英語国の地名の話題については,toponymy の各記事で取り上げてきた.今回は樋口による「イングランドにおけるケルト語系地名について」 (pp. 191--209) に基づいて,イングランドのケルト語地名の分布について紹介する.
5世紀前半より,西ゲルマンのアングル人,サクソン人,ジュート人が相次いでブリテン島を襲い,先住のケルト系諸民族を西や北へ追いやり,後にイングランドと呼ばれる領域を占拠した経緯は,よく知られている (「#33. ジュート人の名誉のために」 ([2009-05-31-1]),「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」 ([2010-05-21-1]),「#1013. アングロサクソン人はどこからブリテン島へ渡ったか」 ([2012-02-04-1]),「#2353. なぜアングロサクソン人はイングランドをかくも素早く征服し得たのか」 ([2015-10-06-1])) .また,征服者の英語が被征服者のケルト語からほとんど目立った語彙借用を行わなかったことも,よく知られている.ところが,「#1216. 古英語期のケルト借用語」 ([2012-08-25-1]) や「#1736. イギリス州名の由来」 ([2014-01-27-1]) でみたように,地名については例外というべきであり,ケルト語要素をとどめるイングランド地名は少なくない.とりわけイングランドの河川については,多くケルト語系の名前が与えられていることが,伝統的に指摘されてきた (cf. 「#1188. イングランドの河川名 Thames, Humber, Stour」 ([2012-07-28-1])) .
西ゲルマンの諸民族の征服・定住は,数世紀の時間をかけて,イングランドの東から西へ進行したと考えられるが,これはケルト語系地名の分布ともよく合致する.以下の地図(樋口,p. 199)は,ケルト語系の河川名の分布によりイングランド及びウェールズを4つの領域に区分したものである.東半分を占める Area I から,西半分と北部を含む Area II,そしてさらに西に連接する Area III から,最も周辺的なウェールズやコーンウォールからなる Area IV まで,漸次,ケルト語系の河川名及び地名の密度が濃くなる.
征服・定住の歴史とケルト語系地名の濃淡を関連づけると,次のようになろう.Area I は,5--6世紀にアングル人やサクソン人がブリテン島に渡来し,本拠地とした領域であり,予想されるようにここには確実にケルト語系といえる地名は極めて少ない.隣接する Area II へは,サクソン人が西方へ6世紀後半に,アングル人が北方へ7世紀に進出した.この領域では,Area I に比べれば川,丘,森林などの名前にケルト語系の地名が多く見られるが,英語系地名とは比較にならないくらい少数である.次に,7--8世紀にかけて,アングロサクソン人は,さらに西側,すなわち Devonshire, Somerset, Dorset; Worcestershire, Shropshire; Lancashire, Westmoreland, Cumberland などの占める Area III へと展開した.この領域では,川,丘,森林のほか,村落,農場,地理的条件を特徴づける語にケルト語系要素がずっと多く観察される.アングロサクソン人の Area III への進出は,Area I に比べれば2世紀ほども遅れたが,この時間の差がケルト語系地名要素の濃淡の差によく現われている.最後に,Cornwall, Wales, Monmouthshire, Herefordshire 南西部からなる Area IV は,ケルト系先住民が最後まで踏みとどまった領域であり,当然ながら,ケルト語系地名が圧倒的に多い.
このように軍事・政治の歴史が地名要素にきれいに反映している事例は少なくない.もう1つの事例として,「#818. イングランドに残る古ノルド語地名」 ([2011-07-24-1]) を参照されたい.
・ 樋口 時弘 『言語学者列伝 ?近代言語学史を飾った天才・異才たちの実像?』 朝日出版社,2010年.
昨日の記事「#2364. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ」 ([2015-10-17-1]) で触れた通り,イングランドで名 (first name) に加えて姓 (surname) を採用するようになったのは,概ねノルマン征服以降であり,採用の順序も社会的身分の高い者から低い者にかけてであった.13--14世紀にかけて一般に拡がったようだが,地域差もあり,北部は南部よりも遅かった.Coates (327--28) の説明を引用する.
Surnames came into use among the Norman aristocracy shortly before the Conquest. The practice was neither universal nor stable then or in the early period of Norman rule in England, though by about 1250 it was the norm in the highest social class and the knightly and other taxpaying classes. Between 1300 and 1400 the practice had spread to the urban moneyed classes, though it appears that in some towns, such as York, the lower classes might be without surnames till as late as 1600. Rural small free tenants, for whom evidence is more scant, began to acquire surnames before 1300 in the south, and the practice moved northwards, with new surnames still being formed in Lancashire as late as the sixteenth and seventeenth centuries; and this development is mirrored by that of the servile class. The adoption of surnames did not happen overnight anywhere, and our knowledge of the process is hindered by the different degrees to which social classes are represented in the record. . . / Surnames are distinguishing names given to people bearing the same personal name, and many of these came to be inherited, though the system is not in fully complete operation everywhere till the 1600s. Those which have been inherited were of course the ones originally bestowed on males, for a complex of reasons involving unambiguous identification of the rightful heir.
イングランド内で完全に制度化するまでには,近代を待たなければならないほど,姓の慣習はゆっくりと広まっていったことになる.方言差という問題に関しては,中英語における多くの言語変化が北部から南部へという方向を示すのに対し,言語慣習の変化と呼ぶべき姓の採用がむしろ南部から北部へと拡がったというのがおもしろい.
言語的革新の伝播がしばしば北から南へという方向を示したことについては,「#941. 中英語の言語変化はなぜ北から南へ伝播したのか」 ([2011-11-24-1]),「#1843. conservative radicalism」 ([2014-05-14-1]),「#1902. 綴字の標準化における時間上,空間上の皮肉」 ([2014-07-12-1]) を参照されたい.
・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.
「#2305. 英語を説明する25の地図」 ([2015-08-19-1]) の11番目として挙げられている Tristan da Cunha について付け加える.Tristan da Cunha は,アフリカ南部と南アメリカ大陸のどちらからも遠く離れた絶海の孤島.南アフリカからは約2400キロ,南アメリカからは約3360キロ離れている.6つの小島からなり,有人島は Tristan da Cunha と Gough Island の2つのみである.この群島は,1506年にポルトガル人の海軍将官 Tristão da Cunha によって発見された.17世紀以降,何度かにわたって定住の試みがあったが失敗し,初めて成功したのは1816年のイギリス駐屯軍によるものである.St. Helena に島流しにされたナポレオンの救出を阻止するための派兵とされる.その1816年に英国領として併合されたが,翌1817年に軍は撤退し,それ以降は,島に残った少数の者たちと,難破したヨーロッパ人の漂流者たちが島民人口のほとんどであった.1886年には97人がいたとの報告がある.1938年には St. Helena の保護領となったが,2009年にその地位は解消され,英国海外領 St Helena, Ascension and Tristan da Cunha の一部となっている.2015年現在,人口は259人であり,そのほとんとが英語を母語とする ENL 地域である.
以下,関連する外部リンクを張っておく.
・ Website of the Tristan da Cunha Government and Tristan Association
・ Wikipedia による Tristan da Cunha の記事
・ BBC による St Helena, Ascension, Tristan da Cunha profiles
・ CIA: The World Factbook による Saint Helena, Ascension, and Tristan da Cunha
・ Edgar Allan Poe による The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket (1838) の Chapter 15 に,Tristan da Cunha の歴史的,地理的な詳しい記述がある.
なお,St. Helena については,「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]),「#215. ENS, ESL 地域の英語化した年代」 ([2009-11-28-1]),「#1919. 英語の拡散に関わる4つの crossings」 ([2014-07-29-1]) でも軽く触れている.
(後記 2015/09/01(Tue): McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992. の "TRISTAN DA CUNHA" (1056) の項も参照.この英語変種は,Highland English と同じ特徴を有すると考えられている.)
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]),「#2262. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (2)」 ([2015-07-07-1]) に引き続いての話題.[2015-07-07-1]では,Fisher を参照した Gramley による具体的な数字も示しながら,初期移民の人口統計を簡単に確認したが,この Fisher 自身は David Hackett Fischer による Albion's Seed (1989年) に拠っているようだ.さらに,この D. H. Fischer という学者は,アメリカ英語史研究者の先達である Hans Kurath, George Philip Krapp, Allen Walker Read, Albert Marckwardt, Raven McDavid, Cleanth Brooks 等に依拠しつつ,具体的な人口統計の数字を提示しながら,イギリス英語とアメリカ英語の連続性を主張しているのである.
