそうですので,日本語表記では,特に発音の調整と連動させずに「ん」の表記のままでやりすごしています(連動させるならば,候補としては「む」辺りの表記となるでしょうか).しかし,このような発音の違いに無頓着ではいられない英語の表記(および,それに近いヘボン式ローマ字表記)にあっては,上記の音声環境においては,n に代えて,より厳密な音声表記である m を用いるわけです.
 日本語母語話者にとっては「新宿」(しんじゅく)も「新橋」(しんばし)も同じ「ん」音を含むのだから,同じ「ん」 = n の表記を用いればよいではないかという理屈ですが,英語(やヘボン式ローマ字)では2つの「ん」が実は同じ発音でないという事実を重視して,前者には n の文字を,後者には m の文字を当て,区別して表記するならわしだということです.
 ローマ字で書くとはいえ,読者として日本語母語話者を念頭におくのであれば n と表記するほうが分かりやすいのはいうまでもありません.これを実現しているのが訓令式ローマ字です.それによると「新橋」は Sinbasi となります.おそらくJR(を含む鉄道各社)は,想定読者として非日本母語話者(おそらく英語表記であれば理解できるだろうと思われる多くの外国人)を設定し,訓令式ではなくヘボン式(に類似した)ローマ字表記を採用しているのではないかと考えられます.Shimbashi 問題は,日本語と英語にまつわる音声学・音韻論・綴字の問題にとどまらず,国際化を視野に入れた日本の言語政策とも関わりのある問題なのです.

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2019-11-10 Sun

#3849. 「綴字語源学」 [etymology][lexicology][spelling][spelling][spelling_pronunciation_gap][writing][grammatology][orthography][standardisation][terminology]

 語源学 (etymology) が単語の語源を扱う分野であることは自明だが,その守備範囲を厳密に定めることは意外と難しい.『新英語学辞典』の etymology の項を覗いてみよう.

etymology 〔言〕(語源(学)) 語源とは,本来,語の形式〔語形・発音〕と意味の変化の歴史を可能な限りさかのぼることによって得られる文献上または文献以前の最古の語形・意味,すなわち語の「真の意味」 (etymon) を指すが,最近では etymon と同時に,語の意味・用法の発達の歴史,いわゆる語誌を含めて語源と考えることが多い.このように語の起源および派生関係を明らかにすることを目的とする語源学は,語の形態と意味を対象とする点において語彙論 (lexicology) の一部をなすが,また etymon を明らかにする過程において,特定言語の歴史的な研究 (historical linguistics) や比較言語学 (comparative linguistics) の方法と成果を用い,ときに民族学や歴史・考古学の成果をも援用する.従って語源学は,単語を中心とした言語発達史,言語文化史ということもできよう.


 上記によると,語源学とは語の起源と発達を明らかにする分野ということになるが,そもそも語とは形式と意味の関連づけ(シニフィアンとシニフィエの結合)によって成り立っているものであるから,結局その関連づけの起源と発達を追究することが語源学の目的ということになる.ここで語の「形式」というのは,主として発音のことが念頭に置かれているようだが,当然ながら歴史時代にあっては,文字で表記された綴字もここに含まれるだろう.しかし,上の引用では語の綴字(の起源と発達)について明示的には触れられておらず,あたかも語源学の埒外であるかのように誤解されかねない.語の綴字も語源学の重要な研究対象であることを明示的に主張するために,「綴字語源学」,"etymology of spelling", "orthographic etymology" のような用語があってもよい.
 もちろん多くの英語語源辞典や OED において,綴字語源学的な記述が与えられていることは確かである.しかし,英単語の綴字の起源と発達を記述することに特化した語源辞典はない.英語綴字語源学は非常に豊かで,独立し得る分野と思われるのだが.
 (英語)語源学全般について,以下の記事も参照.

 ・ 「#466. 語源学は技芸か科学か」 ([2010-08-06-1])
 ・ 「#727. 語源学の自律性」 ([2011-04-24-1])
 ・ 「#1791. 語源学は技芸が科学か (2)」 ([2014-03-23-1])
 ・ 「#598. 英語語源学の略史 (1)」 ([2010-12-16-1])
 ・ 「#599. 英語語源学の略史 (2)」 ([2010-12-17-1])
 ・ 「#636. 語源学の開拓者としての OED」 ([2011-01-23-1])
 ・ 「#1765. 日本で充実している英語語源学と Klein の英語語源辞典」 ([2014-02-25-1])

 ・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.

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2019-09-20 Fri

#3798. 古英語の緩い分かち書き [punctuation][writing][scribe][manuscript][distinctiones][anglo-saxon][orthography][hyphen]

 英語表記において単語と単語の間に空白を入れる分かち書きの習慣については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) を始めとする distinctiones の各記事で取り上げてきた.この習慣は確かに古英語期にも見られたが,現代のそれに比べれば未発達であり,あくまで過渡期の段階にあった.実のところ,続く中英語期でも規範として完成はしなかったので,古英語の分かち書きの緩さを概観しておけば,中世英語全体の緩さが知れるというものである.
 Baker は,古英語入門書において単語の分かち書き,および単語の途中での行跨ぎに関して "Word- and line-division" (159--60) と題する一節を設けている.以下,分かち書きについての解説.

Word-division is far less consistent in Old English than in Modern English; it is, in fact, less consistent in Old English manuscripts than in Latin written by Anglo-Saxon scribes. You may expect to see the following peculiarities.

・ spaces between the elements of compounds, e.g. aldor mon;
・ spaces between words and their prefixes and suffixes, e.g. be æftan, gewit nesse;
・ spaces at syllable divisions, e.g. len gest;
・ prepositions, adverbs and pronouns attached to the following words, e.g. uuiþbret walū, hehæfde;
・ many words, especially short ones, run together, e.g. þær þeherice hæfde.

