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最終更新時間: 2019-10-19 07:12

2017-11-20 Mon

#3129. 基本語順の類型論 (4) [word_order][syntax][typology][world_languages][map][geography][linguistic_area]

 昨日の記事「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1]) を受けて,S, V, O に関して基本語順を示す言語の地理的分布について考えてみたい.この話題は,"Order of Subject, Object and Verb" by Matthew S. Dryer の2節 "Geographical distribution of the dominant-order types" で扱われているので,以下,その部分をもとに説明する.昨日の記事 ([2017-11-19-1]) の地図も合わせて参照されたい.
 最も多い SOV 言語は世界中にちらばっているが,とりわけ東南アジアを除くアジア全域に顕著である.ニューギニア,オーストラリア,南北アメリカ大陸にも広く分布している.2番目に多い SVO は,サハラ砂漠以南のアフリカ,中国から東南アジアにかけての地域,そしてヨーロッパや地中海付近に広くみられる.3番目の VSO も分布がちらばっているが,東アフリカ,北アフリカ,西ヨーロッパのケルト系諸語,ポリネシアにはある程度の集中がみられる.
 同節には,歴史上の様々な段階での基本語順をフラットにまとめた興味深いユーラシア大陸の地図も掲載されている(以下に示す).

Map of Word Order Typology Diachronic

 ヨーロッパや地中海付近では現在でこそ SVO が多いが,古い時代で考えるとむしろ SOV が優勢だったことがわかる(ラテン語やエトルリア語など).また,現在と異なり,セム系諸語の集まる地域において,かつて VSO が広くみられた点も指摘しておこう.基本語順の地理的分布というものは,時間のなかで相当に変わるもののようだ.言語の基本語順の変化については,「#3127. 印欧祖語から現代英語への基本語順の推移」 ([2017-11-18-1]) を参照.

Referrer (Inside): [2019-07-18-1] [2017-11-22-1]

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2017-11-19 Sun

#3128. 基本語順の類型論 (3) [word_order][syntax][typology][world_languages][map][linguistic_area]

 「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1]),「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1]),「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1]) に続いて,S, V, O の基本語順の話題.
 「#2786. 世界言語構造地図 --- WALS Online」 ([2016-12-12-1]) で紹介した The World Atlas of Language Structures (WALS Online) に,S, V, O の語順についての専門的な解説がある."Order of Subject, Object and Verb" by Matthew S. Dryer と題するその解説によると,諸言語は,厳格な語順 (rigid order) をもつ言語と柔軟な語順 (flexible order) をもつ言語に大きく2分される.後者については,柔軟な語順をもつとはいえ,頻度や語用論的な中立性という観点から基本語順 (dominant order) とみなせるものをもつ場合も多い.また,3要素のうち V の位置については比較的柔軟だが,S と O の相対的位置は決まっているというような「半柔軟」と呼ぶべき語順を示すものもある.しかし,明らかな基本語順を示さない言語も存在することは事実である(例えば,北オーストラリアの Gunwinyguan).さらに,ドイツ語やオランダ語のように主節では SVO が,従属節では SOV が原則だが,いずれがより統語的に基本的かは自明でなく,基本語順を一意に定められないようなケースもある.
 上記のように基本語順の類型論は複雑であり,基本語順の決定に関して様々な問題が生じるが,大雑把に分類して世界地図上にプロットしたのが Feature 81A: Order of Subject, Object and Verb である(以下に再掲).統計表も掲げる.

Map of Word Order Typology

SOV565
SVO488
VSO95
VOS25
OVS11
OSV4
No dominant order189


 "No dominant order" は,先に述べたように基本語順が一意に定まらない言語の寄せ集めなので数としては多くなっている.それを除いた上で,比率として考えれば,トップの SOV が47.56%,2位の SVO が 41.08%,3位の VSO が 8.00% となり,この3つのみで95.64%をカバーする.やはり日本語型の SOV 言語は最多なのである.

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2017-10-16 Mon

#3094. 449年以前にもゲルマン人はイングランドに存在した [anglo-saxon][history][archaeology][map]

 標題について,「#2493. アングル人は押し入って,サクソン人は引き寄せられた?」 ([2016-02-23-1]) で, Gramley (16) の "Pre-Conquest Germanic cemeteries" と題する地図を示した(以下に再掲).

Pre-Conquest Germanic Cemeteries

 5世紀初め,そしておそらくもっと古くから,ゲルマン人がイングランドにいたことが考古学的な証拠から示唆されるが,この辺りの事情について,Gramley (16--17) の説明を引用しておきたい.

The earliest evidence we have of Germanic settlement in Britain consists of the Anglo-Saxon cemeteries and settlements in the region between the Lower Thames and Norfolk. Others possibly lay in Lincolnshire and Kent. In Caister-by-Norwich there was a large cremation cemetery outside the town dating from about 400. Similar settlements were found near Leicester, Ancaster, and Great Chesterford. One of the most likely explanations for these settlements, virtually always outside the city walls, was that the Germanic invaders were invited there to protect the British settlements, especially after the Romans withdrew. Much as in other western provinces, the Empire relied on barbarian troops and officers from the late third century on.
  The formal end of Roman rule by 410 did not mean the end of all efforts to protect Britain from external attacks, the most serious of which came from the Scots and the Picts . . . to the north and the sea-borne Saxons among others. It may well have been that the British leaders continued to use Germanic troops after 410 and perhaps even to increase their numbers. For the Germanic newcomers it was probably of no importance who recruited them. They were simply doing what their fathers before them had done. However, without any central power to coordinate defenses the Germanic forces would soon have realized they had a free hand to do as they wished. Soon more would be coming from the Continental coast near the Elbe and Weser estuaries (the Saxons), from Schleswig-Holstein, especially the region of Angeln (the Angels (sic)), from northern Holland (the Frisians), and probably from Jutland (the Jutes).


