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language_change - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-02-28 15:58

2018-04-12 Thu

#3272. 文法化の2つのメカニズム [metaphor][metonymy][analogy][reanalysis][syntax][grammaticalisation][language_change][auxiliary_verb][future][tense]

 文法化 (grammaticalisation) の典型例として,未来を表わす助動詞 be going to の発達がある (cf. 「#417. 文法化とは?」 ([2010-06-18-1]),「#2106.「狭い」文法化と「広い」文法化」 ([2015-02-01-1]),「#2575. 言語変化の一方向性」 ([2016-05-15-1]) ) .この事例を用いて,文法化を含む統語意味論的な変化が,2つの軸に沿って,つまり2つのメカニズムによって発生し,進行することを示したのが,Hopper and Traugott (93) である.2つのメカニズムとは,syntagm, reanalysis, metonymy がタッグを組んで構成するメカニズムと,paradigm, analogy, metaphor からなるメカニズムである.以下の図を参照.

          --------------------------------------------------------------------------- Syntagmatic axis
                                                                                 Mechanism: reanalysis
                                                                                                 |
          Stage I          be                  going            [to visit Bill]                  |
                           PROG                Vdir             [Purp. clause]                   |
                                                                                                 |
          Stage II         [be going to]       visit Bill                                        |
                           TNS                 Vact                                              |
             (by syntactic reanalysis/metonymy)                                                  |
                                                                                                 |
          Stage III        [be going to]       like Bill                                         |
                           TNS                 V                                                 |
             (by analogy/metaphor)                                                               |
                                                                                     Paradigmatic axis
                                                                                    Mechanism: analogy

 Stage I は文法化する前の状態で,be going はあくまで「行っている」という字義通りの意味をなし,それに目的用法の不定詞 to visit Bill が付加していると解釈される段階である.
 Stage II にかけて,この表現が統合関係の軸 (syntagm) に沿って再分析 (reanalysis) される.隣接する語どうしの間での再分析なので,この過程にメトニミー (metonymy) の原理が働いていると考えられる.こうして,be going to は,今やこのまとまりによって未来という時制を標示する文法的要素と解釈されるに至る.
 Stage II にかけては,それまで visit のような行為の意味特性をもった動詞群しか受け付けなかった be going to 構文が,その他の動詞群をも受け入れるように拡大・発展していく.言い換えれば,適用範囲が,動詞語彙という連合関係の軸 (paradigm) に沿った類推 (analogy) によって拡がっていく.この過程にメタファー (metaphor) が関与していることは理解しやすいだろう.文法化は,このように第1メカニズムにより開始され,第2メカニズムにより拡大しつつ進行するということがわかる.
 文法化において2つのメカニズムが相補的に作用しているという上記の説明を,Hopper and Traugott (93) の記述により復習しておこう.

In summary, metonymic and metaphorical inferencing are comlementary, not mutually exclusive, processes at the pragmatic level that result from the dual mechanisms of reanalysis linked with the cognitive process of metonymy, and analogy linked with the cognitive process of metaphor. Being a widespread process, broad cross-domain metaphorical analogizing is one of the contexts within which grammaticalization operates, but many actual instances of grammaticalization show that conventionalizing of the conceptual metonymies that arise in the syntagmatic flow of speech is the prime motivation for reanalysis in the early stages.


 ・ Hopper, Paul J. and Elizabeth Closs Traugott. Grammaticalization. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.

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2018-04-08 Sun

#3268. 談話標識のライフサイクルは短い [discourse_marker][pragmatics][historical_pragmatics][language_change][intensifier][euphemism][sociolinguistics][speed_of_change]

 言語には変化の回転が速い領域というものがある.「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]) で述べたように,強意語 (intensifier) や,タブー表現 (taboo) の響きをやわらげる婉曲表現 (euphemism) が次々と生まれては消えることは,よく知られている.視点を変えれば,これらの表現はライフサイクルが短いということになろう.
 同様に,昨日の記事「#3267. 談話標識とその形成経路」 ([2018-04-07-1]) で取り上げた談話標識も,比較的ライフサイクルが短いとされている.実際,談話標識は歴史的に新しい表現が生まれては消える過程を繰り返してきた.昨日の記事でも示したように,談話標識は特に話し言葉において頻度が高いこと,そして種々の源から形成されうることが,背景にあるのだろう.この点について Lewis (909) が次のように述べている.

Discourse markers are known for their frequent renewal. Particularly subject to sociolinguistic factors and fashion, they tend to be "caught" easily, spreading quickly among social networks. Choice of markers therefore can reflect age, social position, and so on. Discourse markers date quickly: many of the most frequent discourse markers and connectives of the 20th century arose only in the 18th or 19th century, including of course, after all, still, I say.


 ライフサイクルが速いといっても数世代以上の時間がかかるようであり,強意語や婉曲語法に見られるライフサイクルほど速いわけではなさそうだ.しかし,そのうちにきっと変わるにちがいないと言わしめるほどには「規則的な」言語変化の一種とみなせそうだ.また,引用の最初にあるように,談話標識に話者の世代を特徴づける性質があるというのも興味深い.歴史社会言語学的な観察対象になり得ることを意味するからだ.談話標識の流行としての側面は,もっと注目してもよいだろう.

 ・ Lewis, Diana M. "Late Modern English: Pragmatics and Discourse" Chapter 56 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 901--15.

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2018-04-07 Sat

#3267. 談話標識とその形成経路 [discourse_marker][pragmatics][language_change][terminology][subjectification][intersubjectification][grammaticalisation][historical_pragmatics]

 談話標識 (discourse marker, DM) について,「#2041. 談話標識,間投詞,挿入詞」 ([2014-11-28-1]) や discourse_marker の各記事で取り上げてきた.ここでは,種々の先行研究から要点をまとめた Archer に従って,談話標識の特徴と形成経路について紹介する.
 まず,談話標識の特徴から.Archer (660) は次の4点を上げている.

- DMs are phonologically short items that normally occur sentence-initially (but can occur in medial or final position . . .);
- DMs are syntactically independent elements (often constituting separate intonation units) which occur with high frequency (in oral discourse in particular);
- DMs lack semantic content (i.e. they are non-referential/non-propositional in meaning)
- DMs are non-truth-conditional elements, and thus optional (i.e. they may be deleted).


 たいていの談話標識は,歴史をたどれば,談話標識などではなかった.歴史の過程で,ある表現が談話標識らしくなってきたということである.では,どのような表現が談話標識へと発展しやすいのだろうか.典型的な談話標識の形成経路については,統語的な観点から記述したものと,意味論的な観点のものがある.まず,前者について (Archer 661) .

- adverb/preposition > conjunction > DM;
- predicate adverb > sentential adverb structure > parenthetical DM . . .;
- imperative matrix clause > indeterminate structure > parenthetical DM;
- relative/adverbial clause > parenthetical DM.


 意味論的な観点からの経路は,次の通り (Archer 661) .

- truth-conditional > non-truth conditional . . .,
- content > procedural, and nonsubjective > subjective > intersubjective meaning,
- scope within the proposition > scope over the proposition > scope over discourse.


 ・ Archer, Dawn. "Early Modern English: Pragmatics and Discourse" Chapter 41 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 652--67.

