昨日『中高生の基礎英語 in English』の9月号が発売となりました.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」の第18回は「なぜ英語には類義語が多いの?」です.
英語には ask -- inquire -- interrogate のような類義語が多く見られます.多くの場合,語彙の学習は暗記に尽きるというのは事実ですので,類義語が多いというのは英語学習上の大きな障壁となります.本当は英語に限った話しではなく,日本語でも「尋ねる」「質問する」「尋問する」など類義語には事欠かないわけなので,どっこいどっこいではあるのですが,現実的には英語学習者にとって高いハードルにはちがいありません.
英語に(そして実は日本語にも)類義語が多いのは,歴史を通じて様々な言語と接触してきたからです.英語にとってとりわけ重要な接触相手はフランス語とラテン語でした.英語は,ある意味を表わす語をすでに自言語にもっていたにもかかわらず,同義のフランス語単語やラテン語単語を借用してきたという経緯があります.結果として,類義語が積み重ねられ,地層のように層状となって今に残っているのです.この語彙の地層は,典型的に下から上へ「本来の英語」「フランス語」「ラテン語」と3層に積み上げられてきたので,これを英語語彙の「3層構造」と呼んでいます.
3層構造については,hellog でも繰り返し取り上げてきました.こちらの記事セットおよび lexical_stratification の各記事をお読みください.
雑誌の連載記事では,この話題を中高生にも分かるように易しく解説しています.ぜひ手に取っていただければと思います.
7月11日に khelf(慶應英語史フォーラム)による『英語史新聞』第2号が発行されたことは,「#4824. 『英語史新聞』第2号」 ([2022-07-12-1]) でお知らせしました.第2号の4面に4問の英語史クイズが出題されていましたが,昨日,担当者が答え合わせと解説を2022年7月号外として一般公開しました.どうぞご覧ください.
私自身も今回のクイズと関連する内容について記事や放送を公開してきましたので,以下にリンクを張っておきます.そちらも補足的にご参照ください.
[ Q1 で問われている規範文法の成立年代について ]
・ hellog 「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1])
・ hellog 「#2592. Lindley Murray, English Grammar」 ([2016-06-01-1])
・ hellog 「#4753. 「英文法」は250年ほど前に規範的に作り上げられた!」 ([2022-05-02-1])
・ YouTube 「英文法が苦手なみなさん!苦手にさせた犯人は18世紀の規範文法家たちです.【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 19 】」
・ heldio 「18世紀半ばに英文法を作り上げた Robert Lowth とはいったい何者?」
[ Q2 で問われている活版印刷の始まった年代について ]
・ hellog 「#241. Caxton の英語印刷は1475年」 ([2009-12-24-1])
・ hellog 「#297. 印刷術の導入は英語の標準化を推進したか否か」 ([2010-02-18-1])
・ hellog 「#871. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由」 ([2011-09-15-1])
・ hellog 「#1312. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由 (2)」 ([2012-11-29-1])
・ hellog 「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1])
・ hellog 「#3243. Caxton は綴字標準化にどのように貢献したか?」 ([2018-03-14-1])
・ hellog 「#3120. 貴族に英語の印刷物を売ることにした Caxton」 ([2017-11-11-1])
・ hellog 「#3121. 「印刷術の発明と英語」のまとめ」 ([2017-11-12-1])
・ hellog 「#337. egges or eyren」 ([2010-03-30-1])
・ hellog 「#4600. egges or eyren:なぜ奥さんは egges をフランス語と勘違いしたのでしょうか?」 ([2021-11-30-1])
・ heldio 「#183. egges/eyren:卵を巡るキャクストンの有名な逸話」
[ Q3 で問われている食事の名前について ]
・ 「英語史コンテンツ50」より「#23. 食事って一日何回?」
・ hellog 「#85. It's time for the meal --- time と meal の関係」 ([2009-07-21-1])
・ hellog 「#221. dinner も不定詞」 ([2009-12-04-1])
[ Q4 で問われている「動物」を意味する単語の変遷について ]
・ 「英語史コンテンツ50」より「#4. deer から意味変化へ,意味変化から英語史の世界へ!」
・ hellog 「#127. deer, beast, and animal」 ([2009-09-01-1])
・ hellog 「#128. deer の「動物」の意味はいつまで残っていたか」 ([2009-09-02-1])
・ hellog 「#1462. animal の初出年について」 ([2013-04-28-1])
・ heldio 「#117. 「動物」を意味した deer, beast, animal」
今回の号外も含め『英語史新聞』第2号について,ご意見,ご感想,ご質問等がありましたら,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio よりお寄せください.アカウントのフォローもよろしくお願いします!
近刊書,高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年の紹介と関連して,ここしばらくの間,言語の標準化 (standardisation) について議論する機会が多くなってきている.しかし,そもそも standard の語源は何なのか.これまで hellog で取り上げてきたことがなかったので,今回注目してみたい.
OED で standard, n., adj., and int. を引いてみると,語形欄,語源欄,語の比較言語学的事実,そして語義記述に至るまで詳細な情報が与えられていることに圧倒される.これを読み解くだけでも一苦労だ.日々英語という言語と格闘している OED 編者たちの,この語への思い入れの強さが,ひしひしと伝わってくる.彼らにとって standard は様々な意味で「重い」単語なのだろう. *
standard は古仏語からの早い借用語で,英語での初出は12世紀半ばのことである.中英語の最初期の文献とされる The Peterborough Chronicle (pchron) の The Final Continuation より,1138年の記述のなかで「軍旗」の意味で初出する.
?a1160 Anglo-Saxon Chron. (Laud) (Peterborough contin.) anno 1138 Him [sc. the king of Scotland] com togænes Willelm eorl of Albamar..& to [read te] other æuez men mid fæu men & fuhten wid heom & flemden þe king æt te Standard.
古仏語/アングロノルマン語の estandart, standarde を借用したものということだが,このフランス単語自体の語源に諸説あり,事情は複雑なようである.OED の語源欄より引用する.
Origin: A borrowing from French. Etymons: French standarde, estandart.
Etymology: < Anglo-Norman standarde, Anglo-Norman and Old French estandart, Old French estendart (Middle French estandart, estendart, French étendard) military flag or banner, also as a (fortified) rallying point in battle (c1100), (figuratively) person worth following (c1170), upright post (a1240), large candle (a1339, only in Anglo-Norman), of uncertain origin, probably either (a) < a West Germanic compound with the literal sense 'something that stands firm' < the Germanic base of STAND v. + the Germanic base of HARD adv., or (b) < classical Latin extendere to stretch out (see EXTEND v.), or (c) < a Romance reflex of classical Latin stant-, stāns, present participle of stāre to stand (see STAND v.) + Old French -ard -ARD suffix.
3つの語源説が紹介されているが,(a) 説をとれば,西ゲルマン語の stand + hard がフランス語に入り,これが後に改めて英語に入ったということになる.また,原義の観点からいえば「直立しているもの」か「伸びているもの」かという2つの語源説があることになる.
一昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 にて「#368. 英語とフランス語で似ている単語がある場合の5つのパターン」という題でお話ししました.この放送に寄せられた質問に答える形で,本日「#370. 英語語彙のなかのフランス借用語の割合は? --- リスナーさんからの質問」を公開しましたので,ぜひお聴きください.
