hellog〜英語史ブログ

#10. 言語は人工か自然か?[esperanto][language_change][invisible_hand][artificial_language][causation]

2009-05-09

  エスペラント ( Esperanto )という言語がある.1887年にポーランドの医師ザメンホフ(Zamenhof)によって国際補助語となるべく考案された言語である.この時代には,Esperantoを含め複数の国際補助語が続々と考案されたが,その中で最も成功した人工語であり,現在10万人以上の話者がいるといわれる.文法や語彙はヨーロッパの言語,特にロマンス語を模しているが,非常に単純化されており,私もかつてかじったことがあるのだが,習得は容易そうである(←まだ習得していないということを示す).日本では日本エスペラント学会という代表機関があるので,関心のある方は参照されたい.
 Esperantoが「人工言語」(artificial language)と呼ばれることに異論はないだろうが,それでは日本語や英語などの通常の言語は「自然言語」(natural language)と呼んでよいのだろうか.学生時代に人類言語学の講義を受けたとき,先生がこのように言っていたのを思い出す.「人間が作り出したものである以上,自然言語などというものはありえない.言語はすべて人工である.」
 だが,Esperantoと英語を「人工言語」として一緒くたにするには,やはり抵抗がある.何が問題なのだろうか.
 ここで,[2009-05-07-1]に「交通渋滞と言語変化」として取り上げたKellerを再び引き合いに出す.モノには自然物と人工物があるが,後者には人工的人工物と自然的人工物の二種類があるという.これを,具体例とともに図式化してみる.

	                    things
	                      │
	  ┌─────────┴─────┐
	  │                              │
	natural                      artificial(?)
	                                  │
	                      ┌─────┴───┐
	                      │                  │
	                 artificial             natural
	
	
	the Alps         Esperanto              English
	flowers          paper flowers          traffic jam
	waterfalls       euro                   'grown' towns
	bee language     satellite cities       the Latin alphabet
	                 the Morse alphabet     Buddhism

 こう見ると,モノは二分法ではなく三分法で考える必要があることがわかる.だが,日常語では,artificial(?) の下位区分としての artificial と natural を呼び分ける用語がない.英語や日本語などは,一番右の「 artificial(?) かつ natural 」の部類に属し,人工でもあり自然でもあるという不思議な性質を帯びているのである.この部類に属する現象は,適当な用語がないので, phenomena of the third kind第三の現象 )と呼ばれている.
 交通渋滞も英語も言語変化も,個々の参加者がその成立を意図しているわけではないものの,個々の行動が集まると見えざる手 ( invisible hand ) に導かれて全体として成立の方向に向かう.Esperantoなどの少数の例外を除いて,歴史言語学の話題は原則として第三の現象を取り扱っていると考えてよい.言語の発生や言語の変化は,特定の誰かによってもたらされるものではなく,個々の人間の意図しない集合的な営みの結果として,ある意味で「自然に」生じるものなのだろう.
 人間社会における「第三の現象」の例を他にも探してみてください.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

#8. 交通渋滞と言語変化[traffic_jam][language_change][invisible_hand]

2009-05-07

 この大型連休では「千円高速」効果で,道路が一部60kmを超える異常な渋滞となったようだ.私は家でのんびり組だったので被害を免れたが,ひどい目にあった読者もいるのではないだろうか.
 さて,交通渋滞という現象について考えたことがあるだろうか.そもそも,なぜ交通渋滞は起こるのか.今回の「千円高速」という特殊なケースは別にしても,特別な理由がなさそうな場合に渋滞が起こることもよくある.業界ではこれを "traffic jam out of nowhere" というらしい.実はこの "traffic jam out of nowhere" の原理が,言語変化をはじめ,社会制度や社会慣習の生成一般にも同様に見られることが指摘されている.以下の説明にはKellerを参照した.(Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language . Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.)
 "traffic jam out of nowhere" 型の交通渋滞は次のように起こる.時速100kmで走っている先頭車Aが何らかの理由でブレーキを軽く踏み(例えば,景色を脇見したり,缶ジュースの栓を開けたり,エアコンを調整したり),時速95kmとなる.やはり時速100kmで走っていた後続車Bは,Aが速度を落としたのを見て,時速90kmまで落とす.Bは実際には時速95kmまで落とすだけで安全なのだが,Aがどれくらい減速するのか分からないので,用心して余計にブレーキを踏んでおくのである.同様に後続車C,D,E・・・も用心して余分にブレーキを踏む.そして,Sに至って完全にストップする.こうして,S以降は渋滞にはまってしまうことになる.
 この現象の要点は,Aを含め,誰も渋滞を作り出そうという意図を持っていないことだ.ただ,B以降の個々の車の運転手の意図と行動は共通している.先行車に当たらないよう用心して必要以上にブレーキを踏んだということだ.個々人としては渋滞を作り出そうという意図はないものの,全体としては渋滞に貢献してしまっている.つまり,ミクロの意図とマクロの結果の間に,個々の視点を超越したブラックボックス的な力が働いているのである.このブラックボックス的な力は 見えざる手 ( invisible hand )と呼ばれており,経済学などでよく知られている.
 Kellerによると,言語変化の原理もこの invisible hand に従うという.個々の話者は言語変化を引き起こそうという意図は毛頭ないが,ちょうど運転手が安全のために余分にブレーキを踏んでおこうと考えるのと同じように,皆に共通した関心に基づいた行動が集団として起こるとき, 見えざる手 により,言語変化が結果として生み出されるというわけだ.それでは,言語変化の場合,「皆に共通した関心に基づいた行動」とは何だろうか?言語変化のケースによって異なるだろうが,例えば長い単語を省略して発音したいとか,本来語に代えてファッショナブルな外来語のほうを好んで用いたいといった,話者間で広く共有されうる欲求が考えられる.
  invisible hand theory は言語変化を考える上でも非常に重要な理論なので,この話題にはいずれまた触れたい.

 ・ Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language. Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]