「#2180. 現代英語の知識だけで読めてしまう古英語文」 ([2015-04-16-1]) で挙げたように,現代英語の word は,古英語でもそのまま <word> と綴られており,一見すると何も変わっていないように思われるが,とりわけ発音に関しては複雑な変化を経ている.『英語語源辞典』によると,「OE word の o は -rd の前で ō と長音化し,/woːrd → wuːrd → wurd → wʌrd → wəːd/ と発達したと説明されるのがふつうだが,この場合 /wurd/ と短くなったのは,末尾の -d が無声化したため母音延長の起こらなかった北部・東部方言の影響か」とある.
だが,音変化について他の説明もありうるようだ.例えば,中尾 (163) によれば,後期古英語から [p, b, f, m, w] のような唇音の後位置で [ɔ] > [ʊ] の上げの過程が生じたとされる.これは,以下のような単語群に観察される.
borgian > burgian (to borrow)
fol > full (full)
forþor > furþer (further)
fugol (fowl)
morþor > murþer (murder)
spora > spura (spur)
worc > wurc (work)
word > wurd (word)
worold > wurold (world)
wulf (wolf)
そして,中英語から初期近代英語にかけて [ʊ] > [ʌ] の中舌化・非円唇化が起こり,結果としての /ʌr/ が,後期近代英語になると /ɪr, ɛr/ と合流し,現在の /ər/ へと連なったという.関連する単語群としては,以下のものがある(中尾,p. 306).burn, burst, burden, burr, cur, curd, curse, curtain, curl, church, demur, disturb, fur, furnish, further, furze, hurl, hurt, hurdle, journey, murder, nurse, occur, purse, purchase, prefer, purple, purpose, spur, spurn, surge, scurf, turf, turn, Thursday, work, worm, worse, worst, worship, worth, worthy, world, word.中舌化については,「#1297. does, done の母音」 ([2012-11-14-1]),「#1866. put と but の母音」 ([2014-06-06-1]),「#1094. <o> の綴字で /u/ の母音を表わす例」 ([2012-04-25-1]) などを参照されたい.
なお,上に挙げた語群では <ur> の綴字が多いが,<w> で始まる語については <or> が多いことに注意.これは,"minim avoidance" (Carney 188) のもう1つの例であり,<wu>, <wi> を嫌った結果である("minim avoidance" については,「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]) も参照).だが,歴史的には中英語などで <wurd> を含めた <wur-> をもつ綴字もあったことには注意しておきたい.中英語の異綴字については,MED より wōrd (n.) を参照.
word のたどった変化,特に音変化の問題は,深入りするとなかなか大変そうである.
・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
現代英語の hoarse (しゃがれ声の)には r が含まれているが,古英語での形は hās であり,r はなかった.主要な語源辞典によると,この r は中英語期における挿入であるという.意味的に緩く関連する中英語 harsk (harsh, coarse) などからの類推だろうとされている.
ただし,この r の起源は,もっと古いところにある可能性もある.ゲルマン祖語では *χais(r)az, *χairsaz が再建されており,もともと r が s の前後に想定されている(前後しているのは音位転換 (metathesis) の関与によるものと考えられる).実際に,ゲルマン諸語で文証される形態は,(M)HG heiser, MDu heersch, ON háss (< *hārs < *hairsaR) など,r を含んでいるか,少なくとも前段階で r が存在していたことを示唆している.
一方,古英語と同様に r を欠く形態を示す言語も少なくない.OFr hās, OS & MLG hēs, OHG heis などである.どうやら,時代にもよるが,英語にかぎらず複数の言語変種において,r の有無は揺れを示していたようだ.とすると,古英語で r を含む形態が文証されず,中英語になって初めて文献上に現われたからといって,古英語で r 形がまったく使われていなかったとは言い切れなくなる.
中英語では,hoos, hos, hors などが共存しており,実際この3つの綴字は Piers Plowman, B. xvii. 324 の異写本間に現われる.異綴字については,MED の hōs (adj.) も参照.
r の挿入ではなく r の消失という過程についていえば,英語史上,ときどき観察される.例えば,「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]),「#2368. 古英語 sprecen からの r の消失」 ([2015-10-21-1]) の事例のほか,arse の r が19世紀に脱落して ass となったケースもある.しかし,今回のような r の挿入(と見えるような)例は珍しいといってよいだろう(だが,「#500. intrusive r」 ([2010-09-09-1]),「#2026. intrusive r (2)」 ([2014-11-13-1]) を参照).
古英語期中に生じた子音変化のなかでも,現在にまで効果残っているものに,口蓋化 (palatalisation) がある.これまでにも,以下の記事を含め,様々な形でこの音韻過程について触れてきた.
・ 「#49. /k/ の口蓋化で生じたペア」 ([2009-06-16-1])
・ 「#168. <c> と <g> の音価」 ([2009-10-12-1])
・ 「#2015. seek と beseech の語尾子音」 ([2014-11-02-1])
・ 「#2054. seek と beseech の語尾子音 (2)」 ([2014-12-11-1])
・ 「#2367. 古英語の <c> から中英語の <k> へ」 ([2015-10-20-1])
英語の姉妹言語である Frisian にも認められる音韻過程であり(「#787. Frisian」 ([2011-06-23-1]) ,それが生じた時期は,英語史においても相応して古い段階のことと考えられている.具体的には,4--5世紀に始まり,11世紀まで進行したといわれる.
起こったことは,軟口蓋閉鎖音 [k], [gg], [g] 音が口蓋前寄りでの調音となり,かつ前者2つについては擦音化したことである.典型的に古英語で <c> で綴られた [k] は,[i, iː, e, eː, æ, æː, ie, iːe, eo, eːo, io, iːo, ea, eːa] のような前母音(を含む2重母音)の前後の位置で,無声口蓋閉鎖音 [c] となり,後に [ʧ] へと発展した.これにより,例えば ċiriċe [ˈcirice] は [ˈʧiriʧe] へ,ċeosan [ˈceozɑn] は [ˈʧeozɑn] へ,benċ [benc] は [benʧ] へと変化した.