英語とフランス語の両方を学んでいる方も多いと思います.Voicy でも何度か述べていますが,私としては両言語を一緒に学ぶことをお勧めします.さらに,両言語の知識をつなぐものとして「英語史」がおおいに有用であるということも,お伝えしたいと思います.英語史を学べば学ぶほど,フランス語にも関心が湧きますし,その点を押さえつつフランス語を学ぶと,英語もよりよく理解できるようになります.そして,それによってフランス語がわかってくると,両言語間の関係を常に意識するようになり,もはや別々に考えることが不可能な境地(?)に至ります.英語学習もフランス語学習も,ともに楽しくなること請け合いです.
実際,語彙に関する限り,英語語彙の1/3ほどがフランス語「系」の単語によって占められます.フランス語「系」というのは,フランス語と,その生みの親であるラテン語を合わせた,緩い括りです.ここにフランス語の姉妹言語であるポルトガル語,スペイン語,イタリア語などからの借用語も加えるならば,全体のなかでのフランス語「系」の割合はもう少し高まります.
さて,その1/3のなかでの両言語の内訳ですが,ラテン語がフランス語を上回っており 2:1 あるいは 3:2 ほどいでしょうか.ただし,両言語は同系統なので語形がほとんど同一という単語も多く,英語がいずれの言語から借用したのかが判然としないケースもしばしば見られます.そこで実際上は,フランス語「系」(あるいはラテン語「系」)の語彙として緩く括っておくのが便利だというわけです.
このような英仏語の語彙の話題に関心のある方は,ぜひ関連する heldio の過去放送,および hellog 記事を通じて関心を深めていただければと思います.以下に主要な放送・記事へのリンクを張っておきます.実りある両言語および英語史の学びを!
[ heldio の過去放送 ]
・ 「#26. 英語語彙の1/3はフランス語!」
・ 「#329. フランス語を学び始めるならば,ぜひ英語史概説も合わせて!」
・ 「#327. 新年度にフランス語を学び始めている皆さんへ,英語史を合わせて学ぶと絶対に学びがおもしろくなると約束します!」
・ 「#368. 英語とフランス語で似ている単語がある場合の5つのパターン」
[ hellog の過去記事(一括アクセスはこちらから) ]
・ 「#202. 現代英語の基本語彙600語の起源と割合」 ([2009-11-15-1])
・ 「#429. 現代英語の最頻語彙10000語の起源と割合」 ([2010-06-30-1])
・ 「#845. 現代英語の語彙の起源と割合」 ([2011-08-20-1])
・ 「#1202. 現代英語の語彙の起源と割合 (2)」 ([2012-08-11-1])
・ 「#874. 現代英語の新語におけるソース言語の分布」 ([2011-09-18-1])
・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
・ 「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1])
・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
・ 「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1])
・ 「#4138. フランス借用語のうち中英語期に借りられたものは4割強で,かつ重要語」 ([2020-08-25-1])
・ 「#660. 中英語のフランス借用語の形容詞比率」 ([2011-02-16-1])
・ 「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1])
・ 「#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴」 ([2010-12-12-1])
・ 「#1225. フランス借用語の分布の特異性」 ([2012-09-03-1])
・ 「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1])
・ 「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」 ([2012-08-14-1])
・ 「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1])
・ 「#4451. フランス借用語のピークは本当に14世紀か?」 ([2021-07-04-1])
・ 「#1638. フランス語とラテン語からの大量語彙借用のタイミングの共通点」 ([2013-10-21-1])
・ 「#1295. フランス語とラテン語の2重語」 ([2012-11-12-1])
・ 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])
・ 「#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)」 ([2011-08-23-1])
・ 「#3581. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (1)」 ([2019-02-15-1])
・ 「#3582. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (2)」 ([2019-02-16-1])
・ 「#4453. フランス語から借用した単語なのかフランス語の単語なのか?」 ([2021-07-06-1])
・ 「#3180. 徐々に高頻度語の仲間入りを果たしてきたフランス・ラテン借用語」 ([2018-01-10-1])
古英語を含む西ゲルマン諸語,北ゲルマン諸語語,そしてラテン語などの歴史にも観察されてきた rhotacism は,母音間で [s] や [z] などが [r] に変化する音変化である.自鳴音化 (sonorisation) の特殊な例とみることもできるし,広く "lenition" の1種ともみなすことができる(cf. 「#4684. 脱口音化」 ([2022-02-22-1])).Bybee (32) がこのことに言及している.
Another form of sonorization is rhotacism, a change by which an [s] or [z] becomes an [r]. Such a change occurred in Latin as exemplified by the alternation corpus, corpora 'body, nom./acc.sg. and pl.', opus, opera 'work, nom./acc.sg. and pl.' and In Germanic where Old English infinitive cēosan 'to choose' has a past participle coren, and wæs alternates with wǣre/wǣren 'were'. This change involves voicing and loss of fricative closure; it takes place intervocalically.
英語史においても,また現代英語の語彙を考える上でも,古英語やラテン語での rhotacism の効果を認識しておくことは重要である.引用にも was/were にとどまらず,us/our, lose/lorn, raise/rear, そして究極的には is/are の関係も,rhotacism の仕業である.
ラテン借用語からは,引用にみえる opus/opera, corpus/corpora の単数形・複数形の例のほか,corpus/corporal, Venus/venereal, virus/viral のような名詞・形容詞の関係にも rhotacism の効果がみてとれる.
rhotacism の理解をさらに深めるには,次の記事などを参照.
・ 「#36. rhotacism」 ([2009-06-03-1])
・ 「#393. Venus は欲望の権化」 ([2010-05-25-1])
・ 「#3192. 西,北,東ゲルマン語群の間にみられる音韻・形態・統語上の主要な差違」 ([2018-01-22-1])
・ 「#3812. was と were の関係」 ([2019-10-04-1])
・ Bybee, Joan. Language Change. Cambridge: CUP, 2015.
現代英語で <ae> というスペリングは稀である.この2文字を組み合わせて1文字とした合字 (ligature) である <æ> に至っては,(発音記号を除けば)ますます稀だ.稀どころか,通常はお目にかからないだろう.近代の印刷では encyclopædia や mediæval などのスペリングが普通にみられたが,現在では合字ではなく2文字に分けて encyclopaedia や mediaeval と綴られるようになり,アメリカ式ではそもそも <ae> すら用いずに <e> で済ませて encyclopedia や medieval のスペリングが一般的である.
古英語以来,<æ> や <ae> のスペリングは盛衰を繰り返してきた.古英語では <æ> はアルファベットを構成する正規の文字であり,ごく普通に用いられた.ところが,12--13世紀には衰退し,対応する母音は単純に <a> で綴られるようになった(cf. 「#3998. なぜ apple の a は普通の「ア」ではなく「エァ」に近い発音なのですか?」 ([2020-04-07-1])).
ところが,ギリシア語やラテン語から借用語が大量に流入した16世紀に,それらの古典語に含まれていた ai や ae が英語においては <æ> の文字で取り込まれることになり,リバイバルを果たした.しかし,上記のように近現代にかけて合字 <æ> は2文字の <ae> で綴りなおされることになり,さらに <e> に簡略化されることも多くなり,現在に至る.現在では <ae> も <æ> も日の目を見ないスペリングに成り果てている (Upward and Davidson 179--80) .