Fischer の記述を信頼して Fisher がまとめた(←名前の綴りが似ていて混乱するので注意!)初期移民史について,以下に引用しよう (Fisher 60) .初期植民地への移民の95%以上がイギリスからであり,それは4波にわかれて行われたという.
1. 20,000 Puritans largely from East Anglia to to New England, 1629--41, to escape the tyranny of the crown and the established church that led to the Puritan revolution;
2. 40,000 Cavaliers and their servants largely from the southwestern counties of England to the Chesapeake Bay area and Virginia, 1642--75, to escape the Long Parliament and Puritan rule;
3. 23,000 Quakers from the North Midlands and many like-minded evangelicals from Wales, Germany, Holland, and France, to the Delaware Valley and Pennsylvania, 1675--1725, to escape the Act of Uniformity in England and the Thirty Years War in Europe;
4. 275,000 from the North Border regions of England, Scotland, and Ulster to the backcountry of New England, western Pennsylvania, and the Appalachians, 1717--75, to escape the endemic conflict and poverty of the Border regions, and especially the 1706--7 Act of Union between England and Scotland, which brought about the "pacification" of the border, transforming it from a combative society in need of many warriors to a commercial and industrial society in need of no warriors, with the consequent large-scale displacement of the rural population.
Fischer は伝統的なアメリカへの初期移民史の記述を人口統計によって補強したということだが,これは英語変種の連続性を考える上では非常に重要な情報である.
イギリス変種からアメリカ変種への連続性を論じる際に必ず話題になるのは,non-prevocalic /r/ である.この話題については「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) と「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]) で合わせて導入し,「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」 ([2012-10-15-1]) で問題の複雑さに言及したとおりだが,Fisher (75--77) も慎重な立場からこの問題に対している.確かに,250年ほど前に non-prevocalic /r/ の消失がロンドン近辺で始まったということと,アメリカへの移民が17世紀前半に始まったということは,アナクロな関係ではあるのだ.それでも,歴史言語学的な連続性に関する軽々な主張は慎むべきであるものの,一方で英語史研究において連続性の可能性に注意を払っておくことは常に必要だとも感じている.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
・ Fisher, J. H. "British and American, Continuity and Divergence." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. English in North America. Ed. J. Algeo. Cambridge: CUP, 2001. 59--85.
昨日の記事「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]) に引き続いての話題.「#1301. Gramley の英語史概説書のコンパニオンサイト」 ([2012-11-18-1]) と「#2007. Gramley の英語史概説書の目次」 ([2014-10-25-1]) で紹介した Gramley の英語史書は,地図や図表が多く,学習や参照に便利である.イギリスからアメリカへの初期の移民のパターンについても,"Major sources and goals of immigration" (248) と題する有用なアメリカ東海岸の地図が掲載されている.Gramley の地図では,ブリテン諸島からの移民のルートのほか,ドイツ,カリブ諸島,ドイツからの移民の流入の経路なども示されている.
いずれの移民もアメリカ英語の方言形成に何らかの貢献をしていると考えられるが,昨日の記事 ([2015-07-06-1]) および「#1700. イギリス発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-22-1]) を参照してわかるとおり,ブリテン諸島からの移民がとりわけ重要な役割を果たしたことはいうまでもない.ブリテン諸島からの移民について,人口統計を含めた要約的な文章が Gramley (246) にあるので,引用しよう.
The English language which the settlers carried along with them was, of course, that of England. The colonists surely brought various regional forms, but it is generally accepted that the largest number of those who arrived came from southern England. Baugh (1957) concludes --- on the limited evidence of 1281 settlers in New England and 637 in Virginia for whom records exist for the time before 1700 --- that New England was predominantly settled from the southeastern and southern counties of England (about 60%) as was Virginia (over 50%). Fisher's figures indicate that 20,000 Puritans came between 1629 and 1641, the largest part from Essex, Suffolk, Cambridgeshire, and East Anglia with fewer than 10% from London, and that 40,000 "Cavaliers" fled especially from London and Bristol during the Civil War and went to the Chesapeake area and Virginia (Fisher 2001: 60). The Middle Colonies of Pennsylvania, new Jersey, and Delaware probably had a much larger proportion from northern England, including 23,000 Quakers and Evangelicals from England, Wales, Germany, Holland, and France. Over 250,000 from northern England, the Scottish Lowlands, and especially Ulster settled in the back country . . . . In each of the areas settled the nature of the language was set by speech patterns established by the first several generations.
アメリカの New England や南部への移民には,イングランド南部の出身者が多く関与し,アメリカの中部諸州そしてさらに奥地へは,イングランド北部,ウェールズ,スコットランド,アイルランドからの移民が多かったことが改めて確認できるだろう.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
・ Baugh, A. C. A History of the English Language. 2nd ed. New York: Appleton-Century-Crofts, 1957.
・ Fisher, J. H. "British and American, Continuity and Divergence." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. English in North America. Ed. J. Algeo. Cambridge: CUP, 2001. 59--85.
標題は「#1701. アメリカへの移民の出身地」 ([2013-12-23-1]) で取り上げた話題だが,今回は地図を示しつつ解説する.
アメリカ英語の方言形成過程を理解するには,17世紀に始まるイギリス諸島からの初期の移民と,その後のアメリカ内での移住の歴史が大きく関わってくる.イギリス人によるアメリカへの植民は,1607年の Jamestown の建設に始まるが,この植民に携わったのは主としてイングランド南部出身者だった.最初の入植者として彼らの言語的な役割は大きく,イングランド南部方言が Jamestown にもたらされ,後にアメリカ南部に拡がる契機が作られた.
1620年に Plymouth にたどり着いた "Pilgrim fathers" にも,イングランド南部(および東部)出身者が多かった.彼らは,先の入植者と同様に,およそイングランド南部の方言特徴を携えて新大陸に渡ったのであり,New England を中心とした北東部海岸地域にその方言特徴を定着させた.
一方,1680年代からはイングランド中部・北部やウェールズからのクエーカー教徒 (Quakers) が大挙して Pennsylvania へ入植した.Pennsylvania などの中部へは,さらに18世紀の半ばにスコットランド系アイルランド人 (Scots-Irish) が数多く流入し,後の西部開拓の原動力となった.また,19世紀半ばにも多くのアイルランド人が押し寄せた.中部諸州に入り,西部へと展開したこれらイングランド南部以外の地域からやってきた移民たちは,いわば非標準的といえるイギリス諸方言を携えて新大陸にやってきたのだが,この諸方言こそが,後のアメリカにおける主たる方言となる中部方言 (Midland dialect) の種だったのである.
イギリス諸島からの移民の出身地と方言を念頭に,上記をまとめると次のようになる.標準的なイングランド南部方言を携えたイングランド南部出身者は,その標準変種をアメリカの New England や南部諸州へと伝えた.一方,非標準的なイングランド中部・北部,ウェールズ,スコットランド,アイルランドの諸方源を携えた地方出身者は,その非標準変種をアメリカの Pennsylvania や中部諸州,そして西部へと広く伝えた.大雑把に図式化すると,以下の地図の通りである.
このようなアメリカ英語形成期 (1607--1790) における初期移民の効果は,現代アメリカ英語の non-prevocalic /r/ の分布によく反映されていると言われる.「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]) の地図に示した通り,大雑把にいってアメリカ中部・西部の広い地域では car, four などの語末の /r/ は発音される,すなわち rhotic である.これは,「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) で見たように,現代のイングランド周辺地域の方言が non-rhotic であることに対応する.一方,アメリカの New England と南部諸州では,およそ non-rhotic である.これは,イングランドの中心部がおよそ rhotic であることと符合する.[2010-07-24-1]で触れたとおり,この分布は偶然ということではなく,歴史的な連続性を疑うべきだろう.
移民先の方言の形成や分布を論じるにあたっては,移民の出身地と携えてきた方言に注目することが肝要である.関連して,以下の記事も参照.
・ 「#1698. アメリカからの英語の拡散とその一般的なパターン」 ([2013-12-20-1])
・ 「#1699. アメリカ発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-21-1])
・ 「#1700. イギリス発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-22-1])
・ 「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1])
・ 「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1])
この話題については,最近,以下の記事で論じてきた (##2219,2220,2226,2238) .