[gg] については [k] と同じ環境で,有声口蓋閉鎖音の [ɟɟ] となり,後に擦音化して [ʤ] となった.これにより,brycg [bryɟɟ] は [bryʤ] へ,secg [seɟɟ] は [seʤ] へ, licgan [ˈliɟɟɑn] は [ˈliʤɑn] へと変化した.
[g] の場合も同様の条件で口蓋化して [j] となったが,これは擦音化しなかった.例として,ġift [gift] は [jift] へ, ġeong [geoŋg] は [jeoŋg] へ変化した.
これらの音韻過程の効果は,現代英語の多くの単語に継承されている.以上,寺澤・川崎 (4, 6) を参照した.
・ 寺澤 芳雄,川崎 潔 編 『英語史総合年表?英語史・英語学史・英米文学史・外面史?』 研究社,1993年.
中英語では,もともと強勢をもたない前置詞 on がさらに弱化して語尾の n を落とし,o や a として現われる例が少なくない.これは,an/a, mine/my, none/no という機能語のほか,内容語でも maiden/maid, lenten/Lent, open/ope, even/eve (see 「#2708. morn, morning, morrow, tomorrow」 ([2016-09-25-1])) などにみられる変異とも同列に扱うことができそうだ.機能語のペアについては,後続語の語頭が子音で始まれば n が残り,母音や h で始まれば n が脱落する傾向のあったことが知られているが,on の場合にも中英語でおそらく似たような分布があったのではないかと踏んでいる.だが,前置詞 on について他例と異なるのは,現代標準英語では通例 n を保持した完全形しか認められていないということである.
on から n を脱落させた形態は,Swift からの Why did you not set out a Monday? の例のように近代英語にも見られ,長らく一般的だったようだ.in についても,16--17世紀に特に定冠詞の前での i' が頻用され,i'th' のように現われたが,その後は北部方言や詩における用例を除いて衰退した.n 脱落形が存続せず n が一律に「復活」したのは,Jespersen (32) によれば,"due to analogy assisted by the spelling and school-teaching" とのことである.私もこの説明は正しいだろうと思っている.
標準英語には o や a の形態は伝えられなかったと述べたが,実は接頭辞としては多くの形容詞,副詞,前置詞などに痕跡をとどめている.abed, aboard, about, above, afoot, again, ajar, alive, amid, apace, around, ashore, asleep, away, awry など多数挙げられるほか,a- 接頭辞は現代でも生産性を有しており,かなり自由に新語を形成することができる (see 「#2706. 接辞の生産性」 ([2016-09-23-1])) .
また,twice a day などの a は共時的には不定冠詞の1つの用法ととらえられているが,歴史的にはまさに on から n が脱落した形態である.
なお,o'clock の o' は on ではなく of の縮約形である.a cuppa tea (< a cup of tea) も参照.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. 1954. London: Routledge, 2007.
「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) の記事で tomorrow の話題に触れたことを受け,9月16日付けの掲示板で,morrow という語についての質問が寄せられた.互いに関連する,morn, morning などとともに,これらの語源を追ってみたい.
古英語で「朝」を表わす語は,morgen である.ゲルマン祖語の *murȝanaz に由来し,ドイツ語 Morgen, オランダ語 morgen と同根である.現代英語の morn は,この古英語 morgen の斜格形 morne や mornes などの短縮形,あるいは中英語で発展した morwen, morun, moren などの短縮形に由来すると考えられる.morn は現在では《詩》で「朝,暁」を表わすほか,スコットランド方言で「明日」も表わす.
一方,現代英語で最も普通の morning は,上の morn に -ing 語尾がついたもので,初期中英語に「朝」の意味で初出する.この -ing 語尾は,対になる evening からの類推により付加されたとされる.evening の場合には,単独で「晩」を表わす古英語名詞 ēfen, æfen から派生した動詞形 æfnian (晩になる)が,さらに -ing 語尾により名詞化したという複雑な経緯を辿っているが,morning はそのような途中の経緯をスキップして,とにかく表面的に -ing を付してみた,ということになる.
さて,古英語 morgen のその後の音韻形態的発展も様々だったが,とりわけ第2音節の母音や子音 n が変化にさらされた.n の脱落した morwe などの形から,「#2031. follow, shadow, sorrow の <ow> 語尾」 ([2014-11-18-1]) に述べた変化を経て,morrow が生じた.現在,morrow も使用域は限定されているが,《詩》で「朝;翌日」を意味する.なお,語尾の n の脱落は,対語 even にも生じており,ここから eve (晩;前夜;前日)も初期中英語期に生じている.
さて,本来「朝」を表わしたこれらの語は,同時に「明日」という意味を合わせもっていることが多い.前の晩の眠りに就いた頃の時間帯を基準として考えると,「朝」といえば通常「翌朝」を指す.そこから,指示対象がメトニミー (metonymy) の原理で「翌日の午前中」や「翌日全体」へと広がっていったと考えられる.tomorrow も,「前置詞 to +名詞 morrow」という語形成であり,「(翌)朝にかけて」ほどが原義だったが,これも同様に転じて「翌日に」を意味するようになった.なお,日本語でも,古くは「あした」(漢字表記としては <朝>)で「翌朝」を意味したが,英語の場合と同様の意味拡張を経て「翌日」を意味するようになったことはよく知られている.
なお,上で触れた eve (晩)は,今度は朝起きた頃の時間帯を基準とすると,「昨晩」を指すことが多いだろう.そこから指示対象が「昨日全体」へと広がり,結局「前日」を意味するようにもなった.
言語音は音の一種である.音は弾性体の中を伝わる縦波であり,典型的には空気などの媒質が進行方向に沿って往復運動し,伝搬されてゆく.人間を含め多くの動物が音を利用してコミュニケーションを取っている.言語音に関して,音響学的な基礎をさらっておこう.以下,数値の出典は,Crystal (34) および戸井 (26--28, 34) .
音(波)の振動の属性には,周波数と音圧レベルがある.周波数とは,1秒間の音波の振動数,すなわち音の高さを表わす.単位には Hz (ヘルツ)を用いる.20Hzより低い音は超低周波 (infrasonics) と呼ばれ,人間は揺れとして感じることはあるが,耳では感じ取れない.また,20000Hzより高い音は超音波 (supersonics) といい,やはり耳では感じ取ることができない.人間が音として感知できるのは20--20000Hzということになる.また,老化とともに聞き取れる音の範囲が狭くなり,特に周波数の高い音が聞き取りにくくなるとされる.