稀に <ae> のスペリングを保持しているものは,ほぼすべてギリシア語 <ai> を含んだ借用語,あるいはそれがラテン語を経由して <ae> と変化したものに由来するといってよい.英語では古くは原則として <ae> ≡ /eː/ の対応関係があったが,大母音推移 (gvs) を経て,今では <ae> ≡ /iː/ の対応関係が一般的である.Carney (283) より,いくつか単語例を示そう.
・ in §Greek words --- aegis, aeon, aesthetic, anaemia, anaesthetist, archaeology, encyclopaedia, leukaemia, paean, etc.;
・ in classical names --- Aegean, Aeneas, Aesop, Athenaeum, Caesar, Judaea, Bacchae, Mycenae, Thermopylae;
・ the Latin feminine plural in scientific terms --- alumnae, aortae, lacunae,, lamellae, ulnae, etc.
ところが,<ae> に <r> が後続する場合に関しては独自の事情があり,現在 <aer> ≡ /ɛə(r)/ が成立している.aeration, aerial, aerobic, aerodrome, aeronaut, aerosol, anaerobic などである.ほぼすべてがギリシア語に由来し,近代の借用語・造語として連結形 (combining_form) aero- を含んでいある (Carney 282) .語源的にも意味的にも air /ɛə(r)/ と関連するため, 互いの発音が結びつけられただろうことは容易に想像できる.ちなみに「飛行機」を意味する airplane について,イギリス英語では aeroplane の語形・綴字が根強い.
なお本記事は,先日「Mond」に寄せられた aerobics などの接頭辞 aero- を,「エアロ」と発音するのはなぜでしょうか?という問いに焚きつけられて執筆した.そちらへの回答もどうぞ.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
英語が各時代に接触してきた言語との関係を通じて英語の語彙史を描くことは,英語史のスタンダードの1つである.本ブログでも「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]),「#2615. 英語語彙の世界性」 ([2016-06-24-1]),「#2966. 英語語彙の世界性 (2)」 ([2017-06-10-1]),「#3381. 講座「歴史から学ぶ英単語の語源」」 ([2018-07-30-1]),「#4130. 英語語彙の多様化と拡大の歴史を視覚化した "The OED in two minutes"」 ([2020-08-17-1]) などで繰り返し紹介してきた.
これとおよそ連動はするのだが独立した試みとして,英語が各時代に接触してきた言語との関係を通じて英語のスペリング史を描くこともできる.そして,この試みは必ずしもスタンダードではなく,英語史のなかでの扱いは小さかったといってよい.
英語のスペリング史と言語接触 について Horobin (113) が次のように述べている.
English spelling is a concoction of written forms drawn from a variety of languages through processes of inheritance and borrowing. At every period in its history, the English lexicon contains words inherited from earlier stages, as well as new words introduced from foreign languages. But this distinction should not be applied too straightforwardly, since inherited words have frequently been subjected to changes in their spelling over time. Similarly, while words drawn from foreign language may preserve their native spellings intact, they frequently undergo changes in order to accommodate to native English spelling patterns.
語彙史とスペリング史は,しばしば連動するが,原則とした独立した歴史である,という捉え方だ.これはとても正しい見方だと思う.Horobin は同論考のなかで,英語史の各時代ごとにスペリングに影響を及ぼした言語・方言について次のような見取り図を示している.論考のセクション・タイトルを抜き出す形でまとめてみよう.
3週間前のことですが,1月22日(土)に,ひと・ことばフォーラムのシンポジウム「言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から」の一環として「初期近代英語期における語彙拡充の試み」をお話しする機会をいただきました.Zoom によるオンライン発表でしたが,その後のディスカッションを含め,たいへん勉強になる時間でした.主催者の方々をはじめ,シンポジウムの他の登壇者や出席者参加者の皆様に感謝申し上げます.ありがとうございました.
私の発表は,すでに様々な機会に公表してきたことの組み替えにすぎませんでしたが,今回はシンポジウムの題に含まれる「対照言語史」 (contrastive_linguistics) を意識して,とりわけ日本語史における語彙拡充の歴史との比較対照を意識しながら情報を整理しました.
当日利用したスライドを公開します.スライドからは本ブログ記事へのリンクも多く張られていますので,合わせてご参照ください.
1. ひと・ことばフォーラム言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から初期近代英語期における語彙拡充の試み
2. 初期近代英語期における語彙拡充の試み
3. 目次
4. 1. はじめに --- 16世紀イングランド社会の変化
5. 2. 統合失調症の英語 --- ラテン語への依存とラテン語からの独立
6. 英語が抱えていた3つの悩み
7. 3. 独立を目指して
8. 4. 依存症の深まり (1) --- 語源的綴字
9. 5. 依存症の深まり (2) --- 語彙拡充
10. オープン借用,むっつり借用,○製△語
11. 6.「インク壺語」の大量借用
12. 7. 大量借用への反応
13. 8. インク壺語,チンプン漢語,カタカナ語の対照言語史
14. 9. まとめ
15. 語彙拡充を巡る独・日・英の対照言語史
16. 参考文献
英語史では,ヴァイキング時代(8世紀半ばから11世紀まで)における英語と古ノルド語 (old_norse) の濃密な言語接触 (contact) がしばしば話題となる.本ブログでも関連する多くの記事を書いてきたが,そこで前提としてきたのは両言語(話者)がおよそ対等の関係にあったということだ.
2言語の関わる言語接触の多くのケースでは,社会言語学的な上下の区別が明確である.アングロサクソンのブリテン島侵略時の英語とケルト語の言語接触では,英語が上位 (superstratum) でケルト語が下位 (substratum) だった.また,ノルマン征服以後の英語とフランス語の言語接触では,英語が下位 (substratum) でフランス語が上位 (superstratum) だった.
しかし,社会言語学的な上下が明確ではなく,2つの言語が横並び (adstratum) となるケースもある.上記の英語と古ノルド語の言語接触は,その典型例として挙げられることが多い.
このような例をもう1つ挙げるとすると,ローマンケルト語とフランク語の言語接触が候補となる.一見すると支配者たちの母語であるフランク語が上位で,被支配者たちの母語であるローマンケルト語が下位という社会言語学的な関係が成立していただろうと考えられるかもしれないが,Millar (4--5) によると横並びと考えるのが最も適切だという.
In post-Roman Gaul, for instance, the relationship between the military dominant Franks and the Romano-Celtic population whom they ruled was not one of a genuinely superstratal versus substratal type. Instead, the relationship between the two groupings are best described as adstratal. While the military power of the Franks was considerable, their administration for Roman tradition and lifestyle was perpetually present; they were often bilingual. By the same token, the Gallo-Roman elite appear to have been happy to take on aspects of Frankish culture --- in particularly, names --- from an early period. No doubt they were more than aware of the centre towards which power, influence and capital of various sorts was now flowing. The Frankish influence upon the ancestor of modern French are visible, therefore, but they tend to be concentrated in particular semantic fields, such as the technology and practice of warfare and fortification, where the Franks' primary expertise and power base lay. A good example of this is Modern French maréchal 'supreme war leader', but originally 'leader of the cavalry', borrowed early on from Frankish.
英語史とフランス語史に関わる "adstratal relationship" を示す2例として銘記しておきたい.
・ Millar, Robert McColl. Contact: The Interaction of Closely Related Linguistic Varieties and the History of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2016.