 伝説によれば,449年に Hengist と Horsa というジュート人の兄弟が,ブリトン人に呼ばれる形でイングランドに足を踏み入れたとされるが,実際にはすでにゲルマン人はその数十年も前からイングランドに存在しており,5世紀半ばには,大陸から仲間を呼び寄せるのに,ある意味で準備万端であったとも言えるのである.ゲルマン人のイングランドへの侵攻は,伝説が示すほど電撃的なものではなかったと考えられる.
 関連して,「#33. ジュート人の名誉のために」 ([2009-05-31-1]),「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」 ([2010-05-21-1]),「#1013. アングロサクソン人はどこからブリテン島へ渡ったか」 ([2012-02-04-1]),「#2353. なぜアングロサクソン人はイングランドをかくも素早く征服し得たのか」 ([2015-10-06-1]) の記事も参照されたい.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

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2017-09-20 Wed

#3068. 「宗教改革と英語史」のまとめスライド [reformation][renaissance][bible][emode][lexicology][slide][history][link][map][hel_education][asacul]

 英語史における宗教改革の意義について,reformation の各記事で考えてきた.現時点での総括として,「宗教改革と英語史」のまとめスライド (HTML) を公開したい.こちらからどうぞ.  *  *
 15枚からなるスライドで,目次は以下の通り.

 1. 宗教改革と英語史
 2. 要点
 3. 宗教改革とは?
 4. 歴史的背景
 5. イングランドの宗教改革とその特異性
 6. ルネサンスとは?
 7. イングランドにおける宗教改革とルネサンスの共存
 8. 英語文化へのインパクト
 9. プロテスタンティズムの拡大と定着
 10. 古英語研究の開始
 11. 語彙をめぐる問題
 12. 一連の聖書翻訳
 13. まとめ
 14. 参考文献
 15. 補遺:「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)の近現代8ヴァージョン+新共同訳

 別の「まとめスライド」として,「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]) もご覧ください.

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2017-09-10 Sun

#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド [black_death][reestablishment_of_english][history][sociolinguistics][slide][link][map][hel_education][asacul]

 ここ数日,集中的に英語史における黒死病の意義を考えてきた.これまで書きためてきた black_death の記事を総括する意味で「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド (HTML) を作ってみたので,こちらよりご覧ください.
 13枚からなるスライドで,目次は以下の通り.

 1. 英語史における黒死病の意義
 2. 要点
 3. 黒死病 (Black Death) とは?
 4. ノルマン征服による英語の地位の低下
 5. 英語の復権の歩み (#131)
 6. 黒死病の社会(言語学)的影響 (1)
 7. 黒死病と社会(言語学)的影響 (2)
 8. 英語による教育の始まり (#1206)
 9. 実は中英語は常に繁栄していた
 10. 黒死病は英語の復権に拍車をかけたにすぎない
 11. 村上,pp. 176--77
 12. まとめ
 13. 参考文献

 HTML スライドなので,そのまま hellog 記事にリンクを張ったり辿ったりでき,とても便利.英語史スライドシリーズとして,ほかにも作っていきたい.  *  *

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2017-06-07 Wed

#2963. Palmerston English [esl][world_englishes][map][variety][history]

 ニュージーランドの北東約3000kmに浮かぶクック諸島 (Cook Islands) は,ニュージーランドと自由連合を組む自治国である.国名は,Captain Cook が1773年にこの諸島に上陸したことにちなむ.1888年にイギリスの属領となった後,1901年にはニュージーランドの属領へ移行し,1965年に内政自治権を獲得した.1万7千人程度の人口があり,その8割程度がポリネシア系のクック諸島マオリ族である.クック諸島マオリ語と英語がともに公用語となっている.以下,地図を掲載(広域図は「#2215. Niue,英語を公用語としてもつ最小の国(最新版)」 ([2015-05-21-1]) を参照).

Map of Cook Islands

 首都 Avarua のある Rarotonga 島の北西400kmほどのところに,Palmerston Island という島が浮かんでいる.ここでは,成立過程のよく知られている Palmerston English と呼ばれる英語変種が話されている.Trudgill (100) の記述を借りよう.

Palmerston English is spoken on Palmerston Island (Polynesian Avarau), a coral atoll in the Cook Islands about 250 miles northwest of Rarotonga, by descendants of Cook Island Maori and English speakers. William Marsters, a ship's carpenter and cooper from Gloucestershire, England, came to uninhabited Palmerston Atoll in 1962. He had three wives, all from Penrhyn/Tongareva in the Northern Cook Islands. He forced his wives, seventeen children and numerous children to use English all the time. Virtually the entire population of the island today descends from the patriarch. Palmerston English has some admixture from Polynesian but is probably best regarded as a dialectal variety of English rather than a contact language.


 その他,クック諸島の基本情報は,CIA: The World Factbook による Cook Islands外務省のクック諸島基礎データを参照.

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.

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2017-05-24 Wed

#2949. ロマンス語の分類 [family_tree][indo-european_sub-family][italic][map]

 イタリック語派の歴史的な分岐と分類については,「#1467. イタリック語派(印欧語族)」 ([2013-05-03-1]) で概要を説明した.現代のロマンス語を分類するに当たっても,(俗)ラテン語からの歴史的な分岐を考えるのが一般的だが,分岐に関わる言語的基準の選び方によって,複数の分類が可能となる.また,共時的には地理的な分布も無視できないため,やはり様々な分類が生じる.社会言語学的な考慮を含めると,さらに問題は複雑化し,「#1660. カタロニア語の社会言語学」 ([2013-11-12-1]) で触れたような政治的な側面が議論に関わってくる.
 このような言語の派生と区分についての一般的な議論としては,川口が非常に易しく解説しており,有用である.その上で,川口 (85) は,ロマンス語について歴史的観点と地理的観点を組み合わせた区分の1例を,以下のように提示している.

 ・ イベリア・ロマンス語群:イベリア半島のロマンス語(ポルトガル語,ガリシア語,スペイン語,カタルーニャ語...)
 ・ ガリア・ロマンス語群(フランス語,オック語(南フランス),ピエモンテ語(北イタリア)...)
 ・ イタリア・ロマンス語群(イタリアの諸地方語)
 ・ サルデーニャ語(ログドーロ語,カンピダーノ語)
 ・ ラエティア・ロマンス語群(フリウリ語(北イタリア),ラディン語(北イタリア),エンガディン語(北イタリア),ロマンシュ語(スイス))
 ・ ダルマティア・ロマンス語群(20世紀初頭に最後の話者が死亡したダルマティア語)
 ・ ダキア・ロマンス語(ルーマニア語等)

 サルデーニャ島で話される主要な地域語であるログドーロ語やカンピダーノ語は,イタリア語ではなくラテン語から直接派生した言語であり,ロマンス語のなかでは最も古い状態を残しているという.  *

 ・ 川口 順次 「ロマンス語をめぐって」『地中海の魅力2014,地中海の誘惑2015』 慶應大学文学部,2017年.81--86頁.