The width of the spaces between words and word-elements is quite variable in most Old English manuscripts, and it is often difficult to decide whether a scribe intended a space. 'Diplomatic' editions, which sometimes attempt to reproduce the word-division of manuscripts, cannot represent in print the variability of the spacing on a hand-written page.


 続けて,単語の途中での行跨ぎの扱いについて.

Most scribes broke words freely at the ends of lines. Usually the break takes place at a syllabic boundary, e.g. ofsle-gen (= ofslægen), sū-ne (= sumne), heo-fonum. Occasionally, however, a scribe broke a word elsewhere, e.g. forhæf-dnesse. Some scribes marked word-breaks with a hyphen, but many did not mark them in any way.


 古英語期にもハイフンを使っていた写字生がいたということだが,この句読記号が一般化するのは「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) で述べたように16世紀後半のことである.
 以上より,古英語の分かち書きの緩さ,ひいては正書法の緩さが分かるだろう.

 ・ Baker, Peter S. Introduction to Old English. 2nd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2007.

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2019-05-18 Sat

#3673. responsibility はゆるゆるのスペリング [spelling][orthography][haplology]

 [2019-05-16-1], [2019-05-17-1] の記事で,オーストラリアの新札で responsibilityresponsibilty と誤って綴られていたという話題を取り上げてきた.今回はこの語の綴字そのものについてコメントしておきたい.
 この語の規範的な発音は,長い6音節の /rɪˌspɒnsəˈbɪləti/ である.スペリングミスと指摘された最後の <i> に対応するのは,後ろから2音節目の /ə/ である.規範的な発音ですら弱音節の曖昧母音なのだから,カジュアルな発音では脱落することもあろう.その場合には,1音節減の /-bɪlti/ となり,今回のミススペリングはまさにこの発音に忠実な表記となる(だからといって,そのスペリングを特に擁護するわけではないが).
 また,<i> の文字が3音節に連続して現われるというのも,うるさいといえばうるさい.最後の <i> の脱落は,haplography (重字脱落)といっては言い過ぎだろうが,その動機づけは分からないでもないのも事実だ (cf. 「#2362. haplology」 ([2015-10-15-1])) .中世の写本などでは,この種の脱落は十分にあり得たろう(だからといって,今回のミススペリングを特に擁護するわけではないが).
 次に,問題の <i> の1つ前の音節 bil に注目してみよう.ここにも <i> の文字がみえるが,対応する母音 /ə/ も考えてみれば妙だ.この語の接尾辞 -ibility は -ability の変種だが,この接尾辞の基体というべき形容詞版は -able であり,bl の間には文字としても発音としても i は存在しない.ability (n.) -- able (adj.) では,正規のスペリングにおいても発音においても,i の有無の対立が見られるのである.さらにおもしろいことに中英語までさかのぼると,able は <able>, <abil>, <abill> などと綴られたし,ability も <abilite>, <abilte>, <ablete> などと綴られた.いずれの語でも <i> がオン・オフしている.今回のミススペリングに直接関係する音節ではないとはいえ,そこでの <i> も,共時的あるいは通時的にみて実に緩い存在なのだ (cf. MED より āble adj., abilitē n.) .
 さらに1音節前の si /sə/ をみてみよう.この語の接尾辞は -ability ではなく -ibility となっているが,対応するフランス語をみると responsabilité である(形容詞も responsable).語源はラテン語の第1変化動詞 respōnsāre に由来し,母音は a が正統なのだが,英語では英語にありがちな混同を経て i となったものである.この点でも,やはり何だか緩い.
 以上をまとめれば,今回の新札で問題となった最後の <i> のみならず,その前の <i> も,さらにその前の <i> も,揃いも揃って歴史的には揺れてきたのである.全体として responsibility は英語の正書法を代表する「ゆるゆるのスペリング」といってよい.このように見てくると,新札の「誤った」 responsibilty も,ある意味でかわいく思えてくる.

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2019-05-17 Fri

#3672. オーストラリア50ドル札に responsibility のスペリングミス (2) [spelling][orthography][sociolinguistics]

 昨日の記事 ([2019-05-16-1]) に引き続き,標記の話題.responsibilityresponsibilty と綴ったところで,何の誤解も生じるはずがない,とすれば世間は何を騒いでいるのか,という向きもあるにちがいない.しかし,現実的には世界中の英語文化に直接・間接に関与する多数の人々(日本人の英語学習者も含む)にとって,<i> を含む「正しい綴字」には威信 (prestige) があり,<i> が抜けている「誤った綴字」には傷痕 (stigma) が付されているという評価が広く共有されている.今回のスペリングミスについてどの程度積極的に非難するかは別として,少なくとも「オーストラリア,やっちゃったな」とチラとでも思っているようであれば,それは「正しい綴字」の威信を感じていることの証左である.
 しかし,そのように感じている人(私も含め)は,なぜ <i> の1文字の有無に左右される「正しい綴字」に威信を認めているのだろうか.今回の「正しい綴字」に積極的・消極的に威信を認めるという行為そのものによって,responsibility という綴字の威信はいやましに高まり,responsibilty を含む正しくない綴字はますます負のレッテルを貼られるようになる.それは英語の正書法全般にもインパクトを与え,ますます「正しい綴字」の威信を高め,「誤った綴字」の傷痕を増す方向へ圧力を加えることになる.威信・傷痕の拡大再生産である.
 この加圧の主体は,英語を使う社会全体である.社会とは集団のことだが,集団とは個人の集まりである.究極的には,この圧力を加えているのは,それぞれ意識はせずとも一人一人の個人である.英語を非母語として学んでいる私たちの各々も,その集団の(はしくれかもしれないが)一員である以上,0.00000001%以下の貢献度ではあるが,無意識的にこの加圧の主体となっているのである.英語母語話者でもないのにそんな言い方はバカバカしいと思われるかもしれないが,これは事実である.とある綴字にもとから自然に威信があるとか,傷痕があるとか理解してはいけない.社会が,そして究極的には個人が(=あなたや私が),その綴字に威信や傷痕を付しているのである.
 発音,文法,語彙,綴字などの言語項それ自体に,おのずからプラスやマイナスの力があるわけはない.それを使う人間が,それらにプラスやマイナスの社会的価値を付しているだけである.responsibilityresponsibilty という綴字そのものに内在的な力があるとは考えられない.一方の綴字にプラスの力を,他方にマイナスの力を付しているのは,一人一人の人間なのである.みなが1字の違いで騒ぐのはアホらしいという意見で一致すれば,ニュースにもスキャンダルにもならないだろう.みなが1字の違いが重要だと思っているからこそ,ニュースになりスキャンダルにもなっているのである.つまり,これは明らかに英語に関与するすべての人々が共同で作り上げたニュースであり,スキャンダルなのだ.