英語は現代世界で最も有力なリンガ・フランカ (lingua_franca) であり,ELF (= English as a Lingua Franca; cf. elf) と呼ばれている.人類史上,その時代その時代で「世界」として捉えられていた領域において,異なる言語を母語話者とする人々の間で共通語として用いられてきた有力なリンガ・フランカが存在してきた.例えば,サンスクリット語,ギリシア語,ラテン語,アラビア語,ポルトガル語,フランス語,中国語などはいずれも各自の世界のなかでリンガ・フランカとして機能してきた歴史をもつ.
21世紀の現代世界において(これは正真正銘の地球規模の「世界」である)においては,英語がリンガ・フランカの役割を担っているわけだが,歴代のリンガ・フランカと比べて異なる点はあるのだろうか.ELF の際だった特徴は何なのだろうか.Jenkins (549) は,(1) 規模の大きさと,(2) 大多数の英語話者が外国語としての英語の話者,換言すれば Kachru のいう "expanding circle" に属する人々であるという2点を挙げている (cf. 「#217. 英語話者の同心円モデル」 ([2009-11-30-1])) .
ENGLISH as a Lingua Franca (henceforth ELF) has much in common with other lingua francas (contact language used by people who do not share a first language) that have existed over many centuries. Languages such as Sanskrit, Greek, Latin, Arabic and Portuguese among others have all, at various times, served lingua franca functions, while English itself has been a lingua franca since the late 16th century, when the countries of the outer circle . . . were first colonised by the British. ELF differs from all the previous lingua francas, however, in terms of its scale. Because English has become so closely bound up with the phenomenon of globalization . . . , it is spoken by larger numbers of people across a far wider range of countries than is true of any other lingua franca past or present, including earlier manifestations of English. And the majority of these people, perhaps as many as two billion . . . , come from the countries of the expanding circle . . . . These are countries, particularly in mainland Europe, East Asia, and, to a lesser extent, Latin America, where English is neither a mother tongue nor a postcolonial language. So although ELF is used as a contact language both across and within all three of Kachru's circles, inner, outer, and expanding, it is above all an expanding circle phenomenon . . . .
考えてみれば2つとも自明の特徴のように思われるが,自明な点こそ忘れずに押さえておく必要がある.ELF の歴史上の意義は,史上最多の人口が関わっているということ,そして何よりも "expanding circle phenomenon" であるということだ.
リンガ・フランカという用語それ自体については,「#1086. lingua franca (1)」 ([2012-04-17-1]),「#1087. lingua franca (2)」 ([2012-04-18-1]),「#1088. lingua franca (3)」 ([2012-04-19-1]) を参照.
また,リンガ・フランカとして英語としばしば比較されるラテン語については,「#4504. ラテン語の来し方と英語の行く末」 ([2021-08-26-1]),「#4505. 「世界語」としてのラテン語と英語とで,何が同じで何が異なるか?」 ([2021-08-27-1]) を参照.
・ Jenkins, Jennifer. "English as a Lingua Franca in the Expanding Circle." Chapter 27 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 549--66.
昨日の記事「#4504. ラテン語の来し方と英語の行く末」 ([2021-08-26-1]) に引き続き,「世界語」としての両者がたどってきた歴史を比べることにより英語の未来を占うことができるだろうか,という問題について.
ラテン語と英語をめぐる歴史社会言語学的な状況について,共通点と相違点を思いつくままにブレストしてみた.
[ 共通点 ]
・ 話し言葉としては様々な(しばしば互いに通じない)言語変種へ分裂したが,書き言葉としては1つの標準的変種におよそ収束している
・ 潜在的に非標準変種も norm-producing の役割を果たし得る(近代国家においてロマンス諸語は各々規範をもつに至ったし,同じく各国家の「○○英語」が規範的となりつつある状況がある)
・ ラテン語は多言語のひしめくヨーロッパにあってリンガ・フランカとして機能した.英語も他言語のひしめく世界にあってリンガ・フランカとして機能している.
[ 相違点 ]
・ ラテン語は死語であり変化し得ないが,英語は現役の言語であり変化し続ける
・ ラテン語の規範は不変的・固定的だが,英語の規範は可変的・流動的
・ ラテン語は書き言葉と話し言葉の隔たりが大きく,前者を日常的に用いる人はいない(ダイグロシア的).しかし,英語については,標準英語話者に関する限りではあるが,書き言葉と話し言葉の隔たりは比較的小さく,前者に近い変種を日常的に用いる人もいる(非ダイグロシア的)
・ ラテン語は地理的にヨーロッパのみに閉じていたが,英語は世界を覆っている
・ ラテン語には中世以降母語話者がいなかったが,英語には母語話者がいる
・ ラテン語は学術・宗教を中心とした限られた(文化的程度の高い)分野において主として書き言葉として用いられたが,英語は分野においても媒体においても広く用いられる
・ ラテン語の規範を定めたのは使用者人口の一部である社会的に高い階層の人々.英語の規範を定めたのも,18世紀を参照する限り,使用者人口の一部である社会的に高い階層の人々であり,その点では似ているといえるが,21世紀の英語の規範を作っている主体はおそらくかつてと異なるのではないか.一般の英語使用者が集団的に規範制定に関与しているのでは?
時代も状況も異なるので,当然のことながら相違点はもっと挙げることができる.例えば,関わってくる話者人口などを比較すれば,2桁も3桁も異なるだろう.一方,共通項をくくり出すには高度に抽象的な思考が必要で,そう簡単にはアイディアが浮かばない.皆さん,いかがでしょうか.
英語の未来を考える上で,英語史はさほど役に立たないと思っています.しかし,人間の言語の未来を考える上で,英語史は役に立つだろうと思って日々英語史の研究を続けています.
かつてヨーロッパではリンガ・フランカ (lingua_franca) としてラテン語が長らく栄華を誇ったが,やがて各地で様々なロマンス諸語へ分裂していき,近代期中に衰退するに至った.この歴史上の事実は,英語の未来を考える上で必ず参照されるポイントである.英語は現代世界でリンガ・フランカの役割を担うに至ったが,一方で諸英語変種 (World Englishes) へと分裂しているのも事実もあり,将来求心力を維持できるのだろうか,と議論される.ある論者はラテン語と同じ足跡をたどることは間違いないという予想を立て,別の論者はラテン語と英語では歴史的状況が異なり単純には比較できないとみる.
両言語の比較に基づいた議論をする場合,当然ながら,歴史的事実を正確につかんでおくことが重要である.しかし,とりわけラテン語に関して,大きな誤解が広まっているのではないか.ラテン語がロマンス諸語へ分裂したと表現する場合,前提とされているのは,ラテン語がそれ以前には一枚岩だったということである.ところが,話し言葉に関する限り,ラテン語はロマンス諸語へ分裂する以前から各地で地方方言が用いられていたのであり,ある意味では「ロマンス諸語への分裂」は常に起こっていたことになる.ラテン語が一枚岩であるというのは,あくまで書き言葉に関する言説なのである.McArthur (9--10) は,"The Latin fallacy" という1節でこの誤解に対して注意を促している.
Between a thousand and two thousand years ago the language of the Romans was certainly central in the development of the entities we now call 'the Romance languages'. In some important sense, Latin drifted among the Lusitani into 'Portuguese', among the Dacians into 'Romanian', among the Gauls and Franks into 'French', and so on. It is certainly seductive, therefore, to wonder whether American English might become simply 'American', and be, as Burchfield has suggested, an entirely distinct language in a century's time from British English.
