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anglo-saxon - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-26 08:56

2022-03-21 Mon

#4711. アングロサクソン人は謝らなかった!? [youtube][speech_act][anglo-saxon][oe][historical_pragmatics][heldio][evidence]

 昨日,井上逸兵さんとの YouTube の第7弾が公開されました.昔の英語には謝罪表現がなかった!!--えっ?!謝んなかったってこと?!【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #7 】です.



 どうやら古英語では「謝罪」という発話行為 (speech_act) がなかった,あるいはそれらしきものがあったとしても目立った社会慣習ではなかった,という話題です.「#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語」 ([2018-02-07-1]) でもみたように,現代の英語社会において当然とされている言語文化上の慣習が,アングロサクソン社会にはなかったということは,これまでも報告されてきました.そのもう1つの例として,謝罪 (apology) が挙げられるということです.
 この話題の典拠は,英語歴史語用論の分野で精力的に研究を進めている Kohnen の最新論文です.Kohnen (169) や他の先行研究によれば,謝罪の発話行為は古英語にはみられず,中英語になって初めて生じたとされています.謝罪は,神への罪の告白というキリスト教的な文脈に起源をもち,そこから世俗化して宮廷社会へ,さらには中流階級へと拡がり,一般的な社会的機能を獲得するに至ったという流れです.後期中英語までには,謝罪は mea culpa, I am ryght sory, me repenteth のような言語表現と結びつくようになっていました.
 YouTube の対談中にも議論となりましたが,英語と日本の謝罪のあり方は,かなり異なりますね.これは,上記の通り英語における謝罪が宗教的な文脈に端を発しているという点が関わっているように思われます.毎回ほとんど打ち合わせもなしに井上さんとの対談を楽しんでいるわけですが,話している最中にどんどんアイディアが湧いてきますし,発見があります.こういう学び方があるのだなあと実感しています.
 YouTube では時間の都合上,大幅にカットされている部分もありますので,それを補うつもりで今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で同様の話題を取り上げました.そちらもぜひお聴きください.



 ・ Kohnen, Thomas. "Speech Acts in the History of English: Gaps and Paths of Evolution." Chapter 9 of English Historical Linguistics: Historical English in Contact. Ed. Bettelou Los, Chris Cummins, Lisa Gotthard, Alpo Honkapohja, and Benjamin Molineaux. Amsterdam: Benjamins, 2022. 165--79.

Referrer (Inside): [2023-02-17-1]

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2021-09-30 Thu

#4539. アングロサクソン人名の構成要素 [onomastics][personal_name][anglo-saxon][oe]

 古英語のアングロサクソン人名の構成原理は,西ゲルマン語群の遺産を受け継いだものである.古英語の通常の単語が人名要素としても用いられるが,1要素からなるもの (monothematic) と,2要素からなるもの (dithematic) がある.前者は Hengest (stallion), Frōd (wise), Hild (battle), Bēage (ring) などに代表されるが,圧倒的に多いのは後者である.2要素を組み合わせることにより異なる名前を量産できるからだ.
 要素の種類に関する限り,第1要素 (prototheme) のほうが第2要素 (deuterotheme) よりも多い.名詞か形容詞が要素となり得るが,そこには意味的な傾向が認められる.主要なタイプを挙げよう (Coates (319--20)) .

 ・ 所属集団や忠誠を表わすもの: Swæf- (Swabian), þēod- (nation)
 ・ 肉体的・道徳的な「力」に関わるもの: Beald-/-beald (brave), Weald-/-weald (power), Beorht-/-beorht (bright), Æðel- (noble), Cūð- (famous), -mǣr (famous)
 ・ 戦士の生活に関わるもの: Hild-/-hild (battle), Wīg-/-wīg (battle), -brord (spear), -gār (pear), Beorn- (warrior), Wulf-/-wulf (wolf; warrior), Here-/-here (army), Sige-/-sige (victory), Ēad- (prosperity, treasure); Rǣd-/-rǣd (counsel), Burg-/-burg (pledge), Mund-/-mund (hand; protection), -helm (protection; helmet)
 ・ 平和に関わるもの: Friðu-/-frið (peace), Lēof- (dear), Wine-/-wine (friend)
 ・ 宗教的なもの(非キリスト教): Ōs- (deity), Ælf- (elf), Rūn-/-rūn (secret, mystery)
 ・ その他: -stān (stone), Eorp- (red), Ēast- (east)

 これらの要素はアングロサクソン文化のキーワードとしてみることもできるだろう.

 ・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.

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2021-08-13 Fri

#4491. 1300年かかったイングランドの完全英語化 [anglo-saxon][language_death][celtic][welsh][cornish][linguistic_imperialism]

 連日の記事で,英語の世界的拡大について Trudgill の論考を参照してきた.その最終節で,Trudgill (30) が洞察に満ちた指摘をしている.

Meanwhile, as all the events described above [= the expansion of English] were taking place around the world, back on the island of Britain, where the English language first came into being, Brittonic, the first language ever to be threatened by English, continued to hold its own in the forms of Welsh and Cornish, well over a millennium after contact with Germanic had first begun. Indeed, there were for a long time still parts of the English language's homeland, England, which remained non-English speaking. Some small border areas of England in Herefordshire and Shropshire---Oswestry, for example---remained Welsh-speaking until the middle of the eighteenth century. And Cornish . . . , which had survived the Anglo-Saxon incursions for many centuries, seems to have been lost as a viable native community language only in the late 1700s---although by that time there would have been very few monolingual Cornish speakers for several generations. When it eventually died out, England for the first time finally became a totally English-speaking country: the complete linguistic anglicisation of England had taken 1,300 years.


 この4世紀ほどという近代の比較的短い間に,英語がブリテン諸島から羽ばたいて,劇的な世界的拡大を遂げたことを考えるとき,同じ英語がお膝元であるイングランドの完全英語化を達成するのに,5世紀のアングロサクソン人の到来から数えて1300年もかかったというのは,皮肉というほかない.そして,もう1つ平行する皮肉がある.同じこの4世紀ほどという近代の比較的短い間に,イギリスが陽の沈まぬ帝国としての権勢を誇るに至ったことを考えるとき,お膝元であるイングランドは歴史上ブリテン諸島全体を統一したこともなく,目下のスコットランド情勢を見る限り,ブリテン島自体の統一にすら不安を抱えているというのは,皮肉というほかない.21世紀の世界の英語化の可能性を議論する前に,この歴史的事実を踏まえておく必要があるだろう.
 引用文で触れられているケルト系言語 Welsh と Cornish については「#1718. Wales における英語の歴史」 ([2014-01-09-1]),「#3742. ウェールズ歴史年表」 ([2019-07-26-1]),「#779. Cornish と Manx」 ([2011-06-15-1]) を参照.