・ 「#2219. vane, vat, vixen」 ([2015-05-25-1])
・ 「#2220. 中英語の中部・北部方言で語頭摩擦音有声化が起こらなかった理由」 ([2015-05-26-1])
・ 「#2226. 中英語の南部方言で語頭摩擦音有声化が起こった理由」 ([2015-06-01-1])
中英語における語頭摩擦音有声化 ("Southern Voicing") を示す方言分布は,現在の分布よりもずっと領域が広く,南部と中西部にまで拡がっていた.その勢いで中部へも拡大の兆しを見せ,実際に中部まで分布の及んだ時期もあったが,後にその境界線が南へと押し戻されたという経緯がある.この南への押し戻しも含めて,中部・北部方言でなぜ "Southern Voicing" が受け入れられなかったのか.
この押し戻しと分布に関する問題を Danelaw の領域と関連づけて論じたのが,先の記事 ([2015-05-26-1]) でも名前を挙げた Poussa である.Poussa は,「#1249. 中英語はクレオール語か? (2)」 ([2012-09-27-1]),「#1254. 中英語の話し言葉の言語変化は書き言葉の伝統に掻き消されているか?」 ([2012-10-02-1]) でも取り上げた,中英語=クレオール語仮説の主張者である.Poussa (249) の結論は,明解だ.
In sum, I submit that, whereas the original advance of the initial fricative voicing innovation through the OE dialects is a natural and not unusual phonetic process (it has its parallels in other Germanic dialects on the continent), the halting and then the reversing of such an innovation in ME is an unexpected development, requiring explanation. It can only be explained by some kind of intervention in the dialect continuum. The Scandinavian settlement of the north and east Midlands in the late OE period seems to supply the right kind of intervention at the right place and time to explain this remarkable linguistic U-turn.
Poussa の具体的な議論は2点ある.1つは,古ノルド語との接触によりピジン化あるいはクレオール化した中・北部の英語変種においては,音韻過程として類型論的に有標である語頭有声音の摩擦音化は採用されなかったという議論だ (Poussa 238) .もう1つは,後期中英語に East-Midland の社会的な影響力が増し,その方言がロンドンの標準変種の形成に大きく貢献するようになるにつれて,語頭摩擦音をもたない同方言の威信が高まったために,問題の境界線が南に押し下げられたのだとする社会言語学的な論点である.要するに,南部方言の語頭有声摩擦音は真似るにふさわしくない発音だという評判が,East-Midland の方言話者を中心に拡がったということである.
Poussa (247) より議論を引用しておく.歴史社会言語学な考察として興味深い.
It seems to me that the voicing of initial /f-/, /s-/, /θ-/ and /ʃ-/ in OE and ME, which Fisiak convincingly argues are caused by one and the same lenition process, is precisely the type of rule which is typically jettisoned when a language is pidginized or creolized, and acquired only partially by learners of a new dialect. Furthermore, why should the speaker of a Danelaw dialect of English want to sound like a southerner, whether he lives in his home district, or has been transplanted to London? It would depend on what pronunciation he (or she), consciously or unconsciously, regarded as prestigious.
If this explanation is accepted as the reason why such an expansive lenition innovation stopped at approximately the Danelaw boundary during the late OE or early ME period, then the reason why the area of voicing subsequently receded southwards is presumably related: migration of population and the rise in the social prestige of the East Midland dialect meant that the phonologically simpler variety became the standard to be imitated.
・ Poussa, Patricia. "A Note on the Voicing of Initial Fricatives in Middle English" Papers from the 4th International Conference on English Historical Linguistics. Ed. Eaton, R., O. Fischer, W. Koopman, and F. van der Leeke. Amsterdam: Benjamins, 1985. 235--52.
昨日の記事で紹介した「#2170. gravity model」 ([2015-04-06-1]) は言語変化の地理的な伝播を説明する優れた仮説だが,限界もある.このモデルでは,伝播の様式は2地点間の距離と各々の人口規模によって定まると仮定されるが,実際にはこの2つのパラメータのほかにもいくつかの要因を考慮する必要がある.例えば,言語に限らず一般的な伝播の研究を行っている Rogers は,(1) the phenomenon itself,(2) communication networks, (3) distance, (4) time, (5) social structure の5変数を主要因として掲げているが,gravity model が扱っているのは (3) と,大雑把な意味においての (2) のみである.
では,Wolfram and Schilling-Estes (726--33) を参照しながら,他の要因を考えていこう.まず,地理境界がある場合の "barrier effect" が考慮されなければならないだろう.例えば,イングランドとスコットランドの境界は,そのまま重要な英語の方言境界ともなっている.スコットランドの境界内で生じた言語変化がスコットランド内部で波状に,あるいは都市伝いに伝播することがあっても,境界を越えてイングランドの境界内へ伝播するかどうかはわからないし,逆の場合も然りである.津軽藩と南部藩の境界を挟んだ両側の村で,方言が予想される以上に異なっていたという状況も,過去に起こった数々の言語変化が互いに境界を越えて伝播しなかったことを示唆する.
次に,gravity model はもともと物理学の理論の人文社会科学への応用であり,後者とて一般論で語ることはできない.例えば,文物の伝播の様式と言語の伝播の様式に関与する要因は異なるだろう (cf. 「#2064. 言語と文化の借用尺度 (1)」 ([2014-12-21-1]),「#2065. 言語と文化の借用尺度 (2)」 ([2014-12-22-1])).例えば,言語の伝播を論じる際には,言語体系への埋め込み (embedding) の側面も考慮する必要があるが,gravity model はそのようなパラメータを念頭に置いていない.言語体系に関するパラメータについては,「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]),「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1]),「#2011. Moravcsik による借用の制約」 ([2014-10-29-1]),「#2067. Weinreich による言語干渉の決定要因」 ([2014-12-24-1]) を参照.ただし,言語体系間の類似性が,言語項の伝播や借用においてどの程度の効果をもつかについては否定的な議論も少なくないことを付け加えておきたい.
さらに,gravity model は地理的な伝播についての仮説であり,社会的な伝播を度外視しているという問題がある.1つの地域方言の内部には複数の社会的な方言が区別されるのが普通である.言語変化がある地域方言へ伝播するというとき,その地域方言内のすべての社会方言に同時に伝播するとは限らず,特定の社会方言にのみ伝播するということもありうる.gravity model は地理的な横の軸に沿った伝播しか考慮していないが,言語変化の伝播を考察する上では社会的な縦の軸も同じくらいに重要なのではないか.
social_network の理論によれば,弱い絆 (weakly_tied) をもつ個人や集団が,言語変化を伝播する張本人となるとされる.gravity model は人口規模の大きいところから小さいところへというマクロのネットワークこそ意識しているが,特定の個人や集団の関与するミクロのネットワークは考慮に入れていないという欠点がある.この欠点を補う視点として,「#882. Belfast の女性店員」 ([2011-09-26-1]),「#1179. 古ノルド語との接触と「弱い絆」」 ([2012-07-19-1]),「#1352. コミュニケーション密度と通時態」 ([2013-01-08-1]) を参考にされたい.
最後に,人口規模の小さい地域から大きい地域へと「逆流」する "contra-hierarchical diffusion" の事例も報告されている.昨日の記事でも触れたように Oklahoma では,/ɔ/ -- /a/ の吸収が gravity model の予想するとおりに都市から田舎へと hierarchical に伝播しているが,同じ Oklahoma で準法助動詞 fixin' to (= going to) はむしろ田舎から都市へと contra-hierarchical に伝播していることが確認されている.Tennessee の鼻音の前の /ɪ/ と /ɛ/ の吸収も同様に contra-hierarchical に伝播しているという.日本語でも,「#2074. 世界英語変種の雨傘モデル」 ([2014-12-31-1]) で少し話題にしたように,方言形の東京への流入という現象は意外と多くみられ,contra-hierarchical な伝播が決して稀な事例ではないことを示唆している.
・ Wolfram, Walt and Natalie Schilling-Estes. "Dialectology and Linguistic Diffusion." The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Malden, MA: Blackwell, 2003. 713--35.
・ Rogers, Everett M. Diffusion of Innovations. 5th ed. New York: Free Press, 1995.
言語変化の地理的な伝播の様式について,波状理論 (wave_theory) やその結果としての方言周圏論 (cf. 「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]))がよく知られている.池に投げ込まれた石の落ちた地点から同心円状に波紋が拡がるように,言語革新も発信地から同心円状に周囲へ伝播していくという考え方である.
しかし,言語変化は必ずしも同心円状に地続きに拡がるとは限らない.むしろ,飛び石伝いに点々と拡がっていくケースがあることも知られている.「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]),「#2037. 言語革新の伝播と交通網」 ([2014-11-24-1]),「#2040. 北前船と飛び石理論」 ([2014-11-27-1]) などの記事で論じたように,飛び石理論のほうが説明として有効であるような言語変化の事例も散見される.この飛び石理論とほぼ同じ発想といってよいものに,社会言語学や方言学の文献で gravity model あるいは hierarchical model と呼ばれている言語変化の伝播に関するモデルがある.これは Trudgill が提起した仮説で,Wolfram and Schilling-Estes (724) が次のような説明を与えている.
