現在,英語の世界的拡大に伴って生じている議論の最たるものは,標題の通り,英語は国際コミュニケーションのために標準化していく(べきな)のか,あるいは各地の独自性を示す英語諸変種がますます発達していく(べきな)のか,という問題だ.2つの対立する観点は,言語のもつ2つの機能,"mutual intelligibility" と "identity marking" にそれぞれ対応する(cf. 「#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか?」 ([2013-01-16-1]),「#1521. 媒介言語と群生言語」 ([2013-06-26-1])).
日本語を母語とする英語学習者のほとんどは,日本語という盤石な言語的アイデンティティを有しているために,使うべき英語変種を選択するという面倒なプロセスをもってアイデンティティを表明しようなどとは考えないだろう.したがって,英語を学ぶ理由は第一に国際コミュニケーションのため,世界の人々と互いに通じ合うため,ということになる.英語が標準化してくれることこそが重要なのであって,世界中でバラバラの変種が生じてしまう状況は好ましくない,と考える.日本に限らず EFL 地域の英語学習者は,おおよそ同じような見方だろう.
しかし,世界の ENL, ESL 地域においては,自らの用いる英語変種(しばしば非標準変種)を意識的に選択することでアイデンティティを示したいという欲求は決して小さくない.そのような人々は,英語の標準化がもつ国際コミュニケーション上の意義は理解しているにせよ,世界各地で独自の変種が発達していくことにも消極的あるいは積極的な理解を示している.
はたして,グローバルな英語の議論において標題の対立が立ち現われてくることになる.この話題に関するエッセイ集を編んだ Rubdy and Saraceni は,序章で次のように述べている (5) .
The global spread of English, its causes and consequences, have long been a focus of critical discussion. One of the main concerns has been that of standardization. This is also because, unlike other international languages such as Spanish and French, English lacks any official body setting and prescribing the norms of the language. This apparent linguistic anarchy has generated a tension between those who seek stability of the code through some form of convergence and the forces of linguistic diversity that are inevitably set in motion when new demands are made on a language that has assumed a global role of such immense proportions.
言語の標準化 (standardisation) とは何か? 標準英語 (Standard English) とは何か? なぜ英語を統制する公的機関は存在しないのか? 数々の疑問が生じてくる.このような疑問に立ち向かうには,英語の歴史の知識が武器になる.というのは,英語は,1600年近くにわたる歴史を通じて,標準化と脱標準化(変種の多様化)の波を繰り返し経験してきたからである.21世紀に生じている標準化と脱標準化の対立が,過去の対立と必ずしも直接的に比較可能なわけではないが,議論の参考にはなるはずだ.また,英語を統制する公的機関が不在であることも,英語史上で長らく論じられてきたトピックである.
言語の標準化を巡っては,近刊書(高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年)を参照されたい.同書の紹介は「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) の記事とそのリンク先にまとまっている.
・ Rubdy, Rani and Mario Saraceni, eds. English in the World: Global Rules, Global Roles. London: Continuum, 2006.
来たる6月11日(土)の 15:30--18:45 の初回を皮切りに,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と世界英語 --- 世界英語入門」と題するシリーズ講座が始まります.全4回のシリーズで,今をときめく「世界英語」 (world_englishes) をテーマに英語史の観点からお話ししていく予定です.
ご関心のある方は,ぜひご参加ください.講座紹介および参加お申し込みはこちらからどうぞ.対面のほかオンラインでの参加も選べます.また,1週間のレコーディング限定配信も予定されていますので,都合のよい方法でご参加いただけます.
シリーズ全体の概要を以下に転記しておきます.
言うまでもなく英語は現代世界において最も有力な言語です.しかし,英語の世界的拡大の結果,通常私たちが学んでいる「標準英語」以外にも様々な英語が発達しており,近年はその総体を世界英語 (World Englishes) と呼ぶことが増えてきました.
この全4回のシリーズでは,世界英語とは何か,英語はいかにしてここまで拡大したのか,英語の方言の起源はどこにあるのか,そして今後の英語はどうなっていくのかといった問題に英語の歴史という視点から迫ります.
全4回のタイトル(予定)は以下の通りです.
・ 第1回 世界英語入門(6月11日)
・ 第2回 いかにして英語は拡大したのか(8月6日)
・ 第3回 英米の英語方言(未定)
・ 第4回 21世紀の英語のゆくえ(未定)
初回となる「世界英語入門」でお話しする内容はおよそ次の通りとなる見込みです.
通常私たちが学んでいる「標準英語」は英米英語を基盤としていますが,現在世界中で用いられている英語はインド英語,ナイジェリア英語,ジャマイカ英語などと実に多様です.近年,これらは「世界英語」(英語では複数形の "World Englishes")として呼ばれることも多くなってきました.本講義では,この「世界英語」現象とは何なのかを導入するとともに,なぜ,どのようにこの現象が生じているのかについて,主に英語の歴史の観点から議論します.
本シリーズの案内は,hellog の姉妹版・音声版の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 でも配信していますので,ぜひそちらもお聴きください.
世界英語と関連して,以下の hellog 記事,heldio 放送もどうぞ.
・ hellog 「#4558. 英語史と世界英語」 ([2021-10-19-1])
・ hellog 「#4730. World Englishes の学び始めに何冊か本を紹介」 ([2022-04-09-1])
・ heldio 「#141. 対談 英語史 X 国際英語」(khelf(慶應英語史フォーラム)顧問である泉類尚貴氏との対談)
・ heldio 「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」
・ heldio 「#314. 唐澤一友先生との対談 今なぜ世界英語への関心が高まっているのか?」
皆様の本シリーズへの参加をお待ちしています!
「#4509. "angloversals" --- 世界英語にみられる「普遍的な」言語項目」 ([2021-08-31-1]) で "angloversals" という用語・概念に触れた.世界の英語変種を見渡すと,歴史的,地理的に直接の関係がなさそうな変種間に,よく似た言語項目(とりわけ非標準的な言語項目)が共通して観察されることがある.いずれも広い意味で「英語」の仲間なので,そういうこともあるだろうと思われるかもしれないが,項目のなかには9割以上の英語変種に確認されるという,ユニバーサルに近いものもある.これが angloversals と呼ばれるものだ.
Kortmann は,世界の76の英語変種を調査し,多くの変種に共有されている angloversals のトップ11をはじき出した.いずれも標準的で規範的な文法としてはダメとされる形態統語的な項目である.Kortmann のランキング表 (639--40) を,見やすいように改変して以下に示す.左欄の "No." は調査上の整理番号,右欄の "AR" は "attestation rate" を指す.
