英語史では,ノルマン・コンクェスト (the Norman Conquest) が契機となり,以降,英語が少なくとも語彙の面で大きくロマンス化 (romancisation) したということが定説となっている.(Norman) French が英語に及ぼした言語学的および社会言語学的な影響は甚大であり,この説自体に異議を唱える材料はほとんどないように思われる.この征服によるイギリスのロマンス化の効果は,言語のみならず文学や歴史にも反映されており,ますます同説は強固な基盤をもつに至っている.
だが,ここであえてノルマン・コンクェストによるゲルマン化 (germanicisation) の効果の可能性を考察することは,少なくとも実験的には無駄ではないだろう.というのは,「#1568. Norman, Normandy, Norse」 ([2013-08-12-1]) でも確認したように,征服王朝を打ち立てた William 率いるノルマン人は,ルーツは北ゲルマン語群の Old Norse を話していた北欧人だからである.Normandy の北欧人が,England のアングロ・サクソン人(および先に定住していた北欧人)を征服したとしても,全体的な北西ゲルマン色は薄まるはずはなく,むしろ濃くなると予想されるのではないか.
定説によれば,この予想は外れということになる.確かにノルマン人はルーツとしては北欧である.911年にフランスを襲ったデーン人の首領 Rollo (860?--932?) は,蛮行をやめることと引き替えに,フランス王 Charles III よりノルマンディを勝ち取った.以降,Rollo は,イングランドにおける征服者 Cnut と同様に,破壊者ならぬ再建者となり,人々から崇敬の念をもって迎えられた.だが,Rollo の子孫たちは,数世代という短い期間に,急速にフランス化した.フランス語を習得し,キリスト教に改宗し,フランス法を採用し,石造建築を受け入れ,騎馬戦の技術を獲得した.最後の戦術はノルマン・コンクェストの大きな勝因となったのだから,この征服はノルマン人がフランス化したからこそ可能になったものとみることができる.以上の経緯を踏まえると,ノルマン・コンクェストに至る150年ほどの間に,ノルマン人は文化的には本来のゲルマン色あるいはヴァイキング色をすっかり失い,ほぼ完璧にフランス化したかのようにみえる.ノルマン・コンクェストの英語への影響は,やはりロマンス化と評価すべきであり,ゲルマン化あるいはゲルマン的な要素の強化とは評価できない,という結論になりそうだ.
しかし,荒 (95--96) は,この定説に若干の異論を唱えている.
……フランスを通じて、地中海系の南方的な風俗、習慣、信仰などが大幅に流入した。その結果、アングロ・サクソン民族には、北方的要素と南方的要素の二つが流れこみ、混合し、融和し、調和したといわれる。以上は、言語学者、文学研究家、歴史家のほぼ一致した意見である。
けれども、少し掘り下げて考えるならば、この通説は成立の根拠が少し揺らいでくる。
(1) ノルマン人は、デーン人の系統をひいている。二、三代、居ついている間に、母国語を忘れ、フランス化したことは否定できぬ。だが、かれらは、完全なフランス人からみれば、異端者であり、ヴァイキングの子孫である。だからこそ、ある日突然、平穏な生活を棄て、祖先の血潮の燃え立つのをかんじながら、騎馬民族として、イギリスに渡ったのである。
(2) アングロ・サクソン人は、ゲルマン民族の大移動の際、北海を渡り、先住民族を駆逐して、楽土を求めたのである。かれらも、先祖は北方人である。その後、デーン人は、新来者として、数度にわたり侵略を繰り返したが、北方人の血を一段と濃くしたである。
(3) ノルマンディーのフランク型封建制度が、イギリスの封建制度の急激な発達を促進したのは事実だが、しかし、両者は、前提として、デンマークの制度を踏まえていたように思う。
民族的性格という点になると、アングロ・サクソンは、北方的要素がいちじるしく濃厚である。北と南を足して二で割るといった調子では、まったく説明がつかぬ。
この見解にヴァイキングに対するロマンチックな評価が含まれていること,また民族的性格と言語的性格は別ものであることには注意しなければならないが,定説の唱える通りに,ノルマン人による征服は英語に南方(ロマンス)的要素を導入したのみであると結論づけて終わってよいのかという疑問は残る.言語的にいえば,フランス化したノルマン人が,ルーツとして保っていた北ゲルマン的な言語項目を直接英語に伝えたという例はないように思われる.しかし,そもそも Norman French が Old Norse 訛りのフランス語であるし,その基層言語たる Old Norse の言語的な特徴が,Norman French 借用語などを通じて間接的に英語へも滲み出ている例があったとしても,それほど驚くべきことではないだろう.
・ 荒 正人 『ヴァイキング 世界史を変えた海の戦士』 中央公論新社〈中公新書〉,1968年.
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