According to this model, which is borrowed from the physical sciences, the diffusion of innovations is a function not only of the distance from one point to another, as with the wave model, but of the population density of areas which stand to be affected by a nearby change. Changes are most likely to begin in large, heavily populated cities which have historically been cultural centers. From there, they radiate outward, but not in a simple wave pattern. Rather, innovations first reach moderately sized cities, which fall under the area of influence of some large, focal city, leaving nearby sparsely populated areas unaffected. Gradually, innovations filter down from more populous areas to those of lesser population, affecting rural areas last, even if such areas are quite close to the original focal area of the change. The spread of change thus can be likened not so much to the effects of dropping a stone into a pond, as with the wave model, but, as . . . to skipping a stone across a pond.
gravity model の要点は,言語革新の伝播は,波状理論のように地点間の距離に依存するだけではなく,各地点の人口規模にも依存するということである.これは,2つの天体の引き合う力が距離と密度の関数であることに比較される.距離と人口規模の2つの変数のもとで伝播の様式が定まるという gravity model は,従来の波状理論をも取り込むことができる点で優れている.というのは,距離のみを有効な変数とし,人口規模の変数を無効とすれば,すなわち波状理論となるからである.
gravity model に沿った言語変化の事例報告は少なくない.Wolfram and Schilling-Estes (725) に挙げられている例のうち英語に関するものについていえば,London で開始された語頭の h-dropping が,中間の地域を飛び越えて直接 East Anglia の Norwich へと飛び火したという事例が報告されている.Chicago で生じた [æ] の二重母音化や [ɑ] の前舌化も,同様のパターンで Illinois 南部の諸都市へ伝播した.Oklahoma での /ɔ/ -- /a/ の吸収の伝播も然りである.
ただし,仮説の常として,gravity model も万能ではない.実際の伝播の事例を観察すると,距離と人口規模以外にもいくつかの変数を想定せざるを得ないからである.gravity model の限界については,明日の記事で取り上げる.
・ Wolfram, Walt and Natalie Schilling-Estes. "Dialectology and Linguistic Diffusion." The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Malden, MA: Blackwell, 2003. 713--35.
「#2134. 言語変化は矛盾ではない」 ([2015-03-01-1]) で,共時態と通時態が相矛盾するものではないとするコセリウの議論をみた.両者は矛盾しないというよりは,1つの現実の2つの側面にすぎないのであり,むしろ実際には融合しているのである.このことは,方言分布や語彙拡散の研究をしているとよく分かる.時間の流れが空間(地理的空間や社会階層の空間)に痕跡を残すとでも言えばよいだろうか,動と静が同居しているのだ.このような視点をうまく説明することはできないかと日々考えていたところ,Wolfram and Schilling-Estes による方言学と言語的拡散についての文章の冒頭 (713) に,求めていたものをみつけた.言い得て妙.
Dialect variation brings together language synchrony and diachrony in a unique way. Language change is typically initiated by a group of speakers in a particular locale at a given point in time, spreading from that locus outward in successive stages that reflect an apparent time depth in the spatial dispersion of forms. Thus, there is a time dimension that is implied in the layered boundaries, or isoglosses, that represent linguistic diffusion from a known point of origin. Insofar as the synchronic dispersion patterns are reflexes of diachronic change, the examination of synchronic points in a spatial continuum also may open an important observational window into language change in progress.
引用内で "spatial" というとき,地理空間を指しているように思われるが,同じことは社会空間にも当てはまる.実際,Wolfram and Schilling-Estes (714) は,2つの異なる空間への拡散の同時性について考えている.
Although dialect diffusion is usually associated with linguistic innovations among populations in geographical space, a horizontal dimension, it is essential to recognize that diffusion may take place on the vertical axis of social space as well. In fact, in most cases of diffusion, the vertical and horizontal dimensions operate in tandem. Within a stratified population a change will typically be initiated in a particular social class and spread to other classes in the population from that point, even as the change spreads in geographical space.
地理空間と社会空間への同時の拡散のほかにも,様々な次元への同時の拡散を考えることができる.語彙拡散 (lexical_diffusion) はそもそも言語空間における拡散であるし,時間は一方向の流れなので「拡散」とは表現しないが,(「時間空間」とすると妙な言い方だが,そこへの)一種の拡散とも考えられる.このような多重的な言語拡散の見方については,「#1550. 波状理論,語彙拡散,含意尺度 (3)」 ([2013-07-25-1]) で,"double diffusion" や "cumulative diffusion" と呼びながら議論したことでもある.新たに「同時多次元拡散」 (simultaneous multi-dimensional diffusion) と名付けたい思うが,この命名はいかがだろうか.ソシュールによる態の区別の呪縛から解放されるためのキーワードの1つとして・・・.
・ Wolfram, Walt and Natalie Schilling-Estes. "Dialectology and Linguistic Diffusion." The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Malden, MA: Blackwell, 2003. 713--35.
「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]),「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),方言周圏論を含む他の記事で,言語革新の典型的な伝播経路とその歴史的な側面に言及してきた.中心的な地域はしばしば革新的な地域でもあり,そこで生じた言語革新が周囲に波状に伝播していくが,徐々に波の勢いが弱まるため周辺部には伝わりにくい.その結果,中心は新しく周辺は古いという分布を示すに至る.互いに遠く離れた周辺部が類似した形態をもつという現象は,一見すると不思議だが,方言周圏論によりきれいに説明がつく.
以上が典型的な方言周圏論だが,むしろまったく逆に中心が古く周辺が新しいという分布を示唆する例がある.日本語のアクセント分布だ.日本の方言では様々なアクセントが行われており,京阪式アクセント,東京式アクセント,特殊アクセント,一型アクセント,無アクセントが区別される.興味深いことに,これらのアクセントの複雑さと地理分布はおよそ相関していることが知られている.例えば2音節名詞で4つの型が区別される最も複雑な京阪式アクセントは,その名が示すとおり,京阪を中心として近畿周縁,さらに波状に北陸や四国にまで分布している.その外側には2音節名詞で3つの型が区別される次に複雑な東京式アクセントが分布する.東京を含む関東一円から,東は(後で述べる無アクセント地域は除き)東北や北海道まで拡がっており,西は近畿を飛び越えて中国地方と九州北部にまで分布している.つまり,東京式アクセントは,近畿に分断されている部分を除き,広く本州に分布している.
続いて2音節名詞で2つの型を区別する特殊アクセントは,埼玉東部や九州南西部に飛び地としてわずかに分布するにとどまる.1つの型しかもたない一型アクセントは,全国で鹿児島県都城にのみ認められる.最後に型を区別しない無アクセントは,茨城県,栃木県,福島県,そして九州中央部の広い地域に分布している.このように互いに遠く離れた周辺部に類似したアクセントがみられることは,方言周圏論を想起させる.
しかし,ここで典型的な方言周圏論と著しく異なるのは,歴史的にはより古い京阪アクセントが本州中央部に残っており,より新しい東京アクセントその他が周辺部に展開していることだ.また,平安時代の京都方言では2音節名詞は5つの型を区別していたことが知られている.すると,平安時代の京都方言のアクセントのもつ複雑さを現代において最もよく保っているのが京阪式アクセントで,そこから順次単純化されたアクセントが波状に分布していると解釈できる.中心が複雑で古く,周辺が単純で新しいという図式に整理できるが,これは方言周圏論の主張とはむしろ逆である.日本の方言を分かりやすく紹介した彦坂 (77) は,次のように述べている.
内輪にあたる中央の文化的な地方では,教育や伝統がよく伝えられ,ことばもふるい型がたもたれやすかったのです.その外側の中輪の地方になるとこれが弱まり,さらに外輪の地方ではもっと弱まります.近畿を中心に円をえがくようにして,中心がアクセントの型をたもち外側がくずれているのは,そのためです.これは,方言の歴史的な変化のようすを語るものです.
――きみはこれを聞いて,前に話した「方言周圏論」=“文化が活発な中央で新しい語が生まれてひろがり,地方にはふるい語がのこる”というのと反対だと,思うかもしれません.この考え方は方言単語のひろがり方によく当てはまります.
でも,アクセントを中心にして考えられたこうした解しゃくは,「アクセントなどのふくざつな型をもつものは地方のほうが変化を起こしやすい」という,ことばのもうひとつの変化の仕方を語っています.
