現代英語に起こっている文法変化としてよく取り上げられる話題の一つに,人を表す三人称単数代名詞がある.標準英語には人を表す三人称単数代名詞として he (男性)と she (女性)の二つがあるが,性を含意せずに使うことのできる代名詞は存在しない.一方,複数では性にかかわらず使うことのできる they が存在する.(人称代名詞体系の非対称性については,[2009-11-09-1], [2009-10-24-1]を参照.)
If anyone is interested in this blog, he can always contact me.
のような文を発する場合,伝統的な英語ではここにあるように he が使われてきた.だが,anyone は女性の可能性も半分あるわけで,それを受ける人称代名詞は he では不適切であるという議論が成り立つ.そこで,言語における男女平等を達成しようと,he と she の代わりとなる共生代名詞が様々な形で提案されてきた.Crystal (46) などから列挙すると:
・ co (used in some American communes)
・ E
・ et
・ he or she
・ heesh
・ hesh
・ hir
・ ho
・ jhe
・ mon
・ na (used by some novelists)
・ ne
・ per (used by some novelists)
・ person
・ po
・ s/he
・ tey
・ they (as a singular pronoun)
・ thon
・ xe
どう発音するのか不明な例も含めて代案は乱立しているが,どれもしっくりこないということで広く支持されているものはない.当面の現実的な提案として,he や she を使わないですむように書き換えるべし,といわれることも多い.上の文であれば,If you are interested in this blog, you can always contact me. や Those who are interested in this blog can always contact me. などがあるだろうか.
どのように決着をみるかはわからない.いずれかの代案が採用されるのか,書き換え strategy で問題を回避するのか.前者であれば,(1) 複数の選択肢が提案され (variation),(2) いずれかが選ばれ (potential for change),(3) 文法体系のなかに定着し (implementation),(4) 人々のあいだに広まる (diffusion),という言語変化の一般的なステップ (Smith 7) を踏むことになるのだろう.
・Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997.
・Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
昨日の記事[2009-11-10-1]で,人称代名詞 its の用法について触れた.そこに挙げた Shakespeare (First Folio ed.) からの引用では,its ではなく it's という綴字が用いられていることに気づいただろうか.First Folio 版を全体としてみると,apostrophe ありの it's が9例,なしの its が1例,確認される.当時は it's のほうが頻度が高かったことになる.
apostrophe の有無は別として,そもそも its が所有代名詞として使われるようになったこと自体が,比較的あたらしい.its の初例は16世紀末であり,それ以前の古英語・中英語の時期は,his が用いられていた.この his は,[2009-09-29-1],[2009-10-25-1]でみたように,由緒正しい三人称単数中性の形態であり,三人称単数男性 his の転用というわけではない.同様に,歴史的には him は三人称単数男性の与格形であるとともに三人称単数中性の与格形でもあった.
だが,中英語期に,文法性 ( grammatical gender ) が廃れて自然性 ( natural gender ) が名詞・代名詞のカテゴリーとして確立してくると,男性(人)と中性(非人)のものとで同じ代名詞の形態が共有されていることに違和感が生じてくる.実際に,Chaucer の代名詞体系 [2009-10-25-1] では,古英語で中性与格形だった him は姿を消している.そして,近代英語期にずれこみはしたが,違和感解消の圧力は,中性属格形だった his にも及んだ.中性の his を置き換えたのは,it という主格形に名詞の所有格語尾として定着していた -s を付けようという単純な発想に基づいて作られた its だった.
中性としての him や his の消失・置換のほかにも,人と非人の区別を明確にしようという圧力は,先行詞に応じて関係代名詞 who と which を使い分けるようになった過程にもみられる.これも,近代英語期に生じた過程である.
以上の背景で its は16世紀末に現れ,17世紀中にはほぼ確立した.しかし,初期の綴字である it's も19世紀初まで散発的にみられたし,誤用として現在にまで根強く残っている.it is や it has の省略形としての it's と,代名詞の所有格の its は,発音が同じこともあり,現在でも英語母語話者にとって最もよく間違えられる綴字の一つである.このよくある間違いについてはこちらの記事も要参照.