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2018-03-27 Tue

#3256. 偏流と文法化の一方向性 [grammaticalisation][drift][unidirectionality][language_change][inflection][synthesis_to_analysis][teleology]

 言語の歴史における偏流 (drift) と,文法化 (grammaticalisation) が主張する言語変化の一方向性 (unidirectionality) は互いに関係の深い概念のように思われる.両者の関係について「#685. なぜ言語変化には drift があるのか (1)」 ([2011-03-13-1]),「#1971. 文法化は歴史の付帯現象か?」 ([2014-09-19-1]) でも触れてきたが,今回は Hopper and Traugott の議論を通じてこの問題を考えてみたい.
 Sapir が最初に偏流と呼んだとき,念頭にあったのは,英語における屈折の消失および迂言的表現の発達のことだった.いわゆる「総合から分析へ」という流れのことである (cf. synthesis_to_analysis) .後世の研究者は,これを類型論的な意味をもつ大規模な言語変化としてとらえた.つまり,ある言語の文法が全体としてたどる道筋としてである.
 一方,文法化の文脈でしばしば用いられる一方向性とは,ある言語における全体的な変化について言われることはなく,特定の文法構造がたどるとされる道筋についての概念・用語であり,要するにもっと局所的な意味合いで使われるということだ.

Drift has to do with regularization of construction types within a language . . ., unidirectionality with changes affecting particular types of construction. (Hopper and Traugott 100)


 偏流と一方向性は,全体的か局所的か,大規模か小規模か,構文タイプの規則化に関するものか個々の構文タイプの変化に関するものかという観点から,互いに異なるものとしてとらえるのがよさそうだ.「一方向性」という用語が用いられるときには,日常用語としてではなく,たいてい文法化という言語変化理論上の術語として用いられということを意識していないと,勘違いする可能性があるので要注意である.

 ・ Hopper, Paul J. and Elizabeth Closs Traugott. Grammaticalization. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.

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2018-02-16 Fri

#3217. ドーキンスと言語変化論 (3) [evolution][biology][language_change][semantic_change][bleaching][meme][lexicology]

 この2日間の記事 ([2018-02-14-1], [2018-02-15-1]) に続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』より,生物進化と言語変化の類似点や相違点について考える.同著には,時間とともに強意語から強意が失われていき,それを埋め合わせる新たな強意語が生まれる現象,すなわち「強意逓減の法則」と呼ぶべき話題を取りあげている箇所がある (349--50) .「花形役者」を意味する英単語 star にまつわる強意逓減に触れている.

〔言語には〕純粋に抽象的で価値観に縛られない意味あいで前進的な,進化のような傾向を探り当てることができる.そして,意味のエスカレーションというかたちで(あるいは別の角度からそれを見れば,退化ということになる)正のフィードバックの証拠が見いだされさえするだろう.たとえば,「スター」という単語は,まったく類まれな名声を得た映画俳優を意味するものとして使われていた.それからその単語は,ある映画で主要登場人物の一人を演じるくいらいの普通の俳優を意味するように退化した.したがって,類まれな名声というもとの意味を取り戻すために,その単語は「スーパースター」にエスカレートしなければならなかった.そのうち映画スタジオの宣伝が「スーパースター」という単語をみんなの聞いたこともないような俳優にまで使いだしたので,「メガスター」へのさらなるエスカレーションがあった.さていまでは,多くの売出し中の「メガスター」がいるが,少なくとも私がこれまで聞いたこともない人物なので,たぶんそろそろ次のエスカレーションがあるだろう.われわれはもうじき「ハイパースター」の噂を聞くことになるのだろうか? それと似たような正のフィードバックは,「シェフ」という単語の価値をおとしめてしまった.むろん,この単語はフランス語のシェフ・ド・キュイジーヌから来ており,厨房のチーフあるいは長を意味している.これはオックスフォード辞典に載っている意味である.つまり定義上は厨房あたり一人のシェフしかいないはずだ.ところが,おそらく対面を保つためだろう,通常の(男の)コックが,いやかけだしのハンバーガー番でさえもが,自分たちのことを「シェフ」と呼び出した.その結果,いまでは「シェフ長」なる同義反復的な言いまわしがしばしば聞かれるようになっている.


 ドーキンスは,ここで「スター」や「シェフ」のもともとの意味をミーム (meme) としてとらえているのかもしれない(関連して,「#3188. ミームとしての言語 (1)」 ([2018-01-18-1]),「#3189. ミームとしての言語 (2)」 ([2018-01-19-1])).いずれにせよ,変化の方向性に価値観を含めないという点で,ドーキンスは徹頭徹尾ダーウィニストである.
 強意の逓減に関する話題としては,「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]),「#2190. 原義の弱まった強意語」 ([2015-04-26-1]) などを参照されたい.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

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2018-02-15 Thu

#3216. ドーキンスと言語変化論 (2) [glottochronology][evolution][biology][language_change][comparative_linguistics][history_of_linguistics][speed_of_change][statistics]

 昨日の記事 ([2018-02-14-1]) に引き続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』で言語について言及している箇所に注目する.今回は,ドーキンスが,言語の分岐と分類について,生物の場合との異同を指摘しながら論じている部分を取りあげよう (348--49) .

言語は何らかの傾向を示し,分岐し,そして分岐してから何世紀か経つにつれて,だんだんと相互に理解できなくなってしまうので,あきらかに進化すると言える.太平洋に浮かぶ多くの島々は,言語進化の研究のための格好の材料を提供している.異なる島の言語はあきらかに似通っており,島のあいだで違っている単語の数によってそれらがどれだけ違っているかを正確に測ることができよう.この物差しは,〔中略〕分子分類学の物差しとたいへんよく似ている.分岐した単語の数で測られる言語間の違いは,マイル数で測られる島間の距離に対してグラフ上のプロットされうる.グラフ上にプロットされた点はある曲線を描き,その曲線が数学的にどんな形をしているかによって,島から島へ(単語)が拡散していく速度について何ごとかがわかるはずだ.単語はカヌーによって移動し,当の島と島とがどの程度離れているかによってそれに比例した間隔で島に跳び移っていくだろう.一つの島のなかでは,遺伝子がときおり突然変異を起こすのとほとんと同じようにして,単語は一定の速度で変化する.もしある島が完全に隔離されていれば,その島の言語は時間が経つにつれて何らかの進化的な変化を示し,したがって他の島の言語からなにがしか分岐していくだろう.近くにある島どうしは,遠くにある島どうしに比べて,カヌーによる単語の交流速度があきらかに速い.またそれらの島の言語は,遠く離れた島の言語よりも新しい共通の祖先をもっている.こうした現象は,あちこちの島のあいだで観察される類似性のパターンを説明するものであり,もとはと言えばチャールズ・ダーウィンにインスピレーションを与えた,ガラパゴス諸島の異なった島にいるフィンチに関する事実と密接なアナロジーが成り立つ.ちょうど単語がカヌーによって島から島へ跳び移っていくように,遺伝子は鳥の体によって島から島へ跳び移っていく.


 実際,太平洋の島々の諸言語間の関係を探るのに,統計的な手法を用いる研究は盛んである.太平洋から離れて印欧語族の研究を覗いても,ときに数学的な手法が適用されてきた(「#1129. 印欧祖語の分岐は紀元前5800--7800年?」 ([2012-05-30-1]) を参照).Swadesh による言語年代学も,おおいに批判を受けてきたものの,その洞察の魅力は完全には失われていないように見受けられる(「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) や glottochronology の各記事を参照).近年のコーパス言語学の発展やコンピュータの計算力の向上により,語彙統計学 (lexicostatistics) という分野も育ってきている.生物学の方法論を言語学にも応用するというドーキンスの発想は,素直でもあるし,実際にいくつかの方法で応用されてきてもいるのである.
 関連して,もう1箇所,ドーキンスが同著内で言語の分岐を生物の分岐になぞらえている箇所がある.しかしそこでは,言語は分岐するだけではなく混合することもあるという点で,生物と著しく相違すると指摘している (412) .