だが,言語としては,人間の聞き取れるこの広い帯域の隅から隅までを使いこなしているわけではない.発音する側の制約もあり,通常の発話では100--4000Hzが用いられる.通常,成人男性の発声は90--130Hzであり成人女性の発声は250--330Hzである.生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声は400Hzと高い.NHKの時報は440--880Hz,救急車のサイレンは770--960Hzである.
ちなみに,動物が聞き取れる音の範囲は人間と異なっている.鳥類は200--8000Hz,ゾウは10--12000Hz,イヌは15--50000Hz,ネコは60--65000Hz,イルカは150--150000Hz,コウモリは1000--120000Hzとまちまちである.それぞれが聞き取り能力を活用して種独自のコミュニケーションに役立てていることはよく知られている.
次に,音圧レベルに移ろう.こちらは音波の振幅に関する属性であり,音の大きさを表わす.単位には dB (デシベル)を用いる.人間の通常の会話は60dBほどであり,ささやき声は30dB,聞き取れる最も小さな音は0dBである.比較として,近くで聞く蝉の鳴き声は70dB,近くで聞く救急車のサイレンは80dB,ガード下で聞く列車の音は100dB,近くで聞く飛行機のエンジン音は120dBである.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
・ 戸井 武司(監修) 『音の大研究 性質・役割から意外な活用法まで』 2016年.
現代英語において,弱音節に現われる弛緩母音の代表として /ə/ と /ɪ/ の2種類がある.いずれも接辞や複合語の構成要素として現われることが多く,各々の分布にはおよそ偏りがあるものの,両者の間で揺れを示す場合も少なくない.例えば except の語頭母音には /ə/ と /ɪ/ のいずれも現われることができ,前者の場合には accept と同音となる.illusion の語頭母音についても同様であり,/ə/ で発音されれば allusion と同音となる.英語変種によってもこの揺れや分布の傾向は異なる.
この揺れの起源は,Samuels によれば中英語から初期近代英語にかけての時期にあったという.古英語における弱音節の母音は軒並み中英語では /ə/ へと曖昧母音化したが,その後さらに弱化して環境に応じて /ɪ/ へと変化した場合があった(なお,ここでいう「弱化」とは聞こえ度 (sonority) の観点からみた弱化であり,調音音声学的にいえば「上げ」 (raising) に相当する.高い母音になれば,それだけ聞こえ度が下がり,母音としては弱くなると解釈できるからだ).
/ə/ と /ɪ/ の揺れは,互いに相手よりも「より弱い音」であることに起因するという./ə/ は緊張の度合いという点では /ɪ/ よりも弱く,一方 /ɪ/ は聞こえ度の点では /ə/ よりも弱いと考えられるからだ.つまり,互いに弱化し合う関係ということになる.強勢のない音節において母音には常に弱化する傾向があるとすれば,すなわち /ə/ と /ɪ/ のあいだで永遠に揺れが繰り返されるという理屈になろう.
上記について Samuels (44--45) の説明を直接聞こう.
In ME, where the vowels of the OE endings had been centralised to /ə/, we find widespread new raising to /ɪ/, especially in inflexions ending in dental or alveolar consonants (-is, -ith, -yn, -id, -ind(e)). Since then, there has been constant distribution of the vowels of syllables newly unstressed to one or other member of the opposition /ɪ?ə/, depending partly on the inherited quality of the vowels and partly on that of the neighbouring segments: /ɪ/ is the commoner reflex of the vowels of ME -es, -ed, -est, -edge, -less, -ness, de-, re-, em-, ex-, whereas /ə/ represents the vowels of nearly all other unstressed syllables (the more important are -ance, -and, -dom, -ence, -ent, -land, -man, -oun, -our, -ous, a-, con-, com-, cor-, sub-, as well as syllabic /-l, -m, -n, -r/ and their reflexes wherever relevant). But there are exceptions to the expected distribution that are due to conditioning: the raising of /ə/ to /ɪ/ before /(d)ȝ, s/ as in cottage, damage, orange, furnace, and by vowel-harmony in women (also sometimes in chicken, kitchen, linen); and the same applies to other exceptions recorded in the past.
Thus the pattern of development in EMnE was that new cases of /ə/ were continually arising from unstressed back vowels, but meanwhile certain cases of /ə/ with raised variants from conditioning were redistributed to /ɪ/. In present English, centralisation to /ə/ is again on the increase as dialects with higher proportions of /ɪ/ gain in prominence.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
大母音推移 (gvs) やグリムの法則 (grimms_law) に代表される音の循環シフト (circular shift, chain shift) には様々な理論的見解がある.Samuels は,大母音推移は,当初は機械的 ("mechanical") な変化として始まったが,後の段階で機能的 ("functional") な作用が働いて音韻体系としてのバランスが回復された一連の過程であるとみている.機械的な変化とは,具体的にいえば,低・中母音については,強調された(緊張した)やや高めの異音が選択されたということであり,高母音については,弱められた(弛緩した)2重母音的な異音が選択されたということである.各々の母音は,当初はそのように機械的に生じた異音をおそらく独立して採ったが,後の段階になって,体系の安定性を維持しようとする機能的な圧力に押されて最終的な分布を定めた,という考え方だ.
