hellog〜英語史ブログ

#1229. 規範主義の4つの流れ[prescriptive_grammar][icehl]

2012-09-07

 8月下旬,ICEHL-17 の学会でスイスの Zurich に行っていた.8月24日には,ミシガン大学の Anne Curzan による "Prescriptivism: More Than Descriptivism's Foil" と題する plenary session があり,「規範主義の4つの流れ」が提起された.いまだ調整中の区分のようだが,配布されたハンドアウトの一部から抜き出そう.

Four Strands of Prescriptivism

Four different yet integrated strands, based on the aims of prescriptive advice about usage:

 ・ Standardizing prescriptivism: rules/judgments that aim to promote and enforce standardization and "standard" usage;
 ・ Stylistic prescriptivism: rules/judgments that aim to differentiate among (often fine) points of style within standard usage;
 ・ Conservationist prescriptivism: rules/judgements that aim to preserve or purify usage;
 ・ Politically responsive prescriptivism: rules/judgments that aim to promote inclusive, nondiscriminatory, and/or politically correct usage.


 講演では,言語以外の社会規範と比較しながら,この4つの流れについての巧みな比喩が随所に披露された.例えば,交通規則に喩えると,standardizing prescriptivism は信号に相当する.信号の赤か青かを守らなければ命取りであるのと同様に,言語の規範を守らなければコミュニケーションが成り立たない可能性がある.表現として良い悪いという以前のルールである.一方で,stylistic prescriptivism は,ルールというよりもマナーに近い.例えば,信号が青に変わってから何秒までの間に発車しなければならないかという交通規則はない.人によって許容範囲は異なるだろうが,マナーとして平均値のようなものはあるに違いない.守らなくてもコミュニケーションは成り立つだろうが,TPO を考慮して表現を選ばなければ,恥をかくかもしれない,という意味での「嗜み」ととらえられる.conservationist prescriptivism については,もっとよい名称がないか思案中だというが,インフォーマルな言い換えとして,"old parenting" という表現はわかりやすい比喩だった.
 実際には,4つの流れの関係は複雑で,相互間の移動もあり得る.一般に出回っている語法書の類には,この4つの流れを汲む項目が区別なく列挙されているのだが,本当は区別しながら参照する必要があるのだろうと気付かされた次第である.

Referrer (Inside): [2017-08-30-1]

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#1246. 英語の標準化と規範主義の関係[standardisation][prescriptive_grammar][negative][invisible_hand]

2012-09-24

 昨日の記事「#1245. 複合的な選択の過程としての書きことば標準英語の発展」 ([2012-09-23-1]) で,標準英語の発展は不特定多数の人々による言語的選択 (selections) の過程であるとする Hope の意見を要約した.では,この選択とは意識的なものなのか無意識的なものなのか.不自然なのか自然なのか.通常,個人の選択は意識的であり不自然であるともいえるが,不特定多数による選択となると無意識的であり自然であるともいえる.
 Hope は,標準英語発展のもつ,このアンビバレントな特徴について,次のように考えている.標準化の過程は,人々の集団の無意識的な言語観に駆動される "a 'natural' linguistic process" あるいは "a language-internal phenomenon" (51) である.これは,しばしば標準化と一緒くたに扱われるが,実は対照をなしている規範主義というものが "language-external: a cultural, ideological phenomenon" (52) であるのと対比される.一般に社会言語学的な話題であると考えられている言語の標準化を "natural" や "language-internal" とみなすのは議論の余地があるだろうが,規範主義と区別する上では,鋭い分析ではないか.(集団的無意識という説明は,Keller の言語変化における「見えざる手」の議論を強く想起させる.invisible_hand の各記事を参照.)
 Hope (50) は,英語の標準化と規範主義の関係を,前者が後者に先立つ関係であると明言する.