No. | Feature | Absent in | Total | AR worldwide |
---|---|---|---|---|
F229 | no inversion/no auxiliaries in main clause yes/no questions (You get the point?) | North, SE, AppE, ChcE, NigE, TP | 70 | 92% |
F34 | forms or phrases for the second person plural pronoun other than you (e.g. youse, yinz, y'all, you guys, yufela) | O&SE, SE, TznE, UgE, HKE, FijiE, Saramaccan | 69 | 91% |
F221 | adverbs other than degree modifiers have the same form as adjectives (Come quick!) | PakE, SLkE, HKE, FijiE, BelC, Bislama, TP | 69 | 91% |
F7 | me instead of I in coordinate subjects (me and my brother) | FijiE, EMarC, Saramaccan, TorSC, PalmE, Bislama, Norf'k, TP | 68 | 89% |
F159 | never as preverbal past tense negator (She never came this morning) | O&SE, ChcE, JamE, UgE, NigE, IndE, SLkE, EMarC, Saramaccan, Sranan, RRC, Bislama, TP | 63 | 83% |
F154 | multiple negation/negative concord (He won't do no harm) | NigE, TznE, PakE, SLkE, MalE, FijiE, RRC, TP, Bislama, GhP, NigP | 61 | 80% |
F220 | degree modifier adverbs have the same form as adjectives (This is real healthy) | . . . | 60 | 79% |
F147 | was for conditional were (if I was you) | . . . | 58 | 76% |
F78 | double comparatives and superlatives (That's so much more easier to follow) | . . . | 56 | 74% |
F172 | existential/presentational there's/there is/there was with plural subjects (There's three people in the garden) | . . . | 54 | 71% |
F228 | no inversion/no auxiliaries in wh-questions (What you doing?) | . . . | 54 | 71% |
昨今,World Englishes (世界英語)への関心が高まってきています.本ブログでも world_englishes 関連の記事を多く取り上げてきましたが,振り返ってみると,特にここ数年間での取り上げ方が頻繁になってきました.私の関心がそちらに向かっているというよりも,世の中の関心の潮流が先にあり,それをなんとか追いかけているという感じがします.
私自身がこのように学び始めの段階にあるので書誌を紹介するというのもおこがましいのですが,何冊か和書と洋書を挙げてみます.以下のリストには,昨年10月19日に「対談 英語史×国際英語」と題して語り合った泉類尚貴氏からのお勧め図書も含まれています.
・ 唐澤 一友 『世界の英語ができるまで』 亜紀書房,2016年.
・ 里井 久輝 『「世界の英語」リスニング』 アルク,2019年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『辞書・世界英語・方言』 研究社英語学文献解題 第8巻.研究社.2006年.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
・ Filppula, Markku, Juhani Klemola, and Devyani Sharma, eds. The Oxford Handbook of World Englishes. New York: OUP, 2017.
・ Galloway, Nicola and Heath Rose. Introducing Global Englishes. London: Routledge, 2015.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
・ Jenkins, Jennifer. World Englishes: A Resource Book for Students. 2nd ed. London: Routledge, 2009.
・ Mesthrie, Rajend and Rakesh M. Bhatt. World Englishes: The Study of New Linguistic Varieties. Cambridge: CUP, 2008.
・ Trudgill, Peter and Jean Hannah. International English: A Guide to Varieties of English around the World. 6th ed. London: Routledge, 2017.
なお,本日の「英語の語源が身につくラジオ」 (heldio) では,一番上に挙げた本の著者である唐澤一友氏(立教大学)と対談しています.「唐澤一友先生との対談 今なぜ世界英語への関心が高まっているのか?」という興味深いトピックです.
過去の hellog 記事としては「#4558. 英語史と世界英語」 ([2021-10-19-1]),「#4591. 立命館大学での講演「世界の "English" から "Englishes" の世界へ」を終えました」 ([2021-11-21-1]) などがお勧めです.
昨日の記事「#4708. 世界英語の静的モデルの形成 --- Strang, Quirk et al, Kachru」 ([2022-03-18-1]) で見たように Quirk et al. や Kachru による有名な3つの同心円モデルの前身として,Strang による3区分モデルがあったという.Strang は構造主義言語学に基づいた英語史の名著の1つであり,私も何度か読んできたが,世界英語の分類に関する記述の箇所はさほどマークしていなかったようで,私にとってなかなか新しい発見だった.
Quirk et al. のいう ENL, ESL, EFL は,Strang の区分では A, B, C-speakers に対応する.まずは,その説明部分を引用する (Strang 17--18) .
At the present time, for instance, English is spoken by perhaps 350 to 400m people who have it as their mother tongue. These people are scattered over the earth, in far-ranging communities of divergent status, history, cultural traditions and local affinities. I shall call them A-speakers, because they are the principal kind we think of in trying to choose a variety of English as a basis for description. The principal communities of A-speakers are those of the UK, the USA, Canada, Australia, New Zealand and South Africa. There are many millions more for whom English may not be quite the mother tongue, but who learnt it in early childhood, and who lived in communities in which English has a special status (whether or not as an official national language) as a, or the, language for advanced academic work and for participation in the affairs of men at the international, and possibly even the national level. These are the B-speakers, found extensively in Asia (especially India) and Africa (especially the former colonial territories). Then there are those throughout the world for whom English is a foreign language, its study required, often as the first foreign language, as part of their country's educational curriculum, though the language has no official, or even traditional, standing in that country. These are the C-speakers.
ここまでは Quirk et al. と比べても,ほとんど同じ記述といってよい.しかし,Strang (18--19) は続く議論において,A-speakers のみならず B-speakers の共同体も,各々の「標準英語」を発展させてきたと明言しているのである(Quirk et al. はこの点に触れていない).
. . . we know that American English is different from British English and within the two, US English from Canadian, Boston from Brooklyn, Southern, Mid-Western or West Coast, or Edinburgh from Liverpool, Leeds or Newcastle. These examples introduce us to an important principle in the classification of varieties. In fact, in all the communities containing A- and B-speakers a special variety of English has developed, used for all public purposes, Standard English. By and large, with rather trivial exceptions, this kind of English is the same wherever English is used, except in one area of its organisation --- the accent, or mode of pronunciation. Different accents characterise the spoken standards of say, England, Scotland and the USA. In England special status is accorded to an accent characterised by its having no local roots, namely RP. Communities with only C-speakers are characterised by having no fully developed indigenous Standard so that they model themselves largely on the Standard (including accent) of one of the major English-speaking communities.