Circular shifts of vowels are thus detailed examples of homeostatic regulation. The earliest changes are mechanical . . . ; the later changes are functional, and are brought about by the favouring of those variants that will redress the imbalance caused by the mechanical changes. In this respect circular shift differs considerably from merger and split. Merger is redressed by split only in the most general and approximate fashion, since the original functional yields are not preserved; but in circular shift, the combination of functional and mechanical factors ensures that adequate distinctions are maintained. To that extent at least, the phonological system possesses some degree of autonomy. (Samuels 42)
ここで Samuels の議論の運び方が秀逸である.循環シフトが機能的な立場から音素の分割と吸収 (split and merger) の過程とどのように異なっているかを指摘しながら,前者が示唆する音体系の自律性を丁寧に説明している.このような説明からは Samuels の立場が機能主義的に偏っているとの見方になびきやすいが,当初のきっかけはあくまで機械的な要因であると Samuels が明言している点は銘記しておきたい.関連して「#2585. 言語変化を駆動するのは形式か機能か」 ([2016-05-25-1]) を参照.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
言語変化における話し手と聞き手の役割について,とりわけ後者の役割を相対的に重視する近年の説について,「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]),「#1862. Stern による言語の4つの機能」 ([2014-06-02-1]),「#1932. 言語変化と monitoring (1)」 ([2014-08-11-1]),「#1933. 言語変化と monitoring (2)」 ([2014-08-12-1]),「#1934. audience design」 ([2014-08-13-1]),「#1935. accommodation theory」 ([2014-08-14-1])),「#1936. 聞き手主体で生じる言語変化」 ([2014-08-15-1]),「#2140. 音変化のライフサイクル」 ([2015-03-07-1]),「#2150. 音変化における聞き手の役割」 ([2015-03-17-1]) などの記事で紹介してきた.
Samuels (31) は音変化を論じる章のなかで,話し手と聞き手の役割とその関係について,バランスの取れた見方を提示している.
As regards the current controversy as to whether articulatory or acoustic evidence is to be preferred, the study of change evidently demands both: the production of new variants is mainly articulatory in nature, their spread and imitation mainly acoustic, and both are continually coordinated by the process of monitoring.
話し手の調音 (articulation) に駆動された変化が,聞き手の音響 (acoustics) としての受容を通じて言語使用者の間に拡散し,その過程は集団の監視機能 (monitoring) により逐一調整される,というモデルだ.
昨日の記事「#2585. 言語変化を駆動するのは形式か機能か」 ([2016-05-25-1]) で,形式的(機械的)な駆動と機能的な駆動の関係について Samuels の見解を紹介したが,それぞれの駆動力は話し手の役割と聞き手の役割におよそ対応させられるようにも思われる.ただし,言語使用者は,通常,同時に話し手でも聞き手でもあるから,個人間のみならず個人の内部においても,常に両立場からの監視機能が働いているのだろう.
言語変化理論においては,(1) 話し手の行動,(2) 聞き手の行動,(3) モニタリング,の3要素を意識しておく必要がある.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
2重母音 (diphthong) は,単母音 (monophthong) やその他の「母音」と名のつく単位とともに,1つの母音体系をなし,子音体系と対立するものと考えられるが,一方で,単母音とも子音とも異なる第3の体系をなすという考え方もあり得るようだ.Samuels (32) 曰く,
. . . it is uncertain whether diphthongs should be regarded as constituting a third system, distinct from those of vowels or consonants. They evidently perform the same function as vowels in structure, and in some systems it would be misleading to separate them since they patently complete a vowel-pattern that would otherwise be incomplete. At the same time, the degree of phonetic distinctiveness from neighbouring vowels that is achieved by the gliding property of diphthongs is often greater than might be expected, and they are therefore better regarded as a partly autonomous section of the vowel system as a whole; they possess an extra feature that enables them to remain close to, yet distinct from, vowels in the total vocalic space available, and their function can be important. It is probably for this reason that where, by simplificatory change, diphthongs merge with monophthongs (e.g. OE ēo > ME /e:/, ēa > /ɛ:/) a new series of diphthongs arises, as seen in ME dai, sauȝ . . .; or, conversely, where extra diphthongs are created, other diphthongs are monophthongised . . . .
なるほど,限られた音韻空間 (phonological space) を最大限に活用するためには,単母音ではないが,それと同等の機能単位として2重母音なるものを作り出すことができれば有効だろう.このように考えると,単母音と2重母音は有限の音韻空間を使いこなすために協同しているかのように見えてくる.協同できるということは,互いに仲間ではあるが個としては独立しているということでもあり,言い換えれば半自律的ということにもなる.
上の引用の最後で触れられているが,英語の音韻史をひもとくと,2重母音を欠いている時期はないではないが,そのような時期は長くは続かず,やがて新しい2重母音が生み出されて,単母音との協同が再開している (「#2052. 英語史における母音の主要な質的・量的変化」 ([2014-12-09-1]) の表における OE--ME および 12th c. の欄を参照) .2重母音の存在があたかも半ば義務であるかのように感じさせる音韻史である.
私は音韻理論にはあまり詳しくないが,このような2重母音の見方は現在の音韻理論に反映されているのだろうか (cf. 「#1404. Optimality Theory からみる大母音推移」 ([2013-03-01-1]),「#2081. 依存音韻論による大母音推移の分析」 ([2015-01-07-1])) .関連して,長母音や3重母音などはどのように位置づけられているのだろうか.2重母音と同様に半自律的な体系なのか,あるいは単母音体系か2重母音体系の下位区分にすぎないのか.通時的な音韻変化の観点から理論的に迫ってみたい問題である.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
口が滑るなどして単音や音節の位置が互いに交換される音位転換 (metathesis) の過程は,音変化のメカニズムの1つとしてよく知られている.「#60. 音位転換 ( metathesis )」 ([2009-06-27-1]) を始めとして,metathesis の記事で扱ってきた.英語史からの典型的な例として through の音位転換が挙げられる.「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]) で記した通り,古英語 þurh の u と r が位置をひっくり返したことから,現代の through の原型が生まれたとされている.
しかし,Samuels (17) は,これは必ずしも純粋な音位転換の例ではない可能性があると指摘する.
. . . the order of /r/ and a vowel may be reversed, as in L. *turbulare > Fr. troubler, OE þridda > third, OE þurh > through, Sc. dial. /mɔdrən/ 'modern'; this may amount to no more than insertion of a glide-vowel and misinterpretation of the stress (OE worhte > worohte > wrohte 'wrought', þurh > þuruh > ME þorouȝ > through).