 ・ Trudgill, Peter. "The Spread of English." Chapter 2 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 14--34.

Referrer (Inside): [2023-04-24-1]

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2021-06-22 Tue

#4439. 古英語は混合方言として始まった? [dialectology][dialect][oe_dialect][anglo-saxon][dialect_contact][dialect_mixture][numeral][superlative][be][suppletion]

 一般的な英語史記述によると,古英語は,5世紀半ばにアングル人,サクソン人,ジュート人など西ゲルマンの近親諸民族が,互いに少々異なった方言を携えてブリテン島に渡ってきたところから始まる.当初の「英語」は,これらの民族ごとの諸方言をひっくるめて総称したものと理解してよい.その後,古英語期中に各方言はそれぞれの土地に根付きつつ発展し,ある意味では現代にまで続くイングランド諸方言の土台を築いた.
 上記の見方は,諸方言が5世紀半ば以来,互いに(まったくとはいわずとも)それほど交わってこなかったことを前提としている.しかし,「#2868. いかにして古英語諸方言が生まれたか」 ([2017-03-04-1]) で紹介したように,古英語はそもそも方言接触 (dialect_contact) と方言混合 (dialect_mixture) の産物ではないかという議論もある.8世紀頃の古英語にはまだかなりの言語的多様性が観察されるが,これは古い諸方言が相互接触を通じて新しい諸方言へと生まれ変わる際に典型的にみられる現象といえるのではないか.
 Trudgill (2045--46) は Nielsen を参照しつつ,方言混合に起因するとみられる古英語の言語的多様性の具体例を3点挙げている.

1) Old English had a remarkable number of different, alternative forms corresponding to Modern English 'first', and, crucially, more than any other continental Germanic language. This variability, moreover, would appear to be linked, although in some way that is not entirely clear, to variability and differentiation on the European mainland: ærest (cf. Old High German eristo); forma (cf. Old Frisian forma); formest (cf. Gothic frumists); and fyrst (cf. Old Norse fyrst).
2) Similarly, OE had two different paradigms for the present tense of the verb to be, one derived from Indo-European *-es- and apparently related to Old Norse and Gothic; and the other deriving from Indo-European *bheu and relating to Old Saxon and Old High German. The relevant singular forms in Table 130.1

Table 130.1: Singular forms of the present tense of the verb to be (Nielsen 1998: 80)
 GothicOld NorseOld English IOld English IIOld SaxonOld High German
1SGimemeombeombiumbim
2SGiseseartbistbistbist
3SGistesisbiðis(t)ist


3) Old English also exhibited variability, in all regions, in the form of the interrogative pronoun meaning 'which of two'. This alternated between hwæðer which relates to Gothic hvaóar and W. Norse hvaðarr, on the other hand, and hweder which corresponds to O. Saxon hweðar, on the other.


 上記 1) の "first" に相当する序数詞の形態的多様性については,中英語の話題ではあるが「#1307. mostmest」 ([2012-11-24-1]) も関係する.2) の be 動詞が示す共時的な補充法 (suppletion) については,その起源が方言混合にあるかもしれないという洞察は鋭い.一般に補充法の事例を考察する際のヒントになるだろう.
 古英語における言語上の問題は,文献的にそれ以上遡れないという理由で積極的に話題にするのが難しく,所与のものとして受け入れてしまうことが多い.しかし,文献に先立つ時代に,思いのほか多くの方言接触や方言混合があった可能性を想定してみると,新たな視野が開けてくるように思われる.
 方言接触や方言混合の一般的な解説は「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) をどうぞ.

 ・ Trudgill, Peter. "Varieties of English: Dialect Contact." Chapter 130 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 2044--59.
 ・ Nielsen, Hans Frede. The Continental Backgrounds of English and its Insular Development until 1154. Odense: Odense UP, 1998.

Referrer (Inside): [2022-07-30-1]

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2021-05-04 Tue

#4390. 現存する古英詩の種類 --- なぞなぞも重要な1種 [oe][poetry][literature][manuscript][alliteration][anglo-saxon][oe_text][hel_education][khelf_hel_intro_2021]

 古英語の詩 (Old English poetry) は,現存するテキストを合わせると3万行ほどのコーパスとなる古英語文学の重要な構成要素である.古英詩の「1行」は「半行+休止+半行」からなり,細かな韻律規則,とりわけゲルマン語的な頭韻 (alliteration) に特徴づけられる.
 現存する古英詩の大半は以下の4つの写本に伝わっており,その他のものを含めた古英詩のほとんどが,校訂されて6巻からなる The Anglo-Saxon Poetic Records (=ASPR) に収められている.

 ・ The Bodleian manuscript Junius II (ASPR I): Genesis, Exodus, Daniel, Christ and Stan などを所収.
 ・ The Vercelli Book, capitolare CXVII (ASPR II): The Dream of the Room,Andreas と Elene の聖人伝などを所収.
 ・ The Exeter Book (ASPR III) (ASPR III): 宗教詩,Guthlac と Juliana の聖人伝,説教詩,The Wanderer, The Seafarer, The Ruin, The Wife's Lament, The Husband's Message, riddles (なぞなぞ)などを所収.
 ・ The British Library Cotton Vitellius A.xv (ASPR IV): Judith, Beowulf などを所収.

 Mitchell (75) によれば,古英詩を主題で分類すると次の8種類が区別される.

1. Poems treating Heroic Subjects
   Beowulf. Deor. The Battle of Finnsburgh. Waldere. Widsith.
2. Historic Poems
   The Battle of Brunanburh. The Battle of Maldon.
3. Biblical Paraphrases and Reworkings of Biblical Subjects
   The Metrical Psalms. The poems of the Junius MS; note especially Genesis B and Exodus. Christ. Judith.
4. Lives of the Saints
   Andreas. Elene. Guthlac. Juliana.
5. Other Religious Poems
   Note especially The Dream of the Rood and the allegorical poems --- The Phoenix, The Panther, and The Whale.
6. Short Elegies and Lyrics
   The Wife's Lament. The Husband's Message. The Ruin. The Wanderer. The Seafarer. Wulf and Eadwacer. Deor might be included here as well as under 1 above.
7. Riddles and Gnomic Verse
8. Miscellaneous
   Charms. The Runic Poem. The Riming Poem.