構造的に比較的単純な語と複雑なアクセントは,変化や伝播の仕方に関して,別に扱う必要があるということだろうか.構造的複雑さと変化速度との間に何らかの関連があるかもしれないことを示唆する興味深い現象かもしれない.と同時に,上の引用にもあるように,規範や教育という社会的な力が作用しているとも考えられる.
なお,最も周縁部に分布する無アクセントが最新ということであれば,それは今後の日本語アクセントの姿を予言するものであるとも解釈できる.事実,彦坂 (75) は,「将来の日本語はこういうアクセントになるかもしれません.いゃ,なるでしょう.」と確信的である. *
・ 彦坂 佳宣 『方言はまほうのことば!』 アリス館,1997年.
「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]) 及び「#2037. 言語革新の伝播と交通網」 ([2014-11-24-1]) で話題にしたように,言語革新は,その他の文化的革新と同様に,交通網に沿って伝播することが多かった.現代はテレビやインターネットなど各種のメディアが発達し,物理的な障害をいともたやすく飛び越えていく時代だが,近代までは物理的な交通こそが,あらゆる文化的伝播の基礎にあった.
ある一地方で始まった言語革新や,ある一地方に限定されていた方言形が,交通網に沿って伝播する例は,近世の日本にもみられる.明治期までの日本の物流の幹線は,内陸の街道ではなく,沿海の航路である.江戸初期の寛永年間 (1624--44) に河村瑞賢 (1618--99) により本州を巡る廻船航路が開かれると,廻米船が本州の沿岸を頻繁に巡るようになった.大阪,瀬戸内海,日本海岸,酒田を巡る西廻り航路と,江戸,太平洋岸,日本海岸,酒田を巡る東廻り航路と,大阪,太平洋岸,江戸を巡る南海路があった.特に日本海岸を往来した西廻り航路の北前船の活躍がよく知られている.廻船は佐渡,酒田,松前,宮古,銚子などに寄港し,これらの港町に上方の物品,文化,そして方言を伝えた.いわば途中の中小の港町や内陸部を飛び越えて,遠く離れた大きな港町へ飛び石風に上方方言を伝えることとなったのである. *
具体例を挙げれば,西廻り航路の要衝だった佐渡には京都風の敬称「?はん」(共通語の「?さん」に相当)が行われているほか,「行かない」の意の近畿方言形「いきゃせん」,「いとおしむ」の意の東北方言形「かなじゅむ」,「だけど」の意の九州方言形「ばってん」などが聞かれる(井上,p. 44).また,宮古など岩手県の沿岸部や千葉県の銚子では「ありがとう」の意味での「おおきに」が聞かれる.ほかに銚子方言では「煮る」ことを「たく」と表現するが,これも上方の方言に倣ったものである.周囲にそのような方言形が行われている地域がなく,孤立した分布を示しているため,これらは当時の廻船航路という交通網に沿っての飛び石現象と解釈するよりほかない.また,八丈島の「おじゃる」は古い京都の方言で,黒潮に乗って流れ着いたと言われており,広い意味で交通網に沿った方言形の伝播の例といってよい(井上,pp. 8--9).
北前船の活躍は幕末から明治初期が最盛期だったが,その後に汽船や内陸鉄道網の発達で衰退していった.それとともに方言伝播のルートも変わっていったものと思われる.
・ 井上 史雄(監修) 『方言と地図』 フレーベル館,2009年.
「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]) で,都市から都市への言語革新の伝播に触れた.交通が未発達の社会では,人々の行動半径は大きくなく,移動は近隣の地域に限られる.その場合には,言語革新の伝播の様式は,波状理論 (wave_theory) で予想されるとおりの波紋状になるだろう.しかし,交通が発達した社会では,言語革新は例えば道路網や鉄道網に沿うなどして,互いに遠く離れた都市から都市へと飛び石のように伝播するだろう.このように波状理論と飛び石理論は互いに矛盾するものではなく,むしろその社会の交通の発達度を変数とする,より一般的な理論へと止揚できるように思われる.
刷新形の伝播と交通網とがいかに連動しているかを知るには,イングランド南部で「かいばおけ」を表わす標準形 manger が伝統方言形 trough を置換していく過程と分布を眺めるのがよい.Survey of English Dialects のための調査が進められていた20世紀半ばには,この地域では伝統方言形 trough が行われていたが,北から標準形 manger が着実に浸透しつつあった.その侵入の経路を詳しくみてみると,ロンドンから南西,南,南東へ延びる幹線道路と鉄道網にぴったりと沿いながら浸透していることがわかったのである.結果として,交通網に沿った地域では新形 manger が早く根付いたが,交通網から外れた地域では古形 trough が持続しているという状況が示された.以下,Trudgill (130--31) より,方言地図と交通地図を示す(両地図がいかに重なるかを見るには,こちらのGIFアニメーションをどうぞ.)
It can be seen that each of the three southward-encroaching prongs of the manger area, two of which actually reach the coast, coincide with the main London to Dover road and rail route, the main London to Brighton route, and the main route from London to Portsmouth. The spread of the incoming form is clearly accelerated in areas with good communications links, and is retarded in more isolated areas. (Trudgill 132)
言語革新に限らず,モノにせよウィルスにせよ情報にせよ,あらゆるものが交通網に沿って,より一般的にはコミュニケーション・ネットワークに沿って移動し伝播する.考えてみれば当然のことだが,南イングランドにおける「かいばおけ」の例のように地図で示されると,そのことが具体的に理解でき,納得できる.方言地理学がいかにダイナミックであるかを味わわせてくれる好例だろう.「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) の分野からの研究例としても評価できる.
・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
方言周圏論といえば,「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]) でみた「蝸牛」の例がよく知られている.ほかにも,「とんぼ(蜻蛉)」を指すアキヅに類似する形が,福島から岩手にかけての東北地方と宮崎南部という遠く離れた地域に分布する例,「退屈」を意味するトゼンの訛語がやはり東北と九州に独立して分布する例などが知られている.南西ヨーロッパの albus に由来する古形が周辺に残存している例も,「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) でみた.では,英語における方言周圏論の例として,何が挙げられるだろうか.
1つは「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) の地図である.r 脱落という革新がイングランド南東部に発し,北部や東部へ拡がっている.現在も拡大中だが,波紋の及んでいない最北部や西部などの周辺的な地域では,r を保持する古形が残存している.このように方言周圏論の典型例では,ある形態が互いに遠く離れた周縁部 (relic area) に現われる.
Upton and Widdowson のイングランド方言地図をパラパラ眺めていて,もう1つ典型的な例を見つけることができた.以下は,Upton and Widdowson (140) に掲載されている「(ワシ・タカの)くちばし」を意味する beak の方言語の分布である.
標準語形である beak がイングランドの大半を覆っているが,南西部,西部,北部の辺境に bill の小島が細々と分布している.これほど互いに離れた地域で独立して bill が発生したとは考えにくいので,代わりに,かつて全土を覆っていた bill が革新的で勢いのある beak に詰め寄られ,かろうじてその侵入を免れた小区画が辺境に点々と分布しているものと解釈する.ただし,北西部に第3の方言形 neb もある程度の分布を占めており,若干複雑な様相を呈する.
beak は古フランス語 bec からの借用語で13世紀半ばに入ってきた比較的新しい語である.一方,bill は古英語 bile に遡る本来語で,その起源は古い.neb も同様に古英語 neb(b) に遡る本来語である.現在はイングランド北西部のほかスコットランドにも方言として使用されているが,この北寄りに偏った分布は,英語史的には古ノルド語の同根語 nef の存在によって補強されたのではないかと考えたくなる.
英語史の知見を交えながらこの方言地図と読み解くと,通時的には次のような過程があったのではないかと想像される.まず,古英語期には bill がイングランド中に広く分布していた.それと並んで neb もそれなりの分布を示していた可能性があるが,とりわけ古ノルド語との接触以来,北部方言で勢力を強めていった.続く中英語期にフランス語からの新参者 beak がおそらく南部に導入され,波状にイングランド全土へ伝播していった.大半の地域では beak が従来の語を置き換えつつ定着していったが,周縁部には本来語の bill や neb がしぶとく生き延びる小区画が点々と残ることとなった.以上は1つの歴史のシナリオにすぎないが,少なくとも方言地図の示す分布と矛盾しないシナリオである.方言地図の読み解き方の1つの指南として,「#2019. 地理言語学における6つの原則」 ([2014-11-06-1]) も参照されたい.
・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.
言語革新がある地点から波状に伝播していくという波状理論 wave_theory について,その具体例を「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]),「#1055. uvular r の言語境界を越える拡大」 ([2012-03-17-1]),「#1505. オランダ語方言における "mouse"-line と "house"-line」 ([2013-06-10-1]),「#1506. The Rhenish fan」 ([2013-06-11-1]) などでみてきた.波状理論の最も純粋な解釈によれば,言語革新はある地点から文字通り同心円の波紋を描きながら拡がっていくとされる.これを現実的な地理空間の用語で言い換えると,言語革新は中心地となる町や村から,東西南北あらゆる方向へ,隣り合う町や村に順次伝播していくということになる.
しかし,この純粋な波状理論には当てはまらない伝播の事例も数多く例証される.言語革新のみならず文化的流行にせよ疫病にせよ,必ずしも隣り合う町伝い,村伝いに伝播するとは限らず,遠く離れた地点へ飛び火するということがありうる.とりわけ交通網の発達した社会では,周辺の村邑を素通りして,大都市間で革新が共有されるタイミングのほうが早いことが多い.例えば,東京発信の革新は,関東外縁へ波状に広まるよりも,東海道新幹線に沿って飛び飛びに横浜,名古屋,京都,大阪へ伝わるほうが早いかもしれない.この場合,波状理論というよりは飛び石理論を想定したくなる.しかし,両理論は排他的な関係ではない.飛び石の各着地点(上の例では横浜,名古屋,京都,大阪)からは,着地の刺激によりそこを中心にやはり新しい波紋が広がりだす.したがって,波状理論のほうがより基本的なモデルであるらしいことがわかる.
飛び石理論は Chambers and Trudgill による提案だが,拙著で関連する以下の文章を書いたことがあるので引用しておきたい.
As for dialect-to-dialect change, the wave model was first proposed to describe the geographical diffusion of linguistic innovation. Then some geographically aware linguists developed an extended theory on linguistic diffusion over space. Chambers and Trudgill, for example, advanced the gravity model against the wave model to account for the path along which innovation diffuses in space (166). In this model, a linguistic innovation is likened to a stone skipping across a pond because it spreads not necessarily from a speaker or place to the immediate next but jumps from a speaker or place to another which may be geographically apart but socially connected. For example, linguistic innovation can spread from a big city to another, skipping through small towns in between. (Hotta 173)
言語革新の伝播に関する飛び石理論の具体例としては,イングランド伝統方言における「橋」を表わす bridge (標準語形)と brig の方言分布が挙げられる(以下,地図は Upton and Widdowson 154 より).前者は古英語の本来的な形態 (brycg) を継承する語形であり,後者は古ノルド語の同根語の形態 (bryggja) より影響を受けたとされる語形である.基本的な方言形の分布としては,イングランド南部の大半で bridge が,北部では brig が行われているが,北部の東岸に2箇所,それぞれ離れたエリアに,bridge が用いられている小区画がある.1つは最北の Newcastle, Sunderland, Durham を含むエリア,もう1つはより南の Humber 河口の Grimsby を含むエリアである.周囲がすべて brig である地域に,2つの小区画がポツポツと小島のように浮かんでいる印象だ.これは,南から勢力を拡げる標準語形 bridge が,波状でじわじわと北部に詰め寄っているというよりは,北部東海岸の都市から都市へと飛び石風に分布を拡げているという伝播の仕方を示唆する.そして,その北部東海岸の各都市から近郊へと,今度はおよそ波状に分布を拡げていったという具合だ.
Trudgill (129, 132) はイングランドの都市化の潮流と関連づけて,この方言形の分布を読み解いている.
The geographical patterning of the occurrence of the two words suggests that the southern and Standard English word is beginning to spread north, and in a rather interesting way. In its spread northwards, bridge has first invaded the coastal city areas of Sunderland and Grimsby, and then spread outwards again from these centres. This is just one example of the importance of urban centres in the spreading of new forms in language . . ., and of the way in which the increasing urbanization of England has contributed in this century to the loss of Traditional Dialects.
・ Hotta, Ryuichi. "The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English." PhD thesis, University of Glasgow. Glasgow, November 2005.
・ Chambers, J. K. and Peter Trudgill. Dialectology. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1998.
・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006. *
・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
様々な方言地図を眺めながら日本語とイングランド英語の方言について概要を学ぼうと思い,以下の4冊をざっと読んだ.いずれも概説的で読みやすく,気軽に方言地図のおもしろさを味わえるのがよい.
・ 柴田 武 『日本の方言』 岩波書店〈岩波新書〉,1958年.
・ 徳川 宗賢(編) 『日本の方言地図』33版,中央公論新社〈中公新書〉,2013年. *
・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006. *
・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
方言地理学と言語史は密接な関係にある.現代方言はいわば生きた言語史の素材を提供してくれ,言語史の知識は方言地図の解釈を助けてくれる.両者の連携を意識すれば,そこは通時態と共時態の交差点となるし,汎時的 (panchronic) な平面ともなる.英語史の記述や教育にも,現代方言の知見を盛り込むことにより,新たな可能性が開かれるのではないかと感じている.
さて,日本における方言地図作成の歴史は,世界のなかでも最も古い類いに属する.徳川 (ii) によると,明治期に文部省の国語調査委員会が標準語制定の参考とするために音韻と口語法に関する方言調査を行い,その成果として刊行された29面の『音韻分布図』 (1905) と37面の『口語法分布図』 (1906) が日本の方言地理学の出発点である.Gilliéron らによる画期的なフランス方言地図 (Atlas linguistique de la France) の出版が1902--10年であることを考えると,日本の方言研究も相当早い時期に発展してたかのように思われる.しかし,当時の国語調査委員会の目的は標準語制定や方言区画論といった実用的な色彩が強く,学問としての方言地理学のその後の発展に大きく貢献することはなかった.
日本の方言地理学にとって次の重要な契機となったは,柳田国男の『蝸牛考』 (1930) (cf. 「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1])) である.しかし,柳田が作り出した潮流は戦争により頓挫し,その発展は戦後を待たなければならなかった.戦後,国立国語研究所(文部省・文化庁)による大規模な全国調査の結果として,300面に及ぶ『日本言語地図』 (1966--74) が刊行された.その目的は方言地理学と日本語史の研究に資する材料を提供することであり,明治期と異なり,明らかに科学的な方向を示していた.日本語方言地理学の本格的な歩みはここに始まるといってよい.手に取りやすい新書『日本の方言地図』(徳川宗賢(編))は,『日本言語地図』の300面から50面を選び出して丁寧に解説した方言学の入門書である.
一方,英語の方言地図作成は,日本や他のヨーロッパ諸国に比べて,出遅れていた.イングランド英語の最初の本格的な方言地図は,Harold Orton と Eugen Dieth が企図し,Leeds 大学を基点として行われた大規模な全国調査に基づく Survey of English Dialects (A in 1962; B in 1962--71) である.これは,現地調査員が1948--61年のあいだに全国313地点において伝統方言 (Traditional Dialects) を調査した成果であり,イングランドの方言地理学の基礎をなすものである.
日本においてもイングランドにおいても,大規模調査に基づいて作成された方言地図が,現在の各言語の方言地理学の基礎となっている.それぞれすでに半世紀以上前の伝統方言の調査結果であり,古めかしくなっていることは否定できないが,方言地図の1枚1枚がそれぞれの言語項と話者の歴史を物語っており,言語資料であるとともに貴重な民俗資料ともなっている.
「#2013. イタリア新言語学 (1)」 ([2014-10-31-1]) 及び「#2014. イタリア新言語学 (2)」 ([2014-11-01-1]) で,地理言語学を推進した学派について紹介した.イタリア新言語学派 (neolinguistics) は,言語項の地理的な伝播の過程について理論的考察を行い,その結果としての各項の地理的な分布を解釈するための作業上の方針を策定した.要するに,地図上に共時的に示された方言形の分布から,過去に生じた変化の順序や伝播の経路を読み取るための手続きや指針を明文化しようとしたのである.例えば,「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) というような原則のようなものである.
新言語学の領袖 Matteo Giulio Bàrtoli が1925年に著わした Introduzione alla neolinguistica の第1章に,6つの原則が提示されている.残念ながらイタリア語の原書は読めないので,Hall (274) の要約より引用して示す(ただし,Hall は新言語学に非常に批判的な立場を取っていることに注意).
1. Of two stages of linguistic development, the one attested earlier (quella ch'é documentata prima) is usually the older (3).