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2017-05-16 Tue

#2941. 口笛言語 (2) [communication][linguistics][medium][map]

 以前「#1281. 口笛言語」 ([2012-10-29-1]) について記事を書いたが,『日経サイエンス』日本語版の5月号に,口笛言語の研究の特集が掲載されていた.
 近年の研究によれば,口笛言語は以前信じられていたよりも世界の多くの地域で実践されているようだ.かつては人類学者,宣教師,旅行家によって口笛言語は10例あまりとされていたが,過去15年間の研究により,世界中に70ほどあることが分かってきた.この数はもっと増えていく可能性がある.口笛言語は,言語学的には言語の「代用品」 (surrogate) という位置づけではあるが,脳の聴覚情報処理や人間のコミュニケーションに関する知見を広げてくれるものと思われる.*
 特に興味を引かれるのが,口頭言語との対応という問題と,コミュニケーション距離に関する側面だ.カナリア諸島のゴメラ島で用いられるシルボ・ゴメーロというスペイン語(非声調言語)を代用する口笛言語は,母音と子音を,口笛のピッチ(音高)の変化や息の中断として表現する体系を備えている.口頭言語の音韻体系に相当するものが,口笛言語では,口笛の周波数と振幅の織りなす体系として組み替えられている.わずかな狭い周波数帯域内でも,すべて用を足せるというのも驚くべき事実だ.また,声調言語を代用する口笛言語の場合には,口笛のピッチは口頭言語における声調に対応し,非声調言語の場合とは異なる体系をもっているという.思ったよりもずっと複雑なシステムが作用しているようだ.
 音響学的には,口笛は口頭言語に比べて長距離コミュニケーションに向いている.天気や地形などの好条件下では口笛言語は数km先まで伝わり,実際に山地や森林地帯での遠距離コミュニケーションに用いられていることが多い.もちろん,口頭言語と同様に,訓練次第で誰にも習得できるものである.
 The World Whistles Research Association という団体があり,世界の口笛言語の情報を提供しているので,参考までに.

 ・ J. メイエ 「口笛言語」『日経サイエンス Scientific American 日本版』 2017年5月,60--67.

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2017-03-25 Sat

#2889. ヴァイキングの移動の原動力 [old_norse][hel_education][history][map]

 3月号の『National Geographic 日本版』「バイキング 大会の覇者の素顔」と題する特集を組んでいる.特製付録として,ヴァイキング (Vikings) の足跡と行動範囲を示した地図が付いていた.説明書きには,「古くは8世紀末にブリテン諸島を荒らし回った記録が残るバイキング.11世紀までには,北半球の広い範囲で襲撃や交易,探検を行うようになった」とある.  *  *
 対応サイトからはフォトギャラリーも閲覧可能で,現在もシェトランド諸島やポーランドで行なわれているヴァイキングの歴史にちなんだ祭りの様子や,ヴァイキングの武具や装身具などの遺物,オスロの文化史博物館に所蔵の有名な Viking ship,そしてスウェーデン南部の墳墓のルーン文字石碑などを見ることができる.英語史で古ノルド語の影響などを紹介する際ののビジュアル資料として重宝しそうである.
 ヴァイキングの移動の原動力は何だったのか,という歴史上の問いには様々な回答がありうる.「#2854. 紀元前3000年以降の寒冷化と民族移動」 ([2017-02-18-1]) で少し触れたように,気候変動との関係も,ヴァイキングの大移動の1要因と考えられるかもしれない.「バイキング 大会の覇者の素顔」の記事で挙げられている要因としては,以下のようなものがある (46--47) .

 ・ 536年の彗星か隕石の落下と,その結果としての日照不足に起因する飢饉(スカンディナヴィアは農耕の北限であることに注意)
 ・ 放棄された土地を巡っての,勇猛さや攻撃性に特徴づけられた軍事的社会の形成
 ・ 7世紀の帆走技術や造船技術の発展
 ・ 独身の若い戦士が大勢いたとおぼしき状況

 なお,6世紀半ばの大災害の結果として,陰鬱たる北欧神話「ラグナロク」が生まれたとされる.それは,「世界の創造が終わり,最終戦争が起きて,すべての神々,人間,生き物が死に絶える」死の季節で始まる神話である.このような暗さのなかで育まれた精神が,8世紀半ばに外へ向かって爆発した,と考えることができるのではないか.
 ヴァイキングのブリテン島への侵攻については,「#1611. 入り江から内海,そして大海原へ」 ([2013-09-24-1]) の記事も要参照.

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2017-03-24 Fri

#2888. 文字史におけるフェニキア文字の重要性 [alphabet][writing][grammatology][map][timeline]

 昨日の記事 ([2017-03-23-1]) で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」を紹介した.その記事を読むにあたって,文字史やアルファベット史におけるフェニキア文字の重要性を理解していると,よりおもしろくなると思われるので,ここに補足しておきたい.
 フェニキア文字は,それ自身が紀元前2千年紀前半に遡るシナイ文字や原カナン文字などから発展した文字体系であり,前1000年頃に使われていた子音文字体系である.このフェニキア文字から,現在まで広く使用されている多種多様なアルファベット文字体系が生じたという点で,まさにアルファベットの母というにふさわしい(以下,『世界の文字の物語』 (8--9) のタイムラインの一部を掲載).

フェニキア文字以降の発展  *  *

 フェニキア文字の影響を受けた各種の文字体系は,地理的にはユーラシア大陸全域に及んでおり,東アジアの漢字系統の文字体系を別とすれば,少なくともこの2千年間,地球上で最も影響力のある文字グループを形成してきたといえる.
 私たちが英語を書き記すのに用いているアルファベットは「ローマン・アルファベット」あるいは「ラテン文字」(正確には,その変種というべきか)だが,それが文字体系としてもっている本質的な特徴の多くは,フェニキア文字のもっていた特徴に由来するといってよい.したがって,英語の文字や綴字について深く考察していくと,否応なしにフェニキア文字やそれ以前にまで遡るアルファベットの歴史を参照せざるを得ない.
 フェニキア人とその文字に関しては,昨日挙げたリンク先のほか,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#2105. 英語アルファベットの配列」 ([2015-01-31-1])
 ・ 「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1])
 ・ 「#2482. 書字方向 (3)」 ([2016-02-12-1])

 ・ 古代オリエント博物館(編)『世界の文字の物語 ―ユーラシア 文字のかたち――』古代オリエント博物館,2016年.

