英語史における黒死病の意義

2017年9月10日

堀田 隆一

「hellog〜英語史ブログ」 url: http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/

要点

  1. ノルマン征服による英語の地位の低下
  2. 英語の復権の歩み
  3. 黒死病が英語の復権に一役買った?

黒死病 (Black Death) とは?

  1. 1358年にヨーロッパを襲った人類史上最大規模のペスト禍
  2. 中央アジアからクマネズミによってもたらされた ( #119伝播経路 )
  3. イングランドだけでも,人口の1/2から1/3がペストの餌食に
  4. "Black Death" の語源 ( #2990 )
  5. Cf. tag [black_death]関連画像

ノルマン征服による英語の地位の低下

  1. 1066年,William I による征服
  2. イングランドの公用語が(ノルマン)フランス語へ
  3. 後期古英語の標準語だった West-Saxon 方言が求心力を失う
  4. 英語が公の場から追い出される ( #2047 )
  5. 英語は庶民の口頭言語へと下落(cf. 「方言の時代」 ( #2086 ))

英語の復権の歩み ( #131 )

黒死病の社会(言語学)的影響 (1)

黒死病の勃発

労働者人口の減少

労働者の賃上げ要求

労働者の存在感と発言力の上昇

彼らの母語たる英語の地位の向上

黒死病と社会(言語学)的影響 (2)

  1. 聖職者(フランス語・ラテン語教師)の大量死 (#138, #3055)
  2. 古典尊重の衰退
  3. 英語による教育の始まり(後述)
  4. 社会の流動化と諸方言の水平化 (#3054)
  5. 農奴制から自由農民制へ
  6. 技術革新と印刷術 (#3056)

英語による教育の始まり ( #1206 )

Þis manere was moche i-vsed to fore þe firste moreyn and is siþþe sumdel i-chaunged; for Iohn Cornwaile, a maister of grammer, chaunged þe lore in gramer scole and construccioun of Frensche in to Englische; and Richard Pencriche lerned þat manere techynge of hym and oþere men of Pencrich; so þat now, þe ȝere of oure Lorde a þowsand þre hundred and foure score and fyue, and of þe secounde kyng Richard after þe conquest nyne, in alle þe gramere scoles of Engelond, children leueþ Frensche and construeþ and lerneþ an Englische, and haueþ þerby auauntage in oon side and disauauntage in anoþer side; here auauntage is, þat þey lerneþ her gramer in lasse tyme þan children were i-woned to doo; disauauntage is þat now children of gramer scole conneþ na more Frensche þan can hir lift heele, and þat is harme for hem and þey schulle passe þe see and trauaille in straunge landes and in many oþer places. Also gentil men haueþ now moche i-left for to teche here children Frensche. (from Polychronicon , II, 159 [Rolls Series])

実は中英語は常に繁栄していた

  1. ノルマン征服の人口統計 (#338)
  2. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉 (#661)
  3. 13世紀半ば,王侯貴族のフランス語力の低下 (#1212)
  4. 14世紀以前より農業経済の行き詰まり (#3053)
  5. 中英語はフランス語のくびきの下にはなく,繁栄していた (#577)
  6. Cf. 自由奔放にして融通無碍な中英語の through の異綴字 (#53)

黒死病は英語の復権に拍車をかけたにすぎない

  1. そもそも「復権」の必要があるほど落ちぶれてはいなかった
  2. 14世紀までに,復権の条件は歴史的に整えられていた ( #706 )
  3. 黒死病,百年戦争,農民一揆などは英語の復権の促進剤 (#139)

村上,pp. 176--77

 その意味で,多くの史家の指摘するとおり,黒死病そのものは,時代の担っていた趨勢のなかから,次代へ繋がるものをアンダーラインした上でそれを加速させ,その時代に取り残されるものに引導を渡すという働きをしたにせよ,次代を作り出す何ものかを積極的に生み出したわけではなかった.

 たしかに黒死病は,流行病としては人類の歴史上,おそらく最悪のものの一つであった.しかし,その異常事態の上に映し出されたものは,良かれ悪しかれその時代そのものであって,その時代の要素が,いささか拡大されて見えるにとどまる.逆に見れば,あれほど未曾有の異常な時間も,歴史のなかに呑み込まれてしまえば,一つのエピソードにすぎないのでもある.

 そしてこのことは,ある歴史的時代や事態を見るに当たって,ともすれば,それが次代に対してもつ影響力,次代を導くことになる要素にのみ光を当てがちなわれわれにとって,噛みしめるべき良き教訓である.

まとめ

  1. ノルマン征服による英語の地位の低下 ― むしろ繁栄していた!
  2. 英語の復権の歩み ― ゆっくりと,しかし着実に
  3. 黒死病が英語の復権に一役買った? ― 数々の要因の1つとして拍車的に

参考文献