昨日と今日,私のゼミのオンライン合宿が行なわれています.2日目の今日は,様々な活動の間に,私の「World Englishes 入門」が挟まります.趣旨としては,次の通りです.
英語が複数形で "Englishes" として用いられるようになって久しい.現在,世界中で使われている様々な種類の英語を総称して "World Englishes" ということも多くなり,学問的な関心も高まってきている.本講演では,いかにして英語が世界中に拡散し,World Englishes が出現するに至ったのか,その歴史を概観する.そして,私たちが英語使用者・学習者・教育者・研究者として World Englishes に対してどのような態度で向き合えばよいのかについて議論する.
準備したスライドをこちらに公開します.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきますので,復習などにご利用ください.
1. World Englishes 入門 for khelf-conference-2021
2. World Englishes 入門 --- どう向き合えばよいのか?
3. 目次
4. 1. はじめに --- 世界に広がる英語
5. 2. イギリスから世界へ
6. 関連年表
7. 3. 様々な英語
8. ピジン語とクレオール語
9. 4. 英語に働く求心力と遠心力
10. 5. 世界英語のモデル
11. おわりに
12. 参考文献
普通,英語史においてメキシコが注目されることはないだろう.メキシコが北米史において重要な役割を果たしていることは分かっていても,スペイン語を主たる言語とするメキシコが(アメリカ)英語に対して語彙の分野である程度の影響を与えていることはあるにせよ,それ以上にどう深く関与しているのかは自明ではない.英語学・英語史の文脈での「北米」とは,アメリカ合衆国とカナダのことであり,メキシコは事実上含まれないというのが実情だろう.
私も基本的に上記の理解に甘んじてはいるのだが,英語の文脈でメキシコも忘れてもらっては困る,という珍しい論考に出会ったので紹介しておきたい.Hall-Lew (377--78) から引用する.
English use in Mexico is important to a discussion of English in North America not only for descriptive comprehensiveness but also because of its influence on U.S. Englishes. English is the primary language of at least one community in Mexico, the Mormon colonies in Casas Grandes Valley, Chihuahua . . . . English is also widely spoken in the communities on the U.S. border and in towns frequented by U.S.-based tourists. English is the most widely taught non-Spanish language in Mexico, having "an important role to play in formal education, equipping persons to participate in various occupational and professional activities such as tourism, industry, government, media, science, and technology, among others" . . . . Given that much of the U.S. was previously property of Mexico, the features of Mexican English are both historically relevant and increasingly representative of growing communities of Mexican Americans across the United States.
上記の通り,メキシコにも実は英語コミュニティがある.しかし,それは少数派で肩身狭く暮らす英語コミュニティである.まさか「世界の英語」が肩身狭く用いられているコミュニティがあるとは驚きかもしれないが,メキシコ以外にもカリブ地域にはそのような社会がちょこちょこ存在するのである.これについては「#1731. English as a Basal Language」 ([2014-01-22-1]) を参照.
世界英語 (world_englishes) の観点から,大国メキシコを改めて位置づけてみるのもよいだろう(以下は (C)ROOTS/Heibonsha.C.P.C によるメキシコの地図).
・ Hall-Lew, Lauren. "English in North America." Chapter 18 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 371--88.
昨年,伝統ある英語学習者用の英英辞書 Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English の第10版 (= OALD10) が出版された.私も第4版や第5版の頃から長らくお世話になっている辞書だが,冊子体のみならず CD/DVD 版で提供される時代になってきたかと思いきや,今回の第10版ではディスク媒体の配布すらなく,アクセスコード付きのオンライン版のみが提供される形となっている.時代は変わったものだ.ただ,重厚な冊子体版は相変わらず健在なので,パラパラめくっては(内容とともに)質感を楽しんでいる.
OALD は伝統的にイギリス英語を基盤とする記述に定評があるが,無視できない存在であるアメリカ英語の記述にも力を割いてきた経緯がある.さらに昨今は World Englishes の時代ということもあり,世界の諸変種の語彙を取り込んだ編纂方針が目立つようになってきた.実際,今回の第10版では,巻末に "English across the world" と題するコラムが掲載されている.小見出しとして "The spread of English" や "Englishes, not English" という文言もみえる.前者の冒頭は次の通り.
English is spoken as a first language by more than 350 million people throughout the world, and used as a second language by as many, if not more. One in five of the world's population speaks English with some degree of competence. It is an official or semi-official language in over 70 countries, and it plays a significant role in many more.
続けて世界の地域ごとに英語変種が簡単に解説されていくのだが,辞書で使用される各変種を示すレーベルも同時に紹介される.変種レーベルの一覧は見返しに記載されているが,それを再現すると次の通り15種類が確認される.BrE (= British English), NEngE (= Northern England English), ScotE (= Scottish English), WelshE (= Welsh English), IrishE (= Irish English), US (= American English), CanE (= Canadian English), NAmE (= North American English), AustralE (= Australian English), NZE (= New Zealand English), SAfrE (= South African English), WAfrE (= West African English), EAfrE (= East African English), IndE (= Indian English (the English of South Asia)), SEAsian E (= South-East Asian English) .
World Englishes の地域ベースの分類としては標準的でバランスのとれたものといってよい.伝統的イギリス系辞書も,このような配慮を示す時代になってきたのだなあ.
・ Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English. 10th ed. Ed. A. S. Hornby. Oxford: Oxford UP, 2020.
連日 World Englishes (英語諸変種)の記事を書いているが,世界で用いられている様々な英語の諸変種とは一般の用語でいえば英語の諸方言にほかならない.「方言」 (dialect) のことを「変種」 (variety) と呼び替えているのは,多少なりとも神経質で臆病な社会言語学の慣習というべきもので,学術的な言い分があることは理解しつつ私も常用しているが,たいていの場合は「方言」のほうが分かりやすいと本当は思っている.
では,World Englishes の研究は英語の「方言学」 (dialectology) とみてよいのかというと,理屈上は Yes だが,慣習上は No というところだろう.学術用語の常で "dialectology" という用語も,歴史を背負って手垢がついている."English dialectology" という場合には,イギリスやアメリカの内部の諸方言の研究を指すのが典型的であり,たとえばインド英語やジャマイカ英語の研究を指して "English dialectology" とは言わない.学術の伝統もあってやむを得ないところもあるのだが,英米中心主義の用語といってよい.