 この中では目立たない位置づけながらも,7 に "Riddles" (なぞなぞ)ということば遊び (word_play) が含まれていることに注目したい.古今東西の言語文化において,なぞなぞは常に人気がある.古英語にもそのような言葉遊びがあった.古英語版のなぞなぞは内容としてはおよそラテン語のモデルに基づいているとされるが,古英語の独特のリズム感と,あえて勘違いさせるようなきわどい言葉使いの妙を一度味わうと,なかなか忘れられない.
 10世紀後半の写本である The Exeter Book に収録されている "Anglo-Saxon Riddles" は,95のなぞなぞからなる.その1つを古英語原文で覗いてみたいと思うが,古英語に不慣れな多くの方々にとって原文そのものを示されても厳しいだろう.そこで,昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公表されたコンテンツ「古英語解釈教室―なぞなぞで入門する古英語読解」をお薦めしたい.事実上,古英詩の入門講義というべき内容になっている.

 ・ Mitchell, Bruce. An Invitation to Old English and Anglo-Saxon England. Blackwell: Malden, MA, 1995.

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2020-04-21 Tue

#4012. アルフレッド大王の英語史上の意義 [history][oe][anglo-saxon][alfred][monarch][standardisation]

 アルフレッド大王 (King Alfred) は,イギリス歴代君主のなかで唯一「大王」 (the Great) を冠して呼ばれる名君である.イギリス史上での評価が高いことはよく分かるが,彼の「英語史上の意義」が何かあるとしたら,何だろうか.Mengden (26) の解説から3点ほど抜き出してみよう.

 (1) ヴァイキングの侵攻を止めたことにより,イングランドの国語としての英語の地位を保った.

 歴史の if ではあるが,もしアルフレッド大王がヴァイキングに負けていたら,イングランドの国語としての英語が失われ,必然的に近代以降の英語の世界展開もあり得なかったことになる.英語が完全に消えただろうとは想像せずとも,少なくとも威信ある安定的な言語としての地位を保ち続けることは難しかったろう.アルフレッド大王の勝利は,この点で英語史上きわめて重大な意義をもつ.

 (2) 教育改革の推進により,多くの英語文献を生み出し,後世に残した.

 これは,正確にいえばアルフレッド大王の英語史研究上の意義というべきかもしれない.彼は教育改革を進めることにより,本を大量に輸入し制作した.とりわけ彼自身が多かれ少なかれ関わったとされる古英語への翻訳ものが重要である(ex. Gregory the Great's Cura Pastoralis and Dialogi, Augustine of Hippo's Soliloquia, Boethius's De consolatione philosophiae, Paulus Orosius's Historiae adversus paganos, Bed's Historia ecclesiastica) .Anglo-Saxon ChronicleMartyrology も彼のもとで制作が始まったとされる.

 (3) 上の2点の結果として,後期古英語にかけて,英語史上初めて大量の英語散文が生み出され,書き言葉の標準化が進行した.

 彼に続く時代の大量の英語散文の産出は,やはり英語史研究上の意義が大きいというべきである.また書き言葉の標準化については,その後の中英語期の脱標準化,さらに近代英語期の再標準化などの歴史的潮流を考えるとき,英語史上の意義があることは論を俟たない.

 ・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.

Referrer (Inside): [2020-04-23-1]

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2020-04-20 Mon

#4011. 英語史の始まりはいつか? --- 700年説 [periodisation][anglo-saxon][christianity][history][inscription][manuscript][oe]

 標題について,過去2日間の記事 ([2020-04-18-1], [2020-04-19-1]) で449年説と600年説を取り上げてきたが,今回は最後に700年説について考察したい.この年代は,英語の文献が本格的に現われ出すのが700年前後とされることによる.現代の英語史研究者がアクセスできる最古の文献の年代に基づいた説であるから,さらに古い文献が発見されれば英語史の始まりもその分さかのぼるという点で,相対的,可変的,もっと言ってしまえば研究者の都合を優先した説ということになる.Mengden (20) はこの説を次のように評価している.

. . . one could approach the question of the starting point of Old English from a modern perspective. . . . Our direct evidence of any characteristic of (Old) English begins with the oldest surviving written sources containing Old English. Apart from onomastic material in Latin texts and short inscriptions, the earliest documents written in Old English date from the early 8th century. A distinction between a reconstructed "pre-Old English" before 700 and an attested "Old English" after 700 . . . therefore does not seem implausible.


 しかし,Mengden (20) は,700年前後という設定は必ずしも研究者の都合を優先しただけのものではないとも考えている.

. . . it is feasible that the shift from a heptarchy of more or less equally influential Anglo-Saxon kingdoms to the cultural dominance of Northumbria in the time after Christianization may be connected with the fact that texts are produced not exclusively in Latin, but also in the vernacular. In other words, we may speculate (but no more than that) that the emergence of the earliest Anglo-Saxon cultural and political centre in Northumbria in the 8th century may lead the Anglo-Saxons to view themselves as one people rather than as different Germanic tribes, and, accordingly to view their language as English (or, Anglo-Saxon) rather than as the Saxon, Anglian, Kentish, Jutish, etc. varieties of Germanic.


 700年前後は,5世紀半ばにブリテン島に渡ってきた西ゲルマン集団が,アングロサクソン人としてのアイデンティティ,英語話者としてのアイデンティティを確立させ始めた時期であるという見方だ.これはこれで1つの洞察ではある.
 さて,3日間で3つの説をみてきたわけだが,どれが最も妥当と考えられるだろうか.あるいは他にも説があり得るだろうか(私にはあると思われる).もっとも,この問いに正解があるわけではなく,視点の違いがあるにすぎない.だからこそ periodisation の問題はおもしろい.

 ・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.

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2020-04-19 Sun

#4010. 英語史の始まりはいつか? --- 600年説 [periodisation][anglo-saxon][christianity][history][latin][borrowing][alphabet][oe]

 昨日の記事「#4009. 英語史の始まりはいつか? --- 449年説」 ([2020-04-18-1]) に引き続き,英語史の開始時期を巡る議論.今回は,実はあまり聞いたことのなかった(約)600年説について考えてみたい
 597年に St. Augustine がキリスト教宣教のために教皇 Gregory I によってローマから Kent 王国へ派遣されたことは英国史上名高いが,この出来事がアングロサクソンの社会と文化を一変させたということは,象徴的な意味でよく分かる.社会と文化のみならず英語という言語にもその影響が及んだことは「#3102. 「キリスト教伝来と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-24-1]),「#3845. 講座「英語の歴史と語源」の第5回「キリスト教の伝来」を終えました」 ([2019-11-06-1]),「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]) でたびたび注目してきた.確かに英語史上きわめて重大な事件が600年前後に起こったとはいえるだろう.Mengden の議論に耳を傾けてみよう.

