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diachrony - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-06-18 04:59

2015-08-09 Sun

#2295. 言語変化研究は言語の状態の力学である [linguistics][language_change][diachrony][methodology][variation]

 言語変化とは通時的な変化のことであるから,それは言語研究の通時態部門で研究されるべきものである,というのが普通の理解かもしれない.しかし,通時的な変化と共時的な変異は同一現象の異なる側面であるという解釈や,そもそもソシュールの設けた共時態と通時態の区別は妥当ではないという議論があることを考えると,言語変化研究を通時的研究あるいは歴史的研究として位置づけることも疑わしくなってくる.
 言語変化研究は,共時態と通時態の境界を越えた,あるいは境界を積極的に曖昧にさせる研究領域ではないかと考えている.それは,共時態の力学,あるいは「態」という表現をあえて避ければ,状態の力学と呼ぶべきものである.この考え方は,はっきりと表現したことはなかったが,本ブログでも以下の記事などにちりばめてきた.

 ・ 「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1])
 ・ 「#1260. 共時態と通時態の接点を巡る論争」 ([2012-10-08-1])
 ・ 「#2125. エルゴン,エネルゲイア,内部言語形式」 ([2015-02-20-1])
 ・ 「#2134. 言語変化は矛盾ではない」 ([2015-03-01-1])
 ・ 「#2167. "orderly heterogeneity" と diffusion」 ([2015-04-03-1])
 ・ 「#2197. ソシュールの共時態と通時態の認識論」 ([2015-05-03-1])

 「状態の力学」としての言語変化のとらえ方は,少なからぬ論者がしばしば提唱してきたが,決して一般化しているとは言えない.「状態の力学」の謂いを直接に表現している Keller (125) から引用しよう.

. . . does a theory of change belong to the field of synchronic or diachronic linguistics? If we look again at the definition by Bally and Sechehaye, we observe that the answer can be either 'both . . . and' or 'neither . . . nor'. Now, if a question admits two contradictory propositions as answers, we can be sure that something is amiss with the concepts involved. In this case the conclusion is inevitable that the concepts 'synchrony' and 'diachrony' are not suitable for dealing with problems of language change. They are basically concepts which belong to a theory of the history of language, not to a theory of change. The concepts 'state (of being)' and 'history' are very different from those of 'stasis' and 'dynamics'. 'The past is the repository of that which has irrevocably happened and been created'; whatever belongs to history is static, but the place of dynamics is the present. A theory of change is not a theory of history, but a theory of the dynamics of a 'state'. An explanation of this type seems able to fulfil the claim for an 'integrated synchrony' made by Coseriu in 1980 in his article 'Vom Primat der Geschichte'. Its task would be to define the manner in which 'the functioning of language coincides with language change'.


 ・ Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language. Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.

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2015-05-03 Sun

#2197. ソシュールの共時態と通時態の認識論 [saussure][diachrony][methodology]

 ソシュールによる共時態と通時態の区別と対立については,「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]),「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) と「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1]),「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]),「#1426. 通時的変化と共時的変異 (2)」 ([2013-03-23-1]),「#2134. 言語変化は矛盾ではない」 ([2015-03-01-1]) などの記事で話題にしてきた.「#1260. 共時態と通時態の接点を巡る論争」 ([2012-10-08-1]) の記事でみたように,ヤコブソンはソシュールの2分法に異議を申し立てたが,立川・山田 (42) によればヤコブソンの批判は当を得ていないという.ヤコブソンは言語を現実対象としてとらえており,その立場から,言語には共時的な側面と通時的な側面があり,両者が分かち難く結びついていると論じている.しかし,ソシュールは,言語を現実対象としてではなく認識対象としてとらえた上でこの2分法を提示しているのだ.ヤコブソンは,ソシュールの2分法の前提にある科学認識論を理解していないのだ,と.
 では,ソシュールの2分法の前提にある科学認識論とは何か.それは,「語る主体の意識」である.言語について,その中にあるものが共時態,その外にあるものが通時態という認識論である.長い引用となるが,立川・山田 (43--45) のソシュール解釈に耳を傾けよう(原文の傍点は下線に替えてある).

 ソシュールによれば、語る主体の意識――より正確には聴く主体の前意識――にとっては、静止した言語状態しか存在していない。言語はいまここでも少しずつ変化をつづけているし、ある個人の一生をつうじてもある程度は推移しているわけだが、個人はその変化をまったく意識せずに、自分は一生涯同じ言語を聴き話していると信じている。このように、〈聴く主体の前意識〉というフィルターをつうじて得られた認識対象が〈共時態〉であり、それを逃れ去るものが〈通時態〉として定義されるのである。したがって、共時態を定義する「同時性」というのは古典物理学的な時間軸上の一点・瞬間としての同時性ではなく、〈聴く主体の前意識〉にとっての同時性、ある不特定の幅をもった主観的同時性とでもいうべきものである。それに対応して、ソシュールが語っている通時態の時間というのも古典物理学的な当質的時間ではなく、主体の共時意識を逃れ去るような、言語システムの変化・運動の原動力、差異化の力なのだ。したがって、ソシュールは根底的に新しい時間概念にもとづいて共時態/通時態の区別をおこない、これらの認識対象を構築したのであって、ヤーコブソンのように古典物理学的な時間概念(等質的な時間)にもとづいてこれを批判するようなことは、まったくのまとはずれであり、批判として成立しえないのである。このような観点からすると、最初にあげた x 軸と y 軸からなる座標のような図は、いささか誤解を与えるものであったかもしれない。じつは、ソシュール自身、おのれの画期的な時間概念をうまく説明することができず、そのような誤解の種をまいているのであって、ほとんどの言語学者はその程度の理解にとどまっている。だが、われわれは、彼の理論の「可能性の中心」を読まなければならない。
 再び定義しなおそう。〈共時態〉とは、「語る主体の意識」に問うことによって取り出される言語(ラング)の静止状態のことで、これは恣意的価値のシステムを構成している。恣意的価値のシステムというのは、いいかえれば、否定的な関係体としての記号のシステム、表意的差異(=対立)のシステムということと別のことではない。それにたいして、〈通時態〉とは、「語る主体の意識」を逃れ去り、主体の無意識のうちに、時間のなかで生起する出来事の場である。〈共時態〉が主体の〈意識=前意識〉システムに与えられているのにたいして、〈通時態〉は主体の〈無意識〉システムにのみ与えられているということである。ソシュールは、両者の研究を力学の二部門と比較して、均衡状態にある力としての共時態の研究を静態学運動しつつある力としての通時態の研究を力動学と定義している。以上から明らかなように、共時態/通時態の区別というのは、よくいわれるような言語研究における方法論上の区別などではけっしてなく、言語と主体の生成プロセスを解明するための認識論的な理論装置にほかならない。つまり、〈意識=前意識〉システムと〈無意識〉システムとに分裂した語る主体と相関的に、言語はまさにこのような《》の二層として現われるのである


 共時態と通時態は,言語という現実対象の2側面ではないし,しばしばそう解釈されているように,言語を観察する際の2つの視点でもない.そうではなく,共時態と通時態とは〈語る主体の意識〉の中にあるか外にあるかという認識の問題なのだ.立川・山田は,このようにソシュールを解釈している.

 ・ 立川 健二・山田 広昭 『現代言語論』 新曜社,1990年.

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2015-04-03 Fri

#2167. "orderly heterogeneity" と diffusion [lexical_diffusion][language_change][variation][diachrony]

 「#1997. 言語変化の5つの側面」 ([2014-10-15-1]),「#1998. The Embedding Problem」 ([2014-10-16-1]),「#2012. 言語変化研究で前提とすべき一般原則7点」 ([2014-10-30-1]) で,Weinreich, Labov, and Herzog の言語変化理論を取り上げてきた.Weinreich et al. の中核となる視座に,"orderly heterogeneity" (秩序だった異質性)がある.これは体系的な変異可能性 (systematic variability) と呼んでもよいが,変異が一見ばらばらに存在しているようにみえるが,全体としては構造をなしているという見方だ.言語において "orderly heterogeneity" こそが常態であると同時に,それは言語が常に変化していることの現われである.
 "orderly heterogeneity" は,言語変化が語彙の間を縫うかのように徐々に進行していくと主張する語彙拡散 (lexical_diffusion) の過程にも常に観察される.言語変化はある言語環境から別の言語環境へと体系の中をいわば渡り歩いていくのだが,その時間の各断面をみると,整然と組織だった変異の束が見られる.通時的な変化のパターンと共時的な変異の秩序とが互いに対応しあう様が観察されるのである.もっとも,上に述べたのは理想的な場合であり,実際には現実は混沌として見えることが多いだろう.それでも,理想的なモデルを示唆する証拠は数多くの研究で提出されている.
 Wolfram and Schilling-Estes (716) は,Charles-James N. Bailey (Variation and Linguistic Theory. Washington, DC: Center for Applied Linguistics, 1973.) に依拠し,言語変化の最中において "orderly heterogeneity" がどのように現われるのかを示すモデルを与えている.変化前後の旧形と新形を X, Y とし,Y が拡がっていく2つの言語環境を E1, E2 とすると,変化は次の各段階を経て進行していく.

Variation model of change

Stage of change E1E2
1Categorical status, before undergoing changeXX
2Early stage begins variably in restricted environmentX/YX
3Change in full progress, greater use of new form in E1 where change first initiatedX/YX/Y
4Change progresses toward completion with movement toward categoricality first in E1 where change initiatedYX/Y
5Completed change, new variantYY


 通時的な拡散と共時的な変異が対応しあっていることについて,Wolfram and Schilling-Estes (716) は "the systematic variability of fluctuating forms will correlate synchronic relations of "more" and "less" to diachronic relations of "earlier" or "later" stages of the change" と述べている.
 上記で扱ってきた問題は,言語変化の transition (移行)と embedding (埋め込み)に関わる問題である.ここでは視点としての通時態と共時態の区別はつけられるかもしれないが,現象としては通時的でも共時的でもなく,それらを融合させた言語変化と変異の力学そのものであることがわかる.この点について,「#2125. エルゴン,エネルゲイア,内部言語形式」 ([2015-02-20-1]),「#2134. 言語変化は矛盾ではない」 ([2015-03-01-1]),「#2159. 共時態と通時態を結びつける diffusion」 ([2015-03-26-1]) も参照されたい.

 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.
 ・ Wolfram, Walt and Natalie Schilling-Estes. "Dialectology and Linguistic Diffusion." The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Malden, MA: Blackwell, 2003. 713--35.

Referrer (Inside): [2015-08-09-1]

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2015-03-26 Thu

#2159. 共時態と通時態を結びつける diffusion [lexical_diffusion][diachrony][dialectology][language_change][geography][geolinguistics][sociolinguistics][isogloss]

 「#2134. 言語変化は矛盾ではない」 ([2015-03-01-1]) で,共時態と通時態が相矛盾するものではないとするコセリウの議論をみた.両者は矛盾しないというよりは,1つの現実の2つの側面にすぎないのであり,むしろ実際には融合しているのである.このことは,方言分布や語彙拡散の研究をしているとよく分かる.時間の流れが空間(地理的空間や社会階層の空間)に痕跡を残すとでも言えばよいだろうか,動と静が同居しているのだ.このような視点をうまく説明することはできないかと日々考えていたところ,Wolfram and Schilling-Estes による方言学と言語的拡散についての文章の冒頭 (713) に,求めていたものをみつけた.言い得て妙.

Dialect variation brings together language synchrony and diachrony in a unique way. Language change is typically initiated by a group of speakers in a particular locale at a given point in time, spreading from that locus outward in successive stages that reflect an apparent time depth in the spatial dispersion of forms. Thus, there is a time dimension that is implied in the layered boundaries, or isoglosses, that represent linguistic diffusion from a known point of origin. Insofar as the synchronic dispersion patterns are reflexes of diachronic change, the examination of synchronic points in a spatial continuum also may open an important observational window into language change in progress.


 引用内で "spatial" というとき,地理空間を指しているように思われるが,同じことは社会空間にも当てはまる.実際,Wolfram and Schilling-Estes (714) は,2つの異なる空間への拡散の同時性について考えている.

Although dialect diffusion is usually associated with linguistic innovations among populations in geographical space, a horizontal dimension, it is essential to recognize that diffusion may take place on the vertical axis of social space as well. In fact, in most cases of diffusion, the vertical and horizontal dimensions operate in tandem. Within a stratified population a change will typically be initiated in a particular social class and spread to other classes in the population from that point, even as the change spreads in geographical space.


 地理空間と社会空間への同時の拡散のほかにも,様々な次元への同時の拡散を考えることができる.語彙拡散 (lexical_diffusion) はそもそも言語空間における拡散であるし,時間は一方向の流れなので「拡散」とは表現しないが,(「時間空間」とすると妙な言い方だが,そこへの)一種の拡散とも考えられる.このような多重的な言語拡散の見方については,「#1550. 波状理論語彙拡散含意尺度 (3)」 ([2013-07-25-1]) で,"double diffusion" や "cumulative diffusion" と呼びながら議論したことでもある.新たに「同時多次元拡散」 (simultaneous multi-dimensional diffusion) と名付けたい思うが,この命名はいかがだろうか.ソシュールによる態の区別の呪縛から解放されるためのキーワードの1つとして・・・.

・ Wolfram, Walt and Natalie Schilling-Estes. "Dialectology and Linguistic Diffusion." The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Malden, MA: Blackwell, 2003. 713--35.

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2015-03-01 Sun

#2134. 言語変化は矛盾ではない [saussure][diachrony][language_change][causation][methodology][linguistics]

 最近,言語学者コセリウの言語変化論が新しく邦訳された.言語変化を研究する者にとってコセリウのことばは力強い.著書は冒頭 (19) で「言語変化という逆説」という問題に言及している(以下,傍点を太字に替えてある).

言語変化という問題は、あきらかに一つの根本的な矛盾をかかえている。そもそも、この問題を原因という角度からとりあげて、言語はなぜ変化するのか(まるで変化をしてはならないかのように)と問うこと自体、言語には本来そなわった安定性があるのに、生成発展がそれを乱し、破壊すらしてしまうのだと言いたげである。生成発展は言語の本質に反するのだと。まさにこのことが言語の逆説であるとも言われる。


 この矛盾の源が,ソシュールの共時態と通時態の2分法にあることは明らかである.「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) と「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1]) で触れたとおり,ソシュールは言語研究における共時態を優先し,通時態は自らのうちに目的をもたないと明言した.以来,多くの言語学者がソシュールに従い,言語の本質は静的な体系であり,それを乱す変化というものは言語にとって矛盾以外の何ものでもないと信じてきたし,同時に不思議がってもきた.
 コセリウ (22--23) は,この伝統的な言語変化矛盾論に真っ向から対抗する.コセリウによる8点の明解な指摘を引用しよう.

(a) 言語変化について言いふらされているこの逆説なるものは実際には存在せず、根本的には、はっきり言うか言わないかのちがいはあるが、言語(ラング)と「共時的投影」とを同じものと考えてしまう誤りから生ずるにすぎないこと。(b) 言語変化という問題は原因の角度からとりあげることはできないし、またそうすべきでもないこと。(c) 上に引いた主張は確かな直感にもとづいてはいるが、あいまいでどうにもとれるような解釈にゆだねられてしまったために、ただただ研究上の要請でしかないものを対象のせいにしていること。上のような主張をなす著者たちがどうにも避けがたく当面してしまう矛盾はすべてここから生じること。(d) はっきり言えば、共時態―通時態の二律背反は対象のレベルにではなく、研究のレベルに属するものであって、言語そのものにではなく、言語学にかかわるものであること。(e) ソシュールの二律背反を克服するための手がかりは、ソシュール自身のもとに――ことばの現実が、彼の前提にはおかまいなしに、また前提に反してもそこに入りこんでしまっているだけに――それを克服できるような方向で発見することが可能であるということ。(f) そうは言ってもやはり、ソシュールの考え方とそこから派生したもろもろの概念とは、その内にひそむ矛盾の克服を阻む根本的な誤りをかかえていること。(g) 「体系」と「歴史性」との間にはいかなる矛盾もなく、反対に、言語の歴史性はその体系性を含み込んでいるということ。(h) 研究のレベルにおける共時態と通時態との二律背反は、歴史においてのみ、また歴史によってのみ克服できるということ、以上である。


 変化すること自体が言語の本質であり,変化することによって言語は言語であり続ける.まったく同感である.「#2123. 言語変化の切り口」 ([2015-02-18-1]) も参照.

 ・ E. コセリウ(著),田中 克彦(訳) 『言語変化という問題――共時態,通時態,歴史』 岩波書店,2014年.

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2015-02-18 Wed

#2123. 言語変化の切り口 [language_change][causation][diachrony][linguistics][flash][methodology]

 言語変化について様々に論じてきたが,言語変化を考察する上での諸々の切り口,研究する上で勘案すべき種々のパラメータを整理してみたい.言語にとって変化が本質的であるならば,言語変化研究こそが言語研究の革新ともいえるはずである.
 以下に言語変化の切り口を,本ブログ内へのリンクを張りつつ,10項目立てで整理した.マインドマップ風にまとめた画像PDF,あるいはノードを開閉できるFLASHもどうぞ.記事末尾の書誌は,最も重要な3点のみに限った.以前の同様の試みとして,「#729. 言語変化のマインドマップ」 ([2011-04-26-1]) も参照.

Perspectives on Language Change



1. 変化は言語の本質
   言語変化の逆説
      ソシュールの2分法
      共時態
         静的な体系
      通時態
         動的な混沌
   共時態と通時態の接点
      変異
      変化
2. 変異は変化の種
   変異から変化へ
      変異(変化の潜在的資源)
      変化(変化の履行=変異の採用)
      拡散(変化の伝播)
   A → B の変化は
      A (100%)
      A (80%) vs B (20%)
      A (50%) vs B (50%)
      A (20%) vs B (80%)
      B (100%)
   変異の源
      言語内
         体系的調整
      言語外
         言語接触
3. いつ?
   時間幅
      言語の起源
      言語の進化
      先史時代
         比較言語学
      歴史時代
      世代間
         子供基盤仮説
      話者の一生
      一瞬の流行
   スケジュール
      S字曲線
         語彙拡散
         分極の仮説
      右上がり直線
         定率仮説
      突如として
         青年文法学派
   速度
   変化の予測
4. どこで?
   範囲
      言語圏
      言語
      方言
         地域方言
         社会方言
      位相
      個人語
   伝播
      波状理論
         方言周圏論
      飛び石理論
      ネットワーク理論
5. 誰が?
   変化の主体
      言語が変化する?
      話し手が言語を刷新させる
      聞き手が言語を刷新させる
      「見えざる手」
   個人
      変化の採用
      「弱い絆」の人
6. 何?
   真の言語変化か?
      成就しなかった変化
      みかけの変化
   どの部門の変化?
      意味
      文法
      語彙
      音韻
      書記
      語用,言語習慣,etc.
   証拠の問題
      インフォーマント
      現存する資料
      斉一論の原則
      記述は理論に依存
7. どのように?
   理論・領域
      形式主義
         構造主義言語学
         生成文法
            普遍文法
            最適性理論
      機能主義
         認知言語学
            使用基盤モデル
         文法化
         語用論
         余剰性,頻度,費用
      社会言語学
         コード
         言語接触
         地理言語学
            波状理論
         言語相対論
      比較言語学
         再建
         系統樹モデル
      類型論
         含意尺度
   体系への影響
      単発
      他の言語項にも影響
      大きな潮流の一端
8. なぜ?
   問いのレベル
      変化の合理性
      一般的な変化
      歴史上の個別の変化
   不変化がデフォルト?
      なぜ変化する?
         変化を促進する要因
      なぜ変化しない?
         変化を阻止する要因
   目的論
      変化の方向性
         偏流
      変化の評価
   要因
      言語内的
         およそ無意識的
            調音の簡略化
               同化
            聴解の明確化
               異化
            対称性の確保
            効率性と透明性の確保
         およそ意識的
            綴字発音
            過剰修正
            類推
            異分析
      言語外的
         言語接触
            干渉
               借用
               2言語使用
            混合
               ピジン語
               クレオール語
               基層言語仮説
            言語交替
            言語の死
         歴史・社会
            新メディアの発明
            語彙における指示対象の変化
            文明の発達と従属文の発達?
         言語の評価
            標準化
               規範主義
               純粋主義
               監視機能
            言語権
      複合的原因
         Samuels の言語変化モデル
9. Weinreich et al. の切り口
   制約
   移行
   埋め込み
   評価
   作動
10. まとめ
   変異は変化の種
   複合的原因
   話し手が言語を刷新させる


 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.

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2014-09-19 Fri

#1971. 文法化は歴史の付帯現象か? [drift][grammaticalisation][generative_grammar][syntax][auxiliary_verb][teleology][language_change][unidirectionality][causation][diachrony]

 Lightfoot は,言語の歴史における 文法化 (grammaticalisation) は言語変化の原理あるいは説明でなく,結果の記述にすぎないとみている."Grammaticalisation, challenging as a phenomenon, is not an explanatory force" (106) と,にべもなく一蹴だ.文法化の一方向性を,"mystical" な drift (駆流)の方向性になぞらえて,その目的論 (teleology) 的な言語変化観を批判している.
 Lightfoot は,一見したところ文法化とみられる言語変化も,共時的な "local cause" によって説明できるとし,その例として彼お得意の法助動詞化 (auxiliary_verb) の問題を取り上げている.本ブログでも「#1670. 法助動詞の発達と V-to-I movement」 ([2013-11-22-1]) や「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1]) で紹介した通り,Lightfoot は生成文法の枠組みで,子供の言語習得,UG (Universal Grammar),PLD (Primary Linguistic Data) の関数として,canmay など歴史的な動詞の法助動詞化を説明する.この「文法化」とみられる変化のそれぞれの段階において変化を駆動する local cause が存在することを指摘し,この変化が全体として mystical でもなければ teleological でもないことを示そうとした.非歴史的な立場から local cause を究明しようという Lightfoot の共時的な態度は,その口から発せられる主張を聞けば,Saussure よりも Chomsky よりも苛烈なもののように思える.そこには共時態至上主義の極致がある.

Time plays no role. St Augustine held that time comes from the future, which doesn't exist; the present has no duration and moves on to the past which no longer exists. Therefore there is no time, only eternity. Physicists take time to be 'quantum foam' and the orderly flow of events may really be as illusory as the flickering frames of a movie. Julian Barbour (2000) has argued that even the apparent sequence of the flickers is an illusion and that time is nothing more than a sort of cosmic parlor trick. So perhaps linguists are better off without time. (107)


So we take a synchronic approach to history. Historical change is a kind of finite-state Markov process: changes have only local causes and, if there is no local cause, there is no change, regardless of the state of the grammar or the language some time previously. . . . Under this synchronic approach to change, there are no principles of history; history is an epiphenomenon and time is immaterial. (121)


 Lightfoot の方法論としての共時態至上主義の立場はわかる.また,local cause の究明が必要だという主張にも同意する.drift (駆流)と同様に,文法化も "mystical" な現象にとどまらせておくわけにはいかない以上,共時的な説明は是非とも必要である.しかし,Lightfoot の非歴史的な説明の提案は,例外はあるにせよ文法化の著しい傾向が多くの言語の歴史においてみられるという事実,そしてその理由については何も語ってくれない.もちろん Lightfoot は文法化は歴史の付帯現象にすぎないという立場であるから,語る必要もないと考えているのだろう.だが,文法化を歴史的な流れ,drift の一種としてではなく,言語変化を駆動する共時的な力としてみることはできないのだろうか.

 ・ Lightfoot, David. "Grammaticalisation: Cause or Effect." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 99--123.

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2014-08-11 Mon

#1932. 言語変化と monitoring (1) [communication][linguistics][language_change][prescriptive_grammar][diachrony][causation][monitoring]

 Smith の抱く言語変化観を表わすものとして「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) と「#1928. Smith による言語レベルの階層モデルと動的モデル」 ([2014-08-07-1]) を紹介した.これらは機械的な言語変化の見方であり,人間不在の印象を与えるかもしれないが,Smith の言語変化論は決して言語の社会的な側面,話者と聴者と言語の関係をないがしろにしているわけではない.Smith (49) は,言語変化の種としての variation の存在,および variation のなかからの個々の言語項の選択という行為は,言語使用者が不断に実践している monitoring という作用と深い関わりがあると述べている.

Human beings are social creatures, and not simply transmitters (speakers) or receivers (hearers); they are both. When humans speak, they are not only producing sounds and grammar and vocabulary; they are also monitoring what they and others say by listening, and evaluating the communicative efficiency of their speech for the purposes for which it is being used: communicative purposes which are not only to do with the conveying and receiving of information, but also to do with such matters as signalling the social circumstances of the interaction taking place. And what humans hear is constantly being monitored, that is, compared with their earlier experience as speakers and hearers. . . . / This principle of monitoring, or feedback as it is sometimes called (Lyons 1968: 111), is crucial to an understanding of language-change.


 話者は自分の発する言葉がいかに理解されるかに常に注意を払っているし,聴者は相手の発した言葉を理解するのに常にその言語の標準的な体系を参照している.話者も聴者も,発せられた言葉に逐一監視の目を光らせており,互いにチェックし合っている.2人の言語体系は音声,文法,語彙の細部において若干相違しているだろうが,コミュニケーションに伴うこの不断の照合作業ゆえに,互いに大きく逸脱することはない.2人の言語体系は焦点を共有しており,その焦点そのものが移動することはあっても,それは両者がともに移動させているのである.これが,言語(変化)における monitoring の役割だという.
 人の言葉遣いが一生のなかで変化し得ることについて「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]) や「#1890. 歳とともに言葉遣いは変わる」 ([2014-06-30-1]) で考察してきたが,monitoring という考え方は,この問題にも光を当ててくれるだろう.個人が生きて言語を使用するなかで,常に対話者との間に monitoring 機能を作用させ,その monitoring の結果として,自らも言語体系の焦点を少しずつ移動させていくかもしれないし,相手にも焦点の移動を促していくかもしれない.
 monitoring は,言語における規範主義とも大いに関係する.通常,話者や聴者の monitoring の参照点は,互いの言語使用,あるいはもう少し広く,彼らが属する言語共同体における一般の言語使用だろう.しかし,「#1929. 言語学の立場から規範主義的言語観をどう見るべきか」 ([2014-08-08-1]) で示唆したように,規範主義的言語観がある程度言語共同体のなかに浸透すると,規範文法そのものが monitoring の参照点となりうる.つまり,自分や相手がその規範を遵守しているかどうかを逐一チェックし合うという,通常よりもずっと息苦しい状況が生じる.規範主義的言語観の発達は,monitoring という観点からみれば,monitoring の質と量を重くさせる過程であるともいえるかもしれない.

 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

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2014-07-11 Fri

#1901. apparent time と real time [age_grading][sociolinguistics][language_change][methodology][terminology][diachrony]

 「#1890. 歳とともに言葉遣いは変わる」 ([2014-06-30-1]) の記事で,age-grading という社会言語学上の概念と用語を紹介した.言語変化の実証的研究において,age-grading の可能性は常に念頭においておかなければならない.というのは,観察者が,現在起こっている歴史的な(したがって単発の)言語変化とであると思い込んでいた現象が,実際には毎世代繰り返されている age-grading にすぎなかったということがあり得るからだ.逆に,毎世代繰り返される age-grading と信じている現象が,実際にはその時代に特有の一回限りの言語変化であるかもしれない.
 では,観察中の言語現象が真正の言語変化なのか age-grading なのかを見分けるには,どうすればよいのだろうか.現在進行中の言語変化を観察する方法論として,2種類の視点が知られている.apparent time と real time である.Trudgill の用語集より,それぞれ引用しよう.

apparent-time studies Studies of linguistic change which attempt to investigate language changes as they happen, not in real time (see real-time studies), but by comparing the speech of older speakers with that of younger speakers in a given community, and assuming that differences between them are due to changes currently taking place within the dialect of that community, with older speakers using older forms and younger speakers using newer forms. As pointed out by William Labov, who introduced both the term and the technique, it is important to be able to distinguish in this comparison of age-groups between ongoing language changes and differences that are due to age-grading (Trudgill 9--10)

real-time studies Studies of linguistic change which attempt to investigate language changes as they happen, not in apparent time by comparing the speech of older speakers with that of younger speakers in a given community, but in actual time, by investigating the speech of a particular community and then returning a number of years later to investigate how speech in this community has changed. In secular linguistics, two different techniques have been used in real-time studies. In the first, the same informants are used in the follow-up study as in the first study. In the second, different informants, who were too young to be included in the first study or who were not then born, are investigated in the follow-up study. One of the first linguists to use this technique was Anders Steinsholt, who carried out dialect research in the southern Norwegian community of Hedrum, near Larvik, in the late 1930s, and then returned to carry out similar research in the late 1960s. (Trudgill 109)


 apparent-time studies は,通時軸の一断面において世代差の言語使用を比較対照することで,現在進行中の言語変化を間接的に突き止めようとする方法である.現在という1点のみに立って調査できる方法として簡便ではあるが,明らかになった世代差が,果たして真正の言語変化なのか age-grading なのか,別の方法で(通常は real-time studies によって)見極める必要がある.
 一方,real-time studies は,通時軸上の複数の点において調査する必要があり,その分実際上の手間はかかるが,真正の言語変化か age-grading かを見分けるのに必要なデータを生で入手することができるという利点がある.
 理論的,実際的な観点からは,言語変化を調査する際には両方法を組み合わせるのが妥当な解決策となることが多い.結局のところ,共時的な調査を常に続け,調査結果をデータベースに積み重ねて行くことが肝心なのだろう.同じ理由で,定期的に共時的コーパスを作成し続けていくことも,歴史言語学者にとって重要な課題である.
 apparent time と real time については「#919. Asia の発音」 ([2011-11-02-1]) でも触れたので,参照を.

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.

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2013-12-14 Sat

#1692. 意味と形態の関係 [sign][arbitrariness][double_articulation][diachrony][semantic_change][polysemy][semantics]

 記号の恣意性については,arbitrariness の記事を中心に,とりわけ「#1108. 言語記号の恣意性,有縁性,無縁性」 ([2012-05-09-1]) で議論した.そこでは,恣意性,規約性,有縁性・無縁性を区別する必要があることに触れた.signifié と signifiant との関係,平たくいえば意味と形態との関係についてを真剣に考察するのがソシュール以来の(特にフランス)言語学の伝統といえるが,意味論学者であればなおのこと,この問題に並々ならぬ関心を示す.
 タンバの第2章は,ほとんど意味と形態の関係の考察に費やされている.タンバは,言語の二重分節性について「#767. 言語の二重分節」 ([2011-06-03-1]) で紹介した Martinet の用語を引き合いに出して説明しながら,記号における signifié と signifiant の関係の問題へ迫っていく.タンバの示唆的な評言をいくつか引用しよう.

意味は一方では,それを示す形態から分離できないが,言語の意味と形態の不分離の結合は1対1の対応をなしておらず,形態の特定は意味を特定するのに充分ではない.このパラドックスによって,言語の意味と形態の関係を明らかにする必要が生じる.(54)


記号内容は,定義によると,第1次分節の単位であるから,音素にならって作られた意味素ノエームなどの意味の原子である第2次分節の有限の要素には還元できない.(56)


共時的,通時的という2重の観点は,記号表現のレベルよりも記号内容のレベルでの方が不鮮明だということが明らかになる.確かに,一定の言語態の中で語の意味を定めることと,その歴史的進化を研究することとは明らかに異なる2つのアプローチである.〔中略〕さまざまな時期に現れたいくつかの意味も,多様性という風に考えれば,同時代のものだということにもならないだろうか.そして,新しいものは,しばしば既存のパターンを用いるので――ソシュールは,「言語は共ぎれでつぎはぎをした衣である」とのべている.」(『講義』,235頁).一定の意味関係は1つの共時態から他の共時態へと生き続け,1種の無意識的記号論が作り出されることもある.無意識的記号論は,超時的原型にならって1つの言語の意味形態を形成するのである.(61)


記号意味の対立は,閉じられた音韻体系の中で生じるものではなく,開かれた語彙体系の中で生じるものである.故に,音韻的相違にならって意味の相違を把握することはできない.(62)


 歴史的言語学的な関心からは,とりわけ3番目の引用で触れられている,共時的な多義性と通時的な意味変化との関係についての考察が目を引く.意味変化は時間とともに徐々に進行し,新しい意味は必ずしも古い意味を置き換えず,むしろ両方の意味が累積していくことも多い.累積した結果は,共時的には多義となる.この共時的多義性は,1人の話者が作り出したものではなく,集団的に数世代を経て作り出されたものであるという点で,無意識的記号論と呼びうるし,共時態と通時態とを超越した超時間的記号論とも呼びうるだろう.
 上記のように意味は累積しうるが,形態には累積という概念はそれほどうまく当てはまらないように思われる.すると,形態における無意識的,超時間的な次元というものは,より考えにくいということになるだろう.この辺りに,意味と形態の特徴の大きな差があるのではないか.

 ・ イレーヌ・タンバ 著,大島 弘子 訳 『[新版]意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,2013年.

Referrer (Inside): [2014-06-14-1]

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2013-06-24 Mon

#1519. 社会言語学的類型論への道 [sociolinguistics][typology][diachrony][language_planning]

 昨日の記事「#1518. 言語政策」 ([2013-06-23-1]) に引き続き,再びカルヴェによる言語政策に関する話題.ある国や地域において用いられている諸言語の社会言語学的な属性を記述する一般的な方法はありうるだろうか.各国,各地域,各言語について形式に則った記述を作り上げ,それをタイプ別に分類することで,社会言語学的な言語の類型論なるものを構想することはできるのだろうか.
 この疑問に答えるべく,Ferguson, Steward は文字通りの公式化を目指した.例えば,パラグアイの多言語使用状況は,"3L = 2L maj (So, Vg) + 0L min + 1L spec (Cr)" などと表現される.この式が意味するところは,次の通りである.パラグアイには3言語がある.2つは多数言語で,標準化された公用語のカスティーリャ語と民衆の話す媒介言語であるグアラニー語からなる.少数言語はないが,特定のステータスにある古典語,宗教言語としてラテン語が用いられている(カルヴェ, p. 33).
 一方,Fasold は言語の機能と獲得された属性という観点からモデル化を試み, Chaudenson はコーパスとステータスを軸に取った2次元プロットの図示化を提案した.例えば,Fasold による機能と属性の関係を著わす一覧表は次の通り(カルヴェ,p. 40).

機能社会言語学的に獲得されている属性
公的1. 標準化
 2. 教育を受けた一定数の市民に正しく使用されている
民族的1. かなりの人口にとっての民族アイデンティティの象徴
 2. 日常のコミュニケーションで広く用いられている
 3. 国内で広く一般に話されている
 4. 国内に同じ機能を持つ重要な代替語がない
 5. 真正さの象徴として受け入れられている
 6. 輝かしい過去と関係がある
集団的1. 日常会話で使用されている
 2. 他者との統一を図ると同時に、他者と区別されるものと話者に考えられている
媒介的1. 少なくとも国内の少数派にとって「学習しうる」と見なされている
国際的1. 「潜在的国際語」のリストに載っている
修学的1. 生徒の言語と同等ないしそれ以上に標準化が行なわれている
宗教的1. 古典的


 これらの提案はいずれも示唆に富んではいたが,社会言語学的な記述を与えるのに必要な諸項目に対する総括的な視点が欠けていた.とりわけ,社会言語学的な状況も言語そのものと同様に刻一刻と変化するという通時的な視点が欠けていた.
 カルヴェは,上記のような類型論を目指すには,少なくとも問題の国や地域について次のデータを考慮に入れなければならないだろうと述べている (50) .

 ① 数量的データ --- 言語はいくつあるのか、その言語にどのくらいの話者がいるのか。
 ② 法的データ --- 現存する言語のステータスは、憲法で認められているか否か。メディアや教育などで使用されているか否か。
 ③ 機能的データ --- 媒介語と媒介率、多くの隣接国で話されている超国家語か、群生語か、宗教言語か。
 ④ 通時的データ --- 言語の拡大や世代間の伝達率など。
 ⑤ 象徴的データ --- 国内に存在する言語の威光、言語への感情、コミュニケーション戦略など。
 ⑥ 対立データ --- 言語観の関係、機能の補完性か、競合性かなど。


 ⑤⑥については,適当な計量の仕方がないのが難点である.カルヴェ (51) は,とりわけ④の通時的データを組み込む必要性を訴えている.

言語状況は話者人口や伝達率など統計や象徴的データに関しても絶えず変化しているのである。ところで、ある言語政策の決定に先立つ評価には、現在のさまざまな変化を考慮に入れる必要がある。だから、より完璧で効率的な多くの新しいモデルが現われるとすれば、それは別のアプローチによってであろう。たとえば、コンピュータ化されたモデルを想像してみよう。それは新しいデータが絶えず定期的に入力され、言語状況の動態的な評価を「直接なまま」提供するものだ。


 ある言語が時間とともにその社会言語学的な位置づけを変化させるということは当然のことである.英語だけとっても,その社会言語学的なステータスの歴史的変動は甚だしい.有効な社会言語学的類型論が確立すれば,英語史を見る視点に新たな方法が追加されることになるだろう.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

Referrer (Inside): [2016-11-13-1] [2013-07-22-1]

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2013-06-14 Fri

#1509. 日本語における語中軟口蓋鼻音の脱音素化 [consonant][phoneme][phonology][diachrony][methodology][variation][phonemicisation]

 昨日の記事で「#1508. 英語における軟口蓋鼻音の音素化」 ([2013-06-13-1]) を取り上げたが,それと正反対ともいえる過程が日本語で起こっているので紹介しよう.
 伝統的な日本語の共通語発音では,2つの有声軟口蓋音 [g] と [ŋ] が区別されていた.原則として前者は語頭で,後者は語中(母音や撥音の後)で用いられ,ほぼ相補分布をなす.例えば,柄,銀,郡,芸,午前などの語では [g] が,東,金銀,道具,朝餉,かご,リンゴなどの語では [ŋ] が聞かれた.ただし,「世界銀行」などの複合語の第2要素の始まり,「お元気」などの接頭辞の直後,「十五」などの数詞の五,「がらがら」などの擬音語,「ヨーグルト」などの借用語においては,語中であっても [g] が標準的である.しかし,「十五」と「銃後」の対などにおいて [g] と [ŋ] は対立するので,厳密に分布主義的な立場からは /g/ と /ŋ/ は異なる音素ということになる.
 上記の区別は,現在でも声楽などの分野では威信あるものとして保たれているが,一般の共通語発音としては [ŋ] は廃れつつある.1983年の東京方言の調査では,話者の年代により語中 [ŋ] の生起率が大きく異なっていることが確かめられた.それによると,1930年頃に生まれた話者が語中 [ŋ] の消失を牽引した世代であるという.背景には,彼らが疎開により東京外へ出て,[ŋ] の行なわれていない方言と接する機会が増えたことが指摘されている.
 1986年の Hibiya による同様の調査でも,語中 [ŋ] の通時的な消失傾向が確かめられた.80歳前後の話者は80--90%が [ŋ] を保っていたが,20歳前後の話者は保有率はゼロに近い (Hibiya 163) .しかし,この調査方法は,ある時点における様々な年齢の話者の発音を調べることにより通時的変化を間接的に捉えようとする "apparent-time" の観察であり,話者の成長に伴う子供言葉から大人言葉へ変化 (age-grading) であるという可能性を排除できない.
 そこで,"real-time" の観察が必要になってくる.Hibiya は,19世紀から20世紀にかけてのいくつかの文献学的証拠や研究結果を根拠に,[ŋ] の消失が紛れもない通時的変化であることを明らかにした.それによると,少なくとも19世紀までは,[ŋ] は体系的に用いられていたという.結論として,Hibiya (169) は次のように述べている.

Kato . . . claims that speakers who were born around 1930 were the originators of the change from word-internal [-ŋ-] to [-g-]; the present investigation, however, indicates that the change began earlier. Those who were born in the 1910's and 1920's have [-g-] more frequently than the speakers from the real-time data base who were born two to three decades earlier. Therefore, the age distribution . . . represents a remarkably smooth and linear sound change in the Tokyo dialect, which is going to completion in the youngest generation of today.


 語中 [ŋ] が [g] に置換されることによって,両音の相補分布が崩れ,事実上 /ŋ/ の音素としての地位は失われたといってよい.これは,「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1]) や「#1023. 日本語の拍の種類と数」 ([2012-02-14-1]) で示した日本語共通語の音韻体系,音節体系にも影響する体系的な変化であり,脱音素化 (de-phonemicisation) の過程であるといえるだろう.

 ・ Hibiya, Junko. "Denasalization of the Velar Nasal in Tokyo Japanese." Towards a Social Science of Language: Papers in Honour of William Labov. Ed. G. R. Guy, C. Feagin, D. Schiffrin, and J. Baugh. Amsterdam: John Benjamins, 1996. 161--70.

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2013-06-13 Thu

#1508. 英語における軟口蓋鼻音の音素化 [consonant][phoneme][phonology][diachrony][methodology][variation][phonemicisation][suffix][rp][minimal_pair][spelling_pronunciation]

 現代英語で,fingersinger において ng 部分の発音は異なる.前者は [fɪŋgə],後者は [sɪŋə] である.後者のように,-ing で終わる語幹に派生・屈折接尾辞が付加される場合には [ŋ] のみとなる点に注意したい.ただし,形容詞の比較変化は別で long の比較級 longer は [lɔŋgə] である.したがって,「より長い」と「切望する人」とでは,同じ longer でも [lɔŋgə] と [lɔŋə] で発音が異なることになる.
 古くは語末の -ng は常に [ŋg] だった.弱音節では方言にもよるが14世紀前半から,強音節では標準英語で17世紀から,[ŋŋ] を経由して [ŋ] へと音韻変化を遂げた.だが,West Midlands 方言,Birmingham, Manchester, Liverpool などではこの音韻変化は起こらず,[ŋg] が保たれた.
 このように多くの方言で語末の -ng が [ŋg] から [ŋ] へ変化することによって,sing [sɪŋ] と sin [sɪn] などが最小対 (minimal pair) を形成することになり,/ŋ/ が音素化 (phonemicisation) した.
 なお,動詞の派生接尾辞としての -ing は,本来の [ɪŋg] から [ɪŋ] へ変化したほかに,さらに [ɪn] へと発展した変異形もあった.現代英語ではしばしば -in' と表記される語尾で,非標準的とされている([2013-01-26-1]の記事「#1370. Norwich における -in(g) の文体的変異の調査」を参照)が,歴史的には広く行なわれてきた.19世紀中には保守的な RP でも用いられており,むしろ権威ある発音とすらみなされていた.その後,相対的に威信が失われていったのは,綴字発音 (spelling pronunciation) の影響と考えられる.

 ・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.

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2013-03-23 Sat

#1426. 通時的変化と共時的変異 (2) [diachrony][variation][language_change][evolution]

 「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]) ,「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) の記事で,diachronic change (通時的変化)と synchronic variation (共時的変異)の表裏一体の関係について論じた.今回は,この両者の関係について,Croft の意見に耳を傾けよう.
 Croft は,言語進化論の立場から,言語変化とは,広い観点からみた言語変異そのものであると論じている.Croft によれば,変異 (variation) には3つのレベルが区別される.まず,"First-order variation is the variation that occurs in individual occasions of language use" (71) である.これは,同じ話者においてすら,音声,意味,文法は時と場合により変動するという意味での変異である.次に,"Second-order variation is built on first-order variation: certain first-order variant productions take on sociolinguistic value in the speech community" (72) とある通り,ある変項(例えば hunting vs huntin')が社会言語学的な意味合いをもつという意味での変異である.最後は,"Third-order variation is second-order variation that has become fixed conventions in different speech communities as these have diverged and/or entered into contact over the history of humankind" (72) である.これは,異なる言語間,異なる変種間に見られる変異であり,慣習的に別物とみなされている変異のことである.
 Croft は,このように3段階の共時的な変異を概念的に区別した上で,実際にはこの3レベルは連続しており,この連続体をもって通時変化と解するべきだと主張する.共時態と通時態が,この連続体において融合するのだ,と.

Taking variation as a central fact of language leads to a dynamic model of synchronic language and allows for a simple integration of synchrony and diachrony in language. Language change is simply linguistic variation at a broader scope, and more specifically, linguistic variation that proceeds from first-order innovations to second-order variants to third-order divergence. (72)


 ・ Croft, William. "Evolutionary Models and Functional-Typological Theories of Language Change." Chapter 4 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 68--91.

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2013-01-08 Tue

#1352. コミュニケーション密度と通時態 [sociolinguistics][diachrony][weakly_tied][social_network][language_change][contact]

 Bloomfield (46) はアメリカを代表する構造言語学者だが,名著 Language では,歴史言語学や社会言語学が扱うような話題についても驚くほど多くの洞察に満ちた議論を展開している.感銘を受けたものの1つに,「コミュニケーション密度」 (the density of communication) への言及がある.「#882. Belfast の女性店員」 ([2011-09-26-1]) の例が示唆するように,「弱い絆で結ばれた」 ("weakly tied") 社会では,言語革新が導入されやすく,推進されやすいという傾向がある(関連して[2012-07-19-1]の記事「#1179. 古ノルド語との接触と「弱い絆」」も参照).これは,近年の社会言語学において言語変化を説明する力学として注目されている概念だが,Bloomfield は早い段階でその基本的なアイデアをもっていたと考えられる.
 Bloomfield のいう "the density of communication" は,巨大なカンバス上の点と線により表わされる.点として表現される個々の話者が互いに無数の矢印で結びつき合い,言語共同体のネットワークを構成しているというイメージだ.

Every speaker's language, except for personal factors which we must here ignore, is a composite result of what he has heard other people say. / Imagine a huge chart with a dot for every speaker in the community, and imagine that every time any speaker uttered a sentence, an arrow were drawn into the chart pointing from his dot to the dot representing each one of his hearers. At the end of a given period of time, say seventy years, this chart would show us the density of communication within the community. Some speakers would turn out to have been in close communication: there would be many arrows from one to the other, and there would be many series of arrows connecting them by way of one, two, or three intermediate speakers. At the other extreme there would be widely separated speakers who had never heard each other speak and were connected only by long chains of arrows through many intermediate speakers. If we wanted to explain the likeness and unlikeness between various speakers in the community, or, what comes to the same thing, to predict the degree of likeness for any two given speakers, our first step would be to count and evaluate the arrows and series of arrows connecting the dots. We shall see in a moment that this would be only the first step; the reader of this book, for instance, is more likely to repeat a speech-form which he has heard, say, from a lecturer of great fame, than one which he has heard from a street-sweeper. (46--47)


 太い線で結束している共同体どうしが,今度は互いに細い線で緩やかに結びついており,全体として世界がつながっているというイメージは,社会言語学者の描く "social network" (Aitchison 49) の図そのものである.
 ところが,歴史言語学の立場から見てより重要なのは,Bloomfield が上の引用の直後に,カンバスに対して垂直な軸である通時態をも思い描いていたという事実である.

The chart we have imagined is impossible of construction. An insurmountable difficulty, and the most important one, would be the factor of time: starting with persons now alive, we should be compelled to put in a dot for every speaker whose voice had ever reached anyone now living, and then a dot for every speaker whom these speakers had ever heard, and so on, back beyond the days of King Alfred the Great, and beyond earliest history, back indefinitely into the primeval dawn of mankind: our speech depends entirely upon the speech of the past. (47)


 話者は,同時代に生きている他の話者とのつながりのみによって言語を体験しているわけではない.年上世代の話者により言語的な影響を被った経験があるだろうし,その経験の痕跡は自らの言語に少なからず反映されているだろう.同様に,自らが年下世代の話者に言語的影響を及ぼしていることもあるだろう.点と点を結ぶ線はカンバスに対して垂直に過去へも未来へも伸びてゆき,古今東西のすべての点がネットワーク内のどこかに位置づけられることになる.
 共時態と通時態の区別は方法論上必要だろうが,Bloomfield のカンバスの比喩に照らせば,両者の間に明確な境界がないとも考えられる.両者の区別については,「#1260. 共時態と通時態の接点を巡る論争」 ([2012-10-08-1]) ,「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]) ,「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) ,「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]) ,「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1]) ほか,diachrony の各記事を参照.

 ・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.

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2013-01-05 Sat

#1349. procrastination の生成過程 [morphology][french][latin][derivation][word_formation][diachrony][combining_form][loan_word][romancisation][neo-latin]

 procrastination /prə(ʊ)ˌkræstɪˈneɪʃən/ というラテン語に由来する形態素からなる派生語がある.「遅延」を意味する語で,英語での初例は1548年となっている.語源としては,古典ラテン語の名詞 prōcrāstinātiō から借用したものである,と述べて済まそうと思えば済ませられるが,英単語 procrastination の形態と発音を本格的に説明しようとすれば,英語がいかにラテン語やフランス語の形態規則や音韻規則を取り込んできたかという歴史を述べざるを得ない.この歴史は,中英語期以降,数世紀をかけて通時的に育まれてきた言語的慣習が,共時的な形態規則や音韻規則として固定化してきた歴史である.
 Bloomfield によれば,英語話者はラテン単語を借用する際に,"a fairly well-fixed set of habits" (493) を心得ているという.

[T]hese habits are composed of (1) the adaptations and phonetic renderings that were conventional in the French use of book-Latin words round the year 1200, (2) adaptations that have become conventional in the English usage of Latin-French forms, and (3) phonetic renderings due to English sound-changes that have occurred since the Norman time.


 これを procrastination に当てはめてみよう.フランス語では,ラテン語の名詞は主格ではなく対格や奪格の形態,正確にはそこから語尾を落とした形態で取り入れられるのが通例である.したがって,ラテン語 prōcrāstinātiō は,主格形のままフランス語へ入るのではなく,prōcrāstinātiōnem などの斜格形から -em が取り除かれた状態で,procrastination としてフランス語へ入る.もし13世紀辺りにフランス語に入っていたならば,フランス語では *[prokrastinaˈsjoːn] などとなっていたことだろう.この推定される音形は (1) の習慣に基づく.
 次に,英語話者は,(2) の習慣に従って,フランス語を経由して英語に入ってくる単語の発音を英語化する.上記の推定形における第2音節の母音 *[a], 第4音節の母音 *[a], その直後の *[sjon] を,それぞれ英語風に [æ], [eɪ], [ʃən] へと置き換えるのである.この習慣は,英語が大量のフランス借用語を取り入れながら築き上げてきた,一種の英仏対応規則である.
 最後に,(3) の習慣,すなわち英語における強勢移動にかかわる規則の変化に従って,第1強勢が最終音節からその一つ前へ移動した.
 Bloomfield 本人も p. 450 で認めているように,(2) と (3) の境目は必ずしも明確ではない.しかし,上記の要点は,英語,フランス語,ラテン語の3者の間で通時的に育まれてきた対応規則と通時的に生じてきた言語変化とが,一種の英語における共時的な形態規則(あるいは形態習慣)として確立してきたという歴史的過程である.英語が16世紀半ばに,ラテン語 prōcrāstinātiō を借用したとき,あるいは参照して自言語に取り込んだとき,半ば無意識に (1), (2), (3) の習慣が適用され,英語の音形をもつ procrastination が生成されたのである.ここには,単なる借用以上の過程が作用している.
 長い時間のあいだに繰り返し通電してきた神経回路が,いつのまにか太い高速回路となって,直感的に通電するようになったとでも言おうか.借用語彙の取り込み方という問題は,言語における diachrony と synchrony との接点を論じる上でも示唆を与えてくれそうだ.

 ・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.

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2012-10-08 Mon

#1260. 共時態と通時態の接点を巡る論争 [saussure][diachrony][history_of_linguistics][functionalism]

 言語にアプローチするための2つの異なる側面,共時態と通時態の区別については,「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]) ,「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) ,「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]) ,「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1]) ほか,diachrony の各記事で取り上げてきた.この問題に関する最大の論点の1つは,共時態と通時態のあいだには,ソシュールの力説するように,本当に接点がないのかという点である.
 この問題について,ソシュールに対抗する立場を明確にしているのが Roman Jakobson (1896--1982) である.Jakobson は,通時音韻論の諸原理に言及した最初の学者であり,ソシュールにとっては明らかに共時的な概念である「体系」を,通時的な現象にまで持ち込んだ先駆者だった.体系という概念を通時態に適用する可能性を否定したソシュールと,その可能性を信じて探ったヤコブソンの視点の違いを,ムーナンの文章によって示そう.

ソシュールは次のように述べている、「変遷はけっして体系の全面の上にではなく、その要素のいずれかの上におこなわれるものであるから、それはこれを離れて研究するほかはない。もちろんどの変遷も体系に反撃を及ぼさないことはないが、初発の事象は一点の上にのみ生じたのである。それは、それから流れ出て総体にいたる可能性をもつ帰結とは、何の内的関係をももたない。このような、継起する辞項と共存する辞項とのあいだの本性上の差異、部分的な事実と体系に影響する事実とのあいだの本性上の差異は、両者をただ一つの科学の資料とすることを禁じるのである。」 それに対してヤコブソンは、一九二九年の論文のなかでこう答えている、「言語を機能的体系として見る考えかたは、過去の諸言語状態の研究においても同様に採りあげられるべきものである。諸言語状態を再構成しようという場合にしても、あるいは言語状態から言語状態へという進化を確認しようという場合にしても、その点に変わりはない。ジュネーヴ学派がしたように、共時的方法と通時的方法とのあいだに越えることのできない障壁を設定することなど、できるものではない。共時言語学において、言語体系の諸要素をそれらの機能という観点から扱うのなら、言語がこうむった諸変化を判断するにあたっても、それらの変化の影響を受けた体系というものを考慮に入れずには判断できかねるはずだ。いろいろの言語変化が、偶然に生じる破壊的な損傷にすぎず、体系という観点から見れば異質なものにすぎない、と仮定するのは論理的でなかろう。言語変化が、体系や、その安定性や、その再構成などをねらって生じるということも少なくないのである。という次第で、通時論的研究は、体系や機能という概念を除外しないばかりではなく、逆に、これらの概念を考慮に入れないかぎり不完全なのだ。」 (168--69)


 両者を比較すると,実は大きく異なっていない.ソシュールもヤコブソンと同様に,体系の一点に与えられた打撃が体系全体を変化させる可能性について認識している.この点こそが重要だと考えるのであれば,両者はむしろ意見が一致しているとすら言える.ではどこに違いがあるのかといえば,ヤコブソンは,その打撃を,共時態のなかに静的に蓄えられているエネルギーとして捉えているのに対して,ソシュールは共時態のなかには存在せず(ないしは確認することができず),あくまで通時的にのみ確認されるエネルギーであるとして,共時態から切り離している点である.ソシュールがこだわっていたのは方法論上の厳密さであって,通時態の共時態への根強い浸食を止めなければならないという使命感により,かくまでに両者の峻別に固執したのである.
 だが,共時態の優勢が認められた後には,ソシュールの固執はすでに用無しだった.ヤコブソンの論じるように,言語変化のエネルギーが共時態と通時態の接点に宿っていると考えるほうが,論理的で自然だろう.

 ・ ジョルジュ・ムーナン著,佐藤 信夫訳 『二十世紀の言語学』 白水社,2001年.

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2012-04-07 Sat

#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由 [saussure][diachrony][history_of_linguistics]

 共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) の問題は,言語学において永遠のテーマである.ことに英語史や歴史言語学を研究する者にとって,両者の関係をどう理解するかは本質的な問題であり,悩みの根源でもある.この問題については,本ブログでも「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]) ,「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) ,「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]) などで取り上げてきた.
 この悩みの発端はといえば,近代言語学の祖とも言われる ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) が,言語研究においては共時態を通時態に優先させなければならないと主張したことに遡る.今回は,問題の原点に立ち戻って,ソシュールがなぜ共時態を優先すべきと考えたのか,町田 (55--59) に従って考えてみたい.
 ソシュールは個別言語の言語現象全体としてのランガージュ (langage) をラング (langue) とパロール (parole) に分け,言語学の研究対象は,意味を伝達するというコトバの本質に関わるラングに限るべきだと主張した.ただし,ラングそのものが通時態を排除するというわけではなく,むしろラングには本質的に時間性が備わっているということが認められている.その証拠の1つとして,ある語の意味には過去から引き継がれてきたものがあるし,文法の不規則性も過去からの遺産として引き継がれているものが多い.これらを解明するのが個別言語の歴史であり,英語の場合には英語史である.別の証拠としては,ラングは常に変化にさらされている.今この瞬間にも英語や日本語は変化を遂げており,ラングは一瞬たりとも静的ではない.ラングにとって時間と変化は本質的な要素である.時間におけるラングの変化の型や原因を解明するのが歴史言語学であり言語変化論である.
 このようにラングそのものが時間を含む概念であるから,ラングを研究対象とするソシュール言語学も通時態を排除しているわけではない.ソシュールの主張は,あくまで共時態を優先させようということであり,通時態は横に置いておこうという提案なのである.では,なぜ共時態が優先されるべきなのか.
 理由の1つは,話者の意識には通時的な視点は原則として存在しないからというものである.「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]) でその反例には触れたが,一般的にいって,話者はその言語の過去の状態などを知らずに言語行動を営んでいる.ある語の発音や意味がかつてはどうだったこうだったという語史的な知識は,意味の伝達というコトバの本質的な役割を果たすためには,特に必要とされない.話者にとって必要なのは,現時点での当該言語にかかわる言語知識であり,その過去(あるいは未来)はどうでもよい.話者の脳に納まっている言語知識の全体像を明らかにすることこそが言語学の使命なのだとすれば,言語学は共時態に徹する必要がある.
 2つ目の理由は,話者が知識としてもっている語の意味を明らかにしようとするならば,時間を止めて語彙や意味の分析をする必要がある.ある語の意味は,他の関連する語の意味との関係,すなわち語彙ネットワークのなかにおける位置によって決まってくるのだから,各語の昔の意味などを考慮してネットワーク内に時間差を導入してしまうと,うまく分析できない.
 上記2つの理由は,意味の伝達というコトバの本質的な役割を果たすために話者がもっている言語知識を解明することこそが言語学の使命なのだという信念に基づいた理由であるのに対して,次の3つ目の理由は方法論上の理由である.上述の通り,ラングには本質的に時間性が備わっているのだから,ラングの全体的な解明は共時態としてだけでなく通時態としても目指されなければならない.しかし,あるラングの通時的な全体像の解明は,所詮,現実的には無理な話である.何よりも,過去の言語状態を知るためには不足のない証拠資料が必要とされるが,現存する文献は常に質量ともに不十分である.また,最古の文献よりも古い言語状態は,実証的には復元不可能である.したがって,ラングの全体像の解明にこだわるのであれば,通時態の側面によって課される限界は避けられない.であれば,せめて全体像の解明の可能性のある共時態研究に精力を集中させるのが現実的な対応ではないか.
 言語学における共時態優先の原則は,このように共時態への信念と通時態の方法論上の限界に支えられて唱えられてきた.しかし,ラングが時間性をもっている以上は通時態の完全排除は不当であるし,また,共時態であれば全体像の解明が叶うというのは本当に信じてよいのかという疑問も生じる.実際,ソシュール以降にも,通時的な視点の研究は連綿と続いているのである.この状況を指して,言語学史を著わしたイヴィッチ (51) が鋭い評価を下している.

言語史は一時,大部分の構造主義言語学者の等閑に付するところとなった.そのため十分な知識のない人は,19世紀と20世紀の言語学の最も顕著な相違は次の事実にあるという印象を受けることになった――19世紀の言語学は歴史主義に重点を置き,同時代の言語状態の記述の持つ学問的価値を過小評価した;一方,20世紀の言語学はその正反対で,言語史が等閑に付され,現在の言語状況の研究に努力が集中されている,と.たとえ19世紀の言語学の姿勢についてのそのような解釈が正しいとしても,構造主義の発展の初期を別とすれば,20世紀の言語学について上のように言うことはできないことである.共時的記述の存在権を主張する戦いの間だけ言語史は背後に退けられていたのであり,その後でこれは学問的関心領域内にしかるべき位置を占めたのである.


 ・ 町田 健 『ソシュールと言語学』 講談社〈講談社現代新書〉,2004年.
 ・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.

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2012-03-23 Fri

#1061. Coseriu の言語学史の振子 [linguistics][diachrony][history_of_linguistics][renaissance]

 通常,近代言語学史は,Sir William Jones (1746--1794) の1786年の講演と,それに続く比較言語学の発展において始まったとされる([2010-02-03-1]の記事「#282. Sir William Jones,三点の鋭い指摘」を参照).しかし,この18世紀末の契機は,舞台を西洋に限るとしても,より広い歴史的な視野から評価する必要がある.確かに,18世紀末は,初めて継続的に科学的な態度で言語に注目し始めたという点で,言語学史に一線を画する時代だったことは認めてよい.しかし,それ以前にも常に人々は言語に関心を注いできたのである.1786年を境に以前と以後にわける言語学史のとらえ方を「断絶」と呼ぶのであれば,ルーマニア生まれでドイツの言語学者 Coseriu (1921--2002) の言語学史のとらえ方は「振子」,共時的関心と通時的関心のあいだに揺れる振子として表現できるだろう.加賀野井 (65) に紹介されている Coseriu の図式は以下の通り.

Coseriu's History of Linguistics


 この図式によれば,ルネッサンスと19世紀が歴史主義の時代,その前後と狭間の時代が理論・記述主義の時代ということになる.ルネッサンス以前は,ギリシア語やラテン語を規範とする見方や言語哲学が盛んであり,視点は共時的だった.ルネッサンス期は言語どうしの比較や同一言語の異なる時代の比較へ関心が移り,通時的な傾向を示した.18世紀には,近代語の記述文法の研究が進み,ライプニッツの普遍文法などが出たことから,共時的な関心の時代だったといえる.19世紀には比較言語学によって通時的な側面に光が当てられた.そして,20世紀,特にソシュール以降は共時的な言語学が優勢となった.
 この図から当然の如く湧き出てくるのは,21世紀は,通時的な関心へと振子が揺り戻すのではないかという予想だ.各時代の関心の交替は,何も言語学の分野だけに限ったことではなく,他の学問領域にも広く共通した思想上の傾向だった.そして,現代のように時代の転換期にあるといわれる時代には,歴史を顧みる傾向が強まるとも言われる.20世紀を駆け抜けた共時言語学の拡散と限界から,そろそろ一休みを入れたい気分にならないとも限らない.振子は,人間の退屈しやすい性質,気分転換を欲する性質を反映していると考えれば,そろそろ揺り戻しがあるかもしれないということも十分に考えられる.
 もちろん,Coseriu の振子は,後代から観察した過去の記録にすぎず,未来を決定する力はない.歴史を作るのはそれぞれの時代の人間であり,ここでいえば言語観察者や言語学者である.しかし,20世紀の言語学の達成と発展性を考えると,振子が揺り戻すかもしれないと考えさせる根拠はある.1つは,20世紀の構造言語学や生成文法があまり手をつけずにおいた言語の変異と変化の重要性が,20世紀後半になって認識されてきたこと.2つは,20世紀の共時言語学が上げてきた種々の成果を,かつてソシュールが優先度低しとして棚上げしておいた通時態にも応用してみたくなるのが人情ではないかということ.
 また,これは20世紀言語学の成果とは独立した要因ながら,筆者の日頃考えているところだが,英語などの有力言語の世界的な広がり,国際交流に伴う語学熱,情報化社会に裏打ちされた言語の重要性の喧伝などという現代の社会現象が,人々に言語疲れを引き起こす可能性があるのではないかということだ.言語は役に立つ,言語の力は偉大だなどとあまりに喧伝されると疲れてしまう.むしろ,なぜそうなのか,なぜそうなってきたのかという本質的な問題へ向かう傾向が生じるのではないか.
 とここまで書きながら,上の議論は,英語史や歴史言語学に肩入れしている筆者の願いにすぎないのかもしれないな,と思ったりもする.21世紀の潮流を見極めたい.

 ・ 加賀野井 秀一 『20世紀言語学入門』 講談社〈講談社現代新書〉,1995年.

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2012-03-02 Fri

#1040. 通時的変化と共時的変異 [diachrony][variation][language_change]

 [2012-02-16-1]の記事「#1025. 共時態と通時態の関係」で触れたが,diachronic change (通時的変化)と synchronic variation (共時的変異)とは1つの現象の2つの側面である.changevariation もともに「変化」と訳されることがあるが,それぞれの概念はむしろ対置されるものである.上でそれぞれ形容詞をつけたように,change とは通時的な概念であり,時間軸に沿った変化(へんか)である.一方,variation とは共時的な概念であり,異なる形式が言語内外の諸要因により交替する変化(へんげ)である.
 前段落で述べたことを,動詞 changevary の定義により改めて示そう.OALD8 の定義に基づいて整理すると次のようになる.

 ・ to change: pass from one state or form into another
 ・ to vary: be different according to the situation


 さらに図で示せば次の通り.

Diachronic Change and Synchronic Variation

 通時と共時の両軸が交差する点が個々の言語項目ということになり,そこには change と variation のエネルギーがともに潜在している.
 言語変化を考える上で,両者の関係を理解しておくことは重要である.Vogt (367) から関係する箇所を引用しよう.

At any moment between the initiation and the conclusion of these changes we have a state characterized by the presence of more or less free variants, so that the speakers have the choice between alternative expressions. In each case the choice will be determined by an interplay of factors, some linguistic, some esthetic and social, an interplay so complex that most often the choice will appear as being due to pure chance. At any moment of this long period the French phonemic system would have to be described in such a way that the relations between these variants would be accounted for, because, in my opinion, these relations, however complex they may be, are themselves part of the system. What therefore in the history of a linguistic system appears as a change will in a synchronic description appear as a more or less free variation between different forms of expression, equally admissible within the system. Let it be added that this statement cannot be reversed: every free variation within the system will not, in the time dimension, correspond to a change. It is important to stress this aspect of systems, because without admitting a fair latitude of variation within a system, it is difficult to see how structures could change at all.


 ・ Vogt, Hans. "Contact of Languages." Word 10 (1954): 365--74.

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