There is only one problem. The language used as a communicative bond among the citizens of the Roman Empire was not the Latin recorded in the scrolls and codices of the time. The masses used 'popular' (or 'vulgar') Latin, and were apparently extremely diverse in their use of it, intermingled with a wide range of other vernaculars. The Romance languages derive, not from the gracious tongue of such literati as Cicero and Virgil, but from the multifarious usages of a population most of whom were illiterati.
'Classical' Latin had quite a different history from the people's Latin. It did not break up at all, but as a language standardized by manuscript evolved in a fairly stately fashion into the ecclesiastical and technical medium of the Middle Ages, sometimes known as 'Neo-Latin'. As Walter Ong has pointed out in Orality and Literacy (1982), this 'Learned Latin' survived as a monolith through sheer necessity, because Europe was 'a morass of hundreds of languages and dialects, most of them never written to this day'. Learned Latin derived its power and authority from not being an ordinary language. 'Devoid of baby talk' and 'a first language to none of its users', it was 'pronounced across Europe in often mutually unintelligible ways but always written the same way' (my italics).
The Latin analogy as a basis for predicting one possible future for English is not therefore very useful, if the assumption is that once upon a time Latin was a mighty monolith that cracked because people did not take proper care of it. That is fallacious. Interestingly enough, however, a Latin analogy might serve us quite well if we develop the idea of a people's Latin that was never at any time particularly homogeneous, together with a text-bound learned Latin that became and remained something of a monolith because European society needed it that way.
引用の最後にもある通り,この「ラテン語に関する誤謬」に陥らないように注意した上で,改めてラテン語の来し方と英語の行く末を比較してみるとき,両言語を取り巻く歴史社会言語学的状況にはやはり共通点があるように思われる.英語の未来を予想しようとする際の不確定要素の1つは,世界がリンガ・フランカとしての英語をどれくらい求めているかである.その欲求が強く存在している限り,少なくとも書き言葉においては,ラテン語がそうだったように,共通語的な役割を維持していくのではないか.
・ McArthur, Tom. "The English Languages?" English Today 11 (1987): 9--11.
英語史上,2度借用された語というものがある.ある時代にあるラテン語単語などが借用された後,別の時代にその同じ語があらためて借用されるというものである.1度目と2度目では意味(および少し形態も)が異なっていることが多い.
例えば,ラテン語 magister は,古英語の早い段階で借用され,若干英語化した綴字 mægester で用いられていたが,10世紀にあらためて magister として原語綴字のまま受け入れられた (cf. 「#1895. 古英語のラテン借用語の綴字と借用の類型論」 ([2014-07-05-1])).
中英語期と初期近代英語期からも似たような事例がみられる.fastidious というラテン語単語は1440年に「傲岸不遜な」の語義で借用されたが,その1世紀後には「いやな,不快な」の語義で用いられている(後者は現代の「気難しい,潔癖な」の語義に連なる).また,Chaucer は artificial, declination, hemisphere を天文学用語として導入したが,これらの語の現在の非専門的な語義は,16世紀の再借用時の語義に基づく.この中英語期からの例については,Baugh and Cable (222--23) が次のような説明を加えている.
A word when introduced a second time often carries a different meaning, and in estimating the importance of the Latin and other loanwords of the Renaissance, it is just as essential to consider new meanings as new words. Indeed, the fact that a word had been borrowed once before and used in a different sense is of less significance than its reintroduction in a sense that has continued or been productive of new ones. Thus the word fastidious is found once in 1440 with the significance 'proud, scornful,' but this is of less importance than the fact that both More and Elyot use it a century later in its more usual Latin sense of 'distasteful, disgusting.' From this, it was possible for the modern meaning to develop, aided no doubt by the frequent use of the word in Latin with the force of 'easily disgusted, hard to please, over nice.' Chaucer uses the words artificial, declination, and hemisphere in astronomical sense but their present use is due to the sixteenth century; and the word abject, although found earlier in the sense of 'cast off, rejected,' was reintroduced in its present meaning in the Renaissance.
もちろん見方によっては,上記のケースでは,同一単語が2度借用されたというよりは,既存の借用語に対して英語側で意味の変更を加えたというほうが適切ではないかという意見はあるだろう.新旧間の連続性を前提とすれば「既存語への変更」となり,非連続性を前提とすれば「2度の借用」となる.しかし,Baugh and Cable も引用中で指摘しているように,語源的には同一のラテン語単語にさかのぼるとしても,英語史の観点からは,実質的には異なる時代に異なる借用語を受け入れたとみるほうが適切である.
OED のような歴史的原則に基づいた辞書の編纂を念頭におくと,fastidious なり artificial なりに対して,1つの見出し語を立て,その下に語義1(旧語義)と語義2(新語義)などを配置するのが常識的だろうが,各時代の話者の共時的な感覚に忠実であろうとするならば,むしろ fastidious1 と fastidious2 のように見出し語を別に立ててもよいくらいのものではないだろうか.後者の見方を取るならば,後の歴史のなかで旧語義が廃れていった場合,これは廃義 (dead sense) というよりは廃語 (dead word) というべきケースとなる.いな,より正確には廃語彙項目 (dead lexical item; dead lexeme) と呼ぶべきだろうか.
この問題と関連して「#3830. 古英語のラテン借用語は現代まで地続きか否か」 ([2019-10-22-1]) も参照.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
なぜ doubt の綴字には発音しない <b> があるのか,というのは英語の綴字に関する素朴な疑問の定番である.これまでも多くの記事で取り上げてきたが,主要なものをいくつか挙げておこう.
・ 「#1943. Holofernes --- 語源的綴字の礼賛者」 ([2014-08-22-1])
・ 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])
・ 「#3227. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第4回「doubt の <b>--- 近代英語のスペリング」」 ([2018-02-26-1])
・ 「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら,犯人は中世から近代にかけての「見栄」と「惰性」だった.」(DMM英会話ブログさんによるインタビュー)
doubt の <b> の問題については,16世紀末からの有名な言及がある.Shakespeare による初期の喜劇 Love's Labour's Lost のなかで,登場人物の1人,衒学者の Holofernes (一説には実在の Richard Mulcaster をモデルとしたとされる)が <b> を発音すべきだと主張するくだりがある.この喜劇は1593--94年に書かれたとされるが,当時まさに世の中で inkhorn_term を巡る論争が繰り広げられていたのだった(cf. 「#1408. インク壺語論争」 ([2013-03-05-1])).この時代背景を念頭に Holofernes の台詞を読むと,味わいが変わってくる.その核心部分は「#1943. Holofernes --- 語源的綴字の礼賛者」 ([2014-08-22-1]) で引用したが,もう少し長めに,かつ1623年の第1フォリオから改めて引用したい(Smith 版の pp. 195--96 より).
Actus Quartus.
Enter the Pedant, Curate and Dull.
Ped. Satis quid sufficit.
Cur. I praise God for you sir, your reasons at dinner haue beene sharpe & sententious: pleasant without scurrillity, witty without affection, audacious without impudency, learned without opinion, and strange without heresie: I did conuerse this quondam day with a companion of the Kings, who is intituled, nominated, or called, Dom Adriano de Armatha.
Ped. Noui hominum tanquam te, His humour is lofty, his discourse peremptorie: his tongue filed, his eye ambitious, his gate maiesticall, and his generall behauiour vaine, ridiculous, and thrasonical. He is too picked, too spruce, to affected, too odde, as it were, too peregrinat, as I may call it.