Referrer (Inside): [2019-06-23-1]

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2017-02-02 Thu

#2838. 新人の登場と出アフリカ [evolution][origin_of_language][homo_sapiens][anthropology][map]

 新人(ホモ・サピエンス)の起源については,アフリカ単一起源説と多地域進化説がある.後者は,先行して世界に展開していたホモ・ネアンデルターレンシスなどの旧人が,各地で新人へと進化したという仮説である.一方,前者は新人はアフリカに現われたが,その後,旧人や原人が暮らす各地へ進出していったとするものである.
 近年は,ミトコンドリアDNAを利用した遺伝子変異の分布の研究により,約20万年前にアフリカに現われた1人の女性「ミトコンドリア・イブ」の存在を想定したアフリカ単一起源説が優勢となっている.さらに,2003年にはエチオピアで約16万年前のものとされる人骨(ホモ・サピエンス・イダルトゥと名付けられた)が発見されており,現生人類に進化する直前の姿ではないかと言われている.
 ミトコンドリア・イブの年代については諸説あり,上で述べた約20万年前というのは1つの仮説である.ミトコンドリア・イブの子孫たち,すなわち新人がアフリカを出た時期についても諸説あるが,およそ10万年前のことと考えられている.その後の世界展開については,谷合 (241) を参照して作成した以下の地図を参考までに.

Map of Human Exodus

 ホモ・サピエンスがその初期の段階から言語をもっていたと仮定するならば,この移動の地図は,そのまま人類言語の拡散の地図となるだろう.
 関連して,「#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど」 ([2009-10-04-1]),「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1]),「#1544. 言語の起源と進化の年表」 ([2013-07-19-1]),「#1749. 初期言語の進化と伝播のスピード」 ([2014-02-09-1]),「#1755. 初期言語の進化と伝播のスピード (2)」 ([2014-02-15-1]) も参照.また,Origins of Modern Humans: Multiregional or Out of Africa? の記事も参考になる.

 ・ 谷合 稔 『地球・生命――138億年の進化』 SBクリエイティブ,2014年.

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2016-12-29 Thu

#2803. アイルランド語の話者人口と使用地域 [irish][ireland][demography][celtic][map]

 アイルランドにおけるアイルランド語から英語への言語交替 (language_shift) について「#2798. 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.」 ([2016-12-24-1]),「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]) で取り上げた.言語交替は現在も進行中だが,アイルランド語 (irish) はいまだ確かに使用されている.アイルランド語使用の実態について,嶋田 (20--20) の記述を箇条書きにまとめてみよう.

 ・ 現代アイルランドでは日々のコミュニケーションの主流は英語である
 ・ アイルランド語のみを話す話者は存在しない
 ・ 日常的にアイルランド語を用いるのは,人口の2%程度である
 ・ 2011年の国勢調査によるとアイルランド語話者(=「アイルランド語が話せる話者」)は約177万人で,これは3歳以上の人口の40.6%に相当する
 ・ アイルランド共和国憲法第8条にはアイルランド語が国語 (national language) であり第1公用語であることが記されている(英語は第2公用語)
 ・ アイルランド語は,多くのアイルランド人にとって学校で学ぶ言語である
 ・ 民族語であるアイルランド語を習得することは公共機関の仕事に就くために必須であり,高く評価される
 ・ アイルランドは,2010年から2030年までの「20年戦略」でアイルランド語と英語のバイリンガルをできる限り増やす計画を立てている
 ・ 現地ではアイルランド語は「ゲール語」 (Gaelic) と称され,ゲール語使用地域は「ゲールタハト」 (Gaeltacht) と呼ばれる

 最後に触れたゲールタハトは,アイルランド島の西部を中心に小区画として点在している(ただし,広義にはスコットランドのゲール語使用地域も含む).Údarás na Gaeltachta のホームページによると,"The Gaeltacht covers extensive parts of counties Donegal, Mayo, Galway and Kerry --- all along the western seaboard --- and also parts of counties Cork, Meath and Waterford." と説明書きがある.以下に簡単な地図を再現しておこう(「#774. ケルト語の分布」 ([2011-06-10-1]) の地図も参照).

Map of Gaeltacht

 アイルランド語の歴史の概略については,Background on the Irish Language の記事も有用.関連して,アイルランドの歴史について「#762. エリザベス女王の歴史的なアイルランド訪問」 ([2011-05-29-1]),「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1]) も参照されたい.

 ・ 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.

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2016-11-22 Tue

#2766. 初期中英語における1人称代名詞主格の異形態の分布 [laeme][eme][map][personal_pronoun][owl_and_nightingale][compensatory_lengthening]

 初期中英語のテキスト The Owl and the Nightingale を Cartlidge 版で読んでいる.868行にこのテキストからの唯一例として,1人称代名詞主格として ih の綴字が現われる.梟が歌のさえずり方について議論しているシーンで,Ne singe ih hom no foliot! として用いられている.この綴字はC写本のものであり,対するJ写本ではこの箇所に一般的な綴字 ich が用いられている.
 この事実から,初期中英語における1人称代名詞主格の異形態の分布に関心をもった.そこで,LAEME で分布をさっと調べてみることにした.特に気になっているのは語末の子音の有無,およびその子音の種類である.母音を無視して典型的な綴字タイプを取り出してみると,ich, ik, ih, i 辺りが挙がる.細かく見ればほかにもありうるが,当面,この4系列の綴字について出現分布を大雑把にみておきたい.
 LAEME のプログラムはよくできているので,私の行なったことといえば,該当する形態に関して地図を表示させることのみだ.以下に4枚の方言分布図をつなぎ合わせたものを掲載する.キャンプションが小さくて読みにくいが,位置関係は次の表に示した通り(画像をクリックすれば拡大版が現われる).