Strang は,ENL と ESL を,それぞれ標準変種を発展させたという共通点においてまとめあげたが,Quirk et al. はこの観点をスルーした.そして,Quirk et al. がスルーしたこの観点を,後に Kachru が再び取り上げ,Strang 流の理解へと回帰した.そういうことのようだ.
・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Grammar of Contemporary English. London: Longman, 1972.
・ Kachru, B. B. "Standards, Codification and Sociolinguistic Realism: The English Language in the Outer Circle." English in the World. Ed. R. Quirk and H. G. Widdowson. Cambridge: CUP, 1985. 11--30.
世界英語 (world_englishes) のモデル化 (model_of_englishes) の歴史は,優に半世紀を超える.もっともよく参照されている図式は,Quirk et al. による ENL (English as a Native Language), ESL (English as a Second Language), EFL (English as a Foreign Language) の3区分モデルといってよいだろう(「#173. ENL, ESL, EFL の話者人口」 ([2009-10-17-1]) を参照).
それを受けて,Kachru が新たな解釈を加え,批判的に "Three Circles" のモデルを唱えたこともよく知られている.Quirk et al. のものとそっくりの同心円ではあるが,それぞれを Inner Circle, Outer Circle, Expanding Circle と呼び変えたのである.各サークルが規範に対してどのような立場にあるかという観点から,それぞれを norm-providing, norm-developing, norm-dependent とみなした点に新しさがあった(「#217. 英語話者の同心円モデル」 ([2009-11-30-1]),「#222. 英語話者の同心円モデル (2)」 ([2009-12-05-1]) を参照).
これらの最初期の世界英語モデルは,まずもって分かりやすく,広く受け入れられるに至ったが,その一方で「#4472. ENL, ESL, EFL という区分の問題点」 ([2021-07-25-1]) でみたように,しばしば批判にもさらされてきた.近年は Quirk et al. と Kachru のあまりに静的なモデルに飽き足りず,より動的なモデルが提案されてきている.これについては「#4497. ポストコロニアル英語変種に関する Schneider の Dynamic Model」 ([2021-08-19-1]) を参照されたい.
さて,当初の静的なモデルは,上に述べたように Quirk et al. が提案し,それに Kachru が批判的に反応したという経緯で知られるようになったものと認識していたが,Percillier (6) によると,学史としては Quirk et al. の前段階に Strang の提案があったようだ.これは知らなかった.
One such earlier model is the ENL-ESL-EFL model. The abbreviations used in the name of this model refer to the categories English as a Native Language, English as a Second Language, and English as Foreign Language (sic) respectively. These labels were coined by Quirk et al. (1972: 3--4) and describe three types of English based on the function of the language in a given country or territory. The idea of this categorisation goes back to Strang (1970: 17--18), who uses the labels A-speakers, B-speakers, and C-speakers. In this context, Strang also argues that A- and B-speakers develop their own local norms, whereas C-speakers rely on the standard of one of the major English-speaking communities (1970: 18--19). In their relabelling of Strang's suggestion, Quirk et al. (1972) do not mention this latter point, which has led to a general interpretation of the ENL-ESL-EFL model as implying ENL norms.
A further model, the Three Circles model (Kachru 1985), also referred to as the Kachruvian Circles, draws a similar distinction into Inner, Outer, and Expanding Circles of English (henceforth, InnerC, OuterC, and ExpandingC), the difference being that the distribution of varieties of English around the world is described without implying that non-native forms are in any way deficient in comparison to native forms. Further, Kachru (1985: 16--17) describes the InnerC as norm-providing, the OuterC as norm-developing, and the ExpandingC as norm-dependent, the latter meaning that without norms of its own, the ExpandingC follows norms from the InnerC. In excluding the OuterC from the norm-dependent category, Kachru picks up on the point made by Strang (1970: 18--19) which was excluded by Quirk et al. (1972). This represents a break from the approach implicit in the ENL-ESL-EFL model, in which only the InnerC could be seen as a "norm maker", and the OuterC/ExpandingC as "norm breakers" (Kachru 1985: 17).
すると,学史的には以下のような関係だったということになる.これはなかなか意味深長である.
+-----> Quirk et al. (1972) -----+ | | | v Strang (1970) -----+-------------------------------->-----> Kachru (1985)
昨日3月4日の午前から午後にかけて,ゼミ内で2021年度の卒論報告会(オンライン)を開催しました.1日がかりでしたが,報告者である4年生はもちろん,khelf に所属の学部2年生,3年生,院生その他も出席し,盛会となりました.
今年度は13件の卒論が提出され,その一覧は「#4665. 2021年度に提出された卒論論文の題目」 ([2022-02-03-1]) で挙げましたのでここで繰り返しませんが,改めて英語史・英語学が扱う範囲の広さを確認することができました.今年度も,時代を超えて人気のテーマもあれば,時代性を反映した時事的なテーマもありました.それでもここ数年の卒論題目を眺めながら一つひとつの卒論を思い出してみると,大まかな傾向も見えてくるように思われます.
例えば,近年,研究手法として電子資料を用いる研究が当たり前となってきました.これ自体は予想できることかと思いますが,とりわけこの2年間は皆がコロナ禍で巣ごもりを余儀なくされたために,その傾向に拍車がかかったように思われます.各種のコーパスや OED などの辞書を用いた研究はますます多くなってきましたし,ネット上の音声や動画を利用する研究,ウェブ上で英語話者などにアンケートを実施するケースも増えてきました.
もう1つの傾向として,様々な英語変種,とりわけ世界英語 (world_englishes) への関心も明らかに高まってきました.以前は英語変種に関する研究といえば英米差を扱うものが多く,たまにカナダ英語やオーストラリア英語が参入してくるといったふうに主要な ENL 変種をターゲットとした話題が多かったと思います.しかし,特にここ数年で,主要でない ENL 変種,ESL 変種,ピジン語,クレオール語を含む様々な英語変種への関心が高まってきました.ただし,数年間で生じた急激な変化というよりは,徐々に強まってきた傾向だろうと理解しています.
最後に,報告会後の懇親会で院生から指摘があったのですが,社会言語学的な視点の研究が目立ってきているのではないかということでした.これは,研究の潮流ということもありますが,一方で堀田ゼミや慶應英文の特徴(バイアス?)が反映されているだけかもしれません.ですので,何とも言えませんが,今年度そのような視点からの卒論が多かったというのは事実だと思います.