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2019-05-16 Thu

#3671. オーストラリア50ドル札に responsibility のスペリングミス (1) [spelling][orthography][sociolinguistics]

 先週世界を駆け巡ったニュースだが,オーストラリアの最新技術を駆使した新50ドル札に3つめの <i> の抜けた responsibilty (正しくは responsibility)というスペリングミスのあることが発覚した.英語正書法上の大スキャンダル,"spelling blunder" と騒がれている(BBC News の記事 Australia's A$50 note misspells responsibility などを参照).
 Reserved Bank of Australia が昨年発行した50ドル紙幣には,オーストラリア議会初の女性議員 Edith Cowan の肖像画が描かれているが,その左隣にみえる芝生の絵の部分は,実は非常に小さな文字列からなっており,そこに Cowan の議会での初演説からの一節が引用されている.具体的には "It is a great responsibility to be the only woman here, and I want to emphasise the necessity which exists for other women being here." という文が何度も繰り返し印刷されているのだが,いずれの文においても responsibilityresponsibilty と <i> 抜きで綴られていた.虫眼鏡でなければ読めない小さな文字で書かれているので,発行から半年のあいだ誰にも気付かれずにきたらしい.すでに4600万部が印刷されてしまっており回収不可能なので,RBA は「次回の印刷で正します」とのこと.

Australia's $50 Note Spelling Blunder

 オーストラリア人はもとより世界中の多くの人々が,RBA やオーストラリアに対して声高には非難せずとも「やってしまったなぁ」と内心つぶやいていることだろう.私も素直に感想を述べれば「ヘマをやらかしてしまったなあ」である.一方,このようなニュースで世間が騒いでいるのをみて,<i> が抜けた程度でこの単語が誤解されることはない,何を騒ぐのか,という向きもあるだろう.確かに意思疎通という観点からいえば,誤った responsibilty も正しい responsibility と同じように十分な用を足す.
 しかし,言語のその他の要素と同様に,スペリングには言及指示的機能 (referential function) と社会指標的機能 (socio-indexical function) の2つの機能がある (cf. 「#2922. 他の社会的差別のすりかえとしての言語差別」 ([2017-04-27-1])) .今回のミススペリングは,「責任」を意味する語の言及指示的機能を損ねるものではないが,スペリングの社会指標的機能について再考を促すものではある.具体的にいえば,<i> 込みの responsibility には威信 (prestige) があり,<i> 抜きの responsibilty には傷痕 (stigma) が付着しているということだ.それぞれのスペリングに,プラスとマイナスの社会的な価値づけがなされているのである.
 では,なぜそのような価値づけがなされているのか.誰が価値づけしていて,私たちはなぜそれを受け入れているのか.これは正書法を巡る社会言語学上の大問題である.
 さらにいえば,これは歴史的な問題でもある.というのは,1500年を超える英語の歴史のなかで,スペリングの規範を含む厳格な正書法が現代的な意味で確立し,遵守されるようになったのは,たかだか最近の250年ほどのことだからだ.その他の時代には,スペリングに対する寛容さがもっとあった.なぜ後期近代以降,そのような寛容さが英語社会から失われ,<i> 1文字で騒ぎ立てるほどギスギスしてきたのか.
 responsibilty 問題は,英語書記体系そのものに対する関心を呼び起こしてくれるばかりか,正書法の歴史や,言語項への社会的価値づけという深遠な話題への入り口を提供してくれる.向こう数週間の授業で使っていけそうな一級のトピックだ.本ブログでも,続編記事を書いていくつもりである.
 世界的に有名な他の "spelling blunder" としては,アメリカ元副大統領 Dan Quayle の「potato 事件」がある.これについては,Horobin (2--3) あるいはその拙訳 (16--17) を参照.たかが1文字,されど1文字なのである.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.

Referrer (Inside): [2019-05-18-1] [2019-05-17-1]

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2019-03-14 Thu

#3608. 中英語における <u> の <o> による代用 (4) [spelling][orthography][minim][vowel][spelling_pronunciation_gap][eme][me_dialect][lexical_diffusion]

 昨日の記事 ([2019-03-13-1]) に引き続いての話題.中英語における <u> と <o> の分布を111のテキストにより調査した Wełna (317) は,結論として以下のように述べている.

. . . the examination of the above corpus data has shown a lack of any consistent universal rule replacing <u> with <o> in the graphically obscure contexts of the postvocalic graphemes <m, n>. Even words with identical roots, like the forms of the lemmas SUN (OE sunne), SUMMER (OE sumor) and SON (OE sunu), SOME (OE sum) which showed a similar distribution of <u/o> spellings in most Middle English dialects, eventually (and unpredictably) have retained either the original spelling <u> (sun) or the modified spelling <o> (son). In brief, each word under discussion modified its spelling at a different time and in different regions in a development which closely resembles the circumstances of lexical diffusion.


 このように奥歯に物が挟まったような結論なのだが,Wełna は時代と方言の観点から次の傾向を指摘している.

. . . o-spellings first emerged in the latter half of the 12th century in the (South-)West (honi "honey" . . .). Later, a tendency to use the new spelling <o> is best documented in London and in the North.