以下の合成地図での位置Map No.説明
左上00001302I: '(h)ich' and 'ych' incl iich and ichs
右上00001305I: 'ik', all k forms, incl icke.
左下00001312I: Ih, ih and yh
右下00001308I: I.

LAEME Map for Variants of I

 分布としては,左上の伝統的な ich 系が最も普通に南中部に広がっているのが分かる.右上の子音の落ちた i 系の綴字も普通であり,主として中部から北部に広がっている.左下の ih 系が今回注目した綴字を表わすが,西中部や南西部の,いわゆる最も保守的と言われる方言部分に散見される程度である.右下の ik 系は,東中部や北部に散在する程度で,一般的ではない.
 The Owl and the Nightingale の方言については様々な議論がなされてきたが,いずれの写本の方言も,南西中部のものという解釈が一般的である.その点からすると,C写本で ih が現われたということは,初期中英語の全体の方向性と一致するだろう.
 この問題に関心をもっているのは,伝統的な ich かいかなる経路を辿って後の I へと変化していったかという歴史的な問題に関係するからだ.この問題の周辺について,「#1198. icI」 ([2012-08-07-1]),「#1773. ich, everich, -lich から語尾の ch が消えた時期」 ([2014-03-05-1]) で簡単に話題にしたが,単に /ʧ/ と想定される語末子音が消失し,先行母音が代償延長 (compensatory_lengthening) したと考えておくだけでよいのか,疑念が残るのである.周辺的な方言に散見される ihik の語末子音は,/ʧ/ と通時的・共時的にどのような関係にあるのか.ih の子音は /ʧ/ の弱化した音で,消失への途中段階を表わすものではないか等々,いろいろな可能性が頭に浮かぶ.

 ・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.

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2016-10-24 Mon

#2737. 現代イギリス英語における所有代名詞 hern の方言分布 [map][personal_pronoun][suffix][dialect][terminology]

 「#2734. 所有代名詞 hers, his, ours, yours, theirs の -s」 ([2016-10-21-1]) の記事で,-s の代わりに -n をもつ,hern, hisn, ourn, yourn, theirn などの歴史的な所有代名詞に触れた.これらの形態は標準英語には残らなかったが,方言では今も現役である.Upton and Widdowson (82) による,hern の方言分布を以下に示そう.イングランド南半分の中央部に,わりと広く分布していることが分かるだろう.

Map of

 -n 形については,Wright (para. 413) でも触れられており,19世紀中にも中部,東部,南部,南西部の諸州で広く用いられていたことが知られる.
 -n 形は,非標準的ではあるが,実は体系的一貫性に貢献している.mine, thine も含めて,独立用法の所有代名詞が一貫して [-n] で終わることになるからだ.むしろ,[-n] と [-z] が混在している標準英語の体系は,その分一貫性を欠いているともいえる.
 なお,mymine のような用法の違いは,Upton and Widdowson (83) によれば,限定所有代名詞 (attributive possessive pronoun) と叙述所有代名詞 (predicative possessive pronoun) という用語によって区別されている.あるいは,conjunctive possessive pronoun と disjunctive possessive pronoun という用語も使われている.

 ・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.
 ・ Wright, Joseph. The English Dialect Grammar. Oxford: OUP, 1905. Repr. 1968.

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2016-09-03 Sat

#2686. ICEHL19 に参加して気づいた学界の潮流など [academic_conference][icehl][etymological_respelling][map]

 2016年8月22--26日にドイツの University of Duisburg-Essen で開催された ICEHL19 (19th International Conference on English Historical Linguistics) に参加した.

Map of Germany (Essen Marked)

 私は,ここ2年間ほど研究している etymological_respelling について "Etymological Spelling Before and After the Sixteenth-Century" という題で発表してきたが,この英語史分野における最大の国際学会に参加することにより,学界の潮流がよく把握できることを改めて認識した.ICEHL19の学会参加と学界の潮流について,東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻の駒場英語史研究会で報告する機会があったので,報告内容の概略を本ブログにも載せておきたい(前回のICEHL18の報告については,「#2004. ICEHL18 に参加して気づいた学界の潮流など」 ([2014-10-22-1]) を参照).以下にICEHL19の研究発表等に関するPDFを挙げておく.

 ・ プログラム
 ・ 研究発表一覧
 ・ ワークショップ一覧
 ・ 発表要旨の小冊子

(1) 学会の沿革

 ・ ICEHL-1 (1979)
 ・ ICEHL-2 (1981, Odense)
 ・ ICEHL-3 (1983, Sheffield)
 ・ ICEHL-4 (1985, Amsterdam)
 ・ ICEHL-5 (1987, Cambridge)
 ・ ICEHL-6 (1990, Helsinki)
 ・ ICEHL-7 (1992, Valencia)
 ・ ICEHL-8 (1994, Edinburgh)
 ・ ICEHL-9 (1996, Poznan)
 ・ ICEHL-10 (1998, Manchester)
 ・ ICEHL-11 (2000, Santiago De Compostela)
 ・ ICEHL-12 (2002, Glasgow)
 ・ ICEHL-13 (2004, Vienna)
 ・ ICEHL-14 (2006, Bergamo)
 ・ ICEHL-15 (2008, Munich)
 ・ ICEHL-16 (2010, Pécs)
 ・ ICEHL-17 (2012, Zurich)
 ・ ICEHL-18 (2014, Leuven)
 ・ ICEHL-19 (2016, Essen)
 ・ ICEHL-20 to come (2018, Edinburgh)
 ・ ICEHL-21 to come (2020, Leiden)

(2) 基調講演

 ・ Gabriella Mazzon (University of Innsbruck) --- Shift in politeness values of English Discourse markers: a cyclical tendency?
 ・ Simon Horobin (University of Oxford) --- 'No gentleman goes on a bus': H. C. Wyld and the historical study of English
 ・ Erik Smitterberg (University of Uppsala) --- Late Modern English: Demographics, Prescriptivism, and Myths of Stability
 ・ Ingrid Tieken-Boon van Ostade (University of Leiden) --- Usage guides and the Age of Prescriptivism
 ・ Daniel Schreier (University of Zurich) --- Reconstructing variation and change in English: the importance of dialect isolates