. . . because the conversion is the first major change in the society and culture of the Anglo-Saxons that is not shared by the related tribes on the Continent, it is similarly significant for (the beginning of) an independent linguistic history of English as the settlement in Britain. Moreover, the immediate impact of the conversion on the language of the Anglo-Saxons is much more obvious than that of the migration: first, the Latin influence on English grows in intensity and, perhaps more crucially, enters new domains of social life; second, a new writing system, the Latin alphabet, is introduced, and third, a new medium of (linguistic) communication comes to be used --- the book.


 600年説の要点は3つある.1つめは,主に語彙借用のことを述べているものと思われるが,ラテン語からキリスト教や学問を中心とした文明を体現する分野の借用語が流れ込んだこと.2つめはローマン・アルファベットの導入.3つめは本というメディアがもたらされたこと.
 いずれも英語に直接・間接の影響を及ぼした重要なポイントであり,しかも各々の効果が非常に見えやすいというメリットもある.

 ・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.

Referrer (Inside): [2020-04-20-1]

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2020-04-18 Sat

#4009. 英語史の始まりはいつか? --- 449年説 [periodisation][anglo-saxon][christianity][history][oe]

 ○○史の時代区分 (periodisation) というのは,その分野において最も根本的な問題である.英語史も例外ではなく,この問題について絶えず考察することなしには,そもそも研究が成り立たない.とりわけ英語史の始まりをどこに置くかという問題は,分野の存立に関わる大問題である.本ブログでも,periodisation とタグ付けした多数の記事で関連する話題を取り上げてきた.
 最も伝統的かつポピュラーな説ということでいえば,アングロサクソン人がブリテン島に渡ってきたとされる449年をもって英語史の始まりとするのが一般的である.この年代自体が伝説的といえばそうなのだが,もう少し大雑把にみても5世紀前半から中葉にかけての時期であるという見解は広く受け入れられている.
 一方,「歴史」とは厳密にいえば文字史料が確認されて初めて成立するという立場からみれば,英語の文字史料がまとまった形で現われるのは700年くらいであるから,その辺りをもって英語史の開始とする,という見解もあり得る.実際,こちらを採用する論者もいる.
 上記の2つが英語史の始まりの時期に関する有力な説だが,Mengden (20) がもう1つの見方に言及している.600年頃のキリスト教化というタイミングだ.キリスト教化がアングロサクソン社会にもたらした文化的な影響は計り知れないが,そのインパクトこそが彼らの言語を初めて「英語」(他のゲルマン語派の姉妹言語と区別して)たらしめたという議論だ.かくして,古い方から並べて (1) (象徴的に)紀元449年,(2) およそ600年,(3) およそ700年,という英語史の開始時期に関する3つの候補が出たことになる.
 各々のポイントについて考えて行こう.定説に近い (1) を重視する理由は,Mengden 曰く,次の通りである.

Although the differences between the varieties of the settlers and those on the continent cannot have been too great at the time of the migration it is the settlers' geographic and political independence as a consequence of the migration which constitutes the basis for the development of English as a variety distinct and independent from the continental varieties of the West Germanic speech community . . . . (20)


 要するに,449年(付近)を英語史の始まりとみる最大のポイントは,言語学的視点というよりも社会(言語学)的視点を取っている点にある.もっといえば,空間的・物理的な視点である.大陸の西ゲルマン語の主要集団から分離して独自の集団となったのが「英語」社会だるという見方だ.実際 Mengden 自身も様々に議論した挙げ句,この説を最重要とみなしている.

I would therefore propose that, whatever happens to the language of the Anglo-Saxon settlers in Britain and for whatever reason it happens, any development after 450 should be taken as specifically English and before 450 should be taken as common (West) Germanic. That our knowledge of the underlying developments is necessarily based on a different method of access before and after around 700 is ultimately secondary to the relevant linguistic changes themselves and for any categorization of Old English. (21)


 結局 Mengden も常識的な結論に舞い戻ったようにみえるが,一般的にいって,深く議論した後にぐるっと一周回って戻ってきた結論というものには価値がある.定説がなぜ定説なのかを理解することは,とても大事である.
 他の2つの説については明日以降の記事で取り上げる.

 ・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.

Referrer (Inside): [2020-04-20-1] [2020-04-19-1]

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2020-03-17 Tue

#3977. 講座「英語の歴史と語源」の第6回「ヴァイキングの侵攻」のご案内 [asacul][notice][old_norse][history][oe][anglo-saxon][borrowing][contact][loan_word][link]

 今週末の3月21日(土)の15:15?18:30に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・6 ヴァイキングの侵攻」と題する講演を行ないます.趣旨は以下の通りです.

8世紀後半,アングロサクソン人はヴァイキングの襲撃を受けました.現在の北欧諸語の祖先である古ノルド語を母語としていたヴァイキングは,その後イングランド東北部に定住しましたが,その地で古ノルド語と英語は激しく接触することになりました.こうして古ノルド語の影響下で揉まれた英語は語彙や文法において大きく変質し,その痕跡は現代英語にも深く刻まれています.ヴァイキングがいなかったら,現在の英語の姿はないのです.今回は,ヴァイキングの活動と古ノルド語について概観しつつ,言語接触一般の議論を経た上で,英語にみられる古ノルド語の語彙的な遺産に注目します.


 ヴァイキングや古ノルド語 (old_norse) について,本ブログでも関連する話題を多く扱ってきました.以下,主要な記事にリンクを張っておきます.

 ・ 「#59. 英語史における古ノルド語の意義を教わった!」 ([2009-06-26-1])
 ・ 「#111. 英語史における古ノルド語と古フランス語の影響を比較する」 ([2009-08-16-1])
 ・ 「#169. getgive はなぜ /g/ 音をもっているのか」 ([2009-10-13-1])
 ・ 「#170. guesthost」 ([2009-10-14-1])
 ・ 「#340. 古ノルド語が英語に与えた影響の Jespersen 評」 ([2010-04-02-1])
 ・ 「#818. イングランドに残る古ノルド語地名」 ([2011-07-24-1])
 ・ 「#827. she の語源説」 ([2011-08-02-1])
 ・ 「#881. 古ノルド語要素を南下させた人々」 ([2011-09-25-1])
 ・ 「#931. 古英語と古ノルド語の屈折語尾の差異」 ([2011-11-14-1])
 ・ 「#1146. インドヨーロッパ語族の系統図(Fortson版)」 ([2012-06-16-1])
 ・ 「#1167. 言語接触は平時ではなく戦時にこそ激しい」 ([2012-07-07-1])
 ・ 「#1170. 古ノルド語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-10-1])
 ・ 「#1179. 古ノルド語との接触と「弱い絆」」 ([2012-07-19-1])
 ・ 「#1182. 古ノルド語との言語接触はたいした事件ではない?」 ([2012-07-22-1])
 ・ 「#1183. 古ノルド語の影響の正当な評価を目指して」 ([2012-07-23-1])
 ・ 「#1253. 古ノルド語の影響があり得る言語項目」 ([2012-10-01-1])
 ・ 「#1611. 入り江から内海,そして大海原へ」 ([2013-09-24-1])
 ・ 「#1937. 連結形 -son による父称は古ノルド語由来」 ([2014-08-16-1])
 ・ 「#1938. 連結形 -by による地名形成は古ノルド語のものか?」 ([2014-08-17-1])
 ・ 「#2354. 古ノルド語の影響は地理的,フランス語の影響は文体的」 ([2015-10-07-1])
 ・ 「#2591. 古ノルド語はいつまでイングランドで使われていたか」 ([2016-05-31-1])
 ・ 「#2625. 古ノルド語からの借用語の日常性」 ([2016-07-04-1])
 ・ 「#2692. 古ノルド語借用語に関する Gersum Project」 ([2016-09-09-1])
 ・ 「#2693. 古ノルド語借用語の統計」 ([2016-09-10-1])
 ・ 「#2869. 古ノルド語からの借用は古英語期であっても,その文証は中英語期」 ([2017-03-05-1])
 ・ 「#2889. ヴァイキングの移動の原動力」 ([2017-03-25-1])
 ・ 「#3001. なぜ古英語は古ノルド語に置換されなかったのか?」 ([2017-07-15-1])
 ・ 「#3263. なぜ古ノルド語からの借用語の多くが中英語期に初出するのか?」 ([2018-04-03-1])
 ・ 「#3969. ラテン語,古ノルド語,ケルト語,フランス語が英語に及ぼした影響を比較する」 ([2020-03-09-1])
 ・ 「#3972. 古英語と古ノルド語の接触の結果は koineisation か?」 ([2020-03-12-1])
 ・ 「#3606. 講座「北欧ヴァイキングと英語」」 ([2019-03-12-1])

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2020-01-03 Fri

#3903. ゲルマン名の atheling, edelweiss, Heidi, Alice [anglo-saxon][oe][onomastics][personal_name][etymology][german][patronymy]

 昨日の記事「#3902. 純アングロサクソン名の Edward, Edgar, Edmond, Edwin」 ([2020-01-02-1]) に引き続き,人名の話題.以下,主として梅田 (13) より.
 標題の単語や人名はいずれも語源素として「高貴な」を意味する WGmc *aþilja にさかのぼる.その古英語の反映形 æþel(e) (高貴な)は重要な語であり,これに父称 (patronymy) を作る接尾辞 -ing を付した æþeling は,現在でも atheling (王子,貴族)として残っている.
 æþel は,アングロサクソン王朝の諸王の名前にも多く確認される.「#2547. 歴代イングランド君主と統治年代の一覧」 ([2016-04-17-1]) を一瞥するだけでも,Ethelwulf, Ethelbald, Ethelbert, Ethelred, Athelstan などの名前が挙がる.しかし,昨日の記事でも述べたように,ノルマン征服後,これらの名前は衰退していき,現代では見る影もない.
 ところで,ドイツ語で「高貴な」に対応する語は edel であり,「貴族」は Adel である.edelweiss (エーデルワイス)は「高貴なる白」を意味するアルプスの植物だ.形容詞に名詞化語尾をつけた形態が Adelheid であり,古高地ドイツ語の Adalheidis にさかのぼる.これは女性名ともなり,その省略された愛称形が Heidi となる.アニメの名作『アルプスの少女ハイジ』で,厳しい執事のロッテンマイヤーさんは,ハイジのことを省略せずにアーデルハイドと呼んでいる.なお,オーストラリアの South Australia 州の州都 Adelaide は,このドイツ語名がフランス語経由で英語に取り込まれたものである.
 一方,Adalheidis は,フランス語に取り込まれるに及び,短縮・変形したバージョンも現われた.AlalizA(a)liz である.これが中英語に借用されて Alyse や,近現代の Alice となった.もう1つの女性名 Alison は,フランス語で Alice に指小辞が付されたものである.
 「王子」「エーデルワイス」「ハイジ」「アリス」が関係者だったというのは,なかなかおもしろい.

 ・ 梅田 修 『英語の語源事典』 大修館書店,1990年.

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2020-01-02 Thu

#3902. 純アングロサクソン名の Edward, Edgar, Edmond, Edwin [anglo-saxon][oe][onomastics][personal_name][etymology][norman_conquest]

 「#2364. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ」 ([2015-10-17-1]) でみたように,古英語期,すなわち1066年のノルマン征服より前の時代には当たり前のようにイングランドで用いられていたアングロサクソン人名の多くが,征服後に一気に衰退した.標題の名前は,生き残った純正アングロサクソン男性名の代表例である(「#2547. 歴代イングランド君主と統治年代の一覧」 ([2016-04-17-1]) よりアングロサクソン諸王の名前を確認されたい).
 いずれも複合語であり,第1要素に Ed- がみえる.これは古英語の名詞 ēad (riches, prosperity, good, fortune, happiness) を反映したものである(すでに廃語).「裕福」という縁起のよい意味だから人名には多用された.Edwardēad + weard (guardian) ということで「富を守る者」が原義である.Edgarēad + gār (spear) ということで「富裕な槍持ち」といったところか.Edmond/Edmundēad + mund (protection) ということで「富貴の守り手」ほどの意となる(この第2要素は Raymond, Richmond にもみられる).Edwineēad + wine (friend) ということで「富の友」である(この第2要素は Baldwin にもみられる).
 なお Edith は女性名となるが,第1要素はやはり ēad である.これに gūþ (war) が複合(および少し変形)した,勇ましい名前ということになる.
 現代に生き残るこのような純アングロサクソン名(残念ながら多くはない)を利用して,古英語の単語や語源について学ぶのもおもしろい.

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2019-10-25 Fri

#3833. 講座「英語の歴史と語源」の第5回「キリスト教の伝来」のご案内 [asacul][notice][christianity][anglo-saxon][link]

 来週末の11月2日(土)の15:15?18:30に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・5 キリスト教の伝来」と題する講演を行ないます.ご関心のある方は,こちらよりお申し込みください.趣旨は以下の通りです.

6世紀以降,英語話者であるングロサクソン人はキリスト教を受け入れ,大陸文化の影響に大いにさらされることになりました.言語的な影響も著しく,英語はラテン語との接触を通じて2つの激震を経験しました.(1) ローマ字の採用と (2) キリスト教用語を中心とするラテン単語の借用です.これは,後のイングランドと英語の歴史を規定することになる大事件でした.今回は,このキリスト教伝来の英語史上の意義について,ほぼ同時代の日本における仏教伝来の日本語史的意義とも比較・対照しながら,多面的に議論していきます.


 合わせて,英語史における聖書翻訳の伝統にも触れる予定です.
 以下,予習のために,関連する話題を扱った記事をいくつか紹介しておきます.

 ・ 「#2485. 文字と宗教」 ([2016-02-15-1])
 ・ 「#3193. 古英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-23-1])
 ・ 「#3038. 古英語アルファベットは27文字」 ([2017-08-21-1])
 ・ 「#3199. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第2回「英語初のアルファベット表記 --- 古英語のスペリング」」 ([2018-01-29-1])
 ・ 「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1])
 ・ 「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1])
 ・ 「#3787. 650年辺りを境とする,その前後のラテン借用語の特質」 ([2019-09-09-1])
 ・ 「#3790. 650年以前のラテン借用語の一覧」 ([2019-09-12-1])
 ・ 「#1619. なぜ deus が借用されず God が保たれたのか」 ([2013-10-02-1])
 ・ 「#1439. 聖書に由来する表現集」 ([2013-04-05-1])
 ・ 「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1])
 ・ 「#1869. 日本語における仏教語彙」 ([2014-06-09-1])
 ・ 「#3382. 神様を「大日」,マリアを「観音」,パライソを「極楽」と訳したアンジロー」 ([2018-07-31-1])
 ・ 「#1427. 主要な英訳聖書に関する年表」 ([2013-03-24-1])
 ・ 「#1709. 主要英訳聖書年表」 ([2013-12-31-1])
 

Referrer (Inside): [2019-11-06-1]

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2019-10-24 Thu

#3832. 講座「英語の歴史と語源」の第4回「ゲルマン民族の大移動」を終えました [asacul][notice][slide][link][anglo-saxon]

 「#3806. 講座「英語の歴史と語源」の第4回「ゲルマン民族の大移動」のご案内」 ([2019-09-28-1]) で案内した朝日カルチャーセンター新宿教室講座を10月20日(日)に終えました(当初の予定は10月12日(土)でしたが,台風19号により延期しました).今回も過去3回とともに,質疑応答を含め参加者の方々と活発な交流の時間をもつことができました.
 講座で用いたスライド資料はこちらに置いておきます.自由にご参照ください.以下に,スライドの各ページへのリンクも貼っておきます.

   1. 英語の歴史と語源・4 「ゲルマン民族の大移動」
   2. 第4回 ゲルマン民族の大移動
   3. 目次
   4. 1. ゲルマン民族の大移動とアングロ・サクソンの渡来
   5. ゲルマン語派とゲルマン諸民族
   6. 「アングロ・サクソン人」とは誰?
   7. 「イングランド」「イングリッシュ」「アングロ・サクソン」の名称
   8. 2. 古英語の語彙
   9. 古英語の語形成の特徴
   10. 複合 (compounding) と派生 (derivation)
   11. 隠喩的複合語 (kenning)
   12. 3. 現代に残る古英語の語彙的遺産
   13. 古英語語彙だけで構成された現代英語文
   14. 偽装複合語 (disguised compound)
   15. まとめ
   16. 参考文献
   17. 補遺:Anglo-Saxon Chronicle の449年の記述

 次回,第5回の講座「キリスト教の伝来」は,11月2日(土)の15:15?18:30に予定されています.ご関心のある方は,是非こちらよりお申し込みください.

Referrer (Inside): [2022-03-12-1]

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2019-10-12 Sat

#3820. なぜアルフレッド大王の時代までに学問が衰退してしまったのか? [history][oe][alfred][anglo-saxon]

 昨日の記事「#3819. アルフレッド大王によるイングランドの学問衰退の嘆き」 ([2019-10-11-1]) で話題にしたように,9世紀後半のアルフレッド大王の時代(在位871--99年)までに,イングランドの(ラテン語による)学問水準はすっかり落ち込んでしまっていた.8世紀中には,とりわけ Northumbria から Bede や Alcuin などの大学者が輩出し,イングランドの学術はヨーロッパ全体に威光を放っていたのだが,昨日の記事で引用したアルフレッド大王の直々の古英語文章から分かる通り,その1世紀半ほど後には,嘆くべき知的水準へと堕していた.
 その理由の1つは,ヴァイキングの襲来である.793年に Lindisfarne が襲撃されて以来,9世紀にかけて,イングランドでは写本の制作が明らかに減少した.イングランドの既存の写本も多くが消失してしまい,大陸へ避難して保管された写本もあったが,それとてさほどの数ではない.写本がなければ,イングランドの学僧とて学ぶことはできないし,ラテン語力を維持することもできなかった.全体として学問水準が落ち込むのも無理からぬことだった.
 もう1つの理由は,ヴィアキングの襲来以前に,イングランドの頭脳が大陸に流出してしまったということがある.碩学 Alcuin (c732--804) がシャルルマーニュの筆頭顧問として仕えるべく大陸へ発ってしまうと,Northumbria の学問にはっきりと衰退の兆候が現われた.1人の重要人物の流出によって大きなダメージがもたらされるというのは,古今東西の人事の要諦だろう.
 およそ同時代,イングランド出身でゲルマン人に布教した Boniface (680?--754?) が学問のある貴顕とともにドイツへと発ってしまった結果,Southumbria の学術水準もはっきりと落ち込んだ.すでに8世紀中に,イングランド中で学問衰退の傾向が現われていたのである.そこへヴァイキング襲撃という,泣きっ面に蜂のご時世だったことになる.

Referrer (Inside): [2020-03-13-1]

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2019-10-11 Fri

#3819. アルフレッド大王によるイングランドの学問衰退の嘆き [popular_passage][oe][alfred][anglo-saxon]

 アルフレッド大王による Cura Pastoralis (or Pastoral Care) の古英語訳(893年頃)の序文に,9世紀後半当時のイングランドにおいて,ヴァイキングの襲来により学問が衰退してしまったことを嘆く有名な1節がある.アルフレッドはこの文化的危機を脱するべく教育改革を行ない,その成果は1世紀ほど後に現われ,10世紀後半のベネディクト改革 (the Benedictine Reform) や文芸の復活へとつながっていった.その意味では,文化史・文学史的に重要な1節であるといえる.その文章から,とりわけよく知られている部分を古英語原文で引用しよう (Mitchell and Robinson 204--05) .アルフレッド大王の本気が伝わってくる.

Ælfred kyning hāteð grētan Wǣrferð biscep his wordum luflīce ond frēondlīce; ond ðē cȳðan hāte ðæt mē cōm swīðe oft on gemynd, hwelce wiotan iū wǣron giond Angelcynn . . . ond hū man ūtanbordes wīsdōm ond lāre hieder on lond sōhte; ond hū wē hīe nū sceoldon ūte begietan, gif wē hīe habban sceoldon. Swǣ clǣne hīo wæs oðfeallenu on Angelcynne ðæt swīðe fēawa wǣron behionan Humbre ðe hiora ðēninga cūðen understondan on Englisc oððe furðum ān ǣrendgewrit of Lǣdene on Englisc āreccean; ond ic wēne ðætte nōht monige begiondan Humbre nǣren. Swǣ fēawa hiora wǣron ðæt ic furðum ānne ānlēpne ne mæg geðencean be sūðan Temese ðā ðā ic tō rīce fēng. Gode ælmihtegum sīe ðonc ðætte wē nū ǣnigne onstal habbð lārēowa.


 Crystal (13) より,この箇所に対する現代語を与えておく.

King Alfred sends his greetings to Bishop Werferth in his own words, in love and friendship . . . . I want to let you know that it has often occurred to me to think what wise men there once were throughout England . . . and how people once used to come here from abroad in search of wisdom and learning --- and how nowadays we would have to get it abroad (if we were to have it at all). Learning had so declined in England that there were very few people this side of the Humber who could understand their service-books in English, let alone translate a letter out of Latin into English --- and I don't imagine there were many north of the Humber, either. There were so few of them that I cannot think of even a single one south of the Thames at the time when I came to the throne. Thanks be to almighty God that we now have any supply of teachers.


 ・ Mitchell, Bruce and Fred C. Robinson. A Guide to Old English. 5th ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 1992.
 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2019.

Referrer (Inside): [2019-10-13-1] [2019-10-12-1]

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2019-09-20 Fri

#3798. 古英語の緩い分かち書き [punctuation][writing][scribe][manuscript][distinctiones][anglo-saxon][orthography][hyphen]

 英語表記において単語と単語の間に空白を入れる分かち書きの習慣については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) を始めとする distinctiones の各記事で取り上げてきた.この習慣は確かに古英語期にも見られたが,現代のそれに比べれば未発達であり,あくまで過渡期の段階にあった.実のところ,続く中英語期でも規範として完成はしなかったので,古英語の分かち書きの緩さを概観しておけば,中世英語全体の緩さが知れるというものである.
 Baker は,古英語入門書において単語の分かち書き,および単語の途中での行跨ぎに関して "Word- and line-division" (159--60) と題する一節を設けている.以下,分かち書きについての解説.

Word-division is far less consistent in Old English than in Modern English; it is, in fact, less consistent in Old English manuscripts than in Latin written by Anglo-Saxon scribes. You may expect to see the following peculiarities.

・ spaces between the elements of compounds, e.g. aldor mon;
・ spaces between words and their prefixes and suffixes, e.g. be æftan, gewit nesse;
・ spaces at syllable divisions, e.g. len gest;
・ prepositions, adverbs and pronouns attached to the following words, e.g. uuiþbret walū, hehæfde;
・ many words, especially short ones, run together, e.g. þær þeherice hæfde.

The width of the spaces between words and word-elements is quite variable in most Old English manuscripts, and it is often difficult to decide whether a scribe intended a space. 'Diplomatic' editions, which sometimes attempt to reproduce the word-division of manuscripts, cannot represent in print the variability of the spacing on a hand-written page.


 続けて,単語の途中での行跨ぎの扱いについて.

Most scribes broke words freely at the ends of lines. Usually the break takes place at a syllabic boundary, e.g. ofsle-gen (= ofslægen), sū-ne (= sumne), heo-fonum. Occasionally, however, a scribe broke a word elsewhere, e.g. forhæf-dnesse. Some scribes marked word-breaks with a hyphen, but many did not mark them in any way.


 古英語期にもハイフンを使っていた写字生がいたということだが,この句読記号が一般化するのは「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) で述べたように16世紀後半のことである.
 以上より,古英語の分かち書きの緩さ,ひいては正書法の緩さが分かるだろう.

 ・ Baker, Peter S. Introduction to Old English. 2nd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2007.

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2019-09-19 Thu

#3797. アングロサクソン七王国 [anglo-saxon][history][map][oe][heptarchy]

 アングロサクソン七王国 (The Anglo-Saxon Heptarchy) とは5--9世紀のイングランドに存在したアングロサクソンの7つの王国で Northumbria, Mercia, Essex, East Anglia, Wessex, Sussex, Kent を指す.5世紀を中心とするアングロサクソンのブリテン島への渡来に際して,主としてアングル人が Northumbria, Mercia, East Anglia に入植し,サクソン人が Essex, Wessex, Sussex に, ジュート人が Kent に各々入植したのが,諸王国の起源である.互いに攻防を繰り返し,6世紀末には七王国が成立したが,800年頃までには Northumbria, Mercia, East Anglia, Wessex の4つへと再編され,最終的には9--10世紀にかけて Wessex が覇権を握り,その下でアングロサクソン(イングランド)王国が統一されるに至った.
 七王国時代には,時代によって異なる王国が覇を唱えた.7世紀から8世紀前半にかけては Northumbria が覇権を握り,Bede, Alcuin などのアイルランド系キリスト教の大学者も輩出した(「ノーサンブリア・ルネサンス」と呼ばれる).8世紀後半から9世紀初めにかけては,Mercia に Offa 王が現われ,海外にも名をとどろかせるほどの隆盛を誇った(「マーシアの覇権」).Offa は銀貨も鋳造し,イングランド統一に近いところまでいった.また,ウェールズとの国境を画する「オッファの防塁」 (Offa's Dyke) もよく知られている.しかし,Mercia の覇権は続かず,9世紀が進んでくると Wessex の宗主権の下に入ることになった.
 9世紀後半にかけてヴァイキングの侵攻が激化してくると,王国は次々と独立を失い,形をとどめたのはアルフレッド大王の Wessex のみとなってしまった.Wessex を守り抜いた大王とその子孫は,9世紀末から10世紀にかけてイングランドの他の領域にも影響力を行使し,事実上のイングランド統一を果たしていった.
 このように,アングロサクソン七王国は,内圧と外圧によりその分立が徐々に解消されていき,ついにはアングロサクソン(イングランド)王国へと発展していった.この時代のもう少し詳しい年表については,「#2871. 古英語期のスライド年表」 ([2017-03-07-1]),「#3193. 古英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-23-1]) を参照.
 指 (13) の「アングロ・サクソン七王国」と題する地図を掲げておこう.実際には明確な国境があったわけではなく,それぞれの勢力圏は流動的だったことに注意しておきたい.

Map of the Anglo-Saxon Heptarchy

 ・ 指 昭博 『図説イギリスの歴史』 河出書房新社,2002年.

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2019-09-18 Wed

#3796. ゲルマン人の移動とケルト人の移動 [anglo-saxon][celtic][history][map]

 5世紀のアングロサクソンのブリテン島への渡来は「ゲルマン民族の大移動」 (Volkerwanderung) の一環としてよく知られているが,それと同時期に生じていたケルトの移動については特に名称も与えられておらず,印象が薄い.実は,ブリテン諸島のケルト人は,アングロサクソンの渡来と前後する4--8世紀のあいだ,なかなか活動的だったのである.4--5世紀にはアイルランドからスコットランド西岸やウェールズ西岸への移住がみられたし,4--8世紀のあいだにはブリテン島南西部から海峡を南に越えてブルターニュ半島へも人々が渡っていた(後者については「#734. pandaBritain」 ([2011-05-01-1]) と「#3761. ブリテンとブルターニュ」 ([2019-08-14-1]) を参照).
 従来,アングロサクソンがブリテン島に押し入ってきたことにより,ケルトが周辺部に追いやられたと考えられてきた.しかし,ケルトは実際にはアングロサクソンがやってくる以前から様々な動きを示していたのである.指 (12--13) は次のように述べている.

 従来,アングロ・サクソン人は,先住のケルト人を,西ではウェールズ(サクソン人の言葉で「外国人の土地」を意味する)やコーンウォール,北方では高地スコットランド地方といった辺境へ追いやったと考えられてきた.しかし,ゲルマン人の活動が盛んであった五世紀の前後,イギリス諸島のケルト人の動きも活発であったことを忘れてはならない.すでに四世紀にはアイルランドのスコット人がブリテン島北西部に移住し,先住のピクト人を統合するかたちで後のスコットランドを形成することになったし,一部のアイルランド人はウェールズにも渡った.ウェールズなどブリテン島西南部のブリトン人も,四?八世紀に,海を渡ってブルターニュ半島に定着,王国を形成した.イギリス諸島の西と東とでともに大きな人々の動きが見られたのである.
 しかも近年では,イングランドからもケルト系先住民が完全に放逐されたわけではなく,先のケルト人が多数を占める先住民と融合していたように,実際には共住もしていたことが,考古学の発見によって明らかにされてきている.アングロ・サクソンの人口はケルト人を凌駕するものではなかったようだが,この過程で,優勢であったアングロ・サクソンの文化が定着し,英語が使用されるなど,イングランド地域からケルト文化が駆逐されていったことも,また確かである.


 「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」 ([2010-05-21-1]) のような地図に,ケルトの移動も組み合わせた別の地図(指, p. 12 より)を示そう.

Volkerwanderung of the Anglo-Saxons and Celts

 近年,従来のアングロサクソンの「電撃的な圧勝」という説ではなく,ケルトとの共生を想定する,穏やかな説が聞かれるようになってきている.これについては「#3113. アングロサクソン人は本当にイングランドを素早く征服したのか?」 ([2017-11-04-1]) の記事や,そこからのリンク先の記事を参照.

 ・ 指 昭博 『図説イギリスの歴史』 河出書房新社,2002年.

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2019-08-12 Mon

#3759. 周縁部から始まった俗語書記文化 [celtic][anglo-saxon][germanic][latin][literature][writing][geography][geolinguistics]

 中世前期のヨーロッパにおける俗語書記文化の発達は,周縁部から順に始まったようにみえる.ラテン語ではなく俗語 (vernacular) で書かれた文学が現われるのは,フランス語では1098年頃の『ローランの歌』,ドイツ語では13世紀の『ニーベルンゲンの歌』というタイミングだが,英語ではずっと早く700年頃とされる『ベオウルフ』が最初である.
 地理的にさらに周縁に位置するアイルランド語については,現存する最古の文書は1106年頃の『ナ・ヌイドレ書』や1160年頃の『ラグネッヘ書』とされるが,その起源は6世紀にまでさかのぼるという.6世紀のダラーン・フォルギルによる「コルムキル(聖コルンバ)頌歌」が最もよく知られている.同じくウェールズ語についても現存する最古の文書は13世紀以降だが,「アネイリン」「タリエシン」などの詩歌の起源は6世紀にさかのぼるらしい.周縁部において俗語書記文化の発達がこれほど早かったのはなぜだろうか.原 (213) が次のように解説している.

 この答えはまさにその文化的周縁性にあるといっていいだろう.フランスの社会言語学者バッジオーニの提唱していることだが,ローマ帝国の周縁部(リメース)とその隣接地帯,すなわちブリタニア諸島,ドイツ北東部,スカンジナビア,ボヘミアなどでは,ラテン語は教養人にとっても外国語でしかなく,その使われ方も古風なままであった.権威ある言語が自由に日常的に用いられないというなかで,地元のことばをそれに代用するという考え方が生まれ,ラテン語に似せた書きことばでの使用がはじまったというわけである.
 したがって,ヨーロッパでは,ローマ帝国の周縁部,その内外で最初に,日常的に用いられる俗語による書きことばが誕生した.こうした俗語が現代の国語・民族語のはっきりとした外部であるヒベルニアでは,六世紀には詩歌ばかりでなく,年代記や法的文書までゲール語で書かれるようになった.カムリー語の法的文書は一〇世紀,聖人伝はラテン語からの翻訳で一一世紀末になって登場するので,ゲール語と比べるとその使用度は低い.ワリアが一部はローマ帝国領内だったということも関係しているだろう.


 周縁部ではラテン語の権威が適度に弱かったという点が重要である.ラテン語と距離を置く姿勢が俗語の使用を促したのである.別の観点からみれば,周縁部の社会は,ラテン語から刺激こそ受けたが,ラテン語をそのまま使用するほどにはラテン語かぶれしなかったし,母語との言語差もあって語学上のハンディを感じていたということではないか.
 そして,そのような語学上の困難を少しでも楽に乗り越えるために,学習の種々のテクニックがよく発達したのも周縁部の特徴である.「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) の記事で,分かち書きは「外国語学習者がその言語の読み書きを容易にするために編み出した語学学習のテクニックに由来する」と述べたが,この書記上の革新をもたらしたのは,ほかならぬイギリス諸島という周縁に住む修道僧たちだったのである.

 ・ 原 聖 『ケルトの水脈』 講談社,2007年.

Referrer (Inside): [2019-08-13-1]

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