なるほど,過程の入出力をみればあたかも音位転換が起こったかのようだが,worohte や þuruh のように r の両側に母音字が現われるような綴字が文証されるのであれば,1つではなく複数の過程が連続して生じたとする解釈も捨て去ることはできない.Samuels は,問題の r の後に母音が渡り音として挿入され,その後に強勢位置がその母音へと移ったという可能性を考えているが,これはもっと端的には,r の後に新たな母音が挿入され,続いて前の母音が消失したという2つの連続した過程といえるだろう.
Samuels は新しい解釈の可能性を示唆しているにすぎず,特に強く主張しているわけではない.また,渡り音の挿入を想定しにくい古英語の ascian > axian や fiscas > fixas のような例には,同解釈は適用できないだろう.したがって,音位転換という過程そのものを疑うような意見ではない.それでも,確かに文証される綴字の存在に配慮して,定説とは異なるアイディアを可能性として提示する姿勢には,ただ感心する.
through の綴字については「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]),「#193. 15世紀 Chancery Standard の through の異綴りは14通り」 ([2009-11-06-1]) を参照.wrought については「#2117. playwright」 ([2015-02-12-1]) を参照.three/third に関しては「#92. third の音位転換はいつ起こったか」 ([2009-07-28-1]),「#93. third の音位転換はいつ起こったか (2)」 ([2009-07-29-1]) を参照.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
標題は「#2464. 音変化の原因」 ([2016-01-25-1]) でも触れた問題である.音変化の理由として,古くから同化 (assimilation),異化 (dissimilation),脱落,介入,短化,弱化などが挙げられてきた.いずれも調音のしやすさを目的としており,これらの説明を合わせて "the principle of least effort" (最小努力の原則)あるいは "ease-theory" と呼ぶことがある.しかし,もちろんこの説だけですべての音変化を説明できるわけではない.もしこの説がすべてだとすれば,あらゆる言語が同様に調音しやすい,よく似た言語になっているはずだが,現実にそのような状況はない.
標題への回答はこれだけで済むといえば済むのだが,Samuels (18) が2点ほど一般的な回答を与えているので,それを見ておこう.Samuels の答えようとした問いは,正確にいうと,"if such changes are so simple, they should appear in all languages and dialects to a full and equal extent, and not in varying proportions in each" (17) である.
Firstly, there must be a limit to the rate and quantity of assimilations, contractions and other rearrangements that is tolerable in a single dialect if intelligibility is to be maintained, so that, even if a large proportion of them are continually occurring in certain colloquial styles, only a small proportion could be in process of acceptance into other styles at any given time. Secondly, the fact that their incidence differs according to language and dialect follows from the very nature of dialects, which owe their existence to development in part-isolation: in each dialect, there are differences in the basis of articulation, in the effects of suprasegmental features on the spoken chain, in the forms that are socially accepted or rejected as status-markers, or selected for functional utility, or merely redistributed at random.
ここで Samuels は,音変化には複数の要因が関与すること (multiple causation of language change) を前提とし,その諸要因をリストアップしようとしているのである.理解可能性やコミュニケーションの効率,および使用域や方言の独立性といった,調音的・機械的でない側面の考慮が必要だという,当然のことを主張しているにすぎない.「言語は○○しやすい方向に変化する」という単純な言語変化の説明は,一般に受け入れることができない.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
「#1634. 「エキシビジョン」と equation」 ([2013-10-17-1]) で取り上げたように,<-tion> 語尾に対応する通常の発音は /-ʃən/ だが,例外的に equation の通用発音は /ɪˈkweɪʒən/ となり,語尾の摩擦音は有声化している./-ʃən/ と /-ʒən/ の揺れは <-sion> や <-sian> ではよく見られるので,それが類推的に <-tion> にも拡大したものと考えられるが,例はきわめて少ない.
equation のほかに,もう1つの例として transition がある(磯部,p. 64).LPD によると,この単語にはイギリス英語では3種類の発音が行なわれている./trænˈzɪʃən/, /trænˈsɪʃən/, /trænˈsɪʒən/ である.Preference poll によると,それぞれの使用比率は75%, 16%, 9%で,問題の /-ʒən/ をもつ発音は最も少ないが,例としては聞かれる.ただし,これはアメリカ英語では行なわれていないようだ.
・ 磯部 薫 「現代英語の単語の spelling と sound のdiscrepancy について―特に英語史の観点から見た orthography と phonology の関係について―」『福岡大学人文論叢』第8巻第1号, 1976年.49--75頁.
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
安藤 (37--39) に従って,古英語の主要な母音がいかにして中英語へ継承されたかを概括しよう.変化を受けたもの,受けなかったもの,中英語で新たに生じたものなど様々である.実際には方言によって事情は異なるが,大雑把にいって南部方言をモデルとしている.