(3) 研究発表の部屋

 ・ Phonology
 ・ Stress
 ・ Metrical matters
 ・ Inflectional Morphology
 ・ Morphosyntax
 ・ Word-formation
 ・ Lexicon
 ・ Syntax
 ・ Modals/modality
 ・ Semantics
 ・ Pragmatics
 ・ Discourse
 ・ Orthography
 ・ Style
 ・ Texts
 ・ Variation
 ・ Dialects
 ・ Relationships
 ・ Multilingual Texts
 ・ Glosses/Glossaries
 ・ Visual Text
 ・ Grammar and Usage books
 ・ Usage and errors
 ・ Identity
 ・ Types of Change

(4) ワークショップ

 ・ The Dynamics of Speech Representation in the History of English (Peter J. Grund and Terry Walker)
 ・ Intersubjectivity and the Emergence of Grammatical Patterns in the History of English (Silvie Hancil and Alexander Haselow)
 ・ Diachronic Approaches to the Typology of Language Contact (Olga Timofeeva and Richard Ingham)
 ・ Early American Englishes (Merja Kytó and Lucia Sievers)

(5) 学界の潮流など気づいた点

 ・ 前回の ICEHL-18 に見られた「historical sociopragmatics の研究を corpus で行う」という際だった潮流がさらに推し進められている(基調講演とワークショップのメニューを参照).
 ・ 文法化や認知言語学のアプローチも盤石.
 ・ 「周辺的な」変種への関心が一層強化している.
 ・ 「初期の学会では,"Standard English", "phonology", "morphology", "syntax" などがキーワードであり,"corpus", "xxx English", "pragmatics" などは出ていなかった」 (R. Hickey)
 ・ 伝統的でコアな分野である phonology, morphology, syntax なども健在(研究者の出身地や出身大学などとの関連あり?).
 ・ 一方,生成文法は目立たなくなっている.
 ・ 前回に引き続きワークショップが4つ用意されており,充実していた.
 ・ 時代としては,古英語と後期近代英語の話題は多かったが,その間の中英語と初期近代英語は比較的少なかった.
 ・ 言語接触の話題と関連して語源(語彙・意味)の発表が非常に多かった.例えば,
   - "Food for thought: Bread vs Loaf in Old and Early Middle English texts" (Sara M. Pons-Sanz)
   - "Buried Treasure: In Search of the Old Norse Influence on Middle English Lexis" (Richard Dance and Brittany Schorn)
   - "The Penetration of French Lexis in Middle English Occupational Domains" (Louise Sylvester, Richard Ingham and Imogen Marcus)
 ・ 研究チームがプロジェクトを進める場としての学会,という位置づけ.
   - 国際的なメンバーを組んでのワークショップ(後に論文集を出版?).
   - プロジェクトの企画,経過報告,宣伝など.
 ・ 古い問題や「定説」を新しく見直す傾向(例えば,上記の Bread vs Loaf など).
 ・ 日本人による発表が4人と残念ながら少なかった・・・

 国際学会の参加については,「#2327. 国際学会に参加する長所と短所」 ([2015-09-10-1]),「#2326. SHEL-9 に参加して気づいた学界の潮流など」 ([2015-09-09-1]),「#2325. ICOME9 に参加して気づいた学界の潮流など」 ([2015-09-08-1]) なども参照.

Referrer (Inside): [2016-09-09-1]

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2016-04-29 Fri

#2559. 小笠原群島の英語 [world_englishes][pidgin][creole][map]

 小笠原群島は,英語の別名を Bonin Islands という.人が住んでいなかったところから,日本語の「無人(ぶにん)」に由来するという説がある.実は,ここには世界で最も知られていない英語話者の共同体がある.Trudgill の用語集より,Bonin Islands の項 (18) を覗いてみよう.

Bonin Islands Perhaps the least-known anglophone community in the world, these Japanese-owned islands (Japanese Ogasawara-gunto) are in the central Pacific Ocean, about 500 miles southeast of Japan. The population is about 2,000. The islands were discovered by the Spanish navigator Ruy Lopez de Villalobos in 1543. They were then claimed by the USA in 1823 and by Britain in 1825. The originally uninhabited islands were first settled in 1830 by five seamen --- two Americans, one Englishman, one Dane and one Italian --- together with ten Hawaiians, five men and five women. This founding population was later joined by whalers, shipwrecked sailors and drifters of many different origins. The islands were annexed by Japan in 1876. The English is mainly American in origin and has many similarities with New England varieties.


 小笠原群島(聟島,父島,母島の3列島)を含む小笠原諸島の歴史は複雑である.もともとは無人の地域であり,1543年にスペイン人ビラロボスにより発見されたといわれている.日本人としては,豊臣秀吉の命で南方航海した小笠原貞頼が1593年に発見したのが最初だ.後に徳川家康によりこの発見者の名前が付され,現在の名称となる.1675年に幕府は開拓を図るが挫折し,1727年に小笠原一族による渡島も失敗した.その後も対外的対策から開拓の発議は出されたが,実質的には実らなかった.
 とかくするうちに,19世紀前半にアメリカ船員が母島に,イギリスの艦船が父島にそれぞれ寄港して,領有宣言した.1830年にはアメリカ人セボリーらがハワイ系住人を引き連れて移住した.帰属問題を巡って米英間で紛議が起こるも,その一方で幕府は1862年に日本領として領有を宣言.幕府はこのとき八丈島民の移住を企てたが,失敗している.その後,日本は1873年に諸島の本格的な経営に乗りだし,先住のアメリカ人らを徐々に日本に帰化させた.第2次大戦後では硫黄島が日米の激戦地となり,戦後はアメリカに施政権が移ったが,1968年に日本に返還された.
 上の略史からわかる通り,小笠原群島では,有人化した最初の段階から,日本語ではなく(ある変種の)英語が話されていたといえる.その英語変種は早くからピジン語化し,さらに20世紀にかけては日本語と混淆してクレオール語となって,島のアイデンティティと結びつけられるようになった.Wikipedia: Bonin English によれば,20世紀中にも家庭内では Bonin English が一般に用いられたというが,特に戦後は日本語(の単一言語)化が進んできているとのことである.

Map of the Ogasawara Islands

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.

