hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 次ページ / page 5 (9)

map - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-21 08:03

2014-04-13 Sun

#1812. 6単語の変異で見る中英語方言 [me_dialect][spelling][map][isogloss][dialect][bre]

 本ブログでは,中英語方言に関して,特定の語,形態素,音素の分布に注目した記事として,方言地図とともに「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]),「#790. 中英語方言における動詞屈折語尾の分布」 ([2011-06-26-1]),「#1320. LAEME で見る most の異形態の分布」 ([2012-12-07-1]),「#1622. eLALME」 ([2013-10-05-1]) などを書いてきた(ほかにも,me_dialect の記事を参照).また,一般的な中英語の方言区分図を「#130. 中英語の方言区分」 ([2009-09-04-1]) で示した.
 中英語方言に限らないが,方言間を区別する音韻対応と方言線 (isogloss) の複雑さはよく知られている.中英語では LALMELAEME という詳細な言語地図が出版されているので,その具体的な地図を覗いてみれば一目瞭然である.そこで,大雑把にでも主たる変異や音韻対応(及びそれを反映していると考えられる綴字対応)を理解していると便利だろう.そのような目的で「#1341. 中英語方言を区分する8つの弁別的な形態」 ([2012-12-28-1]) が役立つが,Lerer (92) の示している簡易方言図も役に立ちそうだ.Lerer は,高い弁別素性をもつ6語 ("stone", "man", "heart", "father", "them", "hill") を選んで,中英語5方言を簡易的に図示した.以下は,Lerer のものを参照して作った図である.

ME Dialects with Six Words

 じっくり眺めていると,架空の方言線があちこちに走っているのが 見えてきそうだ.hill -- hell -- hull に見られる母音の変異については,関連して「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]) を参照.
 当然ながら,中英語の方言区分は,現代イングランド英語の方言区分とも無縁ではない.8つの語による現代の区分は,「#1030. England の現代英語方言区分 (2)」 ([2012-02-21-1]) を参照されたい.

 ・ Lerer, Seth. Inventing English. New York: Columbia UP, 2007.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-03-31 Mon

#1799. New Zealand における英語の歴史 [history][new_zealand_english][map][maori]

 昨日の記事「#1798. Australia における英語の歴史」 ([2014-03-30-1]) に続き,Fennell (247) 及び Svartvik and Leech (105--10) に依拠し,今回はニュージーランドの英語史を略述する.

Map of New Zealand

 オーストラリアと異なり,ニュージーランドは囚人流刑地ではなく,入植にもずっと時間がかかった.Captain Cook (1728--79) は,1769年,オーストラリアに達する前にニュージーランドを訪れていた.この土地は,少なくとも600年以上のあいだ先住のマオリ人 (Maori) により住まわれており,Aotearoa と呼ばれていた.1790年代にはヨーロッパ人の捕鯨船員や商人が往来し,1814年には宣教師が先住民への布教を開始したが,イギリス人による本格的な関与は19世紀半ばからである.1840年,イギリス政府はマオリ族長とワイタンギ条約 (Treaty of Waitangi) を結び,ニュージーランドを公式に併合した.当初の移民人口は約2,100人だったが,1850年までにその数は25,000人に増加し,1900年までには25万人の移民がニュージーランドに渡っていた(現在の人口は400万人ほど).特に南島にはスコットランド移民が多く,Ben Nevis, Invercargill, Dunedin などの地名にその痕跡を色濃く残している.1861年の金鉱の発見によりオーストラリア人が大挙するなど移民の混交もあったが,世紀末にはオーストラリア変種に似通ってはいるものの独自の変種が立ち現れてきた.
 ニュージーランド英語の主たる特徴は,マオリ語からの豊富な借用語にある.ニュージーランド英語の1000語のうち6語がマオリ語起源ともいわれる.例えば,木の名前として kauri, totara, rimu,鳥の名前として kiwi, tui, moa, 魚の名前として tarakihi, moki などがある.このような借用語の豊富さは,マオリ語が1987年より英語と並んで公用語の地位を与えられ,公的に振興が図られていることとも無縁ではない(「#278. ニュージーランドにおけるマオリ語の活性化」 ([2010-01-30-1]) を参照).ニュージーランド英語の辞書として,The Dictionary of New Zealand EnglishThe New Zealand Oxford Dictionary を参照されたい.
 ニュージーランド人は,オーストラリア人に比べて,イギリス人に対して共感の意識が強く,アメリカ人に対して反感が強いといわれる.RP (Received Pronunciation) の威信も根強い.しかしこの伝統的な傾向も徐々に変化してきており,若い世代ではアメリカ英語の影響が強い.
 ニュージーランドの言語事情については,Ethnologue より New Zealand を参照.

 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 144--49.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-03-30 Sun

#1798. Australia における英語の歴史 [history][australian_english][rp][map]

 「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]),「#1718. Wales における英語の歴史」 ([2014-01-09-1]),「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]),「#1733. Canada における英語の歴史」 ([2014-01-24-1]) に続き,オーストラリアの英語の歴史を概観する.以下,Fennell (246--47) 及び Svartvik and Leech (98--105) に依拠する.

Map of Australia

 ヨーロッパ人として最初にオーストラリア大陸にたどり着いたのは16世紀のポルトガル人とオランダ人の船乗りたちで,当初,この大陸は Nova Hollandia と呼ばれた(Australia は,ラテン語の terra australis incongita (unknown southern land) より).その後の歴史に重要な契機となったのは,1770年に Captain Cook (1728--79) が Endeavour 号でオーストラリアの海岸を航行したときだった.Cook はこの地のイギリスの領有を宣言し,New South Wales と名づけた.1788年,11隻からなる最初のイギリス囚人船団 the First Fleet が Arthur Phillip 船長の指揮のもと Botany Bay に投錨した.ただし,上陸したのは天然の良港とみなされた Port Jackson (現在の Sydney)である.この日,1月26日は Australia Day として知られることになる.
 この最初の千人ほどの人々とともに,Sydney は流刑地としての歩みを始めた.19世紀半ばには13万人もの囚人がオーストラリアに送られ,1850年にはオーストラリア全人口は40万人に達し,1900年には400万人へと急増した(現在の人口は約2千万人).この急増は,1851年に始まったゴールドラッシュに負っている.移民の大多数がイギリス諸島出身者であり,とりわけロンドンとアイルランドからの移民が多かったため,オーストラリア英語にはこれらの英語方言の特徴が色濃く残っており,かつ国内の方言差が僅少である.この言語的均一性は,アメリカやカナダと比してすら著しい(「#591. アメリカ英語が一様である理由」 ([2010-12-09-1]) を参照).
 1940年代までは,オーストラリアのメディアでは RP (Received Pronunciation) が広く用いられていた.しかし,それ以降,南西太平洋の強国としての台頭と相まって,オーストラリア英語が自立 (autonomy) を獲得してきた.Australian National Dictionary, Macquarie Dictionary, Australian Oxford Dictionary の出版も,自国意識を高めることになった.その一方で,ここ数十年間は,間太平洋の関係を反映して,オーストラリア英語にアメリカ英語の影響が,特に語彙の面で,顕著に見られるようになってきた.第2次世界大戦後には,南欧,東欧,アジアなどの非英語国からの移民も増加し,こうした移民たちがオーストラリア英語の民族的変種を生み出すことに貢献している.
 オーストラリア英語の特徴は,主として語彙に見られる.植民者や土着民との接触を通じて,オーストラリア特有の動物や文化の項目について多くの語彙が加えられてきた.オーストラリアに起源を有する語彙項目や語彙は1万を超えるといわれるが,いくつかを列挙してみよう.dinkum (genuine, right), ocker (the archetypal uncultivated Australian man), sheila (girl), beaut (beautiful), arvo (afternoon), tinnie (a can of beer), barbie (barbecue), bush (uncultivated expanse of land remote from settlement), esky (portable icebox), footpath (pavement), g'day (good day), lay-by (buying an article on time payment), outback (remote, sparsely inhabited Australian hinterland), walkabout (a period of wandering as a nomad), weekender (a holiday cottage).
 発音の特徴の一端については,「#402. Southern Hemisphere Shift」 ([2010-06-03-1]) を参照.オーストラリアにおける言語事情については,Ethnologue より Australia を参照.

 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 144--49.