一方,そのような手垢を取り除いて「地域によって変異する様々な英語」のことを "dialect(s)" とみなす純粋な立場を取れば,インド英語やジャマイカ英語も各々1つの "dialect" に違いなく,それを研究することは "English dialectology" に貢献することになろう.しかし,現在,どうやらそのような見解は希薄である.インド英語やジャマイカ英語の研究は "World Englishes" の研究として言及されるのである.このような呼び替えに,英語学の伝統の「闇」が垣間見える,といってもよいかもしれない.ただし,ENL 変種と ESL 変種は様々な点で異なるのだということも,やはり一面の真実を含んでいるようにも思われるので,この問題についてこれ以上の議論は控えておく.
上記を踏まえつつも私は,伝統的な "English dialectology" と,昨今とみに注目度を増している "World Englishes" の研究は,もっと接近すべきだと考えている.現代のイギリスやアメリカの内部で細分化されている諸方言や,イギリスにおいて古英語から現代英語まで多様に存在してきた歴史的な諸方言にみられる豊富な変異が,World Englishes 間にみられる豊富な変異と比べて,質においても量においても劣っているとは思わないからである.空間的な規模でいえば,世界の一角にすぎないイギリスやアメリカの英語と世界の隅々に分布する英語とを比べることは「格違い」のように思われるかもしれないが,否,英語が世界化する以前から,例えばブリテン諸島内部だけを念頭においても,言語的変異は思いのほか豊かだったのである.
上記の私の考え方とおよそ同趣旨の Anderwald (265) の見解を引用する.
Perhaps most importantly, the recent dialectological and sociolinguistic study of non-standard varieties has shown the enormous breadth of variation that English in Britain and the United States already demonstrates. Whenever we find patterns in World Englishes that diverge from standard British or American English, it is of the utmost importance to take this internal variability into consideration. Bearing in mind Chambers's idea of vernacular universals, comparing constructions in Englishes worldwide with just the codified standard(s) is comparing apples with oranges, or, worse, with just one orange. We might find that what looks like an exotic feature of a variety of English in the southern, eastern or other hemisphere, is perhaps mirrored in an isolated dialect area in the Scottish Highlands, in a village in Ireland, or in an undocumented variety of the English Midlands. The call thus is for researchers of World Englishes to take note of the extensive dialectological work that is currently underway on varieties in non-standard 'homeland' varieties, to avoid this kind of mismatch, and ultimately misanalysis.
私の英語史研究における中心的なテーマは中英語方言学にあるのだが,一見するとかけ離れているようにみえる現代の World Englishes に関心を寄せているのは,このような理由からである.
・ Anderwald, Lieselotte. "World Englishes and Dialectology." Chapter 13 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 252--71.
連日 World Englishes のハンドブックを読み進めている.今回取り上げるのは "World Englishes, Code-Switching, and Convergence" と題する章だ.世界英語は2言語使用 (bilingualism) あるいは多言語使用 (multilingualism) の環境で用いられることが多いが,共通の言語的レパートリーをもつ2(多)言語使用者どうしが共通の英語変種を用いて会話する機会が多い社会において,複数言語の使用の観点からは対照的な2つのことが起こり得る.
1つは,共通する2つの言語をところどころで切り替えながら会話を進める code-switching である.たとえて言えば白黒白黒白黒白黒・・・と続けることによって,平均量として灰色に至る状況だ.ここでは2つの言語の自立性は保たれる.
一方,共通する2つの言語の要素を混ぜる,あるいは互いに近似させることによって灰灰灰灰灰灰灰灰・・・とし,質として灰色に至るということもあるだろう.これが convergence と呼ばれるものである.ここでは各言語の自立性は小さくなる.
このように code-switching と convergence は,ともに同じような社会言語学的条件下で生じ得るものの,反対の方向を向いている.両者がこのような関係にあったとは,これまで気づかなかった.Bullock et al. (218) より,この対比について説明している箇所を引用しよう.
Bilingual speech comprises diverse types of language mixing phenomena, of which CS [= code-switching] is but one example. Another process that may arise in bilingual speech is convergence. CS is characterized by divergence; it is the alternation between linguistic systems that are kept distinct. In convergence, on the other hand, the perceived distance between the language systems is narrowed such that they become structurally more similar, sometimes to the extreme point that the boundaries between languages collapse. In such cases, it is quite possible that the structural constraints that once functioned to preserve the autonomy of the languages while a speaker code-stitches between them are gradually abandoned. As bilingual speakers perceive more overlap between languages, they may mix more liberally between them.
code-switching と convergence の対比はあくまで図式的・理論的なものであり,実際上は両者の区別は曖昧であり,連続体の両端を構成するものと理解しておくのが妥当だろう.この点では,「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]),「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]),「#2009. 言語学における接触,干渉,2言語使用,借用」 ([2014-10-27-1]) などでみた,code-switching なのか借用なのか区別が不明瞭という問題にも関わってくる.
・ Bullock, Barbara E., Lars Hinrichs, and Almeida Jacqueline Toribio. "World Englishes, Code-Switching, and Convergence." Chapter 11 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 211--31.
歴史的にいえばアイルランド英語やインド英語のような "indigenised Englishes" は,基層言語と英語との言語接触および言語交替 (language_shift) の結果として生じた言語変種であり,英語との遺伝的な関係が保たれているとされる.一方,スリナムの Saramaccan のような "English creoles" は,英語との言語接触は前提とされているが,語彙提供言語である英語とは直接の遺伝的な関係のない言語変種とされる (cf. 「#463. 英語ベースのピジン語とクレオール語の一覧」 ([2010-08-03-1])) .
上記は indigenised Englishes と English creoles を対比させる際の従来の説明の仕方である.要するにクレオール語を言語接触の例外的なケースととらえる立場だ.代表的な論者として Thomason and Kaufman を挙げておこう.
しかし,近年では indigenised Englishes と English creoles の違いは,従来の見解が主張するような本質の違いではなく,程度の問題にすぎないのではないかという見方が広がってきている.そのような見方を採用する Winford (196) の説明に耳を傾けよう.
This recognition has led to a growing rapport between the study of the New Englishes and the study of English-lexicon creoles in the last couple of decades. It has given impetus to an earlier tradition of research concerned with the relationship between the two types of contact Englishes, which dates back to the 1980s . . . . The links between the two fields have more recently been reaffirmed in the work of scholars . . . . It is now generally acknowledged that the creation of the New Englishes shares a great deal in common with creole formation, with regard to both the socio-historical circumstances and the processes of change that were involved. The challenge facing us is to show how these two dimensions of language shift---the socio-historical and the linguistic---interact in the emergence of contact varieties. On the one hand, the diversity of outcomes that resulted from the spread of English to various colonies provides support for Thomason and Kaufman's claim that 'it is the sociolinguistic history of the speakers, and not the structure of their language, that is the primary determinant of the linguistic outcome of language contact' (1988: 35). At the same time, the emergence and evolution of contact Englishes supports the view that different outcomes are also constrained by the same principles and processes of change that operate in shift situations generally. All of this suggests that the division between 'indigenized English' and 'creoles' is essentially an artificial one, since we find diversity within each group and significant overlap between the two.