言語は分岐するだけではなく,混じり合ってしまうこともある.英語は,はるか以前に分岐したゲルマン語とロマンス語の雑種であり,したがってどのような階層的な入れ子の図式にもきっちり収まってくれない.英語を囲む輪はどこかで交差したり,部分的に重複したりすることがわかるだろう.生物学的分類の輪の方は,絶対にそのように交差したりしない.主のレベル以上の生物進化はつねに分岐する一方だからである.


 生物には混合はあり得ないという主張だが,生物進化において,もともと原核細胞だったミトコンドリアや葉緑体が共生化して真核細胞が生じたとする共生説が唱えられていることに注意しておきたい.これは諸言語の混合に比較される現象かもしれない.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

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2018-02-14 Wed

#3215. ドーキンスと言語変化論 (1) [teleology][evolution][biology][language_change]

 ドーキンスの名著『盲目の時計職人』(原題 The Blind Watchmaker (1986))は,(ネオ)ダーウィニズムの最右翼の書である.言語変化論にとって生物の進化と言語の進化・変化の比喩がどこまで有効かという問題は決定的な重要性をもっており,私も興味津々なのだが,比喩の有用性と限界の境目を見定めるのは難しい.
 ドーキンスの上掲書を通読するかぎり,言語に直接・間接に応用可能な箇所を指摘すれば,3点あるように思われる.(1) 非目的論 (teleology) の原理,(2) 言語の分岐と分類,(3) 意味の漂白化と語彙的充填だ.今回は (1) の非目的論について考えてみたい.
 ドーキンス (24--25) は,生物進化の無目的性,すなわち「盲目の時計職人」性について次のように明言している.言語の進化・変化についても,そのまま当てはまると考える.

自然界の唯一の時計職人は,きわめて特別なはたらき方ではあるものの,盲目の物理的な諸力なのだ.本物の時計職人の方は先の見通しをもっている.心の内なる眼で将来の目的を見すえて歯車やバネをデザインし,それらを相互にどう組み合わせるかを思い描く.ところが,あらゆる生命がなぜ存在するか,それがなぜ見かけ上目的をもっているように見えるかを説明するものとして,ダーウィンが発見しいまや周知の自然淘汰は,盲目の,意識をもたない自動的過程であり,何の目的ももっていないのだ.自然淘汰には心もなければ心の内なる眼もありはしない.将来計画もなければ,視野も,見通しも,展望も何もない.もし自然淘汰が自然界の時計職人の役割を演じていると言ってよいなら,それは盲目の時計職人なのだ.


 言語変化も,その言語の話者が担っているには違いないが,その話者の演じるところはあくまで無目的の「盲目の時計職人」であると考えられる.確かに,話者はその時々の最善のコミュニケーションのために思考し,言葉を選び,それを実際に発しているかもしれない.それはその通りなのだが,後にそれが帰結するかもしれない言語変化について,すでにその段階で話者が何かを目論んでいるとは思えない.言語変化はそのように予定されているものではなく,その意味において無目的であり,盲目なのである.本当は,個々の話者は「盲目の時計職人」すら演じているわけではなく,結果的に「時計職人」ぽく,しかも「盲目の時計職人」ぽく見えるにすぎないのだろう.
 言語変化における目的論に関わる諸問題については,teleology の各記事を参照されたい.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

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2018-01-20 Sat

#3190. 言語変化の偶然と必然,そして運命 [language_change][causation][teleology][spaghetti_junction][invisible_hand][drift]

 「#2867. 言語変化の偶然と必然」 ([2017-03-03-1]) で論じた話題だが,九鬼周造の『偶然性の問題』を読んで,改めてこの問題について考えてみた.
 偶然と必然は明らかに対立する概念である.しかし,私たちはときに「偶然の必然」や「必然的偶然」などのオクシモロンを口にする.なぜこのような矛盾した表現が可能なのだろうか.
 九鬼 (74) によれば,因果的必然性と目的的偶然性は結びつきやすく,因果的偶然性と目的的必然性は結びつきやすい.つまり「異種結合」が起こりやすいという.

およそ機械観はその徹底した形においては因果的必然性のみより認めない.従って因果的偶然性の存在の余地はない.しかし,目的的必然性を否定し,その結果として,目的的偶然性を承認する.自然科学的世界観はこの傾向を代表している.それに反して,目的観が徹底的な形を取った場合には,目的的必然性によってのみ一切を説明しようとする.従って目的的偶然性は存在しない.その代りに,因果的必然性の否定の結果として,因果的偶然性は存在することができる.基督教神学が神の意志によってすべてを説明する場合,因果的偶然を意味する奇蹟の存在を認めるのはこの関係に基いている.この意味において,因果的必然性は目的的偶然性と結合しやすく,目的的必然性は因果的偶然性と結合しやすい.「偶然の必然」というような逆説的の語はこういう結合の可能性に基づいたものである.


 つまり,ある現象が「必然でもあり偶然でもある」という言い方の1つの解釈は,それが因果的には必然だが目的的には偶然であるということだろう.この異種結合の解釈は,目的論 (teleology) ではなく機械論 (mechanism) の立場の解釈である.したがって,機械論的に理解すれば,言語変化もまた「必然でもあり偶然でもある」現象なのである.
 この異種結合と関連して,九鬼 (244) が別の箇所で「偶然と運命」について論考している(以下,原著の傍点は下線で置き換えた).

偶然に対する形而上的驚異は運命に対する驚異の形を取ることがある.偶然が人間の実存性にとって核心的全人格的意味を有つとき,偶然は運命と呼ばれるのである.そうして運命としての偶然性は,必然性との異種結合によって,「必然―偶然者」の構造を示し,超越的威力をもって厳として人間の全存在性に臨むのである.


 この考え方によれば,運命とは,ある人にとって「核心的全人格的意味」をもつ,因果的には必然だが目的的には偶然である現象と理解できるだろう.平たくいえば,人にとってきわめて重要な結果がもたらされた場合,本当は目的論的に偶然であったとしても,あたかも目的論的に必然であるかのようにとらえてしまう傾向があり,それを運命と呼びたがるということだ.
 言語変化において,ときに運命と表現されることもある drift (偏流)について,この観点から考えてみるとおもしろい.印欧語族では数千年の間,屈折の衰退という drift が続いているとされるが,その駆動力の源泉が何であるかについては明確な出されていない.したがって,これをある種の運命であるととらえる論者がいる.そのような論者は,drift を印欧語族にとって「核心的全人格的意味」をもつものと信じており,それゆえに目的論的に必然の現象であるかのように感じて,運命と呼んでいるのではないか.つまり,drift という現象に多大な価値をおいているからこそ,ひょっとすると偶然の出来事にすぎないものを,運命という大仰な名前で,驚異をもって呼びたくなるのではないか.
 言語変化の偶然,必然,運命の問題については,invisible_handspaghetti_junction の考え方も参照されたい.

 ・ 九鬼 周造 『偶然性の問題』 岩波書店,2012年.

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2018-01-15 Mon

#3185. 動的平衡と言語研究 [dynamic_equilibrium][diachrony][causation][language_change][history_of_linguistics][methodology]

 「#3176. 言語とは動的平衡にあるシステムか? (1)」 ([2018-01-06-1]),「#3177. 言語とは動的平衡にあるシステムか? (2)」 ([2018-01-07-1]) の記事で,動的平衡 (dynamic_equilibrium) の考え方を言語というシステムに応用できるか,という問題について論じた.
 福岡の新著では,動的平衡の生物以外への応用例が多く示されている(例えば「動的平衡組織論」や「動的平衡芸術論」など).「動的平衡芸術論」と題するエッセイにおいて,福岡 (170--71) は一般論として次のように述べている.言語変化の因果関係 (causation) を論じる上で示唆的である.