古英語 | 中英語 | 変化のタイプ | |
---|---|---|---|
1 | [i] biddan 'bid' | [i] bidde(n) | 無変化 |
2 | [u] sunu 'sun', cuman 'come' | [u] sone, come(n) | 無変化 |
3 | [o] hors 'horse' | [o] hors | 無変化 |
4 | [iː] wīf 'woman' | [iː] wīf | 無変化 |
5 | [eː] fēt 'feet' | [eː] fēt | 無変化 |
6 | [uː] hūs 'house' | [uː] hūs/hous | 無変化 |
7 | [oː] gōd 'good' | [oː] gōd | 無変化 |
8 | [y] pytt 'pit' | [i] pit | ???????????? |
9 | [ɑ] a. catt 'cat' | 閉音節 [a]ː cat | 前舌化 |
b. nama | 開音節 [aː]ː nāme | 前舌化+長音化 | |
10 | [æ] a. bæc 'back' | 閉音節 [a]ː bak | 後舌化 |
b. æcer 'acre' | 開音節 [aː]ː āker | 後舌化+長音化 | |
11 | [e] a. settan 'set' | 閉音節 [e]ː sette(n) | 無変化 |
b. mete 'meat' | 開音節 [ɛː]ː mēte | 上げ+長音化 | |
12 | [o] col 'coal' | 開音節 [oː]ː cōle | 長音化 |
13 | [yː] hȳdan 'hide' | [iː] hīde(n) | ???????????? |
14 | [æː] a. dǣd 'deed' | [eː] dēd | 筝???? |
b. sǣ 'sea', dǣl 'deal' | [ɛː] sē, dēl | 上げ(2段) | |
15 | [ɑː] stān 'stone', hām 'home' | [ɔː] stōn, hōm | 筝???? |
16 | [io] hiora 'their' | [i] hire | 単純母音化 |
17 | [iːo] līoht 'light' | [iː] līht | 長母音化 |
18 | [ie] giefan 'give', ieldra 'elder' | [i] yiven, ylder | 単純母音化 |
19 | [iːe] hīeran 'hear' | [iː] hīre/hūre | 長母音化 |
20 | [eo] heorte 'heart' | [e] herte | 単純母音化 |
21 | [eːo] dēop 'deep' | [eː] dēp | 長母音化 |
22 | [ɛɑ] hearm 'harm' | [a] harm | 単純母音化 |
23 | [ɛːɑ] drēam 'dream' | [ɛː] drēm | 長母音化 |
24 | [iː+w] tīwesdæg | [iu] tiwesday | 母音+子音からの2重母音化 |
25 | [æ+j] dæg | [ai] dai | 母音+子音からの2重母音化 |
26 | [eːo+w] cnēow | [eu] knew | 母音+子音からの2重母音化 |
27 | [ɑ+w] clawu | [au] clawe | 母音+子音からの2重母音化 |
28 | [aː+w] cnāwan | [ou] knowe(n) | 母音+子音からの2重母音化 |
29 | --- | [oi] vois (OF) | 古フランス語からの借用 |
音変化は言語の宿命ともいえるほど普遍的なものであり,古今東西,これを免れた言語はない.それくらい遍在していながらも,その原因がいまだに明らかとされていないのが不思議といえば不思議である.そもそも,「意味」を伴わない音(韻)が変化するというのはどういうことなのか.語彙や意味が変化するというのは理解しやすいが,音が変化することで誰が何の得をするというのか.言語学の最も難解かつ魅力的な問題である.
音変化の原因については,古くから様々な説が唱えられてきた.Algeo and Pyles (34--35) を参照して,いくつか代表的なもの を紹介しよう.
まず,2つの言語AとBが接触し,言語Aの話者が言語Bを不完全に習得したとき,Aの発音の特徴がBへ持ち越されるということがある.換言すれば,新しく獲得される言語に,基層言語の発音特徴が導入されるケースだ.これは,基層言語仮説 (substratum_theory) と呼ばれる.逆に,上層言語の発音特徴が基層言語に持ち越され,結果的に後者に音変化が生じる場合には "superstratum theory" と呼ばれる.
なるべく音が互いに体系内で等間隔となるよう微調整が働くのではないかという "phonological space" (音韻空間)の観点からの説もある.日本語のように前舌母音として [i, e] をもち,後舌母音として [u, o, ɑ] をもつ母音体系は,よく均衡の取れた音韻空間であり,比較的変化しにくいが,均衡の取れていない音韻空間を示す言語は,均衡を目指して変化しやすいかもしれない.
音の同化 (assimilation) や異化 (dissimilation),脱落 (elision) や介入 (intrusion),ほかに「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) で示したような各種の音韻過程の背後には,いずれも "ease of articulation" (調音の容易さ)という動機づけがあるように思われる.古くから唱えられてきた説ではあるが,もしこれが音変化の唯一の原因だとすれば,すべての言語が調音しやすい音韻の集合へと帰着してしまうことになるだろう.したがって,これは,いくつかありうる原因の1つにすぎないといえる.
話者の意識がある程度関与する類の音変化もある.「#192. etymological respelling (2)」 ([2009-11-05-1]) で語源的綴字 (etymological_respelling) の例として触れたように,comptroller の中間子音群が [mptr] と発音されるようになったとき,ここには一種の spelling_pronunciation が起こったことになる.また,「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) でみたように,chaise longue が chaise lounge として発音されるようになったのは,民間語源 (folk_etymology) によるものである.
威信ある発音への意識が強すぎることによって生じる過剰修正 (hypercorrection) も,音変化の1要因と考えられる.talkin' や somethin' のような g の脱落した発音を疎ましく思うあまり,本来 g が予期されない環境でも g を挿入して [ɪŋ] と発音するようなケースである.例えば chicken や Virgin Islands が,それぞれ chicking, Virging Islands などと発音が変化する.関連して,rajah, cashmere, kosher などの歯擦音に,本来は予期されなかった /ʒ/ が現われるようになった過剰一般化 (overgeneralization) もある.
様々な仮説が提案されてきたが,いずれも単独で音変化を説明し尽くすことはできない.常に複数の要因が関与していること (multiple causation of language change) を前提とする必要があろう.
音変化の原因に限らず,より一般的に言語変化の原因に関しては「#442. 言語変化の原因」([2010-07-13-1]) を参照されたい.
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
通常,フランス語と th 音(歯摩擦音)は結びつかないのではないかと思われる.しかし,ラテン語の語末の d などが後のフランス語の歴史において弱化・消失していく過程において,歯摩擦音の途中段階を経たということは,調音音声学的には極めて自然である.そして,その段階にあるフランス語の単語が,語末の歯摩擦音もろともに英語へ借用されたということがあったと想定しても,それほど突飛ではない.どうやら,faith という単語が,まさにこのような過程を経た例として挙げられるようだ.
発音にせよ綴字にせよ,この語は風貌からしてゲルマン系のように見える.しかし,語源辞典を繰ると明らかなように,古英語には存在せず,中英語期の借用語であると分かる.ラテン語 fidēs (信義,信頼)が古フランス語で feid, feit となり,この語尾子音が11--12世紀頃には,上述のように弱化して摩擦音化していたと考えられる.この摩擦音をもっていた中世の語形が,当時の英語へ借用された.『英語語源辞典』によると,「faith において例外的に th 音が残ったのはおそらく truth, sooth などの影響であろう」とある.
なお,後にフランス語では語尾が完全に消失し,現代フランス語では foi へと発展している.この語尾子音のない語形は別途中英語期に fei, fay として入っており,ほぼ廃用に近い状態で fay が現代にも伝わる (cf. PDE by my fay < OF par ma fei) .したがって,faith と fay は2重語 (doublet) ということになる.