Cur. A most singular and choise Epithat,
Draw out his Table-booke,
Ped. He draweth out the thred of his verbositie, finer than the staple of his argument. I abhor such phnaticall phantasims, such insociable and poynt deuise companions, such rackers of ortagriphie, as to speake dout fine, when he should say doubt; det, when he shold pronounce debt; d e b t, not det: he clepeth a Calf, Caufe: halfe, hawfe; neighbour vocatur nebour; neigh abreuiated ne: this is abhominable, which he would call abhominable: it insinuateth me of infamie: ne inteligis domine, to make franticke, lunaticke?
Cur. Laus deo, bene intelligo.
Ped. Bome boon for boon prescian, a little scratched, 'twill serue.
第1フォリオそのものからの引用なので,読むのは難しいかもしれないが,全体として Holofernes (= Ped.) の衒学振りが,ラテン語使用(というよりも乱用)からもよく伝わるだろう.当時実際になされていた論争をデフォルメして描いたものと思われるが,それから400年以上たった現在もなお「なぜ doubt の綴字には発音しない <b> があるのか?」という素朴な疑問の形で議論され続けているというのは,なんとも息の長い話題である.
・ Smith, Jeremy J. Essentials of Early English. 2nd ed. London: Routledge, 2005.
目下開催中の「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,昨日学部生より公表された「先生,進行形の ing って現在分詞なの?動名詞なの?」です.動詞の進行形の歴史をひもとき,形式上は現在分詞の構文の流れを汲んでいるが,機能上は動名詞の構文の流れを汲んでいることを指摘したコンテンツです.
be + -ing として表現される進行形 (progressive form) の起源と発達については,英語史上多くの議論がなされてきました.諸説紛々としており,今なお定説と呼べるものがあるかどうかも怪しい状況です.研究史については Mustanoja (584--90) によくまとまっています.以下,それに依拠して概略を述べましょう.
古英語には,現代英語の be + -ing の前駆体というべき構文として wesan/beon + -ende がありました.当時の現在分詞は -ende という形態を取っており,後に込み入った事情で -ing に置き換えられたという経緯があります(cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]),「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])).古英語の wesan/beon + -ende は,確かに継続を含意する文脈で用いられることもありましたが,そうでないことも多く,機能的には後世の進行形に直接つながるものかどうかは不確かです.また,起源としてはラテン語の対応する構文の模倣であるとも言われています.中英語期に入ると,この構文はむしろ目立たなくなります.方言によっても生起頻度に偏りがみられました.しかし,中英語後期にかけて着実に成長し始め,近現代英語の進行形に連なる流れを作り出しました.典型的に継続を表わす現代的な用法が発達し確立したのは,16世紀以降のことです.
進行形の起源と発達をざっと概観しましたが,その詳細は実に複雑で,英語史研究上,喧喧諤諤の議論が繰り広げられてきました.古英語の対応構文からの地続きの発達であるという説もあれば,後世の「on + 動名詞」の構文からの派生であるという説もあります.この2つの説を組み合わせた穏当な第3の説も提案されており,これが今広く受け入れられている説となっているようです.
他言語からの影響による発達という議論も多々あります.上述の通り,古英語の wesan/beon + -ende はラテン語の対応構文を模倣したものであるというのが有力な説です.中英語期での使用については,古フランス語の対応構文の影響も疑われています.さらに,ケルト語影響説まで提案されています(cf. 「#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について」 ([2019-08-07-1])).
進行形は,このように英語史研究の魅力的な題材であり続けています.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
「英語史導入企画2021」のために昨日公表されたコンテンツは,大学院生による「Synonyms at Three Levels」でした.これは何のことかというと「英語語彙の三層構造」の話題です.「恐れ,恐怖」を意味する英単語として fear -- terror -- trepidation などがありますが,これらの類義語のセットにはパターンがあります.fear は易しい英語本来語で,terror はやや難しいフランス語からの借用語,trepidation は人を寄せ付けない高尚な響きをもつラテン語からの借用語です.英語の歴史を通じて,このような類義語が異なる時代に異なる言語から供給され語彙のなかに蓄積していった結果が,三層構造というわけです.上記コンテンツのほか,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) より具体例を覗いてみてください.
さて,「英語語彙の三層構造」は英語史では定番の話題です.定番すぎて神話化しているといっても過言ではありません.そこで本記事では,あえてその脱神話化を図ろうと思います.以下は英語史上級編の話題になりますのでご注意ください.すでに「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1]) や「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1]) でも部分的に取り上げてきた話題ですが,今回は上記コンテンツに依拠しながら fear -- terror -- trepidation という3語1組 (triset) に焦点を当てて議論してみます.
(1) コンテンツ内では,この triset のような「類例は枚挙に遑がない」と述べられています.私自身も英語史概説書や様々な記事で同趣旨の文章をたびたび書いてきたのですが,実は「遑」はかなりあるのではないかと考えています.「類例をひたすら挙げてみて」と言われてもたいした数が挙がらないのが現実です.しかも「きれい」な例を挙げなさいと言われると,これは相当に難問です.
(2) 今回の fear - terror - trepidation はかなり「きれい」な例のようにみえます.しかしどこまで本当に「きれい」かというのが私の問題意識です.一般の英語辞書の語源欄では確かに terror はフランス語から,trepidation はラテン語から入ったとされています.おおもとは両語ともラテン語にさかのぼり,前者は terrōrem,後者は trepidātiō が語源形となります(ちなみに,ともに印欧語根は *ter- にさかのぼり共通です).terror はもともとラテン語の単語だったけれどもフランス語を経由して英語に入ってきたという意味において「フランス語からの借用語」と表現することは,語源記述の慣習に沿ったもので,まったく問題はありません.
ところが,OED の terror の語源記述をみると "Of multiple origins. Partly a borrowing from French. Partly a borrowing from Latin." とあります.「フランス語からの借用語である」とは断定していないのです.語源学的にいって,この種の単語はフランス語から入ったのかラテン語から入ったのか曖昧なケースが多く,研究史上多くの議論がなされてきました.この議論に関心のある方はこちらの記事セットをご覧ください.
難しい問題ですが,私としては terror をひとまずフランス借用語と解釈してよいだろうとは考えています.その根拠の1つは,中英語での初期の優勢な綴字がフランス語風の <terrour> だったことです.ラテン語風であれば <terror> となるはずです.逆にいえば,現代英語の綴字 <terror> は,後にラテン語綴字を参照した語源的綴字 (etymological_respelling) の例ということになります.要するに,現代の terror は,後からラテン語風味を吹き込まれたフランス借用語ということではないかと考えています.
この terror の出自の曖昧さを考慮に入れると,問題の triset は典型的な「英語 -- フランス語 -- ラテン語」の型にがっちりはまる例ではないことになります.少なくとも例としての「きれいさ」は,100%から80%くらいまでに目減りしたように思います.
(3) 次に trepidation についてですが,OED によればラテン語から直接借用されたものとあります.一方,研究社の『英語語源辞典』は,フランス語 trépidation あるいはラテン語 trepidātiō(n)- に由来するものとし,慎重な姿勢をとっています.なお,この単語の英語での初出は1605年ですが,OED 第2版の情報によると,フランス語ではすでに15世紀に trépidation が文証されているということです.terror に続き trepidation の出自にも曖昧なところが出てきました.問題の triset の「きれいさ」は,80%からさらに70%くらいまで下がった感じがします.