Referrer (Inside): [2014-03-31-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-03-27 Thu

#1795. 方言に生き残る wh の発音 [map][pronunciation][dialect][digraph]

 「#1783. whole の <w>」 ([2014-03-15-1]) で <wh> の綴字と対応する発音について触れた.現代標準英語では,<wh> も <w> も同様に /w/ に対応し,かつてあった区別はない.しかし,文献によると19世紀後半までは標準変種でも区別がつけられていたし,方言を問題にすれば今でも健在だ.私自身もスコットランド留学中には定常的に /hw/ の発音を聞いていたのを覚えている.<wh> = /hw/ の関係が生きている方言分布についての言及を集めてみた.まずは,Crystal (466) から.

One example is the distinction between a voiced and a voiceless w --- as in Wales vs whales --- which was maintained in educated speech until the second half of the nineteenth century. That the change was taking place during that period is evident from the way people began to notice it and condemn it. For Cardinal Newman's younger brother, Francis, writing in his seventies in 1878, comments: 'W for Hw is an especial disgrace of Southern England.' Today, it is not a feature of Received Pronunciation . . ., though it is kept in several regional accents . . . .


 OED の wh, n. によると,次のような記述がある.

In Old English the pronunciation symbolized by hw was probably in the earliest periods a voiced bilabial consonant preceded by a breath. This was developed in two different directions: (1) it was reduced to a simple voiced consonant /w/; (2) by the influence of the accompanying breath, the voiced /w/ became unvoiced. The first of these pronunciations /w/ probably became current first in southern Middle English under the influence of French speakers, whence it spread northwards (but Middle English orthography gives no reliable evidence on this point). It is now universal in English dialect speech except in the four northernmost counties and north Yorkshire, and is the prevailing pronunciation among educated speakers. The second pronunciation, denoted in this Dictionary by the conventional symbol /hw/, . . . is general in Scotland, Ireland, and America, and is used by a large proportion of educated speakers in England, either from social or educational tradition, or from a preference for what is considered a careful or correct pronunciation.


 さらに,LPD の "wh Spelling-to-Sound" によれば,

Where the spelling is the digraph wh, the pronunciation in most cases is w, as in white waɪt. An alternative pronunciation, depending on regional, social and stylistic factors, is hw, thus hwaɪt. This h pronunciation is usually in Scottish and Irish English, and decreasingly so in AmE, but not otherwise. (Among those who pronounce simple w, the pronunciation with hw tends to be considered 'better', and so is used by some people in formal styles only.) Learners of EFL are recommended to use plain w.


 そして,Trudgill (39) にも.

[The Northumberland area, which also includes some adjacent areas of Cumbria and Durham] is the only area of England . . . to retain the Anglo-Saxon and mediaeval distinction between words like witch and which as 'witch' and 'hwitch'. Elsewhere in the country, the 'hw' sound has been lost and replaced by 'w' so that whales is identical with Wales, what with watt, and so on. This distinction also survives in Scotland, Ireland and parts of North America and New Zealand, but as far as the natural vernacular speech of England is concerned, Northumberland is uniquely conservative in retaining 'hw'. This means that in Northumberland, trade names like Weetabix don't work very well since weet suggests 'weet' /wiːt/ whereas wheat is locally pronounced 'hweet' /hwiːt/.


 イングランドに限れば,分布はおよそ以下の地域に限定されるということである.



 関連して「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) も参照.イングランド方言全般については,「#1029. England の現代英語方言区分 (1)」 ([2012-02-20-1]) 及び「#1030. England の現代英語方言区分 (2)」 ([2012-02-21-1]) を参照.

 ・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.
 ・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-03-21 Fri

#1789. インドネシアの公用語=超民族語 [language_planning][map][history]

 2億4千万の人口を要する東南アジアの大国インドネシアは,世界有数の多言語国家でもある.「#401. 言語多様性の最も高い地域」 ([2010-06-02-1]) で示したとおり,国内では700を超える言語が用いられており,言語多様性指数は世界第2位の0.816という高い値を示す.この国の公用語はマライ語 (Malay) を基礎におく標準化されたインドネシア語 (Bahasa Indonesia) だが,この言語は同国で最も多くの母語話者を擁する言語ではない(約2300万人).最大の母語話者数をもつ言語派は主としてジャワ島で広く話されるジャワ語 (Javanese) で,こちらは約8400万人によって用いられている.マライ語がインドネシアにおいて公用語=超民族語として機能している背景には,部分的には国によるインヴィトロな言語政策が関与しているが,主として自然発生してきたというインヴィヴォな歴史的経験が重要な位置を占めている.

Map of Indonesia

 母語としてのマライ語は,ボルネオの沿岸地帯,スマトラ東岸,ジャワのジャカルタ地域などのジャワ海に面した沿岸地域で話されている.また,隣国シンガポールやマレーシアでもマライ人により話されており,島嶼域一帯の超民族語として機能している.この分布は,マライ語が海上交易のために海岸の各港で発達してきた歴史をよく物語っている.詳しい分布地図については,EthnologueIndonesia より,Maps を参照されたい.
 カルヴェ (86--89) によると,マライ語がインドネシアの公用語として採用されることになった淵源は,民族解放闘争初期の1928年の政治的決定にある.スカルノ率いるインドネシア国民党は,オランダによる占領に対し,自らの独立性を打ち出すためにマライ語を国を代表する言語として採用することを決定した.国家としての独立はまだ先の1945年のことであり,1928年当時の決定は,現実的というよりは多分に象徴的な性格を帯びた決定だった.しかし,独立後,この路線に沿って言語計画が着々と進むことになった.権威ある政治家や文学者が,多大な努力を払って規範文法や辞書を編纂し,標準化に尽力した.結果として,インドネシア語は,行政,学問,文学,マスメディアの言語として幅広く用いられる国内唯一の言語となった.
 母語話者数が最大ではないマライ語がインドネシアの公用語=超民族語として受け入れられてきたのには,上記のような独立前後の言語計画が大きく関与していることは疑いようがない.しかし,その言語計画こそインヴィトロではあるが,すでにインヴィヴォに培われていたマライ語の超民族的性格を活かしたという点では,自然の延長線上にあった.先に非政治的な要因,すなわち昨日の記事「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]) の言葉でいえば地理的,経済的,都市の要因により超民族語として機能していたものを,人為的に同じ方向へもう一押ししてあげたということだろう.
 インドネシア語は,言語計画の成功例として,多言語状態にある世界にとって貴重な資料を提供している.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ 著,林 正寛 訳 『超民族語』 白水社〈文庫クセジュ〉,1996年.

Referrer (Inside): [2019-10-06-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-29 Wed

#1738. 「アメリカ南部山中で話されるエリザベス朝の英語」の神話 [language_myth][colonial_lag][sociolinguistics][map]

 「#1266. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (1)」 ([2012-10-14-1]),「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」 ([2012-10-15-1]),「#1268. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (3)」 ([2012-10-16-1]) で,アメリカ英語が古い英語をよく保存しているという "colonial lag" の神話について議論した.アメリカでとりわけ人口に膾炙しているこの種の神話の1つに,標題のものがある.この神話ついては Montgomery が詳しく批評しており,いかに根強い神話であるかを次のように紹介している (66--67) .

The idea that in isolated places somewhere in the country people still use 'Elizabethan' or 'Shakespearean' speech is widely held, and it is probably one of the hardier cultural beliefs or myths in the collective American psyche. Yet it lacks a definitive version and is often expressed in vague geographical and chronological terms. Since its beginning in the late nineteenth century the idea has most often been associated with the southern mountains --- the Appalachians of North Carolina, Tennessee, Kentucky and West Virginia, and the Ozarks of Arkansas and Missouri. At one extreme it reflects nothing less than a relatively young nation's desire for an account of its origins, while at the other extreme the incidental fact that English colonization of North America began during the reign of Queen Elizabeth I four centuries ago. Two things in particular account for its continued vitality: its romanticism and its political usefulness. Its linguistic validity is another matter. Linguists haven't substantiated it, nor have they tried, since the claim of Elizabethan English is based on such little evidence. But this is a secondary, if not irrelevant, consideration for those who have articulated it in print --- popular writers and the occasional academic --- for over a century. It has indisputably achieved the status of a myth in the sense of a powerful cultural belief.


 神話なので,問題となっている南部山地が具体的にどこを指すのかは曖昧だが,Appalachia や the Ozarks 辺りが候補らしい.

