hellog〜英語史ブログ

#519. 言語の起源と進化を探る研究分野[evolution][origin_of_language]

2010-09-28

 ここ20年くらいの間に言語の起源と進化を探る研究が活発化してきた背景については,[2010-09-24-1], [2010-01-04-1], [2010-07-02-1]などで述べてきた.私自身はこの分野に詳しいわけではないが,ことばの起源,進化,変化という,時間軸を前提としたキーワードを考えれば,英語史や歴史言語学と関連しないはずはなく,関心はもっていた.そこへ,今年の6月に近年の言語の起源・進化に関する研究がまとめられた本が出た.池内正幸氏による『ひとのことばの起源と進化』である.興味を抱いたので読んでみたら,いや,おもしろい.非常に平易に書かれていながら,この分野の最先端の知見と動向が盛り込まれており,読み終わったときにはこんなにエキサイティングな分野なのかと目が開かれた感じである.なるほど言語をこれくらい広い視野で眺めようとすれば,言語学の細分化された分野で研究する際にも大きな見方が可能になるのかもしれないなと思わせた.
 この研究分野を何と称するかはまだ決まっていないようで,著者も「ことばの起源と進化の研究」と言っている.今後注目してゆくにあたって,この分野の「困った特徴」が2点挙げられていたのでまとめておきたい (pp. 85--87) .

(1) 言語の起源と進化のプロセスは,地球や人間の長い歴史のある時点で1回だけ起こったことであり,現在において観察することができない.この点で古生物学の研究と類似する問題を抱えているが,古生物学の場合には化石という形で物的証拠が残る.ところが言語の場合には物的証拠というものがない(言語の起源と進化の痕跡がヒトの DNA のなかに物質として埋め込まれていることが判明すれば別だが).客観的な物質に基づいていないのだから,何らかの仮説や理論が提出されても,それはどこまでいってもも推測の域を出ない.せめてなし得ることは,様々な領域の研究結果を総合して「どの程度総合的に妥当な説明が与えられるか」という妥当性 ( plausibility ) を少しずつ上げてゆくことである.科学として強気に出られないところが弱点ということだろう.

(2) この分野は単に学際的なのではなく「超」学際的である.「超」がつくために領域間の共通理解が進みにくいという問題がある.学際的であるということはエキサイティングであるということだが,あまりに広い領域を包み込んでいるので「共通語」が育ちにくいという事情があるようだ.言語の起源と進化の研究に関連しうる既存する学問分野を挙げればきりがない.例えば「言語学,進化学,生物学,心理学,言語獲得,生態学,動物行動学,考古学,遺伝学,脳神経科学,コンピューター・モデリング等々」.ここには英語史や歴史言語学の分野も鋭く切り込んでゆける(はずである).

 上の2点において,言語の起源と進化の研究はしばしば比較される古生物学とは様相が異なっているということだ.

 ・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.

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#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論[speech_organ][evolution][origin_of_language]

2010-10-23

 よく知られているように,ヒトの言語の発音器官 ( speech organ ) は言語のために進化してきたわけではない.いずれも主たる機能は生存のための生理的機能である.調音機能はあくまで副次的なものであり,だからこそヒトの言語の獲得は余計に不思議に思われるのである.
 以下は O'Grady (2) より,発音器官の2重機能(生理機能と発音機能)を示す表である.

OrganSurvival functionSpeech function
Lungsto exchange CO2 and oxygento supply air for speech
Vocal cordsto create seal over passage to lungsto produce vibrations for speech sounds
Tongueto move food to teeth and back into throatto articulate vowels and consonants
Teethto break up foodto provide place of articulation for consonants
Lipsto seal oral cavityto articulate vowels and consonants
Noseto assist in breathingto provide nasal resonance during speech


 2重機能や機能転換は生物の進化においては珍しくない.鳥の羽が体温調整という本来の機能から飛翔の機能を派生させた例,魚の浮き袋が浮揚の機能から呼吸の機能を派生させた例などがある.上記のヒトの諸器官において本来の生理的機能から発話という言語的機能が派生したのと同様に,ヒトの言語能力それ自身も脳の本来的な機能から副次的に派生したものと考えられている.
 言語能力の発現については大きく2つの考え方がある(池内,pp. 93--100).1つは,脳が進化して計算能力をもてあますようになり,複雑な計算処理を要求する言語が発現し得る状況が生じたとする説である.言語は脳の増大の副産物として突如として生じたとするこの説はスパンドレル理論と呼ばれ,Chomsky などが抱いているとされる.ここでは機能上の飛躍や非連続性が強調される.
 もう1つは,言語能力に先立つ準言語能力が「前駆体」として存在しており,そこからさらに進化することによって真性の言語能力が発現したとする説である.この説は前適応理論と呼ばれている.ここでも飛躍や非連続性は想定されているが,スパンドレル理論のような突如さはない.
 喧々囂々の議論があるが,池内氏によるとスパンドレル理論には難があるという (99).脳が進化して能力をもてあましたからといって,それが言語の能力につながる必然性がない.とてつもなく複雑な計算処理を要する言語以外の機能が生じる可能性もあり得たところに,なぜ結果的にはそれが言語だったのかを論理的に説明できない.一方で,前適応理論は言語の前駆体を仮定しており,(もちろんそれが何であるかは大問題だが)そこからの言語の発現には論理的な飛躍はないという.
 上に挙げた発音器官に話しを戻そう.ここでも,進化してみたらたまたま発音に都合よくできていたから言語の発音の機能を担うようになった(スパンドレル理論)というよりは,言語の発音の前駆体(一般の動物にもある鳴き,吠え,叫びの類か?)が先に存在しており,そこからの進化によって言語の発音の機能が発現するに至った(前適応理論),と考える方が無理はないのかもしれない.
 関連する記事として[2009-10-04-1]も参照.