昨日の記事[2009-11-09-1]で,現代英語の人称代名詞体系において,it に対応する所有代名詞の独立用法が欠けていると指摘した.「それのもの」という表現は確かに他の性や人称に比べれば使用頻度が少ないように思われるが,its という限定用法がありながら,独立用法が欠けているのは,体系として欠陥であるといわざるを得ない.
しかし,驚くなかれ,この its には非常にまれながら独立用法が存在するのである.あまりに稀少なので屈折表のなかに取り込まれていないだけで,「あり得ない」わけではないということを示しておきたい.ただし,its が独立用法として使用されるのは,対比表現に限られるようである.以下の3例のうち,最初の2例は Quirk et al. の CGEL の例を再掲したもので,最後の例は OED より Shakespeare, Henry VIII 1.1.18 (First Folio ed.) からの引用である(こちらを参照).
・History has ITS lessons and fiction has ITS.
・She knew the accident was either her husband's fault or the car's: it turned out to be not HIS but ITS.
・Each following day Became the next dayes master, till the last Made former Wonders, it's.
対比としてでなければ使用できないのでは,やはり屈折体系に納めることはできないということか.
・Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985. 362 (fn. [a]).
[2009-09-29-1], [2009-10-24-1]で古英語の人称代名詞の屈折表を,[2009-10-25-1]で Chaucer に代表させて中英語の人称代名詞の屈折表を示した.対比のために,現代英語の人称代名詞の屈折表も示しておこうと思ったので,以下に掲げる.
伝統的な英語教育では,学習者は I -- my -- me -- mine などと唱えて覚えるが,形態論的に体系づけるとこのような配列となる.
現代英語の人称代名詞を分類するカテゴリーには「人称」「性」「数」「格」があり,名詞よりもはるかに複雑である.「性」は,古英語にあったような文法性 ( grammatical gender ) ではなく,指示対象の生物学的な性によって定まる自然性 ( natural gender ) である.「男性」「女性」に対して「非人」というのは妙な用語だが,英語の non-personal をうまく訳せなかっただけである.
[2009-10-24-1]では古英語の人称代名詞体系の非対称性に言及したが,現代英語の体系も多くの点で非対称的である.すぐに気づくのは,it に対応する所有代名詞の独立用法の形態が存在しないことだろう.また,二人称で単数と複数のあいだに形態的な区別がない ( you ) のは,現代英語の泣き所ともいえる.三人称女性単数で,目的格と所有格(限定用法)にも区別がない ( her ).
このように細かいところを指摘すればきりがない.時とともに変化する宿命にある言語において,体系とは,きれいにまとまらないものなのだろう.
・Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985. 346.
[2009-10-11-1]で世界の言語における T/V distinction の類型を簡単に紹介した.
英語では,中英語期に thou (親称)と you (敬称)により相手との社会的関係を標示する手段が存在したが,後に you に一本化されてからは区別する手段がなくなっている.thou でなく you の方に一本化したということは,相手との距離を大きく取る方向へ舵を切ったということになるだろう.
比較しておもしろいのは,ドイツ語の T/V distinction の通時的変遷である.現代ドイツ語では,二人称親称代名詞は du,二人称敬称代名詞は Sie として区別しているが,かつてはそうではなかったという.最初は二人称敬称代名詞として二人称複数形 Ihr を転用していたらしい.つまり,英語で本来的に二人称複数形であった you を敬称として転用したのと同じ状況があったことになる.
ところが,次に三人称単数男性形 Er が二人称敬称代名詞として使われるようになった.そして,さらに三人称複数形 Sie がその役割を担うようになり,現在に至っている.英語でたとえれば,二人称敬称代名詞が you → he → they と変遷してきたということになる.ドイツ語では,二人称敬称代名詞を表す形態こそ変化してきたが,その機能は失わずに保ってきたということになろう.
上記のように,英語とドイツ語とでは,二人称敬称代名詞に関して異なる歴史を歩んできたわけだが,T/V distinction という語用論的機能は,いずれの言語でも,どうやら扱いづらいもののようだ.二人称単数(=相手)を名指しするやり方は,日本語ならずとも,やはり神経を使うものなのだろう.