Map of Appalachia and the Ozarks

 では,その英語変種の何をもってエリザベス朝の英語といわれるのか.しばしば引用されるのは,動詞の強変化活用形 (ex. clum (climbed), drug (dragged), fotch (fetched), holp (help)) ,-st で終わる単音節名詞の複数語尾としての -es (ex. postes, beastes, nestes, ghostes) などだが,これらは他の英米の変種にも見られる特徴であり,アパラチア山中に特有のものではない (Montgomery 68) .この議論には,言語学的にさほどの根拠はないのである.
 引用内に述べられているとおり,神話が生まれた背景には,古きよきイングランドへのロマンと政治的有用性とがあった.だが,前者のロマンは理解しやすいとしても,後者の政治的有用性とは何のことだろうか.Montgomery (75) によると,南部山間部に暮らす人々に対して貼りつけられた「貧しく無教養な田舎者」という負のレッテルを払拭するために,彼らの話す英語は「古きよき英語」であるという神話が創出されたのだという.

Advancing the idea, improbable as it is, that mountain people speak like Shakespeare counters the prevailing ideology of the classroom and society at large that unfairly handicaps rural mountain people as uneducated and unpolished and that considers their language to be a corruption of proper English.


 「時代後れの野暮ったい」変種が,この神話によって「古きよき時代の素朴な」変種として生まれ変わったということになる.社会言語学的な価値の見事な逆転劇である.負の価値が正の価値へ逆転したのだから,これ自体は悪いことではないと言えるのかもしれない.しかし,政治的な意図により負から正へ逆転したということは,同じ意図により正から負への逆転もあり得るということを示唆しており,言葉にまつわる神話というものの怖さと強さが感じられる例ではないだろうか.

 ・ Montgomery, Michael. "In the Appalachians They Speak like Shakespeare." Language Myths. Ed. Laurie Bauer and Peter Trudgill. London: Penguin, 1998. 66--76.

Referrer (Inside): [2016-12-13-1] [2015-07-10-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-28 Tue

#1737. アメリカ州名の由来 [onomastics][toponymy][etymology][map]

 「#1735. カナダ州名の由来」 ([2014-01-26-1]) と「#1736. イギリス州名の由来」 ([2014-01-27-1]) に続いて,今回はアメリカの州 (state) の名前の由来を訪ねる.まずは,州境の入った地図から.
 
Map of USA States

 語源別に50州の内訳をみると,以下のようになっている.過半数がアメリカ先住民の言語に由来する.

NumberOrigin
28American Indian
11English
6Spanish
3French
1Dutch (Rhode Island)
1from America's own history (Washington)


 では,Crystal (145) を参照して50州名の由来をアルファベット順に示そう.

AlabamaChoctaw "I open the thicket" (i.e. clears the land)
AlaskaInuit "great land"
ArizonaPapago "place of the small spring"
ArkansasSioux "land of the south wind people"
CaliforniaSpanish "earthly paradise"
ColoradoSpanish "red" (colour of the earth)
ConnecticutMohican "at the long tidal river"
Delawarenamed after English governor Lord de la Warr
FloridaSpanish "land of flowers"
Georgianamed after George II
HawaiiHawaiian "homeland"
IdahoShoshone "light on the mountain"
IllinoisAlgonquian via French "warriors"
IndianaEnglish "land of the Indians"
IowaDakota "the sleepy one"
KansasSioux "land of the south wind people"
KentuckyIroquois "meadow land"
Louisiananamed after Louis XIV of France
Mainenamed after a French province
Marylandnamed after Henrietta maria, queen of Charles I
MassachusettsAlgonquian "place of the big hill"
MichiganChippewa "big water"
MinnesotaDakota Sioux "sky-coloured water"
MississippiChippewa "big river"
MissouriAlgonquian via French "muddy waters" (?)
MontanaSpanish "mountains"
NebraskaOmaha "river in the flatness"
NevadaSpanish "snowy"
New Hampshirenamed after an English county
New Jerseynamed after Jersey (Channel Islands)
New Mexiconamed after Mexico (Aztec "war god, Mextli")
New Yorknamed after the Duke of York
North Carolinanamed after Charles II
North DakotaSioux "friend"
OhioIroquois "beautiful water"
OklahomaChoctaw "red people"
OregonAlgonquian "beautiful water" or "beaver place" (?)
Pennsylvanianamed after William Penn and Latin "woodland"
Rhode IslandDutch "red clay"
South Carolinanamed after Charles II
South DakotaSioux "friend"
TennesseeCherokee settlement name, unknown origin
TexasSpanish "allies"
UtahNavaho "upper land" or "land of the Ute" (?)
VermontFrench "green mountain"
Virginianamed after Elizabeth I, the "virgin queen"
Washingtonnamed after George Washington
West Virginianamed after Elizabeth I, the "virgin queen"
WisconsinAlgonquian "grassy place" or "beaver place" (?)
WyomingAlgonquian "place of the big flats"


(後記 2014/02/24(Mon):アメリカ州名の学習にはこちらをどうぞ.)

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-27 Mon

#1736. イギリス州名の由来 [onomastics][toponymy][etymology][map][celtic]

 昨日の記事「#1735. カナダ州名の由来」 ([2014-01-26-1]) に続いて,今回はイギリスの州 (county, shire) の名前の起源について.まずは,州境の入った地図を掲げたい.Ordnance Survey - Outline maps より入手した,1972--1996年の旧州名の入った地図である.下図をクリックして拡大 (65KB) ,あるいはさらなる拡大版 (260KB),あるいはPDF版 (243KB) を参照しながらどうぞ.

Map of UK Counties

 以下の州名の由来は,Crystal (143) にもとづく.Western Isles, Highland, Central, Borders など,自明のものは省略してある.当然ながらケルト諸語に由来する州名が多い.

Avon"river"
Bedford"Beda's ford"
Berkshire"county of the wood of Barroc" ("hilly place")
Buckingham"riverside land of Bucca's people"
Cambridge"bridge over the river Granta"
Cheshire"county of Chester" (Roman "fort")
Cleveland"hilly land"
Clwyd"hurdle" (? on river)
Cornwall"(territory of) Britons of the Cornovii" ("promontory people")
Cumbria"territory of the Welsh"
Derby"village where there are deer"
Devon"(territory of) the Dumnonii" ("the deep ones", probably miners)
Dorset"(territory of the) settlers around Dorn" ("Dorchester")
Dumfries and Galloway"woodland stronghold"; "(territory of) the stranger-Gaels"
Durham"island with a hill"
Dyfed"(territory of) the Demetae"
Essex"(territory of) the East Saxons"
Fife"territory of Vip" (?)
Glamorgan"(Prince) Morgan's shore"
Gloucester"(Roman) fort at Glevum" ("bright place")
Grampianunknown origin
Gwent"favoured place"
Gwynedd"(territory of) Cunedda" (5th-century leader)
Hampshire"county of Southampton" ("southern home farm")
Hereford and Worcester"army ford"; "(Roman) fort of the Wigora"
Hertford"hart ford"
Humberside"side of the good river"
Kent"land on the border" (?)
Lancashire"(Roman) fort on the Lune" ("health-giving river")
Leicester"(Roman) fort of the Ligore people"
Lincoln"(Roman) colony at Lindo" ("lake place")
London"(territory of) Londinos" ("the bold one") (?)
Lothian"(territory of) Leudonus"
Man"land of Mananan" (an Irish god)
Manchester"(Roman) fort at Mamucium"
Merseyside"(side of the) boundary river"
Norfolk"northern people"
Northampton"northern home farm"
Northumberland"land of those dwelling north of the Humber"
Nottingham"homestead of Snot's people"
Orkney"whale island" (?) (After J. Field, 1980)
Oxford"ford used by oxen"
Powys"provincial place"
Scillyunknown origin
Shetland"hilt land"
Shropshire"county of Shrewsbury" ("fortified place of the scrubland region")
Somerset"(territory of the) settlers around Somerton" ("summer dwelling")
Stafford"ford beside a landing-place"
Strathclyde"valley of the Clyde" (the "cleansing one")
Suffolk"southern people"
Surrey"southern district"
Sussex"(territory of) the South Saxons"
Tayside"silent river" or "powerful river"
Tyne and Wear"water, river"; "river"
Warwick"dwellings by a weir"
Wight"place of the division" (of the sea) (?)
Wiltshire"county around Wilton" ("farm on the river Wylie")
Yorkshire"place of Eburos"


(後記 2014/02/24(Mon):イギリス州名の学習にはこちらをどうぞ.)