 Wełna 本人も述べているように,調査の対象としたレンマは HUNDRED, HUNGER, HONEY, NUN, SOME, SUMMER, SUN, SON の8つにすぎず,ここから一般的な結論を引き出すのは難しいのかもしれない.さらなる研究が必要のようだ.

 ・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.

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2019-03-13 Wed

#3607. 中英語における <u> の <o> による代用 (3) [spelling][orthography][minim][vowel][spelling_pronunciation_gap][eme][scribe][anglo-norman]

 標題に関連する話題は「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]),「#2453. 中英語における <u> の <o> による代用 (2)」 ([2016-01-14-1]),「#3513. comesome の綴字の問題」 ([2018-12-09-1]),「#3574. <o> で表わされる母音の問題 --- donkey vs monkey」 ([2019-02-08-1]) で取り上げてきた.今回は,「<u> の <o> による代用」という綴字慣習が初期中英語に生じ,後に分布を拡大させていった経緯に焦点を当てた Wełna の論文に依拠しつつ,先行研究の知見を紹介したい.
 現代英語の monk, son, tongue などにみられる <o> の綴字は,歴史的には <u> だったものが,初期中英語期以降に <o> と綴りなおされたものである.この綴りなおしの理由は,上にリンクを張った記事でも触れてきたように,一般に "minim avoidance" とされる.[2016-01-11-1]の記事で述べたように,「母音を表す <u> はゴシック書体では縦棒 (minim) 2本を並べて <<ıı>> のように書かれたが,その前後に同じ縦棒から構成される <m>, <n>, <u>, <v>, <w> などの文字が並ぶ場合には,文字どうしの区別が難しくなる.この煩わしさを避けるために,中英語期の写字生は母音を表す <u> を <o> で置換した」ということだ.
 しかし,英語史研究においては,"minim avoidance" 以外の仮説も提案されてきた.合わせて4つほどの仮説を Wełna (306--07) より,簡単に紹介しよう.

 (1) 当時のフランス語やアングロ・ノルマン語でみられた <u> と <o> の綴字交替 (ex. baronbarun) が,英語にももたらされた
 (2) いわゆる "minim avoidance"
 (3) ノルマン方言のフランス語で [o] が [u] へと上げを経た音変化が綴字にも反映された
 (4) フランス語の綴字慣習にならって /y(ː)/ ≡ <u> と対応させた結果,/u/ に対応する綴字が新たに必要となったため

 このように諸説あるなかで (2) が有力な説となってきたわけだが,実際には当時の綴字を詳しく調べても (2) の仮説だけですべての事例がきれいに説明されるわけではなく,状況はかなり混沌としているようだ.そのなかでも初期中英語期の状況に関する比較的信頼できる事実を Morsbach に基づいてまとめれば,次のようになる (Wełna 306) .

a. the 12th century English manuscripts employ the spelling <u>;
b. the first o-spellings emerge in the latter half of the 12th century;
c. <o> for <u> is still rare in the early 13th century and is absent in Ormulum, Katherine, Vices and Virtues, Proclamation, and several other texts;
d. from the latter half of the 13th century onwards the frequency of <o> grows, which results in both old <u> and new <o> spellings randomly used in texts composed even by the same scribe.


 当時の「ランダム」な分布が,現代英語にまで延々と続いてきたことになる.手ごわい問題である.

 ・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.
 ・ Morsbach, Lorenz. Mittelenglische Grammatik. Halle: Max Niemayer, 1896.

Referrer (Inside): [2019-03-14-1]

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2019-01-29 Tue

#3564. 17世紀正音学者による綴字標準化への貢献 [orthography][orthoepy][spelling][standardisation][emode]

 Brengelman は,17世紀中に確立した英語の綴字標準化は,印刷業者の手によるものというよりは正音学者たち(および彼らとコラボした教育者たち)の功績であると考えている.これは「#1384. 綴字の標準化に貢献したのは17世紀の理論言語学者と教師」 ([2013-02-09-1]) で紹介したとおりである.綴字の標準化は,17世紀半ばに秩序を示しつつ成るべくして成った旨を,Brengelman (334) より引用しよう.

Above all, it is significant that the English spelling system that emerged from the seventeenth century is not a collection of random choices from the ungoverned mass of alternatives that were available at the beginning of the century but rather a highly ordered system taking into account phonology, morphology, and etymology and providing rules for spelling the new words that were flooding the English lexicon. / Printed texts from the period demonstrate clearly that, during the middle half of the seventeenth century, English spelling evolved from near anarchy to almost complete predictability.


 では,正音学者は具体的にどんな正書法上の改善点をもたらしたのだろうか.主立った5点を,Brengelman (347) よりあげよう.

1. The rationalization of the use of final e.
2. The rationalization of the use of consonant doubling, including the use of tch and ch, dg and g, ck and k.
3. The rationalization of the use of i and j, v and u.
4. Resolution of the worst problems relating to the use of i, y, and ie.
5. The almost total regularization of morphemes borrowed from Latin, including those borrowed by way of French.


 これらの改善点は,個々の単語レベルでみれば軽微なものにすぎないが,集合的にいえば綴字の見栄えをぐんと現代的にしてくれた.
 綴字標準化に関する Brengelman の重要な論考については,「#1383. ラテン単語を英語化する形態規則」 ([2013-02-08-1]),「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1]),「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1]),「#1387. 語源的綴字の採用は17世紀」 ([2013-02-12-1]),「#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1)」 ([2015-10-30-1]) でも言及しているのでので要参照.

 ・ Brengelman, F. H. "Orthoepists, Printers, and the Rationalization of English Spelling." JEGP 79 (1980): 332--54.