ドイツ語で,Ihr と複数形によって「あなた」を間接的に指していたはずが,使われ続けるうちにその間接性が薄まり,結局は直接的に指しているのと同じくらい生々しい効果を生んだ.そこで再び新しい間接的で丁寧な「あなた」として Er を使い出したが,これもそのうちに手垢がついて,直接性が感じられるようになる.そこで,次に Sie を持ってくる・・・.これは「敬意逓減の法則」と呼ばれるが,この調子でいくと,永遠に新しい語が現れては滅ぶということを繰り返すことになりそうだ.英語では,この輪廻を断ち切って,いわば涅槃の境地に達したということになるのかもしれない.
文化人類学的には,「人を呼ぶ」(=相手の名指し)は「相手に触れる」のと同様のタブー性を有しているとされ,多くの言語文化で敬避的呼称が発達しているという.[2009-10-11-1]の結論の追認することになるが,涅槃の境地に達した英語と,煩悩を抱き続けている日本語を含めた多くの言語とでは,呼称に対する言語文化の差は実に大きいのだなと改めて感じさせられる.
・滝浦 真人 「呼称のポライトネス」 『月刊言語』38巻12号,2009年,32--39頁.
[2009-09-29-1]や[2009-10-24-1]で古英語の人称代名詞体系について見た.では,中英語では人称代名詞はどのような体系だったろうか.中英語といっても初期と後期では異なるし,方言によっても相当の差があるが,後期中英語の代表として Geoffrey Chaucer が作品の中で用いていた体系を掲げよう.
多くは古英語からの自然発達形だが,古英語との最大の違いは,三人称単数女性主格の s(c)he と三人称複数主格の they だろう.古英語ではそれぞれ hēo と hīe だったから,Chaucer の体系が現代英語の体系へ一歩近づいていることがわかる.だが,三人称複数の主格以外の格,すなわち斜格 ( oblique cases ) では,Chaucer でもまだ <h> で始まる古英語由来の形態を用いていることに注意.
[2009-09-29-1]で古英語の人称代名詞の屈折表(三人称のみ)を掲げた.複雑に見えるが,この語類だけは loss of inflection の時代と呼ばれる近代英語期に至っても多くの屈折を残している.今日は,古英語の人称代名詞について,もう少し詳しく述べる.
古英語の人称代名詞体系は,数 ( number ),格 ( case ),人称 ( person ),性 ( gender ) の四つのカテゴリーによって屈折した.以下,各カテゴリーの中身.
数:単数,双数,複数
格:主格,対格,属格,与格
人称:一人称,二人称,三人称
性:男性,女性,中性
[2009-09-29-1]の表では「双数」 ( dual ) には触れなかったが,古英語では単数と複数の中間として,特別に「二人」を示す代名詞が存在した.だが,実際には古英語でもすでに廃れつつあった.双数を含めた人称代名詞体系の拡大版を掲げる.
この表から,古英語から現代英語にかけて人称代名詞体系にどんな変化が起こったかが読み取れようが,ここでは,一つ一つの具体的な変化を考えるよりも,そもそも古英語の段階から人称代名詞体系が非対称だったという事実に注目してみたい.
本来,数,格,人称,性でフルに屈折するのであれば,3 x 4 x 3 x 3 = 108 のセルからなる表ができあがるはずだが,実際には40セルしか埋まっていない.これだけ見ても体系が不完全であることがよくわかる.各カテゴリーについて非対称的・非機能的な点を指摘しよう.
・双数が1人称と2人称にしか存在しない
・1人称と2人称では,対格と与格の形態的区別がない(かっこ内は古い形態を示す)
・3人称で,his, him, hiere, hit が異なる複数の機能を果たしている
・2人称と3人称でいう(双数と)複数は,対応する単数が複数集まったものと考えられるが,1人称の双数と複数は,対応する単数である「私」が複数集まったものではない.あくまで,私とそれ以外のものの集合である.
・性が区別されるのは,三人称単数のみである.
「体系」と呼びうるためには,それなりの対称性が必要である.欠陥がありつつも一応は表の形で表すことができるので,そこそこの対称性はあるということは間違いないが,期待されるほど綺麗な体系ではない.非対称性に満ちているといってよい.