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-26 Sun

#1735. カナダ州名の由来 [onomastics][toponymy][etymology][map][canada]

 「#1733. Canada における英語の歴史」 ([2014-01-24-1]) および「#1734. Canada の国旗と紋章」 ([2014-01-25-1]) でカナダを取り上げたが,今回はカナダの州 (province) と準州 (territory) の名前について.
 カナダは世界第2位の面積を誇る巨大な大陸国家だが,政治区画としては10州と3準州からなる.Nunavut は1999年に設立されたばかりの準州で,住民の多くが先住民族である.

Map of Canada

 Northwest Territories は文字通りなので除外し,語源辞典等により調べた,12(準)州の名前を構成する主要素の起源をアルファベット順に掲げる.

 ・ Alberta は,Queen Victoria の4番目の娘 Princess Louise Caroline Alberta にちなむ.
 ・ Brunswick は,George II, Duke of Brunswick にちなむ.
 ・ Columbia は,ハドソン湾会社の時代の Columbia District より引き継がれた.「コロンブスの地」の意.
 ・ Labrador は,ポルトガル語 lavrador (yeoman farmer) に由来するとされ,John Cabot の命名とも想定されるが,未詳.
 ・ Manitoba は,北米先住民の言語 Algonquian の manito bau (spirit straight) より.この manito は,1698年に英語へ manitou として入っており,「(アルゴンキアン族の)霊,魔;超自然力」を表わす.
 ・ Newfoundland は,「新しく発見した土地」として John Cabot により命名されたもの.
 ・ Nova Scotia は,ラテン語で "New Scotland" の意.
 ・ Nunavut は,北米先住民の言語 Inuit で "our land" を意味する.
 ・ Ontario は,北米先住民の言語 Iroquoian の Oniatariio (the fine lake) のフランス語形より.
 ・ Prince Edward は,George III の4番目の息子 Prince Edward Augustus, the Duke of Kent にちなむ.
 ・ Quebec は,北米先住民の言語 Algonquian の kabek (the place shut in) より.
 ・ Saskatchewan は,北米先住民の言語 Cree の kisiskatchewani (swift-flowing river) より.Rocky 山脈に発する川に当てられた名前.
 ・ Yukon は,北米先住民の言語 Athapascan の yukon-na (big river) より.ベーリング海峡に注ぐ川に当てられた名前.

Referrer (Inside): [2014-01-28-1] [2014-01-27-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-24 Fri

#1733. Canada における英語の歴史 [canadian_english][history][map][timeline][canada]

 「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]),「#1718. Wales における英語の歴史」 ([2014-01-09-1]),「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) に引き続き,主たる英語圏の歴史シリーズとしてカナダを取り上げる.

Map of Canada

 カナダの地へは,今から1万年ほど前に,まずイヌイットが到来した.彼らは狩猟・漁労の生活を営んだ.紀元1000年頃,ヴァイキングたちがヨーロッパ人として初めてカナダに到着した.しかし,ヨーロッパ人による本格的なカナダの探検の開始は,コロンブスが新世界を発見した15世紀末を待たなければならなかった.
 1497年,John Cabot (1425--99) は,イングランド王 Henry VII の許可を得て,アジアの富を求めてBristol を西へと出航した.Cabot が見つけたのはアジアではなくカナダの東海岸だったが,Cabot の航海は多くの船乗りの探検欲をそそり,その後のカナダの探検と開発に貢献することとなった.だが,実際のところ,Cabot が到着した頃のカナダ東海岸は,イギリス,フランス,スペイン,ポルトガルの漁師たちにはすでに鱈の漁場として知られていたようだ.
 1534年,フランス王は Jacques Cartier (1491--1557) をアジア航路の発見のために送り出した.Cartier は Newfoundland を超えて,Saint Lawrence 湾へ入り込み,そこでイロコイ族 (Iroquois) から聞いた語で「村」を意味する kanata を書き留めている.これが Canada の起源とされる.こうしたカナダ探検を通じて,フランスはビーバーの毛皮貿易に商機を見いだし,カナダへの関与を深めていくことになった.New France と呼ばれることになったカナダ東部は1663年にフランス領となり,植民地人口は1万人ほどになっていた.彼らは,現在の約670万人のフランス系カナダ人の祖先である.フランスは,交易,探検,キリスト教の布教の旗印でミシシッピ川を下り,1682年にはメキシコ湾に到達していた.こうして,18世紀初頭の最盛期には,フランスは北米に広大な権益を確保するに至った.
 一方,イングランド人も遅れてカナダへの権益を求め始めていた.16世紀後半には Newfoundland の St. John's に北米初の植民地を建設し,ハドソン湾会社 (Hudson's Bay Company) を設立してハドソン湾付近の交易を独占した.18世紀の間に英仏の対立は避けられなくなり,1754--63年にはフレンチ・インディアン戦争 (French and Indian War) で衝突.イギリスの勝利によりカナダの広大な領土が英植民地となった.この戦争の間に,New Brunswick, Nova Scotia, Prince Edward Island, 南東 Quebec,東 Maine を含む Acadia から,数千というフランス系移民たちがアメリカ南部の Louisiana などへ追放されることになった.現在も Louisiana で話されているフランス語の変種 Cajun (< Acadian) の話し手は,当時のフランス系移民の末裔である.
 アメリカ独立戦争に際して,イギリスに忠誠的だった王党派 (Loyalist) の人々は,アメリカに残ることを潔しとせず,4万人という規模で Nova Scotia へ,後に内陸部へと移住した.比較的文化程度の高い中産階級の人々がここまで大量に移民するということは,歴史上,まれである.さらに,England, Scotland, Ireland からの直接の移民もおこなわれ,カナダにおける英語人口が増えた.これらの大量の英語を話す移民により,英領北アメリカにおいてイギリス色の濃い Upper Canada (現在の Ontario)とフランス色の濃い Lower Canada (現在の Quebec)が区別されるようになった.第2次独立戦争ともいわれる1812年の英米間の戦いでは,Upper Canada が戦場となり,アメリカとカナダとの分離意識が強まることとなった.
 1867年,カナダは Nova Scotia, New Brunswick, Ontario, Quebec から成る英自治領となり,1931年には独立を達成.英連邦 (The Commonwealth of Nations) の一員として残るも,1965年には Union Jack を組み込んだ国旗を廃して,現在のカエデの国旗を採用.1982年には自前の憲法を制定し,完全に主権を獲得した.しかしながら,カナダは立憲君主制は保持しており,エリザベス女王を国家元首としている(カナダの紙幣にはエリザベス女王が描かれている).
 現在,カナダは多言語国家である.カナダ人の約60%が英語母語話者,約20%がフランス語母語話者であり,ほかにも先住民や移民により計100以上の言語が話されている.
 以上,主として Svartvik and Leech (90--95) を参照して執筆した.カナダにおける英語の広がりについては,「#1698. アメリカからの英語の拡散とその一般的なパターン」 ([2013-12-20-1]) および「#1701. アメリカへの移民の出身地」 ([2013-12-23-1]) も参照.
 参考までに,ブライアン・ウィリアムズ (60--61) より,カナダ史の年表を掲げておく.