(4) コンテンツ内でも触れられているように,三層構造の中層を占めるフランス借用語層は,実際には下層を占める英語本来語層とも融合していることが多いです (ex. clear, cry, fool, humour, safe) .きれいな三層構造を構成しているというよりは,英仏語の層をひっくるめたり,仏羅語の層をひっくるめたりして,二層構造に近くなるという側面があります.
さらに「逆転二層構造」と呼ぶべき典型的でない例も散見されます.例えば,同じ「谷」でも中層を担うはずのフランス借用語 valley は日常的な響きをもちますが,下層を担うはずの英語本来語 dale はかえって文学的で高尚な響きをもつともいえます.action/deed, enemy/foe, reward/meed も類例です(cf. 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])).英語語彙の三層構造は,本当のところは評判ほど「きれい」でもないのです.
以上,「英語語彙の三層構造」の脱神話化を図ってみました.私も全体論としての「英語語彙の三層構造」を否定する気はまったくありません.私自身いろいろなところで書いてきましたし,今後も書いてゆくつもりです.ただし,そこに必ずしも「きれい」ではない側面があることには留意しておきたいと思うのです.
英語語彙の三層構造の諸側面に関心をもった方はこちらの記事セットをどうぞ.
年度初めから5月末まで開催中の「英語史導入企画2021」も後半戦に入ってきました.昨日大学院生より公表されたコンテンツは「ことばの中にひそむ「星」」です.star や astrology (占星術)を中心とする英単語の語源・語誌エッセーで,本企画の趣旨にピッタリです.まさかの展開で,話しが disaster, consider, desire, influenza, disposition にまで及んでいきます.きっと英単語の語源に興味がわくことと思います.
星好きの私も,星(座)に関係する話題をいくつか書いてきましたので紹介します.まず,上記コンテンツの関心と重なる star の語源について「#1602. star の語根ネットワーク」 ([2013-09-15-1]) をどうぞ.
英語 star とラテン語 stella (cf. フランス語 etoile)を比べると r と l の違いがありますが,これはどういうことかと疑問に思ったら「#1597. star と stella」 ([2013-09-10-1]) をご覧ください.
次に star の形態についてです.古英語では steorra,中英語では sterre などの綴字で現われるのが普通で,母音は /a/ ではなく /e/ だったと考えられます.なぜこれが /a/ へと変化し,語の綴字としてもそれを反映して star とされたのでしょうか.実は,現代英語の heart, clerk, Derby, sergeant などの発音と綴字の問題にも関わるおもしろいトピックです.「#2274. heart の綴字と発音」 ([2015-07-19-1]) をどうぞ.
占星術といえば黄道十二宮や星座の名前が関連してきます.ここに,英語史を通じて育まれてきた語彙階層 (lexical_stratification) の具体例を観察することができます.「うお座」は the Fish ですが,学術的に「双魚宮」という場合には Pisces となりますね.ぜひ「#3846. 黄道十二宮・星座名の語彙階層」 ([2019-11-07-1]) をお読みください.また,英語での星座名の一覧は「#3707. 88星座」 ([2019-06-21-1]) より.
star 周りの素材のみを用いて英語史することが十分に可能です.以上すべてをひっくるめて読みたい場合は,こちらの記事セットを.
印欧語族では「疑い」と「2」は密接な関係にあります.日本語でも「二心をいだく」(=不忠な心,疑心をもつ)というように,真偽2つの間で揺れ動く心理を表現する際に「2」が関わってくるというのは理解できる気がします.しかし,印欧諸語では両者の関係ははるかに濃密で,語形成・語彙のレベルで体系的に顕在化されているのです.
昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公開された「疑いはいつも 2 つ!」は,この事実について比較言語学の観点から詳細に解説したコンテンツです.印欧語比較言語学や語源の話題に関心のある読者にとって,おおいに楽しめる内容となっています.
上記コンテンツを読めば,印欧諸語の語彙のなかに「疑い」と「2」の濃密な関係を見出すことができます.しかし,ここで疑問が湧きます.なぜ印欧語族の一員である英語の語彙には,このような関係がほとんど見られないのでしょうか.コンテンツの注1に,次のようにありました.
現代の標準的な英語にはゲルマン語の「2」由来の「疑い」を意味する単語は残っていないが,English Dialect Dictionary Online によればイングランド中西部のスタッフォードシャーや西隣のシュロップシャーの方言で tweag/tweagle 「疑い・当惑」という単語が生き残っている.
最後の「生き残っている」にヒントがあります.コンテンツ内でも触れられているとおり,古くは英語にもドイツ語や他のゲルマン語のように "two" にもとづく「疑い」の関連語が普通に存在したのです.古英語辞書を開くと,ざっと次のような見出し語を見つけることができました.
・ twēo "doubt, ambiguity"
・ twēogende "doubting"
・ twēogendlic "doubtful, uncertain"
・ twēolic "doubtful, ambiguous, equivocal"
・ twēon "to doubt, hesitate"
・ twēonian "to doubt, be uncertain, hesitate"
・ twēonigend, twēoniendlic "doubtful, expressing doubt"
・ twēonigendlīce "perhaps"
・ twēonol "doubtful"
・ twīendlīce "doubtingly"
これらのいくつかは初期中英語期まで用いられていましたが,その後,すべて事実上廃用となっていきました.その理由は,1066年のノルマン征服の余波で,これらと究極的には同根語であるラテン語やフランス語からの借用語に,すっかり置き換えられてしまったからです.ゲルマン的な "two" 系列からイタリック的な "duo" 系列へ,きれいさっぱり引っ越ししたというわけです(/t/ と /d/ の関係についてはグリムの法則 (grimms_law) を参照).現代英語で「疑いの2」を示す語例を挙げてみると,
doubt, doubtable, doubtful, doubting, doubtingly, dubiety, dubious, dubitate, dubitation, dubitative, indubitably
など,見事にすべて /d/ で始まるイタリック系借用語です.このなかに dubious のように綴字 <b> を普通に /b/ と発音するケースと,doubt のように <b> を発音しないケース(いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling))が混在しているのも英語史的にはおもしろい話題です (cf. 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])).
このようにゲルマン系の古英語単語が中英語期以降にイタリック系の借用語に置き換えられたというのは,英語史上はありふれた現象です.しかし,今回のケースがおもしろいのは,単発での置き換えではなく,関連語がこぞって置き換えられたという点です.語彙論的にはたいへん興味深い現象だと考えています (cf. 「#648. 古英語の語彙と廃語」 ([2011-02-04-1])).
こうして現代英語では "two" 系列で「疑いの2」を表わす語はほとんど見られなくなったのですが,最後に1つだけ,その心を受け継ぐ表現として be in/of two minds about sb/sth (= to be unable to decide what you think about sb/sth, or whether to do sth or not) を紹介しておきましょう.例文として I was in two minds about the book. (= I didn't know if I liked it or not) など.
新年度初めのイベントとして立ち上げた「英語史導入企画2021」では,日々学生から英語史に関するコンテンツがアップされてくる.昨日は院生による「英語 --- English --- とは」が公表された.英語のルーツが印欧祖語にさかのぼることを紹介する,まさに英語史導入コンテンツである.