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2018-09-14 Fri

#3427. 訓令式・日本式・ヘボン式のローマ字つづり対照表 [japanese][writing][orthography][romaji][language_planning]

 「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]),「#1892. 「ローマ字のつづり方」」 ([2014-07-02-1]) で見たとおり,日本語のローマ字表記は「現行の方式」「ヘボン式」「標準式」「日本式」「訓令式」などのいくつかのつづり方の間で揺れている.
 「現行の方式」は,1954年(昭和29年)12月9日に政府が「ローマ字のつづり方」として告示した「第1表」と「第2表」の二本立てである.この第1表とは次に示す「訓令式」と同一であり,第2表とは後に述べる「標準式」と,訓令式から漏れた部分を「日本式」から補ったものとから成っている.
 「ヘボン式」は,1885年(明治18年)に,チェンバレン,外山正一などによって組織された『羅馬字会』が発表した方式で,子音字を英語風に,母音字をイタリア語風に書き表す方法である.ヘボンの『和英語林集成』第3版(1886年)に採用されたため,その名がついた.
 「標準式」は,別名「改正ヘボン式」とも呼ばれるように,1908年(明治41年)に,ヘボン式から kwa, gwa, ye, wo を削除したものである.旧国鉄駅名や人名などに広く用いられている.一部が第2表に取り込まれている.
 「日本式」は,1886年(明治19年)に田中館愛橘らが羅馬字会に対抗して発表した方式で,日本語の五十音図に基づいている.一部が第2表に取り込まれている.
 「訓令式」は,1937年(昭和12年)9月21日に「国語ローマ字綴リ方ニ関スル件」の訓令で示された日本式の変種であり,そのまま第1表となっている.
 以下に,訓令式を基準とした訓令式・日本式・ヘボン式の対照表を示そう.日本式は青字 [ ] (特定の語に用いられるものには * を付す),ヘボン式は赤字イタリック体で示した.

ア行 aiueo    
カ行 kakikukeko kyakyukyo
  [kwa]*        
サ行 sasisuseso syasyusyo
   shi    shashusho
タ行 tatituteto tyatyutyo
   chitsu   chachucho
ナ行 naninuneno nyanyunyo
ハ行 hahihuheho hyahyuhyo
    fu      
マ行 mamimumemo myamyumyo
ヤ行 ya yu yo    
ラ行 rarirurero ryaryuryo
ワ行 wa   [wo]*    
           
ガ行 gagigugego gyagyugyo
  [gwa]*        
ザ行 zazizuzezo zyazyuzyo
   ji    jajujo
ダ行 dazizudedo zyazyuzyo
   [di][du]   [dya][dyu][dyo]
   ji    jajujo
バ行 babibubebo byabyubyo
パ行 papipupepo pyapyupyo


 以上,『日本語百科大事典』 (pp. 348--51) に依拠した.

 ・ 『日本語百科大事典』 金田一 春彦ほか 編,大修館,1988年.

Referrer (Inside): [2019-05-12-1]

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2018-06-16 Sat

#3337. Mulcaster の語彙リスト "generall table" における語源的綴字 (2) [mulcaster][spelling][etymological_respelling][lexicography][dictionary][orthography]

 標題は「#1995. Mulcaster の語彙リスト "generall table" における語源的綴字」 ([2014-10-13-1]) で取り上げたが,Mulcaster の <ph> の扱いについて気づいたことがあるので補足する.
 Richard Mulcaster (1530?--1611) が1582年に出版した The first part of the elementarie vvhich entreateth chefelie of the right writing of our English tung, set furth by Richard Mulcaster の "Generall Table" には,彼の提案する単語の綴字が列挙されている.この語彙リストは,EEBO TCP, The first part of the elementarie のページTHE GENERAL TABLE CAP. XXV. より閲覧することができる.  *  *
 このリストから <ph> で始まる一群の単語が掲載されている箇所をみると,Phantasie, phantasticall, pheasant, phisician, pharisie, phisiognomie, philip, phrensie, philosophie, phenix の10語に対して一括してカッコがあり,"vvhy not all these vvith f" と注記がある.

Mulcaster's Proposal of <f> for <ph>

 概していえば Mulcaster は語源的綴字の受け入れに消極的であり,これらの <ph> 語も,注記から示唆されるように,本心としては <f> で綴りたかったのかもしれない.実際,<f> の項では,fantsie, fantasie, fantastik, fantasticall, feasant, frensie が挙げられている(しかし,これは先の10語のすべてではない).
 現代の私たちは歴史の後知恵で結果を知っているが,Mulcaster の <f> に関するこの提案が実を結んだのは,上の10語のうち fantasy, fantastical, frenzy の3語のみである.これは,語源的綴字の後世への影響力が概して大きかったことを物語っているといえよう.

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2018-03-31 Sat

#3260. 古英語における標準化 [oe][standardisation][orthography][lexicology]

 古英語について標準化 (standardisation) を論じる際に主たる話題となるのは,(1) 初期古英語の "Early West Saxon" あるいは "Alfredian Old English" の正書法,(2) 後期古英語の "Late West Saxon", "Ælfrician Old English" あるいは "Standard Old English" の正書法,(3) "Winchester vocabulary" の3点だろうか.そのほかにも,"Mercian literary language" なども標準化という項目のもとで扱い得る話題かもしれない.
 これらの古英語の「標準語」は,「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]) や「#3209. 言語標準化の7つの側面」 ([2018-02-08-1]) で紹介した Haugen や Milroy and Milroy の標準化の理論的な基準に照らしてみれば,あくまで限定的な意味での「標準語」にすぎないとはいえるだろう.例えば Late West Saxon が古英語の標準語(少なくとも正書法において)であるという捉え方が一般的になっているが,それは Haugen のいう Selection の段階を経た程度に過ぎず,Codification, Elaboration, Acceptance という側面についてはほぼ何も関わっていない.厳密にいうのであれば,「標準語」などではないということになる.Late West Saxon については,正書法ではなく,むしろ屈折形態論における標準(化)を論じるほうが適切ではないかという意見もある (Kornexl 231) .
 しかし,英語史全体の流れのなかで標準化を考える上では,やはり古英語の状況も比較対象として押さえておくのがよい.例えば,初期古英語の Early West Saxon と後期古英語の Late West Saxon については,それぞれ正書法上の限定的な標準化を論じることができるが,両者の間には必ずしも通時的な連続性はないとされている点は重要である (Kornexl 230) .また,中英語後期から発達する標準語も,これらの古英語の標準語のいずれとも連続性がない.つまり,英語の標準化は,歴史上,独立して何度か生じている.
 語彙に関する古英語の標準化の事例としては,"Winchester vocabulary" が挙げられる.10--11世紀に "Winchester group/circle" と名付けられた学派が Winchester に集って書いた文章のなかに,策定されたとおぼしき一定の語彙が確認される.その学派のなかで最も典型的な著者は Ælfric であり,彼のテキストにおいては "Winchester vocabulary" の採用率は98.3%にも上るという.この標準的語彙の起源がどこにあるのかについては議論があるが,ラテン語テキストからの古英語翻訳の際に訳語として定着したものが多いということが言われている.したがって,ある意味では外からの圧力による標準化の事例ということになろうか.