紀元前2000ごろイヌイットが北アメリカへやってくる.
紀元前800ごろバフィン島でドーセット分化が誕生.
紀元後800ごろ氷河が後退し,北アメリカで農耕がはじまる.
1000ごろレイフ・エリクソンの率いるバイキングが北アメリカに上陸(おそらくニューファンドランド・ラブラドルと,もう1カ所).
1020ごろバイキングの北アメリカ探検が終わる.
1075ごろアラスカのチューレ・イヌイットが北極文化で優勢となる.
1497ジョン・カボットがニューファンドランドとケープ・ブレトンに上陸.
1534ジャック・カルティエがセント.・ローレンス川を探検し,セント・ローレンス湾の沿岸をフランス領と宣言する.
1583ニューファンドランドがイギリス初の海外植民地となる.
1627フランスが北アメリカにつくった植民地「ニューフランス」を統治するため,ニューフランス会社が設立される.
1670ロンドンの貿易商たちがハドソン湾会社を設立.ハドソン湾を囲む地域の商業圏を支配する.
170120年間の外交の末,38の先住民族国家がフランスと平和条約を結ぶ.
1756七年戦争で,大きさでも経済力でも勝るイギリスの植民地をニューフランスが獲得.
1763パリ条約が結ばれ,七年戦争が終わる.ミシシッピ川の東にあったフランス領植民地はイギリスの領土になる.ニューフランスはケベック植民地と名称が変わる.
1783モントリオールの毛皮商人たちがノースウェスト会社を設立.西部と北部を通って太平洋まで,交易所ができる.
1791ケベックがローワー・カナダ(現在のケベック)とアッパー/カナダ(現在のオンタリオ)とに分けられる.
1812--141812年戦争.五大湖では海戦がおこなわれ,ヨーク(現在のトロント)はアメリカ軍の攻撃を受けたが,アメリカのカナダ侵略の試みは失敗した.
1821ハドソン湾会社とノースウェスト会社が合併し,何年もつづいていたはげしい競争が終わる.
1841カナダ・イースト(ローワー・カナダ)とカナダ・ウェスト(アッパー・カナダ)がカナダ州として再び統合される.
1867英国領北アメリカ法により,英自治領カナダが誕生.ここにはオンタリオ,ケベック,ノバ・スコシア,ニューブランスウィックが含まれていた.
1870マニトバ,つづいてブリティッシュ・コロンビア,プリンス・エドワード・アイランドが州になる.
1885カナディアン・パシフィック鉄道が完成
1898ユーコン川上流でゴールドラッシュが起こる.ユーコンは準州の地位を与えられる.
1905アルバータとサスカチェワンが州になる.
1931ウェストミンスター憲章により,イギリスの自治領に完全な自治があたえられる.
1947カナダとイギリスは,連合王国内で同等の地位をもつことになる.
1949カナダは北大西洋条約機構の設立メンバーとなる.イギリスはニューファンドランドをカナダへ返還.
1965それまでのイギリス色の濃い国旗に代わり,楓の葉のデザインの国旗ができる.
1967モントリオールで万国博覧会が開かれ,イギリスではないカナダとしての自覚が生まれる.
1968ケベックの完全な独立を勝ちとることを目的に,ケベック党が組織される.
1970ケベック独立を訴える急進的分離独立主義のグループ,ケベック解放戦線がイギリスの商務官を誘拐,ケベックの大臣を殺害.
1982カナダは完全な自由を得る.イギリスからすべての法的権利が移行された後,新憲法が制定される.
1984ピエール・トルドー首相が引退し,次の選挙で進歩保守党のブライアン・マルルーニーが勝利.
1992カナダ,アメリカ,メキシコが,北米自由貿易協定に調印する.
1993マルルーニーが進歩保守党党首を辞任.その後をキム・キャンベルがカナダ初の女性首相として引き継いだ.しかしその数ヶ月後,首相はジャン・クレティエンに代わる.
1995ケベックの州民投票で,わずか1%の差で独立が否決される.
1998ケベックの大多数の住民が独立を望む場合,連邦政府の許可があって初めて独立できることを,カナダ最高裁が定めた.
1999ヌナブトが準州になる.住民の多くが先住民族である準州として最初.
2003トロントで,東南アジア以外で最大のSARS(新型肺炎)の大発生.
2003ケベック州選挙で自由党がケベック党を破り,独立賛成派の党による支配が終わる.
2003ジャン・クレティエンが10年間努めた首相の座を引退.後任はポール・マーティン.
2006保守党がカナダ政府の支配権を握る.スティーブン・ハーパーが首相に就任.


 ・ ブライアン・ウィリアムズ 『ナショナルジオグラフィック 世界の国 カナダ』 ほるぷ出版,2007年.
 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 144--49.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-06 Mon

#1715. Ireland における英語の歴史 [irish][ireland][irish_english][history][map]

 Fennell (198--200) を要約する形で,アイルランドにおける英語使用の歴史について略述する.アイルランドにおける英語の影響を歴史的に記述する上で,重要な時期が3つある.1つは,アイルランドにアングロ・ノルマン軍を送り込んだ Henry II (1133--89) の治世下の1171年である.しかし,このときには英語は威信を得られず,じきにアイルランド語話者によりアイルランド化されてしまった.1366年に Statutes of Kilkenny により英語の地位を補強する施策がなされたが,効果は出なかった.1550年代に宗教改革への反発から,プロテスタントを象徴する英語に対してカトリックを象徴するアイルランド語という構図が作り出され,16世紀中,アイルランドにおける英語の立場は風前の灯だった.  *
 しかし,続く17--18世紀は,英語の影響に関する第2期として重要な時期となった.この時期,イングランド人はプランテーションを建設することによりアイルランドを植民地化した.18世紀にはアイルランドの都市部では英語の威信が高まり,アイルランドの支配層も威信を求めて英語を学ぶようになった.独立の動きがあった1790年代には,すでに多くのアイルランド人が英語を話すまでになっていた.
 決定的な影響を及ぼした第3期は,1800年の連合法 (Act of Union) によりアイルランドがイギリスに併合されて以降の時期である.英語は威信の象徴となり,反対にアイルランド語は発展の妨げと意識されるようになった.貴族の子弟は子供をイングランドに送って教育するまでになった.20世紀初期には J. P. Synge, Sean O'Casey, W. B. Yeats などがアイルランド英語による文学活動で成功を収め,英語の威信はいや増しに高まった.1800年の時点ではアイルランド人口の過半数がアイルランド語を母語としていたが,1851年にはその比率は23%まで減じ,さらに1900年には5%にまで落ちていた.1900年には,実に85%を超える人口が英語の単一言語話者となっていたのである.19世紀に英語話者比率が著しく増加した背景として,4つの要因が考えられる (Fennell 199) .

(1) the expansion of the railways out form English-speaking Dublin and Belfast;
(2) the spread of education, first in unofficial 'hedge' schools and then in the national schools from 1831, where English was promoted and the use of Irish actively discouraged;
(3) dramatic demographic change caused by famine and the massive emigration to America and other countries from 1830 to 1850. The famine particularly decimated the Irish-speakers in the west of Ireland, possibly halving the number of speakers.
(4) the association of English with progress, modernization and an international voice. . . . [E]ven nationalist politicians in Ireland preached their message in English, in the knowledge that it would bring them a wider audience.


 1916年のイースター蜂起の後になって,アイルランド語がアイルランドのアイデンティティとしてみなされるようになったが,英語の基盤はすでに盤石となっていた.現在も,アイルランドのEUにおける立場は英語国としての立場に負っているし,Dublin の国際都市としての名声も英語に負っているともいえるのである.

 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-05 Sun

#1714. 中米の英語圏,Bluefields と Puerto Limon [history][caribbean][map]

 昨日の記事「#1713. 中米の英語圏,Bay Islands」 ([2014-01-04-1]) に引き続き,中米における英語圏について.今日は,Bluefields (Nicaragua) と Puerto Limón (Costa Rica) の英語事情に注目したい.
 Nicaragua のカリブ海に面した港町 Bluefields は,British West Indian, Nicaraguan ladino, Miskito (Afro-Indian) の人々を混合させた多文化の地である.アフリカ系ヨーロッパ人は英語を母語として話し,それ以外は程度の差はあれスペイン語を話す.Nicaragua のカリブ海岸は19世紀半ばまでイギリスの支配下にあり,同種の周辺地域と同様に,英領西インド諸島を経由してやってきたアフリカ人やヨーロッパ人が住みつくことが多かった.現在,その子孫たちが英語を話していることになる.Bluefields の英語話者集団は,昨日の Bay Islands の英語話者集団と同様に,スペインを話す国内の多数派集団とよりも,周辺諸国の英語圏諸地域との連携のほうが強い(以上,Lipski, pp. 194--95 より).

Map of Nicaragua

 次に,Costa Rica のカリブ海岸に面する Puerto Limón に話を移そう.「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) や「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1]) の年表で示したが,Puerto Limón の英語使用の歴史は,Bay Islands や Bluefields に比べて遅めである.この町の英語話者の先祖は,1871年以降に鉄道建設のために Jamaica などから連れてこられた大量の黒人労働者である.彼ら労働者たちは,一般の Costa Rica 国民からは隔離され,その後も現在に至るまで融合したとは言いがたい.Puerto Limón の英語話者比率は,Bay Islands や Bluefiedls に比べて低いが,英語による教育の機会などは与えられている(以上,Lipski, pp. 195--96 より).