さて,これで今年度の公式なゼミ活動は一応終わりました.しかし,すでに新年度にかけての様々な企画が動き出しています.例えばこの4月と5月には,1年前と同様に「英語史導入企画」を打ち上げる予定です(cf. 「#4417. 「英語史導入企画2021」が終了しました」 ([2021-05-31-1])).4月より,またよろしくお願いいたします.
参考までに,これまでの卒業論文の題目についてはこちらの記事セットにまとめました.関連して sotsuron あるいは khelf メンバー・研究テーマ紹介にも参考になる情報があります.1年前の「#4330. 春のゼミ合宿にて卒論・修論報告会を開催しました」 ([2021-03-05-1]) もどうぞ.
2重否定 (double_negative) については,一昨日開設した YouTube の「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の初回となった「英語学」ってなに?--むずかしい「英語」を「学」ぶわけではありません!!でも少し話題に取り上げた.
具体的にいえば,I don't have any money. あるいは I have no money. の意味で,I don't have no money. と言ってはいけないという規則だ.ダメな理由は,同じ節に否定辞が2つ(以上)あるにもかかわらず全体の意味としては1回の否定に等しい,というのは論理的に矛盾しているからだ,ということになる.
しかし,本ブログの double_negative に関する記事においても,また同じく一昨日に私が Voicy の「英語の語源が身につくラジオ」で話した「井上逸兵先生と YouTube を開始,そして二重否定の話し」でも述べてきたように,2重否定は歴史的にも連綿と続いてきた当たり前の統語構造である.
現代英語でも,標準英語の世界から一歩外に出れば,2重否定や多重否定はいくらでも例が挙がってくる.例えば Siemund (619) が引用している例を2つほど挙げよう.
・ Yes, and no people didn't trouble about gas stoves then. (Southeast of England)
・ We didn't have no use for it noways. (Appalachian English)
また,歴史的にも中英語や近代英語ではごく普通の統語現象だった.初期近代英語からの例として,Siemund (620) が引いている例を1つ挙げる.
・ I thinke ye weare never yet in no grownd of mine, and I never say no man naye.
さらに世界の言語を見渡しても,2重否定はかなり普通のことのようだ.Siemund (620) は206の言語を調査した先行研究を参照し,そのうち170の言語でその事例が確認されたことを報告している.一方,現代標準英語のように2重否定がダメだしされるのは,わずか11言語のみだったという.類型論的には,標準英語タイプが稀なのだ.
では,なぜ現代標準英語はそれほどまでに頑なに2重否定を忌避するのだろうか.実際,これは重要な英語史上の問題であり,様々に議論されてきた経緯がある.2重否定がダメだしされるようになった歴史的背景としては「#2999. 標準英語から二重否定が消えた理由」 ([2017-07-13-1]),「#4275. 2重否定を非論理的と断罪した最初の規範文法家 Greenwood」 ([2021-01-09-1]) を参照されたい.
・ Siemund, Peter. "Regional Varieties of English: Non-Standard Grammatical Features." Chapter 28 of The Oxford Handbook of English Grammar. Ed. Bas Aarts, Jill Bowie and Gergana Popova. Oxford: OUP, 2020. 604--29.
再帰代名詞 (reflexive_pronoun) は英語史研究において,いくつかの観点から重要な論点となっている.例えば,形態論的には,なぜ「所有格 + self」のものと「目的格 + self」のものが混在しているのかは古典的な問題である(cf. 「#47. 所有格か目的格か:myself と himself」 ([2009-06-14-1]) や「#2376. myself, thyself における my- と thy-」 ([2015-10-29-1])).単純形と -self 形との競合や棲み分けという語法上の話題もある(cf. 「#2322. I have no money with me. の me」 ([2015-09-05-1])).また,統語意味論的な発達についても興味深い側面がある(cf. 「#2379. 再帰代名詞の外適応」 ([2015-11-01-1])).
非標準英語を見渡すと,さらにおもしろい事実がたくさんある.例えばイングランド南東部方言,アメリカ英語の口語,またその他の変種では hisself, theirselves などの形態が用いられることがあるが,この場合,再帰代名詞体系は「所有格 + self」で一貫するため,標準英語よりも規則的となる.逆に,オーストラリア英語の1変種やイングランド南東部方言では meself などが用いられることもある (Siemund 609--10) .
用法の点でも,変種によっては主語と同一指示対象を同じくする間接目的語として -self 形ではなく単純形が使われる変種がある.以下,Siemund (610) より.
・ I'm going to buy me biscuits and chocolates.(南アフリカの Cape Flats English)
・ He was looking to buy him a house for his family.(米国の Appalachian English)
次のように,直接目的語としての例も見つけることができる.これは古英語の語法の系統を引くものとも考え得る (Siemund 610) .
・ He has cut him.
・ He went to bathe him.
Irish English や Newfoundland English では,主格代名詞の代わりに再帰代名詞が用いられる次のような例がみられる (Siemund 610) .
・ I'm afraid himself [the master of the house] will be very angry when he hears about the accident to the mare.
・ Is herself [i.e. the mistress] at home yet Jenny?
このように標準英語から一歩外に出てみると,再帰代名詞の形態にも語法にもヴァリエーションがみられることがわかる.標準英語における形態と語法も,このように相対化して考えてみるとおもしろい.
・ Siemund, Peter. "Regional Varieties of English: Non-Standard Grammatical Features." Chapter 28 of The Oxford Handbook of English Grammar. Ed. Bas Aarts, Jill Bowie and Gergana Popova. Oxford: OUP, 2020. 604--29.
現代の世界英語 (world_englishes) の多様性を前提とすれば,標題のような特性をもつ英語変種があったとしても驚かないだろう.3人称単数代名詞の使用において形態的に男女の区別をつけない変種,つまり標準英語のように he と she (および it)の区別を明確につけない変種があるのである.
例えば,東アフリカ英語やマレーシア英語では,しばしば指示対象にかかわらず,いずれの3人称単数代名詞も用いられ得るという.Mesthrie and Bhatt (55--56) より,関係する箇所を引用する.
Gender has proved --- despite its minor role in English --- susceptible to variation in New Englishes. Some varieties use gender in pronouns differently. Platt, Weber and Ho . . . report that in some New Englishes where the background languages do not make a distinction between he, she and it, pronouns 'are often used indiscriminately'. They offer the following examples:
41. My husband who was in England, she was by then my fiancé. (East Africa)
42. My mother, he live in kampong. (Malaysia)
Since Bantu languages do not make sex-based distinction with pronouns, and the spoken forms of the Chinese languages of Singapore and Malaysia do not differentiate gender in 3rd person pronouns . . . , substrate influences may well be at work here.
標準英語のみを知っている者にとって,これは驚くべき現象のように思われるかもしれない.しかし,英語史を研究している者にとっては,まったく驚くべきことではない.中英語では,方言にもよるが,しばしば he という3人称単数の代名詞形態が男性をも女性をも指示し得るからである.さらにひどい(!)場合には,(性を問わない)複数人称代名詞も同じ he で表わされたりする.中英語の場合には,意味論的な性の区別の消失ではなく,あくまで形態的な合一という原因により区別がつかなくなったということであり,上記の東アフリカ英語やマレーシア英語のケースとは事情が異なるのだが,「現代の World Englishes は広し」と叫ぶ前に「歴史的な英語諸変種もまた広し」と叫んでおきたい.
・ Mesthrie, Rajend and Rakesh M. Bhatt. World Englishes: The Study of New Linguistic Varieties. Cambridge: CUP, 2008.
英語の th-sound が,通言語的に厄介な発音であることは「#842. th-sound はまれな発音か」 ([2011-08-17-1]) その他で見てきた.標準英語においては th-sound と称される歯摩擦音 [θ, ð] は,歯茎破裂音 [t, d] とも歯茎摩擦音 [s, z] とも唇歯摩擦音 [f, v] とも異なる子音であり,独立した音素を構成している.しかし,多くの言語ではこの英語の th-sound を独立した音素としてもっていないため,英語を話す際には別の子音で代替するなど何らかの対処法が必要となる.
これは世界英語の文脈では厄介な問題となり得る.例えば,日本語では th-sound は「ス」あるいは「ズ」として取り入れることが基本となっているが,そうすると s/z との区別がつかない.かくして,「スィング」は sing にも thing にも対応することになり,「ゼン」は Zen にも then にも対応するという,困った事態となる.
これは,日本語だけではなく世界中の言語で広く観察される問題である.多くの言語が,この子音を受容するに当たって悩んでいるのだ.Mesthrie and Bhatt (126--27) は,th-sound の世界的受容について次のように記述している.
Fricatives: The most striking feature among fricatives is that all New Englishes varieties treat /θ/ and /ð/ as something other than an interdental fricative. /θ ð/ are realised similarly as a pair as follows:
Dental stops [t̪ d̪] in CFl [= Cape Flats] Eng (variably) and regularly in IndSAf Eng, Pak Eng;
An aspirated dental stop [t̪h] occurs widely in Ind Eng, but its voice counterpart [d̪] is not usually aspirated;
Alveolar stops [t d] in EAf Eng, Ghan Eng, Sgp Eng, Mal Eng, Phl Eng;
Variably as [t t̪] for /θ/ and [d d̪] for /ð/ in BlSAf Eng and Ghan Eng;
Affricate realisations [t θ] and [d ð] are reported as lesser variants in Ghan Eng.
/θ/ is realised as [f] word-finally in some words in EAf Eng, Ghan Eng and Sgp Engl
In EAfr Eng /θ/ and /ð/ may be realised as [t s f] and [d z v] respectively, Other changes to fricatives are less widespread;
東アフリカ英語変種を中心として,多くの変種において th-sound は,標準英語と同じように調音されていないことがわかるだろう.
・ Mesthrie, Rajend and Rakesh M. Bhatt. World Englishes: The Study of New Linguistic Varieties. Cambridge: CUP, 2008.
昨年末,12月27日のことになりますが,朝日新聞 Edua に「どうなる中学・高校入試 都立高入試の英語スピーキングテスト 教員らが「導入反対」の記者会見」と題する記事が掲載されました.ゼミ生の1人がこの問題を紹介してくれまして,少々遅ればせながらもここ数日で内輪のフォーラム khelf で議論が活発化してきています.
いろいろと論点はあるのですが,とりわけ注目すべきは以下の点です(同記事より引用).
評価の信頼性については,どのような間違いがどれだけ減点されるか不透明だとし,特に都教委が示している採点基準にある「音声」の項目(3点満点)について疑問を呈した.この項目は,「母語の影響を非常に強く受けている」だと1点,「母語の影響を強く受けている」だと2点,「母語の影響を受けている場合があるが,概(おおむ)ね正しい」だと3点としている.法政大講師で新英語教育研究会長の池田真澄さんは「厳密な区別がつくとは思えない.日本語話者は日本語の影響は必ず受けており,気にしていたらまともに話なんてできない.世界には多様な英語があるのに,入試は別というのはおかしいのではないか」と話す.
ツッコミだしたらキリがないというのは,まさにこのことです.だからこそフォーラム内で盛り上がっているというわけで,ある意味でとてもよい論題となっています.(ただし,こちらのページより令和3年度のプレテスト採点基準では「母語の影響」に関する項目は削除されています.)
英語史研究者の立場から言えることは,発音を中心とする話し言葉に関する強い規範化は,いまだかつて例がないということです.18世紀の規範主義の時代の発音辞書についても,19世紀後半からの RP についても,あくまで目指すべき発音を示したものであり,今回の「公的な試験での点数化」という強さの規範化には遠く及びません(cf. 「#768. 変化しつつある RP の地位」 ([2011-06-04-1]),「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]),「#3356. 標準発音の整備は18世紀後半から」 ([2018-07-05-1])).話し言葉について標準化・規範化し得る水準は,せいぜい "focused" にとどまり "fixed" を目指すことは現実には不可能です (cf. 「#3207. 標準英語と言語の標準化に関するいくつかの術語」 ([2018-02-06-1])) .そのような目標を,せめて試験では何とか実現したいということなのでしょうか.
また,現代世界の "World Englishes" では,多様な英語の発音が行なわれているという事実があります.教育上,参照すべき英語変種や発音を定めることは必要です.しかし,一方で他の変種や発音の存在を認めることも必要です.両方の必要性に目配りすべき状況において,上記の採点基準のような,一方にのみ振り切った方針を取るのは適切ではないと考えます.
本ブログの読者の皆さんも,この問題について考えてみてはいかがでしょうか.
昨日,立命館大学にて「世界の "English" から "Englishes" の世界へ」と題する講演を行ないました.準備から当日の運営までお世話になりました立命館大学の岡本広毅先生を始め,関係の先生方,学生の皆さんには感謝いたします.ありがとうございました.
対面&オンラインによるハイブリッドの形態で行ないましたが,多くの方々にご参加いただくことになりました.講演後には,とりわけ対面で出席くださった立命館大学国際コミュニケーション学域の先生方や学生の皆さんと,2時間に及ぶ "World Englishes" を巡る議論に花が咲き,私にとってもたいへん楽しく啓発的な時間となりました.議論を通じて,多様性の「許容」という用語が何を意味するのか,また "mutual intelligibility" といってもそこには常にパワー(バランス)が関わるものではないか,などの的を射た数々の指摘をいただき,確かにと頷きました.私自身の不勉強を思い知らされましたが,たいへん考えさせられる時間でした.
今回のような公開講演のスライド等の資料は,原則として公開する方針を採っていますので,こちらよりご覧ください.参加された方々におかれましては,ぜひ復習などのためにご利用ください.そうでない方々には,スライドだけでは必ずしも講演の全容は伝わらないかとは思いますが,ご参考までに.
以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.
1. タイトル
2. 世界の "English" から "Englishes" の世界へ
3. 目次
4. 1. はじめに --- 英語の世界性と多様性
5. 英語の話者人口
6. 3種類の英語
7. 複数形の "Englishes"
8. 2. 英語の世界的拡大 --- ドイツ北部から世界へ
9. 関連年表
10. "World Englishes"
11. 3. 英語の歴史的多様性 --- 減少しないエントロピー
12. 4. 英語に作用する相反する2つの力 --- 求心力と遠心力
13. 5. おわりに --- 英語は常に多様だった
14. World Englishes に関するお勧め文献(お勧め順に)
15. 参考文献
16. 補遺1:世界英語のモデル
17. 補遺2:ピジン語とクレオール語
「英語史」は古い英語を解読するだけの分野ではありません.もちろんそれは非常に重要な課題であり,そこに土台があることは間違いありませんが,現代の英語を把握するための新しい(というよりも最新の)視座を提供してくれる分野でもあります."World Englishes" を入り口として,ぜひ英語史という領域に関心をもってもらえればと思います.
本日11月20日(土)の 13:00?14:30 に,立命館大学国際言語文化研究所の主催する「国際英語文化の多様性に関する学際研究」プロジェクトの一環として「世界の "English" から "Englishes" の世界へ」のタイトルでお話しさせていただきます(立命館大学の岡本広毅先生,これまでのご準備等,ありがとうございます).Zoom による参加も可能ですので,ご関心のある方はこちらの案内をご覧ください.
また,今朝すでにアップした私の音声ブログ Voicy の番組 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 では,「立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」と題する対談を行なっていますので,そちらもぜひ聴いてみてください.
さて,"World Englishes" に関する講演ということで,本日のブログ記事としても世界の様々な英語のサンプルを示したいと思います.ただし "Englishes" の多様性を示すために部分を切り抜いたランダムなサンプルを挙げるにすぎませんので,その点はご了承を.本日の講演では,以下の例を用いて話し始めたいと思っています.よろしくどうぞ.
・ Northern English (Yorkshire): B. Hines, Kes (1968) [qtd. in Gramley 198]
Hey up, where's tha been? They've been looking all over for thee.
・ Scots Leid: Aboot William Loughton Lorimer (2009) [qtd. in Gramley 201]
Lorimer haed aye been interestit in the Scots leid (syne he wis a bairn o nine year auld he haed written doun Scots wirds an eedioms) an his kennin o the strauchles o minority leids that he got frae his readins o the nautral press durin the Weir led him tae feel that something needit daein tae rescue the Scots laid.
・ Tok Pisin: from Mühlhäusler (1986) [qtd. in Gramley 223]
em i tok se papa i gat sik ["he said that the father was sick"]
・ Hawaiian Creole English: from Bickerton (1981) [qtd. in Gramley 226]
Jan bin go wok a hospital ["John would have worked at the hospital"]
・ Jamaican Creole: "William Saves His Sweetheart" [qtd. in Gramley 238]
nóu wants dér wáz, a úol wíč liedi lív, had wán són, níem av wiljəm. ["Once upon a time there was an old witch, who had a son whose name was William."]
・ AAVE (= African American Vernacular English): A. Walker, The Color Purple (1982) [qtd. in Gramley 269]
I seen my baby girl. I knowed it was her. She look just like me and my daddy.
・ Cape Flats SAfE: Malan (1996) [qtd. in Gramley 300]
Now me and E. speaks English. And when we went one day to a workshop --- and uh, most of the teachers there were Africaans --- and we were there; they were looking at us like that you know. And I asked E., "Why's this people staring at us?" She said, "No, I don't know."
・ Nigerian English: "Igbo Girls Like Money a Lot" (2006) (qted. in Gramley 319)
Igbo girls are hardworking, smart, successful and independent so ain't nuffin wrong in them lookin for a hardoworkin, successful man. if u ain't gats the money, they aint gon want u cos u below their level of achievement.
・ Hong Kong English: Joseph (2004) [qtd. in Gramley 321]
However, as Hong Kong is going through an economic down turn recently, we shall have to see. . . Last year we have raised more than two million Hong Kong Dollars.
・ Singapore English [qtd. in Gramley 328]
The tans [= military unit] use to stay in Sarangoon.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
普通,言語名というものは不可算名詞であり English, French, Japanese のように無冠詞で用いる.一方,日常言語生活においても言語学においても,各言語のなかに様々な変種(方言)があるということは常識的に知られており,形容詞を冠して American English, Old French, written Japanese などという表現があることは暗黙の了解事項となっている.これらは丁寧にパラフレーズするならば an American variety of English, an ancient variety of French, a written variety of Japanese などとなるだろうか.この丁寧なフレーズから,冠詞と variety of を省略したのが American English, Old French, written Japanese などの表現となっていると考えられる.
このように,あくまで表現上のショートカットととらえるのであれば,それ以上議論する余地もないかもしれない.便宜上の省略表現にすぎないからだ.しかし,Englishes のような表現は,あえてこうした発想を形式の上にも反映させようとしたところに,新しさを感じさせる.実は Englishes という複数形だけがポイントなのではなく,an English という明示的な単数形も重要なポイントなのである.要するに English の可算名詞化こそが新しいのだ.
American English と British English を合わせて two Englishes と表現できるようになった背景には,人々の英語観の転換がある.それまでも two varieties of English という言い方はできたわけで,ここから varieties of を省いて two Englishes という新しい表現を作った,ということだが,単に形式上の変化として済まされる問題ではない.認識の変化が関わっているのだ.英語を可算名詞と解釈しなおしたことのインパクトは大きい.
OED の English, adj. (and adv.) and n. の II. 2. d によると,English の可算名詞としての初例は1910年の H. L. Mencken である.この項を再現しよう.
d. As a count noun: a variety of English used in a particular context or (now esp.) a certain region of the world; (in plural) regional varieties of English considered together, often in contradistinction to the concept of English as a language with a single standard or correct form.
1910 H. L. Mencken in Evening Sun (Baltimore) 10 Oct. 6/8 (heading) The two Englishes.
1941 W. Barkley (title) Two Englishes; being some account of the differences between the spoken and the written English languages.
1964 Eng. Stud. 45 21 Many people side-step the recognition of a plurality of Englishes by such judgments as: 'Oh, that's not English, that's American.'
1978 J. Pride Communicative Needs in Learning & Use of Eng. 1 The role of literature in non-native Englishes may be focal.
1984 Eng. World-wide 5 248 An overview of some aspects of various Englishes suggesting areas of possible research.
2000 Independent (Nexis) 28 June 11 It was one of the first places to be settled in the Plantations; there's an English spoken there that's unique.
初例がアメリカ英語に関する名著 The American Language を著わしたジャーナリスト・批評家の H. L. Mencken だとは知らなかった.アメリカ英語とイギリス英語を別ものと見ていた Mencken の英語観に照らせば,彼が The two Englishes と表現したことはまったく不思議ではないが,初耳だった.
OED の例文選びのクセはあるかもしれないが,学術雑誌や新聞という堅めのメディアからの引用が多いように見受けられる.English の可算名詞としての用法が,英語研究という学術的な文脈で使い始められ,それが少しずつ一般にも広がってきたという傾向を読み取ることができそうだ.
Englishes のように複数形で用いられ得る,という英語観の変化の種が蒔かれてから,たかだか100余年.多少なりとも広く知られてきたものの,いまだ主として学術の分野で用いられるにすぎない特殊な用法とみることもできる.今後どれだけ人口に膾炙していくのか.見守っていきたい.
今週末の11月20日(土) 13:00?14:30 に,立命館大学国際言語文化研究所の主催する「国際英語文化の多様性に関する学際研究」プロジェクトの一環として「世界の "English" から "Englishes" の世界へ」のタイトルでお話しさせていただきます(立命館大学の岡本広毅先生を始め関係の方々に感謝いたします).対面と Zoom によるハイブリッド形式の講演会となっています(当日は Zoom による一般参加も可).詳しくはこちらの案内をどうぞ. *
昨今 "Englishes" や "World Englishes" という表現がよく聞かれるようになってきました."Englishes" という新表現は,英語が複数変種として存在するという事実を表わしている以上に,人々の英語に対する認識が変わってきていることを示しているのではないかと私は考えています.本講演では,英語の歴史を通じて様々な英語変種が生まれてきた過程を概観し,現在英語に作用している求心力と遠心力について議論します.英語が歴史の最初から現在に至るまで(そして,おそらく未来にかけても)常に複数形で存在してきたことを,様々な具体例とともに示していく予定です.
皆さんの英語観が,これまでの単数形の "English" から,複数形の "Englishes" へと変わっていく契機になるのではないかと期待しています.主たるオーディエンスとなる立命館大学国際コミュニケーション学域の皆さんとの議論も楽しみにしています.関心のある一般の方も,ぜひどうぞ.
昨日の記事「#4570. 英語史は高校英語の新学習指導要領において正当に評価されている」 ([2021-10-31-1]) と連動して,大学における英語の教職科目についても,英語史の重要性が正当に評価されている事実を紹介しておきたい. *
文部科学省は「外国語(英語)コアカリキュラムについて」という文書にて「英語科に関する専門的事項」の方針を述べている (7--9) .そこでは「英語コミュニケーション」「英語学」「英語文学」「異文化理解」の4つの系列の各々に学習目標と到達目標が定められているのだが,注目すべきは「英語学」に関する文言である.同文書の p. 8 より引用する.
◇学習項目
(1) 英語の音声の仕組み
(2) 英文法
(3) 英語の歴史的変遷,国際共通語としての英語
◇到達目標
1) 英語の音声の仕組みについて理解している.
2) 英語の文法について理解している.
3) 英語の歴史的変遷及び国際共通語としての英語の実態について理解している.
それぞれの第3項目にみえる「英語の歴史的変遷」は,まずもって英語史という領域が扱ってきた伝統的な領域であることは言うまでもない.同じく「国際共通語としての英語」も,近年の社会言語学的な知見を取り入れた英語史の得意とする分野である.3項目のうちの1つを担っている点が重要である.(さらにいえば,第1,2項目の英語の音声や文法も,当然ながら英語史の領域でしっかり(以上に)カバーしている.)
このように英語史が日本の英語教育において正当に評価されていることは素晴らしいことだと思う.私も英語史が英語教育におおいに貢献できることをこれからも示していきたいし,多くの英語教育関係者の方々には,ぜひ英語史に関心を寄せていただければと切に思う次第です.
英語教育や英語史の界隈ではある程度知られていることだが,平成30年(2018年)に告示された「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 外国語編 英語編 平成30年7月」では,英語史の重要性が正当に評価されている.高校における英語科のいわゆる新指導要領において,英語史の役割がしっかり認められているということだ. *
「第3章第1節 指導計画作成上の配慮事項」の第7項 (214--15) に次のような文言が見える.
(7)言語能力の向上を図る観点から,言語活動などにおいて国語科と連携を図り,指導の効果を高めるとともに,日本語と英語の語彙や表現,論理の展開などの違いや共通点に気付かせ,その背景にある歴史や文化,習慣などに対する理解が深められるよう工夫をすること.
日本語や英語の背景にある「歴史や文化,習慣」への理解を促すためには,日本語史や英語史の知見が求められるということである.この後に,次のような説明書きも続く (215) .
この配慮事項は,言語能力の向上が,学校における学びの質や,教育課程全体における資質・能力の育成に関わる重要な課題であるという平成28年度12月の中央教育審議会答申に基づき,国語科の指導内容とのつながりについて述べたものである.
国語教育と英語教育は,学習の対象となる言語は異なるが,共に言語能力の向上を目指すものであるため,共通する指導内容や指導方法を扱う場面がある.各学校において指導内容や指導方法等を適切に連携させることによって,英語教育を通して日本語の特徴に気付いたり,国語教育を通して英語の特徴に気付いたりするなど,日本語と英語の言語としての共通性や固有の特徴への気付きを促すことにより,言語能力の効果的な育成につなげていくことが重要である.
「日本語と英語の言語としての共通性や固有の特徴への気付き」を促すことは,まさに日本において英語学や英語史が従来担ってきた役割でもある.
次に「第3章第2節 内容の取扱いに当たっての配慮事項」の第4項に注目したい (217) .
(4)現代の標準的な英語によること.ただし,様々な英語が国際的に広くコミュニケーションの手段として使われている実態にも配慮すること.
標準英語とともに,世界英語 (world_englishes) の存在にも注意を払うべきことが明記されている.様々な英語が存在し,尊重されるべきであることは,英語史を通じて最も効果的に理解することができる.昨今の英語史研究において,世界英語への関心が著しく高まってきていることは「#4558. 英語史と世界英語」 ([2021-10-19-1]) などでも触れてきた通りである.
「第3章第3節 教材についての配慮事項」の第2項には,より直接的に英語史に関わる文言が確認される (219) .
(2)英語を使用している人々を中心とする世界の人々や日本人の日常生活,風俗習慣,物語,地理,歴史,伝統文化,自然科学などに関するものの中から,生徒の発達の段階や興味・関心に即して適切な題材を効果的に取り上げるものとし,次の観点に配慮すること.〔後略〕
このように英語史は,新学習指導要領において正当に評価されており,重要な役割が認められていることを強調しておきたい.
昨日の記事「#4557. 「英語史への招待:入門書10選」」 ([2021-10-18-1]) で,明治学院大学で英語史の授業を担当している泉類尚貴氏による推薦書を紹介させていただきました.その中で7番目の書籍である鳥飼玖美子(著)『国際共通語としての英語』(講談社現代新書,2011年)が意外性をもって受け取られるかもしれません.タイトルからは確かに英語を巡る重要な問題であることは分かるのですが,英語史とどのように関わるのかという疑問が浮かぶのではないでしょうか.この点を確認すべく,昨日に引き続き「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて同氏と対談しました.「対談 英語史×国際英語」というお題です.以下よりどうぞ.
英語史の領域では近年,世界英語 (world_englishes) への関心が急上昇しています.私自身も食らいついていかなければと思い,にわか勉強を始めているわけですが,急激なオンライン・リソースの拡大も相まって,すでに分野を一望するのも難しい水準にまで膨張しています.関心はあってもどこから始めたらよいかと迷うのも無理もありません.
私のお勧め図書としては,唐澤一友(著)『世界の英語ができるまで』(亜紀書房,2016年)を挙げておきます.本ブログでも world_englishes や model_of_englishes にて関連する記事を多く書いてきましたが,比較的最近書いた記事をピックアップすると,次のようなラインアップになります.
・ 「#4531. 「World Englishes 入門」スライド --- オンラインゼミ合宿の2日目の講義より」 ([2021-09-22-1])
・ 「#4466. World Englishes への6つのアプローチ」 ([2021-07-19-1])
・ 「#4506. World Englishes の全体的傾向3点」 ([2021-08-28-1])
・ 「#4507. World Englishes の類型論への2つのアプローチ」 ([2021-08-29-1])
・ 「#4508. World Englishes のコーパス研究の未来」 ([2021-08-30-1])
・ 「#4169. GloWbE --- Corpus of Global Web-Based English」 ([2020-09-25-1])
・ 「#4492. 世界の英語変種の整理法 --- Gupta の5タイプ」 ([2021-08-14-1])
・ 「#4493. 世界の英語変種の整理法 --- Mesthrie and Bhatt の12タイプ」 ([2021-08-15-1])
・ 「#4501. 世界の英語変種の整理法 --- McArthur の "Hub-and-Spokes" モデル」 ([2021-08-23-1])
・ 「#4502. 世界の英語変種の整理法 --- Görlach の "Hub-and-Spokes" モデル」 ([2021-08-24-1])
世界英語を扱うオンライン・コーパスとしては,上にも触れた GloWbE (= Corpus of Global Web-Based English) を入り口としてお勧めします.このコーパスについては,専修大学文学部英語英米語学科の菊地翔太先生のHPより,こちらのページに関連情報があります.ちなみに菊地翔太先生のHPを探検し紹介するコンテンツ「菊地先生のホームページを訪れてみよう 」を大学院生が作ってくれましたので,こちらもお勧めしておきます.
世界英語 (world_englishes) の話題は,言語イデオロギー (linguistic_ideology) の問題と結びつきやすい.英語帝国主義の議論 (cf. linguistic_imperialism) もその1つの反映である.このことは「#4466. World Englishes への6つのアプローチ」 ([2021-07-19-1]) でも触れられている.
そもそも言語イデオロギーをどのように解釈するか.「#2163. 言語イデオロギー」 ([2015-03-30-1]) で1つの見方を示したが,今回は Bhatt (293) の見解を紹介する.まず定義に相当する部分を引用する.
Language ideologies, broadly construed, refer to beliefs, feelings, and conceptions of language structure and use that to serve political and economic interest of those in power . . . . Under this view, language---English, for our purposes---is used as a resource to promote and protect the econo-cultural and political interests of those in power; however, it must be noted that language ideologies are rarely brought up to the level of discursive consciousness.
平たくいえば,言語イデオロギーとは,特定の言語とその権力に関する信念体系であり,意識に上ることが少ない類いのもの,ということになる.Bhatt (293) は続けて,このイデオロギーの根底には3つの記号論的過程があるという.
The three semiotic processes underlying the ideological representation of language variation are: iconization---the process that fuses some quality of the linguistic feature and a supposedly parallel quality of the social group and understands one as the cause or the inherent, essential, explanation of the other . . . ; fractal recursivity---the projection of an opposition made at one level onto some other level so that the distinction is seen to recur across categories of varying generality; and erasure---selective disattention to, or non-acknowledgment of, unruly forms of linguistic variation, those that do not fit neatly into predetermined paradigms of linguistic descriptions.
記述的な言語研究は言語イデオロギーの解体に貢献し得るが,一方でそもそもそのような言語研究が特定の言語イデオロギーに立脚している可能性が常にあり,注意を要する.否,何らかの言語イデオロギーに立脚していない言語研究(や言語理論)はないといってよいだろう.
・ Bhatt, Rakesh M. "World Englishes and Language Ideologies." Chapter 15 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 291--311.
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