 ・ Kornexl, Lucia. "Standardization." Chapter 12 of The History of English. Vol. 2. Ed. Laurel J. Brinton and Alexander Bergs. Berlin/Boston: De Gruyter, 2017. 220--35.

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2018-03-18 Sun

#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」 [slide][ame][ame_bre][webster][spelling][spelling_pronunciation_gap][orthography][hel_education][link][asacul]

 朝日カルチャーセンター新宿教室の講座「スペリングでたどる英語の歴史」(全5回)の第5回を,昨日3月17日(土)に開きました.最終回となる今回は「color か colour か? --- アメリカのスペリング」と題して,スペリングの英米差を中心に論じました.講座で用いたスライド資料をこちらからどうぞ.
 今回の要点は以下の3つです.

 ・ スペリングの英米差は多くあるとはいえマイナー
 ・ ノア・ウェブスターのスペリング改革の成功は多分に愛国心ゆえ
 ・ スペリングの「正しさ」は言語学的合理性の問題というよりは歴史・社会・政治的な権力のあり方の問題ではないか

 以下,スライドのページごとにリンクを張っておきます.各スライドは,ブログ記事へのリンク集としても使えます.

   1. 講座『スペリングでたどる英語の歴史』第5回 color か colour か?--- アメリカのスペリング
   2. 要点
   3. (1) スペリングの英米差
   4. アメリカのスペリングの特徴
   5. -<ize> と -<ise>
   6. その他の例
   7. (2) ノア・ウェブスターのスペリング改革
   8. ノア・ウェブスター
   9. ウェブスター語録
   10. colour の衰退と color の拡大の過程
   11. なぜウェブスターのスペリング改革は成功したのか?
   12. (3) スペリングの「正しさ」とは?
   13. まとめ
   14. 本講座を振り返って
   15. 参考文献

 また,今回で講座終了なので,全5回のスライドへのリンクも以下にまとめて張っておきます.

   第1回 英語のスペリングの不規則性
   第2回 英語初のアルファベット表記 --- 古英語のスペリング
   第3回 515通りの through--- 中英語のスペリング
   第4回 doubt の <b>--- 近代英語のスペリング
   第5回 color か colour か? --- アメリカのスペリング

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2018-03-14 Wed

#3243. Caxton は綴字標準化にどのように貢献したか? [caxton][orthography][spelling][standardisation][chancery_standard][printing]

 標題と関連する話題は,「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1]) で取りあげた.今回は,Fisher の "Caxton and Chancery English" と題する小論の結論部 (129) を引用して,この問題に迫ろう.

Caxton's place in the history of the development of standard written English must be regarded as that of a transmitter rather than an innovator. He should be thanked for supporting the foundation of a written standard by employing 86 percent of the time the favorite forms of Chancery Standard, but he is also responsible for perpetuating the variations and archaisms of Chancery Standard to which much of the irregularity and irrationality of Modern English spelling must be attributed. Some of these variations have been ironed out by printers, lexicographers, and grammarians in succeeding centuries, but modern written Standard English continues to bear the imprint of Caxton's heterogeneous practice.


 Chancery Standard と Caxton の綴字がかなりの程度(86%も!)似ている点を指摘している.その上で,綴字標準化に対する Caxton の歴史的役割は,あくまで革新者ではなく普及者のそれであると結論づけている.さらに注意したいのは,Caxton が,Chancery Standard の綴字がいまだ示していた少なからぬ揺れを保持したことである.そして,その揺れが現代まである程度引き継がれているのである.Caxton は Chancery Standard から近代的な書き言葉標準へとつなぐ架け橋として,英語史上の役割を果たしたといえるだろう.
 Caxton,あるいは印刷術の綴字標準化への貢献を巡る問題については,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#297. 印刷術の導入は英語の標準化を推進したか否か」 ([2010-02-18-1])
 ・ 「#871. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由」 ([2011-09-15-1])
 ・ 「#1312. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由 (2)」 ([2012-11-29-1])
 ・ 「#1384. 綴字の標準化に貢献したのは17世紀の理論言語学者と教師」 ([2013-02-09-1])

 ・ Fisher, John H. "Caxton and Chancery English." Chapter 8 of The Emergence of Standard English. John H. Fisher. Lexington: UP of Kentucky, 1996. 121--44.

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2018-02-26 Mon

#3227. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第4回「doubt の <b>--- 近代英語のスペリング」 [slide][spelling][spelling_pronunciation_gap][etymological_respelling][emode][renaissance][standardisation][orthography][lexicography][hel_education][link][asacul]

 朝日カルチャーセンター新宿教室の講座「スペリングでたどる英語の歴史」(全5回)の第4回が,2月24日(土)に開かれました.今回は「doubt の <b>--- 近代英語のスペリング」と題して,近代英語期(1500--1900年)のスペリング事情を概説しました.講座で用いたスライド資料をこちらにアップしておきます.
 今回の要点は以下の3つです.