One of the paradoxes of the relationship between standardisation and prescriptivism is that prescriptivism always follows, rather than precedes, standardisation. It is therefore wrong to see prescriptivism as the ideological wing of standardisation: standardisation can be initiated, and can run virtually to completion (as in the case of English in the early seventeenth century), in the absence of prescriptivist comment. In fact, it is arguable that prescriptivism is impossible until standardisation has done most of its work --- since it is only in a a relatively standardised context that some language users become conscious of, and resistant to, variation.


 18世紀の規範文法で指摘されている数々の規則(例えば,多重否定の禁止)は,すでにある程度慣用として標準化していたからこそ指摘し得たのであって,しばしば誤解されているように,規範文法家の独断と偏見だったわけでは必ずしもない.この誤解は,標準化と規範主義を混同している,あるいは同時に作用したもの間違えてとらえていることによる.標準化と規範主義という2つの過程を区別し,両者の関係を正しく認識することが重要である.

 ・ Hope, Jonathan. "Rats, Bats, Sparrows and Dogs: Biology, Linguistics and the Nature of Standard English." The Development of Standard English, 1300--1800. Ed. Laura Wright. Cambridge: CUP, 2000. 49--56.
 ・ Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language. Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.

Referrer (Inside): [2012-09-25-1]

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#1929. 言語学の立場から規範主義的言語観をどう見るべきか[prescriptive_grammar][singular_they]

2014-08-08

 英語でも日本語でも,言語における規範主義 (prescriptivism) は健在であり,それに基づいた文法書や語法書が書店の一角を賑わせている.テレビや新聞などのメディアでも,正用と誤用の解説は人気コーナーであり,視聴者・読者からの賛否の投稿もしばしば目にする.これらはまとめて "linguistic complaint literature" (Millar 106) と呼ばれているが,特にイギリスでは数世紀をかけて培われてきたメディアの伝統的なジャンルといってよい.また,学校の語学教育では規範主義は幾分緩んできたとも言われるが,マルかバツかを要求する試験を前提とする教育である限り,基本的には規範の威信は絶大である.近代言語学は,従来の規範的な言語観から脱し,記述的な言語観を手に入れることにより発展してきた.その意味では,言語学と規範主義言語観とは真っ向から対立するものであり,言語学者と規範主義的な語学教師・評論家もまた鋭く対立する敵対者同士である.このことは,「#747. 記述規範」 ([2011-05-14-1]) で見たように Martinet も明言していた.
 しかし,英語史や歴史言語学を研究して言語変化を探っていると,その原因が規範主義的な言語観に基づくものだったり,あるいはそれへの反発の結果だったりすることがある.例えば,最近の記事 (##1920,1921,1922) で,近代英語以降の singular they の衰退と復活を巡る動きについて見たが,その衰退も復活も,人々の言語の規範に対する態度が時代によって移り変わってきた様子と連動していることがわかる.そうすると,言語学者(特に歴史社会言語学者)にとって,規範主義的言語観とは,決して敵対するものではなく,むしろその性質を追究すべきひとかどの研究対象ということにならないだろうか.
 この見方について,Millar (105) は,Verbal Hygiene を著わした Cameron の意見に賛意を表しながら,次のように述べている.

Cameron (1995) makes the persuasive point that the difference between description and prescription may not be as great as linguists think: after all, a description by its nature encourages a sense of what is 'normal' within a system. More importantly, she suggests that it is a good idea for linguistics to listen to what people interested in language have to say about it, primarily so that we can understand why they hold views which, from an insiders' viewpoint, appear ill-conceived or even meaningless.


 私も規範主義言語観に対するこのような見方に賛成である.言語学者も,この話題に立ち合う必要があると考える.ただし,言語学者がどこまで実際の個々の言語問題に介入すべきなのか,してよいのか,できるのかは,難しい問題である.Cameron は言語問題を一歩引いたところから静観している風であり,Crystal はやや介入型のように感じる.言語学者は規範主義的言語観をどう見るべきか――これは言語学者の間で真面目に論じてもよい話題ではないだろうか.

 ・ Millar, Robert McColl. English Historical Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2012.

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