Winford にとっては,indigenised Englishes と English creoles の違いは程度の問題であり,引用の最後にある通り,人工的な区分にすぎないようだ.Winford はこの1節の後,Schneider の "Dynamic Model" を参照して議論を続けていく.このモデルについては「#4497. ポストコロニアル英語変種に関する Schneider の Dynamic Model」 ([2021-08-19-1]) を参照.
・ Winford, Donald. "World Englishes and Creoles." Chapter 10 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 194--210.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
一昨日の記事「#4507. World Englishes の類型論への2つのアプローチ」 ([2021-08-29-1]) で "angloversals" という用語に触れた.世界英語 world_englishes の諸変種を見渡すと,歴史的・遺伝的関係は希薄であるにも関わらず,異なる変種間で似たような言語特徴が確認されることがある.いずれも広い意味では「英語」であるのだから,共通項が見つかること自体はさほど不思議ではないと思われるかもしれない.しかし,標準英語では認められない言語特徴が,歴史的な関係が希薄な諸変種間に広く認められるということであれば,そこには何か抜き差しならぬ理由があるのではないかと疑うのも当然である.こういった共通特徴を,仮に "Angloversals" と呼んでおこうということらしい."universals" をもじっていて少々ミスリーディングな名称だが,厳密な意味での「普遍」というよりは多くの変種に見られる「傾向」として理解しておくべきであることは,念のために指摘しておこう.
さて,この用語を作ったのは Mair である.似たような用語として,Chambers の作った "vernacular universals" というものもある.この辺りの用語を巡る経緯について,Siemund and Davydova (135) の説明を参照しよう.
Another line of research departs from the observation that World Englishes (or varieties of English) frequently exhibit identical, or at least similar, non-standard morpho-syntactic phenomena, with common ancestors of these phenomena being difficult to reconstruct in the historical dialects of the British Isles. Such observation have led to the coinage of the label 'angloversals' (Mair 2003). Another notion used with a similar extension is 'vernacular universals' (Chambers 2001, 2003, 2004).
Chambers defines vernacular universals as 'a small number of phonological and grammatical processes [that] recur in vernaculars wherever they are spoken' and views them as inherent features of unmonitored speech coming about as a result of the workings of the human language faculty (Chambers 2004: 128--29).
では,"angloversals" として,具体的にはどのような言語特徴が候補として挙げられているのだろうか.Siemund and Davydova (135--36) より,いくつか挙げてみよう.
・ 不規則動詞の水平化
・ 無標の単数形
・ 主語と動詞の不一致
・ 多重否定
・ 連結詞 (copula) の省略
・ 単位名詞の複数標示の欠如
・ yes/no 疑問文における倒置の欠如
・ 等位される主語として I ではなく me を用いる傾向
・ 副詞が形容詞と同形となる現象
・ 過去形の否定を表わすのに never が動詞に前置される現象
・ 定冠詞の過剰使用
これらは,一般にL2英語によく見られる言語特徴と同じであると言っても,さほど外れていない.一般言語学的普遍性が英語の諸変種において顕現しているもの,それが "angloversals" なのだろう.
・ Siemund, Peter and Julia Davydova. "World Englishes and the Study of Typology and Universals." Chapter 7 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 123--46.
・ Mair, Christian. "Kreolismen and verbales Identitätsmanagement im geschriebenen jamaikanischen Englisch." Zwischen Ausgrenzung und Hybridisierung. Ed. E. Vogel, A. Napp and W. Lutterer. Würzburg: Ergon, 2003.
・ Chambers, J. K. "Vernacular Universals." ICLaVE 1: Proceedings of the First International Confrerence on Language Variation in Europe. Ed. J. M. Fontana, L. McNally, M. T. Turell, and E. Vallduvi. Barcelona: Universitat Pompeu Fabra, 2001.
・ Chambers, J. K. Sociolinguistic Theory: Linguistic Variation and its Social Implications. Oxford, UK/Malden, US: Blackwell.
・ Chambers, J. K. "Dynamic Typology and Vernacular Universals." Dialectology Meets Typology: Dialect Grammar from a Cross-Linguistic Perspective. Ed. B. Kortmann. Berlin/New York: Gruyter, 2004.
連日 World Englishes に関する話題を取り上げている.比較的新しい分野であるとはいえ,この分野でのコーパスを用いた研究には少なくとも数十年ほどの実績がある.その走りは,1960年代以降,世紀末にかけて徐々に蓄積されてきた,主として英米変種に焦点を当てた各100万語からなるコーパス群,いわゆる "The Brown family of corpora" だったといってよいだろう (cf. 「#428. The Brown family of corpora の利用上の注意」 ([2010-06-29-1])) .
この "Brown family" は,次なる大型プロジェクトにもインスピレーションを与えた.「#517. ICE 提供の7種類の地域変種コーパス」 ([2010-09-26-1]) で紹介した International Corpus of English である.1990年に Sydney Greenbaum が計画を発表して以来,イギリス英語とアメリカ英語はもちろん,現在までにカナダ英語,東アフリカ英語,香港英語,インド英語,アイルランド英語,ジャマイカ英語,ニュージーランド英語,ナイジェリア英語,フィリピン英語,シンガポール英語,スリランカ英語など様々な英語変種の100万語規模のコーパスが編纂されてきた(一部のものはダウンロード可能).互いに比較可能な形でデザインされており,ICECUP という検索ソフトウェアも用意されている.本ブログの ice の記事も参照.
続いて,2013年にこの分野における近年の最大の成果である GloWbE (= Corpus of Global Web-Based English) がオンライン公開された.「#4169. GloWbE --- Corpus of Global Web-Based English」 ([2020-09-25-1]) で紹介した通り,20カ国からの英語変種を総合した19億語からなる巨大世界英語変種コーパスである.現在,このコーパスは世界英語に関する研究でよく利用されている.
このように World Englishes を巡るコーパスの編纂と使用が促進されてきたが,今後,この方面ではどのような展開が予想されるだろうか.Mair (118--19) は今後の展開(あるいは希望)として3点を挙げている.
(1) 諸変種の歴史の初期段階のコーパスの編纂が待たれる
(2) 諸変種の実態についてウェブ上のデータを利用することがますます有用となってくる
(3) 諸変種の多くについてマルチリンガルな状況で使用されているのが実態である以上,従来の英語のモノリンガル・コーパスという枠組みではなく,英語を含むマルチリンガル・コーパスというつもりで編纂されていくべきである
とりわけ (3) は,伝統的な「英語学」を学んできた私のような者にとっては,ショッキングな,目から鱗が落ちるような未来像でもある.World Englishes 研究は,すでに英語学の枠からはみ出し,"sociolinguistics of globalisation" (Mair 119) というべき目標へと踏み出していることを示唆する.そして「英語史」の研究も,世界英語を考慮に入れる以上,こうした動向と連動して,ますます開かれたものになっていくのだろう.
・ Mair, Christian. "World Englishes and Corpora." Chapter 6 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 103--22.
昨日の記事「#4506. World Englishes の全体的傾向3点」 ([2021-08-28-1]) で触れたように,世界英語 (world_englishes) の研究はコーパスなどを用いて急速に発展してきている.Fong (88) による概括を参照すると,研究の潮流としては,世界英語の普遍性と多様性を巡る類型論 (typology) には大きく2つの方向性があるようだ.
(1) 1つは様々な英語に共通する "angloversals" を探る方向性である.ENL と ESL の英語変種を比べても,一貫して受け継がれているかのように見える不変の特徴が確認される.ここから "angloversals" と称される英語諸変種の共通点を探る試みがなされてきた.「継承」という通時的な側面はあるが,その結果としての類似性を重視する共時的な視点といってよいだろう.
(2) もう1つは,どちらかというと英語の諸変種間で共通する側面や相違する側面があることを認め,なぜそのような共通点や相違点があるのかを,歴史社会的なコンテクストに基づいて説明づけようとする視点である.主唱者の Mufwene (2001) の見方を参照すれば,諸英語の歴史的発展は接触言語の特徴や社会経済的な環境,いわゆる「言語生態系」に敏感なものであるということになる.
Fong は,世界英語研究への対し方として,このような2つの系譜があることをサラっと紹介しているが,言語イデオロギー的には,この2つは相当に異なるベルクトルをもっているものと思われる.研究者も自らがどちらの視点に立つかを自覚しておく必要があるように思われる.
・ Fong, Vivienne. "World Englishes and Syntactic and Semantic Theory." Chapter 5 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 84--102.
・ Mufwene, S. S. The Ecology of Language Evolution. Cambridge: CUP, 2001.
Mair (116) によると,世界英語 (world_englishes) の研究者たちがおよそ合意している主たるトレンドが3つあるという.
1. Accent divides, whereas grammar unites (with the lexicon being somewhere in between)
2. There is divergence in speech, but convergence in writing.
3. Variation is suppressed in public and formal discourse, but pervasive in informal settings.
このように言われると,直感的にいずれもその通りなのだろうと思われ,驚きはしない.ただ,ここで指摘されている世界英語の傾向は,世界英語コーパスなどによる客観的で実証的な研究によっておよそ裏付けられるという点が重要である.大雑把にいえば,話し言葉に典型的なインフォーマルな英語使用においては,諸変種間で大きな違いがみられるが,書き言葉に典型的なフォーマルな英語使用では,標準への指向がみられるということだ.
この3点は,一見およそ似たようなことを述べているようにも思われるかもしれない.確かに互いに重なる部分があるのも事実である.しかし,各々は原則として異なる軸足に立った傾向の指摘となっていることに注意したい.1点目は,発音か文法か(語彙か)という言語部門に関するパラメータに基づいている.2点目は話し言葉か書き言葉かという媒体の問題に関係する.3点目は,社会語用論的なセッティング,端的にいえばフォーマルかインフォーマルかという言語使用の背景に注目している.
話し言葉といえば,たいていインフォーマルであり,当然ながら発音の差異に関心が向くだろう.しかし,フォーマルな話し言葉の使用は学術講演や政治演説などで普通に観察されるし,そこでは発音と比べれば相対的に目立たないだけで当然ながら文法や語彙も関与しているのである.また,書き言葉といえばフォーマルとなることが多いが,チャットや会話のスクリプトのように必ずしもそうではない書き言葉の使用はいくらでもあるし,発音の変異を反映する非標準的なスペリング使用もみられる.
3つのパラメータは,互いに重なるが原理的には独立したものとして理解しておくのが適切である.この点については「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]),「#2301. 話し言葉と書き言葉をつなぐスペクトル」 ([2015-08-15-1]),「#839. register」 ([2011-08-14-1]) などを参照されたい.
・ Mair, Christian. "World Englishes and Corpora." Chapter 6 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 103--22.
昨日の記事「#4504. ラテン語の来し方と英語の行く末」 ([2021-08-26-1]) に引き続き,「世界語」としての両者がたどってきた歴史を比べることにより英語の未来を占うことができるだろうか,という問題について.
ラテン語と英語をめぐる歴史社会言語学的な状況について,共通点と相違点を思いつくままにブレストしてみた.
[ 共通点 ]
・ 話し言葉としては様々な(しばしば互いに通じない)言語変種へ分裂したが,書き言葉としては1つの標準的変種におよそ収束している
・ 潜在的に非標準変種も norm-producing の役割を果たし得る(近代国家においてロマンス諸語は各々規範をもつに至ったし,同じく各国家の「○○英語」が規範的となりつつある状況がある)
・ ラテン語は多言語のひしめくヨーロッパにあってリンガ・フランカとして機能した.英語も他言語のひしめく世界にあってリンガ・フランカとして機能している.
[ 相違点 ]
・ ラテン語は死語であり変化し得ないが,英語は現役の言語であり変化し続ける
・ ラテン語の規範は不変的・固定的だが,英語の規範は可変的・流動的
・ ラテン語は書き言葉と話し言葉の隔たりが大きく,前者を日常的に用いる人はいない(ダイグロシア的).しかし,英語については,標準英語話者に関する限りではあるが,書き言葉と話し言葉の隔たりは比較的小さく,前者に近い変種を日常的に用いる人もいる(非ダイグロシア的)
・ ラテン語は地理的にヨーロッパのみに閉じていたが,英語は世界を覆っている
・ ラテン語には中世以降母語話者がいなかったが,英語には母語話者がいる
・ ラテン語は学術・宗教を中心とした限られた(文化的程度の高い)分野において主として書き言葉として用いられたが,英語は分野においても媒体においても広く用いられる
・ ラテン語の規範を定めたのは使用者人口の一部である社会的に高い階層の人々.英語の規範を定めたのも,18世紀を参照する限り,使用者人口の一部である社会的に高い階層の人々であり,その点では似ているといえるが,21世紀の英語の規範を作っている主体はおそらくかつてと異なるのではないか.一般の英語使用者が集団的に規範制定に関与しているのでは?
時代も状況も異なるので,当然のことながら相違点はもっと挙げることができる.例えば,関わってくる話者人口などを比較すれば,2桁も3桁も異なるだろう.一方,共通項をくくり出すには高度に抽象的な思考が必要で,そう簡単にはアイディアが浮かばない.皆さん,いかがでしょうか.
英語の未来を考える上で,英語史はさほど役に立たないと思っています.しかし,人間の言語の未来を考える上で,英語史は役に立つだろうと思って日々英語史の研究を続けています.
かつてヨーロッパではリンガ・フランカ (lingua_franca) としてラテン語が長らく栄華を誇ったが,やがて各地で様々なロマンス諸語へ分裂していき,近代期中に衰退するに至った.この歴史上の事実は,英語の未来を考える上で必ず参照されるポイントである.英語は現代世界でリンガ・フランカの役割を担うに至ったが,一方で諸英語変種 (World Englishes) へと分裂しているのも事実もあり,将来求心力を維持できるのだろうか,と議論される.ある論者はラテン語と同じ足跡をたどることは間違いないという予想を立て,別の論者はラテン語と英語では歴史的状況が異なり単純には比較できないとみる.
両言語の比較に基づいた議論をする場合,当然ながら,歴史的事実を正確につかんでおくことが重要である.しかし,とりわけラテン語に関して,大きな誤解が広まっているのではないか.ラテン語がロマンス諸語へ分裂したと表現する場合,前提とされているのは,ラテン語がそれ以前には一枚岩だったということである.ところが,話し言葉に関する限り,ラテン語はロマンス諸語へ分裂する以前から各地で地方方言が用いられていたのであり,ある意味では「ロマンス諸語への分裂」は常に起こっていたことになる.ラテン語が一枚岩であるというのは,あくまで書き言葉に関する言説なのである.McArthur (9--10) は,"The Latin fallacy" という1節でこの誤解に対して注意を促している.
Between a thousand and two thousand years ago the language of the Romans was certainly central in the development of the entities we now call 'the Romance languages'. In some important sense, Latin drifted among the Lusitani into 'Portuguese', among the Dacians into 'Romanian', among the Gauls and Franks into 'French', and so on. It is certainly seductive, therefore, to wonder whether American English might become simply 'American', and be, as Burchfield has suggested, an entirely distinct language in a century's time from British English.
There is only one problem. The language used as a communicative bond among the citizens of the Roman Empire was not the Latin recorded in the scrolls and codices of the time. The masses used 'popular' (or 'vulgar') Latin, and were apparently extremely diverse in their use of it, intermingled with a wide range of other vernaculars. The Romance languages derive, not from the gracious tongue of such literati as Cicero and Virgil, but from the multifarious usages of a population most of whom were illiterati.
'Classical' Latin had quite a different history from the people's Latin. It did not break up at all, but as a language standardized by manuscript evolved in a fairly stately fashion into the ecclesiastical and technical medium of the Middle Ages, sometimes known as 'Neo-Latin'. As Walter Ong has pointed out in Orality and Literacy (1982), this 'Learned Latin' survived as a monolith through sheer necessity, because Europe was 'a morass of hundreds of languages and dialects, most of them never written to this day'. Learned Latin derived its power and authority from not being an ordinary language. 'Devoid of baby talk' and 'a first language to none of its users', it was 'pronounced across Europe in often mutually unintelligible ways but always written the same way' (my italics).
The Latin analogy as a basis for predicting one possible future for English is not therefore very useful, if the assumption is that once upon a time Latin was a mighty monolith that cracked because people did not take proper care of it. That is fallacious. Interestingly enough, however, a Latin analogy might serve us quite well if we develop the idea of a people's Latin that was never at any time particularly homogeneous, together with a text-bound learned Latin that became and remained something of a monolith because European society needed it that way.
引用の最後にもある通り,この「ラテン語に関する誤謬」に陥らないように注意した上で,改めてラテン語の来し方と英語の行く末を比較してみるとき,両言語を取り巻く歴史社会言語学的状況にはやはり共通点があるように思われる.英語の未来を予想しようとする際の不確定要素の1つは,世界がリンガ・フランカとしての英語をどれくらい求めているかである.その欲求が強く存在している限り,少なくとも書き言葉においては,ラテン語がそうだったように,共通語的な役割を維持していくのではないか.
・ McArthur, Tom. "The English Languages?" English Today 11 (1987): 9--11.
昨日の記事「#4501. 世界の英語変種の整理法 --- McArthur の "Hub-and-Spokes" モデル」 ([2021-08-23-1]) に引き続き,同じ "Hub-and-Spokes" モデルではあるが Görlach が1988年および1990年に発表したバージョンを示そう.ここでは McArthur が1991年の論文 (p. 20) で図示しているものを示す.
McArthur のモデルと発想は変わらないが,より細かく幾重もの同心円が描かれているのが特徴である.内側から外側に向かって,"International English", "regional/national standards", "subregional ENL---ESL semi-standards", "dialects, ethnic E (creoles), semi-/non-standards" と広がっていき,そのさらに外側に "pidgins (creoles), mixes, related languages" の領域が設けられている.
昨日見たような McArthur のモデルに向けられた批判は,およそ Görlach モデルにも当てはまる.例えば,同心円の左下辺りに Tamil E と Butler E が並んでいるが,このように地域変種と社会変種(に基づくピジン語)を並列させるのは適切なのだろうか.また,歴史的な観点が埋め込まれておらず,地政学的なモデルに終止しているきらいもある,等々.
英語変種を図式化 (model_of_englishes) してとらえようとする試みは多々あれど,いずれも一長一短あり,複雑な現実をきれいに落とし込むのは至難の業である.
・ Görlach, M. Studies in the History of the English Language. Heidelberg: Winter, 1990.
・ McArthur, Tom. "Models of English." English Today 32 (1991): 12--21.
英語変種の整理法として比較的早くに提起されたモデルの1つに "Hub-and-Spokes" モデルがある.様々な英語変種から構成される同心円の図を車輪のハブとスポークに見立てた視覚モデルだ.このモデルにもいくつかのバージョンがあるが,McArthur が1987年の論文 ("The English Languages?", 11) で提示したものを覗いてみたい.1991年の論文 ("Models of English", 19) に再掲されている図を再現する.
このモデルの要点について,McArthur ("The English Languages?", 11) は次のように解説している.
The purpose of the model is to highlight the broad three-part spectrum that ranges from the 'innumerable' popular Englishes through the various national and regional standards to the remarkably homogeneous but negotiable 'common core' of World Standard English.
McArthur 自身も述べているように,このモデルはあくまでたたき台として提案されたものであり,様々な問題や議論が生じることが予想される.実際,いくらでも批判的なコメントを加えることができる.個々の変種の分類はこの通りで広く受け入れられるのか,BBC English と Norn が同列に置かれているのはおかしいのではないか,また Australian English と Tok Pisin も然り.さらに本質的な問いとして,そもそも中央に据えられている "World Standard English" というものは現実に存在するのか.
この図が全体として World English を構成しているという見方については,McArthur ("The English Language", 10) は「逆説的な事実」であると評している.
Within such a model, we can talk about a more or less 'monolithic' core, a text-linked World Standard negotiated among a variety of more or less established national standards. Beyond the minority area of the interlinked standards, however, are the innumerable non-standard forms --- the majority now as in Roman times, with all sorts of reasons for being unintelligible to each other. There is nothing new in this, and it is a state of affairs that is unlikely to change in the short or even the medium term. In the distinctness of Scots from Black English Vernacular, Cockney from Krio, and Texian from Taglish, we have all the age-old criteria for talking about mutually unintelligible languages. Nonetheless, all such largely oral forms share in the totality of World English, and can be shown to share in it, however bafflingly different they may be. This is a paradox, but it is also a fact.
・ McArthur, Tom. "The English Languages?" English Today 11 (1987): 9--11.
・ McArthur, Tom. "Models of English." English Today 32 (1991): 12--21.
社会言語学的文脈で議論されることが多い世界英語 (world_englishes) と,音韻理論としての最適性理論 (Optimality Theory; ot) の2つを組み合わせて考えてみることなど,これまでなかったが,Uffmann がまさにそのような論考を提示している.
"World Englishes and Phonological Theory" という論題だけを見たときには,世界中の様々な英語変種の音韻論を比べて,最適性理論により統一的に説明しようとするものだろうかと思ったが,どうもそういうわけではないようだ.究極の目標としてはそのようなことも考えているのかもしれないが,この論考では,主に Vernacular Liberian English (cf. 「#1697. Liberia の国旗」 ([2013-12-19-1])) というL2英語変種の音韻特徴を,L1の制約(のランキング)が持ち越されたことに由来するとして説明するのに,最適性理論を援用している.
刺激的な論文だった.言語接触 (contact) というすぐれて社会言語学的な問題と,音韻体系に関わる理論言語学的な問題とが,最適性理論のランキングを介して結びつけられる快感を得たといえばよいだろうか.ただし,この論文で両者の結びつきが必ずしも鮮やかに提示されたわけではない.あくまで今後の課題として示されるにとどまってはいる.それでも,見通しとしては前途有望だ.Uffmann (79--80) は次のように見通している.
We also still do not have a clear idea of how the social factors in language contact interface with the formal properties of a grammar. With respect to creoles, Uffmann . . . suggests that there are three main processes at work whose relative weighting will depend on the exact nature of the contact situation: (a) transfer of substrate rankings, (b) levelling across substrates, which will be levelling to the unmarked (unless the marked option is shared by a majority of speakers), that is, choosing the ranking from the pool of grammars in which markedness constraints are ranked highest, and (c) acquisition of the superstrate grammar, as reranking via constraint demotion . . . . How does this proposal transfer to other contact varieties?
In this context, a particularly interesting model to look at could be the Dynamic Model of postcolonial Englishes proposed in Schneider (2007; this volume). It is interesting not only because it is the best developed framework to date to account for all postcolonial varieties, from settler varieties, via nativized varieties, to pidgins and creoles. Its special relevance lies in the fact that it links sociolinguistic and socio-historical conditions to identify construction and to linguistic effects. Why and how then do specific contact settings yield specific linguistic outcomes? How could this proposal tie in with Uffmann's model of constraint transfer, levelling to the unmarked and reranking (as acquisition)? This chapter cannot answer these questions. It can only serve as a call for more serious research in this field. Linking World Englishes to phonological theory and applying the models of phonological theorizing to varieties of English from around the world can be an exciting endeavour, and it is to be hoped that it can enrich our understanding of both the processes that lead to the emergence of new Englishes and of the fundamental principles that underlie phonological computation and processing.
ここでは,言語接触を巡る社会的諸パラメータの強度,基層言語の影響,普遍的制約の存在,といった言語学の端から端までを覆う話題を,最適性理論のランキングという1つの装置に収斂させていこうという遠大な狙いが感じられる.
最適性理論については,「#3848. ランキングの理論 "Optimality Theory"」 ([2019-11-09-1]),「#3867. Optimality Theory --- 話し手と聞き手のニーズを考慮に入れた音韻理論」 ([2019-11-28-1]),「#1581. Optimality Theory の「説明力」」 ([2013-08-25-1]),「#3910. 最適性理論 (Optimality Theory) のランキング表の読み方」 ([2020-01-10-1]) を参照.
上の引用で参照されている Schneider の "Dynamic Model" については,昨日の記事「#4497. ポストコロニアル英語変種に関する Schneider の Dynamic Model」 ([2021-08-19-1]) を参照.
・ Uffmann, Christian. "World Englishes and Phonological Theory." Chapter 4 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 63--83.
・ Schneider, Edgar W. "Models of English in the World." Chapter 3 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 35--57.
先日,「#4492. 世界の英語変種の整理法 --- Gupta の5タイプ」 ([2021-08-14-1]) や「#4493. 世界の英語変種の整理法 --- Mesthrie and Bhatt の12タイプ」 ([2021-08-15-1]) で世界英語変種について2つの見方を紹介した.他にも様々なモデルがあり,model_of_englishes で取り上げてきたが,近年もっとも野心的なモデルといえば,Schneider の ポストコロニアル英語変種に関する "Dynamic Model" だろう.2001年から練り上げられてきたモデルで,今や広く受け入れられつつある.このモデルの骨子を示すのに,Schneider (47) の以下の文章を引用する.
Essentially, the Dynamic Model claims that it is possible to identify a single, underlying, fundamentally uniform evolutionary process which can be observed, with modifications and adjustments to local circumstances, in the evolution of all postcolonial forms of English. The postulate of some sort of a uniformity behind all these processes may seem surprising and counterintuitive at first sight, given that the regions and historical contexts under investigation are immensely diverse, spread out across several centuries and also continents (and thus encompassing also a wide range of different input languages and language contact situations). It rests on the central idea that in a colonization process there are always two groups of people involved, the colonizers and the colonized, and the social dynamics between these two parties has tended to follow a similar trajectory in different countries, determined by fundamental human needs and modes of behaviour. Broadly, this can be characterized by a development from dominance and segregation towards mutual approximation and gradual, if reluctant, integration, followed by corresponding linguistic consequences.
このモデルを議論するにあたっては,その背景にあるいくつかの前提や要素について理解しておく必要がある.Schneider (47--51) より,キーワードを箇条書きで抜き出してみよう.
[ 4つの(歴史)社会言語学の理論 ]
1. Language contact theory
2. A "Feature pool" of linguistic choices
3. Accommodation
4. Identity
[ 2つのコミュニケーション上の脈絡 ]
1. The "Settlers' strand"
2. The "Indigenous strand"
[ 4つの(歴史)社会言語学的条件と言語的発展の関係に関わる要素 ]
1. The political history of a country
2. Identity re-writings of the groups involved
3. Sociolinguistic conditions of language contact
4. Linguistic developments and structural changes in the varieties concerned
[ 5つの典型的な段階 ]
1. Foundation
2. Exonormative stablization
3. Nativization
4. Endonormative stabilization
5. Differentiation
Schneider のモデルは野心的かつ包括的であり,その思考法は Keller の言語論を彷彿とさせる.今後,どのように議論が展開していくだろうか,楽しみである.
・ Schneider, Edgar W. "Models of English in the World." Chapter 3 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 35--57.
・ Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language. Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.
昨日の記事「#4493. 世界の英語変種の整理法 --- Mesthrie and Bhatt の12タイプ」 ([2021-08-15-1]) で紹介した分類の (k) Jargon Englishes の1例として,19世紀の "South Seas Jargon" が挙げられている.「南太平洋混合語」と解釈すべき英語の変種(未満のもの?)で,他の呼び名もあるようだが,これについて McArthur の事典で調べてみた.
PACIFIC JARGON ENGLISH, also South Seas English, South Seas Jargon, Jargon. A trade jargon used by 19c traders and whalers in the Pacific Ocean, the ancestor of Melanesian Pidgin English. The whalers first hunted in the eastern Pacific but by 1820 were calling regularly at ports in Melanesia and took on crew members from among the local population. The sailors communicated in Jargon, which began to stabilize on plantations throughout the Pacific area after 1860, wherever Islanders worked as indentured labourers.
19世紀のメラネシアで,西洋および地元の貿易商人や捕鯨船員が相互のコミュニケーションのために使用していた混合語であり,後に太平洋地域のプランテーションで広く定着することになるピジン語 "Melanesian Pidgin English" の起源となった言語変種である.では,後に発達したこの "Melanesian Pidgin English" とはいかなるものだろうか.同じく McArthur の事典より.
MELANESIAN PIDGIN ENGLISH, also Melanesian Pidgin. The name commonly given to three varieties of Pidgin spoken in the Melanesian states of Papua New Guinea (Tok Pisin), Solomon Islands (Pijin), and Vanuatu (Bislama). Although there is a degree of mutual intelligibility among them, the term is used by linguists to recognize a common historical development and is not recognized by speakers of these languages. The development of Melanesian Pidgin English has been significantly different in the three countries. This is due to differences in the substrate languages, the presence of European languages other than English, and differences in colonial policy. In Papua New Guinea, there was a period of German administration (1884--1914) before the British and Australians took over. The people of Vanuatu were in constant contact with the French government and planters during a century of colonial rule (1880--1980). However, Solomon Islanders have not been in contact with any European language other than English.
"Melanesian Pidgin English" それ自体も,歴史的に詳しくみれば複数の変種の集合体というべきものだが,言語としては互いによく似ているし影響関係もあったようである.パプアニューギニアの Tok Pisin, ソロモン諸島の Solomon Pijin, バヌアツの Bislama の相互関係については「#1688. Tok Pisin」 ([2013-12-10-1]),「#1689. 南西太平洋地域のピジン語とクレオール語の語彙」 ([2013-12-11-1]) を参照されたい.
これらのメラネシアの国々では各ピジン英語が lingua_franca として広く用いられているが,その歴史はせいぜい150--200年ほどしかないということになる.「#1536. 国語でありながら学校での使用が禁止されている Bislama」 ([2013-07-11-1]) もおもしろい.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
昨日の記事「#4492. 世界の英語変種の整理法 --- Gupta の5タイプ」 ([2021-08-14-1]) に引き続き,世界の英語変種の整理法について.今回は World Englishes というズバリの本を著わした Mesthrie and Bhatt (3--10) による12タイプへの分類を紹介したい.昨日と同様,Schneider (44) を経由して示す.
(a) Metropolitan standards (i.e. the "respected mother state's" norm as opposed to colonial offspring, i.e. in our case British English and American English as national reference forms).
(b) Colonial standards (the standard forms of the former "dominions," i.e. Australian, New Zealand, Canadian, South African English, etc.).
(c) Regional dialects (of Britain and North America, less so elsewhere in settler colonies).
(d) Social dialects (by class, ethnicity, etc.; including, e.g. Broad, General and Cultivated varieties in Australia, African American Vernacular English, and others).
(e) Pidgin Englishes (originally rudimentary intermediate forms in contact, and nobody's native tongue; possibly elaborated in complexity, e.g. West African Pidgin Englishes).
(f) Creole Englishes (fully developed but highly structured, hence of questionable relatedness to the lexifier English; e.g. Jamaican Creole).
(g) English as a Second Language (ESL) (postcolonial countries where English plays a key role in government and education; e.g. Kenya, Sri Lanka).
(h) English as a Foreign Language (EFL) (English used for external and international purposes; e.g. China, Europe, Brazil).
(i) Immigrant Englishes (developed by migrants to an English-dominant country; e.g. Chicano English in the United States)).
(j) Language-shift Englishes (resulting from the replacement of an ancestral language by English; possibly, like Hiberno English, becoming a social dialect in the end).
(k) Jargon Englishes (unstable pre-pidgins without norms and with great individual variation, e.g. South Seas Jargon in the nineteenth century)
(l) Hybrid Englishes (mixed codes, prestigious among urban youths; e.g. "Hinglish" mixing Hindi and English).
英語(使用)の歴史,地位,形式,機能の4つのパラメータを組み合わせた分類といえる.実際に存在する(した)ありとあらゆる英語変種を網羅している感がある.ただし,水も漏らさぬ分類というわけではない.この分類では,複数のカテゴリーにまたがって所属してしまうような英語変種もあるのではないか.
・ Schneider, Edgar W. "Models of English in the World." Chapter 3 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 35--57.
・ Mesthrie, Rajend and Rakesh M. Bhatt. World Englishes: The Study of New Linguistic Varieties. Cambridge: CUP, 2008.
世界英語 (World Englishes) をモデル化し整理する試みは,様々になされてきた.本ブログで model_of_englishes の各記事で紹介してきた通りである.視覚的な図で表現されるモデルが多いなかで,今回紹介する Gupta によるモデルは単純なリストである.世界の英語変種を5タイプに分類している.Schneider (44) より Gupta モデルの紹介部分を引用する.
Gupta (1996) proposed five types of variety settings, based on whether English is embedded in multilingual nations and on how it originated in a given country (with "ancestral" indicating settler transmission, "scholastic" denoting contexts in which formal education was important, and "contact" characterizing more mixed and creolized varieties):
・ "Monolingual ancestral English" (e.g. United States, Australia, New Zealand).
・ "Monolingual contact variety" (e.g. Jamaica)
・ "Multilingual scholastic English" (e.g. India, Pakistan)
・ "Multilingual contact variety" countries (e.g. Singapore, Nigeria, Papua New Guinea).
・ "Multilingual ancestral English" (e.g. South Africa, Canada)
関与するパラメータは2つだ.1つ目は多言語使用のなかでの英語使用か否か.2つ目は,その英語(使用)の起源が,母語話者の移住によるものか,正規教育によるものか,言語混合によるものか.これらの組み合わせにより論理的には6タイプの変種が区別されるが,実際には "Monolingual scholastic English" に相当するものはない.例えば,将来日本の英語教育が著しく発展し,日本語母語話者がみな英語へ言語交替したならば,それは "Monolingual scholastic English" と分類されることになるだろう(ありそうにない話しではあるが).
大雑把ではあるが,歴史社会言語学的な基準による見通しのよい整理法といえる.
・ Schneider, Edgar W. "Models of English in the World." Chapter 3 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 35--57.
・ Gupta, A. F. "Colonisation, Migration, and Functions of English." Englishes around the World. Vol. 1: General Studies, British Isles, North America. Studies in Honour of Manfred Görlach. Ed. by E. W. Schneider. Amsterdam: Benjamins, 1997. 47--58.
英語は,現代世界のリンガ・フランカ (lingua_franca) として世界中に分布を拡大させている.英語はある意味では,はるか昔,紀元前の大陸時代より,ブリテン諸島のケルト民族や新大陸の先住民をはじめ世界中の多くの民族の言語の分布を縮小させ,自らの分布を拡大させてきた歴史をもつ.
一見すると「負け知らず」の言語のように思われるかもしれないが,必ずしもそうではない.他の言語との競争に敗れて分布を縮小させたり,ときに不使用となる場合すらあったし,現在もそのような事例がみられるのである.今回は,この英語(史)の意外な事例をいくつかみていきたい.参照するのは Trudgill の "English in Retreat" と題する節 (27--29) である.
歴史的に古いところから始めると,12--15世紀のアイルランドの事例がある.Henry II は,1171年にアングロ・ノルマン軍を送り込んでアイルランド侵攻を狙い,その一画に英語話者を入植させた.しかし,彼らはやがて現地化するに至り,英語が根づくことはなかった.英語としては歴史上初めて本格的な分布拡大に失敗した機会だったといえる(cf. 「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]),「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1])).
ぐんと現代に近づいて19世紀のことになるが,私たちにとって非常に重要な --- しかしほとんど知られていない --- 英語の敗北の事例がある.舞台はなんと小笠原群島である.この群島はもともと無人だったが,1543年にスペイン人により発見され,その後,主に欧米系の人々により入植が進み,19世紀には英語ベースの「小笠原ピジン英語」 (Bonin English) が展開していた.しかし,19世紀後半から日本がこの地の領有権を主張し,島民の日本への帰化を進めた結果,日本語が優勢となり,現在までに小笠原ピジン英語はほぼ廃用となっている.詳しくは「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]),「#2596. 「小笠原ことば」の変遷」 ([2016-06-05-1]),「#3353. 小笠原諸島返還50年」 ([2018-07-02-1]) を参照されたい.
現在の事例でいえば,カナダのケベック州が挙げられる.フランス語が優勢な同州において,英語が劣勢に立たされていることはよく知られている(cf. 「#1733. Canada における英語の歴史」 ([2014-01-24-1])).住人の帰属意識を巡る政治・歴史問題が関わっており,「世界の英語」といえども単純に分布を広げられるわけではないことをよく示している.
また,あまり知られていないが,中央アメリカのカリブ海沿岸にも,英語母語話者集団でありながら言語的・社会的に劣勢に立たされている人々の住まう土地が点在している.彼らのルーツは19世紀後半よりジャマイカなどから中央アメリカの大陸沿岸地域へ展開した人々で,しばしば奴隷として社会的地位の低い集団とみなされていた.現在でも,関連する各国の公用語であるスペイン語のほうが威信が高く,当地では英語使用に負のレッテルが張られている.関連する記事として「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]),「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]),「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1]),「#1713. 中米の英語圏,Bay Islands」 ([2014-01-04-1]),「#1714. 中米の英語圏,Bluefields と Puerto Limon」 ([2014-01-05-1]),「#1731. English as a Basal Language」 ([2014-01-22-1]) を挙げておく.
ほかにも,19世紀半ばにアメリカ南北戦争で敗者となった南部人がブラジルに逃れた子孫が,今もブラジルに英語母語話者集団として暮らしているが,同国の公用語であるポルトガル語に押されて劣勢である.また,1890年代に社会主義的ユートピアを求めてパラグアイに移住したオーストラリア人の子孫が今も暮らしているが,若者の間では土地の言語である Guaraní への言語交替が進行中である.
英語は過去にも現在にも「負け知らず」だったわけではない.
・ Trudgill, Peter. "The Spread of English." Chapter 2 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 14--34.
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