2. The earlier stage (fase anteriore) is usually preserved in the more isolated of two areas (area isolata) (3--6).
3. The stage attested in marginal areas (aree laterali) is usually the earlier stage, provided the central area (area di mezzo) is not the more isolated area (6--10).
4. The greater of two areas (area maggiore) usually preserves the earlier stage of development, provided the lesser area (area minore) is not the more isolated and does not consist of marginal areas (10--12).
5. The earlier stage of development is usually preserved in a 'later area' (area seriore) (13--15).
6. If one of two stages of development is obsolete or on its way out, it is usually the obsolete stage (fase sparita) which is the earlier (15--17).
Hall の批判に応酬した Bonfante (368) によれば,上記の方針3と4で触れられている "marginal areas" はイタリア語の "aree laterali" の不正確な英訳であるとしているので,ここに付言しておく."laterali" は,純粋に地理空間的な用語であり,例えば Castile の観点からすると Catalonia と Porgual は "literali" であると言われる.
また "laterali" (marginal) に限らず "isolata" (isolated), "seriore" (later) という用語も相対的なものであることに注意したい.例えば,イタリアはある言語変化に関しては側面的な位置にあったとしても,別の言語変化に関しては中心的な位置にあると言いうる.同じように,同一地域が,考察対象となっている言語変化によって孤立的あるいは非孤立的のいずれともみなされうるし,後発的あるいは非後発的のいずれとも解されうる.
いずれの原則にも "usually" とあるように,これらの原則はむしろ例外の存在を積極的に認めた上での原則である.地理言語学者自身が最もよく知っているように,個々の言語項は個々の地理的分布を示すものであり,個別に取り扱うべきものである.その分布の解釈は,さしあたって6つの原則に基づいて開始してみるが,原則の予想に反する事実が現われれば,当然,事実を優先して再解釈を試みるというのが前提である.Bàrtoli による上記の原則は,新言語学派=言語地理学者の経験則から生まれた作業上の仮説としてとらえるのが妥当だろう.
関連して,「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]),「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]),「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1]),「#1236. 木と波」 ([2012-09-14-1]) も参照されたい.
・ Hall, Robert A. "Bartoli's 'Neolinguistica'." Language 22 (1946): 273--83.
「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]),「#1722. Pisani 曰く「言語は大河である」」 ([2014-01-13-1]),「#2006. 言語接触研究の略史」 ([2014-10-26-1]),「#2008. 借用は言語項の複製か模倣か」 ([2014-10-28-1]) でイタリアで生じた新言語学 (neolinguistics) 派について触れた.言語学史上の新言語学の立場に関心を寄せているが,この学派の論者たちは主たる著作をイタリア語で書いており,アクセスが容易ではない.そのため,新言語学は,日本でも,また言語学一般の世界でもそれほど知られていない.このような状況下で新言語学のエッセンスを理解するには,言語学史の参考書および学術雑誌 Language で戦わされた激しい論争を読むのが役に立つ.今回は,すぐれた言語学史を著わしたイヴィッチによる記述に依拠し,新言語学登場の背景と,その言語観の要点を紹介する.
イタリア新言語学は,Matteo Giulio Bartoli (1873--1946) の著わした論文 "Alle fonti del neolatino" (Miscellanea in onore de Attillio Hortis, 1910, pp. 889--913) をもってその嚆矢とする.1925年には,Bartoli による Introduzione alla neolinguistica (Principi---Scopi---Metodi) (Genève, 1925) と,Bartoli and Giulio Bertoni による Breviorio di neolinguistica (Modena, 1925) が継いで出版され,新言語学の基盤を築いた.Vittolio Pisani や Giuliano Bonfante もこの学派の卓越した学者だった.
新言語学の思想は,Wilhelm von Humboldt (1767--1835),Hugo Schuchardt (1842--1927),Benedetto Croce (1866--1952),Karl Vossler (1872--1947) の観念論を源泉とする.一方,方法論としてはフランスの言語地理学者 Jules Gilliéron (1854--1926) に多くを負っている.その系譜はドイツの美的観念論とフランスの言語地理学の融合により,その気質は徹底的な青年文法学派 (neogrammarian) への批判に特徴づけられる.
新言語学の理論的立場は多岐で複合的である.エッセンスを抜き出せば,話者の精神・心理(創造性や美的感覚など)の尊重,地理的・歴史的環境の重視,(音声ではなく)語彙と方言の研究への傾斜といったところか.イヴィッチ (66) の記述に拠ろう.
人間は言語を物質的のみならず精神的意味においても――その意志・想像力・思考・感情によっても――創造する.言語はその創造者たる人間の反映である.言語に関するものはすべて精神的ならびに生理的過程の帰結である.
生理学だけでは言語学の何物をも説明できない.生理学は特定の現象が創造される際の諸条件を示しうるにすぎない.言語現象の背後にある原因は人間の精神活動である.
「話す社会」 speaking society は現実に存在しない.それは「平均的人間」と同様に仮構である.実在するものはただ「話す個人」 speaking person だけである.言語の改新はどれも「話す個人」が口火を切る.
個人の創始になる言語の改新は,その変化の創始者が重要な人物(高い社会的地位の持主,際立った創造力の持主,話術の達人,等)の場合に,いっそう確実・完全・迅速に社会に容れられる.
言語において正しくないと見なし得るものは何一つない.存在するものはすべて存在するという事実故に正しい.
言語は根本的には美的感覚の表現であるが,これはうつろいやすいものである.事実,同じく美的感覚に依存している人生の他の面(芸術・文学・衣服)においてと同様,言語においても流行の変化が観察できる.
単語の意味の変化は詩的比喩の結果として生ずる.これらの変化の研究は人間の創造力の働きを知る手がかりとして有益である.
言語構造の変化は民族の混合の結果として生ずるが,それは人種の混合ではなく,精神文化の混合の意味においてである.
事実上言語は,しばしば相互に矛盾する様々の発展動向の嵐の中心となる.この様々の発展動向を理解するには,様々の視覚から言語現象に接近しなければならない.まず第一に,個々の言語の進化はとりわけ地理的・歴史的環境に規定されるという事実を考慮に入れるべきである(例えば,フランス語の歴史は,フランスの歴史――キリスト教の影響,ゲルマン人の進出,封建制度,イタリアの影響,宮廷の雰囲気,アカデミーの仕事,フランス革命,ローマン主義運動,等々――を考慮に入れなくては適切に研究できない).
この新言語学の伝統は,その後青年文法学派に基づく主流派からは見捨てられることになったが,イタリアでは受け継がれることとなった.様々な批判はあったが,言語の問題に歴史,社会,地理の視点を交え,とりわけ方言学や地理言語学(あるいは地域言語学 "areal linguistics")においていくつかの重要な貢献をなしたことは銘記すべきである.例えば,波状説 (wave_theory) に詳しい地理学的な精密さを加え,基層言語影響説 (substratum_theory) に人種の混合ではなく精神文化の混合という解釈を与えたことなどは評価されるべきだろう.これらの点については,「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]),「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]),「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1]),「#1236. 木と波」 ([2012-09-14-1]),「#1594. ノルマン・コンクェストは英語をロマンス化しただけか?」 ([2013-09-07-1]) も参照されたい.
・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.
・ Hall, Robert A. "Bartoli's 'Neolinguistica'." Language 22 (1946): 273--83.
・ Bonfante, Giuliano. "The Neolinguistic Position (A Reply to Hall's Criticism of Neolinguistics)." Language 23 (1947): 344--75.
「#1993. Hickey による言語外的要因への慎重論」 ([2014-10-11-1]) の記事で,近年,言語変化の原因を言語接触 (language contact) に帰する論考が増えてきている.言語接触による説明は1970--80年代はむしろ逆風を受けていたが,1990年代以降,揺り戻しが来ているようだ.しかし,近代言語学での言語接触の研究史は案外と古い.今日は,主として Drinka (325--28) の概説に依拠して,言語接触研究の略史を描く.
略史のスタートとして,Johannes Schmidt (1843--1901) の名を挙げたい.「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]),「#1118. Schleicher の系統樹説」 ([2012-05-19-1]),「#1236. 木と波」 ([2012-09-14-1]) などの記事で見たように,Schmidt は,諸言語間の関係をとらえるための理論として師匠の August Schleicher (1821--68) が1860年に提示した Stammbaumtheorie (Family Tree Theory) に対抗し,1872年に Wellentheorie (wave_theory) を提示した.Schmidt のこの提案は言語的革新が中心から周辺へと地理的に波及していく過程を前提としており,言語接触に基づいて言語変化を説明しようとするモデルの先駆けとなった.
