[2012-04-02-1]の記事「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」は,コミュニケーションに関与する諸要素に基づいた言語機能のモデルとして,一般言語学の教科書でもたびたび取り上げられる.理解しやすいモデルだが,言語学史を著わしたムーナンは,これを厳しく批判している.長い一節だが,引用しよう.
ここでもまたモデルは魅惑的だし、おそらく今後も長く、非言語学者たちを魅惑しつづけることだろう。ことばの使いかたを余すところなく記述し、説明しているような印象を与えるからだ。が、いろいろの点でそれは不満足なものである。ヤコブソンは「遊戯的機能」をまったく無視している。とはいえこの機能は言語学者たちがほとんど研究していないものなのだが。もっとも、ヤコブソンにとって遊戯的機能は詩的機能のなかに含まれるというのなら話は別だが、さて、そうだとすると深刻な問題が生じてしまう。すなわち、語呂合わせ〔洒落〕と『マルドロールの歌』とのあいだにはたぶんいくらかの親近性がありそうだし、それがどこに由来するのかという点はわかるが、問題は特に、両者〔遊びと芸術〕の相違がどこにあるのかを知るということなのだ。その上、彼は詩的機能と美的機能とを分けて、区別している。が、美的機能を文芸学のほうへ追いやって、それはもうことばの固有性ではない、したがってことばの第七ないし第八の「機能」ではないのだ、というだけでことが済むわけではない。実際、ヤコブソンもそれを承知し、述べてもいるのだが、これらの六「機能」は、実はただ一つのものであることばのコミュニケーション機能をこなごなにくだいて、かえっておおいかくしている。彼が機能と呼んでいるものは、ことばのもつそれぞれ特殊な《用法》〔usages〕であり、程度の差はあるが、それらはみな、どんなコミュニケーションのなかにも現われているのだ。おしまいに、これら六つの想定された機能は、ヤコブソンが証明しようと努力したにもかかわらず、本当に言語学的な、形式的基準をもっていない。彼は機能を区別するにあたって、心理的、意味的あるいは文化的な指標だけにたよっている。(「よく聞こえますか?」というメッセージがその呼びかけ機能をはたすために採用する言表の構造は、なにもその機能に特有のものではない。)ヤコブソン式の諸機能分類は、厳密に定義されているコミュニケーション機能の場合とはちがって、ことばの働きも進化も言語学的に説明してくれるものではない。(172--73)
批判の要点は2つある.1つは,語呂合わせや洒落などに代表される言語の遊戯的機能が含まれていない点である.もしそれが「詩的機能」に含まれるというのであっても,文芸的な詩的機能と遊戯的な詩的機能を区別しなくてよいのか,という問題は残る.
2つ目の問題は,Jakobson の6機能には形式的な基盤がなく,いかなる言語学的な洞察をも与えてくれないという点だ.ことばには複数の機能が同時に詰め込まれているというのは確かだが,それをバラバラに取り出してみせるにしても,その手段がないではないかという批判だ.どこまでも形式主義的に行こうとすれば,確かにムーナンの述べるように,複数の機能を個別に取り出すことはできないだろう.
「機能」という大仰な表現を用いずに,「用法」とすれば事足りるというムーナンの議論も説得力がある.Jakobson の言語の6機能は,明快なモデルではあるが,言語学的に発展性がないということだろうか.
・ ジョルジュ・ムーナン著,佐藤 信夫訳 『二十世紀の言語学』 白水社,2001年.
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