この世界のあらゆる要素は,互いに連関し,すべてが一対多の関係で繋がりあっている.つまり世界にも,身体にも本来,部分はない.部分と呼び,部分として切り出せるものもない.世界のあらゆる因子は,互いに他を律し,あるいは相補している.そのやりとりには,ある瞬間だけを捉えてみると,供し手と受け手があるように見える.しかしその微分を解き,次の瞬間を見ると,原因と結果は逆転している.あるいは,また別の平衡を求めて動いている.つまり,この世界には,本当の意味で因果関係と呼ぶべきものもまた存在しない.世界は分けないことにはわからない.しかし,世界は分けてもわからないのである.私たちは確かに今,パラダイム・シフトが必要なのだ.その手がかりはどこにあるのだろうか.


 福岡の動的平衡論においては,生命を筆頭とする動的平衡にあるシステムにとって,時間は本質的なパラメータである.時間のなかで稼働し続けているからこそ,機能を保っているという考え方だ.したがって,そこではパターンというよりもプロセスこそが重視されることになる.静態ではなく動態,共時態ではなく通時態の重視とも言い換えられるだろう.
 ソシュール以来の言語学においても,パターン,静態,共時態を明らかにすることに専らエネルギーが費やされてきた.一方で,プロセス,動態,通時態の研究はないがしろにされてきたといってよい.後者の復権を期待する身にとっては,言語学にもパラダイム・シフトが必要のように思われる.とはいえ,「世界は分けないことにはわからない.しかし,世界は分けてもわからない」ということの意味も想像できる.パラダイム・シフトといっても難問である.

 ・ 福岡 伸一 『動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ』 木楽社,2017年.

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2018-01-07 Sun

#3177. 言語とは動的平衡にあるシステムか? (2) [dynamic_equilibrium][linguistics][entropy][language_change]

 昨日の記事 ([2018-01-06-1]) に引き続き,動的平衡 (dynamic_equilibrium) について.
 先の記事で,福岡 (276) より,生命は「エントロピー増大の法則に先回りして,自らを壊し,そして再構築するという自転車操業的なあり方」を採っているという啓示的な見解を紹介した.ここで思い出されるのは,2016年にノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典氏によるオートファジー (autophagy) である.オートファジーとは,生命活動を展開するための積極的な自己破壊行為のことである.生命は,一見すると不可解なことに,合成することよりも分解することにより一層の努力を費やしているらしい.作るよりも壊すほうに尽力しているのだ.この点について,福岡 (297) は確信的である.

 生命にとって重要なのは,作ることよりも,壊すことである.細胞はどんな環境でも,いかなる状況でも,壊すことをやめない.むしろ進んで,エネルギーを使って,積極的に,先回りして,細胞内の構造物をどんどん壊している.なぜか.生命の動的平衡を維持するためである.
 秩序あるものは必ず,秩序が乱れる方向に動く.宇宙の大原則,エントロピー増大の法則である.この世界において,最も秩序あるものは生命体だ.生命体にもエントロピー増大の法則が容赦なく襲いかかり,常に,酸化,変性,老廃物が発生する.これを絶え間なく排除しなければ,新しい秩序を作り出すことができない.そのために絶えず,自らを分解しつつ,同時に再構築するという危ういバランスと流れが必要なのだ.これが生きていること,つまり動的平衡である


 作りよりも壊す,という驚くべき方針は,はたして言語にも通じるものだろうか.
 福岡は別の箇所でこうも述べている (290--91) .

 かくのごとく生命とは絶えず動的であり,外部環境に向かって開いているものである.その開口部を通して,物質,エネルギー,情報が出入りしており,この出入りこそが生命の流れなのである.すなわち動的平衡とは,平衡とは言いながら,どこかに静的な到達点がある平衡ではなく,実は非平衡であり,生命とは開放系なのである.


 いずれの引用においても,「生命」を「言語」と置き換えると,示唆に富む洞察が得られる.言語も開放系,あるいは「#3142. ホメオカオス (1)」 ([2017-12-03-1]) なのではないか.

 ・ 福岡 伸一 『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』 小学館〈小学館新書〉,2016年.

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2018-01-06 Sat

#3176. 言語とは動的平衡にあるシステムか? (1) [dynamic_equilibrium][linguistics][entropy][language_change][chaos_theory][complex_system][1/f]

 福岡伸一氏のいう動的平衡 (dynamic_equilibrium) は,生命現象を説明する原理として画期的なものであるにとどまらず,もしかすると言語現象にも応用できるものかもしれない.動的平衡については「#3171. 1/f ゆらぎ」 ([2018-01-01-1]) の記事で簡単に触れたが,今回はその考え方に迫ってみよう.福岡 (261--63) の勢いのある文章を引くのが最も適切だろう.

 生体を構成している分子は,すべて高速で分解され,食物として摂取した分子と置き換えられている.身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ,更新され続けているのである.
 だから,私たちの身体は分子的な実体としては,数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている.分子は環境からやってきて,いっとき,淀みとして私たちを作り出し,次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく.
 つまり,環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている.いや「通り抜ける」という表現も正確ではない.なぜなら,そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく,ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が,一次的に形作っているにすぎないからである.
 つまり,そこにあるのは,流れそのものでしかない.その流れの中で,私たちの身体は変わりつつ,かろうじて一定の状態を保っている.その流れ自体が「生きている」ということなのである.シェーンハイマーは,この生命の特異的なありようをダイナミック・ステイト(動的な状態)と呼んだ.私はこの概念をさらに拡張し,生命の均衡の重要性をより強調するため「動的平衡」と訳したい.英語で示せば dynamic equilibrium (equi=等しい, librium=天秤)となる.
 ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる.「生命とは動的平衡にあるシステムである」という回答である.
 そして,ここにはもう一つの重要な啓示がある.それは可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは,その物質的構造基盤,つまり構成分子そのものに依存しているのではなく,その流れがもたらす「効果」であるということだ.生命現象とは構造ではなく「効果」なのである.
 サスティナブルであることを考えるとき,これは多くのことを示唆してくれる.サスティナブルなものは常に動いている.その動きは「流れ」,もしくは環境との大循環の輪の中にある.サスティナブルは流れながらも,環境とのあいだに一定の平衡状態を保っている.
 一輪車に乗ってバランスを保つときのように,むしろ小刻みに動いているからこそ,平衡を維持できるのだ.サスティナブルは,動きながら常に分解と再生を繰り返し,自分を作り替えている.それゆえに環境の変化に適用でき,また自分の傷を癒やすことができる.
 このように考えると,サスティナブルであることとは,何かを物質的・制度的に保存したり,死守したりすることではないのがおのずと知れる.
 サスティナブルなものは,一見,不変のように見えて,実は常に動きながら平衡を保ち,かつわずかながら変化し続けている.その軌跡と運動のあり方を,ずっと後になって「進化」と呼べることに,私たちは気づくのだ.


 上の文章の「生命」や「生体」を「言語」と置き換え,その他の用語も適切に言語的に読み替えても,おおかた理解できるように思われる.言語も常に変化し続けながらも平衡状態を保っているサスティナブルなシステムであり,静的な構造というよりは動的な「効果」としてみるのが妥当ではないかと.
 常に変化していることこそが,むしろ安定に貢献するという一見したところ逆説的に思われる見解は,動的平衡という用語を出さずとも,近年では複雑系 (complex_system),カオス理論 (chaos_theory),1/f ゆらぎ (1/f) との関連で指摘されている.本ブログでも,「#3122. 言語体系は「カオスの辺縁」にある」 ([2017-11-13-1]),「#3142. ホメオカオス (1)」 ([2017-12-03-1]),「#3143. ホメオカオス (2)」 ([2017-12-04-1]),「#3171. 1/f ゆらぎ」 ([2018-01-01-1]) などで触れてきたので,そちらも参照されたい.
 もう1つ,動的平衡とエントロピー (entropy) の関係について,福岡 (276--77) の説明を引用しておこう.