 ・ ルネサンス期にラテン語かぶれしたスペリングが多く出現
 ・ スペリング標準化は14世紀末から18世紀半ばにかけての息の長い営みだった
 ・ 近代英語期の辞書においても,スペリング標準化は完全には達成されていない

 とりわけ語源的スペリングについては,本ブログでも数多くの記事で取り上げてきたので,etymological_respelling の話題をご覧ください.以下,スライドのページごとにリンクを張っておきます.各スライドは,ブログ記事へのリンク集としても使えます.

   1. 講座『スペリングでたどる英語の歴史』第4回 doubt の <b>--- 近代英語のスペリング
   2. 要点
   3. (1) 語源的スペリング (etymological spelling)
   4. debt の場合
   5. 語源的スペリングの例
   6. island は「非語源的」スペリング?
   7. 語源的スペリングの礼賛者 Holofernes
   8. その後の発音の「追随」:fault の場合
   9. フランス語でも語源的スペリングが・・・
   10. スペリングの機能は表語
   11. (2) 緩慢なスペリング標準化
   12. 印刷はスペリングの標準化を促したか?
   13. (3) 近代英語期の辞書にみるスペリング
   14. Robert Cawdrey's A Table Alphabeticall (1603)
   15. Samuel Johnson's Dictionary of the English Language (1755)
   16. まとめ
   17. 参考文献

Referrer (Inside): [2018-07-18-1]

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2018-02-17 Sat

#3218. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第3回「515通りの through --- 中英語のスペリング」 [slide][spelling][spelling_pronunciation_gap][norman_conquest][chaucer][manuscript][reestablishment_of_english][timeline][me_dialect][minim][orthography][standardisation][digraph][hel_education][link][asacul]

 朝日カルチャーセンター新宿教室で開講している講座「スペリングでたどる英語の歴史」も,全5回中の3回を終えました.2月10日(土)に開かれた第3回「515通りの through --- 中英語のスペリング」で用いたスライド資料を,こちらにアップしておきました.
 今回は,中英語の乱立する方言スペリングの話題を中心に据え,なぜそのような乱立状態が生じ,どのようにそれが後の時代にかけて解消されていくことになったかを議論しました.ポイントとして以下の3点を指摘しました.

 ・ ノルマン征服による標準綴字の崩壊 → 方言スペリングの繁栄
 ・ 主として実用性に基づくスペリングの様々な改変
 ・ 中英語後期,スペリング再標準化の兆しが

 全体として,標準的スペリングや正書法という発想が,きわめて近現代的なものであることが確認できるのではないかと思います.以下,スライドのページごとにリンクを張っておきました.その先からのジャンプも含めて,リンク集としてどうぞ.

   1. 講座『スペリングでたどる英語の歴史』第3回 515通りの through--- 中英語のスペリング
   2. 要点
   3. (1) ノルマン征服と方言スペリング
   4. ノルマン征服から英語の復権までの略史
   5. 515通りの through (#53, #54), 134通りの such
   6. 6単語でみる中英語の方言スペリング
   7. busy, bury, merry
   8. Chaucer, The Canterbury Tales の冒頭より
   9. 第7行目の写本間比較 (#2788)
   10. (2) スペリングの様々な改変
   11. (3) スペリングの再標準化の兆し
   12. まとめ
   13. 参考文献

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2018-01-11 Thu

#3181. Spelling/Pronunciation Search [spelling][pronunciation][orthography][web_service][cgi][dictionary][spelling_pronunciation_gap][silent_letter]

 「#1191. Pronunciation Search」 ([2012-07-31-1]) で,The Carnegie Mellon Pronouncing Dictionary に基づくアメリカ英語発音検索ツールを作成した.そのデータベース (3MB+) の実体は,110935対の綴字と発音の組み合わせである.前回のツールは,Carnegie Mellon Pronouncing Dictionary の発音表記を正規表現で指定して,それを含む単語の綴字を返すものだったが,今回は綴字と発音のそれぞれに正規表現で条件を指定し,いずれにもマッチする単語を返すという仕様のツールを作ってみた.
 正規表現は Perl 用のもので,大文字・小文字の別は最初から無視する仕様.発音表記の凡例は,本記事の末尾に掲げておいた.どちらか一方の検索欄を空にすれば,純粋な綴字検索あるいは発音検索になる.

Spelling in Regex:
Pronunciation in Regex:
 


 工夫次第で,綴字と発音の関係についていろいろと調べたり遊んだりできる.例えば,Spelling に "l" を指定し,Pronunciation に "^[^l]+$" を指定すると(検索の際にはそれぞれ引用符は外して),綴字には <l> があるのに,発音には /l/ が現われない語を拾い出せる.これを他の子音字などにも応用していけば,黙字 (silent_letter) を含む単語を集められるだろう.また,Spelling に "gh$" を,Pronunciation に "f$" を指定すると,語末の <gh> を /f/ と発音する単語リストが得られる,等々.
 以下,Carnegie Mellon Pronouncing Dictionary の発音表記の凡例を示す.音素間は半角スペースで区切られており,強勢は母音表記に続く 0 (no stress), 1 (primary stress), 2 (secondary stress) で示される.例えば,international の発音表記は,"IH2 N T ER0 N AE1 SH AH0 N AH0 L" となる.