中英語の諸形態には MED より feith (n.) を,Anglo-Norman の諸形態には The Anglo-Norman Dictionary より fei を参照されたい.
OED の faith, n. and int. の項より,問題の語末子音について,解説を引用しておく.
[ 固定リンク | 印刷用ページ ]The dental fricative in English apparently reflects the pronunciation of the final consonant in the earliest stages of Anglo-Norman and Old French (before its deletion, probably in the 11th cent.), this would make faith the only borrowing from Anglo-Norman to preserve this feature in a monosyllabic word (compare the parallel borrowing FAY n. 1 without it); it may have been preserved under the influence of the semantically related TRUTH n. and TROTH n. (For preservation of the early French final dental in suffixes, compare e.g. DAINTETH n. and the 硫. forms at PLENTY n., adj.., and adv..
It has also been suggested that the final dental in English faith is -TH suffix 1 (i.e. showing suffixation of fei FAY n. 1 within English), but this rarely combines with nouns and not normally with first elements of non-Germanic origin.
現代英語の speak, speech は,それぞれ形態的には古英語の sprecan, sprǣc などに遡るが,歴史の過程で r が消失してきたことに気づく.現代ドイツ語の対応語 sprechen, Sprache にも r が含まれていることから分かるとおり,r を含むゲルマン祖語形が共通の起源である (PGmn *sprekan, *sprǣkjō) .
OED や語源辞典で調べると,英語の語形における r の消失はすでに後期古英語から観察され,11世紀には一般的になった.一方で,古い r を有する形態は12世紀半ば以降に廃れていった.この r の消失は,OHG, MHG, MDu. の対応形においても稀に見いだされるようだが,英語内部での類例としては pang (< ME prange) が参照されているほどにすぎず,広く生じた音韻過程ではないことは明らかである.
上の記述によると11--12世紀に新旧形の交代と共存がみられたことになるが,MED で旧形の sprēcen (v.) を引くと,挙げられている用例のほとんどが The Peterborough Chronicle からである.13世紀からの例も1つ挙げられているが,12世紀前半から半ばにかけて書かれた The Peterborough Chronicle が,r 形の常用を示す事実上最後のテキストとみなしてよいだろう.
ちょうど最近 The Peterborough Chronicle の1123年を読んでいて,r を示す興味深い事例に出会った.Earle and Plummer 版からその箇所を引用する.
. . . se king rad in his der fald and se biscop Roger of Seres byrig on an half him. and se biscop Rotbert Bloet of Lincolne on oðer half him. 7 riden þær sp`r'ecende.
Henry I が仲間たちと狩猟に出かけ,「おしゃべりをしながら」馬に乗ってるシーンである.引用の最後に現在分詞形として綴られている sp`r'ecende が問題の語形だが,写字生は最初 specende と綴り,その後に r を p の前に挿入した形跡がある.r の挿入の位置についてはケアレスミスと考えてよいだろうが,興味深いのは,r をわざわざ挿入して,同テキスト内の他の sprecon などの形態と合わせていることである.
この写字生の行動の動機を想像してみよう.おそらく写字生の話し言葉において,すでに r のない specen のような形態が普通だったのではないか.それで,思わず書き言葉上でも specende と綴ってしまった.しかし,文章語においては,当時までにすでに古めかしく,格式張った響きを帯びるようになった変異形 sprecen のほうがふさわしいと思い直し,r を挿入したのではないか.1121年以前のいわゆる "Copied Annals" 部を書写するなかで,この写字生は古英語の標準的な書き言葉で語を綴ることに慣れており,続く "First Continuation" の部分を書く際にも,規範性を引きずっていた形跡があちらこちらに見られる.写字生の r の挿入は,このような文脈のなかで捉える必要があるのではないか.
もしこのシナリオが妥当だとすれば,sprecen から r が消失していった過程のみならず,12世紀前半の東中部方言において新旧各形の帯びていた register も垣間見られるということになる.
・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.
haplology (重音脱落)は,一種の音便である.類似する音や音節が連続するときに,片方が脱落する現象だ.例えば,probably は b が連続するために,俗語では probly として発音されることがある.同様に,libry (< library), nesry (< necessary), tempry (< temporary), pa (< papa) もよく聞かれる.歴史的にも,humbly は古い humblely から haplology を経て生まれた音形だし,「#1145. English と England の名称」 ([2012-06-15-1]) と「#2250. English の語頭母音(字)」 ([2015-06-25-1]) でみたように England も Englaland から la が1つ脱落したものである.morphophonemic の代わりに morphonemic を用いることも十分に認められている.
haplology という用語は,1893年に初出する.ギリシア語の haplo- + -logy からなり,前者の haplo- は「単一の,一つの」を意味する ha- と「?重」を意味する -pl(o) からなる.「#352. ラテン語 /s/ とギリシャ語 /h/ の対応」 ([2010-04-14-1]) でみたように,ギリシア語 h はラテン語 s に対応するので,haplo- と simple は同根である.
上記の haplology は音声上の脱落だが,似たような脱落は綴字上にもみられ,これは haplography (重字脱落)と呼ばれる.<philology> を <philogy> と書いたり,<repetition> を <repetion>,<Mississippi> を <Missippi> と書くような類いである.なお,逆に字を重複させる dittography (重複誤写)という現象もある.<literature> を <literatature> とするような例だ.近年は,手書きよりもタイピングの機会が多くなり,haplography や dittography の事例はむしろ増えているのではないか.
音声であれ綴字であれ重複部分の脱落は,当初はだらしない誤用ととらえられることが多いが,時間とともに正用として採用されるようになったものもある.このようなケースでは,haplology や haplography は通時的な過程ととらえる必要がある.以下に,歴史上の例を『新英語学辞典』 (529) からいくつか挙げてみよう.
OE eahtatiene > ME eightetene > eighteen
OE eah(ta)tiġ > eighty
ME honestetee > honesty
OE sunnandæġ > Sunday
OE Mōn(an)dæġ > Monday
OE fēowertēneniht > fortnight
Missis > Miss
Gloucester > [ˈglɔstə]
Leicester > [ˈlestə]
OE berern > ME beren > barn
OF cirurgien → ME surgien > surgeon
Poleland > Poland
関連して,Merriam-Webster の辞書より haplology も参照.