Map of Costa Rica

 昨日と今日の記事で Bay Islands, Bluefields, Puerto Limón など一般には知られていない中米の英語圏を話題にしたのは,母語としての英語が社会の少数派によって話されている地域が,現代世界に存在するという事実に注意を向けたかったからである.上記のいずれの地でも,英語の社会的な立場は,威信のある周囲の多数派言語であるスペイン語の圧力により,相対的に低い.一般的には英語は現代世界において威信のある言語であるということはできるかもしれないが,例外なくどこでもそうであるわけではない,という点は認識しておく必要がある.

 ・ Lipski, John M. "English-Spanish Contact in the United States and Central America: Sociolinguistic Mirror Images?" Focus on the Caribbean. Ed. M. Görlach and J. A. Holm. Amsterdam: Benjamins, 1986. 191--208.

Referrer (Inside): [2021-08-10-1] [2014-01-22-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-01-04 Sat

#1713. 中米の英語圏,Bay Islands [history][caribbean][map]

 中南米は植民史により英語ではなくスペイン語やポルトガル語が優勢の地域ではあるが,カリブ海に臨む中米諸国には英語が母語として話されている地域が点在している.これは,19世紀半ば,英植民地における奴隷制廃止に伴って生じた経済危機を受けて,地域の人口が移動したことに由来する.現在,公用語として英語を採用している Belize のほかにも,Bay Islands (Honduras), Bluefields を主とするカリブ海岸地域や Corn Islands (Nicaragua), Puerto Limón (Costa Rica), Livingston や Puerto Barrios (Guatemala),San Andrés と Providencia (Columbia),Bocas del Toro や Colón (Panama) などにおいて,英語が母語として話されている.今回は,Honduras の例を見てみよう.

Map of Honduras

 Honduras 北東岸は Costa de Mosquitos と呼ばれており,人口は多くないが英語ベースのクレオール語を話すインディアン民族が住んでいる.北岸地域は La Costa Norte と呼ばれており,クレオール英語を話す黒人を含むいくつかの少数民族が住んでいる.その沖合に浮かぶ Islas de la Bahía (Bay Islands) では,1830年代にカリブ海の Cayman Islands から移民してきた人々の子孫が住んでおり,近年は本土からのスペイン語話者も移住してきているものの,英語が主たる母語として話されている(「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) 及び「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1]) の移民年表を参照).アメリカからの観光客にも人気が高い.
 歴史的には Bay Islands は17世紀より海賊の温床であった.所有者を何度も変えてきたが,実質的に外から支配されることはなかったといってよい.現在,島民の大多数が黒人も白人も英語を母語として話しており,スペイン語の知識はあまりない.彼らは,島外に出るときには,本土を訪れるというよりもアメリカや西インド諸島の英語圏 (特に先祖の出身地である Jamaica や Cayman Islands)を訪れることのほうが多く,ホンジュラス本土との関係は比較的うすい.ただし,上記の現状は1986年の Lipski (193--94) に依拠したものなので,すでに古い情報になっているかもしれないことを断っておきたい.

 ・ Lipski, John M. "English-Spanish Contact in the United States and Central America: Sociolinguistic Mirror Images?" Focus on the Caribbean. Ed. M. Görlach and J. A. Holm. Amsterdam: Benjamins, 1986. 191--208.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-12-24 Tue

#1702. カリブ海地域への移民の出身地 [geography][geolinguistics][history][timeline][map][caribbean]

 この4日間の記事 ##1698,1699,1700,1701 で,Gramley の英語史のコンパニオンサイトより,7章のための補足資料を参照しながら,英語圏の人々の移住とそれに伴う英語拡散の歴史を,目的地あるいは出身地により整理してきた.今日はこの一連の話題の最後として,同資料の pp. 7--8 より,カリブ海地域 (the Caribbean) への人々と英語の進出を整理したい.

FROMTO
17th Century Movements
BritainBermuda (1609); Providence Island (1631); Cayman Islands (1670)
IrelandSt. Kitts (1624); Barbados (1627); Nevis, Barbuda (1628)
AfricaBermuda (1609)
BermudaProvidence (1631); Bahamas (1648); Jamaica (1655); Turks + Caicos (1678)
New EnglandProvidence (1631)
St. KittsNevis, Barbuda (1628); Antigua (1632); Montserrat (1633)
The Leeward IslandsAnguilla (1650); Jamaica (1655); St. Thomas (1672)
BarbadosSuriname (1651); Jamaica (1655)
SurinameJamaica (1655)
JamaicaCayman Islands (1670)
St. ThomasSt. John (1684)
18th Century Movements
Belizethe Moskito Coast (1730)
Jamaicathe Moskito Coast (1730)
LeewardsSt. Croix (1733); Guyana (1740s); St. Vincent, Grenada (1763)
St. ThomasSt. Croix (1733)
BarbadosGuyana (1740s); St. Vincent, Grenada (1763), Trinidad (1797)
American SouthBahamas (1780ff)
Moskito CoastBelize, Andros, Bahamas (1786)
WindwardsTrinidad (1797)
19th Century Movements
US (freed slaves)Samaná (Dominican Republic) (1824)
San AndrésCocas del Toro (Panama) (1827)
Cayman IslandsBay Islands (Honduras) (1830s)
JamaicaPuerto Limón (Costa Rica) (1871)
USPuerto Rico (1898)
20th Century Movements
JamaicaPanama (1904--1914)
USthe American Virgin Islands (1917)


 カリブ海地域は日本にとってあまり馴染みのない地域なので,地理関係もつかみにくいかもしれない.地域の地図は,「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]) を参照.  *
 外からの人口流入もさることながら,同地域内での人々の移動も頻繁だったことがよくわかる.例えば,Barbados, Belize, Bermuda, Cayman Islands, Jamaica, the Moskito Coast, St. Kitts, St. Thomas, Suriname の名前は,出発地にも目的地にも現れている.また,Jamaica 発で英語が広がった the Bay Islands (Honduras), the Corn Islands (Nicaragua), Blue Fields (Nicaragua), Puerto Limón (Costa Rica) や Belize など中米に属する英語圏の存在は忘れられがちだが,英語の拡散を扱う上では見逃せない.この地域の英語拡散の歴史についての詳細は,Holm を参照.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
 ・ Holm, J. A. "The Spread of English in the Caribbean Area." Focus on the Caribbean. Ed. M. Görlach and J. A. Holm. Amsterdam: Benjamins, 1986. 1--22.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-12-20 Fri

#1698. アメリカからの英語の拡散とその一般的なパターン [ame][variety][map][geography][geolinguistics][history][linguistic_imperialism]

 昨日の記事「#1697. Liberia の国旗」 ([2013-12-19-1]) で,Liberia の英語が,イギリス英語ではなくアメリカ英語に基礎を置いている歴史的背景を略述した.「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」 ([2010-05-08-1]) では歴史的にイギリス英語とアメリカ英語の影響化にある地域を図示したが,今日はアメリカ英語を基盤とした英語の世界展開,さらに英語の世界展開の一般的なパターンについて考えてみたい.
 移民,征服,交易などによる人々の移動は,言語そのものの地理的拡大に貢献する.これは,geolinguistics や geography of language と呼ばれる分野で専門的に取り扱われる話題である.19世紀より前には,英語の中心地はブリテン諸島にあり,そこから英語が植民や交易により北アメリカ,カリブ海,アフリカ,オーストラリア,ニュージーランド,アジアなどへと展開していた.しかし,19世紀に近づくと,アメリカが英語の拡散のもう一つの中心地として成長してきた.英語は,そこからアメリカ西部,アラスカ,カナダを始め,カリブ海,ハワイ,フィリピン,リベリアなどへも展開した(関連して「#255. 米西戦争と英語史」 ([2010-01-07-1]) を参照).アメリカからの英語の拡散を駆動した要素は,当初はイギリスの場合と同様に重商主義 (mercantilism) と領土の拡大 (territorial expansion) だったが,19世紀終わりまでには,新たに宗教と文明という要素もアメリカ発の英語の拡大に貢献した.
 やがて,New England から出発してカナダに入った英語も,それ自身がもう一つの中心となろうとしていた.こちらは北米の外へ展開することはなく,内部的な拡散でとどまったが,拡散の過程で新たな中心地が生み出されたという点では,イギリスやアメリカが先に示していたパターンと変わるところがない.英語の拡散の過程で生まれた中心地と,そこからのさらなる拡散を,Gramley (159) の図を参考に,下のように表わしてみた.