PhonemeExampleTranslation
AAoddAA D
AEatAE T
AHhutHH AH T
AOoughtAO T
AWcowK AW
AYhideHH AY D
BbeB IY
CHcheeseCH IY Z
DdeeD IY
DHtheeDH IY
EHEdEH D
ERhurtHH ER T
EYateEY T
FfeeF IY
GgreenG R IY N
HHheHH IY
IHitIH T
IYeatIY T
JHgeeJH IY
KkeyK IY
LleeL IY
MmeM IY
NkneeN IY
NGpingP IY NG
OWoatOW T
OYtoyT OY
PpeeP IY
RreadR IY D
SseaS IY
SHsheSH IY
TteaT IY
THthetaTH EY T AH
UHhoodHH UH D
UWtwoT UW
VveeV IY
WweW IY
YyieldY IY L D
ZzeeZ IY
ZHseizureS IY ZH ER

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2018-01-04 Thu

#3174. 高頻度語はスペリングが短い (2) [frequency][spelling][orthography][zipfs_law][statistics][lexicology][corpus]

 昨日の記事 ([2018-01-03-1]) と同じ頻度とスペリングの長さに関するデータを,もう少し分析してみた.以下は,頻度ランキングのトップ100語,200語,500語,1000語,2000語,5000語,10000語,20000語,50000語について,それぞれ最低値,第1四分位数,中央値,平均値,第3四分位数,最大値を示した表である.英語の正書法を論じる上での基礎データとしてどうぞ.

 Min.1st Qu.MedianMean3rd Qu.Max.
Top_1001.02.03.03.14.05.0
Top_2001.003.004.003.774.0010.00
Top_5001.0004.0004.0004.4985.00010.000
Top_1K 1.0004.0005.0004.9686.00015.000
Top_2K 1.0004.0005.0005.4067.00015.000
Top_5K 1.0005.0006.0006.0147.00016.000
Top_10K1.0005.0006.0006.4888.00016.000
Top_20K1.0005.0007.0006.9548.00017.000
Top_50K1.0006.0007.0007.6229.00020.000


 これをもとに視覚化したのが,以下の箱ひげ図.

Boxplot for Length of Spelling of High-Frequency Words by SUBTLEXus


 当然予想されたことだが,語数が増えるにしたがってスペリングの平均の長さは徐々に大きくなっていき,バラツキも広がっていく.しかし,トップ数万語でみても平均して7文字程度となっており,さほど長くないのだなという印象を受けた.

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2018-01-03 Wed

#3173. 高頻度語はスペリングが短い (1) [frequency][spelling][orthography][zipfs_law][statistics][lexicology][corpus][three-letter_rule]

 標題は特に目新しい指摘ではなく,英語を読み書きする者には直感されていることだと思われる.「#1091. 言語の余剰性,頻度,費用」 ([2012-04-22-1]) や「#1102. Zipf's law と語の新陳代謝」 ([2012-05-03-1]) でも指摘したように,よく読み書きする単語のスペリングは短いほうが効率がよいと考えられるからだ.逆に,滅多に読み書きしない単語であれば少々長くても我慢できる.単語のスペリングに限らず,単語の音形についても同様の原理が作用していると思われる.
 また,英語の正書法には内容語は3文字以上で綴られなければならないという「#2235. 3文字規則」 ([2015-06-10-1]) がある.これは機能語という頻度のきわめて高い語類については適用されない.したがって,この規則は上記の効率の問題とも関わる実用的な側面をもつといえる.
 高頻度語であればあるほど,そのスペリングが平均的に短いことを示す方法の1つに,頻度ランキングのトップ100語,1000語,10000語などのリストに基づき,文字数別に単語を数え上げるというやり方がある.「#2096. SUBTLEX-US Word Frequency List」 ([2015-01-22-1]) から引き出した頻度ランキングを利用して,トップ100語,200語,500語,1000語,2000語,5000語,10000語,20000語,50000語について調査した.トップ100語のリストについては先の記事でリストを掲載している通りであり,なかには s, ll などコーパスの仕様に由来するとおぼしき怪しい「語」もあるが,結果の大勢には影響を及ぼさないだろう.
 以下にグラフで整理した通り,結果は明白である(数値データはソースHTMLを参照).トップ100語の超高頻度語群では62.00%までが3文字以下のスペリングである.3文字以下の割合(下から3つ分のオレンジの帯まで)ということで比べていくと,トップ200語から50000語の調査結果まで,順に41.50%, 24.60%, 17.00%, 12.65%, 8.06%, 6.01%, 4.55%, 3.20%と目減りしていく.

Length of Spelling of High-Frequency Words by SUBTLEXus

Referrer (Inside): [2018-01-04-1]

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2017-11-12 Sun

#3121. 「印刷術の発明と英語」のまとめ [slide][printing][history][link][hel_education][emode][reformation][caxton][latin][standardisation][spelling][orthography][asacul]

 英語史における印刷術の発明の意義について,スライド (HTML) にまとめてみました.こちらからどうぞ.結論は以下の通りです.

 1. グーテンベルクによる印刷術の「改良」(「発明」ではなく)
 2. 印刷術は,宗教改革と二人三脚で近代国語としての英語の台頭を後押しした
 3. 印刷術は,綴字標準化にも一定の影響を与えた

 詳細は各々のページをご覧ください.本ブログの記事や各種画像へのリンクも豊富に張っています.

 1. 印刷術の発明と英語
 2. 要点
 3. (1) 印刷術の「発明」
 4. 印刷術(と製紙法)の前史
 5. 関連年表
 6. Johannes Gutenberg (1400?--68)
 7. William Caxton (1422?--91)
 8. (2) 近代国語としての英語の誕生
 9. 宗教改革と印刷術の二人三脚
 10. 近代国語意識の芽生え
 11. (3) 綴字標準化への貢献
 12. 「印刷術の導入が綴字標準化を推進した」説への疑義
 13. 綴字標準化はあくまで緩慢に進行した
 14. まとめ
 15. 参考文献
 16. 補遺: Prologue to Eneydos (#337)

 他の「まとめスライド」として,「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]),「#3068. 「宗教改革と英語史」のまとめスライド」 ([2017-09-20-1]),「#3089. 「アメリカ独立戦争と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-11-1]),「#3102. 「キリスト教伝来と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-24-1]),「#3107. 「ノルマン征服と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-29-1]) もどうぞ.

Referrer (Inside): [2017-12-17-1]

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