 秩序あるものはすべて乱雑さが増大する方向に不可避的に進み,その秩序はやがて失われいく.ここで私が言う「秩序」は「美」あるいは「システム」と言い換えてもよい.すべては,摩耗し,酸化し,ミスが蓄積し,やがて障害が起こる.つまりエントロピーは常に増大するのである.
 生命はそのことをあらかじめ織り込み,一つの準備をした.エントロピー増大の法則に先回りして,自らを壊し,そして再構築するという自転車操業的なあり方,つまりそれが「動的平衡」である.
 しかし,長い間,「エントロピー増大の法則」と追いかけっこしているうちに少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し,やがてエントロピーの増大に追い抜かれてしまう.つまり秩序が保てない時が必ず来る.それが個体の死である.
 ただ,その時にはすでに自転車操業は次の世代にバトンタッチされ,全体としては生命活動が続く.現に生命はこうして地球上に三八億年にわたって連綿と維持され続けてきた.だから個体がいつか必ず死ぬというのは本質的には利他的なあり方なのである.
 生命は自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど,すべての生物は必ず死ぬ.これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に,秩序は別の個体に移行し,リセットされる.実に利他的なシステムなのである.
 したがって「生きている」とは「動的平衡」によって「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけているということである.換言すれば,時間の流れにいたずらに抗するのではなく,それを受け入れながら,共存する方法を採用している.


 言語も,秩序あるシステムとして存続するために「自らを壊し,そして再構築するという自転車操業的なあり方」を採用していると考えられるだろうか.

 ・ 福岡 伸一 『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』 小学館〈小学館新書〉,2016年.

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2018-01-05 Fri

#3175. group thinking と tree thinking [history_of_linguistics][family_tree][methodology][metaphor][metonymy][diachrony][causation][language_change][comparative_linguistics][linguistic_area][contact][borrowing][variation][terminology][how_and_why][abduction]

 「#3162. 古因学」 ([2017-12-23-1]) や「#3172. シュライヒャーの系統図的発想はダーウィンからではなく比較文献学から」 ([2018-01-02-1]) で参照してきた三中によれば,人間の行なう物事の分類法は「分類思考」 (group thinking) と「系統樹思考」 (tree thinking) に大別されるという.横軸の類似性をもとに分類するやり方と縦軸の系統関係をもとに分類するものだ.三中 (107) はそれぞれに基づく科学を「分類科学」と「古因科学」と呼び,両者を次のように比較対照している.

分類科学分類思考メタファー集合/要素認知カテゴリー化
古因科学系統樹思考メトニミー全体/部分比較法(アブダクション)


 上の表の最後に触れられているアブダクションについては「#784. 歴史言語学は abductive discipline」 ([2011-06-20-1]) を参照.
 三中は生物分類学の専門家だが,その分野では,たとえモデル化された図像が同じようなツリーだったとしても,観念論的に解釈された場合と系統学的に解釈された場合とではメッセージが異なりうるという.前者が分類思考に,後者が系統樹思考に対応すると思われるが,これについても上記と似たような比較対照表「観念論的な体系学とその系統学的解釈の対応関係」が著書の p. 172 に挙げられているので示そう(ただし,この表のもとになっているのは別の研究者のもの).

観念論的解釈 系統学的解釈
体系学 (Systematik)系統学 (Phylogenetik)
形態類縁性 (Formverwandtschaft)血縁関係 (Blutsverwandtschaft)
変容 (Metamorphose)系統発生 (Stammesentwicklung)
体系学的段階系列 (systematischen Stufenreihen)祖先系列 (Ahnenreihen)
型 (Typus)幹形 (Stammform)
型状態 (typischen Zuständen)原始的状態 (ursprüngliche Zuständen)
非型的状態 (atypischen Zuständen)派生的状態 (abgeänderte Zuständen)


 このような group thinking と tree thinking の対照関係を言語学にも当てはめてみれば,多くの対立する用語が並ぶことになるだろう.思いつく限り自由に挙げてみた.

分類科学古因科学
構造主義言語学 (structural linguistics)比較言語学 (comparative linguistics)
類型論 (typology)歴史言語学 (historical linguistics)
言語圏 (linguistic area)語族 (language family)
接触・借用 (contact, borrowing)系統 (inheritance)
空間 (space)時間 (time)
共時態 (synchrony)通時態 (diachrony)
範列関係 (paradigm) 連辞関係 (syntagm)
パターン (pattern)プロセス (process)
紊???? (variation)紊???? (change)
タイプ (type)トークン (token)
メタファー (metaphor)メトニミー (metonymy)
HowWhy


 最後に挙げた How と Why の対立については,三中 (238) が生物学に即して以下のように述べているところからのインスピレーションである.

進化思考をあえて看板として高く掲げるためには,私たちは分類思考に対抗する力をもつもう一つの思考枠としてアピールする必要がある.たとえば,目の前にいる生きものたちが「どのように」生きているのか(至近要因)に関する疑問は実際の生命プロセスを解明する分子生物学や生理学の問題とみなされる.これに対して,それらの生きものが「なぜ」そのような生き方をするにいたったのか(究極要因)に関する疑問は進化生物学が取り組むべき問題だろう.


 言語変化の「どのように」と「なぜ」の問題 (how_and_why) については,「#2123. 言語変化の切り口」 ([2015-02-18-1]),「#2255. 言語変化の原因を追究する価値について」 ([2015-06-30-1]),「#2642. 言語変化の種類と仕組みの峻別」 ([2016-07-21-1]),「#3133. 言語変化の "how" と "why"」 ([2017-11-24-1]) で扱ってきたが,生物学からの知見により新たな発想が得られた感がある.

 ・ 三中 信宏 『進化思考の世界 ヒトは森羅万象をどう体系化するか』 NHK出版,2010年.

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2018-01-01 Mon

#3171. 1/f 繧?繧峨℃ [language_change][variation][chaos_theory][invisible_hand][complex_system][lexical_diffusion][speed_of_change][1/f][dynamic_equilibrium]

 2018年となりました.本年も hellog を続けていきます.よろしくお願い致します.
 新年最初の話題は「ゆらぎ」について.自然界に存在するゆらぎには規則的といえるものもあれば,まったく予想不可能なものもあるが,多くの現象においては,完全とはいえずとももある程度予測できるゆらぎが確認される.なかでも「1/f ゆらぎ」として知られているものは,身の回りにも数多く確認され,とりわけ人間が快を感じるもののなかにしばしば含まれていると言われる.そよ風,小川のせせらぎ,木漏れ日,木目や年輪,虫の羽音,岩塩の旨み,電車の揺れ,古い町並み,日本庭園,畳の目,手拍子,太鼓のリズム,噺家の声,バッハやモーツァルトの楽曲などにみられるほか,宇宙線強度,細胞構造,心拍周期にも認められるという.「1/f ゆらぎ」という呼称は,対象のゆらぎの周波数 (frequency) を成分分析し,各成分の強さを数学的操作を加えてグラフ化すると,右下がりの相関直線が得られることによる.1/f2 や 1/f-1 でもなく 1/f であるところが,どうやら人間にとっての快のポイントらしい(武者,pp. 24--39).
 1/f ゆらぎが人間の生活に密接なところに多いというのは,言語(体系)にもみられる可能性があることを示唆する.ここで言語にとってゆらぎとは何かが問題になる.形式的な variation を想定することもできそうだし,言語変化 (language_change) の頻度 (frequency) や速度 (speed_of_language_change) などにも見られるかもしれない.例えば,1/f ゆらぎが語彙拡散 (lexical_diffusion) と関わっていたらおもしろそうだ.
 1/f ゆらぎは,複雑系 (complex_system) やカオス理論 (chaos_theory) とも深く関係する.言語体系が複雑系であり,言語変化がカオス理論の適用の対象となりうることは,「#3112. カオス理論と言語変化 (2)」 ([2017-11-03-1]),「#3122. 言語体系は「カオスの辺縁」にある」 ([2017-11-13-1]),「#3142. ホメオカオス (1)」 ([2017-12-03-1]),「#3143. ホメオカオス (2)」 ([2017-12-04-1]) などで触れてきた.そうだとすれば,1/f ゆらぎもまた言語に関与している可能性が高い.いずれの考え方にも共通しているのは,常に動いていて不安定なシステムこそ,周囲の予期できない変動に適応しやすいという点だ.不安定から安定が,混沌から秩序が生まれるようなシステムである.逆説的な言い方だが,そこには「動的な安定感」があるといってよい.あるいは最近の科学のキーワードでいえば「動的平衡」 (dynamic_equilibrium) である.「遊び」にも通じるものがある.
 この点と関連して,武者 (127--28) は 1/f ゆらぎを示す,目の焦点についての興味深い事例を紹介している.

