昨日の記事「#1368. Fennell 版,英語史略年表」 ([2013-01-24-1]) に引き続き,今日はフィシャク版の年表を再現する.日本語での英語史年表もあると便利だと思い,和訳に従った (207--10) .同じ英語史の年表といっても,作成者によって力点が異なるものであり,それぞれに特徴がある.年表も確かに1つの歴史記述の方法であるということを認識させられる.
55, 54 BC | ユーリウス・カエサルが軍隊を率いてブリテン島に上陸 | |
43 BC | ローマ帝国による組織的なブリテン島征服が始まる | |
end of C3 | ゲルマン人諸部族による最初のブリテン島攻撃 | |
367 | スコット人(アイルランドから),ピクト人(北から),サクソン人(東から)が,ローマ支配下のブリテン島を攻撃 | |
375 | フン族の西進を逃れようと西ゴート族がドナウ川を渡りローマ領内に侵入し,ゲルマン民族の大移動が始まる.ローマ帝国が大打撃を受ける | |
383 | ローマ軍がローマに召喚される | |
410 | 最後のローマ軍団がブリテン島から撤退 | |
449 | ゲルマン人部族がブリテン島に侵入し,征服を始める | |
c500 | 「バドニクス丘」の戦いで侵入者ゲルマン人が敗れ,ブリテン島征服は南部において一時中断 | |
547? | ハンバー川以北にアングル族が王国を建てる | |
597 | 聖アウグスティヌスがケント王国に到着し,ブリテン島南部に住んでいたゲルマン人にキリスト教の布教を始める | |
634 | アイルランドの修道僧がノーサンブリアのキリスト教化に乗り出す | |
655 | マーシアのキリスト教改宗がノーサンブリアとアイルランドの宣教師たちの手により完了 | |
664 | ノーサンブリアにおいて,ホイットビー教会会議が開かれる.ブリテン島やアイルランドのキリスト教がローマ教会に統一される契機となる | |
c725 | 口承による『ベーオウルフ』がこの頃完成される | |
787 | デーン人の侵攻が始まる | |
865 | デーン人侵攻の第2期 | |
871--899 | アルフレッド大王の治世 | |
879 | アルフレッド大王と(グスルムが率いる)デーン人との間でウェドモアの協定.デーンロー地域の確定 | |
886 | アルフレッド大王がロンドンを占領.グスルムの王国を除く全イングランドがその統治権を認める | |
964 | 修道院の改革が始まり,英語の標準化に影響を与える | |
973 | エドガーがバースにおいて,初めてキリスト教の儀式による戴冠式を挙げ,(デーンロー地域を含む)全イングランドの最初の王となる | |
991 | オラフ・トリュグヴァソンがイギリスに侵攻.デーン人侵攻の第3期が始まる | |
1066 | ウィリアム征服王がヘースティングズの戦いで勝利をおさめ,ノルマン人の英国征服が始まる.フランス語とラテン語が英語に代わって公用語となる | |
1154 | 『ピーターバラ年代記』と呼ばれる写本の記録はこの年で終結する.(一般に『アングロ・サクソン年代記』と呼ばれる.写本は7つあり,カエサルの侵入から始まっている.) | |
1204 | ジョン王がフランス国王フィリップ2世に敗れ,ノルマンディーがフランス王の手に渡る.イギリスの民族主義が高まり始める | |
1250 | 英国貴族の二重忠節が終結し,フランス語を重んずる必要がなくなる | |
1258 | ヘンリー3世が,ノルマン人の英国征服以降初めて英語で布告を出す | |
1295 | チェルムズフォードの裁判所で,文書が英語とフランス語の両語で読まれる | |
1337--1453 | 百年戦争.この戦争により,イギリス人はフランスのあらゆるものに対して敵愾心を抱くようになる | |
1344 | 大法官宛の請願書が初めて英語で書かれる | |
1348--1350 | 黒死病のため,イギリス社会に大規模な住民の移動がおこる | |
1362 | 国会が初めて英語で開会される.議会は「訴答手続法」を制定し,1363年1月以降はすべての訴訟手続,審議は英語で行なうことに決められる | |