 ・ O'Grady, William, John Archibald, Mark Aronoff, Janie Rees-Miller. Contemporary Linguistics: An Introduction. 6th ed. Boston: Bedford/St. Martin's, 2010. (Companion Site based on the 5th edition available here.)
 ・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.

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#1544. 言語の起源と進化の年表[origin_of_language][evolution][timeline][homo_sapiens][anthropology][language_family]

2013-07-19

 「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1]),「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1]) の記事で言語の起源と進化の年表を示したが,コムリー他編の『新訂世界言語文化図鑑 世界の言語の起源と伝播』 (17) より,もう1つの言語年表を示す.

50,000 BC   アフリカからの人類の出現(最新の推定年代)
45,000 BC   
   オーストラリアへの移動
40,000 BC   ホモ・サピエンス:言語形態の存在を示唆する複雑な行動様式(物的証拠の存在)
35,000 BC   
30,000 BC   ネアンデルタール人の死滅:最も原始的な言語形態
25,000 BC   
20,000 BC   
15,000 BC   言語の多様性のピーク(推定):10,000〜15,000言語
   最終氷河期の終わり;ユーラシア語族の拡大
   新世界への移動第一波:アメリンド語族
10,000 BC   
   新世界への移動第二波:ナ・デネ語族
5,000 BC   オーストロネシア語族の拡大;台湾への移動
   インド・ヨーロッパ祖語
   インド・ヨーロッパ語族の最古の記録:ヒッタイト語,サンスクリット語
0   古典言語:古代ギリシャ語,ラテン語
500   ロマンス語派,ゲルマン語派の発生;古英語
1000   
1500   植民地時代;ピジンとクレオールの発生;標準言語の拡がり;言語消滅の加速化
2000   


 年表で言及されているネアンデルタール人は,ホモ・サピエンスが10万年前に考古学の記録に登場する以前の23万年前から3万年前にかけて生きていた.ネアンデルタール人は喉頭がいまだ高い位置にとどまっており,舌の動きが制限されていたため,発することのできる音域が限られていたと考えられている.しかし,老人や虚弱者の世話,死者の埋葬などの複雑な社会行動を示す考古学的な証拠があることから,そのような社会を成立させる必須要素として初歩的な言語形式が存在したことが示唆される.
 以下は,上と同じ年表だが,時間感覚を得られるようスケールを等間隔にとったバージョンである.

50,000 BC   アフリカからの人類の出現(最新の推定年代)
   
   
   
   
   
   
   
   
   
45,000 BC   
   
   
   
   
   
   
   
   オーストラリアへの移動
   
40,000 BC   ホモ・サピエンス:言語形態の存在を示唆する複雑な行動様式(物的証拠の存在)
   
   
   
   
   
   
   
   
   
35,000 BC   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
30,000 BC   ネアンデルタール人の死滅:最も原始的な言語形態
   
   
   
   
   
   
   
   
   
25,000 BC   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
20,000 BC   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
15,000 BC   言語の多様性のピーク(推定):10,000〜15,000言語
   
   
   
   
   
   最終氷河期の終わり;ユーラシア語族の拡大
   
   新世界への移動第一波:アメリンド語族
   
10,000 BC   
   
   
   
   
   
   新世界への移動第二波:ナ・デネ語族
   
   
   
5,000 BC   オーストロネシア語族の拡大;台湾への移動
   
   
   
   インド・ヨーロッパ祖語
   
   
   インド・ヨーロッパ語族の最古の記録:ヒッタイト語,サンスクリット語
   
   
0   古典言語:古代ギリシャ語,ラテン語
500   ロマンス語派,ゲルマン語派の発生;古英語
1000   
1500   植民地時代;ピジンとクレオールの発生;標準言語の拡がり;言語消滅の加速化
2000   


 ・ バーナード・コムリー,スティーヴン・マシューズ,マリア・ポリンスキー 編,片田 房 訳 『新訂世界言語文化図鑑 世界の言語の起源と伝播』 東洋書林,2005年.

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