目は物体の後ろ側に焦点を合わせています.そして焦点は,ピタッと一定のところに止まっているのではなく,いつも前後にふらふらと動いているのだそうです.
 この動きが,1/f ゆらぎに非常に近いのです.
 焦点が前にいったり後ろにいったり,ちょこちょこと絶えず動いているのは,動いているほうが,ものの位置が変わったときにすぐ焦点を合わせ直しやすいからです.テニスの選手がサーブを受けるときに,足を少し開いて上体を左右に揺すっていますが,あれは止まっていると,ボールが飛んできたときに体がすぐに動かないからでしょう.目の焦点も同じことです.
 また焦点は,見ようとするものよりも遠方に合わせられているのが普通のようです.見ているものが動くと,焦点がズレて画像がぼやけますが,もし焦点が物体に合っていると,ものが手前に来ても遠方に行っても,像がぼやけるという点では同じことになります.しかし,これでは焦点を合わせ直すのに,前後どちらに焦点を移動させればよいのか,とっさの判断ができません.見ているものよりも,少し遠方に焦点が定まっていれば,ものが焦点からズレて遠方に動くとものの像がはっきりしてきますし,その逆に手前に動けば,ぼやけかたが激しくなります.それと同時に,焦点は少し遠くに合わせられているのではないでしょうか.だから焦点が前後にゆらいでいるほうが,ものごとの変化に対応しやすいということでしょう.


 言語体系も常にゆらいでいるからこそ,人間のコミュニケーション欲求の絶えざる変化に即応できる柔軟なシステムとなっているのかもしれない.1/f ゆらぎの言語への応用は未知数だが,今後関心を寄せていきたい.

 ・ 武者 利光 『ゆらぎの発想 1/f ゆらぎの謎にせまる』 日本放送出版協会,1994年.

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2017-12-21 Thu

#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」 [link][notice][word_order][syntax][inflection][rensai][sobokunagimon][old_norse][contact][gsr][causation][language_change]

 昨日12月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第12回の記事「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」が公開されました.
 前編の最後では,標題の疑問を「なぜ英語は屈折重視型から語順重視型の言語へと切り替わり,その際になぜ基本語順はSVOとされたのか?」という疑問へとパラフレーズしました.後半ではいよいよこの問いに本格的に迫りますが,楽しく読めるように5W1Hのミステリー仕立てで話しを展開しました.

言語変化にかかわらずあらゆる歴史現象の究極の問いは Why です.その究極の答えに近づくためには,先にそれ以外の4W1Hをしっかり押さえ,証拠を積み上げておく必要があります.その上で,総合的に Why への解答を提案するという順序が自然です.今回は,この英文法史上最も劇的な変化を1つの事件と見立て,その5W1Hにミステリー仕立てで迫りたいと思います.


 連載記事で展開した説明は仮説です.有力な仮説ではありますが,歴史上の事柄ですから絶対的な説明を提示することはほぼ不可能と言わざるを得ません.それは今回の疑問に限りません.しかし,言語変化を論じる際に,事実をよく調べ,その事実に反しない形で因果関係のストーリーを組み立てることは可能です.今回の説明も,その試みの1つとして理解していただければと思います.以下,連載記事からの引用です.

言語変化は決して偶然生じるわけではないことがわかったかと思います.言語変化の背後には言語内的・外的な諸要因が複合的に作用しており,確かにその一つひとつを突き止めることは難しいのですが,What, When, Where, Who, How の答えを着実に追い求めていけば,最後には究極の問い Why にも接近することができるのです.


 今回で連載記事としては最終回となります.これからも本ブログやその他の媒体で,英語の素朴な疑問にこだわっていきたいと思いますので.今後ともよろしくお願い申し上げます.

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2017-12-13 Wed

#3152. 言語変化の "multiple causation" [language_change][causation][contact][prediction_of_language_change]

 「#1986. 言語変化の multiple causation あるいは "synergy"」 ([2014-10-04-1]) ほか多くの記事で触れてきたが,改めて言語変化の "multiple causation" の原則について述べておきたい.Thomason は,言語接触に関するハンドブックの議論のなかで,次のように述べている.

. . . a growing body of evidence suggests that multiple causation --- often a combination of an external and one or more internal causes --- is responsible for a sizable number of changes. (32)


The search for internal and external causation should proceed in parallel, because of the strong possibility, an actuality in many cases, that both internal and external causes influenced the linguistic outcome of change. (46)


 一方で,Thomason は謙虚にも,たとえ "multiple causation" を前提とするにせよ,言語変化の究極の「なぜ」を解明することは不可能であると明言している.非常に力の入った箇所なので,そのまま引用する.

. . . in spite of dramatic progress toward explaining linguistic changes made in recent decades by historical linguists, variationists, and experimental linguists, it remains true that we have no adequate explanation for the vast majority of all linguistic changes that have been discovered. Worse, it may reasonably be said that we have no full explanation for any linguistic change, or for the emergence and spread of any linguistic variant. The reason is that, although it is often easy to find a motivation for an innovation, the combinations of social and linguistic factors that favor the success of one innovation and the failure of another are so complex that we can never (in my opinion) hope to achieve deterministic predictions in this area. Tendencies, yes; probabilities, yes; but we still won't know why an innovation that becomes part of one language fails to establish itself in another language (or dialect) under apparently parallel circumstances. there is an element of chance in many or most changes; and there is an element of more or less conscious choice in many changes. Even if we could pin down macro- and micro-social features and detailed linguistic features to a precise account (which we cannot), accident and the possibility of deliberate change would derail our efforts to make strong predictions. This assessment should not be taken as a defeatist stance, or discourage efforts to find causes of change: recent advances in establishing causes of changes after they have occurred and in tracking the spread of innovations through a speech community have produced notable successes. More successes will surely follow; seeking causes of change is a lively and fruitful area of research. But the realistic goal is a deeper understanding of processes of change, not an ultimate means of predicting change. (32--33)


 私もまったくの同感である.言語変化に関する究極の Why に答えることは不可能だろう.しかし,せめて How の答えを見出すことは可能だろうし,そこから一歩でも Why に近づいていく努力はすべきである(cf. 「#3026. 歴史における How と Why」 ([2017-08-09-1])).関連する Thomason の所見は,以下の記事でも触れているので参考までに.