Spread of English In and From America

 この英語の拡散のパターンは世界の至る所で繰り返された.イギリス英語の流れを汲む Jamaica の英語も,それ自体が拡散の中心となり,中央アメリカの沿岸部へ影響を及ぼした.Western Jamaica から広がった Belize, Bay Islands, Corn Islands, Blue Fields, Puerto Limón の英語がその例である.また,Australia は,New Zealand, the Solomon Islands, Fiji, Papua New Guinea への展開の中心地となったし,South Africa は Namibia, Zimbabwe, Lesotho, Malawi への展開の中心地となった.極めて類似したパターンである.
 英語は,他の帝国主義国の言語と異なり,このパターンにより大成功を収めたのである.Gramley (159--60) は,英語の拡大の成功について次のように分析している.

What we see, then, is economically and demographically motivated expansion and closely related to it, a geographical spread of English to a unique extent. While the other major European colonial powers, Spain, Portugal, France, and The Netherlands, also acquired colonial empires, they differed because they did not establish settler communities which repeated the process of expansion to the degree that Britain did. In the case of Russia there was "merely" what is most frequently seen as "internal" expansion eastward. And the late-comers to the field, Germany, Italy, and Japan, were able to acquire relatively few and less desirable territories and were knocked out of the game at the latest by losing World War I (Germany) or World War II (Japan, Italy).


 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-12-19 Thu

#1697. Liberia の国旗 [vexillology][link][map][geography]

 旗を研究対象とする旗章学 (vexillology) と呼ばれる分野がある.国旗のデザイン,由来,変遷の歴史なども研究対象となるが,世界の地理や歴史を学ぶ上で,よい教材を提供してくれる.英語史でも,近代以降の英語の世界展開をたどるのに時に有益である.例えば,英国の歴史をたどる上で,Union Jack (Union Flag) 成立の経緯は重要である(詳しくはこちらのサイトを参照).国旗に関する出版物は多いが,ウェブ上のリソースも便利なものが多いので,いくつかを紹介しておこう.
 
 ・ Flags of the World (FOTWO): 由来や変遷の歴史など詳細な情報を含み,非常に有用.
 ・ World Flag Database: アルファベット順で,大きくデザインを表示する.国の地図へも飛べる.
 ・ All Flags in Alphabetical Sequence: アルファベット順にサムネイルで一覧.各種のサイズをフリーで利用できる.
 ・ 外務省 世界の国旗: 地域ごとにサムネイルで一覧するのに便利

 さて,今日は リベリア共和国 (Republic of Liberia) とその国旗を取り上げる.西アフリカ南西部,大西洋に面したこの土地には,古来多数の土着民族が住んでいた.建国につながる近現代史に限れば,1822年にアメリカ植民協会 (American Colonization Society) が米国の黒人解放奴隷の入植地として買収したことに始まる.首都となる Monrovia (アメリカ第5代大統領 James Monroe にちなむ)へ移住したアメリカの解放奴隷が支配層となり,1847年に独立した.アフリカで最も古い共和国である.国名には,ラテン語で「自由な」を意味する liber が含まれている.

Map of Liberia

 350万人ほどの国民のうち,解放奴隷の子孫は数パーセントを占めるにすぎないが,早くから欧米式の教育を受け,社会的には影響力のある集団となっている.英語が国語として採用されているのもそのためである.使用されている英語変種としては,アメリカ英語の影響を受けた標準的な変種のほか,Liberian English と呼ばれるピジン英語もある.アフリカにおける標準英語変種は,英植民地の歴史によりイギリス英語のそれに大きく偏っているが,リベリアはアメリカ英語に基づいており,特異な存在である.「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」 ([2010-05-08-1]) で,アフリカ大陸のなかで唯一リベリアがピンクで示されていることを確認されたい.ほかに Ethnologue: Liberia も参照.
 アメリカとの関連の深さは,国旗にもよく現れている.アメリカの星条旗 (Stars and Stripes) を基にしたデザインであることが明らかである.赤白11本の縞は憲法の起草者の数を,白い1つの星 (Lone Star) はアフリカにおいて模範となるべき欧米風独立国家の象徴を表わす.

National Flag of Liberia

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-12-11 Wed

#1689. 南西太平洋地域のピジン語とクレオール語の語彙 [pidgin][creole][map][reduplication][lexicology][etymology][tok_pisin]

 昨日の記事「#1688. Tok Pisin」 ([2013-12-10-1]) を受けて,南西太平洋地域のピジン語とクレオール語の話題.関連諸言語の分布図を,Gramley (220) の地図を参考に示してみた.

Map of Southwestern Pacific Pidgins and Creoles

 ここに挙げられているピジン語やクレオール語は歴史的に関連が深く,言語的にも近い.いずれも英語を上層言語 (superstrate language) 及び語彙供給言語 (lexifier) とする混成語で,実際にいずれも語彙の8割前後は英語ベースである.Mühlhäusler を参照した Gramley (220) の表によると,ヴァヌアツの Bislama (「#1536. 国語でありながら学校での使用が禁止されている Bislama」 ([2013-07-11-1]) を参照), パプアニューギニアの Tok Pisin, ソロモン諸島の Solomon Pijin の3ピジン語でみると,語種分布は以下の通りである.


EnglishIndigenousOthers
Bislama90%53 (French)
Tok Pisin77167 (German etc.)
Solomon Pijin8965


 一般にピジン語やクレオール語の語彙は,上層言語を基準とすると,迂言,翻訳借用 (loan_translation),意味変化,加重 (reduplication),異分析などの例に満ちている.以下に,Gramley (220--22) に拠って Tok Pisin からの例を示そう.hair という代わりに gras bilong hed (grass that belongs to the head),beard という代わりに gras bilong fes (grass that belongs to the face) といった風である.現在形と過去形の区別はなく,例えば stei (stay) は文脈次第で現在・過去いずれの意味にもなりうる.tudir (too dear) は,「高価な」を表わす1語として分析され,同様に lego (let go) は「行かせる」, sekan (shake hands) は「和解する」として語彙化している.英語 arse (尻)に起源をもつ, as は文体的に中立な「後部;尻」であり,さらに意味変化を起こして「起源;原因」の意でも用いられる.that's all に起源をもつ tasol は,一般的に but の意味の接続詞として発達した.加重の例については,「#65. 英語における reduplication」 ([2009-07-02-1]) を参照されたい.
 現地の文化が語彙に反映されることもある.とりわけ親族名称 (kinship terms) では,mama (mother), papa (father) までは標準英語と同じだが,父系のおじとおばはそれぞれ smalpapa, smalmama だが,母系のおじとおばはともに kandare という1語で表わす.祖父母と孫は性別の区別もなく,一緒くたに tumbuna と表現する.兄弟姉妹も,同性であれば brata,異性であれば susa を用いるという点で,標準英語と異なる.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

Referrer (Inside): [2021-08-16-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-12-01 Sun

#1679. The West Indies の英語圏 [map][enl][creole][geography][caribbean]

 The West Indies (西インド諸島)は,南北アメリカにはさまれ,大西洋からカリブ海およびメキシコ湾を隔てる大弧状列島を指す.名称はコロンブスが Indias と名付けたことに由来する.Greater Antilles, Lesser Antilles, Bahamas の諸島からなる.地域一帯は,ロッキー山脈とアンデス山脈をつなぐ火山帯の島嶼であること,植民地,プランテーション,奴隷制の歴史をもつことによって結びつけられている.現在13の独立国を含むが,その他は英・仏・米・蘭の領土である.