この時代は青年文法学派 (neogrammarian) の全盛期に当たるが,そのなかで異才 Hugo Schuchardt (1842--1927) もまた言語接触の重要性に早くから気づいていた1人である.Schuchardt は,ピジン語やクレオール語など混合言語の研究の端緒を開いた人物でもある.
20世紀に入ると,フランスの方言学者 Jules Gilliéron (1854--1926) により方言地理学が開かれる.1930年には Kristian Sandfeld によりバルカン言語学 (linguistique balkanique) が創始され,地域言語学 (areal linguistics) や地理言語学 (geolinguistics) の先鞭をつけた.イタリアでは,「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]) で触れたように,Matteo Bartoli により新言語学 (Neolinguistics) が開かれ,言語変化における中心と周辺の対立関係が追究された.1940年代には Franz Boaz や Roman Jakobson などの言語学者が言語境界を越えた言語項の拡散について論じた.
言語接触の分野で最初の体系的で包括的な研究といえば,Weinreich 著 Languages in Contact (1953) だろう.Weinreich は,言語接触の場は言語でも社会でもなく,2言語話者たる個人にあることを明言したことで,研究史上に名を残している.Weinreich は.師匠 André Martinet 譲りの構造言語学の知見を駆使しながらも,社会言語学や心理言語学の観点を重視し,その後の言語接触研究に確かな方向性を与えた.1970年代には,Peter Trudgill が言語的革新の拡散のもう1つのモデルとして "gravity model" を提起した(cf.「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1])).
1970年代後半からは,歴史言語学や言語類型論からのアプローチが顕著となってきたほか,個人あるいは社会の2言語使用 (bilingualism) に関する心理言語学的な観点からの研究も多くなってきた.現在では言語接触研究は様々な分野へと分岐しており,以下はその多様性を示すキーワードをいくつか挙げたものである.言語交替 (language_shift),言語計画 (language_planning),2言語使用にかかわる脳の働きと習得,code-switching,借用や混合の構造的制約,言語変化論,ピジン語 (pidgin) やクレオール語 (creole) などの接触言語 (contact language),地域言語学 (areal linguistics),言語圏 (linguistic_area),等々 (Matras 203) .
最後に,近年の言語接触研究において記念碑的な役割を果たしている研究書を1冊挙げよう.Thomason and Kaufman による Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics (1988) である.その後の言語接触の分野のほぼすべての研究が,多少なりともこの著作の影響を受けているといっても過言ではない.本ブログでも,いくつかの記事 (cf. Thomason and Kaufman) で取り上げてきた通りである.
・ Drinka, Bridget. "Language Contact." Chapter 18 of Continuum Companion to Historical Linguistics. Ed. Silvia Luraghi and Vit Bubenik. London: Continuum, 2010. 325--45.
・ Matras, Yaron. "Language Contact." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 203--14.
・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
カリブ海の英語の分布について,「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]),「#1680. The West Indies の言語事情」 ([2013-12-02-1]),「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) で取り上げてきた.この地域の言語事情は実に複雑であり,主として社会言語学的な関心から "Caribbean linguistics" という名で研究が進められている.
英語事情をとってみても,移民の歴史,英語が拡散した歴史,pidgin や creole と標準英語の社会言語学的な関係,スペイン語など他の主要言語との共存など,問うべき課題は多い.問題の多様さと複雑さの背景には,歴史自体の多様さと複雑さがあるのだが,Holm (1) は3点を指摘している.その主旨を示すと,(1) この地域の英語の歴史は,個々の島や領土ごとの複数の英語史から成っており,1つの歴史にまとめることが難しい,(2) この地域の英語の拡散史は,イギリスの政治的権力の拡散史とは必ずしも一致していない,(3) この地域の伝統的な歴史記述は,政治史や経済史が主であり,言語史は pidgin や creole に付されていた否定的な評価ゆえに顧みられることが少なかった.(3) については現在では事情は変わってきているのだろうが,(1) と (2) はいかんともしがたい.(2) についていえば,例えば St. Lucia や Dominica は旧英国植民地だが,現在英語は概して第2言語として話されるにすぎない.一方,旧英国植民地ではないコスタリカの Puerto Limón やドミニカ共和国の the Samaná Peninsula では,現在英語が母語として話されている,などの事情がある.
この地域の移民史と英語拡散史の一端を「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) の記事でみたが,島・領土ごとに情報をまとめた資料が Holm の補遺 (18--19) に与えられていたので,それを示しておきたい.約30年前の古い情報ではあるが,移民の出身地,Holm 執筆当時に得られた人口などがまとめられており,地域の英語事情の概観を得るのに参考にはなるだろう(表中の人口欄の「---」は,他の行に算入されていることを示す).
Date of Settlement | Territory | Settled from | Current Population |
---|---|---|---|
1609 | Bermuda (Atlantic) | Britain, Africa | 55,000 |
1624 | St. Kitts (Leewards) | Britain, Africa, Ireland | 40,000 |
1627 | Barbados | Britain, Africa, Ireland | 280,000 |
1628 | Nevis (Leewards) | St. Kitts, Ireland | 15,000 |
1628 | Barbuda (Leewards) | St. Kitts, Ireland | 1,100 |
1631 | St. Martin (Dutch Ww.) | Leewards, Holland, France | 10,000 |
1631 | Providence (West Car.) | Britain, Bermuda, New England | 4,000 |
1631? | San Andrés (West Car.) | uncertain | 4,000 |
1632 | Antigua (Leewards) | St. Kitts | 74,000 |
1633 | Montserrat (Leewards) | St. Kitts, Ireland | 12,000 |
1636 | St. Eustatius (D. Ww.) | Leewards, Holland | 1,000 |
1640 | Saba (Dutch Windwards) | St. Eustatius, Leewards | 1,000 |
1648 | Bahamas (Eleuthera) | Bermuda | 240,000 |
1650 | Anguilla (Leewards) | Leewards | 6,500 |
1651 | Suriname (S. America) | Barbados (Sranan 1st lang.: 125,000) | 404,000 |
1655 | Jamaica | Barbados, Leewards, Suriname, Bermuda | 2,215,000 |
1666 | British Virgin Is. | Leewards | 12,000 |
1670 | Cayman Is. (West Car.) | Britain, Jamaica | 16,000 |
1670 | Carolina | Britain, Jamaica, Barbados, Bermuda, Bahamas | Gullah: 250,000 |
1672 | St. Thomas (Virgin Is.) | Leewards, Dutch Windwards, Denmark | --- |
1678 | Turks and Caicos | Bermuda | 7,000 |
1684 | St. John (Virgin Is.) | St. Thomas | --- |
to 1715 | Saramaccan (Suriname) | Coastal plantations | (20,000) |
from 1715 | Djuka (Suriname) | Coastal plantations | (16,000) |
ca. 1730 | Miskito Coast (C.A.) | Belize, Jamaica | 40,000 |
1733 | St. Croix (Virgin Is.) | Leewards, St. Thomas | --- |
1740's | (British) Guyana | Barbados, Leewards | 832,000 |
from 1760 | Aluku (Fr. Guiana) | Coastal plantations of Suriname | --- |
1763 | Dominica (Br. Windw.) | French Antilles (French Creole) | |
1763 | St. Vincent (Br. Ww.) | Leewards, Barbados | 112,000 |
1763 | Grenada (Br. Windw.) | Fr. Antilles, Leewards, Barbados | 108,000 |
1763 | Tobago | ? | --- |
from 1780 | southern Bahamas | U.S. South | --- |
1786 | Belize | Miskito Coast | 150,000 |
1786 | Andros, Bahamas | Miskito Coast | --- |
1797 | Trinidad | Windwards, Barbados, Bahamas | 1,150,000 |
1815 | St. Lucia | French Antilles (French Creole) | |
from 1824 | Samaná, Dominican Rep. | U.S. freedmen | 8,000 |
1827 | Bocas del Toro, Panama | San Andrés | --- |
1830's | Bay Islands, Honduras | Cayman Islands | 10,000 |
1849 | Nacimiento, Mexico | Afro-Seminoles | 300? |
from 1850 | Rama, east Nicaragua | Miskito Coast | 300? |
1870 | Bracketville, Texas | Nacimiento Afro-Seminoles | 300? |
1871 | Puerto Limón, Costa Rica | Jamaica, Eastern Caribbean | 40,000 |
1898 | Puerto Rico | United States | 100,000? |
1904--14 | Panama | Jamaica, Eastern Caribbean | 100,000? |
1917 | Virgin Islands | United States | total: 100,000 |
total: 6,398,500 |
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