 ・ 「#1584. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (3)」 ([2013-08-28-1])
 ・ 「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1])
 ・ 「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1])
 ・ 「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1])
 ・ 「#2113. 文法借用の証明」 ([2015-02-08-1])

 さらに,「#2589. 言語変化を駆動するのは形式か機能か (2)」 ([2016-05-29-1]) でも "multiple causation of language change" を重視すべきことに触れているので,その記事とそこから貼ったリンク先の記事もどうぞ.

 ・ Thomason, Sarah. "Contact Explanations in Linguistics." The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 31--47.

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2017-12-11 Mon

#3150. 言語接触は言語を単純にするか複雑にするか? [contact][language_change][geolinguistics][linguistic_area][pidgin][creole][creoloid][koineisation]

 言語接触 (contact) は言語を単純にするのか,あるいは複雑にするのか.古今東西の言語接触の事例を参照すると,いずれのケースもあると知られている.Trudgill がこの問題について論じているので,議論を紹介しよう.まず,言語接触は言語の複雑化に寄与するという観点について.

. . . there is considerable evidence that language contact can lead to an increase in linguistic complexity. This appears to occur as a result of the addition of features transferred from one language to another . . . . This is then additive change in which new features derived from neighboring languages do not replace existing features but are acquired in addition to them. A sociolinguistic-typological consequence of language contact is therefore that languages which have experienced relatively high degrees of contact are more likely to demonstrate relatively higher degrees of this type of additive complexity than languages which have not. (301)


 この点と関連して,地域言語学の立場から,類似した言語項が広まりやすく言語的多様性が小さい,したがって比較的単純な言語構造を示しやすい "spread zones" (例として印欧語族の行なわれている地域など)と,反対に言語的多様性と複雑性に特徴づけられる "residual zones" (例としてコーカサス地方やニューギニアなど)という概念についても触れられている.つまり,"contact among languages fosters complexity, or, put differently, diversity among neighbouring languages fosters complexity in each of the languages" (303) であるという.いくつかの考察を経たあとで上記を結論づけたのが,次の箇所である.

We can thus take seriously the sociolinguistic-typological hypothesis that languages spoken in high-contact societies are relatively more likely to have relatively more complexity, not just in terms of having more features such as grammatical categories and articulation types, but also in terms of possessing features which are inherently more complex. (305--06)


 一方で,逆説的ながらも,言語接触が言語の単純化をもたらす事例は広く認められている(ほかに「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1])) も参照されたい).

. . . the paradox here is that contact can also, and just as clearly, lead to simplification. This is very well known, and is a point which has been made by many writers. Pidgins, creoles, and creoloids . . . are all widely agreed to owe their relative structural simplicity to language contact; and koines to dialect contact . . . . (306)


 では,言語接触のいかなる側面が,複雑化か単純化かを決定するのだろうか.Trudgill は,接触の強度,期間,言語習得に関わる臨界期という要因を指摘している.臨界期とは,要するに,言語接触を経験している当の人々が,子供か大人かという違いである.Trudgill の結論は以下の通り.

1 high-contact, long-term pre-critical threshold contact situations are more likely to lead to additive (and only additive) complexification;
2 high-contact, short-term post-critical threshold contact situations are more likely to lead to simplification;
3 low contact situations are likely to lead to preservation of existing complexity.


 荒削りな類型のようにも見えるが,興味深い仮説である.

 ・ Trudgill, Peter. "Contact and Sociolinguistic Typology." The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 299--319.

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2017-12-04 Mon

#3143. ホメオカオス (2) [chaos_theory][complex_system][language_change][variation]

 昨日の記事 ([2017-12-03-1]) の続編.金子・津田 (205) の定義によると,ホメオカオスとは「弱いがたくさんの変数の関係したカオスによる安定性機構」である.金子・津田 (205--06) は,ホメオカオスを生命という複雑系において説明しながら,次のように述べている.

生命はその「増殖」という性質により次第に相互作用が強くなる.そこで同じものの集団であってもカオスによって性質が分化を始め,多様性が生まれる.そうやってできた多様性はホモカオス状態として維持される.その状態ではカオス的遍歴により外界からの擾乱や入力に対して多様かつ柔軟な応答を行っている.


 上で用いられている「カオス的遍歴」も,複雑系の分野のジャーゴンである.金子(「多様性を生み出すカオス」『日経サイエンス』1994年5月号)はカオス的遍歴を次のように説明している(吉永,p. 163 より孫引き).

例えば,全要素がほぼ二つのクラスターに分かれてそれぞれでほぼ引き込んで振動する状態を長く続けた後,ばらばらになり,それをしばらく続けた後で,またほとんど二個(ないし数個)のクラスターに秩序化し,またばらばらに……といったことを繰り返す.つまり,いくつかの秩序的な状態の間が乱れた状態を経由してスイッチしていくのである.


 言語においても「ホメオカオス」や「カオス的遍歴」は日常的に見られる.例えば,言語は文法的に屈折に依存する言語と語順に依存する言語という両極の間を揺れ動くものと考えることができる.そのシフトの途中段階で,揺らぎや乱れが見られるかもしれないが,ゆくゆくはそれなりに落ち着くものではないか.音韻体系においても,語彙体系においても,常に揺れ動くという意味で静的な秩序というものはあり得ないが,動的にバランスが保持されている.
 平均台の上で完全に静止していることは難しいが,左右の小刻みな揺れを利用してバランスをとり続けることは可能である.ときに揺れ幅がやや大きくなることもあるが,そのピンチを解消するために,逆側に思い切ってバランスを傾けることで,結果として再び安定状態に回帰することはある.直立不動の静止状態というもの理論的にはあり得るが,現実的にはあり得ない.否,その理論的可能性をも否定し,理論上ですら常に不安定で動的であることを前提とするのがホメオカオスである.

 ・ 金子 邦彦,津田 一郎 『複雑系のカオス的シナリオ』 朝倉書店,1996年.
 ・ 吉永 良正 『「複雑系」とは何か』 講談社〈講談社現代新書〉,1996年.

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2017-12-03 Sun

#3142. ホメオカオス (1) [chaos_theory][complex_system][language_change][variation]

 言語体系がカオスと自己組織化を特徴とする複雑系であることについて,以下の記事で取り上げてきた(cf. 「#3111. カオス理論と言語変化 (1)」 ([2017-11-02-1]) ,「#3112. カオス理論と言語変化 (2)」 ([2017-11-03-1]),「#3122. 言語体系は「カオスの辺縁」にある」 ([2017-11-13-1]),「#3123. カオスとフラクタル」 ([2017-11-14-1]),「#3130. 複雑系言語学」 ([2017-11-21-1])).
 言語の変化と変異を研究対象にしていると,言語に関わる現象のあまりの複雑さに圧倒される.どのように考えても解きにくいと悟った時,複雑系にすがる動機が生れる.見れば見るほど無秩序のようにみえて,それでも間違いなく何らかの秩序はあると直感するとき,それは複雑系に違いないという発想になる.静的な中心の欠如,動的な安定性の存在,結果としてバランスの保たれるアンバランス,秩序のなかの変化と変異.このような相矛盾する特徴が,気象や物理現象や生物や言語といった一筋縄では理解できない対象のうちに内在する.
 『「複雑系」とは何か』を著わした吉永 (169) は,このような秩序を金子らに従って「ホメオカオス」という造語で呼んでいる.

部分秩序層で生成される秩序は,自己組織化という言葉から誤ってイメージされるような,静的な安定性ではない.多数の自由度をもつ弱いカオス的振動が,完全にそろうわけでもなく,かといって完全にばらばらになるわけでもなく,お互い影響し合い,依存し合いながら,つまり多様性を保持しながら――あるいは多様性をもつがゆえに――大筋ではあたかも基準となる状態があって,そこから逸脱しないかのようなふるまいをする,動的な安定状態である.

 金子らはこの多様性を維持した安定性機構を「ホメオカオス homeochaos」と呼んでいる.いわゆるホメオスタシスが,理想的な静的安定性を想定し,そこから生じたゆらぎに対するゆり戻しのフィードバック機構と考えられてきたのに対し,ホメオカオスはそのような理想状態を仮想しなくてもいいことを教えてくれている.

 さらに,このホメオカオスにおいて著しいのは,秩序の「次元」や「自由度」といった枠組みそのものが変化し,異なる枠組みへ飛躍することがあり得るということだ.これはオープンカオス(開放型カオス)と呼ばれる(吉永, pp. 169--70).

 ホメオカオスがとくに重要になるのは,相空間の次元を決めるシステムそのものの自由度が変動するケースである.具体的には,要素的なユニットが互いの相互作用を経て分裂したり,また途中から消失したりする場合であり,たとえば細胞の増殖や死など,自然界の大半のシステムはこうした自由度の変動を許す開いたシステムになっている.
 自由度が固定された,したがって相空間の次元が不変に保たれた閉じたシステムに見られる通常のカオスでは,相空間の中での軌道が不安定になって伸ばされていくと,どこかで折りたたまれる.相空間そのものが変わることはない.ところが,自由度が変動する開いたシステムでは,不安定性が増大していって運動が不規則になると,そこで自由度のジャンプが起こることがある.そして,新たに出現した余分な自由度に不安定さが分配されると,そこで生じた大自由度の弱いカオス状態にホメオカオスの機構が働いて,多様性を維持した安定性が生成される.このような開いたシステムに特有なカオスのダイナミクスを金子らは「開放型カオス」と呼んでいる.


 システムをシステムとして維持するための動的な機構が提案されるのであれば,それは言語にも適用できる可能性が高いだろう.それくらい言語は動的で複雑である.

 ・ 吉永 良正 『「複雑系」とは何か』 講談社〈講談社現代新書〉,1996年.
 ・ 金子 邦彦,津田 一郎 『複雑系のカオス的シナリオ』 朝倉書店,1996年.

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2017-11-24 Fri

#3133. 言語変化の "how" と "why" [causation][language_change][how_and_why]

 言語変化の "why" は,歴史言語学において究極の問いである.その答えに少しでも近づくためには,その他の4W1Hの問いへの答えを着実に積み重ねていくよりほかない.それでも "why" に完璧にたどり着くのはほとんど不可能であり,せいぜい "how" を明らかにするのが関の山である.その "how" の答えですら,仮説の域を出ないことも多いだろう.
 本ブログでも,言語変化の how_and_why については,「#784. 歴史言語学は abductive discipline」 ([2011-06-20-1]),「#2255. 言語変化の原因を追究する価値について」 ([2015-06-30-1]),「#2123. 言語変化の切り口」 ([2015-02-18-1]) などで扱ってきた.
 昨日の記事「#3130. 複雑系言語学」 ([2017-11-21-1]) で紹介した Kretzschmar (251--52) は,複雑系の理論を用いて言語変化(具体的にはアメリカ英語の諸変種の生起という問題)に迫ることにより,"why" の問いには答えられないとしても,"how" の問いに対しては有効な答えを与えることができると自信を示している.

We cannot answer the question "why" American English is as it is --- there is never a good answer to the "why" question in linguistics --- but it is now possible to address more adequately the question "how" it came to be as it is.


 Kretzschmar の言葉遣いによると,ある言語現象を共時的に説明しようとする際の問いが "why" で,通時的・歴史的に説明しようとする際の問いが "how" であるようにも感じられる.あるいは,言語変化の原因を問うのが "why" で,言語変化の型を問うのが "how" であると述べているようにも聞こえる.
 論者によって "how" と "why" という疑問詞によって何を指すのかはおおいに異なり得るということを認めた上で,私も言語変化の how_and_why にこだわり続けていきたい.

 ・ Kretzschmar, William A., Jr. "Complex Systems in the History of American English." Chapter 4 of Developments in English: Expanding Electronic Evidence. Ed. Irma Taavitsainen, Merja Kytö, Claudia Claridge, and Jeremy Smith. Cambridge, 2015. 251--64.

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2017-11-21 Tue

#3130. 複雑系言語学 [chaos_theory][complex_system][variety][zipfs_law][language_change][contact][methodology]

 Kretzschmar は,言語を複雑系としてとらえ,言語変化を論じる研究者である.最近の論文で,複雑系の概念を用いて,アメリカ英語の諸変種がいかにして生じてきたかという問題を論じている.論文の冒頭 (251) で,発話を複雑系としてとらえる見方が端的に述べられている.

. . . language in use, speech as opposed to linguistic systems as usually described by linguists, satisfies the conditions for complex systems as defined in sciences such as physics, evolutionary biology, and economics . . . .


 言語は複雑系とみなされるべき2つの特徴,すなわち "non-linear distribution" と "scaling" を備えているという (253) .前者 "non-linear distribution" は,具体的にいえば,漸近双曲線 (A-curve) の分布を指している.例としてすぐに思い浮かぶのは,「#1103. GSL による Zipf's law の検証」 ([2012-05-04-1]) や「#1101. Zipf's law」 ([2012-05-02-1]) で紹介した zipfs_law のグラフである.少数の高頻度語と多数の低頻度語により,右下へ長い尾を引くグラフが描かれる.Kretzschmar は,言語に関わる他の現象でもこのようなグラフが得られると主張する.
 「言語=複雑系」に関するもう1つの特徴である "scaling" は,A-curve のような分布が言語の異なるレベルにおいて繰り返し現われる状況を指している.アメリカ東部諸州における方言単語(訛語)の頻度調査で,各形態について頻度順位の高い順に並べて頻度をプロットしていくと A-curve となるが,New York 州に限って同様のグラフを作成しても類似した曲線が得られるし,女性話者に限ったグラフでもやはり同様の曲線が得られるという (255) .
 グラフが非線形でありスケール・フリーということになれば,当然ながら「#3123. カオスとフラクタル」 ([2017-11-14-1]) が想起される.関連して,「#3111. カオス理論と言語変化 (1)」 ([2017-11-02-1]),「#3112. カオス理論と言語変化 (2)」 ([2017-11-03-1]),「#3122. 言語体系は「カオスの辺縁」にある」 ([2017-11-13-1]) も参照されたい.
 Kretzschmar (263--64) は論文の最後で,言語変種の生起・拡大を説明するのに複雑系の考え方が有用であると結論づけ,複雑系言語学を唱える.

Complexity science is the model that can cope successfully with the problems of language variation and change that we are interested in solving for the history of American English. Complexity science addresses the emergence of a new American variety, along with its component regional varieties, more adequately than traditional approaches. Complex systems replace the notion of monolithic "language contact" or Fischer's "cultural shift" with interaction between speakers. Complex systems can deal with the extension of existing varieties into new areas, and still account for the evident acquisition of new variants from important cultural groups in different areas. Finally, complex systems can cope with contemporary American cultural change and attendant language change, again without recourse to monolithic thinking. We are just at the beginning of research to understand the operation of the complex system of speech, but it is already clear that it gives us a good way to describe how the process of emergence and change really works.


 従来のような "monolithic" な言語接触に基づいた理論ではなく,それを内に含み込むような複雑系の理論こそが,これからの言語変化研究を支えていくのではないかというわけだ.確かに刺激的な話題である.

 ・ Kretzschmar, William A., Jr. "Complex Systems in the History of American English." Chapter 4 of Developments in English: Expanding Electronic Evidence. Ed. Irma Taavitsainen, Merja Kytö, Claudia Claridge, and Jeremy Smith. Cambridge, 2015. 251--64.

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