Map of the West Indies  *  *

 17--18世紀の西・仏・英・蘭・デンマークなどの列強による熾烈な領土分割の結果,地域内の連絡は弱くなった.各地域は言語的にも分割・個別化されており,英語圏,フランス語圏,オランダ語圏などの区別が明確である.現在も西インド諸島全体としての一体性はないが,歴史的・政治的な観点から4つの地域に分けるのが通例である.ハイチを含むヒスパニック系グループ,英領西インド諸島 (The British West Indies or the Commonwealth Caribbean; cf. 「#1676. The Commonwealth of Nations」 ([2013-11-28-1])),仏領アンティル諸島 (The French Antilles),蘭領アンティル諸島 (The Dutch Antilles) の4つだ.
 とりわけ英語圏に注目しよう.歴史的な英領インド諸島は,Bahamas, Jamaica, Caymans, British Virgin Islands, Barbados, Trinidad, Tobago, Leeward Islands, Winward Islands から構成されていたが,1958年に大部分が Federation of West Indies (西インド諸島連邦)として独立し,その中から Bahamas, Barbados, Jamaica, Trinidad and Tobago などいくつかの地域が共和国として独立した.現在,西インド諸島でENL地域と呼べるのは以下の17地域である.

Anguilla, Antigua and Barbuda, Bahamas, Barbados, Bermuda, the Cayman Islands, Dominica, Grenada, Jamaica, Montserrat, Saint Christopher and Nevis (St. Kitts-Nevis), Saint Lucia, Saint Vincent and the Grenadines, Trinidad and Tobago, the Turks and Caicos Islands, the Virgin Islands (US), the Virgin Islands (British)


 周辺国を含むと,南米の Guyana や中米の Belize も公用語として英語を採用している.スペイン語やポルトガル語が支配的な中南米にあっては,珍しい2国である(ただし,Belize ではスペイン語も支配的).Guyana については,「#385. Guyanese Creole の連続体」 ([2010-05-17-1]) の記事も参照.
 より一般的に世界の英語地域については,「#1591. Crystal による英語話者の人口」 ([2013-09-04-1]),「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]),「#215. ENS, ESL 地域の英語化した年代」 ([2009-11-28-1]) も参照.
 また,同地域は世界有数のクレオール地域でもある.関連して,「#1531. pidgin と creole の地理分布」 ([2013-07-06-1]) も参照.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-11-11 Mon

#1659. マケドニア語の社会言語学 [linguistic_area][map][slavic][history][dialect_continuum][sociolinguistics][ethnic_group]

 バルカン諸国 (the Balkans) における民族・宗教・言語の分布が複雑なことはよく知られている.バルカン半島は,「#1314. 言語圏」 ([2012-12-01-1]) を形成しており,「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) の好例となっており,「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]) という社会言語学的な問題を提供しているなどの事情により,社会言語学上,有名にして重要な地域となっている.以下,Encylopædia Britannica 1997 より同地域の民族分布図を以下に掲載する.言語分布図については,今回の話題に関するところとして Ethnologue より Greece and The Former Yugoslav Republic of Macedonia と,「#1469. バルト=スラブ語派(印欧語族)」 ([2013-05-05-1]) で言及した Distribution of the Slavic languages in Europe を挙げておこう.

Ethnic Map of the Balkans

 マケドニア共和国 (The Former Yugoslav Republic of Macedonia) は,人口約200万を擁するバルカン半島中南部の内陸国である.国民の2/3以上がマケドニア語 (Macedonian) を用いており,公用語となっているが,国内で最大の少数民族であるアルバニア人によりアルバニア語 (Albanian) も話されている(人口統計等は Ethnologue より Macedonia を参照されたい).マケドニア語は South Slavic 語群の言語で,Serbian や Bulgarian と方言連続体を形成している.後述するように,マケドニア語は,この南スラヴの方言連続体と,従属の歴史ゆえに,現在に至るまで言語の autonomy の問題に苦しめられている.
 マケドニア人とこの土地の歴史は古い.Alexander the Great (356--23 BC) を輩出した古代マケドニア王国は西は Gibraltar から東は Punjab までの広大な帝国を支配した.古代マケドニア語 (Ancient Macedonian) は南スラヴ系の現代マケドニア語 (Macedonian) とはまったく系統が異なり,またギリシア語とも区別されると言われるが,ギリシア人は古代マケドニア語をギリシア語の1方言とみなしてきた経緯がある.ギリシアはギリシア語の autonomy に対する古代マケドニア語の heteronomy という主従関係を政治的に利用して,マケドニアを自らに従属するものとみなしてきたのである.ギリシア北部には歴史的に Makedhonia を名乗る州もあり,マケドニアにとっては南に隣接するギリシアから大きな政治的圧力を感じながら,国を運営していることになる.実際,ギリシアはマケドニア共和国の独立を,主権侵害とみなしている.
 さて,紀元後の話しに移る.マケドニアは6世紀にビザンティン帝国の一部であったが,550--630年の間に,この地にカルパチア山脈の北からスラヴ民族が侵入した.以来,マケドニアの支配的な言語はギリシア語とスラヴ語の間で交替したが,15世紀末にはオスマン帝国の一部に組み込まれた.1912--13年のバルカン戦争ではセルビア人の支配下に入り,1944年にはユーゴスラヴィア共和国へ統合された.この従属の歴史の過程で,マケドニアで話されていた南スラヴ語は,セルビア人にとってはセルビア語の1方言とみなされ,ブルガリア人にとってはブルガリア語の1方言とみなされ,自らの言語的な autonomy を獲得する機会をもつことができなかった.現在でも,セルビア人やブルガリア人はマケドニア語の自立性を,すなわちその存在を認めていない.マケドニアにおいては,政治的従属の歴史は言語的従属の歴史だったといってよい.
 このように複雑な歴史をたどってきたにもかかわらず,マケドニアという呼称が土地名,国名,民族名,言語名に共通に用いられていることが問題を見えにくくしている.古代マケドニア語(民族)と現代マケドニア語(民族)は指示対象が異なるというのもややこしい.周辺の3国は,この混乱を利用してマケドニアへの政治的圧力をかけてきたのであり,マケドニア語は,その後ろ盾となるはずの独立国家が成立した後となっても,いまだ不安定な立場に立たされている.autonomy 獲得に向けての道のりは険しい.
 以上,Romain (15--17) を参照して執筆した.

 ・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-11-10 Sun

#1658. ルクセンブルク語の社会言語学 [sociolinguistics][dialect][diglossia][map][solidarity]

 Luxembourg は,「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) の例にもれず多言語使用国である.しかし,同国の言語状況は他の多くの国よりも複雑である.Luxemburgish, German, French の3言語による,diglossia ならぬ triglossia 社会として言及できるだろう.
 Luxembourg は人口50万人ほどの国で,国民の大多数が同国のアイデンティティを担うルクセンブルク語を母語として話す.この言語は言語的にはドイツ語の1変種ということも可能なほどの距離だが,話者たちは独立した1言語であると主張する.また,政府もそのような公式見解を示している(1984年以来,3言語を公用語としている).裏を返せば,標準ドイツ語などの権威ある言語変種に隣接した類似言語 (Ausbau language) は,常に独立性を脅かされるため,それを維持し主張するためには国家の後ろ盾が必要だということだろう(関連して「#1522. autonomyheteronomy ([2013-06-27-1]) および「#1523. Abstand languageAusbau language」 ([2013-06-28-1]) の記事を参照).
 このようにルクセンブルク語はルクセンブルクの主要な母語として機能しているが,あくまで下位言語として機能しているという点に注意したい,対する上位言語は標準ドイツ語である.児童向け図書,方言文学,新聞記事を除けばルクセンブルク語が書かれることはなく,厳密な正書法の統一もない.一般的に読み書きされるのは標準ドイツ語であり,そのために子供たちは標準ドイツ語を学校で習得する必要がある.学校では,標準ドイツ語は教育の媒介言語としても導入されるが,高等教育に進むと今度はフランス語が媒介言語となる.この国ではフランス語は最上位の言語として機能しており,高等教育のほか,議会や多くの公共案内標識でもフランス語が用いられる.つまり,典型的なルクセンブルク人は,日常会話にはルクセンブルク語を,通常の読み書きには標準ドイツ語を,高等教育や議会ではフランス語を使用する(少なくとも)3言語使用者であるということになる (Trudgill 100--01) .Wardhaugh (90) が引用している2002年以前の数値によれば,国内にルクセンブルク語話者は80%,ドイツ語話者は81%,フランス語話者は96%いるという.
 上記のように,ルクセンブルク語はルクセンブルクにおいて主要な母語かつ下位言語として機能しているわけだが,同言語のもつもう1つの重要な社会言語学的機能である "solidarity marker" の機能も忘れてはならないだろう.
 ルクセンブルクの言語については,EthnologueLuxembourg を参照.

Linguistic Map of Benelux

 ・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

Referrer (Inside): [2014-10-24-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow