昨日の記事[2010-09-28-1]で,近年さかんになってきている言語の起源と進化の研究の特徴を話題にした.時間軸に沿ったヒトの言語の流れに注目する点で,歴史言語学や言語史と,言語の起源と進化の研究は共通している.しかし,現生人類が前段階からの進化によって言語を獲得した過程に何が起こったかということと,例えば古英語で様々な形態のありえた名詞の複数形が中英語後期にかけて -s へ一元化してゆく過程にどのような関連があるかと考えると,答えは自明ではない.2つの問題は確かに言語の変化を扱っているにはちがいないが,問題の質あるいは問題の存する層が異なっているようにも思える.前者は普遍言語の問題,後者は個別言語の問題といえばよいだろうか.
言語と起源と進化の分野でも,(biological) evolution of language と cultural evolution of language を区別しているようである(池内, p. 176).生物学的進化の観点からは,ヒトの言語は発生以来何かが変わってきたわけではないとされる.言語について変わってきたのは,あくまで不変化の生物学的進化の枠内で,文化的な側面が変化してきたというにすぎない.そうすると,歴史言語学や英語史などの個別言語史で扱っているような具体的な言語変化の事例は,すべて「(今のところ)不変化の生物学的進化の枠内での文化的進化」ということになろう.それでも,その生物的進化の枠内で,文化的進化として言語の何がどう変わってきているのかを探ることは,言語の機能の本質,言語の生物学的進化に対する文化的進化の特徴,言語の生物学的進化の兆しの可能性などに光を当てるものと考えられる.
このようなことを考えていたときに,Weinreich et al. の論文で関連することが触れられていたことを思い出した.この論文は,言語起源論もまだ復活していない1968年という早い時期に書かれているが,変異 ( variation ) の考え方を先取りした現代的な発想で書かれている.新文法学派,構造主義言語学,生成文法などにおける言語変化観を批判し,社会的な観点,特に現在 variationist と呼ばれているアプローチで新しい言語変化理論を構築するための予備論文といった内容である.ここでは,言語変化理論 ( theory of language change ) はさらに大きな言語進化理論 ( theory of linguistic evolution ) の一部となるべきだとの主張がなされている.おおまかにいって,前者が cultural evolution,後者が biological evolution に対応するものと考えられる.
We think of a theory of language change as part of a larger theoretical inquiry into linguistic evolution as a whole. A theory of linguistic evolution would have to show how forms of communication characteristic of other biological genera evolved (with whatever mutations) into a proto-language distinctively human, and then into languages with the structures and complexity of the speech forms we observe today. It would have to indicate how present-day languages evolved from the earliest attested (or inferred) forms for which we have evidence; and finally it would determine if the present course of linguistic evolution is following the same direction, and is governed by the same factors, as those which have operated in the past. (103)
言語進化理論は「サルからヒトの最初のコミュニケーション形態への発展から現在の言語構造にいたるまでの言語進化を扱い,その進化の方向が過去から現在にかけて一貫したものであるかどうかを問う」ものになろう.Weinreich et al. の視点の広さ,関心の射程,発想の現代性に驚く.
また,次のように具体例を挙げて,言語変化理論と言語進化理論の接点を示している.
Investigations of the long-range effects of language planning, of mass literacy and mass media, have therefore a special relevance to the over-all study of linguistic evolution, though these factors, whose effect is recent at best, may be set aside for certain limited studies of language change. (103 fn.)
言語の生物学的進化と文化的進化は峻別すべきであるということが1点,しかしながら両者の観点を合わせて言語の変化を探るべきであるということが1点.私の考えは,まだよくまとまっていない.
・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.
・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.
言語の起源,初期言語の進化と伝播については様々な節が唱えられており,本ブログでも origin_of_language や evolution の記事で関連する話題を取り上げてきた.比喩に定評のある Aitchison によれば,言語の発現と初期の進化には,3つの仮説がある.
1つ目は,Aitchison が "rabbit-out-of-a-hat" と呼んでいるもので,言語は手品師が帽子からウサギを取り出すかのように突如として生じたのだとする説だ.「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」 ([2010-10-23-1]) の記事で紹介したスパンドレル理論に相当するもので,Chomsky などが主唱者である."What use is half a wing for flying?" という進化観を背景に,言語が中途半端に発達した段階というものは想像できないとする.この説によると,発現した直後の言語には,現代の言語にみられる複雑な機構がすでに備わっていたということになる.
2つ目は,"snail-up-a-wall" とでも呼ぶべき仮説で,言語は前段階から連続的に発生し,その後も何千年,何万年という期間にわたってゆっくりと一定速度で進化していったとするものである.壁をノロノロと這うカタツムリの比喩である.しかし,生物進化において,この仮説に合致するような型がないことから,言語の進化にも当てはまらないのではないかとされる.
3つ目は,上記2つを組み合わせたような仮説で,Aitchison は "fits-and-starts" と呼んでいる.この説によると,言語の発現と進化は,停滞期と著しい成長期とが交互に繰り返される様式に特徴づけられるとする.「#1397. 断続平衡モデル」 ([2013-02-22-1]) で紹介した punctuated_equilibrium にも連なる考え方だ.
しかし,Aitchison はいずれの説も採らず,第4の仮説として,すべてを組み合わせたような折衷案を出す.本人は,これを "language bonfire" と呼んでいる.
Probably, some sparks of language had been flickering for a very long time, like a bonfire in which just a few twigs catch alight at first. Suddenly, a flame leaps between the twigs, and ignites the whole mass of heaped-up wood. Then the fire slows down and stabilizes, and glows red-hot and powerful. . . . Probably, a simplified type of language began to emerge at least as early as 250,000 BP. Piece by piece, the foundations were slowly put in place. Somewhere between 100,000 and 75,000 BP perhaps, language reached a critical stage of sophistication. Ignition point arrived, and there was a massive blaze, during which language developed fast and dramatically. By around 50,000 BP it was slowing down and stabilizing as a steady long-term glow. (60--61)
これは,S字曲線モデルと言い換えてもよいだろう.引用内に示されているタイムスパンでグラフを描くと,次のようになる.
初期言語の進化についての仮説は上記の通りだが,初期言語が人々の間に伝播していった様式についてはどうだろうか.この2つは区別すべき異なる問題である.Aitchison は,伝播については一気に広まる "language bushfire" の見解を採用している.グラフに描くならば,急な傾きをもつ直線あるいは曲線ということになろうか.
. . . there's a distinction between language emergence (the bonfire) and its diffusion---the spread to other humans (a bush fire). . . . Once evolved, language could have swept through the hominid world like a bush fire. It would have given its speakers an enormous advantage, and they would have been able to impose their will on others, who might then learn the language. (61--62)
・ Aitchison, Jean. The Seeds of Speech: Language Origin and Evolution. Cambridge: CUP, 1996.
「#1749. 初期言語の進化と伝播のスピード」 ([2014-02-09-1]) で,言語の発現・進化・伝播について Aitchison の "language bonfire" 仮説を紹介した.言語学の「入門への入門書」とうたわれている,加藤重広著『学びのエクササイズ ことばの科学』を読んでいたところ,この仮説がわかりやすく紹介されていた.
加藤 (23--24) によると,現在の人類学の研究成果が明らかするところによれば,他の原人の祖先から,現生人類およびネアンデルタール人の共通の祖先が分岐したのは約100万年前のことである.そして,後者2つの祖先が互いに分岐したのは約50万年前.2万5千年前くらいにネアンデルタール人が滅びるまでは,現生人類と共存していたことがわかっている.一方,現生人類がアフリカに誕生したのは約20万年前のことである.この現生人類は7--6万年前にアフリカから世界へ拡散し,1万5千年前くらいに北米に達した.
上記の現生人類の歴史のなかで,その誕生期前後に言語の前駆体なるものも同時に発現したと考えられる(前駆体については,「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」 ([2010-10-23-1]) を参照).その後しばらくは,言語の前駆体は緩やかな進化を示すにすぎず,10万年ほど前にようやく原始的な言語の水準に達しつつあったとされる.ところが,10万年ほど前の時期に,急激な言語の進化が生じる.そして,出アフリカの時期を中心に,歴史時代の言語体系にほぼ匹敵する高度な言語体系が発達した.その後は,長い尾を引く緩やかな精緻化の時期に入り,現在に至る.これが,"language bonfire" 仮説である.加藤 (24) から図示すると,以下のようになる.
関連して,「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1]),「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1]),「#1544. 言語の起源と進化の年表」 ([2013-07-19-1]) も参照.
・ 加藤 重広 『学びのエクササイズ ことばの科学』 ひつじ書房,2007年.
近隣言語のあいだにみられる関係を把握する方法には,伝統的に系統樹モデル (family_tree) と波状モデル (wave_theory) が提唱されている.前者が前提とするのは系統樹によって表わされる語族 (language_family) という考え方であり,後者が前提とするのは言語圏 (linguistic_area である.両者の対立については,##999,1118,1236,1302,1303,1313,1314 などの各記事で取り上げてきた.だが,実際には「#1236. 木と波」 ([2012-09-14-1]) で議論したように,両モデルは対立する関係というよりは,相互に補完すべき関係というほうが適切だろう.しかし,互いがどのような関係にあるのか,具体的にはあまり論じられていないのが現状である.
ディクソンは,両モデルを独特な形で融合させようと試みた.その結果として提案された仮説が,断続平衡モデル (punctuated equilibrium) である.
断続平衡モデルの説明は著書のあちらこちらに散らばっているが,最も重要と思われる箇所を,やや長いが,先に引用しよう.
本書で私はある仮説を立てた。一九七二年にエルドリッジとグールドがはじめて発表した生物学における断続平衡 (punctuated equilibrium) というモデル〔種の進化には変化のない長期の安定期と、それと比べて相対的に著しく急速な種分化と形態変化によって特徴づけられる中間期があるとする仮説〕に触発され、この考えを言語の発達と起源に当てはめてみたのである。人類の歴史の大部分の期間は平衡状態が保たれてきた。ある地域には、多くの、似たようなサイズや組織の政治集団があったと考えられる。そこではどの集団も他の集団の上にとりわけ大きな力を持つということはなく、それぞれが自分たちの言語または方言を話していただろう。これらの言語は、比較的平衡を保ちつつ長い期間にわたって言語圏を形づくっていく。しかし何事もまったく静止状態だったわけではない――潮の干満のようにゆったりした変化や推移はあっただろう――が、どちらかといえば小さなものだ。そして平衡が破られる時が訪れ、急激な変化が起きる。この中断は旱魃や洪水などの自然災害によるものかもしれないし、新しい道具や武器の発明、または農耕の発達、新しい土地への移動を可能にした船舶の改良、さらには帝国主義の発達や宗教的侵略によりひき起こされたものかもしれない。平衡状態を破るこのような中断は、往々にして言語の内部や言語間に根本的な変革をもたらす引き金となる。このため人々の集団や言語は拡張したり、分裂したりする。言語の系統樹モデルが適用できるのはこの、非常に長い平衡期の間に挟まっているごく短い中断期なのである。
私の推論では、平衡期の間に、同地域に存在する異なる言語間に種々の言語特徴が伝播する傾向があり、非常に長い時間をかけてではあるが、一つの共通の原型に収束する。そして拡張と分裂で特徴づけられる中断期には、一つの共通祖語から分岐して、一連の新しい言語が発達するのである。
この仮説は当然言語の起源の問題と結びつくが、それにはいくつかの可能性が考えられる。一つは、言語が大変にゆっくりと、つまり千年以上もかかってほんの数百の語や少しの文法項目を増やしていくといった具合に、未発達の言語から原始的な言語に、さらに少し進歩して前近代的言語、そして近代的言語にと進化して現代の姿になる、というものだ。しかし私の考える筋書はこれとは違う。初期の人間は比較的安定した状態のなかで生活し、認知、伝達能力を増やしていっただろうと思うが、言語は持たなかったのではないだろうか。そこに、なんらかの中断期が訪れて言語が発生したのだと考える。この過程はかなり急激に起き、二、三世紀あるいは多分二、三世代のうちには、原始的な言葉の断片というよりむしろ、現在話されている言語の複雑さに劣らないくらい十分発達した、まさに言語と呼べるものができあがったのではないかと思う。そして次にまた長い平衡期が始まる。 (4--5)
著者は,この引用の後で,この2千年,特にこの数百年は格段の中断期であり,系統樹モデルでよりよく説明される諸言語の分岐が起こっているのだと主張する.また,系統樹モデルでいう祖語のとらえ方については,次のように述べている.
中断期の前後に横たわる長い言語的平衡期の間、地域の人々は比較的調和を保って生活する。たくさんの言語特徴を含んだ、多くの文化的特性が伝播波及する。同一地域の言語は互いに似通ったものとなっていく――これらの言語は一つの共通の原型に向かって収束するだろう。やがて、この収束によりもとの系統関係すなわち最後の中断期にあった系統樹の先端がぼやけていく。 (129)
系統樹モデルで特徴づけられる言語の拡張と分裂という観念に基づいて、比較言語学者はしばしば祖語を、あたかも中断期に起きた急速な分裂の結果生まれたものであるかのようにみなす。だが多分そうではないだろう。中断期は長い平衡期の間に間欠的に挟まるもので、祖語を担う語族の始まりはすでに平衡期に潜在する。つまり、一つの言語圏内で言語間の収束が起き、そこから生まれた言語状態が語族の下地となったのだと思う。実際、一つの語族はたった一つの言語から生まれ出るわけではないのではないか。 (138)
最後の点については,「#736. 英語の「起源」は複数ある」 ([2011-05-03-1]) でも少しく触れた問題である.
ディクソンは,オーストラリアを始めとする世界の諸言語のフィールドワークによって得た知見に基づき,断続平衡モデルをありそうな仮説であると提案したが,反証がほぼ不能という点では,彼の酷評する Nostratic 大語族 ([2012-05-16-1]) と異ならない.それでも,しばしば対立させられる系統樹モデルと波状モデルとを,大きな言語史のスパンなのなかで統合して理解しようとする姿勢には共感する.
系統樹モデルの抱える問題に関しては,第III章「系統樹モデルはどこまで有効か」が秀逸である.
・ ディクソン,R. M. W. 著,大角 翠 訳 『言語の興亡』 岩波書店,2001年.