しかし,なぜそのような非対称が生じるのか.なぜカテゴリーによって区別の目が粗かったり細かかったりするのか.言語には体系を指向する力と体系を乱す力がともに働いており,その力関係は刻一刻と変化している.一定にとどまっていることがない以上,たとえある段階でより対称的になったとしても,次の段階ですぐに非対称へと逆行する.言語における体系は,ある程度の非対称をもっていることが常態なのかもしれない.
・Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997. 64--66.
日本語に呼びかけや指示のために用いる適切な二人称単数代名詞が欠けていることは,多くの日本語話者が,意識するにせよしないにせよ,日常的に体験していることである.「あなた」ではよそよそしく,「君」ではきざっぽく,「おまえ」では角が立つ,「そちら」や「お宅」もどうもふさわしくない.日本語話者は,日々,判断の難しいケースに遭遇し,何とか乗り切るということを繰り返している.多くの場合にとる戦略は,二人称代単数名詞を使わないですませる,という逃げの手である.その点,現代英語は,you 一語でことが足りる.なので,この問題に関する限り,日本語母語話者にとって英語は楽だな,便利だなと感じる.
だが,英語も中英語にさかのぼると,二種類の二人称単数代名詞があった.自分より下位・同位の者に対して用いる thou と,自分よりも上位の者に対して用いる you である.もっとさかのぼって古英語では,両者の使い分けは単純に数の問題であり,前者は二人称単数(あなた一人),後者は二人称複数(あなたがた複数)を指した.しかし,中英語になって,二人称代名詞には話し手と聞き手の社会的直示性 ( social deixis ) の情報が埋め込まれることになった.その後,近代英語では thou がほぼなくなってしまい,社会的直示性の対立も解消され,現代英語に至っている.
中英語の時代にあった thou と you に相当する社会的直示性の対立は,現代の多くのヨーロッパ語に見られ,フランス語の tu / vous の例から,一般に T/V distinction と呼ばれる.T が下位,V が上位の二人称代名詞を指す.
さて,二人称表現における日本語と現代英語の差は,世界の言語の類型から考えても,確かに大きいようである.Helmbrecht によると,世界の言語は二人称単数代名詞の社会的直示性の観点から大きく4タイプに分けられる.
(1) 現代英語のような T/V distinction のない言語
(2) フランス語や中英語のような T/V distinction の二分法をもつ言語
(3) ヒンディー語のような T と V の間に複数の段階が認められる多分法をもつ言語
(4) 日本語のような,二人称単数代名詞の使用をできるだけ避けようとする言語
(1)?(3) は social deixis の区別が粗いか細かいかという程度の問題だが,(4) は (3) のように多分法のリソースをもっているにもかかわらず,その区別を利用しないようにするという超越的なカテゴリーである.類型論的にみても,現代英語と日本語の差は相当に大きいといえる.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007. 166--68.
・ Helmbrecht, Johannes. "Politeness Distinctions in Second Person Pronouns." Deictic Conceptualisation of Space, Time and Person. Ed. Friedrich Lenz. 2003. 185--221.
昨日の古英語の決定詞の屈折表[2009-09-28-1]に続き,今日は古英語の人称代名詞 ( personal pronoun ) の屈折表を掲げる.
現代英語でも人称代名詞は古い屈折の痕跡をかなり多く残している語類であり,屈折型言語であった時代の生きた化石と言える.例外なくすべて <h> で始まっている点や,今はなき hine, hēo, hīe, hiera といった形態に注意.
ちなみに,古英語の疑問代名詞の屈折については,[2009-06-18-1]を参照.
先日,前期の最終授業時に,話しの種にと思い紹介した内容.そのときに使用したスライドを本ブログに掲載してほしいと要望があったので,Flash 化した「Why Capital "I" ?」を載せてみた.下のスクリーンで映らない,あるいは PDF で見たいという方は,こちら.
本当は,写本から字体をいろいろ挙げ,実例で確認するといいのだろうが,省略.
現代英語の再帰代名詞の系列を眺めていると,オヤと思うことがある.
?????? | 茲???? | |
---|---|---|
1篋榊О | myself | ourselves |
2篋榊О | yourself | yourselves |
3篋榊О | himself | themselves |
herself | ||
itself |
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