日本政府は,新型コロナウィルスの新たな変異株「オミクロン株」の今後の拡大に対する懸念から,南部アフリカの国々に水際強化策を適用し始めた.具体的には,南アフリカ共和国,ナミビア,ジンバブエ,ボツワナ,レソト,エスワティニ,モザンビーク,マラウイ,ザンビアの9カ国からの帰国者には,入国後10日間の待機が求められることになるという(cf. 「#3289. Swaziland が eSwatini に国名変更」 ([2018-04-29-1])).
アフリカのこの一角は,英語(史)に引きつけていえば,重要なESL地域を構成している.南アフリカ共和国を除けば,多くの日本人にとって,なじみの薄い国々が多いだろう.周辺の地図もあまり見慣れていないのではないか.(C)ROOTS/Heibonsha.C.P.C より,南部アフリカの地図を掲載しておきたい.
今回の水際強化策の対象となっている9カ国についていえば,ポルトガル語を公用語としているモザンビークを除いて,すべての国が英語を公用語(少なくとも公用語の1つ)として採用している(アフリカにおける英語公用語事情は「#3290. アフリカの公用語事情」 ([2018-04-30-1]) を参照).確かにこの地域の英語話者人口は多く,「#2472. アフリカの英語圏」 ([2016-02-02-1]) の人口統計を参照すると,数千万人という規模で存在することがわかる.世界的な英語地域の1つといってよい.
南部アフリカの英語化の歴史は,イギリスによる植民地化の歴史と連動している.南アフリカ共和国の英語化の淵源は他国に比べて早く18世紀末にさかのぼるが,他国も19世紀後半にはその流れに巻き込まれることになった.多くが第二次世界大戦後の20世紀半ば以降に独立を果たしたが,旧宗主国の言語である英語が威信ある言語として公用語に採用され,現在に至る.
南アフリカ共和国と英語の接触の歴史は複雑で,これまでも「#343. 南アフリカ共和国の英語使用」 ([2010-04-05-1]),「#407. 南アフリカ共和国と Afrikaans」 ([2010-06-08-1]),「#408. South African English と American English の変種構成の類似」 ([2010-06-09-1]),「#1703. 南アフリカの植民史と国旗」 ([2013-12-25-1]),「#3291. 11の公用語をもつ南アフリカ共和国」 ([2018-05-01-1]) などで紹介してきたので,そちらをどうぞ.
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