昨日の記事 ([2015-09-22-1]) に引き続き,Vachek の論文を参照して,書き言葉の自立性について考える.Vachek は,思いも寄らないところから,書き言葉と話し言葉の対等な関係を主張する.音声表記 (phonetic transcription) と綴字読み上げ (spelling out) である.
音声表記,特に精密な音声表記 (narrow phonetic transcription) は,実用目的にはあまりに読みにくい.音声学の専門書でこそ有用だが,それで日常的に読み書きの用を足すことになったら不便きわまりない.なんとか我慢して読もうとするならば,音声表記をたどりながら,いったん声に出すか頭の中で音声化することによって,事後的にあの単語のことか,と認識して理解することになるだろう.書かれた音声表記を見てから内容を理解するまでに,いくつかの行程を経なければならない.音声表記ではなく,いわゆる通常の文字と綴字であれば,見てから内容を理解するまでの行程は,もっとずっと直接的である.
綴字読み上げとは,1文字ずつ声に出してスペルアウトするもので,例えば apple であれば,1文字ずつ [eɪ piː piː ɛl iː] (= A P P L E) と読み上げる,あのやり方である.耳で [ðɪs ɪz ən æpl] (= This is an apple.) と聞けば,そのまま内容が理解されるところを,[tiː eɪʧ aɪ ɛs aɪ ɛs eɪ ɛn eɪ piː piː ɛl iː] (= T H I S I S A N A P P L E) と1文字ずつ読み上げられたらどうだろう.聞きながら1文字ずつ追っていき,頭の中で綴字を組み立てて,This is an apple. のことかと思い至る,なんとも回りくどい経験をすることになる.1文字ずつの読み上げを聞きながら内容を理解するまでに,いくつもの行程を経なければならない.音声表記と綴字読み上げは,その開始と終了の媒介こそ互いに異なっているが,理解までの行程がひどく回りくどい点で共通している.もちろん,まさにその理由により,いずれも日常的には用いられないのである.
音声表記と綴字読み上げの共通項を,Vachek のことばで表現すれば,いずれも "a sign of the second order",つまり記号の記号であるということだ.それに対して,話し言葉における言語音や書き言葉における文字・綴字は,"a sign of the first order",つまり直接的な記号である.これらの関係を以下の図で示してみた.
+---------------+----------------+--------------------------+ | | | | | | Speech | Writing | | | | | | | +---------------+-------+--------+------------+-------------+ | | | | | | | | | | | | | | phones | letters | | First order | phonemes | graphemes | | | | spellings | | | \ | / | | | \ |/ | +---------------+---------------×--------------------------+ | | / |\ | | | / | \ | | | | | | Second order | spelling out | phonetic transcription | | | | | | | | | | | | | +---------------+----------------+--------------------------+
「#2198. ヨーロッパ諸語の様々な r」 ([2015-05-04-1]) で /r/ の様々な共時的実現と通時的発達を概観した.ヨーロッパ緒語のなかでも,現代英語の /r/ の実現はかなり特殊であり,典型的には歯茎接近音 (alveolar approximant) [ɹ] かそり舌接近音 (retroflex approximant) [ɻ] として調音される.伝統的な見解によれば,古英語や中英語では /r/ は舌尖による顫動音 (coronal trill) [r] として実現されたとされているが,もしこの見解を受け入れるとしても,いかにしてその後の歴史において [r] が現在の特殊な調音へと発達したのかが問題となる.
Erickson (185) は,調音音声学の観点からこの問題に迫り,以下の発達を提案している.
0. Origin: coronal trill
1. Trill lenites to tap before homorganic consonants
2. Coronals change from dental to alveolar; tongue simultaneously acquires sulcal shape
3. Tap lenites to retroflex approximant before homorganics
4. Approximant articulation generalized to syllable coda
5. Approximant articulation generalized to all positions
まず,ゲルマン語の本来の /r/ は 0 に示される舌尖顫動音 [r] だった.これは比較言語学的にも,類型論的にも信頼に足る推測といってよさそうだ.その典型的な実現は,舌尖を歯の裏で複数回ふるえさせるものだったが,[t], [d], [n], [s], [z], [l] などの歯を用いる同器音が後続する環境では,ふるえは一度きり(単顫動音 [ɾ])となる傾向が強い(1の段階).
次に,この単顫動音に後続する [t], [d], [n], [s], [z], [l] などが,調音位置を歯音から歯茎へと変化させた.舌先が歯茎の位置まで後退することにより,舌面はカップ型にくぼむ(2の段階).このカップ型の舌構えにより,次の段階3の示すそり舌接近音 [ɻ] への移行が容易になる.英語史でいえば,1600年前後にこの段階があったとされる (Erickson 191) .
以上の /r/ の調音の発達は,同器音が後続する環境に限られていたが,これが音節末の環境にも拡がり(4の段階),さらに音節内の位置にかかわらず一般に拡がった(5の段階).
英語の非標準変種では,以上の発達段階のどこかで止まったかのような調音を示すものもあれば,枝分かれした別の発達を示すものもあった.また,標準変種においても,実現形にある程度の変異はあった.しかし,上記の発達を基準として据えることにより,いずれの「逸脱」もおよそ無理なく説明できるというのが Erickson の主張である.
/r/ の調音と関連して,Erickson (184) がゲルマン諸語における口蓋垂の r について述べているコメントを紹介しておこう.ドイツ語のほか,イングランド北東方言や一部スコットランド方言でも聞かれる "Northumbrian burr" と呼ばれる口蓋垂の r は,「#1055. uvular r の言語境界を越える拡大」 ([2012-03-17-1]) で見たように,フランス語からの伝播として説明されることが多いが,実際には伝播の可能性が考えられるよりも早い時代にドイツ語で問題の [ʁ] が行われていたという報告もあり,伝播ではなく自然の発達とする説もあるようだ.
・ Erickson, Blaine. "On the Development of English r." Studies in the History of the English Language: A Millennial Perspective. Ed. Donka Minkova and Robert Stockwell. Berlin: Mouton de Gruyter, 2002. 183--206.
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