本ブログを訪れている読者の多くにとっては当前のことと思われるが,英語はゲルマン語派に属する1言語である.しかし,一般には英語がラテン語(イタリック語派の1言語)から生まれたとする誤った理解が蔓延しているのも事実である.ラテン語は近代以降すっかり衰退してきたとはいえ,一種の歴史用語として抜群の知名度を誇っており,同じ西洋の言語として英語と関連があるにちがいないと思われているからだろう.
一方,少し英語史をかじると,英語にはラテン語からの借用語がやたら多いということも聞かされるので,両言語の語彙には共通のものが多い,すなわち共通のルーツをもつのだろう,という実はまったく論理的でない推論が幅を利かせることにもなりやすい.
英語はゲルマン系の言語であるということを聞いたことがあると,もう1つ別の誤解も生じやすい.英語はドイツ語から生まれたという誤解だ.英語でドイツ語を表わす German とゲルマン語を表わす Germanic が同根であることも,この誤解に拍車をかける.
本ブログの読者の多くにとって,上記のような誤解が蔓延していることは信じられないことにちがいない.では,そのような誤解を抱いている人を見つけたら,どのようにその誤解を解いてあげればよいのか.簡単なのは,上記コンテンツでも示してくれたように印欧語系統図を提示して説明することだ.
しかし,誤解の持ち主から,そのような系統図は誰が何の根拠に基づいて作ったものなのかと逆質問されたら,どう答えればよいだろうか.これは実のところ学術的に相当な難問なのである.19世紀の比較言語学者たちが再建 (reconstruction) という手段に訴えて作ったものだ,と仮に答えることはできるだろう.しかし,再建形が正しいという根拠はどこにあるかという理論上の真剣な議論となると,もう普通の研究者の手には負えない.一種の学術上の信念に近いものでもあるからだ.であるならば,「英語のルーツは○○語でなくて△△語だ」という主張そのものも,存立基盤が危ういということにならないだろうか.突き詰めると,けっこう恐い問いなのだ.
「英語史導入企画2021」のキャンペーン中だというのに,小難しい話しをしてしまった.むしろこちらの方に興味が湧いたという方は,以下の記事などをどうぞ.
・ 「#369. 言語における系統と影響」 ([2010-05-01-1])
・ 「#371. 系統と影響は必ずしも峻別できない」 ([2010-05-03-1])
・ 「#862. 再建形は実在したか否か (1)」 ([2011-09-06-1])
・ 「#863. 再建形は実在したか否か (2)」 ([2011-09-07-1])
・ 「#2308. 再建形は実在したか否か (3)」 ([2015-08-22-1])
・ 「#864. 再建された言語の名前の問題」 ([2011-09-08-1])
・ 「#2120. 再建形は虚数である」 ([2015-02-15-1])
・ 「#3146. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (1)」 ([2017-12-07-1])
・ 「#3147. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (2)」 ([2017-12-08-1])
・ 「#3148. 言語における「遺伝的関係」の基本単位は個体か種か?」 ([2017-12-09-1])
・ 「#3149. なぜ言語を遺伝的に分類するのか?」 ([2017-12-10-1])
・ 「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1])
・ 「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1])
4月5日にスタートした「英語史導入企画2021」も,3週目に突入しました.学部・院のゼミ生を総動員しての,5月末まで続く少々息の長い企画なのですが,本ブログ読者の皆さんにも懲りずにお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます.毎日,コンテンツを提供する学生のガッツを感じながら,私自身がおおいにインスピレーションをゲットしています.年度初めとして,なかなかフレッシュでナイスなオープニングです.
さて,上の段落では,いやらしいほどにカタカナ語を使い倒してみました.英語が嫌いな人,横文字が嫌いな人には,ケッと吐いて捨てたくなるような文章だろうと思います(うーむ,我ながら軽薄な文章).昨日,本企画ために院生よりアップされたコンテンツは「英語嫌いな人のための英語史」と題する,このカタカナ語嫌いに寄り添った考察です.その冒頭の2つの段落の出だしが,何とも歯切れよく心地よいですね.
「一生英語を使わなくてもいい環境で暮らしてやる」……このような恨みつらみのこもった台詞は,英語嫌いの人間ならば一度は発したことがあるだろう.そして,何を隠そう,十年ほど前,中学生・高校生だったころの筆者自身が毎日のようにこぼしていた言葉でもあった.
英語嫌いの人間が辟易するのは,まずもって,世の中に氾濫している横文字の多さであるだろう.レガシー,コミット,アカウンタビリティ……なぜそこで英語を(あるいは英語由来の和製英語を)使わなければならないのかと,ニュースなどを見ながら突っ込みたくなる日々である.
これは読みたくなるコンテンツではないでしょうか.内容としては,現代日本で英語と向き合っている生徒・学生と,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とを,空間・時間を超えて比較した英語史の好コンテンツとなっています.
現代日本語におけるカタカナ語とルネサンス期イングランドのラテン借用語を巡る比較対照は,対照言語史 (contrastive_language_history) の観点から興味の尽きないテーマです.一般に2つのものを比較しようとする際には,共通点だけでなく相違点に留意することも重要です.上記コンテンツでは,意図的に両者の共通点を拾い出して近づけて見せているわけですが,あえて相違点に注目することで,先の共通点の意義を浮かび上がらせることができます.以下に2点指摘しておきましょう.
1点目.現代日本で英語と向き合っている生徒・学生,とりわけ「英語なんて嫌い」と吐き捨てるタイプと,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とでは,各言語に対する思いがかなり異なります.「英語なんて嫌い」の背景には,逆説的に英語に対する「憧れ」があるのではないかというコンテンツでの指摘は当たっていると私も思います.しかし,17世紀イングランドの庶民はラテン語を「嫌い」と吐き捨ててはいなかったでしょう.ラテン語は,もっと純粋な「憧れ」,手に届かないところにいる「スター」に近いものではなかったでしょうか.
両者の違いは,端的にいえば,むりやり学ばされているか否かにあります.現代日本では,たとえ英語が「憧れ」だったとしても,義務教育で強制的に学ばされるという意味では,現実の学習上の「苦労」がセットになっています.学校で学ぶべき「科目」となっていては,好きなものも好きではなくなるはずです.17世紀イングランドでは,庶民にとってラテン語学習はおろか教育の機会そのものがまだ高嶺の花であり,現実の学習上の「苦労」とは無縁なために,「憧れ」は純然たる憧れとして生き延び得たのです.
2点目は,17世紀イングランドではラテン借用語が inkhorn_term として批判されたというのは事実ですが,批判の主は,若い生徒・学生でもなければ庶民でもなく,バリバリの知識人でした.Sir John Cheke (1514--57) のようなケンブリッジ大学の古典語教授が,借用語を批判していたほどなのです.この状況は,どう控えめにみても,日本の英語嫌いの生徒・学生がカタカナ語に悪態をついているのとは比較できないように思われます.
もちろん,2つのものを比較対照するときに,共通点を重視して「比較」の議論にもっていくか,相違点を重視して「対照」の議論にもっていくかは,論者の方針次第でもあり,言ってしまえばレトリックの問題でもあります.いずれにしても比較する場合には相違点に,対照する場合には共通点に注意しておくと考察が深まる,ということを述べておきましょう.
関連する話題は,本ブログとしては「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]),「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) その他の記事で扱ってきました.いろいろとリンクを張っているので,是非そちらをどうぞ.
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