1381 | 農民一揆がおこり,社会的変動の進行を加速する | |
c1385 | 英語がイングランド全域の学校で用いられるようになる | |
1413 | ヘンリー4世が英国王として初めて英語で遺書を残す | |
1422 | 英語による最初の玉璽文書 | |
1423 | 国会の議事録が英語で書かれ始める | |
c1430 | 町や同業組合の公文書に英語を用い始める | |
1476 | ウィリアム・キャクストンがイングランドに戻り,ウエストミンスターに最初の印刷所をつくる | |
1499 | キャクストンの後継者ピンソンが,英語・ラテン語の二言語語彙集,『子供のための言葉の宝庫』を出版する(書かれたのは1440年).辞書編纂への一歩となる | |
1534 | ヘンリー8世がローマ教会との関係を絶ち,英国国教会が成立 | |
1564--1616 | ウィリアム・シェークスピアの生涯 | |
1586 | ウィリアム・ブローカ著『文法のための小冊子』(同著者による現存しない文法書の簡易版)が出版される.最初の英文法書 | |
1588 | スペインの無敵艦隊に勝利.英語が世界に広がる端緒となる | |
1604 | ロバート・コードリー著『アルファベット順語彙一覧』の出版.最初の英語の一言語辞典(英英辞典) | |
1607 | アメリカに英語がもたらされる.今日のヴァージニア州に,入植者によってジェームズタウンが建設される | |
1611 | 欽定英訳聖書(ジェームズ王聖書)の出版 | |
1639--1686 | インド(マドラス,カルカッタ,ボンベイ)に英国の入植地が建設される | |
1642--1660 | 市民革命 | |
1664 | 王立教会が「英語を改良するための」委員会を設置 | |
1712 | J. スウィフトによるオックスフォード伯への手紙が『英語の矯正,改良,確定のための提案』として出版され,アカデミーの設立を促す | |
1713 | ノヴァスコシアがフランスからイギリスに譲渡される | |
1755 | サミュエル・ジョンソン著『英語辞典』が出版される.19世紀末まで正しい英語の揺るぎない権威的存在となる | |
1759 | ウルフ将軍がケベックの戦いでフランス軍に勝利 | |
1761 | インドがイギリスの植民地となる | |
1769--1777 | キャプテン・クックが,南太平洋への航海途上で,オーストラリア,ニュージーランド,タスマニアをイギリス王領と宣言する | |
1775--1783 | アメリカ独立戦争により,アメリカ合衆国の誕生 | |
1788 | オーストラリアのニューサウスウェールズに最初の流刑地植民地が建設される.ケープタウン(南アフリカ)にあるオランダ植民地がイギリス領有となる | |
1805 | トラファルガーの海戦においてイギリス軍がフランス軍に勝利する.イギリスが海上覇権を掌握し植民地拡大への道を開く | |
1816 | イギリスで最初の安価な新聞が発行され,英語に影響を与えるマスメディア時代が始まる | |
1840 | ニュージーランドにおいて,イギリス植民地が建設される.イギリスの安価な郵便制度が文字通信の発達を促し,さらに英語が普及する | |
1858 | 『新英語辞典』(後に『オックスフォード英語辞典』と称される)の編集作業が始まる | |
1890--1910 | 数多くの発明や科学上の発見が,英語に前例のない大きな影響を与える | |
1899--1901 | 南アフリカのブール戦争において初期オランダ入植者の子孫が敗北.イギリスの覇権が確立 | |
1914--1918 | 第1次世界大戦.英語の威信が高まる.フランス語は教育言語として,また外交言語としてさえ,その地位を失い始める(ヴェルサイユ条約がフランス語と英語で書かれる) | |
1939--1945 | 第2次世界大戦がさらに,英語の普及を押し進め,その威信を高める |
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow