「#2734. 所有代名詞 hers, his, ours, yours, theirs の -s」 ([2016-10-21-1]) の記事で,-s の代わりに -n をもつ,hern, hisn, ourn, yourn, theirn などの歴史的な所有代名詞に触れた.これらの形態は標準英語には残らなかったが,方言では今も現役である.Upton and Widdowson (82) による,hern の方言分布を以下に示そう.イングランド南半分の中央部に,わりと広く分布していることが分かるだろう.
-n 形については,Wright (para. 413) でも触れられており,19世紀中にも中部,東部,南部,南西部の諸州で広く用いられていたことが知られる.
-n 形は,非標準的ではあるが,実は体系的一貫性に貢献している.mine, thine も含めて,独立用法の所有代名詞が一貫して [-n] で終わることになるからだ.むしろ,[-n] と [-z] が混在している標準英語の体系は,その分一貫性を欠いているともいえる.
なお,my と mine のような用法の違いは,Upton and Widdowson (83) によれば,限定所有代名詞 (attributive possessive pronoun) と叙述所有代名詞 (predicative possessive pronoun) という用語によって区別されている.あるいは,conjunctive possessive pronoun と disjunctive possessive pronoun という用語も使われている.
・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.
・ Wright, Joseph. The English Dialect Grammar. Oxford: OUP, 1905. Repr. 1968.
現代英語で「?のもの」を意味する所有代名詞は,1人称単数の mine を除き,いずれも -s が付き,yours, his, hers, ours, theirs のようになる (it に対応する所有代名詞が事実上ない件については,「#197. its に独立用法があった!」 ([2009-11-10-1]) を参照).端的にいえば,名詞の所有格および「?のもの」を意味する -'s を,代名詞にも応用したものと考えることができるが,一般化したのはそれほど古くなく,15世紀のことである.では,それ以前には,所有代名詞に相当する表現は何だったのだろうか.
古英語と中英語では,人称代名詞の所有格がそのまま所有代名詞としても用いられており,この状況は17世紀まで見られた.現代風にいえば,所有格の your, her, our, their などがそのまま所有代名詞としても用いられていたということだ.しかし,中英語では,所有代名詞として別の刷新形も現われ,並行して用いられるようになった.北部方言では,現代の hers, ours, yours, ours につらなる -s の付いた形態が,a1325 の Cursor Mundi に軒並み初出する.
一方,南・中部では -s ならぬ -n の付いた hern (hers, theirs) が早くから ?a1200 の Ancrene Riwle で現われ,後期中英語には hisn, yourn, ourn, theirn も現われた.この -n を伴う形態は,my/mine や thi/thine に見られるような交替からの類推と考えられる(1・2人称単数については,古英語より mīn, þīn に所有代名詞としての用法がすでに存在した).これらの -n 形は現代では方言に限定されるなどして,一般的ではない.
歴史的には,初期中英語の北部方言に現われた -s をもつ刷新形の所有代名詞が,15世紀に分布を広げて一般化し,標準形として現代英語に伝わったことになる.
「#2680. deixis」 ([2016-08-28-1]) に関わる文法範疇 (category) の1つに,人称 (person) がある.ただし,直接 deixis に関係するのは,1人称(話し手)と2人称(聞き手)のみであり,いわゆる3人称とはそれ以外の一切の事物として否定的に定義されるものである.「私」と「あなた」の指示対象は,会話の参与者が変わればそれに応じて当然変わるものであり,コミュニケーションにとって,このように相対的な指示機能を果たす1・2人称代名詞が是非とも必要だが,3人称については,絶対的にそれを指し示す名詞(句)だけを使っても用を足すことはできる.例えば代名詞「彼」や「彼女」を用いる代わりに,「鈴木」や「山田」と名前を繰り返し用いて済ませることも可能である.したがって,諸言語の人称代名詞体系において最も本質的なものは1,2人称であり,3人称は場合によってなしでも可である.
Huang (137) は,3人称代名詞を欠く言語がありうる理由について,次のように述べている.
Third person is the grammaticalization of reference to persons or entities which are neither speakers nor addressees in the situation of utterance, that is, the 'participant-role' with speaker and addressee exclusion [-S, -A] . . . . Notice that third person is unlike first or second person in that it does not necessarily refer to any specific participant-role in the speech event . . . . Therefore, it can be regarded as the grammatical form of a residual non-deictic category, given that it is closer to non-person than either first or second person . . . . This is why all of the world's languages seem to have first- and second-person pronouns, but some appear to have no third-person pronouns.
具体的に Huang が3人称代名詞を欠く言語として言及しているのは,Dyirbal, Hopi, Yéli Dnye, Yidiɲ, 及びコーカサス諸語である.
実は,日本語にしても,人称代名詞をどのように考えるかという議論はあるが,3人称代名詞については古来指示代名詞の転用が一般的であり,独自のものはなかったといってよい.1人称はア・アレ,ワ・ワレ,2人称ではナ・ナレが固有の語幹としてあったのに対し,3人称は少なくとも独自の語幹をもつほどには発達していなかったからだ.
ところで,日本語でも英語でも小さい子供が自分のことを1人称代名詞ではなく固有名詞で呼ぶ現象があるが,あれは相対的なものの見方や自我の発達と関係があるのだろうか.deixis は,その時々の立ち位置を定めた上での相対的な指示機能であるから,認知能力の発達と関係しそうではある.これは絶対敬語の問題とも関係し,広い意味で語用論の話題,deixis の話題といえる.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
語用論の基本的な話題の1つに deixis (ダイクシス,直示性)がある.この用語は,ギリシア語で「示す,指し示す」を意味する deikunúnai に由来する.Huang (132) の定義によれば,deixis とは "the phenomenon whereby features of context of utterance or speech event are encoded by lexical and/or grammatical means in a language" である.直示表現 (deictic (expression)) には,指示詞 (demonstrative),1・2人称代名詞 (1st and 2nd personal_pronoun),時制標識 (tense marker),時や場所の副詞 (adverb of time and place),移動動詞 (motion verb) が含まれる.
何らかの deixis をもたない言語は存在しない.それは,deixis を標示する手段がないと,人間の通常のコミュニケーション上の要求を満たすことができないからだ.確かに「私」「ここ」「今」のような直示的概念なしでは,いかなる言語も役に立たないだろう.海辺で拾った瓶のメモに "Meet me here a month from now with a magic wand about this long." と書かれていても,誰に,どこで,いつ,どのくらいの長さの杖をもって会えばよいのか不明である.これは読み手が書き手の意図した deixis を解決できないために生じるコミュニケーション障害である.
英語の直示表現の典型例として you を挙げよう.通常,話し相手を指して you が用いられ,時と場合によって you の指示対象は変わるものであるから,これは典型的な直示表現といえる.しかし,If you travel on a train without a valid ticket, you will be liable to pay a penalty fare. のように一般人称として用いられる you では,本来の直示的な性質はなりをひそめており,2人称代名詞 you の非直示的用法の例というべきだろう.
直示表現のもう1つの典型例として,this を挙げよう.指さしや視線などの物理的なジェスチャーを伴って this table と言うとき,この this はすぐれて直示的な用法といえるが,物理的な行動を伴わずに this town と言うときには,この this は直示的ではあるがより象徴的な用法といえる.後者は前者からの発展的,派生的用法と考えられ,実際,ジェスチャー用法 (gestural) でしか用いられず,象徴的 (symbolic) な用法を欠いているフランス語の voici, voilà のような直示表現もある.言い換えれば,象徴的用法のみをもつ直示表現というのはありそうにない.
以上より,直示表現の用法は以下のように分類される (Huang 135 の図を改変).
┌─── Gestural │ ┌─── Deictic use ───┤ │ │ Deictic expression ───┤ └─── Symbolic │ └─── Non-deictic use
古英語の形容詞の強変化・弱変化の区別については,ゲルマン語派の顕著な特徴として「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1]),「#785. ゲルマン度を測るための10項目」 ([2011-06-21-1]),「#687. ゲルマン語派の形容詞の強変化と弱変化」 ([2011-03-15-1]) で取り上げ,中英語における屈折の衰退については ilame の各記事で話題にした.
強変化と弱変化の区別は古英語では名詞にもみられた.弱変化形容詞の強・弱屈折は名詞のそれと形態的におよそ平行しているといってよいが,若干の差異がある.ことに形容詞の強変化屈折では,対応する名詞の強変化屈折と異なる語尾が何カ所かに見られる.歴史的には,その違いのある箇所には名詞ではなく人称代名詞 (personal_pronoun) の屈折語尾が入り込んでいる.つまり,古英語の形容詞強変化屈折は,名詞屈折と代名詞屈折が混合したようなものとなっている.この経緯について,Hogg and Fulk (146) の説明に耳を傾けよう.
As in other Gmc languages, adjectives in OE have a double declension which is syntactically determined. When an adjective occurs attributively within a noun phrase which is made definite by the presence of a demonstrative, possessive pronoun or possessive noun, then it follows one set of declensional patterns, but when an adjective is in any other noun phrase or occurs predicatively, it follows a different set of patterns . . . . The set of patterns assumed by an adjective in a definite context broadly follows the set of inflexions for the n-stem nouns, whilst the set of patterns taken in other indefinite contexts broadly follows the set of inflexions for a- and ō-stem nouns. For this reason, when adjectives take the first set of inflexions they are traditionally called weak adjectives, and when they take the second set of inflexions they are traditionally called strong adjectives. Such practice, although practically universal, has less to recommend it than may seem to be the case, both historically and synchronically. Historically, . . . some adjectival inflexions derive from pronominal rather than nominal forms; synchronically, the adjectives underwent restructuring at an even swifter pace than the nouns, so that the terminology 'strong' or 'vocalic' versus 'weak' or 'consonantal' becomes misleading. For this reason the two declensions of the adjective are here called 'indefinite' and 'definite' . . . .
具体的に強変化屈折のどこが起源的に名詞的ではなく代名詞的かというと,acc.sg.masc (-ne), dat.sg.masc.neut. (-um), gen.dat.sg.fem (-re), nom.acc.pl.masc. (-e), gen.pl. for all genders (-ra) である (Hogg and Fulk 150) .
強変化・弱変化という形態に基づく,ゲルマン語比較言語学の伝統的な区分と用語は,古英語の形容詞については何とか有効だが,中英語以降にはほとんど無意味となっていくのであり,通時的にはより一貫した統語・意味・語用的な機能に着目した不定 (definiteness) と定 (definiteness) という区別のほうが妥当かもしれない.
・ Hogg, Richard M. and R. D. Fulk. A Grammar of Old English. Vol. 2. Morphology. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
今年もこの時期がやってきた.American Dialect Society による 2015年の The Word of the Year が1月8日に発表された.今年の受賞は,singular "they" である.
They was recognized by the society for its emerging use as a pronoun to refer to a known person, often as a conscious choice by a person rejecting the traditional gender binary of he and she.
. . . .
The use of singular they builds on centuries of usage, appearing in the work of writers such as Chaucer, Shakespeare, and Jane Austen. In 2015, singular they was embraced by the Washington Post style guide. Bill Walsh, copy editor for the Post, described it as "the only sensible solution to English's lack of a gender-neutral third-person singular personal pronoun."
While editors have increasingly moved to accepting singular they when used in a generic fashion, voters in the Word of the Year proceedings singled out its newer usage as an identifier for someone who may identify as "non-binary" in gender terms.
"In the past year, new expressions of gender identity have generated a deal of discussion, and singular they has become a particularly significant element of that conversation," Zimmer said. "While many novel gender-neutral pronouns have been proposed, they has the advantage of already being part of the language."
なぜ今さら singular they がという気がしないでもなかったが,上の記事と合わせて Wordorigins.org: ADS Word of the Year for 2015 の記事を読んでみて合点がいった.単に性別を問わない単数の一般人称代名詞としての they の用法はここ数十年間で確かに認知されてきており,とりわけ2015年を特徴づける語法というわけではないが,男女という性別の二分法そのものに疑問を呈するシンボル (nonbinary identifier) として,昨年,焦点が当てられたという.テレビ番組などで transgender の話題が多く取り上げられ,"nonbinary identifier" としての they の使用が目立ったということだ.なお,singular they は,MOST USEFUL カテゴリーでも受賞している.時代のキーワードであることが,特によくわかる受賞だった.
singular_they については,本ブログでも何度か扱ってきたので,以下にリンクを張っておきたい.
・ 「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1])
・ 「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1])
・ 「#1887. 言語における性を考える際の4つの視点」 ([2014-06-27-1])
・ 「#1920. singular they を取り締まる規範文法 (1)」 ([2014-07-30-1])
・ 「#1921. singular they を取り締まる規範文法 (2)」 ([2014-07-31-1])
・ 「#1922. singular they を取り締まる規範文法 (3)」 ([2014-08-01-1])
過去の WOY の受賞については,woy を参照.
「#2376. myself, thyself における my- と thy-」 ([2015-10-29-1]) で取り上げた Keenan の論文では,近現代英語の再帰代名詞が外適応 (exaptation) の結果生まれたものであることが説かれている.oneself の形態は,当初,人称代名詞の対照的な用法として始まったが,それが同一指示あるいは局所的束縛という性質を獲得し,今見られるような再帰的用法として機能するようになったという ("pron + self is selected because of its contrast function, and later, losing contrast, survives because of its local binding function" (250)) .
Keenan (346) は,古英語から近代英語にかけての oneself の用法別の分布を取り,このことを示そうとした.古英語および中英語において,再帰的用法は,集められた oneself の直接目的語としての全用例のうち20%程度を占めるにすぎないが,初期近代英語には突如として80%を越える.これは,言語変化の速度やスケジュールという観点からは,急激なS字曲線を描くということになり,興味深い現象である.
Keenan (347) は,対照用法から再帰用法への外適応の道筋を,次のように考えている.
. . . by the end of ME bare object occurrences of pron + self are losing their contrast interpretation. But this leads again to an ANTI-SYNONYMY violation on a paradigm level. Without the contrast interpretation a locally bound pron + self is synonymous with a locally bound bare pronoun. So him and him + self, her and her + self, etc. would become synonyms. This was avoided by an interpretative differentiation: pron + self in object position came to require local antecedents and bare pronouns came to reject local antecedents (in favor of the always possible non-local ones or deictic interpretations).
なお,Keenan は,この変化はあくまで外適応であり,文法化 (grammaticalisation) ではないと判断している.「#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2)」 ([2014-09-23-1]) や「#2146. 英語史の統語変化は,語彙投射構造の機能投射構造への外適応である」 ([2015-03-13-1]) で示唆したように,外適応は文法化との関連で論じられることが多いが,両者の関係は必ずしも単純ではないのかもしれない.
・ Keenan, Edward. "Explaining the Creation of Reflexive Pronouns in English." Studies in the History of the English Language: A Millennial Perspective. Ed. D. Minkova and R. Stockwell. Berlin/New York: Mouton de Gruyter, 2002. 325--54.
再帰代名詞の oneself の前半要素に,人称代名詞の所有格形が当てられているか (ex. myself, thyself),目的格形が当てられているか (ex. himself, themselves) の問題は,英語史で長らく議論されてきた問題の1つである.本ブログでも,「#47. 所有格か目的格か:myself と himself」 ([2009-06-14-1]),「#1851. 再帰代名詞 oneself の由来についての諸説」 ([2014-05-22-1]) で扱ってきた.
myself, thyself で所有格が用いられることについて,先の記事では self が名詞と解釈されたとする説とケルト語からの影響とする説を紹介した.もう1つ有力なのは,Mustanoja (146) などのとる与格形の母音弱化説である.初期中英語では,1,2人称でも self に前置されるのは3人称の場合と同様に与格形であり,me self, þe self などと表わされていた.この me や þe が後接辞 (proclitic) のように機能し始めると音声的に弱化し,e で表わされる母音が i へと変化した.かくして13世紀末頃に miself, þiself となるに及び,mi, þi は所有格として,self は名詞としてとして再分析され,これを1,2人称複数に応用した our selve(n), your selve(n) も現われるようになったという.後接辞の音声弱化は,biforen, bitwene における be- > bi- などにしばしば観察される,よくある現象である.
Keenan (344) も,次のように述べて Mustanoja の音声弱化説を支持している.
I claim these forms [= mi + self and þi + self] are just phonologically reduced forms of the procliticized dative pronouns me and þe. The correspondence of Old English long close e to Middle English short i is well attested . . . . Me and þe are the only dative pronouns that consist of a single light syllable. The others are either closed (him, us, hem or disyllabic or diphthongal (hire, eow). So it is natural that phonological reduction takes place first in 1st and 2nd sg. Once reduced we may identify them with possessive adjectives, surely the basis of the Pattern Generalization to your + self and our + self in 1st and 2nd pl (modern spelling) in the mid-1300s, which facilitates interpreting self as a N.
この説は,me と þi のみが開いた単音節であるという指摘において,説得力があるように思われる.また,人称代名詞のような語類において,歴史上,何度も繰り返し音声の弱化と強化が生じてきたことは,「#1198. ic → I」 ([2012-08-07-1]),「#2076. us の発音の歴史」 ([2015-01-02-1]),「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1]) でも見てきたとおりである.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
・ Keenan, Edward. "Explaining the Creation of Reflexive Pronouns in English." Studies in the History of the English Language: A Millennial Perspective. Ed. D. Minkova and R. Stockwell. Berlin/New York: Mouton de Gruyter, 2002. 325--54.
昨日の記事 ([2015-09-20-1]) に引き続いての話題.16世紀に hem, 'em が不在,あるいは非常に低頻度という件について,EEBO (Early English Books Online) のテキストデータベースを利用して,簡易検索してみた.検索結果は,動詞 hem を含め,相当の雑音が混じっており,丁寧に除去する手間は取っていないものの,16世紀からの例は確かに極端に少ないことがわかった.
16世紀前半からの明確な例は,Andrew Boorde, The pryncyples of astronamye (1547) に現われる "doth geue influence to hem the which be borne vnder this signe" の1例のみである.16世紀前半の300万語ほどのサブコーパスのなかで,極めて珍しい.'em に至っては,16世紀後半のサブコーパスも含めても例がない.
16世紀後半のサブコーパスでも,hem の例は少々現われるとはいえ,さして状況は変わらない.F. T., The debate betweene Pride and Lowlines (1577) なるテキストにおいて "for they doon hem blame", "For which hem thinketh they should been aboue" などと生起したり,Joseph Hall, Certaine worthye manuscript poems of great antiquitie reserued long in the studie of a Northfolke gentleman (1597) という当時においても古めかしい詩のなかで何度か現われたりする程度である.
一方,17世紀サブコーパスの検索結果一覧をざっと眺めると,hem の頻度が著しく増えたという印象はないが,'em が見られ始め,ある程度拡張している様子である.後者の 'em の出現は,アポストロフィという句読記号自体の拡大が17世紀にかけて進行したことと関係するだろう (see 「#582. apostrophe」 ([2010-11-30-1])) .
hem, 'em の歴史的継続性という議論については,問題の16世紀にもかろうじて用例が文証されるということから,継続性を認めてよいだろうとは考える.口語ではもっと頻繁に用いられていただろうという推測も,おそらく正しいだろう.しかし,なぜ文章の上にほとんど反映されなかったのかという疑問は残るし,17世紀以降に復活してきた際に,すでに共時的には them の省略形と解釈されていた可能性についてどう考えるかという問題も残る.この話題は,いまだ謎といってよい.
「#2331. 後期中英語における3人称複数代名詞の段階的な th- 化」 ([2015-09-14-1]) の最後で触れたように,古い3人称複数代名詞の与格に由来する hem あるいはその弱形 'em は,標準英語では1500年頃までに them によりほぼ置換された.しかし,16世紀末以降,口語的な響きをもって再び文献に現われ出す.'em は,現在の口語の I got 'em. にみられるように,いまだその痕跡を残しているといわれるが,古英語や中英語から現代英語にいたる歴史的継続性を主張するためには,16世紀中の証拠の不在が問題となりそうだ.Wyld (327--28) がこの問題に触れている.
The history of hem is rather curious. It survives in constant use among nearly all writers during the fifteenth century, often alongside the th- form. I have not noted any sixteenth-century example of it in the comparatively numerous documents I have examined, until quite at the end of the century. It reappears, however, in Marston and Chapman early in the seventeenth century, and in the form 'em occurs, though sparingly, in the Verney Mem. towards the end of the seventeenth century, where the apostrophe shows that already it was thought to be a weakened form of them. During the eighteenth century 'em becomes fairly frequent in printed books, and it is in common use to-day as [əm]. It is rather difficult to explain the absence of such forms as hem or em in the sixteenth century, since the frequency at a later period seems to show that, at any rate, the weak form without the aspirate must have survived throughout. The explanation must be that em, though commonly used, was felt, as now, to be merely a form of them.
Wyld は,16世紀中も hem, 'em は口語として続いていたはずだが,すでに them の(崩れた)略形として理解されており,文章の上に反映される機会がなかったのだろうという意見だ.
この仮説を裏付ける証拠はある.Wyld は16世紀からの用例が世紀末を除けば皆無としているが,OED の 'em, pron. の歴史的な例文を眺めると,語幹母音の揺れを無視すれば,hem や 'em の類いは,確かに少ないものの,いくつかは文証される.
・ a1525 (a1500) Sc. Troy Bk. (Douce) 143 in C. Horstmann Barbour's Legendensammlung (1882) II. 233 A ferlyfule sowne sodeynly Among heme maide was hydwisly.
・ a1525 Eng. Conquest Ireland (Trin. Dublin) (1896) 28 He bad ham well þorwe that thay sholden yn al manere senden after more of har kyn.
・ c1540 (?a1400) Gest Historiale Destr. Troy (2002) f. 66, Sotly hyt semys not surfetus harde No vnpossibill thys pupull perfourme in dede That fyuetymes fewer before home has done.
・ 1579 Spenser Shepheardes Cal. May 27 Tho to the greene Wood they speeden hem all.
・ 1589 'M. Marprelate' Hay any Worke for Cooper 48 Ile befie em that will say so of me.
しかし,歴史的連続性を主張するのに首の皮が一枚つながったという程度で,16世紀からの用例は確かに著しく少ないようである.口語的な語形として文章に反映される機会がなかったという点についても,もう少し掘り下げて考える必要がありそうだ.
なお,18世紀初めに,Swift が 'em をだらしない語法として非難していることを付け加えておこう.Wyld (329) 曰く,
Note that this form ['em] became so widespread in the early eighteenth-century speech that Swift complains that 'young readers in our churches in the prayer for the Royal Family, say endue'um, enrich'um, prosper'um, and bring'um. Tatler, No. 230 (1710).
・ Wyld, Henry Cecil. A History of Modern Colloquial English. 3rd ed. Oxford: Basil Blackwell, 1936.
3人称複数代名詞が,中英語期中に,本来語の h- 形から古ノルド語由来とされる th- 形へと置き換えられていったことは,英語史では広く知られている.しかし,th- への置換は,格によってタイミングが異なっていた (see 「#975. 3人称代名詞の斜格形ではあまり作用しなかった異化」 ([2011-12-28-1]), 「#1843. conservative radicalism」 ([2014-05-14-1])) .すべての方言で繰り返されたパターンは,まず主格が,次に属格が,最後に斜格(与格と対格の融合したもの)が th- 形へ移行するというパターンだ.例えば,北東中部方言の Ormulum (?c1200) では,すでに早い段階で主格は þeȝȝ 一辺倒になっており,属格でも多少の h- 形を残しながらも大部分は þeȝȝre だが,斜格では逆に多少の þeȝȝm を示しながらも hemm が基本である.
ロンドンで主格に þei が現われるのは14世紀であり,Chaucer では þei / her(e) / hem というパラダイムが用いられている (「#181. Chaucer の人称代名詞体系」 ([2009-10-25-1])) .15世紀になると,属格で their が her(e) と競合するようになり,世紀末には Caxton などで their が事実上の唯一形となる.them の定着は最も遅く,Chaucer の次世代の Lydgate や Hoccleve でもまだ hem のみであり,Caxton では them が現われるものの,いまだ hem のほうが優勢だった.16世紀の初めになって,ようやく them が定着し,現代標準英語の状況に達することになった (Lass 120; Mustanoja 134--35) .
したがって,3人称複数のパラダイムは,いずれの方言においても,絶対年代こそ異なれ,共通して以下の3段階を経たことになる (Lass 121).
I | II | III | |
---|---|---|---|
Nominative | þei | þei | þei |
Genitive | her(e) | her(e) ? þeir | þeir |
Oblique | hem | hem | hem ? þem |
現代英語において,主語と同一の指示対象を指す代名詞は,通常の単純形の代名詞ではなく -self を伴う再帰代名詞の形態をとらなければならないというのが規則である.しかし,ときに単純代名詞と再帰代名詞の選択が任意という場合がある.位置を表わす前置詞の目的語として用いられるケースで,Quirk et al. (359) によれば,次のような例が挙げられる.
・ She's building a wall of Russian BÒOKS about her(self).
・ Holding her new yellow bathrobe around her(self) with both arms, she walked up to him.
・ Mason stepped back, gently closed the door behind him(self), and walked down the corridor.
・ They left the apartment, pulling the spring lock shut behind them(selves).
さらに,主語と同一指示対象でありながら,単純形が任意どころか義務という場合すらある.やはり前置詞の目的語として用いられる場合で,標題の文に代表される.Quirk et al. (360) では,次のような例文が挙げられている.
・ He looked about him.
・ She pushed the cart in front of her.
・ She liked having her grandchildren around her.
・ They carried some food with them.
・ Have you any money on you?
・ We have the whole day before us.
・ She had her fiancé beside her.
歴史的にみれば,これらの単純形も機能的には歴とした再帰代名詞である.歴史的背景を略述すれば,初期近代英語までは,動きや静止を表わす自動詞 (ex. fare, go, run; rest, sit, stay) や感情を表わす他動詞 (ex. doubt, dread, fear, repent) は,単純形の再帰代名詞を伴うのが普通だった.しかし,17世紀にはこの語法は衰退し,単純形の再帰代名詞は廃用となっていった(中尾・児馬,p. 36).関連して,「#578. go him」 ([2010-11-26-1]),「#1392. 与格の再帰代名詞」 ([2013-02-17-1]),「#2185. 再帰代名詞を用いた動詞表現の衰退」 ([2015-04-21-1]) も参照.
このように単純形が衰退するなかで,唯一取り残されて生き延びたのが,上掲の事例である.生き残った理由としては,問題の代名詞に強調や対比の意味がこめられておらず,形態的にも短いものが好まれたということが考えられる.これらの例文において強調されているのは,むしろ前置詞のほうだろう.このことは,"Pat felt a sinking sensation inside (her)." のように,問題の代名詞が省略される場合すらあることからも推測される.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
英語史における thou と you の使い分け,いわゆる T/V distinction の問題については,「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1]) や「#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか?」 ([2012-05-28-1]),そして t/v_distinction の各記事で取り上げてきた.
2人称複数代名詞の敬称単数としての用法の伝統は,4世紀のローマ皇帝に対する vos の使用に始まり,12世紀の Chrétien de Troyes などによるフランス語を経て,英語へはおそらく13世紀に伝わり,1600年頃には慣用として根付いていた.一方,17世紀中に親称単数の thou は衰退し始め,標準英語では18世紀に廃用となった.Johnson (261) が,上記の歴史的経緯を実に手際よくまとめているので,そのまま引用したい.
IN LATIN THE EMPEROR, representing in his person the power and glory of his predecessors, was addressed with vos in the fourth century A.D. By the fifth century, this pronoun was commonly employed to indicate respect. In French by the time of Chrétien de Troyes, vous was not only given to superiors but was also interchanged by equals. In Latin and French works of twelfth-century England, the plural pronoun had been used as a singular by, for example, Geoffrey of Monmouth, Wace, and Marie de France. The practice of using ye and you (the "you-singular") instead of thou and thee (the "thou-singular") apparently spread to English during the thirteenth century and by about 1600 had become established in polite usage. For some time thereafter, however, the thou-singular continued to appear in emotional or intimate speech and in the discourse of superiors to inferiors and of the members of the lower class to one another. Gradually decreasing in use, it became obsolete in the standard language in the eighteenth century and now appears only in poetry and the address of the deity or among Quakers and those who speak a dialect.
Johnson は,thou の衰退する17世紀に焦点を当て,喜劇の戯曲と大衆フィクションの47作品をコーパスとして,you と thou の分布と頻度を調査した.登場人物を職業別に上流,中流,下流へ分類し,以下のような統計結果を得た (Johnson 265).
1600--1649 | You | Thou | You* | Thou* |
---|---|---|---|---|
Upper Class | 5,851 | 2,664 | 64.36 | 35.64 |
Middle Class | 2,807 | 629 | 81.40 | 18.60 |
Lower Class | 2,385 | 470 | 83.47 | 16.53 |
1650--1699 | ||||
Upper Class | 10,853 | 2,353 | 81.40 | 18.60 |
Middle Class | 3,145 | 574 | 81.77 | 18.23 |
Lower Class | 2,849 | 317 | 88.32 | 11.68 |
* In percent. |
The historical uses of the you-singular, as in respect or irony, and of the thou-singular, as in emotion or intimacy, to an inferior, or in the exchange of the members of the lower class, are exemplified in the various texts throughout the era. However, further demonstrating the meaninglessness of the distinction between them, you may frequently be found in circumstances where thou might be expected to occur, and, at times, thou where we should expect to find you.
・ Johnson, Anne Carvey. "The Pronoun of Direct Address in Seventeenth-Century English." American Speech 41 (1966): 261--69.
「#2248. 不定人称代名詞としての you」 ([2015-06-23-1]) で取り上げた話題と関連して,古い2人称代単数代名詞 thou が不定の一般的な人を指示する用法を発達させたのはいつかという問題を取り上げる.先の記事でも触れたように,OED では thou についてそのような語義分類がなされておらず,確かなことは言えないが,MED では様々な例文が列挙されている.最も古い例として挙げられているのは,古英語末期といってもよい次の文である.a1150 (OE) Vsp.D.Hom. (Vsp D.14) 3/18: Þonne þu oðerne mann tæle, þonne geðænc þu þæt nan man nis lehterleas.
ほぼ同じくらい早い例として,?a1160 Peterb. Chron. (LdMisc 636) an. 1137: Hi..brendon alle the tunes ðæt wel þu myhtes faren all a dæis fare sculdest thu neure finden man in tune sittende ne land tiled. が挙げられているが,この例文ついては,古い論文だが Koziol (173) が言及している.
Die Bedeutung des thou in Sprichwörtern und allgemeinen Regeln kommt einem »man« zumindest sehr nahe; es wendet sich nicht an einen bestimmten Menschen, sondern an jeden. Im Neuenglischen ist ja der entsprechende Gebrauch von you (oder they) sehr häufig. Daß früher thou die gleiche allgemeine Bedeutung haben konnte, geht aus Stellen wie der folgenden aus der Sachsenchronik 1137 hervor: hi . . . brendon alle the tunes, đ wel þu myhtes faren al a dæis fare, sculdest thu neure finden man in tune sittende. N. Bøgholm führt außer diesem noch ein Beispiel aus altenglischer Zeit an. Das OED verzeichnet diesen Gebrauch nicht.
上の引用によれば,さらに古英語からの例がありそうだということだが,2人称代名詞への不定一般人称への用法上の拡張は語用論的には突飛ではなく,驚くことではないだろう.同じ拡張が歴史時代以前に起こっていたという可能性すらあり得るだろう.ただし,文献学的には,初例がいつどこで文証されたのかということは問題になる.同用法の起源・発達の問題は残るが,現在も普通に用いられる2人称代名詞の不定人称を表わす用法が,遅く見積もったとしても古英語から中英語にかけての時期にすでに確認されたという事実に,歴史の長さと語用論的な普遍性の一端をみることができる.
・ H. Koziol, "Die Anredeform bei Chaucer." Englische Studien 75 (1942): 170--74.
本ブログでは3単現の -s (3sp) や3複現の -s (3pp) ほか,英語史における動詞の人称語尾に関する話題を多く取り上げてきた.人称 (person) という文法範疇 (category) は世界の多くの語族に確認され,英語を含む印欧諸語においても顕著な範疇となっている.しかし,そもそも印欧語において人称が動詞の屈折語尾において標示されるという伝統の起源は何だったのだろうか.主語の人称と動詞が一致しなければならないという制約はどこから来たのだろうか.
この問題について,印欧語比較言語学では様々な議論が繰り広げられているようだ.この分野の世界的大家の1人 Szemerényi (329) によれば,1・2人称語尾については,対応する人称代名詞の形態が埋め込まれていると考えて差し支えないという.
The question of the origin of the personal endings has always aroused much greater interest. Since Bopp's earliest writings, indeed since the eighteenth century, it has been usual to find in the personal endings the personal pronouns. In spite of frequent dissent this theory is universally accepted; it is, however, also valid for the 1st pl., where the original form of the pronoun was *mes . . ., and for the 1st dual, whose ending -we(s) similarly contains the pronoun. And the principle must be expected to operate in the 2nd person also. This is suggest by many other language families. . . .
一方,3人称については,1・2人称と同様の説明を与えることはできず,単数にあっては指示詞 *so/*to に由来し,複数にあっては動作主名詞接尾辞と関係し,やや複雑な事情を呈するという (Szemerényi 330) .これが事実だとすると,太古の印欧祖語の話者は,1・2人称を正当な「人称」とみて,3人称を「非人称」とみていたのかもしれない.ここに反映されている世界観(と屈折語尾の分布)は現代の印欧諸語の多くに痕跡を残しており,屈折語尾の著しく衰退した現代英語にすら,3単現の -s としてかろうじて伝わっている.
では,そもそも印欧語において人称という文法範疇が確たる地位を築いてきたのはなぜか.というのは,他の多くの言語では,人称という文法範疇はたいした意味をもたないからだ.例えば,日本語では形容詞の用法における人称制限などが問題となる程度であり,範疇としての人称の存在基盤は薄い.しかし,人称という術語の指し示すものをもっと卑近に理解すれば,それは話す主体としての「私」と,私の話しを聞いている「あなた」と,話題となりうる「それ以外」の一切の素材とを区別する原理にほかならない.「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]) の用語でいえば,話し手(=1人称),聞き手(=2人称),事物・現象(=3人称)という区分である.これらが普遍的な構成要素のうちの3つであるということが真であれば,いかなる言語も,この区分をどの程度確たる文法範疇として標示するかは別として,その基本的な世界観を内包しているはずである.印欧祖語は,それを比較的はっきり標示するタイプの言語だったのだろう.
なお,前段落の議論は,ある種の言語普遍性 (linguistic universal) を前提とした議論である.だが,日本語母語話者としては,人称という文法範疇は直感的によく分からないのも事実であるから,言語相対論 (linguistic_relativism) として理解したい気もする.
・ Szemerényi, Oswald J. L. Introduction to Indo-European Linguistics. Trans. from Einführung in die vergleichende Sprachwissenschaft. 4th ed. 1990. Oxford: OUP, 1996.
6月3日付けで寄せられた素朴な疑問.不定人称代名詞として people や one ほどの一般的な指示対象を表わす you の用法は,歴史的にいつどのように発達したものか,という質問である.現代英語の例文をいくつか挙げよう.
・ You learn a language better if you visit the country where it is spoken.
・ It's a friendly place---people come up to you in the street and start talking.
・ You have to be 21 or over to buy alcohol in Florida.
・ On a clear day you can see the mountains from here.
・ I don't like body builders who are so overdeveloped you can see the veins in their bulging muscles.
まずは,OED を見てみよう.you, pron., adj., and n. によれば,you の不定代名詞としての用法は16世紀半ば,初期近代英語に遡る.
8. Used to address any hearer or reader; (hence as an indefinite personal pronoun) any person, one . . . .
c1555 Manifest Detection Diceplay sig. D.iiiiv, The verser who counterfeatith the gentilman commeth stoutly, and sittes at your elbowe, praing you to call him neare.
当時はまだ2人称単数代名詞として thou が生き残っていたので,OED の thou, pron. and n.1 も調べてみたが,そちらでは特に不定人称代名詞としての語義は設けられていなかった.
中英語の状況を当たってみようと Mustanoja を開くと,この件について議論をみつけることができた.Mustanoja (127) は,thou の不定人称的用法が Chaucer にみられることを指摘している.
It has been suggested (H. Koziol, E Studien LXXV, 1942, 170--4) that in a number of cases, especially when he seemingly addresses his reader, Chaucer employs thou for an indefinite person. Thus, for instance, in thou myghtest wene that this Palamon In his fightyng were a wood leon) (CT A Kn. 1655), thou seems to stand rather for an indefinite person and can hardly be interpreted as a real pronoun of address.
さらに本格的な議論が Mustanoja (224--25) で繰り広げられている.上記のように OED の記述からは,この用法の発達が初期近代英語のものかと疑われるところだが,実際には単数形 thou にも複数形 ye にも,中英語からの例が確かに認められるという.初期中英語からの 単数形 thou の例が3つ引かれているが,当時から不定人称的用法は普通だったという (Mustanoja 224--25) .
・ wel þu myhtes faren all a dæis fare, sculdest thu nevre finden man in tune sittende, ne land tiled (OE Chron. an. 1137)
・ no mihtest þu finde (Lawman A 31799)
・ --- and hwat mihte, wenest tu, was icud ine þeos wordes? (Ancr. 33)
中英語期には単数形 thou の用例のほうが多く,複数形 ye あるいは you の用例は,これらが単数形 thou を置換しつつあった中英語末期においても,さほど目立ちはしなかったようだ.しかし,複数形 ye の例も,確かに初期中英語から以下のように文証される (Mustanoja 225) .
・ --- þenne ȝe mawen schulen and repen þat ho er sowen (Poema Mor. 20)
・ --- and how ȝe shal save ȝowself þe Sauter bereth witnesse (PPl. B ii 38)
・ --- ȝe may weile se, thouch nane ȝow tell, How hard a thing that threldome is; For men may weile se, that ar wys, That wedding is the hardest band (Barbour i 264)
なお,MED の thou (pron.) (1g, 2f) でも yē (1b, 2b) でも,不定人称的用法は初期中英語から豊富に文証される.例文を参照されたい.
本来聞き手を指示する2人称代名詞が,不定の一般的な人々を指示する用法を発達させることになったことは,それほど突飛ではない.ことわざ,行儀作法,レシピなどを考えてみるとよい.これらのレジスターでは,発信者は,聞き手あるいは読み手を想定して thou なり ye なりを用いるが,そのような聞き手あるいは読み手は実際には不特定多数の人々である.また,これらのレジスターでは,内容の一般性や普遍性こそが身上であり,とりあえず主語などとして立てた thou や ye が語用論的に指示対象を拡げることは自然の成り行きだろう.例えばこのようなレジスターから出発して,2人称代名詞がより一般的に不定人称的に用いられることになったのではないだろうか.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
現代英語の正書法には,「3文字規則」と呼ばれるルールがある.超高頻度の機能語を除き,単語は3文字以上で綴らなければならないというものだ.英語では "the three letter rule" あるいは "the short word rule" といわれる.Jespersen (149) の記述から始めよう.
4.96. Another orthographic rule was the tendency to avoid too short words. Words of one or two letters were not allowed, except a few constantly recurring (chiefly grammatical) words: a . I . am . an . on . at . it . us . is . or . up . if . of . be . he . me . we . ye . do . go . lo . no . so . to . (wo or woe) . by . my.
To all other words that would regularly have been written with two letters, a third was added, either a consonant, as in ebb, add, egg, Ann, inn, err---the only instances of final bb, dd, gg, nn and rr in the language, if we except the echoisms burr, purr, and whirr---or else an e . . .: see . doe . foe . roe . toe . die . lie . tie . vie . rye, (bye, eye) . cue, due, rue, sue.
4.97 In some cases double-writing is used to differentiate words: too to (originally the same word) . bee be . butt but . nett net . buss 'kiss' bus 'omnibus' . inn in.
In the 17th c. a distinction was sometimes made (Milton) between emphatic hee, mee, wee, and unemphatic he, me, we.
2文字となりうるのは機能語がほとんどであるため,この規則を動機づけている要因として,内容語と機能語という語彙の下位区分が関与していることは間違いなさそうだ.
しかし,上の引用の最後で Milton が hee と he を区別していたという事実は,もう1つの動機づけの可能性を示唆する.すなわち,機能語のみが2文字で綴られうるというのは,機能語がたいてい強勢を受けず,発音としても短いということの綴字上の反映ではないかと.これと関連して,off と of が,起源としては同じ語の強形と弱形に由来することも思い出される (cf. 「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]),「#858. Verner's Law と子音の有声化」 ([2011-09-02-1]),「#1775. rob A of B」 ([2014-03-07-1])) .Milton と John Donne から,人称代名詞の強形と弱形が綴字に反映されている例を見てみよう (Carney 132 より引用).
so besides
Mine own that bide upon me, all from mee
Shall with a fierce reflux on mee redound,
On mee as on thir natural center light . . .
Did I request thee, Maker, from my Clay
To mould me Man, did I sollicite thee
From darkness to promote me, or here place
In this delicious Garden?
(Milton Paradise Lost X, 737ff.)
For every man alone thinkes he hath got
To be a Phoenix, and that then can bee
None of that kinde, of which he is, but hee.
(Donne An Anatomie of the World: 216ff.)
Carney (133) は,3文字規則の際だった例外として <ox> を挙げ (cf. <ax> or <axe>),完全無欠の規則ではないことは認めながらも,同規則を次のように公式化している.
Lexical monosyllables are usually spelt with a minimum of three letters by exploiting <e>-marking or vowel digraphs or <C>-doubling where appropriate.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. 1954. London: Routledge, 2007.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
「#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか」 ([2015-06-02-1]) では,きわめて例外的な綴字としての <you> について触れた.原則として <u> で終わる語はないのだが,この最重要語は特別のようである.だが,非常に関連の深いもう1つの語も,同じ例外を示す.古い2人称単数代名詞 <thou> である.俄然この問題がおもしろくなってきた.関係する記述を探してみると,Upward and Davidson (188) が,これについて簡単に触れている.
OU and OW have become fixed in spellings mainly according to their position in the word, with OU in initial or medial positions before consonants . . . .
・ OU is nevertheless found word-finally in you and thou, and in some borrowings from or via Fr: chou, bayou, bijou, caribou, etc.
・ The pronunciation of thou arises from a stressed form of the word; hence OE /uː/ has developed to /aʊ/ in the GVS. The pronunciation of you, on the other hand, derives from an unstressed form /jʊ/, from which a stressed form /juː/ later developed.
Upward and Davidson にはこれ以上の記述は特になかったので,さらに詳しく調査する必要がある.共時的にみれば,*<yow> と綴る方法もあるかもしれないが,これは綴字規則に照らすと /jaʊ/ に対応してしまい都合が悪い.<ewe> や <yew> の綴字は,すでに「雌山羊」「イチイ」を意味する語として使われている.ほかに,*<yue> のような綴字はどうなのだろうか,などといろいろ考えてみる.所有格の <your> は語中の <ou> として綴字規則的に許容されるが,綴字規則に則っているのであれば,対応する発音は */jaʊə/ となるはずであり,ここでも問題が生じる.謎は深まるばかりだ.
上の引用でも触れられている you の発音について,より詳しくは「#2077. you の発音の歴史」([2015-01-03-1]) を参照.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
現代英語では,指示代名詞である this, that, these, those は各々単独で,人を指示することができる.しかし,単数系列にはある特徴がある.単数の this, that が単独で人を指す場合には,原則として軽蔑的な含意がこめられるというのだ(本記事では,This is John. のような人を紹介する文脈での用法は除くものとする).この用法に関心を示した Poussa (401) は,that のこの用法の初例として OED から1905年の例文を引いている.
'Would you like to marry Malcolm?' I asked. 'Fancy being owned by that! Fancy seeing it every day!' (Eleanor Glynn, Vicissitudes of Evangeline: 127).
Poussa は,このような that(や this)の用法を,英語史上,比較的最近になって現われたものとし,社会的直示性を示す "comic-dishonourific" な用法と呼んだ.20世紀初頭ではこの用法はまだほとんど気づかれていなかったようで,例えば Jespersen (406) は,this と that がそもそも単独で人を表わす用法はないと述べている.
While in the adjunctal function the plural forms these and those correspond exactly to the singulars this and that, the same cannot be said with regard to the same forms used as principals, for here this and that can no longer be used in speaking of persons, while these and those can. The sg of those who is not that who (which is not used), but he who (she who); similarly there is no sg that present corresponding to the pl those present
元来 this, that が単独で人を指示することができなかったことと,新しい用法として人を指せるようにはなったものの,そこに否定的な社会的直示性が含意されていることとは,無関係ではないだろう.this, that が単独で人を指すのには,いまだ何らかの抵抗感があるものと思われる.
しかし,さらに古く歴史を遡ると,古英語でも中英語でも,this, that は,確かに頻繁ではないものの,複数形の these, those とともに単独で人を指すことができたのである (Jespersen 409--10) .ここで,単独で人を指す this, that のかつての用法が,なぜ現代英語の直前期までに一旦消えることになったのかという,別の問題が持ち上がることになる.
Poussa は,gender という意外な観点を持ち出して,この問題に迫った.3人称代名詞が単数系列では he, she と男女を区別し,複数系列では区別せずに共通して they を用いる事実と,指示代名詞の分布を関係づけたのである.
上の図 (Poussa 405) に示したように,もとより性を区別しない複数系列では,人称代名詞の they はもちろん,指示代名詞 these, those も単独で人を指すことができるが,単数系列では性を区別できる人称代名詞 he, she のみが可能で,性を区別できない指示代名詞 this, that を用いることはできない.単数系列では,this, that は性を区別することができないがゆえに,その生起がブロックされるというわけだ.このことは,文法性として男性と女性を区別していた古英語の分布図 (Poussa 407) と比較すると,より明らかになる.
古英語では,単数系列で指示代名詞が男性と女性を区別しえたために,単独で人を指すことも問題なく許容されたと解釈できる.後世の観点からすると,いまだ [-HUMAN] の意味特性を獲得していないということができる.
Poussa は,近現代英語につらなる "HUMAN" という意味特性の発生は,古英語から中英語にかけての文法性の体系の崩壊と関連して生じたものであり,指示体系の新たな原理の創出の反映であるとみている.初期近代英語における his に代わる its の発展や,関係代名詞 which と who の先行詞選択の発達も,同じ新しい原理に依拠しているといえるだろう (cf. 「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1]),「#1418. 17世紀中の its の受容」 ([2013-03-15-1])) .
Poussa の議論を受け入れるとすれば,後期古英語からの音声変化によって文法性の体系が崩れ,中英語期に形態論と統語論を劇的に変化させることとなったが,さらに近代英語期以降に,その余波が意味論や語用論にも及んできたということになる.英語史の壮大なドラマを感じざるを得ない.
・ Poussa, Patricia. "Pragmatics of this and that." History of Englishes: New Methods and Interpretations in Historical Linguistics. Ed. Matti Rissanen, Ossi Ihalainen, Terttu Nevalainen, and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 401--17.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 2. Vol. 1. 2nd ed. Heidelberg: C. Winter's Universitätsbuchhandlung, 1922.
「#2185. 再帰代名詞を用いた動詞表現の衰退」 ([2015-04-21-1]) と「#2206. 再帰代名詞を用いた動詞表現の衰退 (2)」 ([2015-05-12-1]) に引き続いての話題.近代英語期以降,再帰代名詞を伴う動詞の表現が衰退してきている.この現象を関連表現との競合という観点から調査した研究に,秋元 (118--48) がある.秋元は,content oneself with などの「動詞+再帰代名詞+前置詞」というパターンとその関連表現に的を絞って,OED から1700年以降の用例を収集し,それぞれの分布を取った.
content oneself with でいえば,このパターンは現代英語では減少してきており,代わって各種の競合形,とりわけ be content to V や be content with NP が増えてきているという.be contented with NP や be contented to V という競合形も低頻度ながら用いられており,全体として再帰代名詞を用いた表現は各種の競合形に抑えこまれる形で目立たなくなってきているという.content oneself with のほかにもいくつかの表現が扱われており,例えば apply oneself to もやはり着実に減少してきており,代わって自動詞用法の apply to NP や受動態の be applied to NP が増えてきているようだ.8種類の動詞について用例数を数え挙げた結果は,以下の通りである(秋元,p. 134) .時代別ではなくひっくるめた数値だが,再帰表現ではない競合形が相対的に優勢であることがよくわかる.
reflexive | passive | intransitive | other rival forms | ||
---|---|---|---|---|---|
(1) | content oneself with | 108 | 30 | 136 | |
(2) | avail oneself of | 14 | 4 | ||
(3) | devote oneself to | 70 | 191 | ||
(4) | apply oneself to | 42 | 653 | 548 | |
(5) | attach oneself to | 93 | 100 | 171 | |
(6) | address oneself to | 62 | 207 | 11 | |
(7) | confine oneself to | 69 | 592 | ||
(8) | concern oneself with/about/in | 69 | 822 |
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