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2016-02-29 Mon

#2499. 粘土証票の文字発生説 (1) [grammatology][writing][archaeology][map]

 文字の発生に関する仮説はいくつかあるが,現存する最古の文字を提供しているメソポタミアの地から出土した一群の粘土形が,文字の起源ではないかという説がある.メソポタミア文明の黎明期における「証票」の役割を果たしたとおぼしき粘土のコマこそが文字の元祖ではないかという.『文字の世界史』を著わしたカルヴェ (41--42) も,この仮説を受け入れているようである.

 全第4千年紀(前3000年代),メソポタミア(ギリシア語で mesos 「真ん中に」,potamos 「川」)という命名のもととなった二つの川,チグリス川とユーフラテス川とにはさまれた輝かしい文化,シュメール文化が登場する.この文化が世界に画期的発明を残した.現代のわれわれもその影響を受けている文字の発明である.文字の出現は少なくとも性質の大変異なる二つの因子に結びつけられる.第一は都会的因子,第二は,経理上の因子である.ともかくも通信体系(コード)があるということは,その通信体系を共有するグループや共同体の存在と結び付くし,また通信体系によって満たされる諸機能の存在ともつながる.この文字を生み出した共同体は,正確にいうと,1928年以降に発掘され史跡となっているユーフラテス川の左岸の低地メソポタミアに位置するウルク(今日ではワルカ)という名の町のシュメール語を話す住民たちであった.この文字の機能は,その原始の形態,つまり掘り出されたまたは時折土中のすき間に閉じ込められているおびただしい「証票」,〔中略〕様々大きさの円錐,ボール玉,飴玉,から答えが引き出されよう.これらの証票は例えば約束の際の保証の意味を表わすしるしといった用いられ方をしていた.ある頭数の羊を引き渡すのに合意した場合,その頭数に相当する数の証票,もしくはその頭数を形で象徴的に表わす複数の証票を,粘土の球体に埋め込んだのである.
 それからこの粘土玉を包む袋自体に内容について記載することを思いついたようだが,それが埋められた粘土玉の数を数えてみれば分かることを記載したということで,無駄なことをしたとはおそらく理解しなかったようだ.文字の根源はこうしてできあがった.つまり集団(例えば群れの羊の数)に相当する証票の数をそろえる代わりに,この数をシンボライズして記したということである.


 この粘土証票の文字発生説は,考古学者 Schmandt-Besserat が初めて唱えたものであり,文字の起源に関する従来の議論に一石を投じたものとして,現在でもきわめて重要な論文となっている.これについては,明日の記事で取り上げる.
 以下に,メソポタミアを中心とする古代中東の地図を Comrie et al. (164) より再現しておこう.

Map of the Near East

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ 著,矢島 文夫 監訳,会津 洋・前島 和也 訳 『文字の世界史』 河出書房,1998年.
 ・ Schmandt-Besserat, Denise. "The Earliest Precursor of Writing." Scientific American 238 (1978): 50--59.
 ・ Comrie, Bernard, Stephen Matthews, and Maria Polinsky, eds. The Atlas of Languages. Rev. ed. New York: Facts on File, 2003.

Referrer (Inside): [2016-03-02-1] [2016-03-01-1]

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2016-02-23 Tue

#2493. アングル人は押し入って,サクソン人は引き寄せられた? [history][anglo-saxon][map][archaeology]

 西ゲルマン語派の諸民族が5世紀にブリテン島へ侵略した経緯については,歴史学や考古学において様々な調査と検証が行なわれてきた.その議論の1つということで挙げようと思うが,英語史概説書を著わした Gramley (14--15) が,"The Germanic migrations" と題する節で,アングル人は "push-factors" により,サクソン人は "pull-factors" によりブリテン島へやってきたという議論を紹介している.以下に引用する.

In ancient times the peoples of Europe periodically moved from their homelands to new territories. Just why they migrated is a matter of conjecture and surely differed from case to case . . . . The major reason mooted is overpopulation, which led smaller groupings (rarely if ever a whole people) to move off to find sufficient land to settle on. On occasion pressure came from outside invaders such as the Huns, who pushed various peoples further to the west and caused them to try to find lands in the Roman Empire. Drought or other natural catastrophes might also have forced groups to pull up stakes and look for (literally) greener pastures. All of these points might be understood collectively as push-factors. The migration of the Angles to Kent was probably such a case since it seems that whole clans moved. . . . Pull factors . . . are also often seen as motivation for migration. Raids by bands of young warriors, perhaps younger sons without land, seem to have been quite frequent. While many of them were just that, raids, from which the men returned home with booty of all sorts, on other occasions, they settled in the areas invaded and, after removing the male competitors they had defeated, took the indigenous women as wives. This may apply to the Saxons, whose pattern of settlement in the English Midlands with small and equal allotments suggests a well-regulated system of distributing spoils. Furthermore, since the Saxons practiced primogeniture, smaller allotments would suffice, while the larger ones in Kent suggest more the Angles' system of gavelkind . . . . / Other pull-factors may be found in the changing structure of Germanic society under the influence of Roman expansion and Roman culture. The Roman Empire represented a high standard of living with well-established associations of power and prestige. In the case of England, even after the withdrawal of the Roman legionnaires there would have been no abrupt change.


 ちなみに上記引用内で前提とされているように,Gramley (17) はケントを襲った主たる侵略者は,伝統的なジュート人というよりは,むしろアングル人であるという見解を採用している.
 なお,伝説によれば,449年頃に Angles, Saxons, Jutes, Frisians の諸民族がブリテン島に侵入したことになっているが,考古学的な証拠によれば,西ゲルマン諸民族はそれに先立つ5世紀初頭には確実にブリテン島に居住していた.Gramley (16) は,"Pre-Conquest Germanic cemeteries" と題する略地図を以下のように与えている.

Pre-Conquest Germanic Cemeteries

 本記事で扱った内容と関連して,Gramley の英語史概説書コンパニオンサイトより,Chapter 1: The Origins of English (PDF) (p. 23) に追加的な解説があるので,参照されたい.また,本ブログ中から「#33. ジュート人の名誉のために」 ([2009-05-31-1]),「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」 ([2010-05-21-1]),「#1013. アングロサクソン人はどこからブリテン島へ渡ったか」 ([2012-02-04-1]),「#2353. なぜアングロサクソン人はイングランドをかくも素早く征服し得たのか」 ([2015-10-06-1]) の記事も要参照.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

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2016-02-02 Tue

#2472. アフリカの英語圏 [demography][world_englishes][new_englishes][esl][map][timeline][pidgin][creole][standardisation][africa]

 「#2469. アジアの英語圏」([2016-01-30-1]) に引き続き,今回はアフリカの英語圏の人口統計について.Gramley (307, 309, 311) の "Anglophone Southern African countries", "Anglophone West African countries", "Anglophone East African countries" の表を掲載しよう.  *  *

countrysignificant UK contactcolonial statusindependencetotal populationEnglish speakers
percentagetotal number
Botswana19th century188519661,640,000--38%630,000
Lesotho protectorate19661,800,000--28%500,000
Malawi18781891196413,000,000--4%540,000
Namibia18781920 (S. Afr.)19901,800,000--17%> 300,000
South Africa17951795191047,850,000> 28%13,700,000
Swaziland18941902 (UK)19681,140,000--4.4%50,000
Zambia188819241953, 196413,000,000--15%--2,000,000
Zimbabwe189019231953, 198013,300,000--42%5,550,000
 
Cameroon19141916196018,500,000--42%7,700,000
Gambia1661, 1816189419651,700,000--2.3%40,000
Ghana (formerly gold coast)1824, 18501874, 1902195723,480,000--6%1,400,000
LiberiaUSA 1822none18473,750,000--83%3,100,000
Nigeria18511884, 19001960148,000,000--53%79,000,000
Sierra Leone1787180819615,800,000--83%4,900,000
 
Kenya18861895, 1920196339,000,000--9%2,700,000
Tanzania1880s1890, 1920196142,000,000--11%4,000,000
Uganda1860s1888, 1890196231,000,000--10%2,500,000


 South Africa や Nigeria の存在感が群を抜いていることがわかる.
 これまで一覧してきたアフリカやアジアの英語圏で用いられている英語は,実際上ほぼすべて ESL と考えてよい.南アフリカでは一部 ENL が行われていたり,他の地域でクレオール英語が行われているところもあるが,現実的には ESL 地域と呼ぶにふさわしい.これらの多くの国・地域の英語使用について共通しているのは,その土地独自の英語が "endonormative" な方向で社会的な地位を得て,制度化しつつあることである.Gramley (306) は次のように解説している.

In most of these countries a kind of indigenization or nativization is currently taking place, a process in which the domains of the language are expanding and in which increasingly endonormative standards are becoming established for usages which were once stigmatized as mistakes. This is opening the way to wider use of English in creative writing and to the institutionalization of local forms in schools, the media, and government . . . . English may well still be far from being a language of the emotions among the vast majority of its users; indeed, the institutionalization of English may be making it ever more difficult for those without English to close the social gap between "the classes and the masses." All the same, English is more and more firmly a part of everyday linguistic experience.


 これら "New Englishes" の使用に関する歴史社会言語学的な事情については「#1255. "New Englishes" のライフサイクル」 ([2012-10-03-1]) を参照されたい.また,アフリカの英語圏のいくつかの地域については,「#343. 南アフリカ共和国の英語使用」 ([2010-04-05-1]),「#412. カメルーンの英語事情」 ([2010-06-13-1]),「#413. カメルーンにおける英語への language shift」 ([2010-06-14-1]),「#514. Nigeria における英語の位置づけ」 ([2010-09-23-1]) で取り上げてきたので,そちらをご覧ください.Gramley の英語史概説書コンパニオンサイトより,こちらの解説PDFファイルのなかの "colonial expansion into West Africa" の記事も有用.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

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2016-01-30 Sat

#2469. アジアの英語圏 [demography][world_englishes][new_englishes][esl][map][timeline][efl]

 アジアの英語圏については,以下の記事その他で取り上げてきた.

 ・ 「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1])
 ・ 「#215. ENS, ESL 地域の英語化した年代」 ([2009-11-28-1])
 ・ 「#273. 香港の英語事情」 ([2010-01-25-1])
 ・ 「#375. 主要 ENL,ESL 国の人口増加率」 ([2010-05-07-1])
 ・ 「#759. 21世紀の世界人口の国連予測」 ([2011-05-26-1])
 ・ 「#1589. フィリピンの英語事情」 ([2013-09-02-1])
 ・ 「#1590. アジア英語の諸変種」 ([2013-09-03-1])
 ・ 「#1593. フィリピンの英語事情 (2)」 ([2013-09-06-1])

 英語の未来を占う上で,アジア英語の話者に関する人口統計は重要な意味をもつ.様々な文献から数字を挙げることができるが,ここでは Gramley (313, 314) の "Anglophone South Asian countries" と "Anglophone Southeast Asian countries" の表をドッキングしたものを示そう.  *

countrysignificant UK contactbeginning of colonial statusindependencetotal populationEnglish speakers
percentagetotal number
Bangladesh169018581947162,000,000--2%3,500,000
India160018581947--1.2 billion> 20%> 230,000,000
Nepal none 25,000,000> 25%7,000,000
Pakistan185718581947164,000,000--11%18,000,000
Sri Lanka17961802194820,000,000--10%2,000,000
 
Singapore1819186719655,000,000--80%--4,000,000
Hong Kong1841184219976,900,000--36%2,500,000
PhilippinesUSA: 18981898194697,000,000> 50%50,000,000
Malaysia178617951957, 196327,000,000--27%7,400,000


 英語話者の人口統計という観点からは,インド,パキスタン,バングラデシュの潜在力が群を抜いている.フィリピンも21世紀中にまだまだ伸びてゆくだろう.また,表に掲げられている国・領域はいずれもESL地域であるが,いうまでもなく南・東南アジア,そして極東アジアには別途広大なEFL地域が広がっており,そこでは英語教育が例外なく盛んになっている.実際上および潜在的な英語話者が今世紀中増え続けることは間違いないが,そのなかでアジアは今後の世界の英語とその行方に影響を与え得る一大エリアとなるだろう.日本は,このような近隣の英語を巡る環境の変化に,よく注意を払うことが必要である.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

Referrer (Inside): [2017-09-11-1] [2016-02-02-1]

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